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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】人は何のために学ぶのだろう?リスキリングを求められる時代だからこそ大切にしたい学びの本質

こんにちは、あいすかです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

ここ最近、海外旅行へ行かれる方々も増えてきていますね。このようなカタチでの通常モード、リアルを大切にする生活が戻ってきているように感じています。

エラマプロジェクト代表の石原侑美さんも、昨夏、3年ぶりにフィンランドへ視察に行かれていました。久しぶりのフィンランドでは、侑美さんご本人にとっても多くの収穫があったようです。

今年は全国でフィンランド滞在の報告会をされるそうなので、ぜひ、足を運んでみてくださいね。詳細はこちらです。

さて、今回は日本での【学び直し】について、みなさんと考えてみたくなり、お手紙にしてみました。

「産休中に学び直しを!」という、政治家の発言が注目されたのも、それはそれで時代なのかなとも想像できます。育休中って、休暇というより産婦の療養と新生児のお世話からはじまり、子育てという新規事業の環境を会社に戻るまで整える期間でもあると思うのです。決して、学び直しが悪いわけではなく、実際に産休中にリカレント教育をうけていた友人もいますし、子育て中に仕事を減らし、研究するために大学院へ行ったという人もいます。企業や大学でもサバティカル制度は存在するわけですから、学び直しはいつでもできるので、個人で決めたらいいのだと思います。

しかしなぜ、今回、この言葉が炎上したか。それは想像力の乏しさに尽きると思ったのです。自分が経験してこなかったことを口にする際は、より丁寧な説明と誠実さをもって発信しなければいけない、とわたしも学ばせていただきました。

そして、社会・文化の醸成は時間がかかる、ということも改めて痛感しました。

今回は、ちょっとした問題提起、みたいな感じになっているかもしれません。みなさんのご意見もいただけたらうれしいなと思います。

それでは、かあちゃんに少しお付き合いくださいませ。

 自発的な学び直し、社会のためのリスキリング

仕事をする際に最近よく耳にする言葉がリスキリングです。学び直し、と混同して使われたりもするのですが、そもそも学び直しとリスキリングは少し意味合いが異なります。

リスキリングとは‥・・

「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」で、主に企業の人材戦略の一環として言われる。今まではこうしたことは新規社員の採用で行ってきたが、近年日本でもリスキリングの重要性が叫ばれ、国や企業でもリスキリングの流れや取り組みが始まっている。

(引用元:後藤宗明『自分のスキルをアップデートし続けるリスキリング』) 

会社員でなくても、フリーランスであっても、働いている以上、どのような仕事についていてもリスキリングは必要であることは言うまでもありません。

要は、社会にでて仕事をするうえで、ありとあらゆるものがスピーディーに変化していく時代であり、それに伴い、個人の環境も絶えず変化していくだから、社会環境に適応できるよう、常に進化し、学んでいきなさい、ということだと理解しました。

では、学び直しとは?

もう一度学びたいという気持ちが、源泉のように湧き上がって行動になるような、そんなイメージがわたしの中にはあります。

たとえば戦時中、学校に通うことができなかった方々が、夜間中学校に通われてご卒業されていたりします。何らかの理由や事情で、学校へ行けなかった方が学びを再開されることこそ、自発的な学び直しです。

同世代で、元V6のイノッチこと、井ノ原快彦さんもそうです。彼は中学生の頃から芸能活動をしており、仕事が多忙になったことで進学した高校も中退されています。しかし、その後、27歳の時に通信制の高校に入り直し、ご卒業されています。

以前テレビ番組で話されていたのを思い出しました。

「高校のときは、歌やお芝居をもっとやりたくて、途中でやめてしまったけど、20代後半になり通信制(高校)に入りなおした。理由は今、勉強したいなと思ったから。仕事が終わって寝ないでレポート書いたり、10歳くらい下の友達ができたり、勉強することを楽しみました」

こう話すイノッチの顔はキラキラしていましたね。

学ぶということに対して貪欲である人こそ、学び直すのかもしれません。

そういう人たちにとって、学び直しは余暇ではありません。

リスキリングにしてもそうですが、他国の制度をまねてみたり、カタチだけ整えることをするより、学び直したい、と願う人たちにとって学びやすい環境を整えることのほうが、はるかに優しいと、わたしは思います。

大検という選択肢と学校へ通う意義

約20年前に、わたしは大学で、1歳年上の女性と友達になりました。浪人して入学する学生は沢山いたので、てっきり彼女も浪人生だったのだと思っていました。

知り合って半年くらいたった時に、彼女が高校を中退していたこと、大検を取り、大学受験をしていたことを知りました。

高校時代、病気で学校へ通えず、私立だったこともあり高校を中退したそうなのです。その後、独学で各教科を学び大検を取り、さらに1年かけて大学受験勉強をして大学に入学したと言うのです。彼女は同じ外国語学部のなかでも、英語のみならず新言語にもトライしていき、研究にも一生懸命に取り組んでいた姿が今でも思い出されます。

今振り返ると、彼女が真面目な性格だったというだけではなくて、ココロから嬉しそうだったんですよ。学ぶ環境にいること、友達と騒ぐこと、外国文化に触れること、外の世界をみること、毎日を楽しんでいたんだなぁと。

もう一人は、中学、高校と不登校を経験したママ友。彼女も大検をとって大学へ行きました。

高校生になり、このままだと中卒になってしまう、と考えたそう。その時に、大検を取れば専門学校や大学を受験することもできるので、その先の自分の道も広がるのではないか、と想い、自ら高校を辞めて大検対策に専念することを決めたそうです。

それまでの経緯は、彼女もご両親も心身ともに大変だったと思います。学校へ行かない、ということを選択したけれど、先の未来を見据えて、いま勉強する。自発的な学びではあるのですが、彼女は当時の自分自身について、また別の見方も指摘してくれました。

「私は学校へ行かない、という選択をしたけれど、もし我が子が自分と同じようにしたいと言ったら、大検を取れば大学へ行けるよ、と安易な勧め方はしないと思う。学校へ行くことによって学べた教科や、友人たちから受ける刺激といった偶発的に感受する学びを、思春期の私はしてこなかった。
いま、親になって感じることはあるの。大検は教科を選択できるから、興味のない物理や化学を私は選択しなかった。もし学校へ行ってたら、興味のない教科からでも何らかの学びや発見があったと思うし、それに関心をもっている人たちからも学ぶことがあったと思う。それを10代で経験できるのは、大人になって尊いと思う」と。

自発的な学びって、自己決定力や肯定感にもつながるだろうし、メリットも大きい。でも、興味がないと思っていることに対しても時間をかけて取り組む機会は、大人になると少なくなります。

そう思うと、子どもたちにとっては、学校での学びは大人たちが想像する以上に大切なのかもしれません。

(注)大検とは、平成16年度以前に使用されていた言葉で、大学入学資格検定の略です。それ以降は高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験)と称されています。高卒認定試験と大検の違いは、受験資格に全日制高等学校在籍者が認められるようになったこと。病欠などで、全日制学校の単位が足りない場合、高卒認定試験で合格した科目が、校長の判断により、学校の卒業単位に認められるようになった。(ウィキペディアを元に筆者作成)

学ぶこと、そして自立・自律するということ

以前、フィンランド在住の知人から次のようなお話を教えていただきました。

「フィンランドでは、18歳になったら親元から離れてひとり暮らしをするのよ。親からの仕送りはなく、ひとりで住むところを探し、自活していかなければならない。親は子どもが18歳になった時点で子どもの通帳の出し入れもできなくなる。子ども自身でお金の管理もしていかないといけないの。銀行でローンを組む子だっている。小さなころから、自立・自律するために義務教育が必要になってくるのよ」

最初に聞いたときは、なんてシビアなのだろうと思いました。しかし、フィンランドでは中学生になると、学校の授業でホームエコノミクスをきちんと学ぶそうです。あと数年で1人で暮らしていかなければならない、とわかっていたら、子どもたちも心の準備ができるでしょうし、そのために必要な知識は吸収したい。そうせざる負えない状況が義務教育のなかにあるのです。

日本では、高校卒業後も親の家から大学へ通っている学生はたくさんいます。いや、社会人になっても親元から職場へ通勤している人はいます。

さまざまな家庭の事情があるでしょうし、わたしの親友も結婚しても、近所の実家によく孫を連れて居座っています(笑)。決してそれが悪いこと、と否定しているわけではないのです。そういう風に生きてこれていることは、ある意味、幸せな面もあるのです。なにか困ったことがあっても、他人に迷惑をかけてはいけない。家族のなかで負担してやっていかないといけない。まだ制度としてはそういう風に社会ができあがっている。それが、いまの日本です。

金銭面の問題だけでなく、自宅から通えるのだから、なぜ家族が離れて暮らす必要があるのか、一緒に住めばいいじゃない。そういう発想になってしまうのも否定できません。

日本からみると、フィンランドは子どもに対して少し厳しすぎない?という意見のほうが多いかもしれません。

ただ、これから大人になる今の子どもたちは、このようなフィンランド同世代の考え方も知っておいた方が良い。

子どもたちに対して、まわりの大人たちがどのように接していくことが、いま、現在のわたしたちにとってベストなのか。それを考えるひとつのきっかけになれば、と思います。

まずは、大きなことではなく、半径3メートルのリアルを大切に、ちょっと先の未来を想像しながら、行動していきましょう。それこそが、学び直し、なのかもしれません。

また、ご意見ご感想などをいただけたら、うれしいです。

では、次のお手紙まで、みなさまお元気でお過ごしください。Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

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