こんにちは!いけかよです。
去る2025年7月18〜21日の4日間、飛騨高山で「対話的な場の作り方合宿」が行われました。
エラマプロジェクトでは初の試みとなる「対話」をテーマにしたプログラムです。
エラマプロジェクトにおいて「対話」というのは切っても切り離せない、とても重要なツールなのですが、それを扱うのにはそれなりの覚悟と勇気が必要でした。
そして実際に行われた合宿は、その覚悟と勇気が試され、結実した場でもありました。
今回はその合宿のレポートとともに、わたしが改めて「対話」について感じたことをお伝えしてみたいと思います。
プロフェッショナルたちによるさまざまなアプローチ
今回の対話合宿のコンテンツはざっくりとこんなかんじでした。
●フィンランド式対話についての理論
●「哲学バー」についての話し
●積極的傾聴
●コミュニケーションにおいて気をつけたいポイント(さまざまな心理学的アプローチからのナレッジ)
●対話の実践
●「聴く」とはどういうことか
●自己対話
●植物に触れ、対話する
●コンセプチュアルなディナー
フィンランドは「オープンダイアローグ」発祥の地です。
オープンダイアローグという言葉もそれなりに知られてきた感もありますが、そもそも何なのかというと、精神科医療における対話療法の一種。つまり、医療や治療のために用いられていたんですね。しかし、患者と主治医だけではなく、家族、医療スタッフなどが集まって対話することで問題解決を図るというアプローチです。「閉じた会話」ではなく文字通り「開かれた対話」ということですね。
このような手法が生まれるフィンランドという国は、対話において「先進国」と言えるかもしれません。
そのオープンダイアローグ手法の理論をベースにした侑美さんからの講義と、インタビューライターや哲学バーでの場作り経験をもとにしたわたしのナレッジとが、今回のプログラムの柱になっています。
参加してくださったのは、医療関係の方や企業での総務担当の方など、バックグラウンドはさまざまな4名の方でした。
侑美さんが参加者ひとりひとりにまっさらのノートを提供。みなさんは自由にメモをとりながらすべてのワークを味わっていきます。
「対話とはなんぞや?」を、侑美さんとわたしそれぞれの、さまざまな観点からの捉え方をしっかりと共有させていただきました。
対話は人間とだけするものではない
エラマプロジェクトだからこそできた今回のプログラムのスペシャル企画は、お店を持たないシェフ、Earth to tableの河野美沙さんによるスペシャルな毎日の朝食&ディナーと、植物のスペシャリスト、アルプガーデンの内方智香子さんによるお話と植物アレンジ体験。
この2人のプロフェッショナルについてもお伝えさせてください。
まずは一人目、美沙さん。
もちろん、3泊4日の合宿で、食事が楽しみなのは当然!
ですが、この食事からも、さまざまな「対話」を味わっていただきたいという意図がありました。
食事って、ただカロリーを摂取するだけのものではありませんよね。目で見て、匂いにそそられて、そして味わう。これこそ対話そのものだと思いませんか?
それを、想いとストーリーをもって提供してくれる美沙さんのお料理は、やっぱりスペシャルなんです。
このお料理と美沙さんの語るそれぞれの食材の物語が、どれだけわたしたちをほぐし、癒やし、満たしてくれたかは想像に難くないでしょう?
作ってくれるお料理の素材すべてがエネルギーに満ちているのです。まさに、愛をもってつくってくださっているからこその味わいでした。
そしてもうひとりのプロフェッショナル、智香子さん。
最初にご自身のこれまでの道のりを、じっくり語ってくださいました。
わたしはインタビューという仕事を経験していることから、つねづね「人の心を動かすのは人の生きざま」だと思っています。それをあざやかに示してくれた瞬間でした。
ここまで、ご自身の言葉で飾らずにみずからの人生を語れる人はそういません。
智香子さんのお話は決してジェットコースターのような展開ではありません。それでも、人生に真摯に向き合って来た人だからこその「本気」が、わたしたちの心を揺さぶるのです。
そしてその後は智香子さんのレクチャーのもと、植物アレンジ体験です。
こんなふうに「対話」というテーマを通じて、さまざまな「プロの仕事」にも触れた日々だったのです。
それはわたしたちの五感と心を揺らし、それによってさらに対話が深まる…。
手前味噌ながら、完璧な場をご提供できたと自負しています。
対話の場は「あり方」がつくる
今回わたしが意識したのは「実践」でした。
「対話」とはその人の「あり方」であり「行動」です。それは、知識のインプットだけで身につくわけでは当然ありませんし、一朝一夕で習得できるものでもありません。
実際対話をする場において「失敗」はつきもの。勝手な誤解やちょっとした態度で傷ついたり傷つけたり、わたしたちはなかなかにやっかいで、気忙しい。
その「失敗」が、その後の関係性に大きな傷を残すこともあるでしょう。
また、相手としっかり通じ合えたと感じたとしても、相手の心の中を正確に理解することはできません。
そんな危険性をはらんでいるのも「対話」。
だからこそ、「対話」を実践してその難しさを体感し、失敗してもらいたい。そんな気持ちもありました。
この対話合宿という場は、失敗が許される場だからです。
そうやってわたしもたくさん失敗をしてきたからです。
そしてナウ今も失敗し、自己嫌悪になったり人を恨んだりの繰り返しです。
そんな自分が情けなくて嫌で泣けてくることもあります。
それでも、対話をやめることができない。
他者とも、そして何より自分とも。
わたしが、そしてもちろん侑美さんが今回意識したもうひとつの要素こそが「自分との対話」です。
これこそが、エラマプロジェクトが伝え続けていることの根幹にあるもの。
わたしたちは、自分としっかり対話をすることで世界に目を向けることができます。
自分が何を感じているか。
自分は何を求めているか。
自分は世界をどう見ているか。
これらをしっかりと捕まえることができたとき、自分の「あり方」が定まります。
その「あり方」が、対話の場をつくるんです。
なぜなら、自分との対話をすることで生まれてくるのが「自分の言葉」だからです。
対話は、言葉だけでなされるものではありません。会話のない対話も、対話のあり方です。
しかし、言葉は重要な道具のひとつであることは間違いありません。
あなたはだれかと話しをしていて「この人、自分の言葉で喋ってないな」とか「本音じゃないな」と感じたことはありませんか?
わたしはそういう違和感を覚える言葉を「借り物の言葉」と表現しますが、借り物の言葉だとどうしても対話にはつながりにくいように感じます。
もちろん、それがだめだというわけではありません。どんな言葉を選ぼうともそれは自由だし、自分の言葉を持てないときだってあるからです。
しかし、「あれはまさに対話だった」と感じられる瞬間は、借り物の言葉では生み出されない気がします。
双方の心のひだに触れ、生身の「その人味(み)」を感じられてこその対話であり、だからこそ「どう在るか」によって対話の場はつくられるんですね。
わたしたちは対話をせずにはいられない
結局対話とは何なのか?
今回の対話合宿を終えて感じたのは、根底からテーマを覆すようなこの大きな「?」でした。
なぜこうも「対話」することは難しいのか。
「対話」を扱うことは難しいのか。
わたしは、それは対話が「呼吸」と同じようなものだからなのではないか、と思うのです。
わたしたちは呼吸しなければ生きていけません。そういう機能の生き物ですね。
対話も、呼吸と同じレベルのものなのではないかと思うのです。
呼吸って、あたりまえすぎて、必須すぎて、「なぜわたしたちは呼吸するのか」なんて、問えないと思いませんか?
いけかよは、対話は呼吸と同レベルで、人間には生きていく上で必須のものだと思うのです。
ていうか、対話とは「あり方」だと先に言いました。
それはつまり、人間が存在しているだけで生まれてしまうのが対話だということを意味します。だとしたら人間が2人以上いるときに「話さない」「心を開かない」というのも、対話のあり方だと思うのです。
それがポジティブかネガティブかは関係ありません。
なぜなら、いけかよは対話とは「空気を共有すること」だと思うからです。
否が応でも、リアルでもオンラインだったとしても、お互いの持つ「空気」は触れ合ってしまいます。
そこで生まれる化学反応的なものは、意図して操れるものではありませんよね。
(それができる人が詐欺師とか教祖とかカリスマとか、そういう存在なのかも)
もちろん、前述したようにオープンダイアローグのような明確な意図のもと行われる場合には、ぞれぞれの合意の上で積極的かつ誠実な姿勢が求められるでしょう。
しかし、日常で繰り広げられているコミュニケーションのうち、何%がポジティブで意味のあるものか?
わたしたちは、まるで息をするように対話をしているのではないか。
そもそも、人間という生き物は、そういうものなのではないか。
呼吸だって、たまにしづらいときがあります。
何かに集中しているときは無意識に息が止まっていることもあります。
逆に、しっかり深い呼吸を意図してすることもできます。
これってまるで対話のようだと思いませんか?
たまにはとっつきにくい人がいる。
何かに集中したいときには外界をシャットアウトしたいこともある。
でも、しっかりリラックスして相手に心を開いて愛を持って接することもできる。
対話とは、わたしたちに標準装備であり、せずには生きられないからこそ、扱いが難しく、考えてもなかなか答えが出づらいものだと思ったのです。
「呼吸のプロ」なんてきいたことありません。
だからきっと「対話のプロ」なんていう人も、存在しないと思うのです。
なぜなら対話は人間が生きるために必要な「道具」「機能」のひとつだからです。
でも、しんどいときでも深い呼吸をして心を整えるというティップスがあるように、少しコツを知っていればよりよい対話を、他者とも、自分ともすることができるのではないか、と思うのです。
そのために、エラマプロジェクトではこのなかなかに捉えどころのない「対話」をこれからもしつこく追いかけていきたいと思っています。
それが、自分と、世界と、仲良くするための道具だと信じているからです。
このプログラムは、次の開催も予定しています。
気になる方はぜひ、エラマプロジェクトのホームページやFacebook、instagramをフォローしてお待ち下さいね。
では、また!
Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)


