こんにちは!エラマライターのひらみんです。
ここ数年で、スマホがあれば仕事ができるようになり、最近特に「仕事」と「休み」の境界線が曖昧になってきていると思いませんか?
休日に友達と会っていても、ビジネスチャットの通知がきたら、ついつい見てしまう。友達に会うために移動しているのに、「梅田までの30分の電車移動でチャットを返せる(送信は月曜9時にセットしよう)」などと考えて、ビジネスチャットを開いているのは私です。
今回は、そんな超絶ワーカホリックな私たちの頭を、仕事モードから解放して、自分の時間として取り戻す「心理的ディタッチメント」についてお届けします。この動きは、日本だけでなく、世界的な潮流なんです。
休日が「働くための充電」になってない?

コロナ前ぐらいまでは、職場を出たら会社のパソコンを使えないので、強制的に仕事ができない環境に身を置いていました。金曜の定時を過ぎたら月曜日まで返信が返ってこないことが当たり前の社会でしたよね。
ところが、最近では、スマホやビジネスチャットの普及で、出社しなくても自宅で仕事ができる環境が整い、いつでもどこでも仕事ができるようになりました。それに伴って、かつて存在した「出社/退社」という物理的な境界線がなくなってしまいました。
土曜日の昼に友達とお茶をしていても、スマホの通知が届いたら、返してしまいませんか。(絶対に週明けでもいいのに!)
こうやって、仕事が自分のプライベートな時間に侵食してくるのを感じます。
たとえば、連休の最後など、「明日から仕事だから、今日はゆっくり過ごそう」と考えたことはありませんか?
休むことすら、働くための充電という過ごし方になっているのだとしたら、休日でも、私たちの心と頭が仕事に支配されていることにならないでしょうか。
この問い、働くために休むことが当たり前だと思っていた自分に気付かされ、とてもドキッとしました。
世界が注目する「心理的ディタッチメント」って?

ここで改めて、世界で注目されている「心理的ディタッチメント」を紹介します。仕事のために休むのではなくて、仕事から自分を完全に切り離して、自分の時間を守り抜くことを本質としています。
海外の記事では、燃え尽きを防いで自分を取り戻すには、ただの「休み」ではなく、仕事から頭を切り離すことが不可欠であり、完全にオフラインになる時間と空間を意図的に作ることの重要性を説明しています。
さらに、心理学の研究では、仕事熱心でまじめな人ほど、この頭の切り替えが苦手になりやすいというデータがあるそうです。おもしろい、、、けど少し切ない事実ですね。
私たちがついつい仕事のチャットを返さなきゃと考えてしまうのは、「まじめだからゆえ」と言えそうです。あなたは悪くない。日々まじめに誠実に仕事に向き合って生きている証拠です。
私たちは、チャットをいったん横に置いて、今、目の前のケーキを味わうことにフォーカスすることを自分に許していいんだと思います。
国がルールを作っている今、私たちができることはなにか

先日、「日本の厚生労働省で『つながらない権利』について議論されている」というニュースがありました。勤務時間外の連絡に対して、「今は返信しなくてもいい」という国の公式ルールやガイドライン作りが進められているようです。
国がわざわざルールを整備するほど、今の時代は、長い歴史の中でも過去最高に「心が休まらない環境に身を置いている」ということなのでしょう。
私の友達の会社では、会社のPCが動いたら、動いた時間が記録され、人事に届き、上長から、なぜ休日にPCを触ったのか聞かれるようになったそうです。「絶対に休日に仕事をさせない」という強い意志を感じる企業もありますが、国や会社のルールが完成するのを待つ必要はなくて、今から自分ひとりでもできることがありそうです。例えば
・業務時間外はチャットの通知をオフにする
・「つながらない時間」をスケジュールに入れる
それでも気になってしまう仕事中毒の人は、
・人に会っているときはスマホをかばんに押し込む!(でも電車移動中は許す)
など、自分なりのアメとムチでルールを作るのはどうでしょうか。
電車もスマホで乗れる時代に、スマホを家に置いてくるような完全なデジタルデトックスは難しいと思うので、どんな方法が自分に合うか検証するぐらいの遊び心で気軽にトライしたいものです。
自分のまじめさを愛して、コーヒーを飲もう

今回は、休みの日にまで仕事とつながるのをやめようよ、という話をしてきたんですが、いきなり完璧にやろうと思わなくてもいいと思います。
休日に、「あの件、どうなってたっけ…」と思うことがあると思います。そんな時に、「仕事のために休日を消費しようとしているかも」と一歩引いて考えられる隙間を作ってみませんか。同時に自分のまじめさを思い出して、愛でてください。
それから、「でも、私は今からコーヒー飲んじゃうもんね〜〜〜ふふふ〜♪」って、自分の意思で自分の時間を選ぶまでをセットで。
自分に優しく、心地よい生き方や働き方の実践方法って、こういう小さいことだと思いませんか。
Text by ひらみん(ふつうの会社員)
こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。
みなさんにとって夏至はどんなイメージでしょうか。
フィンランドの人々にとっては太陽の光が1日浴びられることを祝う日で、外でご飯を食べたりお酒を飲んだり徹夜する方も多いです。他には夜中に日の光を浴びながら湖を泳ぐ人もいます。
日本に住んでいると夏至を特別意識することはないかもしれませんが、今回わたしは夏至についてフィンランドの文化とは違った感覚で捉えているお話をできればと思います。
物事は移り変わる
みなさんご存じだとは思いますが、わたしたちが住んでいる北半球において夏至は1年のうちで日の出から日の入りまでの時間が最も長くなる日です。
太陽の光を長く見られるというのはうれしさやポジティブな感情の連想になることが多いかもしれませんが、わたしの感覚としては「陽」が極まっているときこそ次は「陰」になっていく、明るさがずっと続くわけではないと感じるのが夏至なんです。
わたしはピークのときにすごく危機感を持ちます。順調にいっているときこそ怖くなるというか。
要は何事も巡って移り変わっていく。ポジティブな状況がずっと続くことはないだろうという想定がとても重要だなと夏至がくるたびにいつも感じます。
陽が極まっているときこそ、物事は「ある」という前提ではなく基本的に変わるとかなくなるかもしれないといった前提に立っておかないと、本当に困難が降り掛かってきたときに心構えができていなくてものすごくストレスを受けることになると思うんですよね。
例えば、転職や職場の上司が変わったことで雰囲気も変わり、ストレスを感じるようになったといったことも身近に起こりうる大きな変化ですよね。
だから夏至という明るさのピークのときこそ転回点だと強く意識しようという気持ちになるんです。
物事が移り変わることについて、周りだけでなく自分自身も変わるという前提に立つことを、今年の2月から3月にかけて全5回で開催した「エラマ・ウェルビーイング『ゼロ』を学ぶコース」の第3回目を担当してくださったモニカ・ルーッコネンさん(フィンランド在住の作家)の回で学びました。
フィンランドの人から学ぶ仏教と未来科学の話
モニカさんは仏教(禅)の考え方をフィンランドのワークカルチャーに取り入れていきたい思いがあり、今はそういった研究をされています。
そして「『ゼロ』を学ぶコース」第3回目のテーマが「仏教とフィンランドの余白を持つ文化について」でした。
通訳はわたしが担当したのですが、海外の人の視点から英語で噛み砕いた解釈を聴くので、参加された方々にとっても分かりやすくなっていたと思います。
その講座で触れた言葉に、「色即是空・空即是色」があります。
形あるものは空(くう)であるからこそ形をなすという考え方です。やはり「ある」が前提ではなく「ない」が前提の気持ちでいると(良いものはあり続けて欲しいというのが人間の性なのでその感覚は見つめつつ)、何かが変化したときにストレス耐性も少し上がるのかもしれない、いわばレジリエンスが強くなるのかもと思ったんです。
こういった話をすごく意識するようになったのも、AIの台頭や社会情勢もものすごく変わって物価がかなり上がり続けていることなども大きいです。
立場によってそれらがメリットになる人、デメリットになる人それぞれいると思います。でも、立場の違い以外に、この社会の変化が自分にとって良いと解釈するか、すごく被害を受けると解釈するかによっても、かなり変わってくるのかなと思っています。
なぜなら、今あるものが永遠に続くわけではないからです。例えば、年功序列も当たり前ではなくなりましたし、なくなると言われている職業もあります。
人も物事も、絶えず移り変わっていく。 夏至の「転回」は、大きな循環のなかの、ひとつの呼吸のようなものだとわたしは捉えています。
そしてつい最近も、フィンランドで教育・保育委員会の委員長を務める教育分野のエキスパート、トゥオヴィ・ロンカイネンさんから「フィンランド教育実践ラボ」のなかで「未来科学」という学問のお話があり、移り変わりに対する視座などについて興味深く学ぶことができました。
そもそもフィンランドの国会には、予算委員会や安全保障委員会と並んで、「未来委員会」という常設の委員会があります。
この委員会ができたきっかけは、1990年代の経済不況でした。「未来を想像する力」は贅沢ではなく生き残るために必要だったのです。
「未来科学」の核心は、未来はひとつではなくいくつもあり、「予測する」のではなく「想像する力を社会で育てる」点です。
トゥオヴィさんは
・希望とは、物事は変わりうると想像できる力
・未来思考は「できること」の幅を広げてくれる
・小さな一歩が、進む方向をつくる
・未来は、みんなで一緒に想像していくもの
といった内容をお話してくださいました。
物の見方によって未来が変わっていくお話を聞いて、いかに心の持ちようが大事かを再認識できる時間でした。
現状維持は人間の機能として当たり前

人には現状維持バイアスがあります。それに年齢を重ねると変化に対して恐怖心が大きくなったり、人生経験からある程度の予測もできて行動に移せなかったりすることは誰にでもあると思います。
また、守るものがあると思うように動けなかったり、変化を望まないことも多いかもしれません。
わたし自身、2026年はフィンランドには行かないと決断したのですが、今までなかったことなのでそれに対する恐怖心がありました。また、この半年は体調の大きな変化を受け止めるのにしんどさから逃れることはできませんでした。
だからこそあらためて今に固執しすぎず、変化に対応できる心でいることを意識しようと思ったんです。
ひとりだと気づきにくいこともサードプレイスの活用で自分を認められる
わたしの場合は、エラマプロジェクトや会員制コミュニティ「エラマの森」があることで、自分を振り返るタイミングが定期的にあります。
その機会のおかげで自分の変化にも気づきやすい環境にいるかもしれません。
自分と向き合う方法はたくさんあると思いますが、「エラマの森」では月に1回ダイアローグサウナ(オンライン)というものがあります。
オンラインで住民さんと雑談したり、普段のモヤモヤした感情を話すイベントです。わたしがホストを務め、1ヶ月をゆったり振り返ったり、「エラマモードにする」時間を提供しています。
数ヶ月前からは、希望者に文字とインフォグラフィックでご自身が話された内容をまとめたものをお渡ししているんです。
可視化されたものをご覧になって、「この1ヶ月、自分はよくがんばったと思えた」と報告してくださった方もいらっしゃいました。その方はご褒美にシャンパンを召し上がったそうです!
他には、「意外と自分はこの変化を受け止めていたんだと気づけた」とおっしゃっていた方もおられました。
アウトプットすること、そしてそれを可視化することで、できたことやできなかったこと、自分の変化についてより気づきやすくなっているようです。
「エラマの森」についてはこちらをご覧ください。
「最近なんかモヤモヤしているな」と感じている方は何かしらの変化の兆しかもしれません。それを実際に書き出してみると俯瞰につながるはずです。
あるいは、職場・学校・家庭とは違う別の場所を持っている方は、そこで誰かと話すことで、自分自身を客観的に見つめられたり変化へのハードルが低くなったりするのではないかと思います。
日々生活していると立ち止まったり自分のための時間をとったりするのが難しいですよね。
この記事に出合ってくださったのをきっかけに、ぜひご自身の半年を振り返る時間をとってみてください!
そして、これから始まる半年についてぜひ「未来思考」で想像してみてくださいね。
By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)
こんにちは、pieni(ピエニ)です。
突然ですが、最近「わたしによる、わたしのための、わたしをしなやかで美しくするプロジェクト」を始めました。
名前が長い…笑。
でも、このやたら長い名前が、今のわたしにはとてもしっくりきています。
このプロジェクトは、短期間で何かを達成するためのものではありません。
たぶん死ぬまで続くような、ゆっくりとした、自分との付き合い直しのプロジェクトなのです。
始めたきっかけは、少し不純(?)でした…。
好きなアニメのキャラクターを見ながら、「この推しは、どんな人間を愛してくれるだろう」と考え始めたのです。
そして、その理想像に、少しでも近づけたらいいな、なんて本気で思い始めました…。
わたしにとってアニメは、「考えすぎてオーバーヒートした脳を、適度に止めてくれるもの」であると同時に、「なにもかも嫌になった時の、心の再起動システム」でもあるのだと思います。
現実がしんどい時ほど、物語の中のキャラクターたちは、不思議とセリフや、動きで、次の一歩を見せてくれるのです。
さて、そんな動機から始まったこのプロジェクトですが、続けていくうちに、だんだん目的が変化してきました。
というのも、そもそも当時のわたしは、「何もやる気が起きない」という状態に、かなり近づいていたからです。
仕事も、やりたかったことも、好きなことも、なんだか全部ぼんやりしてしまって、未来への不安ばかりが大きくなる。
「わたし、このままで大丈夫なのかな…」
そんな気持ちが、ずっと続いていました。
「もっとできるはず」が苦しかった

壊れそうなほどの不安な気持ちを抱えてしまったわたしは、まず、「今の自分はどうなっているのか」を観察してみることにしました。
カウンセラーさんに相談したり、友人やAIと会話してみたり、ノートに書き出してみたり。
すると、だんだん見えてきたことがありました。
今のわたしは、意識もパワーも、その90%くらいを「子育て」に使っている。
そして、残りの10%くらいで、仕事や人付き合いや、そのほかいろいろなことをやっている。
「……これでは、やれることが少なくなるわ…」と、思いました。
同時に「それぐらい注ぐ必要や価値があると思っている」事にも気が付きました。
なので、知らず知らずのうちに、わたしはものすごく厳選して生きていたようです。
仕事も。
人付き合いも。
使うエネルギーや方向も。
それなのに、ずっと、「もっとできるはず」「もっとやらなきゃ」と思っていました。
だって、世の中には、子育てをしながら海外へ行き、仕事をし、活動している人たちがいます。
そうでなくても、自分の周りにはフルタイムで勤めたり、フリーランスで仕事に取り組みながら、子育てを両立している人もたくさんいるから…。
また、私の中には、フィンランドへ行きたい気持ちもある。
学びたいこともある。
好きなものを手に入れたい気持ちもある。
でも現実は、今は家族との相談も必要で、今すぐに自由に動けるわけではない。
その結果「好き」に触れると、逆につらくなる瞬間もあります。
「でも、その生き方や、力を入れる配分って自分で決めてるんでしょ?」という心の声も聞こえてきます。
その通りだと思います。
この事実を認めた時、なぜか涙が止まりませんでした。
子育てをしながら働き、活動し、夢を叶えている人はたくさんいる。
いろんなやりくりをして、葛藤しつつも取り組んでいるのだと思う。
でも、どう考えても今のわたしには、それができそうにない。
頑張ろうとも思えない。
それでも生きていける環境があることは、本当にありがたい。
でもその一方で、「両立を選べない自分」「キャパが少ない自分」が、情けなくてたまりませんでした。
両立しながら生きる姿を、どこかで理想として見ていたのかもしれません。
けれど、できないわたしがいるのだと知り、久しぶりに、深夜にひとりで泣きました。
しかし今思うと、この出来事は、わたしにとってとても大切な気づきでした。
この日を境に、わたしの考え方は変容し始めたんです。
「もっと頑張る」ではなく、「もっと自分を知る」 ことから

変にまじめで、頑固で、不器用で、キャパが少ないわたしだからこそ「今、自分の矢印がどこを向いているのか」を知っておく必要がある。
そして、今後その「力を注ぐ向きや割合」が変化した時に備えておきたい。
そう思うようになりました。
わたしはたぶん、何かに振り切りやすい。
だからこそ、白黒思考や、極端になりやすい癖、自分を追い込みやすい思考の癖を、少しずつ紐解いたり、調えたりしておきたい。
自分の扱い方を知るための心のメンテナンスを実行中です。
また同時に、身体のメンテナンスも始めました。
きっかけは、イベント出店の翌日、腰が痛くて動けなくなったことでした。
これは、イベント出店を続けたいわたしにとって、かなりの死活問題。
昔から運動が苦手で、姿勢も悪く、身体もゆがんでいる。
改善しようとストレッチをしようとしても、続かなかった経験がざらにあります。
なので今は、理学療法士の友人に、マッサージやストレッチ、ゆるい筋トレを教えてもらいながら、身体を整えています。
でも、これが本当に疲れる。ゆるい筋トレなのに、ヘロヘロになる。
立ち姿を写真にとってもらうと、猫背で巻肩で、下腹が出ている…。
正直…かっこ悪いし、許しがたい。
「こんな状態だったのかー、自分の目には違うものが映っていたよ…。 現実を知ると恥ずかしいー」
そう思いつつも、これが今のわたしなのだと、受け入れました。
最近は、筋トレをしながら、「姿勢の良い美しい未来のわたし(50代後半)」を妄想しながら取り組んでいます。
こんなふうに書くと、
「前向きですね!」「頑張ってますね!」
と思われるかもしれません。
でも実際は、そんなキラキラしたものではありません。
何もしたくない。
働きたくない。
このままでは不安すぎる。
そんな、ぐるぐるした気持ちや、恐れに飲み込まれそうだったところからのスタート。
だからこれは、「理想の自分になるため」というより、「今の自分を理解して、なんとか生き延びていくため」のプロジェクトなのです。
変わっていくもの、変わらないもの

早速なのですが、この取り組みを始めて、自分でも驚いたことがありました。
今から7年前。娘が保育園の頃、わたしはフリーランスで仕事を始めたところだったので「いかに自分の時間を優先するか」を考えて生きていたんです。
しかしその後、不登園や付き添い登校を経験していく中で、「娘と向き合って生きたい」と思えるようになっていきました。
当然のことのようですが、自分を優先したい気持ちの強いわたしにとっては、大きな変化でした。
今は、この気持ちを最大限優先しているので、やらない、できないと決めていることもあります。
なので、断ることや、ストップすることも増えました。
正直、もう声をかけてもらえないのではないかと不安になることもあります…。
けれど、自分の気持ちの矢印の方向と、割合を大切に扱ってみています。
これから、世の中も、家族も、自分自身も、たくさん変化していくと思います。
今描いている未来も、きっと変わる。
やりたいと思っていたことを、結局やらないかもしれないし、全然違うことをしているかもしれません。
でも、
心と体を整えること。
自分の取り扱い方を知っておくこと。
それは、きっと無駄にはならないと思います。
そして「わたしは、しなやかに、凪ぎながら生きていきたい」
その未来だけは、今の時点で、描いておきたいと思っています。
「あなた」を「あなた」らしくさせる、“やさしい戦略”

この記事を読んでくださっている方の中には、
「自分の気持ちの“ざらつき”に敏感で、何かがスッキリしないと動き出しにくい」
そんな感覚を持っている方も、多いのではないでしょうか。
あるいは、
「自分の気持ちがよく分からないまま進んで、痛い目に遭ったことがある」
「だから、勢いだけで動くのが怖い」
そんな経験を抱えている方もいるかもしれません。
今の世の中は、立ち止まることや、余白を持つことが難しい空気があります。
どんどん動くこと。
すぐ決めること。
そんなふうに求められる場面が多いのかもしれません。
でも、ときには、
考えてみたり。
誰かに打ち明けてみたり。
書いてみたり。
発散してみたり。
ぼーっとしてみたり。
そういう時間を持つことは「自分を生きるための戦略」のひとつなのだと思います。
そしてその戦略は、誰かを真似するのではなく、自分なりにカスタマイズしていっていい。そんな「自分だけのプロジェクト」として、楽しんでみてもいいのではないでしょうか。
わたしも、自分メイドのやたら長い名前のプロジェクトをひっさげながら、葛藤したり、泣いたり、怒ったり。
そんな自分も許容しつつ、自分を理解し、納得して、調整する。
そして、ときには笑って、推し活のような“ときめく遊び心”も取り入れながら、 この人生を楽しんでみようと思います。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)
こんにちは、ライターのひらふくです。さて、突然ですが「SISU」という言葉をご存じでしょうか?
”シス”と正しく読めた方はさすがです。SISUとは、フィンランド語で忍耐や粘り強さ、困難に立ち向かう強い意志のことを意味します。大国ロシアから独立を勝ちとったフィンランドならではの精神性で、この不安定な時代に必要な力として海外でも注目を集めています。
ただ、正直に告白してしまうと私はSISUという言葉が好きではありませんでした。SISUが悪いわけではなく、情けないのですがSISUにコンプレックスを感じていたからです。
私はずっと何事も長続きしない性格で、そんな自分がきらいでした。
例えば英語学習です。英語は必要だとわかっているのに、だんだん学習アプリを開くのがおっくうになります。日記も1週間だけ書いてあとは白紙ばかり。フリーランスになるか迷ったときも、「会社員を続けられないのは自分の飽き性が悪いんだ」と自分を責めて眠れない時期がありました。
だからこそ、SISUが意味する「困難に耐え抜いて克服する力」なんてまぶしすぎて。私にはできないからこそSISUを避けていました。
この記事は、そんなSISUコンプレックスの私が初めてSISUと向き合ってみた体験談です。SISUに初めて出会う方、物事が長続きしない方、どんな方もどうぞご一緒に。
私のSISUを導いた一言
エラマプロジェクトではSISUに関するいろいろな記事を出しています。
フィンランド魂「SISU」を理解して取り入れようー「フィンランドの幸せメソッドSISU」を読んで
https://note.com/elamajp/n/n0be0c66659a5
ハードモードも悪くない? 3つのわらじを履く私が語る、SISUで乗り越える人生の壁
https://note.com/elamajp/n/n230edd6f1b28
ライターのみんながSISUを読み解いて、自分なりに実現されているのを読むたびに私のSISUコンプレックスは深まるばかり。そんな中、最近のエラマではさらにSISUの記事が増えてきました。
これは、今まで避けてきたSISUに向き合うタイミングなのかもしれない。自分を鼓舞してSISUについて調べはじめました。
SISUの定義はフィンランドの中でもさまざまです。最初は、寒い冬の間じっと家に閉じこもるような忍耐力をイメージしていました。ですが調べてみると、吹雪の中をあえて自転車で出勤するような、アクティブな動きを伴った前向きなイメージだと知りました。
SISUを身につける方法もいろいろです。極寒の湖で泳いで身体的にホルモンバランスをコントロールすること、苦手な人にちゃんとNOと断ること、人と支え合うこともSISUの体現だそうです。
そして、私に大きなヒントをくれたのはフィンランドのライフスタイル専門家のモニカさんでした。来日されたモニカさんと京都駅のスターバックスで話しながら「SISUって何ですか?」と尋ねたとき。彼女はじっと考えて、ハッと思い当たったように「…ガンバル!」と日本語で答えてくれたのです。
