フィンランドや北欧は十数年以上に渡ってわたしをワクワクさせてくれています。今日は、そんなフィンランドや北欧のデザインを通してそれらはなぜわたしをワクワクさせてくれるのかを考えてみたいと思います。
読んでくださるあなたにとっても北欧の魅力を発見し、ワクワクしていただけたら嬉しいです。
わたしが北欧を知ったきっかけ
思い起こすと、わたしは10代のころからアメリカの映画を観ることが大好きでした。E.T.やバックトゥザフューチャー、あとは王道のラブコメも!
アメリカンな世界観に憧れが生まれ、中学生時代は大の苦手だった英語にも高校生になってから真面目に取り組むようになりました。
教材のなかに出てくる大きな家、お庭、スクールバス、ハンバーガーショップやスーパーなど、なにをみても可愛くてワクワクしました。いつか自分もその世界を体験したいと思うようになりました。
それからアメリカやカナダでホームステイ体験をして憧れの世界を実際に体験でき、日本ではアメリカ発祥のコーヒーチェーン店で働き始めました。
そんなアメリカ大好きだったわたしが、気づいたら北欧に魅せられていたのは何がきっかけだったんだろう…と、このメディアで記事を書くようになって振り返ることができました。
そこで自分の記憶を辿ってみたところ、2005年万国博覧会で行った「北欧館」がきっかけのようです。
2005年の万博は愛知で開催され、わたしは名古屋に住んでいたので何度か行きました。
家族で初めて目にする各国のおやつやごはんを食べたり、帰りの電車(リニモという無人電車がこの万博の目玉でした!)がとても混んでいて疲れ果てたり!
でも楽しかったな〜!という思い出がよみがえりました。
どのパビリオンもとてもきらびやかでその国の食べ物も新鮮でウキウキしましたが「北欧館」はグレーを基調にした館内、木製で丸みを帯びた通路、カフェテリアの椅子やテーブルは確かオフホワイト系で、とても穏やかな空気感。一番印象に残ったパビリオンでした。
それから1年後、映画「かもめ食堂」が公開されます。「かもめ食堂」の淡々とストーリーが進んでいく様子、やはり景色の緑や湖、そしてインテリアや食器、どれも清らかで心がリフレッシュされる感覚がわたしの「北欧」に惹かれていったきっかけだったなぁと思います。
「かもめ食堂」は、公開されたときと、初めてフィンランドとスウェーデンへ旅行に行く前に一緒に行く友達と観なおした楽しい記憶があります。
あなたにとって今惹かれているものやことのきっかけはいつ、どんなことでしたか?
記憶を辿ってみると、その時の気持ちや大切な人との思い出が今の自分を豊かにしてくれるかもしれません。
北欧デザインのこれまで
マリメッコやイッタラ、リサラーソンなど日本でも有名なものにワクワクさせてもらっていますが、今までスカンジナビアンデザインの歴史やどんな想いで創られてきたかを知る機会はありませんでした。
今回、北欧デザインについて書くことをきっかけに、その歴史を紐解いてみました。その学びをここでシェアさせてください。
北欧デザインが世界に広がっていったきっかけは、18世紀〜19世紀にかけて起こった産業革命や万国博覧会などによる影響が大きいそうです。わたしが北欧に興味を持ったきっかけである万博が影響していることに、とても親近感が湧きます。
この時期にフィンランドの農家の手工芸品に関心が集まりました。理由はフィンランドの伝統文化であることや、厳しい気候の中で収入が安定しない農家の人々が生活道具として作っていた手工芸品のクオリティが高かったことでした。
わたしは、フィンランドやスウェーデンの手編みのかごが好きですが、始めは農家の方が丁寧に手作りされていたんだなぁと感慨深く感じました。
そして産業の近代化により20世紀初頭のヨーロッパでは大量生産のために企画や様式を変化させていきました。それが大量生産による品質の低下につながっていき、これを改善するために、北欧では手工芸協会が設立されました。
そして、近代化に逆らうのではなく、工業生産に適したデザインも取り入れるようになります。
スウェーデン、グスタフスベリ社のウィルヘルム・コーゲは大量生産ながらも温かみのあるデザイン、家庭での調理のしやすさを考えた陶磁器を提案しました。
グスタフスベリ社の名前は知っていましたが、それらが時代に合わせながら作られていることや、生活スタイルの変化に合わせながら機能性とデザイン性のバランスをとっている点などが長く愛される理由だと感じます。
フィンランドのアラビアもとっても有名ですよね。
量産品に対しては、グスタフスベリ社のウィルヘルム・コーゲと同じ思いを持ちながら簡素化、合理化してつくられました。
確かにシンプルでどんな食事やインテリアにもなじむデザインのものが多く、実際にわたしもマグカップなど使っていますが、落としてもなかなか割れませんし、他の食器や食材の邪魔をしないデザインです。
陶磁器だけでなく、テーブルや椅子などのインテリアも魅力的ですよね!
北欧ではデザイナーが職人を兼務していたり、職人と協働することを大切にしていたそうです。
アーツアンドクラフツの思想のもと、デザインだけでは美しいプロダクトは完成しない。デザイナーは職人を大切にし、その地位を高めていく関係性は他国から憧れを抱かれていました。
※アーツアンドクラフツとは
19世紀後半からイギリスで起こった手工業、職人の仕事を再考、実践する運動。ただ大量生産することではなく、今まで丁寧に手作業でモノづくりをしていた職人さんに焦点を当てて、手作りにしか出せない美しさや長く愛される手工芸品を復活させる取り組みです。
アーツアンドクラフツはアメリカでも評価され、1950年代に日本でも北欧デザインが流行ったのはアメリカの影響が大きかったようです。
ニューヨークのMoMA美術館はご存じですか?
MoMA=The Museum of Modern Art。時代に先駆けて洗練されているとても格好いい美術館ですよね!
1950年から1955年にかけてMoMAでは「グッドデザイン展」が開催され、小さな日用品から高級家具までが展示されていました。それらはイームズなどデザインの第一人者たちが選んだものだったのです。
アメリカの有名デザイナーと北欧デザイナーとのつながりがあったことは全く想像していませんでしたが、とても興味深いですね。
同じ時期に、およそ4年をかけてアメリカ、カナダの24か所を巡回した「デザイン・イン・スカンジナビア展」が開催されました。
こちらも北欧4か国(フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)から集められた生活用品が展示されていて、美術館の集客数記録を塗り替えるほどの人気になったのだとか…!
そのころにタイムスリップして観に行きたいです!
陶磁器、インテリアだけでなく、ラグも北欧の代表的なプロダクトです。
ラグの分野においては、女性の地位向上のための取り組みもされていました。
今日では幸福度世界上位を占めている北欧ですが、1900年代はまだまだ働く女性の地位は低かったのです。しかし、これに異を唱えたスウェーデンのメルタ・モース・フェッテルストロームは女性労働者へあらためてラグ織りの素晴らしさと「地位が低いのではなくこれからの社会を担っていくデザイナーになれる」という思いを伝えていきました。これらの活動を通して、ラグ織りをがんばっている女性たちの意識を向上させていったというところはさすがだな〜と思います。
また、日本の民芸家と北欧デザイナーとの交流もありました。
1900年前半の頃の民芸家である河井寛次郎、北大路魯山人とカイ・フランクやスティグ・リンドベリらが出会い、お互いに良い刺激を受けあっていたのだそう。彼らはどうやってお互いの存在を知りえたのだろう?どんな話をしたのかな?と、とても気になります。
わたしは京都にお気に入りのビンテージショップ(アメリカやヨーロッパ各地の骨とう品がセンス良く並んでいるお店です)があるので、時々行っています。
京都の五条坂にある河村寛二郎記念館へ行ったことがあり、古きよき温かみのあるインテリア、今でも古さを感じさせない陶磁器にときめきました。
それは北欧デザインに対してワクワクする感覚と同じだったなと気づきました。
そして、20世紀初頭にどうやって北欧と日本はつながっていったんだろうと気になりました。
学びがもたらす、豊かな毎日
北欧デザインについて深く知ることで、漠然とした「好き」が、なぜ好きなのかという明確な理由に変わり、さらに世界への興味が広がっていくのを感じました。
このように、自分をワクワクさせてくれることについて「学ぶ」という行為は、わたしの毎日を確実に豊かにしてくれています。
きっとあなたにも、気になることや好きなことがあるのではないでしょうか。それらについて本を読んだり、イベントに参加したり、少しずつ行動してみると、新しい発見や世界とのつながりが生まれ、心が躍るのを感じられるかもしれません。
もしフィンランドや、そこで育まれた暮らしのデザインに興味が湧いたなら、このメディアの運営母体であるエラマプロジェクトが、さまざまな学びの機会をご用意しています。
日本とフィンランドの意外な共通点を探るオンライン講座や、現地の空気に触れるオリジナルプログラムなど。
特に今年の夏には、まさにこの記事のテーマとも響き合うような「ホームインテリアと豊かな暮らしを描く」フィンランド現地プログラムを企画しています。
アルヴァ・アアルトの自邸や現役デザイナーのアトリエ、そして現地の一般家庭を訪ね、湖水地方の美しい自然の中でシェフが腕を振るうディナーを味わう…そんな、デザインと暮らしの豊かさを五感で体験できる特別な旅です。
わたし自身も以前、エラマプロジェクトのフィンランドツアーに参加した経験がありますが、そこで過ごした時間、出会った人々、そして得た学びは、今も私の人生を照らしてくれる宝物になっています。大人になってからの学びや体験は、本当に心を満たしてくれるものだと実感しました。
こちらのプログラムについて、現在無料のオンライン説明会も実施しています。ご興味があれば、ぜひエラマプロジェクトのウェブサイトを覗いてみてくださいね。
エラマの学校「フィンランド現地プログラム」 – Elämäプロジェクト
あなたにとって、心を豊かにしてくれるものは何ですか?
その「好き」という気持ちを大切に、少しずつ学びを取り入れながら、あなたらしい彩りある毎日が紡がれていきますように!
参考文献:「北欧デザイン」の考え方: プロダクト、建築、テキスタイル 名作をつくった人と時代とアイデンティティ
Text by majakka(マヤッカ)(ウェルビーング探究人)
こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
私は時々、歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)といった伝統芸能を観に行きます。
「伝統芸能」と聞くと、「堅苦しそう」「難しそう」と感じる方もいらっしゃるでしょう。
確かにそういう一面もありますが、実は、現代人もびっくりするほどドラマチックでエンタメ性の高い作品もたくさんあります。
例えば、昼ドラのような愛憎劇、逃避行、心中、ストーキング、転生、BLなどなど。
結構なんでもありなのです(笑)。
そんな中でも、今なお根強い人気があり、多くの作品に描かれているテーマがあります。
それが「忠義」です。
忠義のかたちは様々ですが、歌舞伎や文楽では「忠義のために我が子を犠牲にする」という壮絶な選択として描かれることがあります。
代表的なのが、江戸時代に生まれた名作『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の四段目、「寺子屋の段」です。
敵方の家臣・松王丸は、恩義ある菅原道真の息子・菅秀才の命を救うため、自分の幼い息子を身代わりとし、菅秀才の代わりに首を討たれるよう仕組みます。
松王丸の妻もまた、息子が身代わりになることを知りながら、寺子屋へ送り出すのです。
もちろん、この夫婦に息子への愛情がないわけではありません。
我が子を想う気持ちをぐっと堪え、忠義を果たしたあと、夫婦はまるで血の涙を流すようにその悲しみを表します。
多くの観客は、あらすじを知ったうえでこの場面を観ます。
それでも「寺子屋の段」の愁嘆場(しゅうたんば)は、我々の強く心を揺さぶるのです。
この演目は今でも人気が高く、毎年のように上演されています。
私も何度も観に行きましたが、いつも不思議に思います。
なぜこの物語は、時代を超えて繰り返し演じられているのでしょう?
なぜ私たちは、こんなにも自己犠牲の物語に心を動かされるのでしょう?
今回は、そんな疑問について考えてみたいと思います。
忠義を通して、私たちが見たいものとは
江戸時代の武士にとって、「忠義」は生き方の核でした。
忠義は、主君に対する深い忠誠心を意味し、時には命を賭してでも果たすべきものとされていたのです。
そのため、主君の名誉や命を守るために、自らの命を惜しまない姿勢が尊ばれました。
仁・義・礼・智・信などの徳目が重んじられる中でも、「忠義」は特に重要な柱とされていたのです。
そして武士には、個人の感情よりも「大義」を優先することが求められました。
新渡戸稲造も『武士道』の中でこう語っています。
「武士道の教えはすべて自己犠牲の精神に貫かれている。」
「女性たちも主君のためならすべてを犠牲にするよう子供たちを励ました。侍の妻たちは、忠誠のためには自分の息子をあきらめる堅固な覚悟を固めていた。」
(著・新渡戸稲造、訳・大久保喬樹『ビギナーズ日本の思想 新訳武士道』より)
かつて理想とされた価値観においては、「忠義>息子の命」だったわけです。
しかし現代の私たちにとって、「自分の子どもを犠牲にする」という選択は、想像を絶します。
今の価値観では、むしろ「自分の命を差し出すより、我が子を犠牲にするほうが辛い」と感じ、「子どものためなら自分を犠牲にしてもいい」と考える人の方が多いように思います。
その点で、「寺子屋の段」のような物語は、現代人には受け入れがたい内容のはずです。
それでも私たちは、この物語に心を動かされてしまう。
私は、「想いの強さ」が見たくて、劇場に足を運んでいるのではないかと思うのです。
「どれだけ犠牲にできるか」は、想いの強さに比例するように感じます。
私たちは本気度が低いものに対して、大きな犠牲を払おうとはしないでしょう。
つまり「寺子屋の段」だったら、「息子を犠牲にしてまで貫き通したい忠義」という想いの強さに、私たちは感動を覚えているのではないでしょうか。
実際にそういう生き方をすることはとても難しいですが、普通は出来ないからこそ、私たちは無意識のうちに「想いの強さ」を伴った行動に憧れのようなものを感じているのかもしれません。
私たちは自由があれば満足なのか?
自己犠牲を美徳とする精神は、何も前近代に限ったことではありません。
例えば、日本の高度経済成長期を支えた企業戦士たちは、会社のために身を粉にして働き、私生活を犠牲にしてでも仕事を優先する生き方を選びました。
これは、武士の忠義に通じる精神性と言えるでしょう。
今でもそうした働き方を好んで選ぶ人もいますが、その一方で、現代では多様な価値観が広まり、「自由に生きたい」「自分のために、自由に時間を使いたい」と考える人も増えています。
では、仕事から解き放たれ、完全に自由になったならば、私たちはそれで満足できるのでしょうか?
定年退職後、やりがいを失ったり、暇な時間をどう使って良いか分からなかったりして、急に老け込んでしまう人がいるという話を耳にすることがあります。
自由を手にしても、それを有効活用できなければ、自由は毒にもなりかねない気がします。
私たちは、ただ自由なだけでは満足できず、「生きがいを持ち、日々満たされ、充実した人生を送っている」状態を必要としているのではないかと思います。
そして、充実した人生の一つが、「使命を持って生きる」という生き方ではないかと感じます。
だから私たちは、使命を持って生きている人に惹かれるのではないでしょうか。
そう考えると、忠義ゆえの自己犠牲に心打たれる背景には、「使命を持って生きたい」という私たち自身の願望があるように思うのです。
『鬼滅の刃』という作品が爆発的にヒットしたのも、単なるエンタメとして以上に、使命に生きる登場人物たちの生き様が、観る人の心を打ったからではないでしょうか。
煉獄杏寿郎という登場人物のこんなセリフがあります。
「胸を張って生きろ
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと
心を燃やせ
歯を食いしばって前を向け」
(『鬼滅の刃』第8巻より)
彼は強い正義感と責任感を持ち、自らの命をかけて多くの人と仲間を守り抜きます。その生き様は、主人公である炭治郎たちにも大きな影響を与えました。
命の灯を燃やし尽くしながら戦い、最後に残された者たちへ言葉を託す――。「心を燃やせ」というセリフには、煉獄の覚悟と信念が込められているのです。
彼もまた、自分の信念と大義のために命を燃やした人物。「寺子屋の段」との共通点を感じます。
私たちの心を熱くさせるもの。
それはやはり、「想いの強さ」や「使命に生きたい」という情熱なのかもしれません。
心を燃やすことも豊かな生き方のひとつ
エラマプロジェクトでは、フィンランドの文化をベースに、「自分の時間を持つこと(マイタイム)」「休むこと」など、人生を豊かにするためのヒントをお届けしています。
エラマプロジェクトからたくさんのエッセンスを吸収していただきつつ、それと併せて、日本的な「心を燃やす」生き方というのも念頭に置いていただくと良いかなと思います。
どんなに小さなものであっても、自分の心を燃やせるものがあるなら、それはきっと人生を深く、豊かにしてくれるはずです。
あなたの心は、いま何に向かって燃えていますか?
その炎を、どうか大切にしてください。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)
こんにちは!エラマライターのひらみんです。
あなたは自分の部屋を見渡したとき、「もっと居心地のいい空間にしたいな」と思ったことはありませんか?
引っ越しの際、どんな部屋にしようか悩んでいたときに私が出会ったのが、「ジャパンディ」という言葉でした。
世界的に注目が集まっているインテリア様式なのですが、シンプルでありながら温もりを感じられる暮らし方に繋がっています。だけど、単に流行しているインテリア様式ではなく、このメディアの運営母体であるエラマプロジェクトが大切にしている「わたしの豊かで幸せな生き方を見つける」というコンセプトに通じるものがあるんです。
なので、今回は、ジャパンディについて学びながら、エラマプロジェクトとの共通点を考えてみたいと思います。
最後までどうぞお楽しみください。
世界が注目する新しい暮らしの形
「ジャパンディ(Japandi)スタイル」とは、和風(Japanese)スタイルと北欧風(Scandinavian)スタイルを融合させたインテリアスタイルのことです。
2020年頃から海外で流行したのですが、ジャパンディスタイルが注目され始めたのは、コロナパンデミックの影響で、家で過ごす時間が増えたことによって、人々の意識が家の中に向き始めたことがきっかけと言われています。
「ジャパン」と、「スカンディナビアン」の「ディ」がくっついた言葉なんです。
概念としては、日本の侘び寂びと、北欧のヒュッゲが掛け合わされていて、自然との調和をベースに、両者の良さや共通点を活かしたスタイルのことなのだそう。
機能的で、シンプルなデザインの北欧スタイルと、日本の「禅」からくる落ちついた美しさが組み合わされているのが特徴です。
「自然や暮らしを大切にして、シンプルに生きる」という考え方が、ジャパンディの本質なんですね。
海外では、ジャパンディの書籍もいろいろ出ています。
Japandi Style: When Japanese and Scandinavian Designs Blend
ジャパンディスタイルの部屋をつくるポイント
具体的にどんなものを使えば、ジャパンディスタイルになるのか、気になりますよね。
ポイントは3つです。
まずは、素材。
天然素材や、手触りがいい素材を使っていることが多いです。木材や石、土、麻などです。
次に、デザイン。
デザインは、シンプルでミニマルです。
色は落ち着いた色で、グレーとか白、茶色などのアースカラーが多く使われています。そこに、緑とか青、黒などでアクセントになるような色も使われています。
最後に、余白を楽しむこと。
「侘び寂び」とか「禅」など、日本の精神性を楽しむ、ということなんですが、私は、それは「非対称の美しさ」にあるのではないかと思っています。
対称・非対称は、シンメトリー・アシンメトリーとも言われますが、シンメトリーの美しさは荘厳さや安定感があります。ヴェルサイユ宮殿とか、ヨーロッパの庭などは、完璧なシンメトリーで整えられています。西洋建築では、伝統的にシンメトリーこそが美しいという考えが主流です。
一方でアシンメトリーには、動きやダイナミックさがあります。日本の床の間や生け花は、アシンメトリーの美しさを感じられると思います。そこに余白があるんです。
これ以上の詳しい実践方法については、専門のインテリア系のサイトに譲りたいと思いますが、私がよく見たサイトはこちらです。どちらも具体的な取り入れ方が書いてあるのでわかりやすくて、自分でもやれそう!と思わせてくれます。
ハローインテリア|https://hellointerior.jp/note/post-31683/
Re:CENO|https://www.receno.com/pen/coordinate/u51/2024-02-16.php
「ジャパンディ」と「和フィン折衷」はどう違う?
日本文化と北欧文化を融合させて、いいとこ取りしたインテリア様式がジャパンディスタイルですが、エラマプロジェクトでも、和文化とフィンランド文化を掛け合わせて「和フィン折衷」と呼んでいます。
シンプルなライフスタイルを掲げて、ひとの内面的な心の豊かさを重視する価値観は共通していると感じます。だけど、ジャパンディと和フィン折衷には、ひとつ大きな違いがあります。
それは、色の使い方。
ジャパンディではアースカラーで、グレー、ベージュ、ブラウンなど、彩度が低く、落ち着いた色が中心です。
逆に、和フィン折衷では明るい色を取り入れています。マリメッコやアラビアなど、フィンランドデザインでは、パステルカラーやビビッドなアクセントカラーが入っていますよね。
このように、色の取り入れ方が全然違います。
リラックスして過ごす空間に、自分が元気になれる色や好きな色があると、もっと心地よく過ごせると思います。ジャパンディはとっても素敵だけど、なにか物足りない気がして、実は私にとっては居心地の良い空間というわけじゃないかもしれない、という考えにたどりつきました。
でも、ジャパンディは、単なる部屋のデザインではなく、「自分にとって心地よい暮らしとは?」を考えるきっかけになりました。
「わたし」の豊かな暮らしをつくるために
ジャパンディはとても素敵ですし、考え方にも大いに共感できるけれど、必ずしもすべてをそのまま取り入れる必要はないのかもしれません。実際に私は、そのまま全部を取り入れようとは思っていないんです。
例えば、私が取り入れたのは、
●フローリングや壁が白いので、カーテンは白にしました。そうすると、白が多すぎるので、カーペットをグレーにして、落ち着いた印象を持たせました
●ソファは、布張りのブラウン
●テレビ台やソファ前のローテーブルは、同じお店で購入して、色を統一しました●テレビ台に観葉植物を置きました
●だけど、ソファに置いてるクッションは、アースカラーではなく、スウェーデンカラーです。ソファの色と合ってないかもしれないけど、お気に入りのクッションなので。
結局のところ、一番大切なのは「自分にとって心地よい暮らしとは?」を考えること。
スタイルに縛られず、自分が本当に落ち着く空間を作ることこそ、「私の豊かな暮らし」への第一歩です。別にジャパンディでなくても、カントリー風でも、シックでも、SFサイバー的な感じでも、「わたしが心地よく過ごせる空間」を自分の家の中に作ることはできそうじゃないですか?
エラマプロジェクトが提案する「和フィン折衷」は、単なるデザインやインテリアの話ではなく、「わたしにとっての幸せ」を見つけるための考え方でもあります。日本とフィンランド、それぞれの文化の良い部分を取り入れながら、「自分にとってちょうどいい心地よさ」をデザインすること。それは、部屋づくりだけでなく、生き方そのものにもつながっています。
暮らしの中に少しでも「好き」や「心地よさ」を増やしていくことができたら、それだけで毎日がちょっと豊かになる。
エラマプロジェクトが大切にするのは、そうした「わたし」の「豊かで幸せな生き方」をデザインすることです。
あなたなら、どんな「わたしらしい豊かで幸せな空間」を作りますか?よかったら教えてください!
Text by ひらみん(ふつうの会社員)
こんにちは、ライターのpieniです。
現在全国で上映されている映画「小学校 〜それは小さな社会〜」を見られた方はいらっしゃいますか?
私は「関西日本・フィンランド協会」さんのFacebookで、教育大国フィンランドでも大ヒットした映画として紹介されていたのをきっかけにこの映画を知りました。
現在小学1年生の娘の母として奮闘中のわたくし。
とくに今年は4月から10月までの期間、小学校の教室で母子登校(母子で授業に参加する)というちょっぴり貴重な体験をきっかけに、小学校の取り組みや先生、教育にとても興味を持つようになりました。
それもあり、この作品を見に行きました。
この映画を通して、感じたことや考えたことがたくさんあったので、わたしなりのレビューをお届けしたいと思います。
映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」公式サイト
https://shogakko-film.com/
「小学校〜それは小さな社会〜」から生まれた短編版「Instruments of a Beating Heart」で映画の一部を見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=DRW0auOiqm4
6年生になると「日本人」?
映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」は東京都世田谷区の塚戸小学校の1年間に密着し、新1年生の入学から6年生の卒業、そして次年度のスタートまでの学校生活を追った教育ドキュメンタリー映画です。
監督はイギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマさん。
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている。すなわちそれは、小学校が鍵になっているのではないか」との思いを強めた彼女は、日本社会の未来を考える上でも、公立小学校を舞台に映画を撮りたいと思った。
映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」公式サイトより
このようなきっかけから、エマ監督は4,000時間にもなる膨大な時間を現場で過ごし、小学校の児童や先生、学校生活そのものを映し出しています。
映画では特に大きな事件が起こるわけでもなければ、特殊な教育プログラムが出てくるわけでもなく、日常の学校生活が年間行事に沿いながら淡々と映し出されます。
しかし児童や先生が、何かアクションを起こしたとき「そのとき何を考えたか」については、本人の話し声やインタビューシーンによって伝わってきます。
また、1年生と6年生に焦点があてられ、小学校生活6年間で子どもたちはどのように変化するのか、どのように「日本人」になるのか、そこに注目して1年生と6年生の対比を描かれているようにも感じました。
映画を見ている最中も、見終わった後もさまざまな感情が沸いてきました。
私の場合は子育て中なので、気が付けばどうしても「母親の気持ち」で見ていました。
1年生の児童が授業中寂しくなったり、できないことを乗り越えなければいけないシーンがあり、つい娘と重ねてしまい涙する。
6年生の先生が卒業する子どもたちに話しかけるシーンがあり、感動で涙。
また、先生自身も己のポリシーを貫くことと、保護者からの声、児童の反応の中で迷いながら1年間の学級運営をされる姿にまた涙…。
このようにさまざまなシーンで、ハンカチとティッシュが必要な作品でした。
そんな状態になりつつも、この映画から小学校について強く感じたことがありました。
大人になった今、あなたは小学校の世界を知っていますか?
小学校。日本では義務教育ということもあり、大人になるまでに多くの人が一度は体験する世界。
しかし、卒業後は学校の先生にならない限り、詳しくその世界を知ることはないのではないでしょうか。
保護者になったとしても、参観日や先生との懇談、運動会や音楽会などのイベント、子どもからの話で知る程度。
PTA役員や、ボランティアなどで関わることがあるかもしれませんが、それでも学校の日常を知ることは難しいと思います。
わたし自身、この後に書く小学校との関わりがなければ、知ることができない世界だったと思います。
この映画は、舞台となった塚戸小学校のすべてが映し出されているわけではないと思いますが、普段は深く知ることができない小学校の「今」を広く世に知らせてくれたと感じています。
映画のポスターやWEBサイトには「いま、小学校を知ることは未来の日本を考えること」というキャッチコピーが掲げてあります。
まずは、小学校の世界を知るということ。そして一人ひとりが考えること。
これこそがこの映画の重要なポイントだと感じています。
映画を企画された監督はもちろん、世界に学校の様子を公開すると決意された塚戸小学校の先生や保護者の方々の勇気に賞賛を送りたいと感じました。
「小学生」そして「日本人」になるということ
ここから、私の体験談も織り交ぜて感想を書きます。
うちの娘は入学時に「学校に行くのが怖い、ひとりでは行けない」という状態でした。
なので学校に慣れるまで母子登校という道を選びました。
母子登校について聞いたり、調べてみると、お母さんは別室や車の中で待機して過ごす、子どもと一緒に図書室など教室とは別室で過ごすなど、いろんなパターンがありました。
うちの場合は子どもの不安が強かったため、しばらく授業も一緒に受けさせてもらえるようお願いしました。
教室の一番後ろに座り、1年生の授業を一緒に受ける日々。
今思うと、毎日が参観日。
小学校を卒業して以来、実に29年ぶりに小学校へ通い、リアルな学校の世界を知ることができました。
保育園児だった子どもたちが入学を機に、集団生活で必要なことを身につけたり、授業として初めて字を習ったり、計算を習う。
時には怒られたり、問題の答えが分からず悔し涙を流しながらも、できるようになる様子や、学校の中で1日1日と段階を踏んで「小学生」になる姿を目の当たりにしました。
たとえば、集団で移動するときは列からはみ出さない、自分の場所をしっかり守る。そうでなければ、学校で迷子になったり、階段から落ちたり危険なこともある。
授業の始まりと終わりにはしっかり挨拶をする。遊ぶときは遊ぶ、時間を守ってけじめをつける。
一見窮屈そうで、特にうちの娘はそういった集団行動が苦手な面はあるのですが、この一番初期の教育を受け、小学生になっていく過程が社会に出たときの基礎的な力になっていると感じたのです。
ひとつ面白いと思った事例があります。
おそらく日本人の多くの人が経験したことがあるであろう「プリント回し」。
プリントを1枚もらったら、自分の分をとって後ろの人に回していくというあれです。
私は気が付いたころには何も考えずに回していましたが、これも1年生の時にやり方を教わっているのだと発見しました。
1年生になってしばらくの間は先生が1枚1枚プリントを配っておられましたが、1か月ほどたち、児童たちが学校生活に慣れ始めたころに練習が始まりました。
「プリントをもったら、自分の分を1枚とりましょう。残りのプリントは後ろを振り向いて、どうぞと声をかけて渡しましょう。もらった人はありがとうと言いましょう。そしてまた後ろの人へプリントを回します」
このように詳しくレクチャーしてから、プリント回しの実践スタート。
はじめはバサッとプリントを全部落とす子もいるし、自分のをとり忘れてしまう子もいる、途中で止まっていることもありました。
しかし、数週間もするとみんなスムーズにプリントを渡せるようになっていき、それが日常となりました。
社会に出てからは、なかなかプリントを回す機会は減りましたが、それでも何らかの集まりに出たときはスムーズに資料を回しています。
気にも留めていなかった行為ですが、このプリント回しのように、社会で生きていく基礎を小学校で教わってきたのだと思います。
映画でも、給食の配膳や掃除、挨拶をする、シューズをそろえる、廊下の進行方向に気を付けて歩くといった基本的なことを教えてもらい取り組むシーンが出てきます。
このような日常生活の基礎を教えることが日本が変わらず取り組んできた、日本の教育だと感じました。
また、作中で6年生が最上級生としての心構えを新学期に言い渡されるシーンがあります。「自分の殻を破れ!」と起業塾などで言われるような言葉をかけられる6年生。
運動会の練習中、なかなか課題をクリアできない子どもたちに向けて再びその言葉が出てきます。「結果ではなく、過程が大事なんだ。目標に向かって殻を破れ!」。
正直、今どきの小学生はそこまで求められるのか!と驚きました。
作中には、最上級生としての姿を見せたり、運動会に向けてできなかったことを自宅でも何回も練習するシーンがあり、先生の言葉を実践している姿が見えました。
娘が通う小学校でも、6年生ってこんなに賢かったっけ?私の時代はもっと適当だった気がする…と思うような姿を見ることがあります。
娘が教室に入れず廊下にいると、すれ違う6年生が面白いことを言って笑わせてくれたり、手を振ってくれたり。母としてもその6年生に何度心を救われたことか。
運動会など全校の活動ではリーダーとして引っ張っていく様子もよくわかりました。
賛否はさまざまあれど、日本人らしい頑張りや集団行動、秩序を守るということは、確かに小学校で基礎がつくられているのかもしれません。
先ほども書きましたが、小学校での生活や教育の様子は、授業参観だけではわかりません。この映画を通して、日本の小学校の世界を知る機会が広がったことは、日本人を知ることや、自分たちがどうやって学んできたのかを振り返るきっかけになると感じています。
見た後に小学校について考えたくなる
この映画の一番の醍醐味は、小学校という多くの人が通る世界を題材にしていることから、映画を見た後に「感情が動く、感想をシェアしたくなる」ことではないでしょうか。
教育関係、暮らし関係のWEBコラムや、個人のブログやnoteなどでも、考察記事やレビュー記事が多いように感じます。
私も、映画を見た友人たちと感想シェア会を行いました。
そこで出た感想を一部ご紹介します。
●1年生も6年生も考えていることが思った以上に大人で驚いた
●子どの頑張りはもちろん、先生たちも悩みながらも一生懸命接してくれてるんだと涙が出た
●責任というキーワードがよく出てきたが、それは子どもにとっては重いと感じた
●自立はしてほしいけれど、責任に押しつぶされてほしくない
●6年生の男の子が「大人になりたくない。だって大変そうだから」というシーンがあった。それは残念だけれど、大人が大人になりたい姿を見せれていないから
先生にもっと心の余裕を持たせてあげたい
●朝早く来て、授業もして、学校活動も担い、事務的な仕事もする。それではゆっくり考える時間もない
●先生ひとりで40人ほどを見るのはかなり負担。ピザ2枚でお腹がいっぱいになれる人数でなければ、チームが大きすぎるという理論(アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスの「ピザ2枚の法則」)を参考にすると、とてもではないけれど運営は難しいと思う
●先生の役割についていろいろ考えることができる。例えば、大学のように授業はその専門の先生にお願いして、担任の先生はファシリテーターや、児童一人一人の様子を見て気づいたことを手助けするなど、全体を見ることに特化してはどうか
●先生が何をしたくて、何を専門にしたくて先生になったかを聞いてみたい
●先生それぞれが、何のプロだと思っているかで学校運営や、役割が変わってきそう
などなど、子どもに関しての感想から、先生へ対しての想いなどさまざまな声が聞けました。
ひとりで映画を見ただけでは気づかなかった「学校の在り方、学校の運営、先生の在り方」などを考える機会になりました。
この映画を見た方が、ほかにはどのような感想を持たれているかとても興味深いです。
また、この映画に関してぜひ読んでいただきたい記事があります。
なぜ「教育大国」フィンランドが、日本の公立小学校に注目するか? ー日本とフィンランドそれぞれのリアルを専門家が語り合うー【オフィシャルレポート】
山崎エマ監督と、フィンランドの教育専門家、日本の教育の専門家、映画に出てくる塚戸小学校の先生とでディスカッションされた時のレポートです。
この記事の中では、フィンランドの教育との比較や、フィンランドの教育専門家が感じた日本の教育のポイントについて書かれています。
また、映画を撮影したエマ監督や教育関係者の願いとして「この映画を通して日本の教育をもう一度考えるきっかけにしたい」といった話が語られています。
この記事の中のエマ監督の話から引用します。
ある小学校のお母さんが、この映画を見た後に泣きながら、「先生たちがこんなにも悩みながら、一生懸命議論しているなんて考えたことがありませんでした」と話してくれました。そして、「自分もこれまで学校に対してあまりプラスになるような行動をしてこなかった。不安が先に立ち、提案もできていなかったけれど、明日から何か行動を起こします」と言ってくれたのです。こうした気づきを持つ人が1人でも増えれば、学校や教員、教育に関わる全ての人たちを、みんなでリフトアップできるのではないかと思っています。
私も、母子登校で小学校を知ったり、この映画を見たことにより、学校に対して何ができるのだろう?と考えるようになりました。
まだ具体的にアクションを起こせてはいませんが、関わりをもつ機会を増やしたり、学校のオープンデーに参加したり、娘が通う学校の取り組みを文章を通じて世に伝えることをしたいです。
日本の学校や教育に関して、ほかの国と比較し自由や選択が少ないという厳しい意見もあります。
またわたし自身も学校にはいいイメージをもっていなかった時期もあります。
もちろん、時代が変わるにつれ学校や教育も変化が必要だとは思いますが、頭ごなしにダメだなどと思うのではなく、映画を見たお母さんがエマ監督に話されたように「学校にプラスになること」それを考え続けたいと強く感じました。
映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」はまだ全国上映中です。(2025年3月現在)
イオンシネマなど大きな映画館での上映も始まっているようですので、小学校の世界を知りたい方はぜひご覧ください!
そして感想を語り合ってもらったり、コメントでいただけると嬉しいです。
エラマの学校もにもぜひ来てみてください
「小学校 〜それは小さな社会 〜 」は日本の教育の話でしたが、このよむエラマを運営するElämäプロジェクトでは、フィンランドの教育や文化から自分の暮らし方を考える・描く「エラマの学校」を開講しています!
全国どこでも、世界のどこでもコースや講座を開講。オンラインでも学べるので、教育に興味がある方はぜひ覗いてみてください。
エラマの学校
https://elama.be/workshop/
丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)
こんにちは!ライターのひらふくです。
さて、エラマプロジェクトの長寿企画といえば「哲学バー」!
毎月1回だけ集まってひとつのテーマをみんなで自由に話すこのイベント。2025年2月で記念すべき60回目を迎えました。
60回目のテーマは「生産性とは何か?」。
…はい、ここで仕事のことを思い出して、なんだか気分が落ちこんだ方には今回の記事をおすすめします!
なぜなら、私も同じようにこの言葉にモヤモヤしながら哲学バーに参加したから。そしてその後は少しだけ「生産性」に前向きになれたから。
哲学バー2号店、今夜は私と語り合いませんか。
「生産性」ってなんだかこわい
生産性という言葉の意味は「投入した資源や労力に対して得られる成果の量や割合」だそうです。Productivityという英単語の和訳で、もともと日本語にはない言葉でした。
少ない労力で大きな成果が得られたら生産性が高いね!と言われます。
2月の哲学バーでは、参加者さんがいろんな角度から切りこんでいました。
「生産性は最初のゴール設定が大事だと思う」
「人間関係でも生産性ってあるの?」
「社会にとっての生産性もあれば自分にとっての生産性もある」
「実は生産性が低い時なんかないんじゃない?」
「難民支援の現場では、いくら支援しても立ち上がらない人もいるけど、じゃあその活動は生産性が低いの?」
「会社は上司受けする人が出世する。生産性が低くても要領のいい人の方が出世する」
さすがの着眼点…。どれもじっくり考えてみたくなります。
ですが、その時の私が思っていたのは実はすごく単純なことで。
「生産性ってなんだかこわい言葉だな」でした。
必要なのはわかるけれど、プレッシャーをかけてくるようで緊張感があって、ともすれば壁のように立ちはだかるもの。絶対的な良し悪しの指標として私たちを測るもの。
社会も企業も「生産性を上げよう!」と叫ぶけれど、本当はみんなその言葉は好きじゃないんじゃないかとさえ思いました。
ネジ1本の価値
哲学バーの楽しい点は、いろんな立場・いろんな年齢の方が集まるところです。だからこそ自分にない発想にハッとさせられます。
この日の私に飛びこんできたのは、参加者さんのこの言葉でした。
「自分は上司としては向いてなかった。コツコツ現場でやるのが好きだったんです。だから評価はされませんでした」
その会社では、上司になること=生産性が高い=評価されるという図式でした。
でも、本当にそうなのでしょうか。生産性ってそういうことなのでしょうか。
私は今まで人事という仕事をしてきました。いろんな部署にお邪魔していると、どの仕事も、なければ会社が回らないことがわかります。
例えば、現場でネジ1本を大切に作る人がいるから、機械は安全に動くし、遠くまで人や物を運べるし、今日も誰かのもとに生きるために必要なものが届くのです。
だから、管理職の人よりも、現場の職人さんが尊敬されている会社だってあります。
「生産性」という言葉は絶対の指標に思えるけれど、実は「何をもって生産性が高いとするか」は会社や場所によって違うのです。
生産性って、私たちが思っているより、ずっとあいまいなものかもしれない。
するとなんだか緊張がほぐれてきました。
「生産性」で測りきれない私たち
場所によって生産性を測る指標はちがう。
じゃあ、私たちはどこを目指したらいいのでしょう?
ひとつは、あなたを喜んでくれる場所にいることです。
例えば、細かい数字が苦にならないならお金や品質をチェックする仕事につく。一方、何時間もゲームを続けられる人は、ゲーム会社でならいろんな活躍ができるかもしれません。
あなたがやってて楽しいこと、興味があること、苦にならないこと、自然とできること。
あなたにとっては当たり前でも、その力を高く評価し必要とする場所があります。
その場所にいられれば、あなたは「生産性の高い人」「いてくれて嬉しい人」であり、そしてあなたにとっても楽しい場所になりそうです。
そしてもうひとつ。
誰かに対して「生産性が低いな」と思ったとしても、その誰かも私の知らない何かを生み出している。それを忘れないでいたいのです。
会社にいると、その会社の目標に向かうために一定の指標で測られます。それはある意味では必要なことだと思います。
でも本音では、私は自分と誰かを比べて、高い・低いと評価したくもされたくもありません。
私が「生産性」という言葉をこわいと思ってしまったのは、その言葉の裏には誰かと比べられているんだという暗黙の了解があって、それが嫌だったのです。
本当は比べて評価する必要はないのでしょう。
私たちは誰もが何かを生み出していて、それはひとつの場所のひとつの指標だけで高い低いと測り切れるようなシンプルなものではない気がします。
場所が変われば指標も評価も変わる。
生産性ってそんなあいまいなもの。
振り回されずに、もう少し気軽に、この言葉と付き合ってみたいと思いました。
さあ、あなたにとって「生産性」はどんな存在でしょうか?
【告知】哲学バーは毎月開催しているオンラインの対話イベントです
次回の開催は3/12(月)20:00〜22:00。テーマは「もっと!寛容さとは何か?」。1月に大好評だった「寛容さとは何か?」の第2弾です。
哲学バーの開店日はこちらからチェックしてくださいね。
はじめての参加でも、顔出ししない聞き専でもOKです!
哲学バーの何が楽しいかって、問いは突き詰めても答えは出さないところ。
新たな問いを持ち帰ってもいいし解決しなくても自由です。
そこにあるのは、立ち止まって考えられる時間と仲間。
そんな夜をご用意してお待ちしています。
Text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)
こんにちは。エラマライターのmajakka(マヤッカ)です。マヤッカはフィンランド語で「灯台」を意味します。わたしの文章を読んでくださったときに、灯台のように、みなさんが何かに迷ったり、目標にたどり着けるか不安になったときに目印になり、安心できるようなライターになりたいと思っています。
特に、3年ほど前から「自分にとっての豊かさとは」という概念を知り、自分にとって、まわりの人たちにとっての豊かさや幸せを考えたり、実感できることを探求しています。
今回はわたしが職場で感じたストレスから、自分にとっての豊かさ、幸せを高める術を発見したお話をさせてください。
異動して半年後、仲間との関係に変化が…
わたしはフランチャイズの飲食店の店長をしています。新しい店舗に異動して半年が過ぎました。新しい職場環境にも慣れ、仲間との関係構築も少しずつできてきているかなと楽観していたのですが、少しずつ変化が起きました。
初めは店舗でのリーダー的存在の方からの相談事。業務のことだったので、優先順位をつけながら改善していました。しかしその後、業務的なこともあるけれど、一緒に働く仲間が働きづらいと言っているという相談もいただきました。よく聴いてみると、わたしの店長としての想いが伝わっておらず、みんなが疲弊し、バラバラな方向を向いているようだ、という内容でした。
わたしの行動やコミュニケーション不足で申し訳ないと思いつつも、直接言ってくれたらその場で解決できるのにな…と少し悲しくもなりました。
この相談を聴いてから、少しずつ仲間一人ひとりにそれとなく話を聴いていきました。
すると、ある人に聞いたことと違う内容を聞くことになったり、わたしに対してではなく他の仲間に対して感じていることだったりと、様々な内容が出てきました。わたしは店長として何から取り組んだらいいのかわからなくなり混乱してしまいました。
どうすればいいの?
ひとつ対応してもそこじゃない。うまく話が聴けたかも!と思っても次の日には元通り…。
店長をしていてこんなに先が見えなくなったのは初めてでした。
毎日深夜2時頃目が覚めると、そこから朝まで眠れなくなりました。
また、これまでは風邪を引いても熱を出すことがなかったのですが、毎日熱が出て仕事を1週間ほど休んでしまいました。
最初は、わたしに対して不信感を持っている人がいることが辛くてストレスになっているから眠れなくなっているんだろうな、まだまだわたしは小さな人間だな、と思っていました。自己肯定感は低かったですが、なんとか改善していかなくちゃと考える日々でした。
日々職場でできることを考えて取り組んでいたのですが、数人の仲間がまだ笑顔で働けていないことや、人によって言うことが違うという状態が、どうにももどかしく、どうしたらいいか途方にくれてしまったのです。
そこで、全員で一度に話してもらい、これからすべきことを考えることに決めました。
最初は一人ひとり想いや大切にしている価値観が違うので、うまくまとめられるか不安でした。でも、わたしがみんなに聴きたいこと、これからどうしていったらみんなが笑顔で働けるかを考えられるように準備しました。
結果、全員がすべてを吐き出すことはできていないかもしれないけれど、仲間を思いやりながら話をしてくれ、また、仲間の話に耳を傾けてくれていました。
これからの方向性もみんなで決めることができ、明るい兆しが見えたのです。
また、わたしの店長としてはもちろん、ひとりの仲間としての働き方が前向きでなかったと気づかせてもらえました。今の仲間はお店への愛着が強く、より良いお店にしていきたいという意欲がとても高いことがよくわかりました。半年一緒に働いて、みんなで話し合ったことで改めてそれを感じ、仕事に対するわたしの意欲が少し恥ずかしくもなりました。
自分にとっての豊かさ、幸せについて考えることが増えたいまのわたしは自分の生き方にも変化が出てきていると感じています。そしてこれは仕事に取り組む姿勢に影響を与えていると思うのです。
それ以前のわたしは、いつでも全力で働いて、自分のケアは後回しにしていたようです(わたしが5年前にヘルニアになってしまったのも要因のひとつかなと思っています)。
ここ1〜2年は、仕事も大切だけど、自分にとって心身が健やかでいるために、お休みをちゃんともらったり、もう少しできるかもしれないけど自分に相談してここまでにして帰ろう、と考えて仕事に取り組むようになっていました。
でも、このことが今回、一緒に働く仲間とのギャップを生んでいたのかもしれません。
自分で自分への処方箋を出せたような気持ちに
この出来事はわたしにとってとても辛くストレスがかかることでしたが、自分が何に対して精神的に辛くなるのかを知ることができたと感じています。
最初は仲間がわたしに対して良く思っていないことが辛いんだと思っていました。でも、仲間の話を一気に聴くことでこれからすべきことがはっきりしたんです。
それは仲間一人ひとりがどんな想いで働いているのかを理解するために日々話を聴くこと、お店がどうやったらより良くなるかを伝えること、そしてそれを実際の行動で見せていくことでした。
モチベーションは一人ひとり違うので、みんなの想いに寄り添いながらもチームで働いていくことの楽しさを実感してもらえるようなコミュニケーションをとっていかなくては、という気づきを得ることもできました。。
その日から眠れるようになったんです。
もちろん、自分に対して何か言われたりすることは辛いです。今は自分のすべきことをかなり意識して働いていますが、全員が全員わたしに対する思いがポジティブになったとは思いません。一度話し合ったからって、その後の行動が伴っていかなければ根本は解決しないですよね。
でも、わたし自身はやるべきことがわかりとてもスッキリした気持ちで毎日眠れるようになりました。
わたしにとっての人生の豊かさ、幸せは先のゴールが明確になっていることが大切なんだと気づかせてもらえた経験でした。
悲しかったり、もやもやしたり、ストレスを感じることは生きていく上で辛いです。でも、そんなときでも自分にとって豊かで幸せに生きる術が見つかることがありますね。
わたしは今まで辛いことがあったら「あ~、しんどかった。もう起きないといいなぁ。これからはなんとか回避していきたいなぁ」くらいにしか捉えられないことが多かったのですが、今回自分で自分への処方箋を見つけられたことがとても嬉しいんです。なぜなら幸せで豊かな毎日を過ごせる機会が高まったなと感じることができたから。そんな自分を褒めてあげたいと思います!
自分の不調に向き合って、どんな対処法が合っているのかを考えて行動する。これも日々少しずつではありますが、自分を大切にする時間を作れている成果かなと思います。
自分で自分の人生の豊かさや幸せを見つけてあげることがまわりの人たちの幸せにもつながっていくといいですよね。
最後まで読んでくださりありがとうございます。これからもみなさんと一緒に日々の様々な出来事から自分で自分を元気にしてあげられる処方箋をたくさん見つけていけたら嬉しいです!
Text by majakka(マヤッカ)(ウェルビーング探求人)
こんにちは。Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。よむエラマに辿り着いて下さった皆さんは、フィンランドに関心のある方や、生き方・働き方・休み方について日頃からよく考えていらっしゃる方が多いのかなと思います。そんな皆さんは「マイタイム」をご存知でしょうか?
私がこの言葉を知ったのは約2年前。エラマプロジェクトの講座に初めて参加したときのことです。当時はまだ、今後のキャリアをどうしていこうか悩んでいた20年目の会社員でした。
そこで紹介されたのがフィンランド人がとても大切にしている「マイタイム」という言葉。それは「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間のこと」と紹介され、これはフィンランド人のモニカ・ルーッコネンさんの著書『MY TIME ~自分もまわりも幸せになる「自分のための時間」のつくり方~』の中の言葉でした。
充実した仕事、家族との時間、そして自分のための時間(マイタイム)。この3つのバランスが取れてこそ、健全な日々を過ごせるのです。いずれかの時間が特別に多くなってしまってもいけません。
本の中には、そのようにも書かれています。とてもよく理解できます…でも、それはどうやって?会社員だった私は、マイタイムたるものを持てたとして、一体どうやって仕事の時間を減らせば、その他とのバランスを取れるのだろうと永遠の疑問のように感じていました。
ひと休みできない会社員時代の私
「マイタイム」にも通ずるもので、フィンランドのひと休み文化を代表するもう一つの言葉があります。それは「コーヒー休憩法」。労働者のコーヒー休憩を取る権利を認めている労働法のことです。
フィンランド人たちは、仕事中に1時間半から2時間おきに15分程度のコーヒー休憩を取ります。この「コーヒー休憩法」のことも、私はエラマプロジェクトの講座で初めて知ったのですが、驚いたことに私の勤めていた職場(カフェチェーン店)でも、同じ頻度で「ブレイク」と呼ばれる休憩時間が与えられていました。その時間に好きなドリンクをもらい、バックヤードでも客席でも良いので自由に過ごすことができます。もちろん外出することも可能です。
しかし、私の当時の過ごし方といえば、休憩時間がきたらコーヒーをもらいバックヤードに直行し、山積みのタスクをこなす時間として使っていたのです。少しでもタスクを減らしたい!その一心で。
結局、長い会社員人生の中で、じっくりと休憩時間を味わっていたのは、最後のほんの1ヶ月でした。「マイタイム」と「コーヒー休憩法」を知ったあとも、私は休憩時間の過ごし方のスタイルを変えることはできませんでした。イレギュラーもたくさん発生していたあの仕事量を、休憩時間の活用と残業無しでこなすには無理がある!と思っていました。
ようやく、退職が近づき仕事の引き継ぎも順調に出来るようになった頃、私は仕事の休憩時間に「休む練習」を始めてみることにしました。休憩時間をバックヤードのPCの前で過ごすことを止め、客席の一角をお借りしてコーヒーを飲みながらジャーナリングをしたり、ただぼーっとするだけの時間にしたのです。
すると、どうでしょう!タスクをこなそうとする15分はあっという間に過ぎるのに、休む練習として始めた過ごし方なら15分は心を充電するのに十分な時間だと感じたのです。
仕事中のひと休み的な時間に慣れなくてソワソワとしましたが、職場にいながらでも肩書のない何者でもない私でいる時間を味わい、「会社員としてこんな時間の感じ方もあるのか」と随分心が満たされたことを思い出します。
あんなに休憩時間を惜しみながら仕事を進めていたけれど、この時間なしに効率よくしようなんて、なんて非効率なことだったのだろう…。仕事の「肩書と責任」を間もなく下ろすことが出来る時期になり、私はようやく休憩時間を自分のためだけに使う意味の大切さを理解した気がします。
フリーランス一年目の私にはマイタイムが難しい
では、フリーランスになった今の私はどんなマイタイムを過ごしているでしょうか。
時間にも場所にも縛られない、憧れのフリーランス!お手本のようにマイタイムを取り入れ、さぞ充実した日々を送れるようになったに違いない。そう思われますか?
いいえ、そのイメージからはかけ離れていると自分では思うのです。たしかに、家族との時間は増え、友人と会う時間の融通も効かせやすく、人とのつながりにおけるマイタイムは充実したと思います。
問題は一人で過ごす時間。
どんなふうに時間を使っても良いと言われれば、いつまでも作業をし続けてしまう私。会社員時代の働き方とあまり変わっていないとも言えます。でも今はそれが辛いわけでもなく、好きな仕事ですのでむしろ「やりたい、楽しい」の気持ちが消えなくて、どんどん時間が過ぎ、気づけば家事や愛犬の散歩、子どもたちのお迎え時間になり、あわただしく毎日が終わるという日々を過ごしています。
楽しいのであればそれでも良しと思うのですが、ここ最近感じ始めたことがあります。
「こんなに走り続けていて、いつ、息切れしてしまうのだろう」
自由な生き方をしながらも、人や社会に貢献できる仕事に集中したい。そんな思いでやっと掴んだフリーランスという生き方なのに、今の私はなんだか生き急いでいる感じがする。そう思い始めたのです。だからといって、手を止めたくない気持ちもあります。
そこで、もう一度マイタイムを実践してみようと思ったのです。
まず最初にしたことは、特に何かを新しく始めたわけではなく、いつもの習慣である犬の散歩、料理の時間など、必ずやらなければいけないけど自分に集中できそうな時間をマイタイムとして意識してみる。
でも、なかなか難しい。
なぜなら「今はマイタイムなんだ」と言い聞かせても、頭から仕事のこと、そして思春期の難しい時期の子どもたちのことを完全に切り離すことができません。
マイタイムを意識しているつもりでも、生き急いでいる感覚はなくなりませんし、肩書や責任から離れているという気持ちにもなれないのです。
このまま走り続けても今は何もストレスを感じることはないけれど、でもやはりいつかは息切れし、抜け殻のようになりそうです。
生き急ぐ私に思いがけず始まった新習慣
新年を迎え、私は元旦から早起きを始め、朝5時半から手帳タイムと作業を始めることにしました。理由は、もっと仕事の作業時間を効率よく持ちたいという思いからです。家族が誰も起きてこない時間に集中しようと決めたのです。
すると、元旦の朝6時にLINEの通知が来ました。私が何となく登録した、メキシコに住むヨガと瞑想の講師の公式LINEでした。いつもならすぐには確認しない公式LINEですが、そのときは少し気になりメッセージを読んでみることにしました。「7DAYS瞑想チャレンジ!」という文字が飛び込んできました。添付されていたYouTubeチャンネルの動画を開いてみると、メキシコの海の心地よい波の音と、講師のなんとも安心する声の瞑想ガイドが始まりました。
私は作業の手を止め、瞑想をやってみることにしました。目を瞑り呼吸に集中しようとしても、雑念や体の一部の不快感に気づきます。それでも10分続けてみました。翌朝も、その翌朝も、朝6時に公式LINEから動画が届き、私は毎朝10分の瞑想をぎこちないながらも続けてみました。
何日目かの瞑想の終わりに、「まず一日の中で10分のこの時間を持ったことが本当に素晴らしいんです!」という講師からのメッセージが私の心に響いてきました。「そうだ。私はこんなにも生き急ごうとしている中で、10分間自分に集中する時間を持てていた」そう感じました。
7DAYS瞑想チャレンジが終わっても、私は毎朝を瞑想から始めることが習慣となりました。そして12日目、瞑想が終わった時の体が軽くすっきりとした感覚を初めて味わいました。瞑想中は相変わらず雑念や体の一部の不快感に気を取られたりするものの、いつの間にか朝の瞑想が習慣になっており、これがないと気持ち悪く感じるようになっていました。
それぞれの人生のステージでマイタイムが教えてくれるもの
思いがけず始まった私の瞑想という新習慣。これが、思いがけずマイタイムになっていると気づきました。
なぜなら、「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間」を手に入れる方法を見つけたのですから。
もちろん、瞑想中にはまだまだ雑念が入ってきます。でもだんだん、その雑念の内容も変わってきているのです。
瞑想を始めた頃は、その日のタスクが頭をよぎることや、前日の子どもたちとのやり取りを思い出すことも。
でも日に日に、私の意識はメキシコの海の波の音の変化などに向いていました。「あれ?今一瞬波の音が聞こえなくなった」「昨日より波の音が大きいな」とか。そんなことが頭をよぎると、それを認め意識を呼吸やその時唱えている言葉(感謝したいことや、自分を前向きにするアファーメーションなど)に戻っていくことが出来るようになったのです。
この時間こそ、私が今仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間になっていると思います。
『MY TIME』の中でも、著者モニカ・ルーッコネンさんはヨガと瞑想をおすすめしています。
ヨガや瞑想のある生活を続けていると、練習をしていなくても、その落ち着いた気持ちを保ち続けることができるようになってきます。
瞑想の習慣を続けていけば、走り続けている私の息が切れるその時がきても、抜け殻になることがなく、たとえばカフェに出かけ、ただそこに座り心穏やかにすることが出来るかもしれない。そんな気がしてきました。
仕事が楽しい!という気持ちでこのスピードを止めることができない…いや、もしかすると止めることが怖いと思っている私にとって、瞑想というマイタイムは、「そんなに生き急がなくていいのよ」と教えてくれているのかもしれません。
だとすれば、マイタイムは今の私にとって、息をして私の思考が自分に戻って来る時間なのでしょう。人生のステージで、自分にとってのマイタイムの意味も変わってくるのかもしれないですね。
「自分を大切にする勇気」
本の中で、モニカさんはこんなことも言っています。
“マイタイム”をつくる勇気を持つということは、「自分を大切にする勇気を持つ」ということでもあります。
自分を大切にする勇気…なるほど…。
会社員時代の私は「肩書と責任」に自分を縛り、やりがいを見出しながらも仕事が遅れると人に迷惑がかかると、自己犠牲的な働き方を続けていました。それが苦しくなり(それだけが理由ではありませんが)、もっと自由な生き方を求めフリーランスになったものの、今度は「止まってはいけない!」と走り続け、気づけば仕事以外の自分の意志や気持ちにゆっくり耳を傾ける時間をないがしろにしていました。
勇気。確かに私は「自分を大切にする勇気」を出すことが怖かったのかもしれません。走り続けることで、その先に待っている希望を追い求めていました。
それよりも今この時間に感謝し、感じる幸せを味わいつくし溢れださせることで、私と私の周りの大切な人たちの豊かな時間がこの先も必ずあり続けると確信できる。その勇気を当たり前に持てるまで、瞑想というマイタイムを日々大事にしていこうと思います。
Text by Kangas(和田直子/しなやかで強くやさしい社会を織りなすライフコーチ)
こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
2025年が始まって、約2週間が経ちました。
本日1月15日は「小正月」と呼ばれ、この日の朝にお粥(特に小豆粥)を食べたり、地域によって「どんど焼き」などの様々な行事が行われたりします。
そして、小正月(もしくは1/20の二十日正月)が過ぎると正月は終わりと見なすことが多いです。
皆さんはどんなお正月を過ごしましたか?
今年一年の目標を立てたり、今年はこんな風に過ごしたいなぁと願望を書き記したりした方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに、私の今年一年の抱負は「前進あるのみ」です。
そして今の私を表すキーワードは、「努力」「根性」「忍耐」です。
豊かで幸せな生き方を探究するエラマプロジェクトのチームメンバーとして活動をするようになって、今年で6年目。
6年目に辿り着いた先が、まさか「努力」「根性」「忍耐」とは!
自分でも驚きの展開ですが、自分にとっての “エラマ(人生、生き方)” を探究していったら、いつしか「努力」「根性」「忍耐」というステージに突入してしまったのです。
ですが、私はこの状況をとてもポジティブに捉えています。
長い人生において自分が望む豊かな生き方を実現するためには、短期的には、耐えて頑張ることが必要とされる時期もやってくると感じています。
ただしそれは、やりたくないことを我慢してやり続けることではありません。
「自分の望む人生のために、今は頑張り時なのだ」
こういう感覚のことです。
今までこの「よむエラマ」では、自分を認めたり自分を大切にしたりといった、こじれていたものを解きほぐすような方向性の記事を書いてきました。
しかし今日は、あえて「頑張っている私」のことをお話したいと思います。
自分のやりたいことをやっていたら、ハードモードが始まった
私は前回の記事で、「自分の命が残り一週間だとしたら、私は何がしたいだろう?」を考えると、自分の本当にやりたいことや自分らしい生き方が分かるよ、というお話をしました。
〈前回の記事はこちら〉
私にとっての幸せな生き方は「余命1週間だとしたら」を考えると見えてくる
その記事の中で、「特別なことは何もしなくていい。自分の家で、愛する猫たちと心穏やかに過ごしたい。これが私の望む生き方だ」と書きました。
さらに、仕事をガツガツ頑張るモードではなく、今ある幸せに目を向けて「足るを知る」暮らしにシフトしていきたいとも書きました。
その思いは全く変わっていないのですが、その記事を公開したあたりから、私の思いとは裏腹に、私の生活はどんどん忙しくなっていきました。
私の本業は私立高校の国語教師です。そして副業として、和文化講師やお香の調合師などをしています。
ここ5年間は、本業と副業の二足のわらじを履いて活動してきました。
この二足だけでもなかなか忙しかったのですが、実は三足目のわらじを履いてしまったのです。
昨年、私は愛猫の持病改善のために、アニマルレイキ®という動物への手当て療法を学び始めました。
3ヶ月の講座を受講し終えた後も、もっと学びを深めたいと思い、今はティーチャークラスに所属して、将来的にプロとして活躍できるように勉強しているところです。
このように国語教師、和文化パラレルワーカーという二足に加えて、アニマルレイキという三足目ができた結果、ますます忙しくなってしまったのです。
でも、自分のやりたいことを選び取った結果の忙しさなので、後悔はありませんし、精神的なつらさもありません。
今の私は、確かにちょっと頑張りすぎているかもしれない。
だけど、私は間違いなく自分の望む人生のために、今を目いっぱい生きている。
そう胸を張って言えるので、「頑張っている自分すごい!」と自己肯定しながら、仕事に追われる日々を送っています。
フィンランドの人たちの価値観「SISU(シス)」とは?
フィンランドにはSISU(シス)という考え方があります。
SISUは「勇気」「忍耐力」「粘り強さ」「不屈の精神」「困難に立ち向かう強い意志」などを表わす言葉で、瞬間的なものではなく、困難を耐え抜く長期的な力を意味します。
SISUの代表例として、1939年の冬戦争で圧倒的に不利な状況にも関わらず、フィンランド軍がソ連軍に対して勇敢に戦ったことが挙げられますが、SISUの精神は現代のスポーツ、ビジネス、教育など様々な場面で発揮されます。
エラプロジェクトではSISUを大切な価値観の一つとしてお伝えしていますし、このよむエラマでも、SISUの記事がいくつかありますので、ぜひ読んでみてください。
〈SISUの記事はこちら〉
フィンランド魂「SISU」を理解して取り入れようー「フィンランドの幸せメソッドSISU」を読んで
自分にも他人にもやさしく。「EVERYDAY SISU フィンランドの幸せ習慣」 レビュー
フィンランドの「大和魂」を見た!映画「SISU/シス 不死身の男」が教えてくれる
そして、私が今「ちょっと働きすぎでは」というくらい頑張っているこの状況は、SISUを発揮していると言えるのではないかと思います。
SISUは、困難に陥った時に冷静に状況を分析して、長期的な視点で粘り強く行動することです。また、目標を達成するために合理的に判断することでもあります。
衝動的で無謀な「とにかく努力!根性!」ではなく、冷静に長期的な視点を持つというところが、SISUの魅力だなぁと感じます。
この記事の冒頭で、今の私のキーワードは「努力」「根性」「忍耐」だとお伝えしましたが、これらは無謀な我慢を強いる根性論のことではなく、実はSISUのことを指していたのです。
豊かで幸せな人生のためには、時にSISUを発揮することも必要
人生においては、「無理をしないこと」「頑張らないこと」を実行すべきタイミングもあれば、その反対に、今は頑張り時というタイミングが訪れることもあるでしょう。
もしくは、自分にとっての豊かさを探究する過程では、自分と向き合うことで見たくない自分の本音に気づいたり、隠しておきたかった自分の弱さに出会ったりすることもあるでしょう。
自分にとっての豊かさを探究するって、実はだいぶハードなことだと思います。
都合の良い、口当たりの良いところだけしか見ないのでは、真の豊かさは得られないでしょうから。
きっと皆さんも、自分の豊かさを探究する過程で、目を背けたくなったり、逃げたくなったり、もう頑張りたくないと思ったりすることがあるかもしれません。
そんな時は、SISUのことを思い出してほしいのです。
もちろん無理をする必要はありませんし、つらい時は逃げても休んでも良いと思います。ですが、もし「頑張ってみたい」と思ったら、その時はあなたのSISUを発揮してください。
SISUのことを「粘り強さ」「不屈の精神」「困難に立ち向かう力」などと紹介しましたが、これらは日本人にもかなり馴染みのある感覚だと思います。
日本には忍耐が美徳とされる価値観がありますし、「石の上にも三年」や「雨だれ石を穿つ」ということわざがあるように、長期間にわたって辛抱し、努力をすることを良しとしてきた文化があります。
だから、日本人はSISUが得意だと思います。
ただし、日本人の場合は、自分の豊かさのために頑張るのではなく、私欲を捨てて、主君や国、会社、家族のために尽くすという自己犠牲的な頑張りが目立つように感じます。
私は、忍耐の末に本懐を遂げる『忠臣蔵』のようなストーリーが大好きですし、日本の自己犠牲的な頑張りに魅力を感じますが、自分で実行するとなると、私欲を捨てて他者のために尽くすやり方はかなりしんどいでしょう。
ですので、皆さんは私欲を捨てて他人のために頑張るのではなく、ぜひ自分の豊かさのために頑張るということをやってみてくださいね。
“私の豊かな生き方のために、軽やかにSISUを発揮する”
私はこの一年をそんな風に生きていきたいと思います。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)
こんにちはpieni(ピエニ)です。
この記事が公開される日はクリスマス。皆さんはどんな一日を過ごしていますか。
日本のクリスマスといえば、イルミネーションや街中に飾られる大きなツリー、クリスマスイベントなど華やかなイメージがあります。
恋人とクリスマスデート、友人や家族とクリスマスパーティー。様々なクリスマスの過ごし方があると思います。
中には平日だし仕事だし特に何もしない、という方や、ほんとは誰かと過ごしたい気持ちの方、反対にパーティーに誘われているけれど、ひとりでゆっくり過ごしたいなど、さまざまな自分の感情が見えてくる日かもしれませんね。
今回はクリスマスってそもそもどんな日?ということや、フィンランドのクリスマスの過ごし方から「わたし(自分自身)はどんなふうに過ごしたいと願っているのか」を見つめてみたいと思います。
そもそもクリスマスとは?
クリスマスとはどのように始まったのか?何の日なのか?
改めて尋ねると「どうだったっけ?」と考えてしまう人もいるのではないでしょうか。
この記事を書くまで、わたしもその一人でした。
クリスマスとは「イエス・キリストが降誕したことを祝う日」です。
イエス・キリストは神の子で、人の姿になって現れ多くの人を救ったとされています。
そのためイエス・キリストがこの世界に生まれてきたことに感謝し、祝う日とされています。
しかし12月25日にイエス・キリストが生まれたわけではありません。
クリスマスがいつから始まったのかは明らかではありませんが、ローマ帝国時代にペルシャから伝わった冬至の祭りが関係していたり、この時期に行われていた農耕の祭りの日にしたなど、クリスマスが12月25日になった理由には諸説あります。
日本のクリスマスについて考えてみた
日本ではじめてのクリスマスは歴史をさかのぼることはるか昔。戦国時代の16世紀なんだとか。
日本を訪れた宣教師達が、現在の山口県にてキリスト教信者を集め、キリスト降誕祭のミサを行ったことが始まりとされています。
その後、江戸幕府の禁教令によりキリスト教は禁止されたため、クリスマスを祝う文化は広まりませんでした。
時は流れて、明治時代。横浜で開業した明治屋が銀座進出とともにクリスマス商品を売り出したことで注目され始めました。
その後、大正天皇の崩御の日が12月25日(1926年・大正15年)であり、12月25日が大正天皇祭(国民の休日)と定められたことにより、クリスマスが普及するきっかけになります。
戦後は、日本特有のクリスマスケーキが誕生したり、デパートでクリスマス商戦が繰り広げられるなどして、日本のクリスマス文化が展開していきました。
もともとはキリスト教の祈りや感謝の時間であったクリスマスのはずですが、日本では商戦としての意味合いが強いように感じます。
また「恋人はサンタクロース」(1980年・松任谷由実)を1982年に松田聖子がカバーしたことにより、クリスマスプレゼントは子どもだけでなく、恋人へ贈るものという新しい流れが生まれ、宗教的な意味より、恋人達の一大イベントへ変化していったという推測もあります。
わたしは20代のころ、クリスマスは一人でいたら孤独、恋人や友人と過ごさなければ、寂しい人というレッテルを貼られるという感覚を持っていました。
「クリぼっち」という言葉も過去には流行ったこともありましたね。
これは、日本でクリスマス文化が広まってきた歴史や背景ゆえの感覚だったのかもしれません。
もしそうであれば、だれと過ごそうが、どのように過ごそうが、一人であっても、日常と変わらないように過ごしても、まったく問題ないなと思えてきます。
フィンランドのクリスマスの過ごし方とは?
それでは、フィンランドのクリスマスはどのような過ごし方なのか。
フィンランドで日本語講師をされていた「たにしきあやこ」さん(現在はフィンランド語講師)にお話を伺いました。
私はヘルシンキのような街にはいなくて、ラハティの森の中でクリスマスを迎えました。
それはそれは静かなクリスマスで、12月の頭を過ぎたら、ホストファザーが森にもみの木を伐採しに行き、クリスマスツリーにして飾りつけを始めます。
(伐採は数本なら許可されていると思います)
クリスマスカードが親戚や友達から届き始めるので(切手もクリスマス限定切手になる)それをツリー下に置いたりしてワクワク感を楽しみます。
子どもがいる家庭はクリスマス前日にプレゼントをツリー下に置き、サンタから届いたプレゼントの開封を楽しみます。
クリスマス料理のメインは豚のハム、付け合わせに人参グラタン。シナモン・カルダモンなどのスパイスを効かせたホットワイン「グロッギ]」、星型のパイ生地の中央にプルーンジャムをのせた「ヨウルトルットゥ」や「ジンジャークッキー」を1週間ぐらい食べ続けます。
とにかく地方も街中もクリスマス当日はキャンドルに火を灯し、家族で静かにお祝いします。
イルミネーションが華々しいのは都会の一部で、森の中に住む戸建てのお家はむしろ灯りは落として、静かに深々と降る雪を見ながらお祝いするイメージです。
このように教えていただきました。
雪が降り積もる静かな景色の中、家族とあたたかなクリスマスを過ごす情景が目の前に浮かぶようでした。
また、日本に来られていたフィンランドの方にお話を伺ったときは、家族と一緒に真夜中のクリスマスミサに出かける習慣があると聞きました。
また、真夜中のミサに行く子どもの気持ちを歌ったクリスマス曲もあると教えてもらいました。
フィンランドのクリスマスの過ごし方を聞き、少し昔(わたしが子どもだった昭和の終わりごろ)の日本の年末やお正月のようだと感じ、懐かしさを覚えました。
祖父の作ったしめ縄を家中に飾り、大晦日は家族そろって年越しそばを食べ、除夜の鐘をつきにいく。お正月はお年玉をもらったり、祖母や母が作ったおせちをしばらくの間食べ続ける。そして近所の神社へ初詣へ行く。
このような日本のお正月の過ごし方と、フィンランドのクリスマスにはなんだか共通点を感じます。
わたしが過ごしたいクリスマスの一日
日本とフィンランドのクリスマスを比較してみましたが、どちらが良いか悪いかの話ではなく、わたし自身はどのように過ごしているかを考えてみました。
今は子どもがまだ幼いので、サンタさんからのプレゼントを用意して家族で過ごす時間にしています。
また、今年は子どもからのリクエストがあり、クリスマスケーキを一緒に作ったり、もらったプレゼントでゆっくりと一緒に遊ぶ約束をしました。
このような過ごし方をしますが、改めて考えてみたところ、ここにプラスしたいことが出てきました。
私の家族はキリスト教徒ではないので、ミサに出かけたりはしませんが、子どもの頃にすごしたお正月のように、どこか遠くへ出かけたり、特別なことをしなくても、まさに今ここで家族で平和に暮らせていることへの感謝を感じてみます。
そしてそれを家族や自分自身へも伝える日にしてみようと思います。
普段から伝えられるといいのですが、ちょっぴり照れくさいのでこの機会に。
クリスマスだけではない日々の過ごし方とは
今回は日本やフィンランドのクリスマスをピックアップして、その過ごし方を問いかけてみましたが「自分自身がどのように過ごしたいか」と考えてみることは、日々の暮らしにも反映できることだと思っています。
・華やかで、ワクワクすることがいっぱいの日々を過ごしたい
・穏やかで落ち着いた静かな日々を過ごしたい
・華やかさもあるし、落ち着きもあるバランスいい日々を過ごしたい
・家族や友人に囲まれた賑やかな日々がいい
・人数は多くなくても、深く付き合える大切な人と日々を分かち合いたい
などなど、百人百様の考え方があると思います。
あなたはどんなクリスマスの1日を過ごしたいですか?誰と一緒に何を感じる時間にしたいですか?
この問いかけを残したいと思います。
このような過ごし方を考える時間も、自分自身を見つめて、幸せに生きるための大切なひと時になります。
この機会にぜひ一度考えてみてくださいね。
Text by 丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)