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Elämäプロジェクト

note「よむエラマ」を更新しました。
今回の記事は、「オンラインBAR:哲学バー」タイトル特集の記念すべき第1回目です!

「哲学バー」とは、エラマプロジェクトが毎月開催する、誰でも参加できるオンラインの哲学対話の場。語りたい人はもちろん、聞き専もOK。好きな飲み物(もちろんお酒も)片手に自由なスタイルで参加し、ひとつのテーマについて2時間、参加者と共に掘り下げていきます。

今回はタイトル通り、『「意識高い」ってなに?「哲学バー」のテーマから、ひとり哲学バーしてみました』

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哲学バーをのぞいてみよう

11月の哲学バー、テーマは「”疑う”とはどういうことか?」。
普段自然に感じていることをあらためて哲学してみませんか。

■イベント詳細・申し込み

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今回の記事は、『フィンランドと和文化の絶妙なつながり〜自然、デザイン、サウナとお風呂〜』です。

エラマプロジェクトでは、2022年11月13日に岐阜県で「エラマ文化祭」を開催します。そのイベントテーマである「フィンランドと和文化のつながりを感じる」について深掘りしました。

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エラマ文化祭でお待ちしています!

初開催となる今回のテーマはズバリ「フィンランド × 和文化」。
フィンランドが好きな人はもちろん、日本文化に興味がある人にも、親子で楽しんでいただける内容になっています!

日時:2022年11月13日(日)10:00〜15:00
場所:ウッドフォーラム飛騨(岐阜県高山市)
料金:入場無料(プレミアムチケット販売あり)

<内容>
・日本のお香×フィンランドの森・瞑想ワークショップ
・フィンランドから来日するプンカハリュ日本大使との交流スペース
・伝統芸能・吟剣詩舞の若き師匠「見城星梅月」さんの舞のパフォーマンス
・哲学カフェ
・北欧雑貨のエラマショップ
・ラベンダーワークショップ
など多数

■イベント詳細・申し込み

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今回の記事は、『フィンランド生涯教育研究家の現地視察滞在レポート2022年夏[前編] 〜コロナ禍と世界情勢に影響を受けた3年間の変化〜 』です。

エラマプロジェクト代表の石原侑美(いしはら ゆみ)は、この夏50日間にわたってフィンランドに滞在しました。
前編では、フィンランドの街の最新の様子と、人々の生活についてお伝えします。

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リアルでの報告会も開催

10月8日(土)に東京の町田市で報告会をおこないます。
午前と午後、それぞれ違う内容でお届けします。
フィンランドの今が気になるあなたにお会いできるのを楽しみにしています!

■イベント詳細・申し込み

※本記事は、2021年9月15日にWebメディア「よむエラマ」に掲載された記事を、アーカイブ記事として本日掲載しています。

月が綺麗なのは、あなたがいるから

こんにちは、エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。

「月が綺麗ですね」

あなたは誰かから、そう言われたことがありますか?
実はこれ、愛の言葉なんです。

『坊っちゃん』『吾輩は猫である』などを執筆した文豪・夏目漱石は、「愛している」を「月が綺麗ですね」という言葉で表現したというのです。

当時、英語教師をしていた漱石は、学生たちに「I Love You」を日本語訳させました。しかし学生から出てきたのは「我、君を愛す」などの訳。

うーん。告白の言葉として、なんとも色気がないですね。

漱石は、日本人はそんな表現で愛を伝えたりしないと諭し、「『月が綺麗ですね』とでも訳しておけばよい」と言ったのだそう。

漱石先生、さすがです。

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ただ、残念ながら、このエピソードは実話ではないらしいのです。

文豪・漱石なら言いそうという真実味があり、まことしやかに広まっていますが、どうやって出来上がった逸話なのか、真相はよく分からないようです。

でも「月が綺麗ですね」って、とても素敵ですよね。考えた人はすごいです。
 
あなたと一緒だから、月がいつもよりずっと美しい。
本当に伝えたいのは、貴女が綺麗だということなんだ。
これからも貴女とこの月を見たいんだ。

「月が綺麗ですね」から色んな想いが感じられます。
「愛している」とストレートに伝えるよりも、奥ゆかしさや情感があって、とても日本人らしい愛の言葉ですね。

このエピソードを想像するとき、私の脳裏には秋の涼しい気配の中、ぽっかりと浮かぶ丸い月が思い浮かびます。

ただし、十五夜の満月ではなく、十三夜くらいの丸に満たない月です。

完璧な丸ではなく、これから完全になるという方が、二人の明るい未来を暗示しているように感じるからです。

十三夜って中途半端じゃない?とお思いの方。実は日本では旧暦8月の十五夜とともに、旧暦9月に十三夜の月を愛でて、お月見をする習慣があったのですよ。

三つの月見とは?

それでは月見のお話をしていきましょう。

月見といえばまずは「十五夜」。これは旧暦8月15日の月のことで、今の暦に直すと大体9月中旬~10月上旬に現れる満月です。(厳密には、満月から僅かにずれることもあります)
十五夜は「中秋の名月」とも呼ばれ、澄んだ夜に浮かぶ、一年で最も美しい月とされています。ちなみに、2021年は9月21日です。

十五夜の月を鑑賞して宴を催す文化は、中国から日本に入ってきたもので、平安貴族たちは観月の宴を開き、詩歌を詠んだそうです。

一方、「十三夜」は日本独自の月見文化で、旧暦9月13日に現れる満月手前の月を観て楽しみます。今の暦に置き換えると10月中旬~11月上旬に当たり、今年は10月18日です。

この月は、十五夜の満月よりも寒々と冴え渡るのが特徴で、十三夜を愛でる習慣は、十五夜の文化が日本に伝わった後、すでに平安時代には確立されていたようです。

十三夜は、十五夜に対して「後(のち)の月」と呼びます。十五夜だけに月見をして、十三夜には行わないことを「片月見」と言い、縁起が悪いとされました。

貴族は優雅に宴を楽しみましたが、庶民の間では収穫の感謝や祝いとしての意味合いも強いです。

十五夜に供えるものとして月見団子やススキが有名ですが、それ以外に、収穫された里芋をお供えすることから十五夜のことを「芋名月」、十三夜には豆や栗を供えることから「豆名月」や「栗名月」という言い方をしたりします。

また、十五夜、十三夜に比べると知名度が落ちますが、東日本では旧暦10月10日に月見をする十日夜(とおかんや)というのもあります。

十日夜は、稲刈りの終わりを意味する節目の行事で、その年の稲作を見守ってくださった田の神様が、山にお帰りになるのを送るのです。

三つの月見には、それぞれの時期に合った意味が込められているのですね。

月を眺めて自分を見つめるきっかけに

私は月を見るのが好きです。

自宅のベランダからぼんやり眺めることもありますが、特別に時間を作らずとも、夜道を見上げれば月はそこにあります。

私は大学生で上京して以来、最近までずっと東京に住んでいましたが、雑然とした都会の隙間からも月は見えます。

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月を眺めることは、自分を見つめることに繋がっていると思います。

イライラしたり、仕事に追われているときは、月を眺めて綺麗だと感じる心の余裕がありません。月になど見向きもせず、視線を下げて、せかせか帰宅して終了です。

でも月を見て、「今日の月は温かみがあるな」とか「月を覆う薄雲が月光に照らされて幻想的だな」とか、何かを感じ取れるときは心が落ち着いていて、感性が働いている状態です。

月を見て何故だか無性に泣けてきた。月を見て悲しみに浸る。

そんな過ごし方も、自分の感情の感じ方として素晴らしいと思います。それが得意だったのは平安貴族です。彼らは自然を見て、涙し、感情を感じることに長けていました。

一方、エラマプロジェクトでは、代表の石原侑美さんが、フィンランドなどの北欧で焚き火を眺める文化・習慣があることをお伝えしています。

侑美さんによると、焚き火を見ることでリラックスする効果や心を温かくする効果があるのだそうです。

月を眺めることと焚き火を眺めること、意図や効果に違いはあるかもしれませんが、心を豊かにするという意味では本質的に似ているような気がします。

ときには月を見ながら、ゆっくりと自分と対話するマイタイムの時間を取る。そんな風に過ごしてみるのはいかがでしょう?

もちろんどの月を眺めても良いですが、頻繁に眺めるのが無理だという方は、毎月、満月のタイミングを狙うと良いかもしれません。

実は、満月の日に占いの行事や祭りを行う風習が日本各地にありました。

その年の吉凶や農作物の出来などを占ったようですが、なぜ満月に行うかというと、月の満ち欠けを基準に暦を作っていた昔は、月が人間生活に与える影響が現代よりずっと強く、特に満月は、目安や境目として意識されやすかったからです。

日本古来の価値観にも合致しますので、境目である満月の夜に、月を眺めて自分の時間を取ることはおすすめです。

月の光は愛のメッセージ

この言葉に覚えのある方は、私と同年代かもしれませんね(笑)

アニメ『美少女戦士セーラームーン』の次回予告で使われていたフレーズです。
この記事を書きながら、ふと思い出して懐かしくなりました。

「月の光は愛のメッセージ」って、何気にとても奥深いですよね。

この言葉から様々なことを感じ取れそうですが、私は、月光がありのままの私を照らし、見守ってくれているように感じます。

あなたは月光から、どんなメッセージを受け取るでしょうか?

Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

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※本記事は、2021年2月10日にWebメディア「よむエラマ」に掲載された記事を、アーカイブ記事として本日掲載しています。

朝起きたときから仕事のことを考えている。
昨日は何をしていたか思い出せない。
最近大声で笑ったのはいつだっただろう。

あなたは、どうですか?

フィンランドをお手軽に日常へ

はじめまして、こんにちは。
わたしは大阪で企業の人事をしています。新卒採用や中途採用をして、今は社内教育の担当です。いろんな部署の話を聞いて、オーダーメイドの研修を作っています。
従業員は、18歳から70歳まで、営業・製造・サービス職といろいろな人がいます。ときどき頭を抱えることもありますが、人の多様さがとても面白い仕事です。

さて、今回はわたしがやってみたフィンランドのコーヒー習慣をご紹介します。

きっかけは、最近、自分の気持ちが不安定になったことでした。休日にも、仕事のことや人生のこと、妙な焦りばかりが頭をめぐります。
本当は一瞬一瞬をかみしめて楽しんでいたいのに、目の前のことに集中できません。そして一番困ったのはその原因がわからないこと。原因が不明だと直すこともできない。
こんな生活はいやだ……どうしたら……と悩んだ末にたどり着いたのは、

「憧れのフィンランドを、日常に入れてみたら癒されるのでは?!」

シンプルかつ雑な思いつきでした。
実は数年前に偶然フィンランドを訪れてからハマってしまったわたし。
”豊かで幸せな生き方”と称されるフィンランドをお手本にしたいと憧れていました。

そして、今回始めたのが仕事中のコーヒー休憩です。

フィンランドの人はコーヒーが大好き。一人当たりのコーヒー消費量は、なんと世界第2位です。
フィンランドの法律では、4~6時間の労働につき1日1回のコーヒー休憩をとることになっています。6時間以上労働する場合は2回で、午前中に1回、ランチをはさんで午後に1回がスタンダードのようです。
フルタイムで働くわたしなら、1日2回コーヒー休憩をとれることになります。「こまめに休んでね、コーヒーでリラックスしてね」と義務付けるなんて優しい法律ですよね。

じゃあ、わたしも平日の仕事中にコーヒー休憩をとってみよう!
ついでに朝やランチタイムにもコーヒーを飲んでみよう!

ということで、なんだか疲れている会社員がフィンランドのコーヒー休憩をやってみました。
さあ、はたしてどうなったでしょうか?

コーヒー休憩がある生活

毎日は難しいので、まず3日間やってみました。
我が家にコーヒーメーカーはありませんので、身近なコンビニコーヒーでチャレンジです。どこでも淹れたてが飲めるって素晴らしい。

とある1日は、こんな感じでした。

AM8:00
電車一本分はやく家をでます。
道沿いにあったローソンでコーヒーを買って、駅までのベンチに座ります。
両手でコーヒーを持って温まります。
手がふさがるのでスマホは開けません。

AM11:00
パソコンにアラームをセット。
仕事に集中していても画面ポップアップが出てコーヒータイムに気づけます。
次は会社裏のファミリーマートのコーヒーです。
イートインコーナーは人が多かったので道の隅で。
閉まっているお店のひさしの下で飲みました。

PM1:00
同僚と近くの大型オフィスビルの和食屋さんへ。
地上30階建てで、5階まで吹き抜けになっている大きなロビーがあります。
そこにはセブンイレブン。挽きたてが売りだそう。
ランチ後には一人でコーヒーを買いに行きました。
5階の手すりからロビー全体を見下ろしながら飲みます。
以前は人があちこちで談笑していましたが、今は世情もあってか人はまばら。
みんな足早に通り過ぎていきました。

PM3:00
そろそろ集中力が切れてきました。
糖分をとろうとチョコを取り出します。フィンランドの人はチョコもよく食べます。消費量で世界第5位になったことも。
給湯室にあるインスタントコーヒーをほしい分だけ作りました。
5分だけ階段の踊り場で。完全に怪しい人です。
チョコの甘さとコーヒーの苦さに励まされ、もうひと頑張りです。

PM7:00
お仕事は終了。自動販売機で缶コーヒーを買いました。
コートのポケットに入れてカイロがわりに。
ほどよく冷めたところで駅のホームで休憩。
家で飲んだ方がゆっくりできるのでしょうが、外で1日を終えたかったのです。
今日もがんばったと自分を褒めて帰路につきました。

というわけで、数えてみれば1日5回コーヒー休憩がとれました。でも、毎日必ず5回とっていたわけではなく、2回や3回の日もあります。回数を決めると「守らねば!」と義務にしてしまうので、あえて回数は決めませんでした。それでも1日2回はコーヒー休憩をとりました。

わたしのペースを取り戻す

3日間やってみて、気づいたことがあります。
それは、わたしが止まってコーヒーを飲んでいるとき、周りは動き続けていることです。

朝、ベンチに座っているとき。目の前を出勤する人たちが通り過ぎていきました。
昼間、道端に立っていたとき。道路をいきかう自転車や車、すれちがう人たちがいました。
夜、帰るとき。帰宅を急ぐ人たちがたくさん電車のホームへ降りていきました。

道行く人は、みんな前だけ見て足早に進んでいます。でも、コーヒー休憩をするには、立ち止まらなければコーヒーがこぼれてしまいます。過ぎ去る人の波と、コーヒーを飲むため止まっているわたし。自分だけ別の時間の流れにいるようでした。
それはとても気楽で安心する気持ち。久しぶりに肩の力を抜くことができたのでした。

このとき気づいたのは、実は、自分はずっと、「流れについていかないと」と焦り緊張していたことです。コロナで急速に変わる世の中、流行りの俳優、ツイッターのトレンド新しい生き方などなど…。早さに対応しないと取り残される不安がありました。
でも、本当はそれはわたしのスピードではなかった。コーヒーを飲む時間が、自分自身のペースを取り戻させてくれたのです。

”豊かで幸せな生き方”のひとつの答え

今回、コーヒー休憩をやってみて。
最初はフィンランドの”豊かで幸せな生き方”を真似したかったわたし。なんだか疲れる日々の癒しになればと始めました。でも、実際にわたしがコーヒー休憩で知ったのは、世の中の流れについていけない自分の焦り。憧れの”豊かさ”には全然及ばないものでした。

ですが、”立ち止まって自分を見つめた”ことだけはよかったなと思います。未熟ながら自分のペースを思い出すことができました。”コーヒーを飲む”こと、ではなく”自分を見つめる”こと。そこはフィンランドの人々と一緒だったかもしれません。

わたしは、豆を挽いてドリップする淹れたてコーヒーは作れません。
身近で手早いコンビニのコーヒーを選んでしまいます。
でも、背伸びして北欧の豊かさを真似しなくても、わたしの日常の中にフィンランドのエッセンスを入れていける。そこから自分なりに感じたものが積み重なって、ようやく私自身の”豊かさ”になるのかもしれません。

さあ、まずは明日の15分。あなたも一杯のコーヒーを。

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)

■note「よむエラマ」で本記事を見てみる

フィンランドといえば、森や湖といった自然豊かな生活や、仕事中もコーヒーを飲む時間を確保するゆとりがある、そんなイメージがありますよね。
そもそも、フィンランドの人はみんな、ゆっくりとリラックスすることを意識して生活しているのでしょうか。

そんな問いをもっていた時に、フィンランドの湖水地方Saimaa(サイマー)在住でsaimaaLifeの設立者、Mari Pennanen(マリ ペンナネン)さんにオンラインインタビューをする機会をいただきました。
saimaaLifeは、360度VR(バーチャルリアリティー)の技術を使って、美しいフィンランド湖水地方の景色や、サイマーでの自然と密に結びついたMariさん自身の生活の様子を世界中の人々に届けています。
彼女は2人の子どもたちと一緒に自然に囲まれた生活を送りながら、”ナチュラル・ウェルビーイング(Natural Well-being)”を提唱しています。

自分自身の整え方、リラックスして過ごす時間がもたらすもの、そしてフィンランドと日本をつなぐ架け橋としての今後の展望など、ご本人の言葉でお届けします。

Mari Pennanen(マリ・ペンナネン) 
2児の母。2011年saimaaLifeを設立。 
観光業に従事した後、生まれ育った自然豊かなPunkaharyu(プンカハリュ)に戻り、現在もPuruves (プルヴェシ)湖のほとりの心地よい小屋で家族と共に過ごしている。
畜産農家の娘だったことから、幼いころから自然や農場から食物が食卓に並ぶまでの過程を見て育つ。それが人生のなかで最も美しく意味のあることだと感じており、子どもたちにも自然と人間とのつながりを尊重することを伝えている。
お気に入りのリラックス方法は薪割りとサウナに入ること。
Instagram

私がめざしているナチュラル・ウェルビーイングとは

現代に生きる私たちにとって、生活のスピードが早いということは良い面でもあり、また、そうでない面もあります。

スローライフもトレンドのようになり、その生活が良いとも言われていますが、それが目的となるのではなく、バランスを取ることが私は一番大事だと考えています。

自分にとって心地よいリズムを感じ、自身に問い、対話していくことが大切なのだと思います。

そんな私も、かつて観光業で働いていた頃はストレスの多い毎日に心身ともに疲れ果て、ボロボロになったことがあります。
特に、精神面がひどかった。
そのときに、働く母として、生活と仕事のバランスをとることをまず考えたのです。

いまでは「疲れ果てる」ということはもうありません。

自分を調整するとはどういうことなのか、生活の質を保つことがどれだけ大切であるかを理解し、自分の子どもたちにも日々伝えています。

私がめざしているナチュラル・ウェルビーイングとは、頭と体と心をそれぞれに合った方法で調整していくことです。

「自然の中」で調整することもそうですし、その人が無理なく「自然に」行えることも大切です。

自分でバランスが取れるよう、自然や森のリズムを活用して、頭と体と心を整えるのです。

saimaaLifeでは、私のストーリーと学術的なものを組み合わせてナチュラル・ウェルビーイングのプログラムを作成しています。

休息することも、働くことも、人生の中の“ひとかけら”

私も日本について学ぶようになり、フィンランドと日本がどこか似ていると感じる時があります。

例えば、日本では「仕事をしなければいけない」=「休んではいけない」という思考の癖が存在しているように感じています。それは、フィンランドにもよくみられたことで、10年前の私もそうでした。

しかし、いまの若い世代の人たちが働き出すようになってから、変わってきたように思います。

私たちは働くために生まれてきたのではないく、生きるために生まれてきた、ということに気づき始めました。
人生=仕事ではなくて、人生を構成する1要素として仕事があり、休息がある。
何もしなくてもいい、そういう時間があってもいいのです。

私はsaimaaLifeの主宰者であり、2人の子どもの母親でもあります。
新聞で読んだのですが、日本では「母親になる」ことに、まだまだ保守的であるように見受けられます。「働く」と「母親になる」が共存していない。
働きながら母親になるということが、日本はまだ難しい環境であると私も理解しました。

フィンランドでは政府の制度として、働くもよし、母親業に専念するもよし、個人と家族のライフスタイルに合わせたサポートシステムがあります。(※フィンランド大使館サイト
母親になることでキャリアチェンジをしなければならない、ということもありません。
最初は母親業に専念し、その後、仕事に戻るというのが最近のフィンランドでも一般的です。そして、母親になったからといって、キャリアをあきらめるということもありません。

日本とフィンランドはシステムに違いがあるのかもしれませんね。

感情を表現することを学校で学ぶフィンランド

ナチュラル・ウェルビーイングの状態でいるためには、自分の感情を表現することがとても重要な要素になってきます。

なぜなら、感情(Emotion)は、病気やさまざまな不調と関連しているからです。
先ほどの母親像の話もそうですが、本来の自分を押し殺して、自分の感情を自分の内側に溜めこむことは、さまざまな不調や問題を生み出してしまうのです。

フィンランドでは、私たちの世代(40代)以降から現在までは、子どもの頃から学校で感情を表現することを学んできました。教師には、各々の裁量で多様な手法を用いて、感情表現スキルを生徒たちに伝えることが認められています。(※編集部注)

すべての感情を表現するということは、子どもたちが健やかに成長していくために必要なことです。学校システムの中で、自分と他者のさまざまな感情に触れ、その感情を処理する方法を学んでいるのです。

私の例でいうと、以前の仕事で燃え尽き、心身ともに疲弊していましたが、いまでは完全に健康を取り戻しています。その理由の1つは、自分の感情を表現し、その感情を処理できたことです。
私の心の中にある羞恥心、哀れみ、怒りに気づき、それが鬱状態を引き起こしていたのだと気づくことができたのです。


(※編集部注)
ソーシャル感情スキルという分野で、フィンランドでは学校教育のなかに必須でとりいれられています。(参考論文:岩竹美加子著「フィンランドの教育、日本の教育」 P.18「自分への配慮、日常生活のスキル」)
日本でいわれている非認知能力は評価を伴うので、フィンランドでの感情スキルとは似て非なるものがある、とMariさんとの対話でも感じました。

「Just Be」

「ナチュラル・ウェルビーイングの到達地点はどこなのですか?」といった質問をいただくことがあります。

「ナチュラル・ウェルビーイングの状態に到達した」とあえて定義するとしたら、それは「Just Be」=ありのままの状態であることを自分で認識できたり、感じられたりするときだと思います。
とは言え、それはとても難しいことです。
自分自身を受け入れることができないという人もいるでしょう。

でも、自分を受け入れられないままだと大きな問題が生じます。だからこそ、学ぶのです。自分は大丈夫、と思えるように。

感情を表に出すということは、性別を問わず、人間のもつ本来の能力なのです。
だから、胸の中にしまったままにするのではなく、引き出していくことに集中し、取り組んでいきたいのです。

私は完璧を求めてなんていません。人は誰でもたくさんの間違いするし、完璧な人間なんでいないのです。
かくいう私も、時には、完璧にしようと一生懸命がんばってチャレンジして、疲れ果てることだってある。だけど、その後で、自分自身の心の声がいうのです。「今のわたしで充分だわ。わたしベストを尽くしたわ。」って。

そして、「Doing」に焦点をあてるのではなく、「Being」に切り替えて、バランスを意識しながら過ごすということも大切です。

人によって、自然の中での過ごし方も、時間を感じる速度も、ナチュラルであることそのものの捉え方も、感じ方がそれぞれ違います。
だからこそ、自分にとって、それにどんな意味があるのか、どんな価値があるのかを感じてください。

私のめざす道は、まだ旅の途中です。これからも自分自身の経験を通じて、このナチュラル・ウェルビーイングを伝え広めていきたいと思っています。
ひとりひとりの「Just Be」を ナチュラル・ウェルビーイングのひとつの到達地点として、人びとを助け、サポートをしていきたい。
そのために、私自身が今のナチュラル・ウェルビーイングな生活を維持していくことも大切な目標です。

そして、最後になりますが、今秋、日本でもワークショップができるようにエラマプロジェクトと準備を進めています。
日本のみなさんとお会いできる日を楽しみにしています。

(モノローグここまで)

インタビューを終えて

最初にMariさんにインタビューをするお話をいただいたとき、真っ先に私が質問してみたいと思った内容は、「フィンランド人は日本人に比べて休息をとることが上手なのかどうか」というものでした。

当日のインタビューでは、彼女が提唱するナチュラル・ウェルビーイングを軸に、フィンランドと日本の母親像、学校教育システムにまで、話が広がりました。そして、私の率直な疑問や質問にMariさんはひとつひとつ丁寧に、ゆっくり考えながら、誠実に答えてくれました。時間が経つのを忘れるくらい、私はどんどん彼女の話と彼女のマインドに惹かれていったのです。

フィンランド人だからとか日本人だからとかの前に、大事なのは自分はどうありたいのか、なのではないでしょうか。
人は一人では生きていけない。だからこそ、自然との調和、人のぬくもりや感情に触れることで、自分自身をありのまま、認めてあげよう。私はそんなメッセージを受け取りました。
とても聡明で、チャーミングで、まわりの人を温かくしてくれるMariさん、あなたとの出会いに感謝します。ありがとうございました。

イベントのご案内

フィンランド在住のMariさんとオンラインでお話ができるイベントを開催します!(ガイドと通訳がありますので言語の心配はありません)

【オンライン】フィンランド湖水地方の秋体験ツアー
〜フィンランドの森に豊かな暮らしはあるのか?〜
開催日時:2021年10月25日(月)20時30分~22時
以下のページからお申し込みください。
https://elama.be/workshop/finland-extour/

フィンランドの基礎知識を学び、湖水地方の自然を堪能した後で、Mariさんへの質問タイムもあります。自然の中での暮らし、都会から田舎に移住すること、子育てのこと、ストレスと向き合うこと等々、なんでもOKです。

みなさまのご参加をお待ちしています!

■note「よむエラマ」で本記事を見てみる