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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】自分にとっての幸せは「嫌だ!」からはじまる。いまわたしたちが目指すのは「彫刻的幸せ」

こんにちは!いけかよです。

みなさん、日々ご機嫌に過ごしていますか?

かくいういけかよは、最近けっこうイラッとしています。やってらんねー、と思うことが増えています。

というのも、少し前に新しく受注したお仕事が(いけかよはフリーランスです)、思っていた以上に手がかかり、時間もかかり、結果的に相手とのコミュニケーションに違和感を抱き、やたらとエネルギーが奪われ、こんなフィーじゃやってらんねー(ゲボという状態に陥っているから。

いきなり暴言でごめんなさい!

今回の記事でグチり倒したいわけでは、もちろんありません。

この(ゲボ状態、いけかよは陥ってよかったと思っているんです。

今回は、そんな「お仕事における幸せ」をきっかけに、自分にとっての幸せの輪郭をまたひとつ発見した、というお話。

「嫌や」の気持ち、ありがとう

フリーランスにとって、いきなりお仕事がなくなることはよくあることです。でも、それがあるからこそ新しいことにチャレンジすることができるとも言えます。

しかし、働かなければ生活ができませんから、お仕事が減ったときには新たなお仕事をいろいろ掴みにいくわけですが、会社員のときも含め、20年も社会人をやっていますと「こういうのが自分の強み」「こういう仕事がやりたい」「こういうことはやりたくない」というある程度のものさしはできてくるわけです。

これまでなんどもなんども心身を病みながら仕事をしてきた賜物です。

よって、フリーランスになって「無理ですごめんなさい」と簡単には言いにくくなったことと、仕事内容も働き方も多様になったことで、より真剣に、細かく「自分が本当にやりたくて、かつ、無理しないで続けられる仕事ってどんなことだろう?」と、さまざまな条件からお仕事を吟味するようになりました。

そのへんの考察は、こちらの記事にまとめましたのでよろしければご一読ください。

水が合えば稼げる。働くためにわたしたちが投資する「資本」のマネジメント

そして、その結果ゲットしたこの新しい仕事、少し前に経済的にも心理的にも余裕がなくなってきた頃にやっと掴んだ案件でした。

もちろんほっとしましたし、最初はとても評価していただき、とてもありがたかったのですが、始めて2ヶ月も経った頃にはすでに冒頭のように「うざい、やめたい」となっていました(笑)。

なぜか?

「こういうのは嫌や」と思えたからです。

は?とお思いでしょうか。

もっと詳しく言うならば「『こういうのは嫌や』と思っている自分をはっきりと認めることができた」ということです。

自分のなかの「嫌だ」という感情をしっかりと感じ、認め、自覚したのです。

何言ってるかわからないとお思いでしょうか。

でも、いけかよにとってこれはけっこう大きな変化だなと感じています。

なぜなら、いけかよは元来わりと生真面目で我慢しがちで自己犠牲的な性格であったため、嫌だな、と感じることがあってもそれをねじ伏せて無理してがんばってしまう癖があったからなのです。

その仕事がしんどいとか、相手が苦手だなと思うこと、ネガティブ感情を認めてしまうことがいけかよはすごく怖かったんです。その「嫌だ」「うぜー」という気持ちがどんどん増幅していきそうで。

「『嫌だ』なんて思っちゃいけない」

「『こいつウゼー』なんて思っちゃいけない」

「『しんどい』なんて今だけ、気のせい」

こんな気持ちで心身に鞭打っていれば、そりゃ病むよね、というかんじでしょう?

なので、前述のように、なんどもなんども心身を病みながら仕事をすることになったわけです。

でも、わりとこんなふうに自分のなかのいわゆるネガティブ感情に蓋をする癖がついている人は多いんじゃないでしょうか。

こと、仕事やパートナーシップなど、自分の生活の根幹を成すものならなおさらです。

でも、実際は逆なんですね。

ちゃんとその感情をしっかり感じきってあげること、それこそが楽になることへの第一歩なのです。

ミケランジェロもロダンも言ってる

いけかよは、幸せって彫刻みたいなものかも知れない、と思うのです。

彫刻って、いきなり完成形がそこにあるのではなくて、1つの木片や石を削っていって、なんどもなんども削って、いろんな面から整形していく。そしてある時「やった!完成!」って思ってもそれは全体像の一部に過ぎず、また別の角度からみればまだまだ彫る余地はあって、そっちを彫ったら違う美しいラインが現れて…、という作業の繰り返しが、彫刻という芸術なのではと、想像します。

絵画と違うのは、彫刻はいらない部分を「削っていく」ものであること。絵画のように、絵の具を「塗り重ねる」ものではないのです。

これを人間に置き換えるなら、自分にとって不要なものを削っていくということですね。

そう、「嫌だな」という部分です。

人生において「嫌だな」と思うことを削っていくこと、これが幸せの第一歩なのだといけかよは思うのです。

そのためには、「嫌だな」という気持ちと事象をきっちり受け止めなければならない。彫刻家も、コンマ一秒の世界で不要だと判断した部分がわかったからこそ削っているはずなのですから。

かつてのいけかよは、これができなかったので、なかなか楽になれなかったんですね。

でも、いまは「嫌だ」を昔よりクリアにしっかり受け止めることができます。感じてはいけない感情なんてないのだと知ったからです。

そして、それをしっかり受け止めることで、「じゃあこいつを手放そう」と思うことができるようになったのです。

彫刻の巨匠たちは、異口同音に以下のような言葉を残しています。

どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ。ミケランジェロ

芸術作品はすでに大理石の塊の中にある。
わたしはただ必要のないものを切り落とすだけなのです。
ロダン

これ、「石の塊」を「人間」に、「彫像」「芸術作品」を「幸せ」に言い換えてみるとどうでしょう?

そしてそれを完成させるのはほかでもない彫刻家=自分なんですよね。

生まれてきてからウン十年の間に、いろんなよけいなものを背負い込んでしまったわたしたちは、本来の美しい姿を石の塊のなかに埋め込まれてしまったとも言えるかもしれません。それは、欲とか不安とか世間体とか嫉妬とかの、「エゴ」と言われるもの。もし今、生きづらいとか幸せってなんなのかがわからなくなっている人はきっと、取り急ぎ「削る」作業が必要なのです。

そのためには、しっかりネガティブな気持ちを受けとめ、何が嫌なのかを見極めなければいけません。

削るべき箇所がわからなければ、どんな天才彫刻家も削ることができないからです。

「ウェルビーイング」は彫刻的幸せから考えるとしっくりくる

わたしたちは、いまの自分になにかをプラスすること=絵画的な、塗り重ねることでの幸せを求めがちだけど、それよりも先に必要なのって彫刻的な幸せ=いらないものを削ぎ落としたニュートラルな自分になること、だと思うのです。

絵画的な幸せは、資本主義と親和性が高いかもしれませんね。「もっとこれがあれば幸せになれるのに!」という欲望を刺激される渇望は、潤された瞬間に虚しいものになることが割とあるというのは、このコラムを読んでくださっているあなたであればすんなり腑に落ちてくださるはずです。

(絵画という芸術をディスって彫刻という芸術を賛美しているわけではないですよ、念のため!ここではあくまで比喩表現。いけかよはどっちも大好きです)

いっぽう、昨今叫ばれている「ウェルビーイング」は、彫刻的な幸せに近いと言えます。自分にとって大切なものはなにか?そしてそれのバランスは取れているか?ということがその理論の根幹だからです。

仕事、お金、パートナーシップ、健康、時間…。人間に必要なものはさまざまあれど、どれかが過剰に多くても少なくても人間は病みます。いみじくも、彫刻がきちんとバランスをとってつくられていなければ倒れてしまうことと同じですね。

でも、いまこの「ウェルビーイング」がなんだかよくわからないと思っている人が多い理由は、絵画的な幸せを求める価値観に染まりすぎているからなのかも、といけかよは思うのです。

それは、さまざまな人がいらっしゃることは大前提ですが、これだけ物質的に恵まれていて、今日明日に殺される恐怖もなく、かつ思い切り資本主義の日本では、「なにがあれば幸せになれるのか」という思考になるのも無理はありませんよね。

でも、そうじゃなくて、いまよけいなものを背負いすぎているわたしたちは、視点を変えて彫刻的な幸せを考えてもいいと思うのです。つまり「なにを捨てれば幸せになれるのか」です。

それは、イラッとする会社の上司との関係性かも知れないし、ファンデーションかもしれないし、まったくペイできてないサブスクかもしれないし、楽しくないのに断る言い訳が見つからなくて仕方なく参加する飲み会かもしれないし、義務感にかられてイヤイヤやっている家事かもしれない。

これらの「嫌だ」と思うことを削ることで、自分のより本質的な幸せを発見することができると思うのです。上塗りする絵画的な幸せはその後からでいい。

しかも、素敵なのはこの彫刻的な幸せも変わっていくこと。「見つけた!これが最高のフォルム!」と思っても、いつしかあれ?と違和感が芽生えて、またそこを削り直していくかも知れないのです。

人生において幸せというものが1つの側面だけではないのと同じで、彫刻もいろんな部位があってバランスを保たれて最高傑作になっていく。その途中は、腕はできた、でも足がまだ…、足できた!と思ったら、その足は頭とのバランスが違う気がする…、など、試行錯誤の繰り返し。

人間の幸せで例えたら、「完成!」っていうときはもしかしたらもうこの世にいないかもしれないのですが、どれだけバランスが悪かろうとも、完成から程遠くても、懸命に美しい形をつくろうと試行錯誤すること、それこそが「生きる」ということなんじゃないかと、いけかよは思うのです。

2024年は宿題をがんばる

というわけで、冒頭の話にもどると、いけかよは「うわー。嫌や」と思えたことで、削りたい部分がわかったんですよね。それがすなわち「自分の幸せの輪郭が少し見えた」ということなんです。

まだそのお仕事を完全に手放したわけではないのですが、「嫌や」という感情、そして何が嫌なのかを、しっかり自分と向き合って特定&言語化中です。

そういう意味でいうと、ネガティブな気持ちを与えてくれたこの案件には感謝です。それがわからなければ、自分にとっての幸せには近づけないのだから。

そして同時に、「嫌やな」と思う部分をどうすれば避けながらタスクをこなせるか、ということも考えていける。

つまり、日々、疲れはてていたりモヤモヤしたりイライラすることは実は幸せに近づくためのチャンスなのです。

しかしいかんせん、わたしたちはそういった感情を扱うことが苦手です。つい「臭いものに蓋」戦法や「あいつが悪い」戦法を使いがち。ときには「自分が悪い」戦法も…。

問題はさまざまなので、何が原因なのかはケースバイケース。でも、明らかなのはそのネガティブ感情があなたのなかから湧き出ているということ。

それに向き合うために、このメディアの運営母体であるエラマプロジェクトは日々お仕事をがんばっているあなたに、ご自身の感情と向き合うためのプログラムをご用意しています。

【2024年2月開講】フィンランド式ウェルビーイングコース〜働き方&休み方を描く〜

今年こそはもっと幸せに働きたい!と思われる方は、ぜひご参加くださいね。

お仕事だけでなく、家事や育児、その他のなんらかの「義務」を背負っている人にはヒントになるポイントがたくさんあるはずです。

2024年は、冒頭からおおきな宿題をわたしたち日本人は突きつけられたなぁと感じることがあります。

でも、これも彫刻的幸せ理論で考えることにしました。

「不幸は、自分ではどうしようもないことをどうにかしようとすることから始まる」という主旨のことを、なにかの本で読んだんですよね。ほんとうにその通りだと思うんです。

いろんな出来事に苦しくなったり怒ったり落ち込んだりしていませんか?

災害だけでなく、プライベートなことでも重みは同様です。

まずは、その感情をしっかり味わって受け止めましょう。

そしてその次に考えるべきは、その問題は、あなたがどうにかできることでしょうか?あなたがどうにかすべきでしょうか?

ここで「自分にはどうにもできない」と認めることは逃げではありません。

「自分にはどうにもできない」とわかったら、それは手放しましょう。

そのうえでしっかりと、何がつらいのか?何に怒っているのか?を見つめてください。そして、できればそれを自分から削ぎ落としていきましょう。

この「削ぎ落とす」ことは、わたしたちが自分自身でどうにかできることですよね。

それができてはじめて、あなたがほんとうにすべきこと=「自分の幸せ」を見つけることのスタート地点に立てるんです。

でも、できないなら無理にする必要もないと思うのです。完璧な美しさの彫刻を築き上げることではなく、それを目指すプロセスこそが美しいといけかよは思うから。

そして、ひとりひとりが余計なものを削ぎ落としながら自分の幸せを見つけていくこと、それこそが、わたしたちに課された「宿題」だと思うのです。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)