Elämäプロジェクト

こんにちは、エラマプロジェクトです。

なんだか気分が沈んで、理由ははっきりしないのに心が重い。もしくは、原因は分かっているけれど、そのことで心がつらい。
そんな風に「自分の中の暗い部分」が浮き彫りになる瞬間ってありますよね。

今回は、あえてそこに光を当ててみたいと思います。

日本とフィンランドは、「心の闇」をどんな風に見つめ、扱い、アウトプットし、そして整えてきたのか。

同じ心の闇でも、文化が違うと付き合い方がこんなに変わる。
その違いを知ることは、「自分の心を大切にする」ための新たな道筋を見つけることでもあります。

「心の闇」ってどんなもの?

今回の記事では、次の5つの状態をまとめて「心の闇」と呼ぶことにします。

ここで大事なのは、心の闇は誰の心にも宿る可能性があるということ。日本とフィンランドの人たちは、心の闇とどのように付き合ってきたのでしょう。

自分の心と向き合うのはどんな時?

心を和歌で表現してきた日本人

日本文化における心の表現として、和歌があります。平安時代の『古今和歌集』の冒頭には、こんな言葉があります。

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」

意味は、”日本の和歌は、人の心を根源として、それが無数の言葉として表現されたものである”という感じです。つまり、喜びだけでなく、悲しみや怒り、喪失のつらさなど様々な感情を、和歌として表現してきたのです。

また、華道、茶道、武道などの「道」は、単に技術を上達させるのではなく、自分を律して心を研ぎ澄まし、高みを目指していくことでもあります。

瞑想や座禅を習慣にする方もいらっしゃると思いますが、釈迦が悟りに至る過程で、悪魔の誘惑に打ち勝ったという逸話からは、自分の内面に湧く闇と向き合う比喩のようにも読めます。

フィンランドは日常に内省の場がある

フィンランドのヘルシンキ中央図書館oodi

一方フィンランドでは、自分と向き合う機会が、生活の中にさりげなく入り込んでいます。

読書は、心の中の言葉にならないものに、別の言葉を借りて触れる行為でもあります。

そして創作活動は、言語化できない感情に“形”を与える方法でもありますし、サウナは日常から一段離れて、静寂の中で「自分」に戻る場でもあります。

心の闇を描く芸術とは

日本文学には、心の奥の闇を描いてきた作品がたくさんあります。

例えば『源氏物語』に登場する六条御息所という女性は、愛や誇りの葛藤から、抑え込んだ想いがついには“生き霊”という形で外に出てしまいます。

近代文学でも、夏目漱石や太宰治をはじめ多くの作家が、罪悪感や恥、自己矛盾といった「内面」を描き出しました。

実は、怪談やジャパニーズホラーにも、心の闇を主題にした作品が多く見られます。

海外ホラーでは、ゾンビや吸血鬼など倒せる怪物キャラクターが目立つ一方で、日本のホラーでは幽霊が登場することが多く、情念や未練といった心の闇に焦点が当てられる作品が多い気がします。

フィンランドでは、アートやサウナといった、個人の内面を安全に吐き出せる『社会的な仕組み』が文化の中に溶け込んでいます。

たとえばムーミン。

ムーミンは可愛いだけの児童文学ではなく、孤独や不安、人生の陰影を自然に含みながら、登場人物たちがそれぞれの“しんどさ”と共存している物語です。

ムーミンが国民的に愛されていることは、闇を否定しない価値観を象徴的に示しているようにも感じられます。

さらに意外なのが「フィンランド・タンゴ」の存在です。

実はフィンランドでは、タンゴが国民的な人気を誇ります。

失恋や望郷の“哀愁”を、短調(マイナーコード)のメロディに乗せて分かち合うタンゴ。

悲しみは隠すものではなく、みんなで共鳴させ、人間の一部として肯定するもの──そんな意識がうかがえます。

心の闇を和らげる知恵とは


日本の「節分」「五節句」「大祓」など、季節の節目に行う行事には、溜まった穢れを祓い、清めるという意味合いがこもっています。

こういう季節の節目は、自分の心身に溜まったものを落とすタイミングでもあります。

また、涙も心の闇を浄化するひとつの手段でしょう。

古典文学を紐解くと、平安貴族はもちろんのこと、『平家物語』に登場するようなかつての武士たちも、実はよく泣いています。 泣くことは弱さではなく、深い慈しみや感情の現れであり、今よりもずっと社会的に許容されていたのかもしれません。


フィンランドは自然条件が厳しい国です。

フィンランドの冬は日照時間がとても短く、冬の暗さが気分にも影響しやすいため、だからこそ光が特別な意味を持ちます。日光浴や光を取り入れる習慣は、まさに「闇を照らす」知恵と言えます。

そして音楽。
フィンランドの人たちは、普段は内向的と言われる一方で、ヘヴィメタルのような激しい音で感情を外へ放つ文化もあるのが特徴です。心の叫びを音に乗せることも、心の闇を解消するひとつの方法となっています。


また、フィンランドではキャンドルや焚き火の灯りを好む文化があります。明かりによって闇を消すのではなく、「闇と一緒に生きるための明かり」なのです。暗さを否定せずに共存しているところが、フィンランドらしいなと思います。

エラマプロジェクト石原と橘おすすめの「心の闇」との付き合い方とは?

橘のおすすめは「抵抗しないこと」

気分が落ちている時に、気分を上げようとすればするほど、苦しくなることがあります。
流れに逆らって泳ぐのはとても大変なことです。

そんな時は、あえて悲しみに身を委ねて、波が過ぎるのを待ちます。

わざと泣ける映画を見て大泣きする、という方法もおすすめです。
泣くことは、心の中の“詰まり”を流す行為でもあると思います。

そもそも日本には、貴族も武士もよく泣く「涙の文化」がありますしね。

石原のおすすめは「素の自分に戻ること」

サウナや温泉のあと、外気に当たることをおすすめします。

裸という“役割を脱いだ状態”で風を受けると、心身がフラットに戻る感じがするのです。

これはフィンランド的な「自然の中で自分に戻る」という知恵につながります。

もしサウナが難しければ、夜に短い散歩でもいい。窓を開けて深呼吸でもいい。“自然の温度”を体に入れると、思考がいったん静かになります。

おわりに~闇は消すものじゃなく、扱い方を覚えるもの~

日本とフィンランドは、どちらも内省の時間を大切にしたり、芸術を通して感情を表現することによって、心の闇と向き合っていることが分かりました。

ここから見えてくるのは、心の闇との向き合い方は一つではないということ。
心の闇は、排除する“敵”ではなく、それぞれの文化の中で形作られてきた「付き合い方」があるのですね。

心の闇と向き合う際、今までの自分のやり方がしっくりと来ていない方は、他の文化の習慣を取り入れてみるのも良いですね。それだけで心の闇は“扱えるもの”に変わっていくのかもしれません。

編集後記

私は、自分の思考の癖として、つい「自分は~せねばならない」「~すべきだ」という考え方に引っ張られてしまい、知らず知らずのうちに自分を苦しめてしまうことがあります。

それは「心の闇」というテーマに向き合う時も同じで、「心の闇と向き合わねば」「向き合うべきだ」と考えてしまったら、きっとそれだけで、かなりしんどくなってしまいそうです。

今回、心の闇の解消法にも触れましたが、「心の闇を解消しなきゃ」と力むよりも、まずは、あるがままに受け止めること。
それが何より大切なのだと、改めて感じました。

日本人は真面目な人が多い、とよく言われますが、少し肩の力を抜いて、ほどほどの距離感で付き合う。
そのくらいが、心の闇と向き合うには、ちょうどいいのかもしれませんね。

(執筆:橘茉里)

こんにちは、エラマプロジェクト代表の石原侑美です。
先日、沖縄県で開催された教育と共創の祭典「LEAP DAY 2025」に登壇してきました。

本日はその登壇の様子と、イベントを通じて改めて感じた「エラマが社会に届けるべきメッセージ」についてレポートします。

熱気あふれる「LEAP DAY」の舞台

LEAP DAYは、沖縄発の人財育成プログラム「Ryukyu frogs」などが中心となって開催される、西日本最大級のソーシャルイベントです。

会場には、社会課題の解決に挑む学生たちのピッチや、企業・教育関係者の対話が溢れており、未来を拓こうとする熱気(エネルギー)に圧倒されました。

焚き火を囲んで語った「心理的安全性」

私が登壇したのは「経済格差や教育格差から社会分断を起こさないために――北欧から学ぶ未来教育」というセッションです。


ステージにはなんと「焚き火台」が用意され、炎の揺らぎ(の演出)を感じながら、リラックスした雰囲気で対話をすることができました。


このセッションで、私が特に伝えたかったフィンランドの価値観が2つあります。


1. 「失敗」は評価ではなく「情報」である
日本では「失敗=恥ずかしいこと、評価が下がるもの」と捉えられがちです。しかし、フィンランドの教育やスタートアップの現場では、失敗は単なる「ファクト(事実)」であり、「この方法ではうまくいかないという情報が得られた」とポジティブに変換されます。

次へ進むためのデータに過ぎないのだから、恐れずに挑戦しよう、というメッセージです。


2. 「悩めば森に行けばいい」
どれだけ高く飛躍(LEAP)しようとする人にも、羽を休める場所は必要です。

フィンランドには「悩んだら森へ行け」という言葉があります。社会の中に、誰もが素の自分に戻れる「森」のような心理的安全性があることが、挑戦を支える土台になるのです。


この言葉を紹介した際、会場の空気がふっと緩み、多くの方が頷いてくださったのが印象的でした。


【追記】私自身が「失敗」を実践しました(笑)
さて、当日の様子をジャーナリストの堀潤さんに取材していただき、動画が公開されたのですが……ここで一つ、私自身が「失敗は情報である」を体現する出来事がありました。
動画内で興奮のあまり、フィンランド語の単語の説明を混同してしまいました。

動画では「Sentakki(センタッキ)」を「そもそも」という意味で紹介していますが、正しくは以下の通りです。
誤: Sentakki = そもそも
正: Sen takia(センタキア) = だから/そのために
※「そもそも」と言いたかった場合は「Alun perin(アルン ペリン)」などが適切でした。
専門家としてお恥ずかしい限りですが、頭の中の「だからこそ、本質は…」という思考と言葉が混ざってしまったようです。

まさに「失敗は情報」。このミスも隠さずに、「人間だもの、間違えることもある」というエラマ流のスタンスで、訂正させていただきます。(動画はそのままの熱量を楽しんでいただければ幸いです!)

誰もが対等に話せる「場」をつくる

フィンランドでは「デモクラシー(民主主義)」という言葉が、政治だけでなく日常の中で「一人ひとりが対等に話せる空気感」として使われます。
沖縄の熱いエネルギーの中で、エラマが大切にしている「対話」や「余白」の価値をお伝えできたこと、そして私自身も多くの刺激をいただいたことに感謝しています。
これからもエラマプロジェクトは、日本社会の中に「森」のような場所を増やしていきたいと思います。


▼ 当日の取材記事はこちら(Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a95aad516b312b7acf9fb653233ca7670a814218?brid=Ko3y8-rxO13JM106o735ZA


▼ LEAP DAY 2025 公式サイト
https://2025.leapday.jp/

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。

みなさんは「沈黙」についてどういったイメージをお持ちですか?

どちらかというとネガティブな印象が強いのではないでしょうか。今回はフィンランドの「沈黙の文化」をテーマにお話できればと思います。

フィンランドの国民性について

先日の12月6日はフィンランドの独立記念日でした。12〜18世紀はスウェーデンによる支配、19世紀はロシアの統治下にあり、1917年に独立しました。面積は日本の約9割で人口は約550万人(北海道くらい)です。

フィンランドは森林占有率が70%ほどあり、「森と湖の国」というのが特徴のひとつです。

国民性については一般的に、

・人見知り、パーソナルスペースが広い

・勤勉、真面目

・自立心、独立心が強い

・派手な生活を好まず、シンプルで自然なものを好む

・内向的(初対面の人とは打ち解けにくいが、親しくなると心を開く)

・お世辞や社交辞令は好まない

といったことが挙げられます。

そのフィンランドでは対話的な文化(人と、自分と、自然となど)が根付いており、また「沈黙の文化」が存在します。

「沈黙が金、話すは銀」

フィンランドには『沈黙は金、話すは銀』ということわざがありますが、フィンランドでは沈黙は「肯定」や「思考の時間」で、気まずいものとはされていません。相手への尊重の表れなのです。

フィンランドでは相手の話を『聴く』教育が浸透していますが、それと同様に『沈黙』も価値の高いコミュニケーションであると捉えています。

こういった話をエラマプロジェクトの講座でお伝えすると参加者の方々は衝撃を受けられます。

かなり以前のことですがこんなことがありました。

ワークショップを開催したときに感想共有タイムの進行の仕方が違ったのです。フィンランド出身の講師は時間を気にするより「話したくなったら話したいタイミングで話してください」という方法で進行をする方が多かったです。

そうなると、沈黙が非常に長くなります。参加者はみなさん考えをまとめる時間が長くなるのでその間沈黙になるんです。日本だとそれがやはりプレッシャーになってしまうようで、感想共有の時間がつらくてしんどかったという方がいらっしゃいました。

他には、オンラインミーティングなどリアルに会えない状況の場合は沈黙になかなか慣れません。日本だとオンラインでも相槌を打ってくれるので聞いてくれているとわかりやすいですが、フィンランドの人と話していると本当に沈黙を実感します。さらに画面共有をすると相手の顔も小さく表示されるので不安感が大きくなります。相槌もないので。

世界的に見てもフィンランドの人は相槌が圧倒的に少ないそうです。

逆の場合だと、フィンランドのことをそれほど知らない日本の方がフィンランド出身の人と話しているときに、あまりにも相槌が多すぎるためとまどうフィンランドの人も多いのだとか。人によっては不快に思うこともあるようです。

文化の違いですよね。わたしは「沈黙」が彼らの重要な価値観であるとわかったとき、安心したのを覚えています。

わたしは大阪で生まれ育ったのですが、そこでは言葉を埋めないと話を聞いていないと言われたり、何を考えているかよくわからない人と言われたりしました。

帰省した際に大阪の朝の番組などを見ると、かなり早い展開でコーナーが進んでいく印象を今でも受けますし、言葉で埋め尽くしているんですよね。

テレビだからというのもあるかもしれませんし、普通のコミュニケーションにおいてのんびりした大阪人もいますが、言葉を埋めないとあかん!といった強迫観念が大阪の中にあるという感覚は消えません。

対話やそれ以外のコミュニケーションにおいても、人が話をするというのが前提としてありますよね。話を聴くにしても、誰かが話をしている前提で聴くことをイメージしませんか。

でもフィンランドはそうではないのです。

何も話していない時間も聴いているし、何も話してない時間も目線や雰囲気といった何か信号を送っていると考えます。それまでの会話にあえて間を持つことで、お互いの創造性の中で会話をするといった感じでしょうか。

そういったコミュニケーションの選択肢があると知れたとき、わたしは言葉を無理に埋めなくていいんだという安心感を得られました。

お互い沈黙でもいいんです。

夏のフィンランド滞在では、日差しの気持ちいいテラスで10人くらいとビールを飲んだのですが、一人も話さない(笑)。そんなこともありました。

慣れていないと間をあけるって怖いですよね。それができるのはその場にいる人たちへの信頼も重要ではあります。

「ない」もポジティブな意思表示である

コミュニケーションの場において話さない(話せない、話したくない)という行為自体がネガティブに捉えられるのは日本だけではなく多くの社会でよくあることだと思います。

フィンランドに行ってすごくほっとしたのは、喋っているのが正義とは思っていないんですよね。言いたくない、喋ることがないから喋りたくない、わからないというのが、ちゃんとしたポジティブな意思表示だと受け止めてくれる文化で、わたしはそれがとても心地よく感じました。

(人にもよりますし文脈や場面によるのは大前提ですが)「ない」「ゼロ」みたいなものでも意思表示であるとポジティブな反応を示してくれるのはかなりの安心ポイントだとわたしは思っています。

「沈黙」も一種のボキャブラリーなのでは?という考えも浮かびました。

会議の場については、考えたけれど意見がない場合、フィンランドでは「すみません、私は意見がないです」と言葉にするんです。

日本や他の社会だとネガティブに受け止められるから「ない」と言うのはすごくはばかられますよね。フィンランドの場合だと、それを言うことで「この人はわからないんだ」ということがわかる。だから「そうなんだね」と理解するのです。

わからないと言うこともフィンランドでは大事にされるんです。

もちろんほかの文化でも同様の価値観はあると思います。でも、何かしらみんな答えがある前提で話すことが多い印象です。フィンランドだと十分に思考することが大切にされるので、その場しのぎや単純に言葉をつなぐようなことは言えません。

フィンランドがすべてにおいてすごくいい社会だと言いたいわけではありません。でも、「ない」とか「わからない」がネガティブに捉えられないというのは、安心安全な場をつくる際には非常に大事な点になります。

また「沈黙の文化」が共有できていると、言葉にするまでに時間がかかっても焦らずに思考がまとまってから話せるという安心感もありますよね。

フィンランドの対話文化に関する文献の中でもそれは言われています。

「沈黙も対話の最中」という考え方が日本で広まるのは文化の違いもあり簡単ではないでしょう。ただ、沈黙もOKな文化があると知っているだけで、身近で当たり前とされているコミュニケーション方法に対する不安感が多少は解消されるのではと思います。

待てる強さを身につけるには

「沈黙の文化」があるということは相手や自分自身を待つことに慣れているとも言えます。つまり余裕を持っているんですよね。

あなたが余裕を持つために普段意識していることは何かありますか?

もし、一人でその『余白』や『待つ時間』を作るのが難しいと感じるなら、わたしたちと一緒に学んでみませんか?

エラマプロジェクトでは、フィンランドの「少ないことは多いこと」の哲学、日本の伝統文化における「間」や「余白」の美学、東洋と北欧に共通する「手放すことで得られる豊かさ」についての探求などを融合させた全5回のオンラインプログラム、「エラマ・ウェルビーイング『ゼロ』を学ぶコース」を2026年の2月〜3月にかけて開催します。

講師はわたし以外に日本人2人、フィンランド人1人の計4人で、リレー講義となります。

2026年1月31日まで早期申込割引を実施中ですので、ぜひ詳細をチェックしてみてください!

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By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)

Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

秋の陽光が木々の間からやさしく降り注ぐ、2025年11月11日。
岐阜・飛騨高山の日和田高原に、特別な時間が流れました。

フィンランドから来日した4名のゲストと、この日のために集まってくださった参加者の皆さん。高山市や飛騨市、岐阜県内にお住まいの方はもちろん、遠くは愛知、三重、大阪、長野からも足を運んでいただき、イベントは【満員御礼】という嬉しい形で幕を開けました。

これは、私たちが開催した「森と自分を”再発見”する森林浴プログラム」の記録です。

なぜ、森に入る前に「対話」するのか?

私たちのプログラムは、いきなり森の中へ入っていくことはしません。
まず室内で、たっぷりと時間をかけて「対話」をすることから始まります。

フィンランドからのゲスト、起業家や専門家たち、そして参加者の皆さん一人ひとりが、輪になって丁寧に自己紹介を交わす。少し緊張していた空気も、この時間でゆっくりと解きほぐされていきます。

続いて、メインガイドである「森とひとと木」代表の臼田陽子さんと、フィンランドのナチュラルウェルビーイング専門家であるMari Ahonenさんによるトークセッションへ。

森林占有率が世界1位のフィンランドと2位の日本。どちらの国も、伝統的に森と共に生きてきた歴史があります。しかし、現代における森との向き合い方には、興味深い違いも見えてきます。

代表の石原侑美は、この対話がより深まるよう、単なる言葉の通訳ではなく、文化的な背景や言葉の裏にある想いを汲み取り、解説を交える「魂を繋ぐ通訳」を心がけました。

この丁寧な導入があったからこそ、森での体験が何倍にも豊かなものになります。ある参加者の方からは、こんな嬉しい驚きの声をいただきました。

「今まで森林浴のプログラムを受けたり、自分も提供してきましたが、このように最初に丁寧に自己紹介や森の話をして、しっかり対話してから森に入るのがとても丁寧だと感じて、少し衝撃的でした」

五感が拓き、国境を越える瞬間

心と身体の準備が整ったところで、いよいよ森の中へ。
臼田さんのガイドに導かれ、五感をゆっくりと開いていきます。

ふかふかの土の匂いを嗅ぎ、オオシラビソの樹液にそっと触れてみる。静寂の中で、きらめく水面をただ静かに眺める。私たちは、思考を手放し、全身で森を「浴びる」ことに集中しました。

そんな中、フィンランドのゲストがふと声をあげます。
「おお、自分の家の森の匂いと同じ匂いがする!」
「まるで家にいるみたいな感覚だ。フィンランドでは、この木の樹液をサウナのアロマとして使うんだよ」

日本の森で、遠いフィンランドの暮らしに想いを馳せる。
言葉や文化を超えて、森という存在が私たちを繋いでくれる。そんな不思議で、温かい感覚に、会場全体が包まれました。

森の奥では、シートを広げて仰向けに。見上げる木々と青い空。温かいクロモジ茶をゆっくりと味わいながら、ただ自然の中に身を委ねる。それは、心と体が本来あるべき場所に還っていくような、深く満たされた時間でした。

「心身が、森の空気と入れ替わっていく」参加者からの感動の声

後日、参加者のお一人から、心のこもった長い手紙をいただきました。ご本人の許可を得て、その一部をご紹介します。

この手紙は、私たちがこのプログラムを通して届けたかった価値そのものでした。

癒しの先にある「穏やかな繋がり」へ

この森林浴プログラムは、単なるリフレッシュや癒しのためだけのものではありません。
自分自身と向き合い、隣にいる人と繋がり、目の前の自然と繋がり、そして、地球や世界と繋がっていく。

それは、興奮を伴うような交流ではなく、穏やかで、リラックスした状態で、静かに深く繋がっていく感覚です。

これこそが、私たちエラマの学校が最も大切にし、すべての活動の根底にある「穏やかな対話の空間」です。この日、飛騨の森で、その理想的な形が生まれたことを、主催者として心から嬉しく思っています。

ご参加くださった皆様、そして素晴らしい場を共創してくださったフィンランドのゲストと臼田陽子さんに、改めて深く感謝申し上げます。

この体験の続きへ、あなたも参加しませんか?

今回のような「穏やかに対話する場」や「自分や世界と繋がる体験」に少しでも心を動かされた方へ。エラマプロジェクトでは、継続的に学び、繋がれる二つの扉をご用意しています。

1. 【飛騨でリアルに体験したい方へ】
連続講座シリーズ「北欧をめぐる6つの扉」
毎月1回、飛騨国府で開催している対面講座です。北欧の知恵をヒントに、美味しいランチを囲みながら、自分らしい生き方を仲間と共に探求します。リアルな場での温かい繋がりを求める方におすすめです。旅行がてら、高山まで学びに来ませんか?

詳細はこちら

2. 【オンラインで全国の仲間と繋がりたい方へ】
会員制コミュニティ「エラマの森」
場所を問わず、全国・海外の仲間と共に日々の暮らしを豊かにする学びと対話を深めるオンラインコミュニティです。自分のペースで関わりながら、安心できる繋がりを持ちたい方にぴったりです。

◼️エラマの森の詳細はこちら◼️

あなたとの新たな出会いを、心より楽しみにしています。

こんにちは、エラマプロジェクトです。

あなたは自分のことを「人見知り」だと感じますか?

実は、日本人の約7割が「自分は人見知りだ」と感じているという調査結果があるようです。

一方、北欧の国フィンランドの人も「シャイ」「物静か」という印象を持たれることが多いです。

一見すると似ている両国の国民性ですが、その裏にある文化的な背景には、面白い違いが見られます。

そこで今回は、日本とフィンランドのコミュニケーションの奥深さを探ってみたいと思います。

「人見知り」の質が違う

日本人の多くが、自分のことを人見知りだと感じていますが、この感覚はどこから来たのでしょう?

一説によると、控えめに振る舞うことを重んじ、自己主張を控える価値観が、人見知りに影響していると言われています。

例えば、江戸時代の村社会では、村という共同体から仲間外れにされてしまったら、生きていけなくなってしまいます。そのため、目立たないようにしたいという意識が働き、それが人見知りという性質につながっていったようなのです。

日本のように協調性を大切にする文化においては、空気を読む能力が求められます。人見知りは、他人との衝突を避け、和を乱さないようにと、空気を読んだ結果の産物なのかもしれません。

一方、フィンランドの人の人見知りは、「内向的」という言葉が近く、その根底にあるのは「他者への深い配慮」です。

彼らは、相手のパーソナルスペースを何よりも尊重します。相手の立場になって、「相手の邪魔をしたくない」という気持ちから、むやみに話しかけることを避ける傾向があります。

フィンランドの人たちにとって、シャイの理由は、自分本位ではなく「相手への思いやり」なのです。

世界一広い?フィンランドのパーソナルスペース

フィンランドの人のパーソナルスペースは、「世界一広い」と言われるほどです。

その象徴的な例が、バス停での待ち方。

たとえバス停に屋根があっても、人々は密集を避け、お互いに十分な距離を保って立ちます。

他人の領域に踏み込まないという意識が、物理的な距離として明確に現れるのです。

対照的に、日本のパーソナルスペースは状況に応じて伸び縮みします。

日本人はハグなどのスキンシップが少ない文化のため、コミュニケーションを取る際に、相手との距離は比較的広いスペースを保つことがあります。

その反面、満員電車や行列では、我々のパーソナルスペースは驚くほど狭くなります。

日本は、状況に応じて、パーソナルスペースを柔軟に使い分ける文化だと言えるでしょう。

フィンランドの「沈黙」と日本の「あいづち」

フィンランドの人の会話において、「沈黙」は気まずいものではありません。

むしろ、相手の話を深く考え、自分の思考を整理するための機能的な「思考する時間」と捉えられています。

相手が考えをまとめるまで静かに待つのが礼儀であり、話を遮ることは非常に失礼な行為だと考えられています。

かたや日本では、「あいづち」がコミュニケーションの潤滑油です。

その頻度はアメリカの人の2倍とも言われ、相手がまだ話している最中でも「うんうん」「なるほど」などとあいづちを挟むことで、「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」というサインを送ります。

この文化差は、時に誤解を生むことがあるかもしれません。

フィンランドの人との会話で、日本流の頻繫なあいづちを打ってしまうと、相手にとってあいづちが「ノイズ」となってしまう恐れがあります。

相手のコミュニケーション文化を理解し、沈黙やあいづちを適度に使い分けられるようになると良いですね。

 「空気を読む」文化は同じだけど

前述したように、日本の「村社会」では、波風を立てないことが最重要でした。

その文化が、直接的な明言を避け、「本音と建前」を使い分けるコミュニケーションを生み出しました。

日本では「言わぬが花」という諺があるように、言葉にしない奥ゆかしさや美意識が存在するのです。

フィンランドも、言葉以外の文脈を重視し、相手の意図を「察する」文化があるという点では共通しています。

しかし、彼らには日本人のような「本音と建前」の概念はないようです。

フィンランドの人は状況を察したうえで、自分の意見を非常に率直に主張します。

その言葉は、時に「図星を突かれる」ほど鋭く、それでいて「シンプルで洗練された言葉」なのです。

日本人が空気を読んで「言わない」ことや「本音」を隠すのに対して、フィンランドの人は空気を読んだうえで正直な意見を伝えるのです。

メールや会話での不思議なコミュニケーションスタイル

文章でのコミュニケーションにも、興味深い違いが見られます。

日本の手紙やビジネスメールは、時候の挨拶や前置きが長く、さらに相手への配慮から「ご期待に添えず…」といった遠回しな表現が多用されます。

そして、フィンランドのコミュニケーションスタイルは、相手との関係性によって劇的に変化します。

初対面や仕事関係の場合: メールは極端に短く、用件や必要な情報のみが記されます。効率性が最優先です。

親しい友人や信頼する相手の場合: 一転して、非常に長い文章を送ることがあります。これは、自分の考えの「背景」や個人的な「ストーリー」を深く共有し、信頼する相手に自分の内面を誠実に伝えようとする行為なのです。

この使い分けは、フィンランドの人たちの「内向的だが、心を開いた相手にはとことん誠実」という国民性を反映しているのかもしれません。

まとめ

「人見知り」「物静かでシャイ」という点で、よく似ている日本人とフィンランド人。

しかしその内面を覗いてみると、行動の動機となる文化は異なっていました。

特に、調和の作り方に、その違いが凝縮されています。

日本の調和が、個々の意見を抑え、争いを避けることで生まれる一方、フィンランドの調和は、全員が正直に意見をテーブルに載せ、議論を重ねて合意を形成するスタイルとなっています。

あなたも今一度、自分のコミュニケーションの取り方を見つめなおしてみてはいかがでしょうか?

編集後記

私は高校の教員として教壇に立ったり、エラマプロジェクトで講座の配信を行ったりと、人前で話す機会が多い仕事をしています。

でも実は、自分のことを「人見知り」だと感じています。特に初対面の方と会う時は、いつもドキドキします。

昔は、そんな自分のことがあまり好きではありませんでした。けれど今は、自分の人見知りを直したいとは感じていません。

確かに人見知りが緩和されたら、私の行動や私を取り巻く世界は大きく変わることでしょう。

けれど、人見知りだからこそ、得られたものもきっとあると思います。

例えば相手の気持ちを想像したり、場の空気を感じ取ったりすることは、私が人見知りだからこそ、伸ばせた力ではないかと思うのです。

そんなふうに考えると、人見知りもまた、自分や相手を大切にするためのひとつのコミュニケーションの形なのだと思います。

人との距離の取り方や、沈黙の過ごし方には、その人らしさがにじむもの。

これからも自分なりのペースで、人とつながっていけたらいいなと思います。

(執筆:橘茉里)

2025年11月、Elämäプロジェクトはフィンランド東部、森と湖が美しいプンカハリュ地域から4名の起業家チームを日本に迎え、関西および飛騨高山にて一連の交流プログラムを実施しました。本レポートでは、Elämäプロジェクト代表の石原侑美が企画・運営に携わった、彼らのツアーの一部をご紹介します。ガイドや通訳、イベントのコーディネートを通じて、両国の友好関係を深める貴重な時間となりました。

古都の魅力と大阪での歓迎の宴

11月5日、古都・京都に到着したゲストたちを、代表の石原が出迎えました。翌日からは、京都の東山エリアの散策や、大阪の歴史情緒あふれる中崎町界隈のガイドを担当し、日本の伝統文化や街並みの魅力を伝えました。

活動のハイライトの一つが、11月6日に大阪・梅田で開催した交流会です。会員制コミュニティ「エラマの森」の住民さんの一部が集い、フィンランドからのゲストを温かく歓迎しました。新鮮な海鮮料理を囲みながら、和やかな雰囲気の中で会話が弾み、国を越えた友情が育まれました。石原は、参加者同士のコミュニケーションが円滑に進むよう、通訳としてサポートしました。

飛騨高山での心温まるおもてなし

旅の後半、一行は岐阜県飛騨高山へ。ここでは、よりパーソナルで心温まる交流が待っていました。石原の自宅にゲストを招いてウェルカムパーティーを開催し、日本の家庭料理を振る舞いました。天気の良い日にはテントサウナを体験してもらうなど、飛騨の自然と暮らしに根ざしたおもてなしで、ゲストとの距離が一層縮まりました。

ハイライト:日本とフィンランドの視点が交わる森林浴プログラム

11月11日には、今回の来日プログラムの核となるイベント「森と自分を”再発見”する森林浴プログラム」を日和田高原にて開催しました。このプログラムは、Elämäプロジェクトと、高山で活動する「森とひとと木」との共催で実現したものです。

午前中は、石原の企画・通訳のもと、フィンランドの森林浴ネイチャートレーナーであるマリ・アホネン氏と、日本の森林インストラクター臼田陽子氏がそれぞれの視点から森との関わり方について語りました。その後、参加者全員で白樺や針葉樹が美しい森を歩き、五感を開放する時間を共有。森の中でいただく飛騨の恵みが詰まったランチも格別で、リラックスした雰囲気の中、参加者とゲストとの間で深い対話が生まれました。

地域とつながる高山での交流会

同日の夜には、高山市内の「松倉山荘」にて、地域の方々とフィンランドゲストをつなぐ交流会を主催しました。石原によるフィンランド入門ミニ講座で現地の文化やプンカハリュの美しい街並みを紹介した後、フリー交流会へと移りました。

観光、林業、農業、デザインなど、様々な分野で活躍するフィンランドの起業家たちと直接話せる貴重な機会となり、会場は熱気に包まれました。参加者の方々は、お互いの国の文化やビジネスに関心を持ち、積極的に情報交換を行っていました。

終わりに

今回のプンカハリュ起業家チームの来日は、Elämäプロジェクトが目指す「フィンランドと日本の文化・教育の架け橋」としての活動を象徴する、実り多いものとなりました。一連のプログラムを通じて生まれた出会いや対話は、両地域の友好関係をさらに深め、新たな協業の可能性を感じさせるものでした。

ご参加、ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。Elämäプロジェクトは、今後もこのような国際的な交流の機会を創出し、両国の発展に貢献してまいります。

Special Thanks to SaimaaLife

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。

先日、知人の話をきっかけに自分の変化について気づく瞬間がありました。今回はその気づきから考えたことをお話していきます。

わたしの“悪癖”が改善されたきっかけ

「ライフワーク」や「ライスワーク」という言葉がありますが、みなさんはそれぞれどのくらいの割合で日々生活されていますか?

「ライフワーク」は人生の目的や情熱を感じられる仕事や活動、「ライスワーク」は生活費を稼ぐためにおこなう仕事と定義されているかと思います。

わたしは就職をせず起業し、数年後にエラマプロジェクトを立ち上げました。現在も続けている、わたしにとってのライフワークです。

でもエラマプロジェクトがスタートするまでは、実は何をするにしてもしんどさがありました。10分くらい遅刻してしまうとか、断ることができないとか、約束の時間を変更してもらいたいとか思うことがよくありました。

ただ、エラマプロジェクトを運営していくうちにそういった自分の“悪癖”だと思っていたものがなくなっていたと、知人の話を聞いたとき気づきました。

なぜそうできたのか?

振り返ってみると、まずエラマプロジェクトで伝えている「余白を作ること」や休み方について、自分自身も実践できているということがあります。

そして、エラマプロジェクトを広めたい気持ちからくるモチベーションと、背負う責任の大きさもかなり大事な点だったのかもしれません。

もちろんその前から起業はしていましたが、やっていたことは自分がオーナーのビジネスではなく、クライアントをサポートする形の仕事でした。なので今考えると本当の意味で責任を持てている状態ではなかった気がします。

請負の仕事が合う方もいらっしゃると思うんですが、わたしは自分が思っている以上に合わないことが多かったんです。

エラマプロジェクトを立ち上げてからは、発信やその他諸々を自分ですべて責任を持つのが自分に合っていると感じるようになりました。それによって他人との約束をちゃんと守れるようになったり、遅刻するとかがなくなっていったんです。

例えば、遅刻は不可抗力のときがもちろんあると思います。でも、10分くらいのちょっとした遅刻を繰り返してしまう原因は、自分の「やる気のなさ」みたいなものが少なからず影響しているような気がします。

自分に合った働き方ができていると、自分の悪癖とされるものが改善されやすいのではないかと思ったんです。

「自分のペース」を意識する

最近フィンランドで、「自由と責任」の話をよくします。わたし自身もかなり強く意識しているところです。

自由度ももちろんそうですし、それに伴う責任の量や幅といったものが多ければ多いほど、わたしはちょうどいいんだなって思います。

働き方を考えるひとつの物差しとして、責任の大きさについて自分はどのくらいがちょうどいいのかを考えてみるのもいいかもしれません。

全部の責任が自分にあるほうがわたしは気が楽なようです。

働き方で言えば、わたしは「雇われて働く」ことに本当に向いてないと今になってよく思っています。そのひとつが、仕事をするペースを一定にしなければいけないという点です。

わたしの場合はすべての予定が自由なので、お昼ご飯を食べたあと30分ぐらいいつも昼寝をしています。

また、会社での仕事であれば、例えば17時半までに作業を終えなければいけないという「就業時間」がありますよね。でもわたしは夕方はまったく仕事をしません。20時からオンライン講座を開催することが多いので、19時以降の時間帯に頭がよく働きます。そのため、講座前の時間を使って経理作業などをして、だんだん仕事脳に切り替えていき、20時からの仕事に勢いをつけるように調整しているんです。

人間誰しもそんな「自分のペース」があると思います。だから、決められた枠の中でやるのが楽という方もいると思います。

でもわたしの場合は自分のペースを守れないと能力が出ない、パフォーマンスできないといった感じですね。

もうひとつ、ビジネスの大きさも大事かもしれません。起業して数年はがんばってビジネスを大きくしようといった野心に燃えた時代がありましたが、今は自分の目が届く範囲の小ささがいいという結論になっています。

ただ、ときどき自分が思っているよりビジネスの規模が大きくなりそうな場合も出てきます。どうするかの判断をするために、やはりその都度自分の理想の働き方や生き方に向き合うことになります。

そして人に会う量の調節がとても大事なのも分かりました。それもペースのひとつですよね。

フィンランド滞在中のある週に、プンカハリュという自然豊かな湖水地方で過ごしたのですが、そこでは普段飛騨高山で暮らしているのと変わらない生活スタイルでした。

仕事内容はオンラインミーティングや作業が多かったのですが、同時にプンカハリュの方々にお願いされて、打ち合わせなどにちょこちょこ行っていたんです。これが、最初の予定と比べると結果的にハードなスケジュールになり、一週間であまりにもいろんな人に会いすぎてちょっとしんどくなってしまったのが正直なところだったんです。

せっかくフィンランドの湖水地方という良い環境で過ごせているのだから、人に会う量も仕事の中で調節し、人と会わない時間を作る。そうやってペースを守って過ごすことの大切さも実感したんです。

満たされる瞬間が多くなると執着から解放される

今回、プンカハリュのある方から、その方が経営する宿のテストカスタマーサービスをお願いされ、友人夫婦とわたしと夫とで参加してきました。

体験の中には、レストランや島でセカンドハウスを持って暮らしているおじいさんの家を訪ねるという日もありました。その日の一人ひとりの感想をガイドをしてくれた宿のオーナーさんに伝えたところ、「僕も今日はすごく働いているっていう感じじゃなかったよ!」とおっしゃっていたんです。一緒に楽しんでいるような感覚で、もちろん仕事なんだけれど仕事と感じないくらいすごく心から楽しいって思える時間だったと話されていました。

今後の宿の運営に関わるテスト体験なので、当然価格などのビジネスの話もあった中で、仕事を超えた楽しい時間、自分が満たされる時間が生まれたというのはそれがこの方にとってのライフワークと呼ばれるものになったのかもしれません。

自分にとって心地いいものが分かると、その先にライフワークになるものとの出合いがあるのではと感じました。

こんなふうに、ある程度満たされた瞬間が多くなってくると、「これをしなければいけない」という執着がどんどんなくなってくるような気がします。

人にも執着しなくなり、お金にも執着しすぎなくなり、「わたしはこうでなければ」みたいな執着もなくなってくるんです。

わたしの一番わかりやすい例は、きちんと料理することへの執着がなくなったこと。

研究のためにここ数年はフィンランドに毎年滞在していますが、最初の2年くらいはちゃんと料理をしていたんです。ただ、今はもう夫と二人のときは冷凍のカレリアパイを買ってレンジで温めてバターを塗って食べる、くらいになりました。そんな日もあっていいんだと、手を抜けるところは抜けるようになったんです。

フィンランドにいるときだけでなく、夫の両親と4人で暮らしている飛騨高山の家でも食事を作ることがあるのですが、だいぶ手を抜けるようになりました。相手をきちんと信じられているからこそだと思うのですが、それでもみんな喜んでくれます。時間をかけてちょっとずつ、ここまで辿り着きました。

毎日のことへの執着が抜けてくると、余白が出てきてプライベートも仕事に関することも心の負担が少なくなるという好循環が生まれます。

そういった余裕が、遅刻や約束のキャンセルをしないという良い状態を維持できるポイントにもなる気がしています。

自分にとってのベストバランスは?

完璧なライフワークとライスワークは簡単には手に入らないかもしれません。でも、そのヒントは自分にとっての最適なバランスを見つけることだと思うんです。

わたしがフィンランド研究家を続けられている理由は、「フィンランドが好き!」という憧れが全然なかったからだと思っています。フィンランドでも嫌な現実を見ることはありますし、先日もフィンランド人同士何してんの!?という場面を見ました。

好きなものを貫くにもやはり何かしら大変なことはあります。それも含めて、わたしは現在の仕事を続けています。

ライフワークの割合が理想的だと悪癖も出にくく、良い状態で仕事をすることができます。だからそれを維持できるように日々努めています。

バランスの良い働き方ができたり、自分の心地いい環境で過ごせたりすると、生き方はスムーズになると実感しています。

もしみなさんが良くないと感じている習慣があるとしたら、それはライフワークとライスワークのバランスに原因があるかもしれません。

あなたにとっての最適なバランスはどんなものでしょう?
ぜひ考えてみてください。

By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

こんにちは、エラマプロジェクトです。

森林に恵まれ、古くから木と共に暮らしてきた日本とフィンランド。

どちらも木造建築や木工品などの豊かな文化を持っていますが、その背景や職人のあり方には国ごとの違いもあります。

今回は木工の文化という切り口から、両国が大切にしてきたものを学び、暮らしに活かせるヒントを探してみましょう。

森林の特徴は?

日本は国土における森林率が約68%、フィンランドは約74%で、どちらも世界有数の森林国です。(出典:世界森林資源評価(FRA)2020より)

日本の森林のおよそ9割は、広葉樹を中心とした天然林と、スギやヒノキなどの針葉樹からなる人工林で構成されています。

一方、フィンランドの森林は、マツ・トウヒ・シラカバの3種でほとんどを占めます。木の生え方が密ではないので、風通しの良い森が多いのが特徴です。

動植物の生態系の多様さは日本の方が恵まれていますが、フィンランドの森も、トナカイやヘラジカなど北国らしい動物たちが生息する、豊かな生態系が広がっています。

森をめぐる歩み

日本では、古代から木を伐って暮らしに使ってきましたが、昔は「森を守りながら使う」という考えがまだ十分ではありませんでした。

そのため、7世紀頃から森が減り始め、平安京や平城京の造営、江戸や明治の大規模伐採で、山肌が見える「はげ山」も広がり、森林率は50%ほどまで落ち込みました。

紆余曲折を経て、植林の重要性が広まり、今では人工林も含めて、およそ7割まで緑を取り戻しています。

フィンランドでは、森を守るためのルールがしっかり決められています。

林業はとても盛んですが、むやみに木を伐ることはありません。

伐採するときには、木の年齢や状態をきちんと考えて、森がこれからも健やかでいられるように配慮されます。

そして伐った後は必ず植林などで森を再生させることが徹底されているのです。

木を運ぶ水の文化

日本は川を、フィンランドは湖を利用した水運文化を持っています。

日本では古代から、川を利用して木材を運ぶ「川下げ」が行われてきました。例えば、平城京や平安京の造営、江戸の町への木材供給にも、川が活用されました。

フィンランドには約19万もの湖があります。そのため、湖に木材を浮かべて運ぶ「浮遊ログ(丸太物流)」という、世界でも特殊な運搬方法が用いられてきました。

豊富な水資源を活かした運搬方法は、どちらの国でも生活を支える重要な技術でした。

美しい木造建築

近代に入るまで、日本の建築物の大部分は木造でした。

今でもなお、世界最古の木造建築である「法隆寺」、木造の城郭建築である「姫路城」、白川郷の「合掌造り」をはじめ、数多くの歴史的な木造建築が残されていますね。

そしてフィンランドでも、18世紀までに作られた建物は、木造建築が一般的でした。

世界最大の木造教会「ケリマキ教会」、世界遺産であるラウマ旧市街の木造建築地区が有名ですし、湖畔のボートハウスやサウナもほとんどが木造です。


白木を好む文化


日本では、表面加工を施していない白木(しらき)を好む傾向があります。

白木とは、塗装や着色を一切施さず、木本来の色合いや木目をそのまま活かした木材のことです。

主にヒノキ・スギ・ヒバなど木目の美しい木が使われ、日本では和室の柱や神社の建築、寿司店のカウンターなどに取り入れられています。白木によって、清らかさや木の美しさを表現できます。

そして白木の建造物といえば、伊勢神宮。
伊勢神宮では、遷宮といって、20年ごとに新しい社殿を建て替えます。時間がめぐり、生命が受け継がれていくことを実感しますね。

また、日常の暮らしでも家具や桶、ヒノキ風呂、障子の枠など、白木が多く使われてきました。

フィンランドもまた、木をそのまま生かす文化を持っています。

もともと階級社会ではなく、富を誇示するための豪華な装飾を必要としなかったことが、白木の文化につながったのではないかと推測できます。

ラハティのシベリウスホールなど、現代建築でも白木の美しさを生かしたデザインが多く見られます。

木工品と職人たち

日本はタンス、桶、漆器など、多様な木工品が生活に根づいてきました。

フィンランドでは、ククサや白樺皮のかごなど、自然素材を活かした実用品が今も愛されています。

どちらも自然の色や手触りを生かす姿勢が感じられます。

また、日本の昔ながらの職人は、道を極めるタイプのスペシャリスト型が多いです。

一方、フィンランドの木工職人は「デザイナー」「アーティスト」として、自分の付加価値を見出すジェネラリスト型が多いです。
彼らは、職業学校でビジネスや企画も学び、発信力や市場対応力に長けています。

おわりに

日本とフィンランドは、同じく木と共に生きてきた国。木造建築や白木を好む文化など多くの共通点も見えてきました。

木を活かす知恵や感性は、現代の暮らしにも活かせる宝物です。

あなたも、木の温もりを感じる時間を取り入れてみませんか?

編集後記

私は着物を着るので、着物の収納には桐ダンスを愛用しています。

桐の木は柔らかく細かい繊維を持っていて、湿気の多い時には水分を吸い、乾燥すると吐き出す性質があります。

桐ダンスは湿度管理に優れているので、着物を安心してしまっておけるのです。今は便利な収納用品が次々に登場していますが、「着物の収納と言えば桐ダンス」という感覚は、現代でも変わりません。やっぱり木の力ってすごいなぁと感じます。

こうした知恵を未来につなげていくことで、現代を生きる私たちと木との関わりは、もっと豊かになっていくのかもしれませんね。

(執筆:橘茉里)

こんにちは、エラマプロジェクトです。

現代は情報があふれ、つい「頭で考える」ことに偏りがちです。そんな今だからこそ、「五感で感じること」に目を向けてみませんか?

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。 この五つの感覚は、私たちが世界と出会い、つながるための入り口です。

森林率が世界トップクラスで、自然と共に生きてきた日本とフィンランドは、五感の使い方にも独自の美学と文化が息づいています。

今回は、両国の五感文化を通して、豊かに生きるヒントを見つけてみましょう。

五感を養うと、なにが変わる?

五感を意識して暮らすと、創造性や感受性が育ち、私たちの人間としての成長を促してくれます。

例えば、

現実を深く理解する:世界とのつながりを実感できる
感情や感受性が豊かに:美しいもの、心地よいものに心が動く
ひらめきを生む:感覚の刺激が創造性を育てる
ストレスを軽減する:香りや手触りが、心と体を整える
コミュニケーションが円滑に:感受性が高まることで、他者との関係も深まる


こうした五感の豊かさを、日本とフィンランドはどんなふうに育んできたのでしょうか?

視覚:引き算の美、余白の力

日本の「わびさび」を感じさせるデザイン、フィンランドの「シンプルで実用的」なデザイン。どちらも、余白や静けさに美を見出す感性が根付いています。

また、日本では渋く落ち着いた色合い、フィンランドでは雪や湖、森の色といった自然の色使いが好まれます。

華美に飾り立てるのではなく、「引き算」の発想で創られたデザインは、見る人の想像力を育ててくれます。

聴覚:虫の声と、静寂とロック

日本では、虫の音を「声」として聴き、自然と共にある感覚が大切にされています。虫の音を「言葉」として受け取る文化は、世界的にも珍しいものです。

一方フィンランドは「静けさ」を重んじる国ですが、同時にハードロックやメタル音楽の盛んな国でもあります。静と動、両方を大切にするその文化は、感覚の幅の広さを感じさせます。

嗅覚:自然の香りを味わう

日本では古くから、匂い袋や練香など、天然の草木を用いたお香の文化が発達してきました。今でも香りを通じて心を整える知恵が受け継がれています。

フィンランドでは、焚き火、スモークサウナ、森、ベリーの香りなどが暮らしの中に溶け込んでいます。コーヒー消費量が多く、コーヒーの香りも日常の一部です。

どちらの国も、自然な香りに重きを置いている点が共通しています。

味覚:旨味と素材のちから

日本は「うま味」という味覚を大切にし、出汁を使って味に奥行きを出します。「UMAMI」は今や世界で通じる言葉となりました。

フィンランドの料理は、塩、胡椒、ハーブなどを使ったシンプルな味付けで、素材そのものの味を活かします。ライ麦パンやサワークリーム、塩漬けの魚やチーズなど、酸味や塩味が日常の味です。

触覚:手で感じる、暮らしの温度

日本家屋は、畳や障子、木の柱など植物由来の素材から成るため、それらに触れる習慣があり、自然素材を身近に感じる文化があります。

フィンランドでは、ウールやリネン、木工製品、そして編み物の文化が根強く、「編む」という行為そのものが心を整える時間になっています。

どちらも「手で触れること」を大切にし、そこから得られる安心感を暮らしに取り入れているのです。

今、五感を見直す意味とは?

風土も歴史も違う日本とフィンランドですが、どちらの文化にも共通しているのは、自然とともにあること。

自然の音に耳を澄まし、香りを感じ、食を味わい、素材に触れる。
そんな丁寧な暮らし方が、五感を通して見えてきます。

遠い国同士のようでいて、実は心の奥深くでつながっている日本とフィンランド。その文化を知ることは、自分自身の感覚を広げていくことでもあります。

エラマプロジェクトでは、「和フィン折衷」という視点から、五感を養うことを「自分自身と向き合う行為」と捉えています。

日本の繊細な感性とフィンランドの静かな強さ。その両方を感じながら、自分にとって心地よい感覚を見つけ、日々の中で五感を大切にすることが、今を生きるヒントになるかもしれません。

編集後記

窓を開けて網戸にしていると、うちの猫たちはそっと窓辺に近づいて、その大きな瞳で外の様子をじっと見つめます。

鳥のさえずり、風に乗ってくる匂い、肌に触れる外気の気配、人の行き交う音。

彼らは五感をめいっぱい使って、外の世界を感じ取ろうとしているのです。

そんな姿を見ていると、「私は日々、自分の感覚をちゃんと使えているだろうか?」という問いが湧いてきます。

PCやスマホに頼って、自分の五感を置いてきぼりにしていたかも……。

そんな自分に気づいたら、「今日は香りを楽しんでみよう」「音に意識を向けてみよう」と、五感を大切にしたいなと思います。そういう小さな選択が、暮らしをさらに豊かにしてくれる気がします。

ぜひみなさんも、今まで以上に五感を大切に過ごしてみてください。今日という日が、あなたによって優しく豊かな感覚に包まれたものでありますように。


(執筆:橘茉里)

先日、夏の光が美しい飛騨高山で、3泊4日の「対話的な場の作り方合宿」を無事に開催いたしました。ご参加くださった皆様、そして関心を寄せてくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。

この4日間は、単なる研修やセミナーではありませんでした。フィンランドの対話文化、哲学の深い問い、飛騨高山の豊かな自然、そして集った一人ひとりの人生が響き合い、一つの壮大なアート作品を全員で創り上げたような、奇跡の時間となりました。

この記事では、その感動と学びの本質を、当日の様子と共にご報告します。

五感で味わう、飛騨高山という舞台

今回の合宿で私たちが大切にしたのは、「頭で理解する」だけでなく「身体で感じる」こと。その中心にあったのが、飛騨高山に根ざすプロフェッショナルたちが届けてくれた、五感をひらく豊かな体験です。

大地のエネルギーをいただく食事

料理人・河野美紗さん(Earth to Table)が振る舞ってくれたのは、もはや「料理」という言葉では表現しきれない、彼女の人生のストーリーが詰まった一皿一皿でした。飛騨の農家さんと丁寧にコミュニケーションを重ねて届けられた、採れたての夏野菜たち。ナス、きゅうり、トマト、ズッキーニ…その一つひとつが持つ生命力に、参加者の皆さんは息をのみました。

「料理で雷に打たれるって、こういうことだったんですね」とある参加者さんが語ったように、それは飛騨の大地のエネルギーをいただく、魂を満たす体験でした。

飛騨の森の記憶を、永遠の贈り物に

贈られた人は幸せになるというフィンランドの工芸品「ククサ」。Elämäオリジナルの、飛騨高山の木から職人さんが一つひとつ手作りした特別なククサに、飛騨在住の植物のプロ・内方智香子さんと共に、地元の植物をあしらっていく。

それは、フィンランドの魂が宿る器に、飛騨の森の記憶を封じ込めるような、静かで神聖な「自然との対話」の時間となりました。

「対話」とはスキルか、在り方か? — 講師陣が届けた深い学び

この豊かな体験の土台の上で、いよいよ「対話」の核心に迫る講義が始まりました。

フィンランドの知恵:「聞く」とは、自然の声まで聴くこと

講師の石原侑美からは、フィンランドの対話文化の背景にある「オープンダイアローグ」の思想をベースに、心地よい場を創るための5つの空間(身体的、時間的、心理的、社会的、会話的)についてお伝えしました。そして「聞く」とは、人の話だけでなく、自然や自分自身の声にまで耳を澄ませる行為であるという、アニミズム的な視点も共有されました。

哲学の問い:対話とは「Inter-View(相互に見る)」こと

講師のいけかよさんからは、「答えを出さない」ことを大切にする哲学バーの実践を通して、対話の技術(How to)以前の「在り方(Being)」を探求しました。傾聴の壁となる自分の中の無意識の「評価(ジャッジ)」に気づき、相手を理解しようとするのではなく、好奇心を持って「相手の隣に座り、同じ景色を眺める」。その在り方こそが、真の対話「Inter-View(相互に見る)」なのだと、参加者の皆さんは深く頷かれていました。

「安心して弱さを話せた」— 参加者の皆さんの声

理論と体験が融合し、心理的安全性が確保されたこの場で、参加者の皆さんからは宝物のような言葉がたくさん生まれました。

「今まで色々な研修を受けてきたけれど、こんなに安心して自分の弱さも話せたのは人生で初めてです。『受け止められる』って、こういうことなんですね」

「正直に言います。私の人生のターニングポイントになりました。料理に雷を打たれ、言葉に心を揺さぶられ、ここから何かが新しく始まる確信があります」

「傾聴ワークで、聴いているようで全然聴けていなかった自分に気づきました。自分の『正しさ』というフィルターを外して聴くことの難しさと、その先にある世界の豊かさを知りました」

「肩書きを外して、ただの“わたし”としてここにいられたことが、何よりのギフトでした。いつの間にか、まるで家族のように感じていました」

この感動の続きを、あなたも体験しませんか?

この合宿は、誰かが一方的に教える場ではありませんでした。専門家と参加者が互いに影響を与え合い、共に場を創り上げた「共創」の4日間でした。

もしこの記事を読んで、あなたの心が少しでも震えたなら。次は、あなたがこの物語の主人公になる番かもしれません。

1. もっと詳しく知りたい!まずはオンライン報告会へ

合宿の熱気と学びを、写真や参加者の声と共にお届けします。「対話って何だろう?」という問いを、一緒に探求しませんか?

・イベント名: 【オンライン】エラマの学校の対話合宿報告会
・日時: 2025年8月6日(水) 20:00〜21:30
・場所: オンライン(zoom)
・料金: 一般 500円(会員制コミュニティ「エラマの森」住民は無料)

>>詳細はこちら

2. 継続的に学び、仲間と繋がりたい方は「エラマの森」へ

Elämäプロジェクトの学びのほとんどが無料または割引で受けられる、会員制コミュニティです。オンラインでの学びや対話、年に2回の飛騨高山オフ会など、あなたの「第二の故郷」のような場所がここにあります。

>>会員制コミュニティ「エラマの森」の詳細はこちら

【予告】対話合宿 第2弾、開催決定!

大変ご好評をいただいたこの合宿、早くも第2弾の開催を予定しています!
詳しい日程や内容は、決まり次第公式サイトやSNSでお知らせします。「次こそは!」と思われた方は、ぜひElämäプロジェクトのInstagramをフォローして、最新情報をお待ちください。

またいつか、どこかの「対話の場」で、あなたとお会いできることを心から楽しみにしています。
kiitos!(キートス!)