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Elämäプロジェクト

こんにちは!いけかよです。

あなたは断捨離をしたことがありますか?

「断捨離」という言葉も概念もすっかり浸透しましたよね。それに紐づいて片付けの重要性とかミニマリズムとか、ひいては断捨離が運気を左右するなんていうこともよく聞かれるようになりました。

いけかよも「なんか最近、流れが悪いな」とか「思うようにことが進まないな」と感じるとき、その状況を打破する1手として断捨離をすることがあります。

断捨離するのは服とか靴とかカバンとかが多いですが、他にも本とか過去の仕事の書類とか、そういったものを処分することも多いです。

やっぱりモノが減るとそのぶん気持ちいいですよね。必要なものだけに囲まれてすっきりした部屋に暮らすのは心地よいものです。

そして「古いものを手放せば新しいものが入ってくる」というのもよく言われる話。古いワードローブを処分すれば、そのぶんクローゼットには新しいものが入りますから。

しかし、いけかよは、自分や自分の人生をもっと良くしていきたい!と感じるとき、服やカバンのように簡単には捨てられないけれども、捨てると強烈に日々が変わるなと感じるものを2つ発見しました。今回は、そのお話。

「お金」と「自信」

1つめは「お金」。

もちろん、進んでお金を捨てるようなことなんてしませんから、お金を「なくす」というのが正しい表現です。

いけかよは、過去に自分自身が大きくジャンプアップしたなと感じた時は、だいたいいつも「お金ない!どうしよう!」となっていることが多いと気づいたのです。

ほんとうに情けない話ですけど、頑張って稼いだお金を、いろんなことにぱーっと使っちゃって、お金がたくさん減った後に予期せぬことが起きて生活がグラつく、ということがよくあるのです。これは会社員のときももちろんそうでしたし、フリーランスになって会社員のときよりも多少ゆとりのある生活ができるようになった今でも、同じです。

わかりやすいのは、仕事を辞めざるを得ない状況になったり、急に契約終了することになったり、クライアント都合でフィーを減らされたりといったようなこと。もちろん焦りますし真剣に悩みます。生活もかかっていますから、否が応でも必死のパッチです。

そうすると、次になくなってくるのが「自信」です。これが2つめの要素です。

会社を辞めたり、契約していたお仕事が終了したりといったことはありふれたことです。特にフリーランスなんていう不安定な働き方であれば当然です。なので、次また新しい仕事を探せばいいや、と気楽に考えていますし、それこそ古い仕事を手放すことで新たな、もっと素敵な仕事に巡り合うというのは会社員時代から繰り返してきたことだったので、いけかよはわりと仕事を手放すことについては慣れていると思っていました。

しかし、なかなか新しいお仕事が見つからないときもありますし、商談をしても契約に至らないといったことも起こります。

すると、やはり自信がなくなってくるのです。

「いままでわたしがやってきたことってなんやったんやろう」

「いままでわたしがやってきたことには大した意味なんかなかったんやろうか」

「いままで●年間この仕事してきて、わたしは果たして成長できてるんやろうか」

こんなふうに、どんどん自分自身がブレて、心が折れそうになります。

こうして、お金と自信とは、連動しやすい要素だともいえます。

そして、執着しやすいものだとも。

これまでの自分を取り壊す

いずれも、断捨離するにはかなり抵抗があるものですし、みずから投げ捨てるようなものでもありません。

なので、いけかよも過去に好き好んでお金や自信をなくしたわけではありません。でも、振り返って考えると「そうならざるを得ない」ような経験がたくさんあるのです。そして、お金も自信もないという、いわば満身創痍な状態でお尻に火がついてもがいた後に、いつもまるでギフトかのように新たなステージが用意される、というパターンを何度も経験しているのです。

それはなぜか?考えてみたのですが、お金と自信というのはいわば「過去の自分」が作ってきたものの象徴ですよね。

お金も自信も、お仕事やその他のさまざまな経験を通じて得ていくもの。そうやって得られたお金と自信は、言い換えればそのまんま「これまでの自分」だと言えると思うのです。

そして、なにか流れが悪いなぁとか、人生変えたいなぁと思っているモヤモヤ期って、きっと「新しい自分」になりたいと思っているとも言えると思うんです。

新しい「これからの自分」が、これから稼ぐお金や培う自信は「これまでの自分」が得てきたそれらをなくさなければ積み重ねられないのかもしれないと思ったのです。

いわば、古い建物はいったんすべてとりこわして更地にしなければ新たなビルは建てられないようなイメージです。

良い子は真似をしないでください

今回お話したことは、いけかよだけの話かもしれませんので、くれぐれもみずから積極的にお金や自信を投げ捨てるようなことはしないでくださいね。

お金も自信も、自分を安心させてくれるものです。ですから、わたしたちはそれらに執着します。

でも、わたしに限って言えば、中途半端にお金や自信があるときって必死さがないので、やっぱりそれなりの努力しかしないし守りに入ってしまう。すると結果的に得られるものもインパクトが小さい気がしています。

なので、やはりわたしが人生を変えたいときって、お金と自信の断捨離が必要なのかもしれないと思ったのです。

もっと余裕をもって、安心して、安定した日々を過ごしたいと思う反面、そもそもフリーランスという不安定な働き方を選び、同じことの繰り返しが苦手で飽きっぽいわたしには「安定」こそが「不安定」なのかもしれないのです。

もちろん、渦中にいるときはしんどいですし必死です。「なんでこんなことになっちゃったんやろう」と落ち込むこともありますし、情けなくて不安で泣くこともあります。

でも、お金も自信もなくすということはすなわち「これまでの私」に別れを告げ、「これからの私」を招き入れることにほかならないと、いけかよは自分の人生での経験をもって腹落ちしているのです。

めちゃめちゃきついですけど、いまのいけかよにはこれが「人生を変える特効薬」なのかもしれません。荒療治ですけど…。

いつか穏やかにゴールデンレトリバーと戯れながら、LAの海沿いの家で優雅に昼ビールを飲みつつ「次はなにしよっかな〜」と遊びのプランでも立てるかのようにビジネスアイデアを妄想していたい…と、妄想しているのですが、そのためにはあと何回この荒療治が必要なのでしょう…(遠い目)。

そんなこれからのわたしに期待しつつ、いけかよのもがきはまだまだ続くのです。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)


エラマプロジェクトでは、Webメディア「よむエラマ」を運営しています。創設して3年。毎週水曜に更新し、たくさんの記事をアップしてきました。

よむエラマには、総勢7名のライターさんが所属し、日々自分の暮らしの中で感じる「豊かな生き方を目指すからこそモヤモヤすること」をさまざまな切り口で書いていただいています。

12月の年末ですので、初企画の「よむエラマオブザイヤー」を選び、ライターさんたちの編集会議にて表彰式をしました👏


🏆年間大賞・よむエラマオブザイヤー2023🏆
に輝いたのは、

『学び「直し」をやめたい。人事が見つけた大人の学びで本当に大切なこと。』
ライター:ひらふく
発行:2023年7月19日

この記事は、エラマ内外(読書、編集長、エラマ代表)から最もリアクションがあった記事が選出されます。

本記事は、読者からのリアクションがとても良く、またプロライター編集長からもワードチョイスが痺れるというコメントがあり、文句なしの大賞受賞となりました。

よむエラマオブザイヤーでは、そのほかに
・most いいね賞(noteのみ)
・most note PV賞(note+Webサイト)
・most instagram PV賞
・most instagram エンゲージメント賞
・編集長いけかよチョイス(4記事)
・石原侑美チョイス(2記事)
・よむエラマオブザイヤー特別賞

を選び、表彰しました。

ライターさんからは、
「よむエラマオブザイヤーを作っていただき、ありがとうございました!
みなさんのステキな記事がこうして届いていることや、エラマ代表ゆみさんや、編集長のいけかよさんにコメントを直接頂ける機会を用意して頂き、みなさんのもお祝いでき、幸せな気持ちになりました!」

とこれまた暖かい声をいただきました✨

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来年はどんな記事が生まれるでしょうか?
よむエラマでは、エラマライターズが心血を注いで書いているコラムたちがたくさんあります。

✨よむエラマオブザイヤー2023の記事まとめ

🏆よむエラマオブザイヤー2023年間大賞
『学び「直し」をやめたい。人事が見つけた大人の学びで本当に大切なこと。』
ライター:ひらふく
発行:2023年7月19日
https://note.com/elamajp/n/n24761b90cbfe

🥇most いいね賞、PV賞(note)
『11月のフィンランドは曇り空の下で輝いていた』
ライター:ひらふく
発行:2022年12月21日
https://note.com/elamajp/n/ne791ae67a8b4

🥇most instagram PV賞
『ぼくたちの哲学教室』
ライター:momo
投稿:2023年7月8日
https://www.instagram.com/p/CubV3XfBrYP/?img_index=1

🥇most instagram エンゲージメント賞
『🇬🇧50歳で夢を叶えた女性の人生に触れる』
ライター:pieni
投稿:2023年9月10日
https://www.instagram.com/p/CxAkNmkoJ06/?img_index=1


👍編集長いけかよチョイス
『「できればやりたくないこと」は山のようにある。手放した時にきづいた小さな成功体験』
ライター:あいすか
https://note.com/elamajp/n/ne9d556efe08a

『この春、ポジティブ変換はじめました』
ライター:RUNA
https://note.com/elamajp/n/na089fa50f491

『あなたのお気に入りはなんですか?好きなものから得られるエネルギーを低く見積もってはいけない』
ライター:momo
https://note.com/elamajp/n/ncfd8dd73dd25

『現実を生きるpieni「やさぐれ化」から見えた生き方』
ライター:pieni ( @pieni.kayo )
https://note.com/elamajp/n/n72e772e6912e

👍エラマ代表石原侑美チョイス
『フィンランドの「大和魂」を見た!映画「SISU/シス 不死身の男」が教えてくれる』
ライター:ひらみん
https://note.com/elamajp/n/n3ae53752ad52

『現役の教師である私は、実は学校が好きじゃなかった』
ライター:橘茉里
https://note.com/elamajp/n/n09671f4242df

🥇特別賞
『「自分にとっての幸せとはなにか」と考えることは幸せか?』
ライター:いけかよ
https://elama.be/elamareading/post20230607-2/

こんにちは、あいすかです。
11月も下旬を迎え、先週から関東も一気に寒くなってきました。
冬を感じ始めている今日この頃です。
みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

わたしの今秋といえば、子どもたちの運動会2回、お祭りが数回(学校や地域を含めて)、地域住民の方々との対話の会に参加するなど、対面でのリアルイベントが目白押しでした。
全力を尽くして頑張っている子どもたちや大人たちと共に過ごし、応援したりサポートしたり。心も身体も動きの多い季節だったなぁと、しみじみ感じています。
そんな自分をちょっと休憩させてあげながら、お手紙を書いてみたいと思います。
今回もしばし、かあちゃんの手紙にお付き合いくださいませ。

遠くを見つめなくても宝物は身近にたくさんあった

前回の記事で、フィンランド旅での出会いについて書かせていただきました。

帰国後、わたしも娘もフィンランドへ行く前と変わらず、日常を過ごしています。

旅のことを忘れてしまったわけではなく、むしろ初フィンランドで得た気づきは沢山ありました。フィンランドでの体験が帰国後の日常生活のなかにスッと同化して入り込んでいるような、この感覚は何なのだろう。わたしなりに考え続けてきました。

答えなのかどうかは分かりませんが、最初からわたしはフィンランドで何かを見つけたいと目標を定めて行ったわけではありませんでした。

これまでの経験や学びを整理し、コロナ禍での生活や環境で変化したこと、変わらないことを自分のなかで納得するためにフラットな感覚で旅をしていたんだろうな、と振り返っています。

帰国した直後も、仕事ではなく家族のことや地元である鎌倉市のイベントばかりに参加していました。

例えば伝統行事やお祭り、行政主催の市民交流の場「わたしたちの地域版フォルケホイスコーレ」への参加などです。

特に「地域版フォルケホイスコーレ」は、この地域をご縁に、10代から80代までの老若男女、職業も趣味も多種多様な方々が集う不思議で魅力的な会でした。

約2か月間、同じメンバー20人とリアルに交流しました。みんなで身体を動かして、対話して、学校のような、でも既存の学校や塾のような“クラス”とは全く別物。全行程を終了し、少し時間がたっているのに、いま思い出しても実に楽しい。

単純明快、表現力のかけらもありませんが(笑)、心を“ぷるっ”とさせられた感じ。この揺さぶられ感は、久しぶりだったのです。

誰かがなにげなくはじめた話を聞き、掘り下げていき、気づいたら全員で対話をしていたり、小学生向けの思考ゲームに参加者の大人たち全員でトライし、そこからハッとさせられるような気づきがあったり(詳しい内容については、今後受ける人たちがいるので、ここでは書けず、ごめんなさい)。

これまで、同じ町で同じ空の下で生活してきた人たち同士が、ひょんなきっかけで出会い、お互いの交流を通じて、予想外のものを発見できた感動があり、まさにセレンディピティ(思いもよらない偶然がもたらす幸運)の一言に尽きると思いました。

この体験は、未来を想う市民として、各々がそれぞれの現実や半径数メートルくらいの距離感に関心を持ち、いまの人生に重ね合わせているようでした。

 わたしも、そのひとりでした。

相手のことをもっと知りたいと思う気持ち

イベント初日、自己紹介の場面でも、もうひとつ、面白い体験をしました。

初日は対話の時間だったのですが、ファシリテーターの方が2人いました。そのお2人は子ども向け教室を主催している方で、漫才のような会話をしながら、参加者ひとりひとりに丁寧に向き合い、そのひとがどういう人なのか、みんなにも伝わるように幾度も繰り返し質問をするのです。

それが、根掘り葉掘りというような嫌な感じでもなく、話している本人の心情も汲み取りつつ、話した本人の言葉はそのままに、内容については具体的な例に置き換えたり、抽象化してみたり。
全員がそれぞれの頭の中で考えたうえで、思考と想像が心地よく行き来しながら共通認識ができるような、そんな聴き方をしているのです。

大概、自己紹介で深い話などしませんし、「まず、最初の乾杯はビールで!」と同様、単なる形式的な場作りであることが多いものです。だから、自分と興味関心が異なっていたり、共通項がない人の話などは聞き流してしまうことが大半だったりします。

人に関心を持っているかどうか、その場の空気感で分かります。

正直、話があちこち飛んだりするので、ファシリテーターという感じではありませんでしたが、参加者ひとりひとりのことを深く知ることができ、はじめましての関係性のなかで、これまでにないくらいの心地よさをわたし自身も体験することができたのでした。

お2人はこれまで、子ども向けの教室でも大人向けの講座でも、ファシリテーターや司会をしているという気持ちを持ったことは一度もないそうです。

「ちゃんと場をまわそうと意識すればするほど、目の前の相手をみれなくなる。そうすると、人と人が混ざりあうことで生じる起爆的なおもしろいことが起こりにくくなるように思うんです」

そうおっしゃっていました。
その通りなのかもしれません。

自分のことをまっすぐに見てくれている人がいると分かった時、人は誰しも幸せな気持ちになるのではないでしょうか。相手のことももっと知りたいと思う。

もし、自分以外の人に興味関心が持てなくなってきたり、そんな気持ちが湧いてこなくなった時こそ、いま一度、自分自身に立ち返ってみるタイミングなのかもしれません。

地域から家族へ。代り映えのない大切な日常に

自分の住んでいる場所は何も変わっていません。だけど、想像以上に他人に関心をもっているこの地域の人たちと出会えたことによって、わたしの街をみる景色、目の前の世界は明るく広がっていきました。

住んでいる場所とは日常の生活拠点であり、とても現実的でシビアな出来事は、常に点在しています。

フィンランドを旅していた時のような、ゆったりとした時間の流れを感じることも少なくなりました。

それでも、わたしは日常生活のなかで、自分以外の人に関心を持ち続けていたいと思います。

代わり映えのしない日常だけど、一緒に暮らす家族がいる。この家族なら、飽きない人生を送れるような気がしています。

いま、とても幸せなのかもしれません。

いつも外にばかり求めて突っ走ってきたわたしですが、そろそろ人生の折り返し地点、ちょっと休憩して、後半戦に向けてパワーを蓄えておこうと思います。

Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

追伸
コロナ禍から、こうしてよむエラマで約2年間、こうしてお手紙を書かせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

また、お会いする日まで、キートス!!

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

今回はいつもより興奮度高めの映画レビューです。

これまで、SISUをテーマにした本のブックレビューを2本書いてきたわけですが、ここにきて、SISUをテーマにした映画がフィンランドからやってきました。

これは映画レビューを書かねば!ということで、上映初日に行ってきました。

映画『SISU/シス 不死身の男』公式サイト
https://happinet-phantom.com/sisu/

実は私、好きな映画は007とダイハードで、死なないおじさんが大活躍するアクション映画が大好き。ハリウッドぽい、爆弾どかーん!マシンガンダダダー!炎メラメラ〜!ヘリコプターひゅーん!っていう映画を見ていると、日常生活ではありえない状況に笑っちゃって、なんだかスッキリするんです。

とはいえ、人が殺されるのは苦手、という方もおられると思います。この映画は、後半はほぼそんなシーンで、しかもけっこう残虐だし、痛そうなシーンもたくさんありますので、苦手な方は、やめといた方がいいかもしれません。ポスターをご覧の通り、フィンランドだからと言って、ほんわか幸せな映画ではございませんのでね。

死なないおじさんアアタミ

ストーリーは、映画のサイトにあるので、興味をお持ちいただけた方はそちらをご覧いただけるといいなと思いますが、ロシアとの戦争で家も家族も失ったアアタミが主人公です。ロシア兵から「不死身」とあだ名をつけられた伝説のフィンランド兵でしたが、今は軍隊を引退した状態で、金を掘っています。

第二次世界大戦終盤のドイツ兵に金を狙われて追いかけられ、フィンランドの大地を逃げるんですけど、さすがに殺されかけて金を強奪されます。けど、そこからさらにそいつらを追いかけて…というのが大まかな話です。

最初は、曇り空で高い木も山もなく、平地が広がり、大地の草が赤く映えるフィンランドの晩秋みたいな景色が綺麗です。馬と犬とともに生きる男の生活が描かれていて、ここから怒涛の殺し合いが行われるとは思えない牧歌的な雰囲気。

そこから、金を掘り当てて、ドイツ兵に追われます。

大事な馬は殺されて、金も取られて、犬も殺されそうになって、誰も味方はいない。挙げ句に街が焼き尽くされて、フィンランドの民たちが殺されていることに対して、アアタミはめちゃめちゃ怒って、容赦なくドイツ兵をバリエーション豊かに殺していきます。

しかしアアタミが本当に不死身なんです。死ななすぎて笑っちゃう。

銃で撃たれても銃弾を身体から無理やり出して、麻酔もなしで、傷跡を自分でホチキスするし、背中が燃えても池に飛び込んで逃げ延びるし、池の中でも酸素を得て、絞り首にあっても、身体を支えて生き延びます。

これでもかというほどやられても死なない。

SISUとはなにか

しかし、単なるアクション映画に収まらないこの映画では「SISUとはなにか」ということを説明してくれています。

映画の冒頭で、SISUについて「持っているものをすべて奪われて、最後に出てくるもの」と説明されていました。

また映画の中盤では、ドイツ兵に「彼は不死身なのか」と聞かれて、女性が「彼はあきらめない」と説明するシーンもあります。

ここにSISUの本質があったように思います。

SISUをwebで検索すると、強い意志とか反骨精神とかっていうのが出てきますし、SISUの本のブックレビューでもそういうことは思いました。しかし私は、映画の中でも言われているように、SISUとは「諦めない」なんじゃないかなと思い始めています。

この映画では極限状態ではあるものの、諦めないから、逆境にあっても立ち向かっていけるし、諦めないから、目標達成のための道筋を見出せるし、諦めないから、努力を継続できるんじゃないかなと思います。

「なにを諦めないのか」という「なにを」の部分は、その人や状況によって変わってくるから、翻訳できないのかなと感じました。

この映画では、「金を取り戻す」ということですが、私たちの生活の中だと、その人によって違うと思うんです。仕事の成功かもしれないし、健康に生きることかもしれないし、パートナーとの関係の維持かもしれません。

SISUがある人は周りを目覚めさせる

映画の中で、アアタミの存在が、捕らえられていた女性たちのSISUに火をつけたように感じました。ドイツ兵からアアタミの話が出てきたときに、彼女たちの目が変わったように見えたんですよね。

この映画を見て、SISUを持っているアアタミが物理的に強いことだけじゃなくて、強いSISUを持つ人は誰かのSISUを目覚めさせるイグナイターの役割をも果たすんじゃないか、という新しい視点が自分の中に生まれました。

映画のサイトに

観終えた後 己の心に”たぎるもの”、それが<SISU>だ!

とあるんですが、SISUは誰しもが持っているのに気づいていないだけで、それにアアタミが火をつけてくれるような気がするんです。映画の中の女性たちのように。

この映画を見て、しびれる人は、あなたの中にあるSISUをアアタミに目覚めさせられているんじゃないかなと思います。

これぞフィンランドを感じる映画

SISUとは言ってませんが、ダイハードでもジョンマクレーンはSISUを持ってたと思うんです。もうダメだ、と思った時にも「負けたくない・負けられない・負けるわけにいかない」と相手に向かっていく、そんな姿がかっこいいんじゃないかなと感じました。

この「負けない三段活用」がSISUを形作り、諦めずに戦おうとする姿に、私たちはグッとくるのではないでしょうか。ぴったりと翻訳できないからと言って、フィンランド人以外は持っていないということはないと思うんです。

フィンランドの映画って、これといった大事件も起きずに淡々と日常の話が進む、どことなくおしゃれな映画というイメージが強いと思うのですが、それらとは全然違う方向だけど、私はこの映画はとってもフィンランドらしい映画だと思います。

晩秋のフィンランドで、曇り空で色の少ない景色も楽しめるし、不死身のおじさんアアタミは典型的なフィンランド人のイメージで、むっつり無表情で、口数も少なく、薄幸そうな感じです。犬も馬もかわいい。

SISUについて考えるきっかけをくれる映画なんて、フィンランド以外で作り出せません。興味がわいた方はぜひ劇場へ!

映画『SISU/シス 不死身の男』公式サイト
https://happinet-phantom.com/sisu/

Text by ひらみん(ふつうの会社員)

こんにちは!いけかよです。
わたしはお金をもらって文章を書くようになってから10年弱くらいになります。
とはいえ、1本あたりの単価はそんなに高くないので、執筆以外のお仕事もたくさんしています。それに執筆スピードもわたしは遅いので、過去に書いてきた記事数は執筆をメインのお仕事にしているライターさんに比べればとても少ないと思います。

しかしそんなわたしですが、文章を書くための講座をこのエラマプロジェクトで実施しています。10年弱の間で培ってきたスキルと経験とわたしの哲学をぜんぶぶち込んだ力作です。
それに加えて侑美さんからブランディングも同時に学べるという、盆と正月がいっしょに来たようなワークショップになってます。

ということで今回は、もう最初に告知しちゃいます。
2023年、11月25日&26日に名古屋で実施します。
ご興味のある方はぜひ以下のサイトをチェックしてみてください!

エラマライター養成講座(2日間プログラム)
〜Chat GPTに負けないライターになるために〜

https://elama.be/workshop/tobewriter/

で、ここからが本題です。
決して執筆量は多くない方だとは思いますが、この10年、わたしはライターや編集のお仕事は緩急あれど途切れずずっとご依頼をいただいてきました。ありがたいことです。

「ライター」と一言で言ってもさまざまな種類と専門領域があります。
コラムニスト、エッセイスト、ブロガー、記者、ルポライター、コピーライター、インタビューライター、PRライター、SEOライター、ブックライターなど。作詞家や作家や詩人や脚本家なども、広い意味ではライターと言えるでしょう。
そもそも、紙媒体とWeb媒体でもお作法や求められるものは違いますので、さらに専門性は細分化されます。

こういった人たちは、それぞれの専門分野で才能を発揮し、それを武器にお仕事をしていらっしゃいます。
彼ら、彼女らにあるのは当然ながら「書く力」です。

ライターをしていると言うと、まあ、みなさん「すごいですね」とおっしゃいます。何でもそうだと思うのですが、デザイナーだとかミュージシャンだとかイラストレーターだとかのクリエイティブかつ専門分野の仕事は、ちょっと普通とは違う才能の持ち主だと思われがちです。
もちろん、わたしもライター以外のプロの領域にはなんの口もだせないのですけども、ここで言われる「すごい」は、社交辞令もあるでしょうけども紐解けば「書く力があってすごい」ということでしょう。

でも「書く力」ってそもそもなんなのでしょう?
今回は、わたしがなぜ今のように文章を書く仕事をするようになったのかの経緯をお話しつつ、「書く力」の中身を深掘っていきたいと思いますっ!

気づく力

ここで、わたしがお金をもらって文章を書き始めたときのことを少しお話させてください。

まだ会社員だった頃です。
その当時、わたしがおもしろいなーと思ってメルマガを購読していたとある若い起業家さんがいました。ある日のメルマガに「女性向けのWebメディアを素人ライターを集めてやりたいので、記事書きたい人募集します」とあったのです。
それに応募してみたのがきっかけでした。

それまでの私は、ブログすらまともに書いたことはありませんでした。子どものころから読書と作文が得意ではありましたが、わたしが大学で専攻したのはデザインで、仕事として進んだのは広告やWebの世界でした。

でも、そのメルマガにはぴんときて、特に出せる作品もポートフォリオもありませんでしたが、自分のSNSを見せて意欲を伝えたところ、なぜか採用になりました。これがわたしのライターとしてのスタート。「コンテンツマーケティング」が全盛の頃です。

そのメディアは女性向けということでしたので、わたしは我流で自分の経験と持論を展開することになります。テーマは仕事や恋愛や生き方など、自分の等身大の価値観でした。

それまではブログですら情報発信なんてしようと思っていなかったのに、いざ「お仕事」という「打席」に立つと、自分のなかからさまざまな言葉や考えが出てきました。
もちろん悩むこともネタにこまることも考えがまとまらず意味不明なままリリースしたこともあるのですが、わたしが思ったのは「機会をもらえればできるんだなぁ」ということでした。

そして、打席に立って初めて発動したのが、自分のなかにある「違和感」でした。

その違和感というのは、生きていれば誰にでも生まれるであろう他愛無いもの。ざっくりいえば「常識」に対する違和感です。
仕事に関する常識、恋愛や結婚に関する常識、「女」という存在に関する世間の常識、生き方に関する常識…。
みなさんも、そういったもろもろの「常識」的なものを押し付けられたときにモヤモヤしたりイラッとしたり納得いかなかったりしたことって、ありますよね?
でも、そのイラ&モヤは、あまりにも他愛なさすぎるし、考えたって仕方ないことだし、自分なんかがいろいろ言ったって世の中なにも変わらないしということで、普通はスルーしてしまうようなもの。

しかし、いざなにかを自分のなかから絞り出さねばならないとなったとき、このイラ&モヤ=「違和感」は、強力な材料になったのです。
そのための力は、些細なことに「気づく力」。自分のなかに芽生えた小さな小さな火種を消さないようなイメージです。

お仕事という打席に立ったことで、日常茶飯事のイラ&モヤをしっかり見つめる選球眼を得たという感じ。これは、ある意味のそのプレッシャーがなければ見いだせないものでした。

問う、そして対話する力

そして、なにかに気づいたらその次に必要な作業は「絞り出すこと」です。
お仕事ですから、なんとかどうにか言葉を絞り出して書いて形にせねばなりません。
自分のなかに芽生えた小さな火種を、いかに大きな松明にするか。キャンプファイヤーにするか。絞り出すのは、さまざまな思考と言葉です。

この「絞り出す」を支える力というのが、「問う力」「対話する力」なのです。

それは自分と対話する力でもあるし、インタビューするときには相手と対話する力でもあります。

「それはなぜ?」
「なんのために?」
「本当にそれでいいの?」
「わたしは/あなたはどうありたい?」

などなどを問い、その答えを対話しながら導き出していく。

この「問う力」こそが、人間にしかできないことなんじゃないかとわたしは思っています。

Chat GPTが一般化されたことで、AIはぐんと身近なものになりました。プロンプトをいじるだけでほしいテーマにそったブログが1分で100本とか作れるようになった今、とあるクライアントに「ライターさん大変でしょう?」と同情をにじませた表情で微笑まれたことがあります。

そのときには「泣きそうですぅ」と答えましたが、正直書き手としてAIというのは味方にこそなれど脅威になるとは思っていません。
もちろん、ライターといっても資格があったりするわけではありませんから業界は玉石混交。AIによって仕事を奪われるライターもいると思います。

そうなるかならないかの大きな違いは、この「問う力」があるかないか。
AIは答えはくれるけれども問うてはくれません。
AIを使いこなすためにも、適切に問うことは基本中の基本です。

今必要なことはなにか?
この出来事の本質はなにか?
今わたしたちが求めていることはなんなのか?
今わたしたちがやるべきことはなんなのか?
わたしは/相手はどんな答えをどんな形でほしいのか?

この問いに対して、自分のなかのもう一人の自分から、もしくは他者から、AIから、答えを導き出すことで、思考と言葉が積み重ねられ、「書く」という作業に繋がっていくのです。

そして、適切な「問い」を繰り返していくことこそが「対話」。
「問い」と「対話」は地続きの関係だとわたしは思います。

でも、まずは問うことからはじまる。
問うことができないライターは、SNSポエムすらも書くことはできないと思うのです。

書く力は、モテる力

なんて、小難しくつらつら書いてきましたが、いけかよが思う現時点の「書く力」の構成要素は「気づく力」「問う力」「対話する力」この3つです。

そう思うと、これらの力が武器になるか?という問いに対しては「そらなるやろ!」という答えになると思います。

なぜなら、「気づく力」「問う力」「対話する力」この3つがある人って、いうなれば「打てば響く」人。つまり「めっちゃおもろい人」ということになると思うのです。

例えば「これってどう思う?」と聞いてみた時に「いや…なんとも…」と引き気味に返されると、この人つまらんなって思ってしまいませんか?(そもそもの「どう思う?」の問いがつまらないからなのではというツッコミは今はご容赦ください)
もしくは悲しくなってしまいませんか?
ぜんぜん打っても響かない。

じゃあこれが「打てば響く」な場合だとどうなるか。
「これってどう思う?」という投げかけに対して、相手が何を求めているかに「気づき」、「自分はこう思うけど、どう?」と「問い」、そして「対話」が始まる。

これって、相手も気分良くなる可能性が高そうですよね。

わたしは、前述のように女性向けメディアで持論展開コラムを書き始めた時、自然と「読後感」を意識するようになりました。
なぜなら、とても失礼を承知で言いますが、他のライターさんたちの記事を読んだ時、読み終わってからイラっとしたりモヤっとしたりすることがあったからです。言ってることは間違ってはいなかったとしても、です。
いまとなっては、そのコラムやライターさんはわたしにとってすばらしい学びをもたらしてくれたと言えます。

「このモヤモヤはなんでやろう?とにかく自分はこういう書き方はしたくないな。でも、普通のことも書きたくないな。じゃあどうすれば?」という問いを促してくれたからです。

そこでわたしに芽生えたのは「良い読後感をつくる」という意識でした。
「読んでよかった」という気持ちをもたらすことです。
言いたいことは言うけど、最後は希望を持って終わらせる、ということを決めたのでした。
(とはいえもちろん今でも書いて失敗することはあります)

これを、人と人との会話に照らし合わせてみると「なんかあの人としゃべると元気になる」とか、「あの人めっちゃおもろい」とかになると思うのです。

これは「コミュ力」とも言うかもしれませんし「言葉の力」とも言えるでしょう。
そしてそれは「書く力」とも同義語だと思うのです。「作文力」ではありません。つまりはAIには持ち得ない力です。AIが得意なのは、現時点では「作文」であって「対話」ではないからです。

言葉の力で、元気になったり楽しくなったりする人を増やしたい。
これは、わたしがたまたまご縁があって人に文章の書き方をアドバイスするようになってから意識しはじめたことです。

2010年頃から流行り始めたコンテンツマーケティングにより、あらゆるWebメディアが生まれては閉じていきました。モノを売らんがためにつくられたメディアも当然多かったですが、「このメディアで世界を救いたい」と思っていた人もいました。
しかし、現時点でWebメディアが世界を救ったとはいえません。しかし、たった1本の記事が1人の人間を救うことはあるかもしれない、と思うようになりました。

そんな思いで、そんな記事を書ける人を少しでも増やすことができたとしたら、それって世界を救えるんじゃないか。

ちょっとマジでそう思っているのです。

そしてなにより「なんかあの人としゃべると元気になる」とか、「あの人めっちゃおもろい」って思ってもらえる人って、ぜったいモテますよね。

そう、いけかよは、もっとモテる人をふやしたくって、ライター講座をやっていると言っても過言ではありません。
モテる人がいっぱいいる世界って、どう考えても素敵じゃないですか。

というわけで。
書く力をつけたいあなた。
仕事できる人になりたいあなた。
AIにビビっているあなた。
モテたいあなた。
ぜひ、いけかよといっしょに「書く」ことを探求しましょう!

名古屋にてお待ちしています。

2023年11月25日&26日 @名古屋(対面のみ。オンライン開催はありません)
エラマライター養成講座(2日間プログラム)
〜Chat GPTに負けないライターになるために〜

https://elama.be/workshop/tobewriter/

過去の開催レポートはこちら

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!

すっかり秋めいた気候になってきましたね。

突然ですが、結婚式の多い時期はいつだと思いますか?

なんと1位が11月、2位が10月、3位が5月なのだそう。ジューンブライドという言葉があるので、6月だと思っていましたが、意外に秋なんですね。

結婚や結婚式をする・しない・できる・できないこと、それぞれに対しての意見があるように、結婚や結婚式には正しいあり方はないのかもしれません。

ですが、結婚式に参加すると、ルールやマナー、構成など、「”ふつう”はこういうもの」という概念が存在している気がするのです。

結婚式を開催する側・参加する側にしか見えないものがあるように、参加した1人として、結婚式がどうみえるのか?

今回は、「結婚式」に注目して考えてみました。

ふたりが大切にしているものとは?

結婚披露宴、通称「結婚式」は、ふたりが結婚を誓う儀式である”挙式”と、結婚したことをお披露目するためのパーティーである”披露宴”に分かれています。

みなさんは、披露宴に参加した時になにを感じましたか?

私は小さい頃、それは特別で幸せなキラキラしたものだと感じていました。

しかし、全体の流れがわかってから参加すると、見え方が少し変わっていたのです。

なぜなら、「なにを大切にしているか」が披露宴に表れているのかもしれないと感じたからです。

どんなテーマの披露宴なのか。祝辞を誰に頼むのか。

生い立ちの動画では、家族、性格、学生時代のエピソード、趣味など、どんな部分を映し出すのか。

ふたりの出会いの動画は、ストーリー風なのか、思い出写真のスライドショーなのか。

どんな人を呼び、どんなテーブルの配置になっているのか。

お色直しの退場は誰とするのか。飲み物のほとんどがアルコールで悲しんでいる子供を見たことがあるので、食べ物や飲み物の充実度も見てしまいます。

大変な準備を経て開催されたステキな祝いの場であると同時に、ふたりの大切な”なに”かがそこに表れているように思っていました。

しかし、結局その人どころか大切な”なに”かは、表面的にしか分からないのではないかと思うようになりました。

なぜなら、多くの疑問が自分の中から浮かび上がったからです。

披露宴への疑問

どうして、披露宴には決まった構成があるんだろう?

なぜ祝辞を頼む相手は、だいたい新郎が会社の上司で、新婦が何年ぶりかの恩師や学生時代の先輩なんだろう?

「主賓だから」という理由は分かりますが、なぜ上司や同僚が真ん中の席というマナーがあって、身近で支えてくれた人たちは端っこなんだろう?

披露宴で盛り上がっているのは分かりますが、なぜ友人たち・同僚たちの内輪ノリで楽しむのがメインのように見えてしまうんだろう?

これから始まるふたりの結婚生活が、結婚式ではなぜ想像できないんだろう?

生い立ちとふたりの出会いを動画にして見ていると、どうして結婚が幸せのゴールのように見えてくるんだろう?

いつの間にか、「どうして」「なぜ」「なんで」がたくさん自分の中に沸き上がっていました。

目の前で結婚するふたりは世界でたった1組しかいません。しかし、そこには一般的で世間的に幸せなふたりの模範が、マナーとルールで決められた構成によって映し出されているように見えたのです。

何度か披露宴(結婚式)に参加したことがあります。誰1人として同じ人間ではないので、ぜんぶ違う披露宴になっていました。

しかし、祝辞を頼む相手、一緒にお色直しをする人、手紙の内容が、なんだか同じように感じてしまったのです。

しかも、今はYouTubeや各SNSで結婚式の全体の動画や感動的な名場面などが投稿されているので、なおさらどこかで見たものという既視感がありました。

今の結婚式は、規模も方法も大きく変化しています。しかし、枠組みが同じなので、ふたりの大切な”なに”かよりも、世間一般の枠に当てはめられたものとして機能しているように、私には思えてしまったのでした。

参加側にとっての結婚式とは?

結婚式に参加した時、どんな場だと感じたのか気になって友人や親戚に聞いたことがあります。

・自分のことのように喜び、幸せになり、感動もできる場

・両親や祖父母にとっては、一生の思い出の場

・久しぶりに親戚に会って近況報告できる場

・普段できないような服装や髪型、メイクなどができる場

・スピーチや余興をしたり、お祝い動画を作ったりする側にとっては発表会のような場

・何年も会っていない友人と再会できる同窓会みたいな場

・初めて会う人と交流できるかもしれない場

・豪華な食事が食べられる場

一人ひとりが違うように捉えながらも、幸せを感じられる場という共通の感想もありました。この質問の答えには、なんだかその人の価値観や人生観が表れているのかもしれないと思いました。

一方、ステキな場として結婚式を捉える人だけではなく、不満を抱える人もいます。

去年、「お世話になった方々から3万円とって貴重な休日の大半を潰させて…」という結婚式が理解できない理由が書かれたツイートが8.3万のいいねと多くの共感が得られ、話題になりました。

今や、「ご祝儀が高すぎる」とか「結婚式の意味が分からない」がSNSの鉄板ネタになりつつあるそうです。結婚式には時間もお金もかけたくない、それが現代の常識なのかもしれません。

効率的でないお祝い事には、繋がりがある

昔は、芸能人の豪華な結婚式がテレビで中継されていたと聞いたことがあります。今は、テレビではなくYouTubeで結婚式がネタとなって動画がつくられています。なので、結婚式に注目している人が多いことは変わっていないようにみえます。

テレビの場面や文章が切り取られて拡散され、映画が倍速で視聴される。

結婚式に、お金も時間もかけたくない。

それは見たいところだけ切り取り、時間を使わないために早送りするというムダを省いた効率性や利便性が重視されていることを表しているようです。

そして、その価値観に拍車をかけているのが、人と人とのつながりが希薄化していることだと思うのです。

今の家族のあり方、親戚同士の付き合い、友人たちとの関係、仕事上の人間関係…。全てネット上でつなごうと思えばできてしまいます。

結婚式にも令和の新様式として、バーチャル結婚式が登場しています。

これからさらに便利さや機能性を求めれば、結婚式を対面で行うこと自体に批判が生まれてくるかもしれません。

でもそれは結婚式だけでなく、全てのお祝い事に同じことがいえると思うのです。

人生の節目を祝うイベントを、どのくらい知っていますか?

妊娠5ヶ月目の戌の日に子宝を授かったことに感謝し、無事生まれてくることを祈る「帯祝い」があります。人の一生のお祝いは、なんと生まれる前から始まっているのです。

日本には、帯祝いから百寿までお祝い事が盛りだくさんで、その行事は歴史・文化・地域・食事とつながっています。

そう思うと、お祝いごとを煩わしく思うことは、人のつながりだけではなく歴史や文化などとのつながりもどんどん薄れさせるのではないかと、結婚式を通して考えさせられたのです。

結婚式から発見できた自分の考え

結婚式に行ったから、疑問が生まれました。

見たいもの、聞きたいことだけに集中できるバーチャル結婚式では、気づかなかったことかもと思うのです。

ネットの中では、検索・閲覧履歴などを基にして、自分の関心に合わせた情報や商品、ニュース、コミュニティが紹介され続けています。

自分が選んで、判断していると思っていても、いつの間にか各個人に特化したものしか表示されていない自分だけの世界になっています。

その世界には、自分が好きで肯定できる情報がほとんどです。違う意見は、すぐスクロールして見えなくできるし、攻撃もすることもできてしまいます。

ですが、実際に会ったり、話したりすると、スクロールしていたはずの意見を自分の中に落とし込むことができます。新しくて、自分とは違う発想や考えを知ることができるんです。

そして、自分の中にある考えによって、共感や違和感などさまざまな感情が生まれます。

結婚式で、ふたりの大切な”なに”かが見えるのかもしれない。そう思いましたが、逆に結婚式に参加して、さまざまな人を見て、話をして、聞いて、自分の考えを知ることができました。

意外にも、結婚式というのは他者を通じて自分を知る場なのかもしれませんね。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

Text by どさんこ大学生RUNA

こんにちは!いけかよです。

10月になりました。いけかよの住む関西でも、やっと少しだけ秋めいてきたような…?

とはいえ、秋は行楽の季節。食べ物もおいしいし過ごしやすいし、秋こそ旅に出たいな〜と思う方もたくさんおられるはず。

ではぜひ、その旅先候補のひとつに岐阜県の飛騨高山を加えてみてはいかがでしょうか?

ということで、本記事ではわれらがエラマプロジェクトの日本のホームとも言える飛騨高山の魅力を全力で推したいと思いますっ!!

蕎麦好きにはたまらん季節 byいけかよ

飛騨高山にはいろんな美味しいものがありまして、有名な飛騨牛や日本酒をはじめ、朴葉味噌や漬物ステーキなどなど、地元グルメもおいしい!

そんななかでも、秋に開催される新蕎麦まつりが、いけかよは最高だと思うのです…!

新蕎麦まつりは10月下旬から11月にかけて、飛騨の各地で行われているようで、たまたま飛騨高山に行った時に遭遇したのがきっかけ。

蕎麦は最後の晩餐にしてもいいと思うくらいいけかよは好きなのですが、それこそ飲むようにいろんな蕎麦を食べられるこの新蕎麦まつりはいけかよにとってはたまらんイベント!

まさに、この秋のタイミングで訪れるべき催し。ぜひ、開催場所と日時をチェックして行ってみてください!

飛騨市のHPからチェックできそうです。

山の上でおいしいひとときを cafe 櫟-Ichii- by momo

こんにちは、momoです。

わたしがこのお店を知ったのはエラマプロジェクト代表ゆみさんへのインタビューがきっかけでした。

普段はカフェ巡りなどしない、コーヒーはめったに飲まなくなった、そんなわたしですが、過去にものすごくおいしいコーヒーに出会って感動したことがあるので、ゆみさんのお話をうかがい、高山を訪れたときにはこちらのお店にもぜひ足を運びたいと気になって仕方がなかった場所です。

いざそのチャンスがやってきてアクセスを調べると、JR高山駅から徒歩25分などの情報が。徒歩40分までなら許容範囲なので全然いけるなと高山の探検も兼ねて歩いて向かうことにしました。

お店のロケーションは時間や物事に追われる感覚から離れたいという人にはぴったりだと思います。

いただいたのはこちら。

コーヒーは期待を超えるくらいおいしくて、人生2度目のおいしいコーヒーとの出会いに、来れてよかった〜と静かにうれしさを味わっていました。

ケーキは、飛騨高山のフルーツも体験したいと思い、いつもなら食べないタイプの商品を注文。

スポンジが今まで食べたものの中で1番、最高においしかったです。

ここのなら、普段は選ばないショートケーキも食べてみたいと思ってしまうくらいに。

丁寧さが感じられるもので体を満たす幸せをかみしめる時間になりました。
cafe 櫟-Ichii-があるから高山に行きたくなると言っても過言ではないお店です。

ぜひ、高山でおいしいものを味わう幸せと自分の時間を大切にする幸せにひたってみてください!

思いっきり呼吸したくなる景色 by RUNA

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです。

去年、開催された「エラマ文化祭」で初めて飛騨高山に行きました。

まだ一度しか訪れたことがないそんな私の飛騨推しポイントは、森林の景色です。

滞在した場所が山間部だったので、周りは豊かな秋の色に染まっている木々でした。

周りの全ての景色が自然だと、身体を伸ばしたくなったり、寝転がりたくなったり、思いっきり呼吸したくなったり…私は、無意識に身体が動いていました。

朝、6時前に目が覚め、気づくと約2時間、外で景色を眺めていました。

その景色がこちらです。

人が多くて、高層ビルばかりの所に行くと、空気のにおいに少し違和感を感じます。

それは私が北海道出身だからかもしれません。地元では、いつものように、もうすぐ冬だななど季節のにおいを感じていました。

飛騨高山でも季節の変わり目を感じました。なぜなら、そこに自然の景色が当たり前に広がっていたからだと思います。

自然豊かな飛騨高山には、紅葉の名所が沢山あるそうです。

思いっきり伸びをしながら、呼吸したくなる飛騨高山で、自然の景色を堪能してみませんか?

グルメと人に会える優しい場所 by ひらふく

こんにちは!ひらふくです。

飛騨高山には5~6回ほど訪れています。毎回私が楽しみにしているのは、おいしいグルメと飛騨の方とお話しすること。今回はエラマ図書館のまわりにある飛騨のお店を2件ご紹介します。

エラマ図書館があるウッドフォーラム飛騨は敷地内にいろいろなお店があります。高山ラーメン、みだらしだんごのお店、そして地元の人が早朝からやってくる産直市場とCafé &Rest Room335という喫茶店など。

産直市場の野菜ははじめて見るものもあってワクワク。作った方の名前が書いてあり丁寧に作られたことを感じます。飛騨の牛乳を使った無添加パンも販売されています。それも全部手作りで、ウッドフォーラムの芝生に座って食べると最高でした。

Café &Rest Room335さんのご飯はとてもおいしい!そして店内がとてもロックなんです。店内にはジュークボックスがあって音楽が流れつづけています。

私がはじめて訪れたのがちょうどジュークボックスが導入された日。男性客のグループが音に合わせて歌いながら会話を楽しんでいました。

食後のお茶にはそっと金平糖が添えられていました。飛騨の方からは、こうした言葉にしないけれど気にかけてくれる優しい気遣いを感じます。

お店の方に「これはなんですか?」と話しかけると「これはこうやって作ってるんだけどおいしくてね…」とこだわりを伝えてくださいます。

おいしいグルメとそれを作る優しい人達に会いに、さあ飛騨高山へ。

きっともっと秋を感じられる高山へ

いかがでしたか?「観光」とは違う高山のディープスポット、エラマライターズだからこそのチョイスです。

喧騒から離れてほっとしたいときに。

ふだんとは違う感覚を味わいたいときに。

「陽」が過多な日々に「陰」をプラスしてバランスをとりたいときに。

ぜひ、飛騨高山へおこしください。

Edit by いけかよ

こんにちは、あいすかです。

9月も終わりを迎え、まだ関東は暑さを残しつつ、秋の気配?も感じている今日この頃です。

みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

前回の記事では、夏休みの母娘、初フィンランド旅前の気持ちを書かせていただきました。

親子ともども、体調を崩すこともなく、無事に旅を終えて帰国し、日本でいつもの日常を過ごしております。

全てがネタになる、そんな旅にしたい!と書いて締めくくった前回の記事も振り返りながら、フィンランドへ行って何を感じてきたのか、わたしと娘のこと、少しずつアウトプットしていこうと思います。

旅の時系列報告というよりは、この旅の間に何を感じ取ってきたか、母からみた娘の成長だったり、小学校の子どもたちと先生方から学ばせてもらったこと、対話したこと、わたしが考え感じたことを素直に綴ってみたいと思います。

今回もしばし、かあちゃんの手紙にお付き合いくださいませ。

娘の逞しさ

娘にとっては初の海外旅行、最初の壁はロングフライトでした。現在はロシア上空を迂回して飛行するため直行便でも13時間かかります。

娘もわたしも、できる限りストレスなく目的を達成できるよう、フライトはフィンエアーの直行便に。

ヘルシンキ国際空港に到着して、ツアーメンバーが集合する待ち合わせ時間まで約1時間ありました。

娘は早速 「本場のシナモンロールを食べよう!」と、2食目の機内食を食べた直後にも関わらず、空港内のカフェを探し始めました。娘に旅のエンジンがかかってきたことを確認しつつ、わたし自身、フィンランドへ来たんだと実感したのでした。

娘はツアー中、自家発電が始まったかのように、母のわたしから離れ、自らメンバーに個々に話しかけ、母親以外の大人たちと行動を共にしたり、自分の思うように行動しはじめました(母娘が二人きりになったのは、この旅の間、本当に寝る時のみだったのです!)。

「参加者の皆さんも、それぞれ思いがあってフィンランド旅行に参加しているはず。自分のペースで街を見たり感じたりしたいだろうに、我が子がくっついていると、迷惑ではないだろうか…」と、母親のわたしは多々感じておりました。

でも、その考え方こそが、子育て中に培われてしまった「日本の母親の脳みそ」なのだなぁと気づくことになります。

もちろん、ご一緒した日本からの参加者のみなさん、出会えたフィンランド人のみなさんが「大人の包容力」で接してくださったことは言うまでもありませんが、何よりみなさん、「子どもへのまなざし」が温かかったのです。

親以外の大人たちと旅の一コマを共にし、吸収したことを自らシェアしようとしている子どもの姿は、とても逞しく、その後はわたし自身も「我が子」を意識せず、旅そのものを楽しむことができました。

同時に、いまの日本の社会、学校、地域に場所を移して考えてみた時、このように大人たちの子どもたちを見つめるまなざしに、余白はあるだろうか?

日常生活の中で、子どもと同じ目線で、じっくり対話をする心と時間の余裕を、大人たちは持てているだろうか?

この問いは、日本に帰国後、わたしの日常生活にも変化をもたらすことになりました。

(そのことは、最後のツアー番外編にまとめとして書いておきます)

ヘルシンキで思い出したドイツのこと

ここでは、フィンランドの学校システムや授業といった仕組み的なことをお伝えするのではなく、2023年8月、日本人親子が参加した小学校視察の個人的感想として受け取ってもらえたらと思います。

今回はヘルシンキ市内の2つの小学校へアポイントメントを取ってくださっていて、ツアー参加者は2グループに分かれ、1校づつ少人数で見学に行きました。

1校はヘルシンキ中心部の公立小でフィンランド人が多い学校。もう一つは地下鉄に乗って20分くらいのところにある移民の方々が多く住む地域にある小学校でした。

わたしたち親子は後者の小学校へ伺いました。エラマプロジェクトメンバーのミッラも通訳として同行してくれました。

エントランスに入ると、すぐに開放的な空間で、天井から手作りのオブジェがかかっているカフェテリアに到着(上記写真)。ここで生徒と先生たちはバイキング形式の給食をとるそうです。一瞬、学校というより、どこかのカフェにきたかのような錯覚に陥りました。

その後、校長室や職員室へ行き、荷物を置かせていただいてさっそく校内の見学へ。

まず小学校1年生のクラスへ伺いました(担任の先生2人と20人弱の生徒がいるクラス)。

私たちも、ひとり一人が日本のどこから来たのかを説明し、子どもたちからの質問にも答えました。

「日本へ行ったことがあるよ!お寿司食べたよ!」

「マリオ(スーパーマリオ)の国でしょ!」

などなど、手をあげて質問してくれる子どもたち。

使っている算数の教科書を見せてくれました。

フィンランドの小学校は8月中旬から新学年がスタートするため、入学してまだ2週間目の子どもたちだったのですが、日本から来た視察者を快く迎えてくれて、人懐っこく話しかけてくれました。

小5の我が娘を見て、

「あれ?(子どもの)お姉ちゃんがいる!学校は?」

と、こっそり聞いてくれた生徒さんもいました。

(フィンランド語だったのでおそらくそんな感じの意味かな?)

すると「私は今サマーホリデー中なのよ!」と、質問してくれた子に日本語で返す娘さん。

言葉は分からなくても、ニコニコしている小1と小5の子どもたちに癒された大人たちでした。

その後、5年生の全生徒さんがサプライズで私たちに合唱のプレゼントをしてくれました。

入口のカフェテラスの広場にならび、ざっと並んで、ラフな感じで、歌っている子もいれば歌っていないけど笑顔の子もいたり、それぞれ好きなように表現している感じ。音程的にはちょっとズレた感じの合唱だけど、それがまた心に響くんです。日本からやってきた視察団のために歌いましょう、と無理やり歌わされている感じでもなく、歌いたくなければ歌わなくてもいいよ、という空気感も漂っている。けど、イヤな感じは全くなくて、心地よくて、なんだか、その歌声と佇まいに感動してしまいました。

おそらく、一番ウキウキ楽しそうにしていたのは、ピアノ伴奏担当の担任の先生でした。(笑)

チラッと横を向いたら、娘の眼にもうっすらと涙が…。わたしは娘の顔を見ていないふりをしておきました。フィンランドの同級生の歌で何か心が動いたのかもしれないですね。

その後、さらに少人数に分かれ、6年生の英語クラス、または移民の子どもたち向けフィンランド語補習クラスのどちらか行きたい方へ行くことになりました。

(わたしは移民クラスの見学を希望し、娘は英語クラスへ行きたいということで、後はずっと別行動でした)

実は、今回の小学校視察全体の中で、わたしが一番心に残っているのは、このヘルシンキの小学校、移民クラス担任の女性の先生との出会いです。

彼女は、この8月(新年度)から移民クラスの担任になったばかりで、昨年度までは6年生の通常クラスの担任だったそうです。

国の方針なのか、移民の子どもたちがフィンランド語を覚えて、通常クラスに早くいけるようにすることが優先され、教科の遅れに繋がらないようにすることに重きを置かれているように、わたしは感じたんです。

ちょっとイヤな質問かも、と思いながら、担任の先生にこう質問してみました。

「通常クラスへ行ったとしても、移民の子どもたちが言語面、心理面で困ったときにサポートをうけられる体制が学校内にありますか?」

彼女は

「それは、このクラスです。わたしは、移民の子どもたちが早く通常クラスへいけることも希望しますが、フィンランドの生活にも慣れていない子どもたちにとっては、まず学校という場所が彼らが生きるセーフティーネットであると考えています。ここに来れば、安心して生活できる。そう思ってもらえるように、わたしはここにいます。」

そして、続けてこう話されたんです。

「わたしも、実は9年間、2人の子どもたちが小学生の時にドイツに居ました。ドイツ語は全く分からず、子どもたちも現地校の移民クラスにはいっていました。当時、学校に通うことで母子ともに救われたんです。だから、わたしはフィンランドに戻ったら、教師になって同じような子どもたちや親を救いたいと思いました」と。

それまでは表現者として芸術系のお仕事をされていたそう。しかしドイツへ行ったことで教師になられたと聞き、働き方がフレキシブルかどうかということよりも、人のために働きたい、と主体的に思う彼女の人間性に惹かれてしまったのでした。

そういえば、20年前にわたしもドイツへ留学していたことがあり、当時の学校の雰囲気と、なんとなく今のフィンランド(ヘルシンキ)は似ていると感じました。当時のドイツも移民を受け入れ始めていたころでしたし、教育は大学まで無償で、日本でいうところの高校と職業訓練校に分かれていたり、制度も似ています。そして徴兵制もある。

ヘルシンキの小学校を見学しながら、ドイツを思い出しました。そして同じ頃にドイツで子育てをしていたフィンランド人女性はそこで生き方を変えた。

そう思うと、これからのわたしはどう生きて、社会に何を還元して、逝くか。大げさに聞こえるかもしれませんが、そんなことを考えるきっかけになった出会いだったのでした。

ちなみに、英語クラスを見学していた娘はというと、

「わたしの学校(公立小)の英語クラスと似た感じだったよーー。楽しかったよ。」

とニコニコ戻ってきたのでした。

湖水地方で磨かれる感性

ツアー後半は、湖水地方へ行き、コテージに滞在しました。わたしたち親子とご一緒してくださったご家族も、お母さんと10代、20代の娘さんの3人で、数日間のコテージは5人でのんびり&ワイワイ過ごしました。

湖水地方Saimaa(サイマー)在住でsaimaaLifeの設立者、Mari Pennanen(マリ ペンナネン)さん(以下Mariさん)から森林セラピーを受けたり、自然のなかで本来の私たちの在り方をみつめるナチュラルウェルビーイングを実践しながら、のんびりと過ごすことができました。

Mariさんは、私たちの滞在中、博物館見学から現地の小学校視察までアテンドしてくださり、日中はずっとご一緒することができました。ご自宅にもご招待いただき、Mariさんの娘さんたちともお会いでき、我が娘も嬉しそうにしていました。

コテージを経営されているご家族の皆様にも、大変お世話になりました。おばあちゃまからはかぎ針あみで作るキーホルダーや木製の織機で絨毯を編む工程など、手仕事を教わる機会もいただきました。

わたしにとっては田舎でのんびり、という感覚に近い滞在生活でしたが、娘だけでなく他の参加者の子どもたちの心のなかの変化も感じました。

例えば、綺麗な夕日をみながら、「いまボートに乗りたい!この夕日が綺麗だから!」と、その風景を心に刻んでいるかのように、眼をキラキラさせて話してくれました。

フィンランドの自然と子どもたちの表情の変化から「いま、この一瞬一瞬を大切にしたい。この気持ちを、見逃してしまってたら、もう巻き戻しはできないのだ」という覚悟も学ばせてもらいました。

ツアー番外編:尊敬する女性との再会、そして帰国後

親子での初フィンランド旅はエラマプロジェクトに大変お世話になりました。

ツアー中の自由時間や隙間時間では、わたしが尊敬する日本人女性2人にお会いすることができました。

おひとりは大学の先生で、長年フィンランドの福祉を研究されている女性です。偶然にもヘルシンキに滞在中とのことで、初日の夜ご飯をご一緒することができました。

わたしが大学院で研究していた産前産後の女性の心身の健康や、フィンランドのネウボラのお話など話題は尽きず、そして現在の課題についても伺うことができました。

そして、もう1人は、フィンランド在住で教育と福祉のコーディネーターをされている方です。最終日、わたしと娘が帰国する日に、わざわざ会いに来てくださいました。

ツアーで感じたことや、フィンランド教育のこと、これからの課題、尊敬するお二人とフィンランドで対話できたことは、わたしたち親子にとって帰国後の新たな目標を考えるきっかけになりました。

娘はフィンランドから帰国後、まったくフィンランドの話をしなくなりました。

いま目の前にあること、学校生活、友達との時間、吹奏楽など、これまで以上に熱中し、いま自分がいる場所でできることを深め、可能性を広げているようにみえます。

わたしも、娘と同じように、日常生活をていねいに、「いま」をより意識するようになりました。

朝、少し早めに起きて、ヨガをして、ご飯を炊いて、味噌汁をつくって、子どもたちが起きてきたら、ゆっくり朝ごはんを食べる。

時間に余裕をもって仕事をする。

自分のスケジュールを詰め込み過ぎない。

子どもたちの行事が続いても、一日のうちで必ず自分だけの時間を確保する。

今できていることは、明日もできる。その積み重ねが未来のわたしを作る。

ちょっと大げさかもしれないけど、これが帰国後のわたしのマイプロジェクトです。

次回、フィンランドへ行く際は、またドイツにも立ち寄ってみたいな、と思います。

長くなりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

天海祐希が好き。

宝塚歌劇団出身ならではの美しい立ち居振る舞い、弁護士などの堅い役からコメディエンヌまで幅広い役をこなせる柔軟性など、とにかくかっこいい。

彼女は、宝塚でも男役だったということが影響しているのか、賢く強い女性の役を演じることがよくあると思うんです。

「離婚弁護士」や「合理的にあり得ない」では弁護士だし、「BOSS」だとアメリカ帰りの刑事だったし、「緊急取調室」でも癖のある加害者をやりこめる敏腕刑事でした。「女王の教室」では圧のある怖い先生でしたよね。

上司にしたい女優No.1と言われ、「ハンサムな女性」を象徴するような女優の一人なんじゃないかなと思います。芯のある役がはまるとも思うし、いつも「天海祐希、かっけー!!」って思いながらテレビを見ています。でもバラエティだとキュートなんですよ。そのギャップもいい。

天海祐希は「おばさん」なのか?

天海祐希が強い女性を演じるときに、ドラマの中で必ずと言っていいほど、若い世代の人から「おばさん」とか「年増」とか言われてるんですよね。最終的にはそのような発言をうまく切り返す結果になるのだから、問題ではないのかもしれないのですが、私はこれが気になります。

ドラマだと40代以上の設定の女性は「オバさんにはわからないわよね」というようなことを若い女性から言われるシチュエーションがよくあります。性別を男性にすると、50代の男性が若い男性に「オジサンにはわからない」みたいなことを言われているシーンってあまり見ないように思うのですが、見てるドラマが偏っているのでしょうか。

私が天海祐希を好きすぎて、気になっているだけなんでしょうか。

「逃げ恥」でも石田ゆり子演じるゆりちゃんのセリフがよかったと言われていますが、これだって、若い女性から、「若さという価値がなくなったオバさんは引っ込んでて」みたいな感じのことを言われた時の返答でした。(恋愛がらみの嫌味があったのですが)

呪いね。自分で自分に呪いをかけているようなものよ。あなたが価値がないと思っているのは、この先自分が向かっていく未来よ。それって絶望しかないんじゃない?

自分が馬鹿にしていたものに自分がなるのはつらいわよ。「かつての自分みたいに今周りは自分を馬鹿にしている」と思いながら生きていくわけでしょう。

そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまうことね。

あなたがこの先美しく年をとっていきたいと思うなら、楽しく生きている年上の人と友達になるといいんじゃないのかな。

あなたにとっての未来は誰かの現在であったり過去だったりするんだから

(『逃げるは恥だが役に立つ』9巻63P)

このセリフは、今まで言葉にできなかったことを言語化してくれたような部分があって、とても納得のいくセリフでした。

でも、キャリアを追い求めた素晴らしい女性たちが、若い人から「若くないことは無価値」と言われるのを、私たちはいつまで見せられなければいけないのでしょうか。

年齢を重ねた女性に対して「そういう発言をしてもいいのだ」と考える人を増やしてしまわないでしょうか。

そう考えるのは誰?

若いことに価値があるとみなす傾向はまだ根強いし、特に女性は若さで価値を付けられることがあります。

でも、「若さに価値がある」と考えているのは誰なのか考えたら、老若男女がみんな「若さこそ価値」「歳をとったら終わり」という価値観を植え付けられているように思います。まさにステレオタイプです。

だけど、そういう価値観を壊してくれているのが、天海祐希のような輝きを持った存在だと思うんです。彼女たちが年齢を重ねても第一線で活躍することで、世間や社会が作った「おばさん像」を壊して、「年齢を重ねることには、若さとは別の価値がある」と思わせてくれるロールモデルだと感じているから、私は天海祐希が好きなんだと思います。

「もう若くない」と、自分でも思ってしまっていませんか?

そしてそれはあなたを縛っていませんか?

だとしたら、そんなものからはいち早く逃げてしまったほうがいいと思うのです。

年齢を逆手に取る

ということで、私は「もう若くないし」などと言って諦めることをやめました。

それで、この前「大人のバク転教室」に行ってきました。1回の練習でバク転が成功するわけではなく、3回ぐらいレッスンを受ければ、自力でバク転できるそうです。

子供の頃、とってもどんくさかった私は、バク転が夢でした。今から子供の頃の夢が叶うなんて楽しみでしかありません。40代でバク転できるって、希少価値がめっちゃ高いし、そもそもめっちゃかっこいいじゃないですか。

教室には、私よりも年上の人から中学生まで参加していて、マットの上で前転、後ろ回り、ブリッジなどから始めました。「バク転やりたい!」と思って参加申し込みしたし、コーチも「誰でもできる」と言っていたけど、レッスンの最初は、「本当にこの歳でバク転なんかできるんだろうか」と不安でした。

でも、後ろにまっすぐ飛ぶ練習を何度もやって、コーチに支えてもらって初めて1回転したんです!!「私にもできた!!!」という感動がありました。

コーチの支え付きで、何度かバク転「もどき」をやっていると、だんだんコツを掴んできて、みんなが上手になってきて、一番年上のおじさんがうまく回転できた時の一体感もよかったです。

あの時、誰も年齢を理由に「できない」なんて言ってなかった。

私はまた、あのメンバーに会いたいと思っています。全員が初心者で、一緒に上達していくのを全員で楽しんで、成功を喜び合える空間でした。

もう私は40代に突入しているので、「おばさん」と呼ばれる世代です。だけど、30代後半でイギリスの大学院に行って、40代になってバク転に挑戦して、暑くても寒くてもフットサルで走り回って、急にインド映画にはまって、やりたいことやって泣くほど笑って人生を楽しんでいる「おばさん反乱軍」だと思っているんです。

反乱軍は、「若さに価値があるんだ」とか「おばさんとはこうあるべし」というステレオタイプを押し付けてくる皇帝が率いる帝国軍を、フォースの力で追いやって、反乱軍だけで楽しんでいます(スターウォーズを知らない方にはすみません)。

たとえば、「食べログで見たシェフがイケメン」という理由でトルコ料理屋さんに行ったり、化粧品や脱毛の情報交換をしたり、昼間から集まって飲みながら何時間もカードゲームをしたり、すごく特別なことをしているわけではないのですが、自分たちが今やりたいことを我慢しないで提案できるし、同じように楽しんでくれる人がいることは、とても恵まれていると思います。

さらにラッキーなことに、私の周りには、同年代や年上の人で人生をとても楽しんでいる人たち=反乱軍の仲間がいるのです。

それで、人生を楽しむ反乱軍を見た若い人たちの「年齢を重ねることへの不安」が軽くなったらうれしいです。ぜひあなたも反乱軍の仲間になって人生を楽しみませんか?

Text by ひらみん(普通の会社員)

こんにちは、少しご無沙汰しておりました、あいすかです。

みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

もう、毎日、あついあつい。

わたしの住む関東では、連日、朝から熱中症アラートが発令されています。

ここまでくると異常な暑さですよね。

夏休みに入った子どもたちも、日中は清涼を求めて、プールや海に通っています。

本能的に水に浸されたいという気持ちが凄く分かります。

ひとり時間は皆無になりましたが、それも今だけ(子どもたちが小さいうちだけ)なのです。

2023年は、仏教の「中今(なかいま)」の言葉を思い出す機会が多くありました。

いまここを大切に生きること。

今回の夏休みは、我が家にとって新しいチャレンジが後半に待ち構えています。

8月後半、わたしと小学5年生の娘はフィンランドへ行きます。

わたしは12年ぶり、娘にとってははじめての海外旅行となります。

今回の旅行は「ワクワク」というより「あぁ、やっと行ける」という安堵感のような気持ちがわたしのなかにあります。

娘さんも、はじめての海外に緊張しているといった様子もなく、フィンランドへ行くまでの間に、夏休みの宿題を終わらせることに必死です。

あと数週間後にせまったフィンランド行き。

まだ、パスポートを取り寄せ、海外保険に加入しただけ、何の準備もできていないことに少しだけ焦りを感じつつ、今回はフィンランドとわたし、フィンランドと娘との出会い、旅行に対する想いを綴ってみようと思います。

しばし、お付き合いくださいませ。

フィンランドとの出会い(わたしの場合)

小学生くらいの時に、ムーミンのアニメをみたことが最初のフィンランドとの出会いでした。

当時は北欧がどこにあるのかも分からない子どもでしたが、なんかズングリムックリのかわいらしい体系のキャラクターに惹かれたことは覚えています。

中学生の時に、バレーボール部の先輩から「あなたハーフ?北欧っぽい感じがする。背が高い女性が多いのよね」と言われたときに、北欧ってどこ?とはじめて意識しました。

地図帳で調べたら、なんと遠い。行くことはないだろう、と地図帳を閉じたことを覚えています。

北欧の女性は背が高い、と教えてくれた先輩は、どうしてそのような情報を得ていたのか?当時はインターネットもなかったはずなので(歳がバレます)、今更ですが先輩に質問すればよかったと思います。

10代、20代ではフィンランドにふれる機会はありませんでしたが、社会人になり30代で大学院へ進学したときに、どっぷりとフィンランドの制度に触れることになります。

産後女性の健康、子育て観について自ら全国調査し、データを集めて研究を進めていた時、日本だけでなく海外について、アメリカ、ヨーロッパ(ドイツ)、北欧(フィンランド)の妊娠出産、子育て支援制度を調べました。

そこで、フィンランドの制度、ネウボラという存在に惹かれ、フィンランドの子育て環境のみならず、働き方、ライフスタイル全般にも関心を持つようになったんです。

ネウボラ(neuvola)とは「アドバイス(neuvo)の場」という意味で、妊娠期から就学前までの子どもの健やかな成長・発達の支援とともに、母親、父親、きょうだい、家族全体の心身の健康サポートを目的とした機関(フィンランド大使館のサイトより引用)。

わたし自身、娘が1歳の時だったので、さまざまな葛藤を抱えながら子育てをスタートさせていました。いろんなことを諦めたり、スローダウンしたり、産後は体調もあまり良くなかった。

「母だから」の役割をがんばりながら、「もし、わたしがフィンランドで子育てをしていたら、ネウボラさんがそばにいてくれたら?」

そんなことを考えていた時期もありました。

いまは子どもも成長し、すでに11歳。2人目も5歳になりました。

産後の大変さは思い出になりつつあります。

これは、わたし自身の話。ですが、それで終わらせていいのかな?

まだ、日本では産後の母親、父親、家族へのサポートに課題がたくさんあります。

日本で子どもたちに関わる仕事をしながら、フィンランドの子育て環境を見てみたい、という想いがずっと頭にある。

もう、いいかげん、フィンランドへ行こう!

それが、今のわたしの原動力になっています。

フィンランドとの出会い(娘さんの場合)

今回、一緒に同行する11歳の娘さん。

彼女はわたしがエラマプロジェクトを知る以前から、フィンランドに関心を持っていました。

本人曰く、最初に北欧を知ったのは、おそらく小学生低学年の頃。

NHKのテレビ番組を観たことがきっかけだったのでは、と言っていました。

その番組は、北欧各国(フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)の大使館をめぐり、駐在大使にインタビューする番組でした。

彼、彼女たちが大切にしているライフスタイルについて、ご家族も出演し、インタビューを受けていました。

娘と同年代の子どもさんたちが、お気に入りのソファーや北欧デザインの小物を紹介する場面では画面にくいつくように観ていたことを、いまでも覚えています。

「おかあさん、わたし、こんなお部屋に住みたい。フィンランドの人が、夜にキャンドルを灯して本を読むって言ってたでしょ。なんて素敵なの!フィンランドのお花の布って日本にも売ってるかな?(マリメッコを見ながら)」

「フィンランドの子も、夜はキャンドルを灯して本を読んだりして過ごすのかな?なんてオトナなの!」

興奮して話をしながら、番組をその場ですぐに録画していました。

(数年たった今でも何度も観返しています。)

それからは図書館でフィンランド関連の本を何度も借りてきては読み(おそらく市内図書館のフィンランド関連の本はすべて目をとおしています。)

マリメッコの布を購入して、壁にかけたり、インテリアのワンポイントとして飾ってみたり、ヒンメリを手作りで制作して吊るしてみたり、もう毎日、娘の頭の中はフィンランド。

そのうち通っている公立小学校の担任の先生に「わたしの将来の夢は保育士、旅館のおかみさん、校長先生、またはフィンランドへ移住する人、このどれかになります!」と宣言するようにまでなっていました。

エラマプロジェクトの企画にも自ら参加したい!と、飛騨高山で開催されたエラマ文化祭にも参加し、フィンランドから来日されていたナチュラルウェルビーイングの第一人者であるマリ・ペンナネンさん、そして妹で写真家のマリアンネ・アホネンさんとも仲良くさせていただきました。マリさんのお子さんと自分が同級生であることも判明し、娘のなかでフィンランドのお友達のお部屋を見てみたい、という目標もでき、彼女のフィンランドへ行くという想いは確固たるものになっていきました。

娘さんのフィンランドとの出会いはテレビ、書籍からスタートし、リアルを求めるまでに成長していきました。

とはいえ、小学生の娘と一緒にフィンランドへ行く、と決意するまでには、家族をはじめ、まわりの理解が必要でした。

タイミングがよかったこともあります。

そのことも書いてみたいと思います。

7年越しのフィンランド。おそらく今が絶好のチャンス!!

実は7年前に、当時、フィンランドセンター主催の「夏休みフィンランド親子留学」に娘と参加する予定だったんです。(2023年現在は開催されていません。)

娘さんは当時5歳、わたしも大学院を修了し、行政の健康関係の委員やNPO活動をしながらネウボラの研究を続けたいな、と考えていた頃でした。

たまたまフィンランド関連のサイトから親子留学を知りました。

幼児とフィンランドで生活することで、わたしがインプットしてきた情報(論文など)は事実なのか、それを体験してみたかったんです。

実際にフィンランドの子育て環境を肌で感じることからみえてくることが必ずある。

当時はひとりっ子だったので、夫も仕事があり、わたしたち母娘の2人旅に何の問題もありませんでした。

いつか留学したいという夢のために独身時代からコツコツ貯金もしていました。

子連れになるとは思いませんでしたが、これも何かの縁かな、と。

さあ、出発の1ヶ月を切ったところで、まさかの第2子妊娠が発覚!

もちろん、嬉しいことではありましたが、出発前に安定期に入っていないということ、留学先(研修先)から産科のある病院までかなりの距離がある、ということなど、諸々を考慮し、親子留学は取りやめたのでした。

それから7年、第2子も元気に成長し、すでに6歳になろうとしています。

家族も増えて、家事育児、仕事と日々やることは山積みではあるのですが、こうして娘自身がフィンランドに関心をもっているときに、親子で行くということにこそ、意義があるように感じています。

そして、わたし自身も昨年度から、新たな仲間達と日本でのネウボラ活動について実践研究をスタートしました。

いまだからこそ、フィンランドで吸収できることが沢山ありそうな予感がします。

この7年間にはコロナ禍もあり、だれもが海外へ行くことにハードルがありました。

でも、どんなときにでも、やはりタイミングはあるんだな、と思うんです。

時間がかかっても、心身のコンディションが整っている時に行動すればいい。

タイミングって必ずあるんです。

7年前、無理してフィンランドへ行かなくてよかった。

今だから言えるんですけどね。

全てがネタになる、そんな旅にしたい

これまで、長々とわたしたち親子のフィンランドへの想いと旅行への意気込みを読んでいただき、ありがとうございました。

これから、パッキングや必要なものを揃えないといけないのですが、とりあえず、12年前より格段に世の中は進化しているので、旅も便利になっているはずです。

まずはバスポートとクレジットカード、体調の管理には気を付けて、とにかく楽しむことに専念したいと思います。

全てがネタになる!そんな旅をしてきます。帰国後、また報告します。

暑い日が続いておりますが、みなさまもお身体にご自愛くださいね。

それでは、また!いってきます!

Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)