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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】「自分にとっての幸せとはなにか」と考えることは幸せか?

こんにちは!いけかよです。

毎度毎度?言いますが、このメディアの運営母体である「エラマプロジェクト」は、フィンランドの価値観や生活習慣をベースに、日本独特の文化や価値観もおりまぜつつ「豊かで幸せな生き方をデザインする場」として、「フィンランドの人たちが実践している生き方デザインをベースに、豊かで幸せな生き方を描く習慣の流布」をミッションとしています

なので、エラマプロジェクトが「幸せとはこういうもの」という定義をすることはしないのですが、いろんなイベントやワークショップにご参加いただく方たちには「自分にとっての幸せとはなにか?」と考えるきっかけをご提供することはままあります。

そこで、実際このエラマプロジェクトの運営側にありながらも「自分にとっての幸せとは」と考えることにふと難しさと違和感を感じてしまったことがあったので、今回あえてそれを書いてみようと思ってしまいました。

「なにか」がなければ得られない幸せって幸せなのか?

「自分にとっての幸せはコレ!」と言えることってとても重要なことだと思います。

なぜなら、わたしたちはいとも簡単に仕事や家事やなんらかの「やらなければならないこと」に巻き込まれて、自分の人生の舵を奪われてしまうからです。めちゃめちゃ忙しい時、心がざわざわする時、落ち着かない時、イライラする時、意味もなく泣きそうな時。そんなときにわたしたちには、本来の心地いい自分を取り戻すための時間が必要で、そのときにする「なにか」を「自分にとっての幸せ」として決めておく。これはひとつのライフハックです。「朝起きたらまず歯を磨いて白湯を飲むと決めている」レベルのライフハックです。

だからそれは調子が悪くなったときに「どうしよう…(オロオロ」みたいにならないために決めておく、というかんじ。

しかし同時に、いけかよはそれの難しさを感じてしまいました。

エラマプロジェクトに関わるようになって、「自分にとっての幸せ」とか「幸せな状態とは?」とかをよく考えるようになりました。

そして、最初の頃はわりとあんまり考えなくてもそれを言えたんです。

「なんにも予定のない休日に午前中からベランダで酒を飲んでるとき」

「なんにも予定のない休日に午前中から酒を飲みながら音楽ガンガン流して掃除してるとき」

「プロジェクト終わって仲間と乾杯してるとき」

「仕事終わりに一人でプハ〜って飲んでるとき」

「サイ●リヤとかで飲みながら本読んでるとき」

…とまあ、なんしか「飲む」絡みの結果ばかりが自分からははじき出されてきたのです。

で、他のみなさんのそれをシェアしていただいたとき、もちろんお酒をピックされる方もいらしたのですが

「コーヒーを飲んでほっとひといきついているとき」

「近くの公園を散歩しているとき」

「大好きなペットを愛でているとき」

「大好きな阪神戦を見てるとき」

えっ…!みんな飲まなくても大丈夫なの…!?

恥を承知で言いますが、いけかよのなかには「自分にとっての幸せ=マイタイム=酒を飲んで緩む」という方程式しかなかったことに気づいたのです。

うーん。これはやはりなにかが違う気がする。

そもそも「酒」という「なにか」がなければ得られない幸せって、幸せなのか?

それってもう立派な「アル中」やないか!!

それって「あなた」という「誰か」がおらんと幸せになられへん依存体質女やないか!!

ほんらいあたしらは誰かや何かがなくっても幸せになられへんかったらオカシイやないか!!

誰かや何かがなければ幸せになれないっていうのはそれつまり不幸やないか!!!!!

と思った時、「じゃああたしにとっての幸せってなんなんやろう…」と考え込んでしまったのです。

幸せってそんな難しいことじゃないはず

そして、そうやって考え込んでいるときにまたふと我に返ってしまいました。

「『自分にとっての幸せとはなんなのか』と考えている今この瞬間は果たして幸せなのか…?」と。

きっと「楽しいことを考えてるんだから幸せに決まってんじゃん!!」と思われる方もおられましょう。

しかしいけかよは、シンプルなことを難しく考えてしまう癖(ヘキ)ゆえに、まるでロダンの彫刻のごとく考え込んでしまったのです。そう、ロダン「考える人」です。ロダン的な感じになったらもうぜったい幸せじゃないじゃないですか。

なんだか幸せがものすごく難しいことのように感じてしまう。

ウンウンうなっても答えは出ず、ちょっと苦しい。まるでトイレで(自主規制)

でもなんらかのコレ!という答えは出したい…!スッキリしたい…!まさにトイレで(自主規制Part2)

ここまで考えてしまうと、完全に「幸せな状態」は明後日の方向です。

でもでも、ぜったい幸せなんかそんな難しいことではないはずなのです。じゃないとわたしたちにとって「生きる」っていうこと自体がものすごく難しいっていうことになると思いませんか?

いや、生きることは苦しいよ、お釈迦様も生きることは苦に満ちていると言ってるじゃないかとお思いの方もおられましょう。

でも、呼吸するのってそんなに苦しいでしょうか?

ごはん食べるのってそんなに難しいでしょうか?

眠れない夜もあるかもしれないけど、多くの方はきっとそれなりに眠れていますよね?

水道水にはいろいろなんやかんやいろんな成分入ってるかもしれませんが、多くの国であればそれを飲んでも即死ぬことはありませんよね?

札束でケツを拭けるほどの富豪でないにしても、次の給料日までに暮らしていける見込みはあるんじゃないでしょうか?

今日もYouTubeで推しを見てときめいたりしたんじゃないでしょうか?

てか、そう考えたらめっちゃ幸せやん・・・・・!!!!!

そう、結局、いきついたのは、そもそも「わたしたちは幸せだった」ということなのです。

モヤモヤはサイン

念のため改めて言いますが、「自分にとっての幸せ」を、悩まずサクッとコレ!と言える人は、それでOKなんです。

ここで言及したいのは、いけかよのように「ウーン」となってしまった人に向けてね。

そんな人には、もし「自分にとっての幸せとは?」と考えて2秒以内で答えがでなければ、もう考えるのをやめましょう、と言いたい。

そして、そもそも「自分は幸せなのだ」と決めてかかっちゃいましょう、ということです。

「決めてかかっちゃいましょう」というか、前述の通り、そもそもだいたいのことは満たされているので、それって幸せ以外のなにものでもないじゃないですか。

「いやいや、今自分はパワハラ社長のもとで虐げられて苦しんでる!これのどこが幸せなんや!」とお思いの方もおられるかもしれません。

でもそれも「ここはあんたのおるところと違うで」というシグナルであるかもしれない。

「こういう経営はしたらダメ」という反面教師になるかもしれない。

「自分はこういうことに対して嫌だと思うんだ」ということを知る機会なのかもしれない。

2年後には「普通に『お前みたいなクズは●ね』とか言われる会社におってさ〜。やばない?あ、引く?ゴメンゴメン! けどまあ、いまはあの社長どうしてるんか知らんけどな!俺の売上●千万くらいあってんけど、まー、俺レベルのタフなやつはそんなにおらんと思うしあんな会社潰れるんも時間の問題かな!ガハハ!」と、小気味良いエピソードトークに昇華させてコンパでちょっとウケているかもしれない。そしてそのトークにウケてくれた子とラブラブしているかもしれない。

そう思うと、それに気づいて自分自身の見方と行動を変えればあなたはきっともっとちゃんと「幸せ」に近づく。そのための「サイン」が目の前の「不幸」なのだとしたら、それってつまりは「幸福」であるということ。

そう、モヤモヤすることっていうのは「サイン」なんです。「幸福」への鍵です。

現実で起きることというのは、わかりやすくハッピーなものもあれば逆にわかりやすく傷ついたり悲しんだりするものもあります。

そういうとき、良くも悪くもわたしたちは反応して心はゆれうごきます。そして、それを「良い/悪い」とジャッジしようとします。

でも、前述のパワハラ社長のもとで働いていたエピソードに照らし合わせるならば、そのままその状況に甘んじて苦しみ続ける道もあれば、新たな気づきを得て次なる進路を選ぶという方向もある。つまりは起きた出来事をどのように判断するか、ということなんですよね。

「このせいで自分は不幸」と思うか、「ここから自分は何を学ぶべきか」と思うか。

でも、その思考って、難しいこともあると思います。辛いと感じるのに「幸せだ」と思いこむことには無理があります。

やっぱり自分にとって都合のいいこと=幸せ、そうでないこと=不幸、とジャッジしてしまいやすい。

だから、いけかよは、自分に起きる出来事はすべてベストなことがベストなタイミングで起きている、と思っています。もちろん、それでも、あまりにもキツイときはそれを受け入れられないときもあります。でも、それでいいと思っています。時間が経ってから、あとで「あれがなければ今の自分はないな」「あれがあってよかった」と思えればいいと。

そう思うと「自分にとって幸せとは…?」と考えて、2秒以内に答えが出なければもうその「ウーン」とモヤモヤしている時間が決して幸せとはいえないので、つまりはいずれにしてもわたしたちが経験することはすべてが「ベスト」なのだから、もう考えるのやめましょ、OK!ということ。

自分にとっての幸せなんて、定義できてもできなくても、わたしたちは基本的には幸せなんです。

「幸せ」という言葉に違和感があるならば、「とにかくこの世界は自分にとってベストなことがベストなタイミングで起きるようになっている」と思ってみてください。

いけかよは、これまでの人生を振り返った時にだいたいそれで納得がいくのです。

無理やり「自分はハッピーだ」と思い込もうとしているわけではありません。しんどいこともあったけど、でもあれがなければ成長できなかったなとか、二度と戻りたくはないけどあのときの経験があるから今すごく気楽に生きれているなとか。

もちろん時間をかけて納得していったこともあります。

でも、それが「人間」をやっていることの醍醐味なんじゃないかなぁとも思うのです。

自分の意識で世界の見方は変えられるから。それを「成長」というのかもしれないからね。

と、ここまでわたしのひとり妄想トークをお届けしましたが、こういう思考ってひとりでウンウンうなりながらやらなければいけないわけではありません。ていうかそれはやっぱりしんどいです。

エラマプロジェクトでは、こういった思考を「対話」を通じてみなさんとシェアしていく場をたくさんご用意しています。

ここでいう「対話」はもちろん他者とのものを含みますが、それだけじゃなくてそれを通じて自分自身との対話を深めていただくということも目指しているのです。

自分の思いや気持ちを言葉にすることによって、思いもよらない反応を他者から得られたり、自分自身の考えに改めてはっとさせられたり。

そこにはいわゆる「アハ体験」的なものもあるけれど、静かに、でも確かになにかがあなたのなかにうごめいている。そんな経験をしていただけると思っているのです。

エラマプロジェクトのイベントやワークショップはこちらからどうぞ!

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)

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