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Elämäプロジェクト

こんにちは、ライターのpieniです。

現在全国で上映されている映画「小学校 〜それは小さな社会〜」を見られた方はいらっしゃいますか?

私は「関西日本・フィンランド協会」さんのFacebookで、教育大国フィンランドでも大ヒットした映画として紹介されていたのをきっかけにこの映画を知りました。

現在小学1年生の娘の母として奮闘中のわたくし。

とくに今年は4月から10月までの期間、小学校の教室で母子登校(母子で授業に参加する)というちょっぴり貴重な体験をきっかけに、小学校の取り組みや先生、教育にとても興味を持つようになりました。

それもあり、この作品を見に行きました。

この映画を通して、感じたことや考えたことがたくさんあったので、わたしなりのレビューをお届けしたいと思います。

映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」公式サイト
https://shogakko-film.com/

「小学校〜それは小さな社会〜」から生まれた短編版「Instruments of a Beating Heart」で映画の一部を見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=DRW0auOiqm4

6年生になると「日本人」?

映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」は東京都世田谷区の塚戸小学校の1年間に密着し、新1年生の入学から6年生の卒業、そして次年度のスタートまでの学校生活を追った教育ドキュメンタリー映画です。

監督はイギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマさん。

「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている。すなわちそれは、小学校が鍵になっているのではないか」との思いを強めた彼女は、日本社会の未来を考える上でも、公立小学校を舞台に映画を撮りたいと思った。
映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」公式サイトより

このようなきっかけから、エマ監督は4,000時間にもなる膨大な時間を現場で過ごし、小学校の児童や先生、学校生活そのものを映し出しています。

映画では特に大きな事件が起こるわけでもなければ、特殊な教育プログラムが出てくるわけでもなく、日常の学校生活が年間行事に沿いながら淡々と映し出されます。

しかし児童や先生が、何かアクションを起こしたとき「そのとき何を考えたか」については、本人の話し声やインタビューシーンによって伝わってきます。

また、1年生と6年生に焦点があてられ、小学校生活6年間で子どもたちはどのように変化するのか、どのように「日本人」になるのか、そこに注目して1年生と6年生の対比を描かれているようにも感じました。

映画を見ている最中も、見終わった後もさまざまな感情が沸いてきました。

私の場合は子育て中なので、気が付けばどうしても「母親の気持ち」で見ていました。

1年生の児童が授業中寂しくなったり、できないことを乗り越えなければいけないシーンがあり、つい娘と重ねてしまい涙する。

6年生の先生が卒業する子どもたちに話しかけるシーンがあり、感動で涙。

また、先生自身も己のポリシーを貫くことと、保護者からの声、児童の反応の中で迷いながら1年間の学級運営をされる姿にまた涙…。

このようにさまざまなシーンで、ハンカチとティッシュが必要な作品でした。

そんな状態になりつつも、この映画から小学校について強く感じたことがありました。

大人になった今、あなたは小学校の世界を知っていますか?

小学校。日本では義務教育ということもあり、大人になるまでに多くの人が一度は体験する世界。

しかし、卒業後は学校の先生にならない限り、詳しくその世界を知ることはないのではないでしょうか。

保護者になったとしても、参観日や先生との懇談、運動会や音楽会などのイベント、子どもからの話で知る程度。

PTA役員や、ボランティアなどで関わることがあるかもしれませんが、それでも学校の日常を知ることは難しいと思います。

わたし自身、この後に書く小学校との関わりがなければ、知ることができない世界だったと思います。

この映画は、舞台となった塚戸小学校のすべてが映し出されているわけではないと思いますが、普段は深く知ることができない小学校の「今」を広く世に知らせてくれたと感じています。

映画のポスターやWEBサイトには「いま、小学校を知ることは未来の日本を考えること」というキャッチコピーが掲げてあります。

まずは、小学校の世界を知るということ。そして一人ひとりが考えること。

これこそがこの映画の重要なポイントだと感じています。

映画を企画された監督はもちろん、世界に学校の様子を公開すると決意された塚戸小学校の先生や保護者の方々の勇気に賞賛を送りたいと感じました。

「小学生」そして「日本人」になるということ

ここから、私の体験談も織り交ぜて感想を書きます。

うちの娘は入学時に「学校に行くのが怖い、ひとりでは行けない」という状態でした。

なので学校に慣れるまで母子登校という道を選びました。

母子登校について聞いたり、調べてみると、お母さんは別室や車の中で待機して過ごす、子どもと一緒に図書室など教室とは別室で過ごすなど、いろんなパターンがありました。

うちの場合は子どもの不安が強かったため、しばらく授業も一緒に受けさせてもらえるようお願いしました。

教室の一番後ろに座り、1年生の授業を一緒に受ける日々。

今思うと、毎日が参観日。

小学校を卒業して以来、実に29年ぶりに小学校へ通い、リアルな学校の世界を知ることができました。

保育園児だった子どもたちが入学を機に、集団生活で必要なことを身につけたり、授業として初めて字を習ったり、計算を習う。

時には怒られたり、問題の答えが分からず悔し涙を流しながらも、できるようになる様子や、学校の中で1日1日と段階を踏んで「小学生」になる姿を目の当たりにしました。

たとえば、集団で移動するときは列からはみ出さない、自分の場所をしっかり守る。そうでなければ、学校で迷子になったり、階段から落ちたり危険なこともある。

授業の始まりと終わりにはしっかり挨拶をする。遊ぶときは遊ぶ、時間を守ってけじめをつける。

一見窮屈そうで、特にうちの娘はそういった集団行動が苦手な面はあるのですが、この一番初期の教育を受け、小学生になっていく過程が社会に出たときの基礎的な力になっていると感じたのです。

ひとつ面白いと思った事例があります。

おそらく日本人の多くの人が経験したことがあるであろう「プリント回し」。

プリントを1枚もらったら、自分の分をとって後ろの人に回していくというあれです。

私は気が付いたころには何も考えずに回していましたが、これも1年生の時にやり方を教わっているのだと発見しました。

1年生になってしばらくの間は先生が1枚1枚プリントを配っておられましたが、1か月ほどたち、児童たちが学校生活に慣れ始めたころに練習が始まりました。

「プリントをもったら、自分の分を1枚とりましょう。残りのプリントは後ろを振り向いて、どうぞと声をかけて渡しましょう。もらった人はありがとうと言いましょう。そしてまた後ろの人へプリントを回します」

このように詳しくレクチャーしてから、プリント回しの実践スタート。

はじめはバサッとプリントを全部落とす子もいるし、自分のをとり忘れてしまう子もいる、途中で止まっていることもありました。

しかし、数週間もするとみんなスムーズにプリントを渡せるようになっていき、それが日常となりました。

社会に出てからは、なかなかプリントを回す機会は減りましたが、それでも何らかの集まりに出たときはスムーズに資料を回しています。

気にも留めていなかった行為ですが、このプリント回しのように、社会で生きていく基礎を小学校で教わってきたのだと思います。

映画でも、給食の配膳や掃除、挨拶をする、シューズをそろえる、廊下の進行方向に気を付けて歩くといった基本的なことを教えてもらい取り組むシーンが出てきます。

このような日常生活の基礎を教えることが日本が変わらず取り組んできた、日本の教育だと感じました。

また、作中で6年生が最上級生としての心構えを新学期に言い渡されるシーンがあります。「自分の殻を破れ!」と起業塾などで言われるような言葉をかけられる6年生。

運動会の練習中、なかなか課題をクリアできない子どもたちに向けて再びその言葉が出てきます。「結果ではなく、過程が大事なんだ。目標に向かって殻を破れ!」。

正直、今どきの小学生はそこまで求められるのか!と驚きました。

作中には、最上級生としての姿を見せたり、運動会に向けてできなかったことを自宅でも何回も練習するシーンがあり、先生の言葉を実践している姿が見えました。

娘が通う小学校でも、6年生ってこんなに賢かったっけ?私の時代はもっと適当だった気がする…と思うような姿を見ることがあります。

娘が教室に入れず廊下にいると、すれ違う6年生が面白いことを言って笑わせてくれたり、手を振ってくれたり。母としてもその6年生に何度心を救われたことか。

運動会など全校の活動ではリーダーとして引っ張っていく様子もよくわかりました。

賛否はさまざまあれど、日本人らしい頑張りや集団行動、秩序を守るということは、確かに小学校で基礎がつくられているのかもしれません。

先ほども書きましたが、小学校での生活や教育の様子は、授業参観だけではわかりません。この映画を通して、日本の小学校の世界を知る機会が広がったことは、日本人を知ることや、自分たちがどうやって学んできたのかを振り返るきっかけになると感じています。

見た後に小学校について考えたくなる

この映画の一番の醍醐味は、小学校という多くの人が通る世界を題材にしていることから、映画を見た後に「感情が動く、感想をシェアしたくなる」ことではないでしょうか。

教育関係、暮らし関係のWEBコラムや、個人のブログやnoteなどでも、考察記事やレビュー記事が多いように感じます。

私も、映画を見た友人たちと感想シェア会を行いました。

そこで出た感想を一部ご紹介します。

●1年生も6年生も考えていることが思った以上に大人で驚いた
●子どの頑張りはもちろん、先生たちも悩みながらも一生懸命接してくれてるんだと涙が出た
●責任というキーワードがよく出てきたが、それは子どもにとっては重いと感じた
●自立はしてほしいけれど、責任に押しつぶされてほしくない
●6年生の男の子が「大人になりたくない。だって大変そうだから」というシーンがあった。それは残念だけれど、大人が大人になりたい姿を見せれていないから
先生にもっと心の余裕を持たせてあげたい
●朝早く来て、授業もして、学校活動も担い、事務的な仕事もする。それではゆっくり考える時間もない
●先生ひとりで40人ほどを見るのはかなり負担。ピザ2枚でお腹がいっぱいになれる人数でなければ、チームが大きすぎるという理論(アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスの「ピザ2枚の法則」)を参考にすると、とてもではないけれど運営は難しいと思う
●先生の役割についていろいろ考えることができる。例えば、大学のように授業はその専門の先生にお願いして、担任の先生はファシリテーターや、児童一人一人の様子を見て気づいたことを手助けするなど、全体を見ることに特化してはどうか
●先生が何をしたくて、何を専門にしたくて先生になったかを聞いてみたい
●先生それぞれが、何のプロだと思っているかで学校運営や、役割が変わってきそう

などなど、子どもに関しての感想から、先生へ対しての想いなどさまざまな声が聞けました。

ひとりで映画を見ただけでは気づかなかった「学校の在り方、学校の運営、先生の在り方」などを考える機会になりました。

この映画を見た方が、ほかにはどのような感想を持たれているかとても興味深いです。

また、この映画に関してぜひ読んでいただきたい記事があります。

なぜ「教育大国」フィンランドが、日本の公立小学校に注目するか? ー日本とフィンランドそれぞれのリアルを専門家が語り合うー【オフィシャルレポート】

山崎エマ監督と、フィンランドの教育専門家、日本の教育の専門家、映画に出てくる塚戸小学校の先生とでディスカッションされた時のレポートです。

この記事の中では、フィンランドの教育との比較や、フィンランドの教育専門家が感じた日本の教育のポイントについて書かれています。

また、映画を撮影したエマ監督や教育関係者の願いとして「この映画を通して日本の教育をもう一度考えるきっかけにしたい」といった話が語られています。

この記事の中のエマ監督の話から引用します。

ある小学校のお母さんが、この映画を見た後に泣きながら、「先生たちがこんなにも悩みながら、一生懸命議論しているなんて考えたことがありませんでした」と話してくれました。そして、「自分もこれまで学校に対してあまりプラスになるような行動をしてこなかった。不安が先に立ち、提案もできていなかったけれど、明日から何か行動を起こします」と言ってくれたのです。こうした気づきを持つ人が1人でも増えれば、学校や教員、教育に関わる全ての人たちを、みんなでリフトアップできるのではないかと思っています。

私も、母子登校で小学校を知ったり、この映画を見たことにより、学校に対して何ができるのだろう?と考えるようになりました。

まだ具体的にアクションを起こせてはいませんが、関わりをもつ機会を増やしたり、学校のオープンデーに参加したり、娘が通う学校の取り組みを文章を通じて世に伝えることをしたいです。

日本の学校や教育に関して、ほかの国と比較し自由や選択が少ないという厳しい意見もあります。

またわたし自身も学校にはいいイメージをもっていなかった時期もあります。

もちろん、時代が変わるにつれ学校や教育も変化が必要だとは思いますが、頭ごなしにダメだなどと思うのではなく、映画を見たお母さんがエマ監督に話されたように「学校にプラスになること」それを考え続けたいと強く感じました。

映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」はまだ全国上映中です。(2025年3月現在)

イオンシネマなど大きな映画館での上映も始まっているようですので、小学校の世界を知りたい方はぜひご覧ください!

そして感想を語り合ってもらったり、コメントでいただけると嬉しいです。

エラマの学校もにもぜひ来てみてください

「小学校 〜それは小さな社会 〜 」は日本の教育の話でしたが、このよむエラマを運営するElämäプロジェクトでは、フィンランドの教育や文化から自分の暮らし方を考える・描く「エラマの学校」を開講しています!

全国どこでも、世界のどこでもコースや講座を開講。オンラインでも学べるので、教育に興味がある方はぜひ覗いてみてください。

エラマの学校
https://elama.be/workshop/

丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)

こんにちは!ライターのひらふくです。

さて、エラマプロジェクトの長寿企画といえば「哲学バー」!

毎月1回だけ集まってひとつのテーマをみんなで自由に話すこのイベント。2025年2月で記念すべき60回目を迎えました。

60回目のテーマは「生産性とは何か?」。

…はい、ここで仕事のことを思い出して、なんだか気分が落ちこんだ方には今回の記事をおすすめします!

なぜなら、私も同じようにこの言葉にモヤモヤしながら哲学バーに参加したから。そしてその後は少しだけ「生産性」に前向きになれたから。

哲学バー2号店、今夜は私と語り合いませんか。

「生産性」ってなんだかこわい

生産性という言葉の意味は「投入した資源や労力に対して得られる成果の量や割合」だそうです。Productivityという英単語の和訳で、もともと日本語にはない言葉でした。

少ない労力で大きな成果が得られたら生産性が高いね!と言われます。

2月の哲学バーでは、参加者さんがいろんな角度から切りこんでいました。

「生産性は最初のゴール設定が大事だと思う」

「人間関係でも生産性ってあるの?」

「社会にとっての生産性もあれば自分にとっての生産性もある」

「実は生産性が低い時なんかないんじゃない?」

「難民支援の現場では、いくら支援しても立ち上がらない人もいるけど、じゃあその活動は生産性が低いの?」

「会社は上司受けする人が出世する。生産性が低くても要領のいい人の方が出世する」

さすがの着眼点…。どれもじっくり考えてみたくなります。

ですが、その時の私が思っていたのは実はすごく単純なことで。

「生産性ってなんだかこわい言葉だな」でした。

必要なのはわかるけれど、プレッシャーをかけてくるようで緊張感があって、ともすれば壁のように立ちはだかるもの。絶対的な良し悪しの指標として私たちを測るもの。

社会も企業も「生産性を上げよう!」と叫ぶけれど、本当はみんなその言葉は好きじゃないんじゃないかとさえ思いました。

ネジ1本の価値

哲学バーの楽しい点は、いろんな立場・いろんな年齢の方が集まるところです。だからこそ自分にない発想にハッとさせられます。

この日の私に飛びこんできたのは、参加者さんのこの言葉でした。

「自分は上司としては向いてなかった。コツコツ現場でやるのが好きだったんです。だから評価はされませんでした」

その会社では、上司になること=生産性が高い=評価されるという図式でした。

でも、本当にそうなのでしょうか。生産性ってそういうことなのでしょうか。

私は今まで人事という仕事をしてきました。いろんな部署にお邪魔していると、どの仕事も、なければ会社が回らないことがわかります。

例えば、現場でネジ1本を大切に作る人がいるから、機械は安全に動くし、遠くまで人や物を運べるし、今日も誰かのもとに生きるために必要なものが届くのです。

だから、管理職の人よりも、現場の職人さんが尊敬されている会社だってあります。

「生産性」という言葉は絶対の指標に思えるけれど、実は「何をもって生産性が高いとするか」は会社や場所によって違うのです。

生産性って、私たちが思っているより、ずっとあいまいなものかもしれない。

するとなんだか緊張がほぐれてきました。

「生産性」で測りきれない私たち

場所によって生産性を測る指標はちがう。

じゃあ、私たちはどこを目指したらいいのでしょう?

ひとつは、あなたを喜んでくれる場所にいることです。

例えば、細かい数字が苦にならないならお金や品質をチェックする仕事につく。一方、何時間もゲームを続けられる人は、ゲーム会社でならいろんな活躍ができるかもしれません。

あなたがやってて楽しいこと、興味があること、苦にならないこと、自然とできること。

あなたにとっては当たり前でも、その力を高く評価し必要とする場所があります。

その場所にいられれば、あなたは「生産性の高い人」「いてくれて嬉しい人」であり、そしてあなたにとっても楽しい場所になりそうです。

そしてもうひとつ。

誰かに対して「生産性が低いな」と思ったとしても、その誰かも私の知らない何かを生み出している。それを忘れないでいたいのです。

会社にいると、その会社の目標に向かうために一定の指標で測られます。それはある意味では必要なことだと思います。

でも本音では、私は自分と誰かを比べて、高い・低いと評価したくもされたくもありません。

私が「生産性」という言葉をこわいと思ってしまったのは、その言葉の裏には誰かと比べられているんだという暗黙の了解があって、それが嫌だったのです。

本当は比べて評価する必要はないのでしょう。

私たちは誰もが何かを生み出していて、それはひとつの場所のひとつの指標だけで高い低いと測り切れるようなシンプルなものではない気がします。

場所が変われば指標も評価も変わる。

生産性ってそんなあいまいなもの。

振り回されずに、もう少し気軽に、この言葉と付き合ってみたいと思いました。

さあ、あなたにとって「生産性」はどんな存在でしょうか?

【告知】哲学バーは毎月開催しているオンラインの対話イベントです

次回の開催は3/12(月)20:00〜22:00。テーマは「もっと!寛容さとは何か?」。1月に大好評だった「寛容さとは何か?」の第2弾です。

哲学バーの開店日はこちらからチェックしてくださいね。
はじめての参加でも、顔出ししない聞き専でもOKです!

哲学バーの何が楽しいかって、問いは突き詰めても答えは出さないところ。
新たな問いを持ち帰ってもいいし解決しなくても自由です。

そこにあるのは、立ち止まって考えられる時間と仲間。
そんな夜をご用意してお待ちしています。

Text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)

こんにちは。エラマライターのmajakka(マヤッカ)です。マヤッカはフィンランド語で「灯台」を意味します。わたしの文章を読んでくださったときに、灯台のように、みなさんが何かに迷ったり、目標にたどり着けるか不安になったときに目印になり、安心できるようなライターになりたいと思っています。

特に、3年ほど前から「自分にとっての豊かさとは」という概念を知り、自分にとって、まわりの人たちにとっての豊かさや幸せを考えたり、実感できることを探求しています。

今回はわたしが職場で感じたストレスから、自分にとっての豊かさ、幸せを高める術を発見したお話をさせてください。

異動して半年後、仲間との関係に変化が…

わたしはフランチャイズの飲食店の店長をしています。新しい店舗に異動して半年が過ぎました。新しい職場環境にも慣れ、仲間との関係構築も少しずつできてきているかなと楽観していたのですが、少しずつ変化が起きました。

初めは店舗でのリーダー的存在の方からの相談事。業務のことだったので、優先順位をつけながら改善していました。しかしその後、業務的なこともあるけれど、一緒に働く仲間が働きづらいと言っているという相談もいただきました。よく聴いてみると、わたしの店長としての想いが伝わっておらず、みんなが疲弊し、バラバラな方向を向いているようだ、という内容でした。

わたしの行動やコミュニケーション不足で申し訳ないと思いつつも、直接言ってくれたらその場で解決できるのにな…と少し悲しくもなりました。

この相談を聴いてから、少しずつ仲間一人ひとりにそれとなく話を聴いていきました。

すると、ある人に聞いたことと違う内容を聞くことになったり、わたしに対してではなく他の仲間に対して感じていることだったりと、様々な内容が出てきました。わたしは店長として何から取り組んだらいいのかわからなくなり混乱してしまいました。

どうすればいいの?

ひとつ対応してもそこじゃない。うまく話が聴けたかも!と思っても次の日には元通り…。

店長をしていてこんなに先が見えなくなったのは初めてでした。

毎日深夜2時頃目が覚めると、そこから朝まで眠れなくなりました。

また、これまでは風邪を引いても熱を出すことがなかったのですが、毎日熱が出て仕事を1週間ほど休んでしまいました。

最初は、わたしに対して不信感を持っている人がいることが辛くてストレスになっているから眠れなくなっているんだろうな、まだまだわたしは小さな人間だな、と思っていました。自己肯定感は低かったですが、なんとか改善していかなくちゃと考える日々でした。

日々職場でできることを考えて取り組んでいたのですが、数人の仲間がまだ笑顔で働けていないことや、人によって言うことが違うという状態が、どうにももどかしく、どうしたらいいか途方にくれてしまったのです。

そこで、全員で一度に話してもらい、これからすべきことを考えることに決めました。

最初は一人ひとり想いや大切にしている価値観が違うので、うまくまとめられるか不安でした。でも、わたしがみんなに聴きたいこと、これからどうしていったらみんなが笑顔で働けるかを考えられるように準備しました。

結果、全員がすべてを吐き出すことはできていないかもしれないけれど、仲間を思いやりながら話をしてくれ、また、仲間の話に耳を傾けてくれていました。

これからの方向性もみんなで決めることができ、明るい兆しが見えたのです。

また、わたしの店長としてはもちろん、ひとりの仲間としての働き方が前向きでなかったと気づかせてもらえました。今の仲間はお店への愛着が強く、より良いお店にしていきたいという意欲がとても高いことがよくわかりました。半年一緒に働いて、みんなで話し合ったことで改めてそれを感じ、仕事に対するわたしの意欲が少し恥ずかしくもなりました。

自分にとっての豊かさ、幸せについて考えることが増えたいまのわたしは自分の生き方にも変化が出てきていると感じています。そしてこれは仕事に取り組む姿勢に影響を与えていると思うのです。

それ以前のわたしは、いつでも全力で働いて、自分のケアは後回しにしていたようです(わたしが5年前にヘルニアになってしまったのも要因のひとつかなと思っています)。

ここ1〜2年は、仕事も大切だけど、自分にとって心身が健やかでいるために、お休みをちゃんともらったり、もう少しできるかもしれないけど自分に相談してここまでにして帰ろう、と考えて仕事に取り組むようになっていました。

でも、このことが今回、一緒に働く仲間とのギャップを生んでいたのかもしれません。

自分で自分への処方箋を出せたような気持ちに

この出来事はわたしにとってとても辛くストレスがかかることでしたが、自分が何に対して精神的に辛くなるのかを知ることができたと感じています。

最初は仲間がわたしに対して良く思っていないことが辛いんだと思っていました。でも、仲間の話を一気に聴くことでこれからすべきことがはっきりしたんです。

それは仲間一人ひとりがどんな想いで働いているのかを理解するために日々話を聴くこと、お店がどうやったらより良くなるかを伝えること、そしてそれを実際の行動で見せていくことでした。

モチベーションは一人ひとり違うので、みんなの想いに寄り添いながらもチームで働いていくことの楽しさを実感してもらえるようなコミュニケーションをとっていかなくては、という気づきを得ることもできました。。

その日から眠れるようになったんです。

もちろん、自分に対して何か言われたりすることは辛いです。今は自分のすべきことをかなり意識して働いていますが、全員が全員わたしに対する思いがポジティブになったとは思いません。一度話し合ったからって、その後の行動が伴っていかなければ根本は解決しないですよね。

でも、わたし自身はやるべきことがわかりとてもスッキリした気持ちで毎日眠れるようになりました。

わたしにとっての人生の豊かさ、幸せは先のゴールが明確になっていることが大切なんだと気づかせてもらえた経験でした。

悲しかったり、もやもやしたり、ストレスを感じることは生きていく上で辛いです。でも、そんなときでも自分にとって豊かで幸せに生きる術が見つかることがありますね。

わたしは今まで辛いことがあったら「あ~、しんどかった。もう起きないといいなぁ。これからはなんとか回避していきたいなぁ」くらいにしか捉えられないことが多かったのですが、今回自分で自分への処方箋を見つけられたことがとても嬉しいんです。なぜなら幸せで豊かな毎日を過ごせる機会が高まったなと感じることができたから。そんな自分を褒めてあげたいと思います!

自分の不調に向き合って、どんな対処法が合っているのかを考えて行動する。これも日々少しずつではありますが、自分を大切にする時間を作れている成果かなと思います。

自分で自分の人生の豊かさや幸せを見つけてあげることがまわりの人たちの幸せにもつながっていくといいですよね。

最後まで読んでくださりありがとうございます。これからもみなさんと一緒に日々の様々な出来事から自分で自分を元気にしてあげられる処方箋をたくさん見つけていけたら嬉しいです!

Text by majakka(マヤッカ)(ウェルビーング探求人)

こんにちは。Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。よむエラマに辿り着いて下さった皆さんは、フィンランドに関心のある方や、生き方・働き方・休み方について日頃からよく考えていらっしゃる方が多いのかなと思います。そんな皆さんは「マイタイム」をご存知でしょうか?

私がこの言葉を知ったのは約2年前。エラマプロジェクトの講座に初めて参加したときのことです。当時はまだ、今後のキャリアをどうしていこうか悩んでいた20年目の会社員でした。

そこで紹介されたのがフィンランド人がとても大切にしている「マイタイム」という言葉。それは「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間のこと」と紹介され、これはフィンランド人のモニカ・ルーッコネンさんの著書『MY TIME ~自分もまわりも幸せになる「自分のための時間」のつくり方~』の中の言葉でした。

充実した仕事、家族との時間、そして自分のための時間(マイタイム)。この3つのバランスが取れてこそ、健全な日々を過ごせるのです。いずれかの時間が特別に多くなってしまってもいけません。

本の中には、そのようにも書かれています。とてもよく理解できます…でも、それはどうやって?会社員だった私は、マイタイムたるものを持てたとして、一体どうやって仕事の時間を減らせば、その他とのバランスを取れるのだろうと永遠の疑問のように感じていました。

ひと休みできない会社員時代の私

「マイタイム」にも通ずるもので、フィンランドのひと休み文化を代表するもう一つの言葉があります。それは「コーヒー休憩法」。労働者のコーヒー休憩を取る権利を認めている労働法のことです。

フィンランド人たちは、仕事中に1時間半から2時間おきに15分程度のコーヒー休憩を取ります。この「コーヒー休憩法」のことも、私はエラマプロジェクトの講座で初めて知ったのですが、驚いたことに私の勤めていた職場(カフェチェーン店)でも、同じ頻度で「ブレイク」と呼ばれる休憩時間が与えられていました。その時間に好きなドリンクをもらい、バックヤードでも客席でも良いので自由に過ごすことができます。もちろん外出することも可能です。

しかし、私の当時の過ごし方といえば、休憩時間がきたらコーヒーをもらいバックヤードに直行し、山積みのタスクをこなす時間として使っていたのです。少しでもタスクを減らしたい!その一心で。

結局、長い会社員人生の中で、じっくりと休憩時間を味わっていたのは、最後のほんの1ヶ月でした。「マイタイム」と「コーヒー休憩法」を知ったあとも、私は休憩時間の過ごし方のスタイルを変えることはできませんでした。イレギュラーもたくさん発生していたあの仕事量を、休憩時間の活用と残業無しでこなすには無理がある!と思っていました。

ようやく、退職が近づき仕事の引き継ぎも順調に出来るようになった頃、私は仕事の休憩時間に「休む練習」を始めてみることにしました。休憩時間をバックヤードのPCの前で過ごすことを止め、客席の一角をお借りしてコーヒーを飲みながらジャーナリングをしたり、ただぼーっとするだけの時間にしたのです。

すると、どうでしょう!タスクをこなそうとする15分はあっという間に過ぎるのに、休む練習として始めた過ごし方なら15分は心を充電するのに十分な時間だと感じたのです。

仕事中のひと休み的な時間に慣れなくてソワソワとしましたが、職場にいながらでも肩書のない何者でもない私でいる時間を味わい、「会社員としてこんな時間の感じ方もあるのか」と随分心が満たされたことを思い出します。

あんなに休憩時間を惜しみながら仕事を進めていたけれど、この時間なしに効率よくしようなんて、なんて非効率なことだったのだろう…。仕事の「肩書と責任」を間もなく下ろすことが出来る時期になり、私はようやく休憩時間を自分のためだけに使う意味の大切さを理解した気がします。

フリーランス一年目の私にはマイタイムが難しい

では、フリーランスになった今の私はどんなマイタイムを過ごしているでしょうか。

時間にも場所にも縛られない、憧れのフリーランス!お手本のようにマイタイムを取り入れ、さぞ充実した日々を送れるようになったに違いない。そう思われますか?

いいえ、そのイメージからはかけ離れていると自分では思うのです。たしかに、家族との時間は増え、友人と会う時間の融通も効かせやすく、人とのつながりにおけるマイタイムは充実したと思います。

問題は一人で過ごす時間。

どんなふうに時間を使っても良いと言われれば、いつまでも作業をし続けてしまう私。会社員時代の働き方とあまり変わっていないとも言えます。でも今はそれが辛いわけでもなく、好きな仕事ですのでむしろ「やりたい、楽しい」の気持ちが消えなくて、どんどん時間が過ぎ、気づけば家事や愛犬の散歩、子どもたちのお迎え時間になり、あわただしく毎日が終わるという日々を過ごしています。

楽しいのであればそれでも良しと思うのですが、ここ最近感じ始めたことがあります。

「こんなに走り続けていて、いつ、息切れしてしまうのだろう」

自由な生き方をしながらも、人や社会に貢献できる仕事に集中したい。そんな思いでやっと掴んだフリーランスという生き方なのに、今の私はなんだか生き急いでいる感じがする。そう思い始めたのです。だからといって、手を止めたくない気持ちもあります。

そこで、もう一度マイタイムを実践してみようと思ったのです。

まず最初にしたことは、特に何かを新しく始めたわけではなく、いつもの習慣である犬の散歩、料理の時間など、必ずやらなければいけないけど自分に集中できそうな時間をマイタイムとして意識してみる。

でも、なかなか難しい。

なぜなら「今はマイタイムなんだ」と言い聞かせても、頭から仕事のこと、そして思春期の難しい時期の子どもたちのことを完全に切り離すことができません。

マイタイムを意識しているつもりでも、生き急いでいる感覚はなくなりませんし、肩書や責任から離れているという気持ちにもなれないのです。

このまま走り続けても今は何もストレスを感じることはないけれど、でもやはりいつかは息切れし、抜け殻のようになりそうです。

生き急ぐ私に思いがけず始まった新習慣

新年を迎え、私は元旦から早起きを始め、朝5時半から手帳タイムと作業を始めることにしました。理由は、もっと仕事の作業時間を効率よく持ちたいという思いからです。家族が誰も起きてこない時間に集中しようと決めたのです。

すると、元旦の朝6時にLINEの通知が来ました。私が何となく登録した、メキシコに住むヨガと瞑想の講師の公式LINEでした。いつもならすぐには確認しない公式LINEですが、そのときは少し気になりメッセージを読んでみることにしました。「7DAYS瞑想チャレンジ!」という文字が飛び込んできました。添付されていたYouTubeチャンネルの動画を開いてみると、メキシコの海の心地よい波の音と、講師のなんとも安心する声の瞑想ガイドが始まりました。

私は作業の手を止め、瞑想をやってみることにしました。目を瞑り呼吸に集中しようとしても、雑念や体の一部の不快感に気づきます。それでも10分続けてみました。翌朝も、その翌朝も、朝6時に公式LINEから動画が届き、私は毎朝10分の瞑想をぎこちないながらも続けてみました。

何日目かの瞑想の終わりに、「まず一日の中で10分のこの時間を持ったことが本当に素晴らしいんです!」という講師からのメッセージが私の心に響いてきました。「そうだ。私はこんなにも生き急ごうとしている中で、10分間自分に集中する時間を持てていた」そう感じました。

7DAYS瞑想チャレンジが終わっても、私は毎朝を瞑想から始めることが習慣となりました。そして12日目、瞑想が終わった時の体が軽くすっきりとした感覚を初めて味わいました。瞑想中は相変わらず雑念や体の一部の不快感に気を取られたりするものの、いつの間にか朝の瞑想が習慣になっており、これがないと気持ち悪く感じるようになっていました。

それぞれの人生のステージでマイタイムが教えてくれるもの

思いがけず始まった私の瞑想という新習慣。これが、思いがけずマイタイムになっていると気づきました。

なぜなら、「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間」を手に入れる方法を見つけたのですから。

もちろん、瞑想中にはまだまだ雑念が入ってきます。でもだんだん、その雑念の内容も変わってきているのです。

瞑想を始めた頃は、その日のタスクが頭をよぎることや、前日の子どもたちとのやり取りを思い出すことも。

でも日に日に、私の意識はメキシコの海の波の音の変化などに向いていました。「あれ?今一瞬波の音が聞こえなくなった」「昨日より波の音が大きいな」とか。そんなことが頭をよぎると、それを認め意識を呼吸やその時唱えている言葉(感謝したいことや、自分を前向きにするアファーメーションなど)に戻っていくことが出来るようになったのです。

この時間こそ、私が今仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間になっていると思います。

『MY TIME』の中でも、著者モニカ・ルーッコネンさんはヨガと瞑想をおすすめしています。

ヨガや瞑想のある生活を続けていると、練習をしていなくても、その落ち着いた気持ちを保ち続けることができるようになってきます。

瞑想の習慣を続けていけば、走り続けている私の息が切れるその時がきても、抜け殻になることがなく、たとえばカフェに出かけ、ただそこに座り心穏やかにすることが出来るかもしれない。そんな気がしてきました。

仕事が楽しい!という気持ちでこのスピードを止めることができない…いや、もしかすると止めることが怖いと思っている私にとって、瞑想というマイタイムは、「そんなに生き急がなくていいのよ」と教えてくれているのかもしれません。

だとすれば、マイタイムは今の私にとって、息をして私の思考が自分に戻って来る時間なのでしょう。人生のステージで、自分にとってのマイタイムの意味も変わってくるのかもしれないですね。

「自分を大切にする勇気」

本の中で、モニカさんはこんなことも言っています。

“マイタイム”をつくる勇気を持つということは、「自分を大切にする勇気を持つ」ということでもあります。

自分を大切にする勇気…なるほど…。

会社員時代の私は「肩書と責任」に自分を縛り、やりがいを見出しながらも仕事が遅れると人に迷惑がかかると、自己犠牲的な働き方を続けていました。それが苦しくなり(それだけが理由ではありませんが)、もっと自由な生き方を求めフリーランスになったものの、今度は「止まってはいけない!」と走り続け、気づけば仕事以外の自分の意志や気持ちにゆっくり耳を傾ける時間をないがしろにしていました。

勇気。確かに私は「自分を大切にする勇気」を出すことが怖かったのかもしれません。走り続けることで、その先に待っている希望を追い求めていました。

それよりも今この時間に感謝し、感じる幸せを味わいつくし溢れださせることで、私と私の周りの大切な人たちの豊かな時間がこの先も必ずあり続けると確信できる。その勇気を当たり前に持てるまで、瞑想というマイタイムを日々大事にしていこうと思います。

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強くやさしい社会を織りなすライフコーチ)

こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。

2025年が始まって、約2週間が経ちました。

本日1月15日は「小正月」と呼ばれ、この日の朝にお粥(特に小豆粥)を食べたり、地域によって「どんど焼き」などの様々な行事が行われたりします。

そして、小正月(もしくは1/20の二十日正月)が過ぎると正月は終わりと見なすことが多いです。

皆さんはどんなお正月を過ごしましたか?

今年一年の目標を立てたり、今年はこんな風に過ごしたいなぁと願望を書き記したりした方もいらっしゃるでしょう。

ちなみに、私の今年一年の抱負は「前進あるのみ」です。

そして今の私を表すキーワードは、「努力」「根性」「忍耐」です。

豊かで幸せな生き方を探究するエラマプロジェクトのチームメンバーとして活動をするようになって、今年で6年目。

6年目に辿り着いた先が、まさか「努力」「根性」「忍耐」とは!

自分でも驚きの展開ですが、自分にとっての “エラマ(人生、生き方)” を探究していったら、いつしか「努力」「根性」「忍耐」というステージに突入してしまったのです。

ですが、私はこの状況をとてもポジティブに捉えています。

長い人生において自分が望む豊かな生き方を実現するためには、短期的には、耐えて頑張ることが必要とされる時期もやってくると感じています。

ただしそれは、やりたくないことを我慢してやり続けることではありません。

「自分の望む人生のために、今は頑張り時なのだ」

こういう感覚のことです。

今までこの「よむエラマ」では、自分を認めたり自分を大切にしたりといった、こじれていたものを解きほぐすような方向性の記事を書いてきました。

しかし今日は、あえて「頑張っている私」のことをお話したいと思います。

自分のやりたいことをやっていたら、ハードモードが始まった

私は前回の記事で、「自分の命が残り一週間だとしたら、私は何がしたいだろう?」を考えると、自分の本当にやりたいことや自分らしい生き方が分かるよ、というお話をしました。

〈前回の記事はこちら〉
私にとっての幸せな生き方は「余命1週間だとしたら」を考えると見えてくる

その記事の中で、「特別なことは何もしなくていい。自分の家で、愛する猫たちと心穏やかに過ごしたい。これが私の望む生き方だ」と書きました。

さらに、仕事をガツガツ頑張るモードではなく、今ある幸せに目を向けて「足るを知る」暮らしにシフトしていきたいとも書きました。

その思いは全く変わっていないのですが、その記事を公開したあたりから、私の思いとは裏腹に、私の生活はどんどん忙しくなっていきました。

私の本業は私立高校の国語教師です。そして副業として、和文化講師やお香の調合師などをしています。

ここ5年間は、本業と副業の二足のわらじを履いて活動してきました。

この二足だけでもなかなか忙しかったのですが、実は三足目のわらじを履いてしまったのです。

昨年、私は愛猫の持病改善のために、アニマルレイキ®という動物への手当て療法を学び始めました。

3ヶ月の講座を受講し終えた後も、もっと学びを深めたいと思い、今はティーチャークラスに所属して、将来的にプロとして活躍できるように勉強しているところです。

このように国語教師、和文化パラレルワーカーという二足に加えて、アニマルレイキという三足目ができた結果、ますます忙しくなってしまったのです。

でも、自分のやりたいことを選び取った結果の忙しさなので、後悔はありませんし、精神的なつらさもありません。

今の私は、確かにちょっと頑張りすぎているかもしれない。

だけど、私は間違いなく自分の望む人生のために、今を目いっぱい生きている。

そう胸を張って言えるので、「頑張っている自分すごい!」と自己肯定しながら、仕事に追われる日々を送っています。

フィンランドの人たちの価値観「SISU(シス)」とは?

フィンランドにはSISU(シス)という考え方があります。

SISUは「勇気」「忍耐力」「粘り強さ」「不屈の精神」「困難に立ち向かう強い意志」などを表わす言葉で、瞬間的なものではなく、困難を耐え抜く長期的な力を意味します。

SISUの代表例として、1939年の冬戦争で圧倒的に不利な状況にも関わらず、フィンランド軍がソ連軍に対して勇敢に戦ったことが挙げられますが、SISUの精神は現代のスポーツ、ビジネス、教育など様々な場面で発揮されます。

エラプロジェクトではSISUを大切な価値観の一つとしてお伝えしていますし、このよむエラマでも、SISUの記事がいくつかありますので、ぜひ読んでみてください。

〈SISUの記事はこちら〉
フィンランド魂「SISU」を理解して取り入れようー「フィンランドの幸せメソッドSISU」を読んで

自分にも他人にもやさしく。「EVERYDAY SISU フィンランドの幸せ習慣」 レビュー

フィンランドの「大和魂」を見た!映画「SISU/シス 不死身の男」が教えてくれる

そして、私が今「ちょっと働きすぎでは」というくらい頑張っているこの状況は、SISUを発揮していると言えるのではないかと思います。

SISUは、困難に陥った時に冷静に状況を分析して、長期的な視点で粘り強く行動することです。また、目標を達成するために合理的に判断することでもあります。

衝動的で無謀な「とにかく努力!根性!」ではなく、冷静に長期的な視点を持つというところが、SISUの魅力だなぁと感じます。

この記事の冒頭で、今の私のキーワードは「努力」「根性」「忍耐」だとお伝えしましたが、これらは無謀な我慢を強いる根性論のことではなく、実はSISUのことを指していたのです。

豊かで幸せな人生のためには、時にSISUを発揮することも必要

人生においては、「無理をしないこと」「頑張らないこと」を実行すべきタイミングもあれば、その反対に、今は頑張り時というタイミングが訪れることもあるでしょう。

もしくは、自分にとっての豊かさを探究する過程では、自分と向き合うことで見たくない自分の本音に気づいたり、隠しておきたかった自分の弱さに出会ったりすることもあるでしょう。

自分にとっての豊かさを探究するって、実はだいぶハードなことだと思います。

都合の良い、口当たりの良いところだけしか見ないのでは、真の豊かさは得られないでしょうから。

きっと皆さんも、自分の豊かさを探究する過程で、目を背けたくなったり、逃げたくなったり、もう頑張りたくないと思ったりすることがあるかもしれません。

そんな時は、SISUのことを思い出してほしいのです。

もちろん無理をする必要はありませんし、つらい時は逃げても休んでも良いと思います。ですが、もし「頑張ってみたい」と思ったら、その時はあなたのSISUを発揮してください。

SISUのことを「粘り強さ」「不屈の精神」「困難に立ち向かう力」などと紹介しましたが、これらは日本人にもかなり馴染みのある感覚だと思います。

日本には忍耐が美徳とされる価値観がありますし、「石の上にも三年」や「雨だれ石を穿つ」ということわざがあるように、長期間にわたって辛抱し、努力をすることを良しとしてきた文化があります。

だから、日本人はSISUが得意だと思います。

ただし、日本人の場合は、自分の豊かさのために頑張るのではなく、私欲を捨てて、主君や国、会社、家族のために尽くすという自己犠牲的な頑張りが目立つように感じます。

私は、忍耐の末に本懐を遂げる『忠臣蔵』のようなストーリーが大好きですし、日本の自己犠牲的な頑張りに魅力を感じますが、自分で実行するとなると、私欲を捨てて他者のために尽くすやり方はかなりしんどいでしょう。

ですので、皆さんは私欲を捨てて他人のために頑張るのではなく、ぜひ自分の豊かさのために頑張るということをやってみてくださいね。

“私の豊かな生き方のために、軽やかにSISUを発揮する”

私はこの一年をそんな風に生きていきたいと思います。

Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

こんにちはpieni(ピエニ)です。

この記事が公開される日はクリスマス。皆さんはどんな一日を過ごしていますか。

日本のクリスマスといえば、イルミネーションや街中に飾られる大きなツリー、クリスマスイベントなど華やかなイメージがあります。

京都駅の大階段のクリスマスのイルミネーション。記念撮影スポットになっていました。

恋人とクリスマスデート、友人や家族とクリスマスパーティー。様々なクリスマスの過ごし方があると思います。

中には平日だし仕事だし特に何もしない、という方や、ほんとは誰かと過ごしたい気持ちの方、反対にパーティーに誘われているけれど、ひとりでゆっくり過ごしたいなど、さまざまな自分の感情が見えてくる日かもしれませんね。

今回はクリスマスってそもそもどんな日?ということや、フィンランドのクリスマスの過ごし方から「わたし(自分自身)はどんなふうに過ごしたいと願っているのか」を見つめてみたいと思います。

そもそもクリスマスとは?

クリスマスとはどのように始まったのか?何の日なのか?

改めて尋ねると「どうだったっけ?」と考えてしまう人もいるのではないでしょうか。

この記事を書くまで、わたしもその一人でした。

クリスマスとは「イエス・キリストが降誕したことを祝う日」です。

イエス・キリストは神の子で、人の姿になって現れ多くの人を救ったとされています。

そのためイエス・キリストがこの世界に生まれてきたことに感謝し、祝う日とされています。

しかし12月25日にイエス・キリストが生まれたわけではありません。

クリスマスがいつから始まったのかは明らかではありませんが、ローマ帝国時代にペルシャから伝わった冬至の祭りが関係していたり、この時期に行われていた農耕の祭りの日にしたなど、クリスマスが12月25日になった理由には諸説あります。

日本のクリスマスについて考えてみた

日本ではじめてのクリスマスは歴史をさかのぼることはるか昔。戦国時代の16世紀なんだとか。

日本を訪れた宣教師達が、現在の山口県にてキリスト教信者を集め、キリスト降誕祭のミサを行ったことが始まりとされています。

その後、江戸幕府の禁教令によりキリスト教は禁止されたため、クリスマスを祝う文化は広まりませんでした。

時は流れて、明治時代。横浜で開業した明治屋が銀座進出とともにクリスマス商品を売り出したことで注目され始めました。

その後、大正天皇の崩御の日が12月25日(1926年・大正15年)であり、12月25日が大正天皇祭(国民の休日)と定められたことにより、クリスマスが普及するきっかけになります。

戦後は、日本特有のクリスマスケーキが誕生したり、デパートでクリスマス商戦が繰り広げられるなどして、日本のクリスマス文化が展開していきました。

もともとはキリスト教の祈りや感謝の時間であったクリスマスのはずですが、日本では商戦としての意味合いが強いように感じます。

また「恋人はサンタクロース」(1980年・松任谷由実)を1982年に松田聖子がカバーしたことにより、クリスマスプレゼントは子どもだけでなく、恋人へ贈るものという新しい流れが生まれ、宗教的な意味より、恋人達の一大イベントへ変化していったという推測もあります。

わたしは20代のころ、クリスマスは一人でいたら孤独、恋人や友人と過ごさなければ、寂しい人というレッテルを貼られるという感覚を持っていました。

「クリぼっち」という言葉も過去には流行ったこともありましたね。

これは、日本でクリスマス文化が広まってきた歴史や背景ゆえの感覚だったのかもしれません。

もしそうであれば、だれと過ごそうが、どのように過ごそうが、一人であっても、日常と変わらないように過ごしても、まったく問題ないなと思えてきます。

フィンランドのクリスマスの過ごし方とは?

それでは、フィンランドのクリスマスはどのような過ごし方なのか。

フィンランドで日本語講師をされていた「たにしきあやこ」さん(現在はフィンランド語講師)にお話を伺いました。

私はヘルシンキのような街にはいなくて、ラハティの森の中でクリスマスを迎えました。
それはそれは静かなクリスマスで、12月の頭を過ぎたら、ホストファザーが森にもみの木を伐採しに行き、クリスマスツリーにして飾りつけを始めます。
(伐採は数本なら許可されていると思います)
クリスマスカードが親戚や友達から届き始めるので(切手もクリスマス限定切手になる)それをツリー下に置いたりしてワクワク感を楽しみます。
子どもがいる家庭はクリスマス前日にプレゼントをツリー下に置き、サンタから届いたプレゼントの開封を楽しみます。
クリスマス料理のメインは豚のハム、付け合わせに人参グラタン。シナモン・カルダモンなどのスパイスを効かせたホットワイン「グロッギ]」、星型のパイ生地の中央にプルーンジャムをのせた「ヨウルトルットゥ」や「ジンジャークッキー」を1週間ぐらい食べ続けます。

とにかく地方も街中もクリスマス当日はキャンドルに火を灯し、家族で静かにお祝いします。
イルミネーションが華々しいのは都会の一部で、森の中に住む戸建てのお家はむしろ灯りは落として、静かに深々と降る雪を見ながらお祝いするイメージです。

このように教えていただきました。

雪が降り積もる静かな景色の中、家族とあたたかなクリスマスを過ごす情景が目の前に浮かぶようでした。

また、日本に来られていたフィンランドの方にお話を伺ったときは、家族と一緒に真夜中のクリスマスミサに出かける習慣があると聞きました。

また、真夜中のミサに行く子どもの気持ちを歌ったクリスマス曲もあると教えてもらいました。

フィンランドのクリスマスの過ごし方を聞き、少し昔(わたしが子どもだった昭和の終わりごろ)の日本の年末やお正月のようだと感じ、懐かしさを覚えました。

祖父の作ったしめ縄を家中に飾り、大晦日は家族そろって年越しそばを食べ、除夜の鐘をつきにいく。お正月はお年玉をもらったり、祖母や母が作ったおせちをしばらくの間食べ続ける。そして近所の神社へ初詣へ行く。

このような日本のお正月の過ごし方と、フィンランドのクリスマスにはなんだか共通点を感じます。

わたしが過ごしたいクリスマスの一日

日本とフィンランドのクリスマスを比較してみましたが、どちらが良いか悪いかの話ではなく、わたし自身はどのように過ごしているかを考えてみました。

今は子どもがまだ幼いので、サンタさんからのプレゼントを用意して家族で過ごす時間にしています。

また、今年は子どもからのリクエストがあり、クリスマスケーキを一緒に作ったり、もらったプレゼントでゆっくりと一緒に遊ぶ約束をしました。

このような過ごし方をしますが、改めて考えてみたところ、ここにプラスしたいことが出てきました。

私の家族はキリスト教徒ではないので、ミサに出かけたりはしませんが、子どもの頃にすごしたお正月のように、どこか遠くへ出かけたり、特別なことをしなくても、まさに今ここで家族で平和に暮らせていることへの感謝を感じてみます。

そしてそれを家族や自分自身へも伝える日にしてみようと思います。

普段から伝えられるといいのですが、ちょっぴり照れくさいのでこの機会に。

クリスマスだけではない日々の過ごし方とは

今回は日本やフィンランドのクリスマスをピックアップして、その過ごし方を問いかけてみましたが「自分自身がどのように過ごしたいか」と考えてみることは、日々の暮らしにも反映できることだと思っています。

・華やかで、ワクワクすることがいっぱいの日々を過ごしたい

・穏やかで落ち着いた静かな日々を過ごしたい

・華やかさもあるし、落ち着きもあるバランスいい日々を過ごしたい  

・家族や友人に囲まれた賑やかな日々がいい

・人数は多くなくても、深く付き合える大切な人と日々を分かち合いたい  

などなど、百人百様の考え方があると思います。

あなたはどんなクリスマスの1日を過ごしたいですか?誰と一緒に何を感じる時間にしたいですか?

この問いかけを残したいと思います。

このような過ごし方を考える時間も、自分自身を見つめて、幸せに生きるための大切なひと時になります。

この機会にぜひ一度考えてみてくださいね。

Text by 丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。

2024年もあと少しとなりましたが、みなさんにとって今年1年はどのような年だったでしょうか。

わたしは今年も現地での研究、スタディツアー開催のため夏から秋にかけて2ヶ月間フィンランドに滞在しました。昨年と違い、今回は家族と一緒ではなく1人でその期間を過ごしました。

その間に、フィンランドの良さを感じつつも日本の良さ、すばらしさをあらためて実感することになりましたのでそれについて今回はお話したいと思います。

物価の高さはやはりつらい

日本も以前から物価がどんどん上がっている状況ですが、フィンランドも物価がかなり高いので滞在中の生活はやはり楽ではありません。

例えばランチ。フィンランドのランチはビュッフェランチが基本なので、安いところでも18ユーロ、3,000円(2024年11月12日現在のレート)くらいかかります。だから気軽に外に食べに行けないんです。

ファストフードやカフェに行けばもちろんもう少し安く済みますが、それでもそれなりの価格です。そのためやはり気軽には外食できません。

だからスーパーで食材を買って自分で調理して食事を摂ることがほとんどでした。イタリアのリゾット用のお米(ジャポニカ米)がフィンランドのスーパーで手に入ったのですが、それを鍋で炊くと日本のお米と同じように食べられたので、基本食はご飯を炊き、持参していたお味噌で味噌汁を作っていました。

他にはそのお米を使ってリゾットを作るなどして料理はそれなりに楽しんでやっていました。

ただ、日本ではわたしの場合、義母が食事の支度をしてくれることもあるので自分が作った料理をずっと食べ続けるということはあまりありません。なので、ちょっとしたお惣菜を買いたくなる日もあったんです。でも、お惣菜であっても「がんばって自分で料理するか」……という気になるくらいの値段なんです。

そんな物価の高さなので、フィンランドでは日本の生活でイメージするほどお腹いっぱい食べるということができませんでした。

講座などでお話したこともあるんですが、フィンランド人は1日5食食べるんです。日本のように定食並みのしっかりとしたご飯というよりは、ちょこちょこ食べる感じです。むしろそうしたほうがフィンランドの場合は経済的にもお腹的にもちょうどいいというわけなんです。

10月下旬に帰国しましたが、帰国後は食事の面で日本のありがたさをすごく感じました。食事が美味しいこと、自宅で収穫できる新鮮な野菜はもちろん、スーパーで買う場合でも国産の野菜がたくさんあることがとても幸せです。帰ってきて漬物をボリボリ食べたときどれほど幸せを感じたか(笑)。

JALと羽田空港にも感謝

帰国便はJALを利用したのですが、実はJALの機内食で泣いたんです。味噌汁の美味しさに(笑)。

あとは、JAL専用の亀田製菓おつまみミックスと日本茶でもかなり気分が上がってしまいました!

そして日本に到着したらまた別の驚きと発見がありました。羽田空港の国際線ターミナルにある「江戸小路」をご存じですか。

第3ターミナルの4階には江戸の町並みが再現されています。

外国人観光客向けのいかにもなおもてなしの風景を見ると、住み慣れている日本人からすると冷めた目で見てしまうこともあるかもしれません。しかしフィンランドで仕事をたくさんして2ヶ月ぶりに帰ってきたわたしは、「江戸小路」を見てすごく落ち着いた気持ちになり、安心感に包まれたのです。

奇をてらってやっていることにではなく、ここまで世界観を作って歓迎してくれているという心に感動しました。

到着後わざわざ4階まで行きましたし、そこでほっとして一息つきました。

見方が変わると違った角度で景色や良さに気づけるひとつの例かなと思います。

エネルギッシュさの違いは日照時間の差なのか?

日差しがあるというのも幸せポイントの大きな要素ですね。フィンランド滞在は8月〜10月にかけてだったので、9月〜10月になると日照時間が少なくなり曇りの日が多くなるんです。以前にもお話したことがあるんですが、太陽の光のあるなしは心身にどうしても影響が出ます。

フィンランドの人たちはそういった環境に工夫を凝らし日々生活しています。そしてフィンランドの良さと言えば、静寂だと思います。日本では味わえないくらい耳にとっての静かさもありますし、デザイン的にも広告が少ないため、目にもうるさくないというか、静寂を享受しやすい環境であるのがすごくいいんです。

一方で日本に帰ってきていいなと思ったのは、フィンランドとは逆のエネルギッシュさでした。心地いいなと思ってしまいました。日本の人と話しているとエネルギッシュだなと感じたんです。

フィンランドの人は落ち着きすぎているので「エネルギッシュ」とは言い難いんですね。なので、日本の人と話していると元気がもらえます。帰国してからの3週間くらいの間にその明るさも大きな魅力に思えました。

フィンランドと比べて太陽の出ている時間が長いからなのか、四季を感じてみんなが変化を楽しんでいるからなのか、日本(人)のエネルギッシュさに今さらながらに気づきました。

アジアの中ではまだ落ち着いているほうかもしれませんが、それでも日本に住んでいる人からはかなりの熱量を感じ取りましたよ。

感じ取ったことを形にしていきたい

ここまでわたしが日本や日本的なものを良い!と感じたのは、パートナーと離れて1人でフィンランドで過ごしたというのも大きいのかなと思っています。滞在期間中、お互い時間が合わずオンラインですら顔を合わせてコミュニケーションがとれない日が続いたこともありました。

ツアーを実施したことでそれなりに日本語を話したので、言語の面でストレスが溜まったことはありませんでした。ただ、家族と離れている期間が2ヶ月あったのはかなり久々だったので、孤独感に襲われる瞬間は多かったです。

大人になると時間の流れが速く感じるでしょう?でも今回、嫌なことがあったわけでもないのに2ヶ月間がとても長く感じたんです。

もちろんフィンランドの心地よさも感じてはいました。先述した静寂さのほかにも、わたしにとってフィンランドの人との距離感は心地いいものでした。離れて見守ってくれているあの感じがすごく好きなんです。自然もいちいち全部美しいし、人にも恵まれているのですごくいい環境なんです。

それでも家族ロスがひどく、本当にホームシックか!っていうぐらい、日本シックではなくて石原家シックみたいな感じで早く帰りたいって思うこともたびたび……。

そういう体験をしたので、帰国後、小さな幸せを一つ一つ噛みしめています。幸せに対する感度がとても高まっている感じがします。

いつも住んでいる場所から外へ、日本から海外へ出るからこそわかることがあるんですよね。わたしが住んでいる高山市でもずっと地元にいる人よりもUターンした人や移住者のほうが高山の良さを語れるとよく言われています。今回のわたしの体験もそういったことと近いのかなと思いました。しみじみと日本の良さを感じることになりました。

今後は、これまでエラマでやってきたことを含め、日本に帰ってきたときに感じたエネルギッシュさやものを大切にするときなどの精神性を海外の人にも発信することを考えています。そんな講座をたくさんご用意していますので、ぜひエラマプロジェクトのHP「エラマの学校」ページをチェックしてみてください。

また、エラマプロジェクトの情報はWebサイトSNSでお知らせしていますので、こちらもぜひチェックしてみてくださいね!

By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

突然ですが、みなさんは、自分の生き方を否定されたこと、ありますか?

私はあります。先日のこと。私の人生で初めて起きた、けっこう大きな出来事でした。

さすがに数日間引きずりました。

私の人生は、誰かから否定されるような生き方なのでしょうか。

青天の霹靂

私は「感情の浮き沈みはなるべく少なくしたい」と思っています。波風の大きくない穏やかな日々が理想です。

だからといって、保守的に考えて「なにもしない」というわけではないんです。

友達とお腹を抱えて泣くほど笑ったり、心が擦り切れるまで働いたり、以前書いたように、亡くなった叔母のことを思い出して悲しくなったりすることもあります。

辛いことを見て見ぬふりしているとか、感情に蓋をしている、とかそういうわけでもないんです。大きなことから小さなこと、ハッピーなことから辛いことまで、私なりにはいろいろあったけれど、自分なりに人生を楽しんでいます。

それなのに、先日久しぶりに会った、15年ぐらい付き合いのある年上の友人から、

「いつ会っても『こんな悩みがあって〜』みたいな話が全然ないよね。もっといろんなことに心を開いて、感情の浮き沈みがないと、人生楽しめないよ

って言われたんです。

せ、青天の霹靂ってこれですか?!

言われたことの意味がわからない時、人って、なにも言えなくなるんですね。それぐらい驚きました。

自分では、今の生活にわりと満足しているのですが、その人からは私は、挑戦することを諦め、辛いことを避けているように見えているようでした。

その人は、働きながらMBAを取って、人生が現在進行形で大きく変わっていく真っ最中で、熱意を持って挑戦する意志を持った仲間との出会いや、人生の岐路にいるヒリヒリ感などがあるのだと思います。めちゃ忙しいし、自分は何をやるべきなのか、悩みもがいているけれど、自分が前進していることを感じて、楽しそうでした。

だから、私がぬるま湯的な安全な場所にいて、なにも新しいことに取り組んでないことを指摘されました。たしかに自分の成長のために厳しい環境に身を置いていないと言われれば、特にここ数年はそうなのかもしれません。

これでも一応、去年転職して新しい環境に飛び込んで、未経験の仕事をしているのですが、辛いことがないと、成長や挑戦とは呼べないのでしょうか。

悩んだり努力や挑戦を続けたりして、何かを達成しようとする人生は魅力的で、そんな人は輝いて見えるけど、私は今のような、悩みが少なくて穏やかな生活の方が自分には合っているんじゃないかなと思っているんです。

なのに、「あなたはそのような穏やかな人生で満足する人じゃないでしょ?」と決めつけられたように言われたことに違和感を感じました。

感情の起伏が激しい方が幸せなの?

感情の起伏が激しい/少ないというのは、そもそもどういうことでしょう?

感情の起伏が激しい人のイメージとしては、気分屋で、イライラしたりしているのが見た目にもわかりやすい、みたいに、少しネガティブなイメージがあります。

でもきっと、喜びや楽しいとかの面でも大きく心が動くのではないでしょうか。

感受性が強くて、好きになったらすごく熱中できる点は大変うらやましいところです。

辛いことや悲しいことも大きいけれど、楽しいことも大きくて、刺激的でアドレナリンが出そうですね!

一説によると、創造性が高いそうですよ。

一方で、私みたいに、感情の起伏が少ない人もいると思います。心を閉ざしてるとか、いつも冷静とか言われちゃう人ですね。それでも、小さいけれど毎日の中に波はありますよね。

あくまで一般論としてですが、感情の安定性が幸福感と心理的健康を高める重要な要因であることを示す研究論文があります。

感情が安定している=感情の起伏が少ない、ということですから、感情の起伏が少なくて安定している人の方が幸せなんだそうです。

(研究論文:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23163709/

幸福度世界一の国、フィンランドの人はどうなの?

感情の起伏と幸福感はリンクしていることがわかったら、幸福度世界一のあの国、フィンランドの人はどうなのか、知りたくなりました。

フィンランドの人は、心穏やかで感情の波があまり大きくなさそうなイメージです。

国や公共サービスへの信頼も厚くて、便利で機能的な社会で、そもそもネガティブな感情を感じることが少なそうですよね。

フィンランドの教育では、子供たちの教育にとって、SEL(=Social Emotional Learning/社会性と情動の学習)が重要であると考えられています。

興味深いのは、「感情を理解し管理する能力」は練習して伸ばすことができるスキルであると捉えているところでした。

自分の感情を理解してコントロールできるように教育する、ということは、あまり感情の起伏が激しくない大人に成長するのではないでしょうか。

社会的な面でも、便利でストレスの少ない社会があって、教育の中でも、子どもの頃から自分の感情をコントロールできるスキルを学ぶのがフィンランド人と言えそうです。

これが幸福度世界一と直結しているかわかりませんが、なかなか興味深い話です。

自分の人生は自分のもの

話を戻して、そもそも、私がなんで数日間も引きずるぐらいショックを受けたのか考えてみたんです。

付き合いが長くて、私のことを理解してくれていると思っている人に言われたからショックが大きかったし、その人が正しくて、私が間違ってる、みたいな言われ方をしたのも納得がいかなかった。

そして、その人の考えと近い理想像の私があって、その理想像と現実の私が違うから、

「同じ価値観なはずでしょ?ジェットコースター的な人生が好きなはずでしょ?」

「こっちの世界に来いよ」

「本当の自分を取り戻せ」

みたいに言われ続けたなって思い出したんです。

相手の価値観や理想像を押し付けられてる気がして、すごく嫌でした。

そのとき、この人は、目の前にいる私を受け入れてくれているわけじゃないんだな、って感じました。

すると、私のことを受け入れてくれていない人が言う話に落ち込む必要ないな〜って思ったんです。

そう感じたら、回復が早かった。

感情の起伏が少なくて安定している人の方が、幸せな人生を送れるらしいし、感情の起伏の激しい人生に無理してつっこんでいく必要はないですよね。

感情の起伏が激しい人が、感情の起伏が少ない人生を無理して選ぶ必要もないはずです。

もちろん人それぞれの考え方があるのだと思いますが、私は今の感情の起伏が少ない人生を楽しんでいます。

それだけで十分。

自分と同じ生き方を選んでいない人を否定したり、誰かに生き方を強要するような時間も主義も持ち合わせていません。

もしかしたら私の考えもこれから変わっていくかもしれない。

でも、感情の起伏の激しい人生にいますぐスイッチすることはできない。

それが今の私の答えなのだと思います。

どんなことでも、意思表示をしたら、否定する人がいるかもしれません。

だけど、自分には自分に合った生き方があって、それは誰かに否定されたり強制されたりするものじゃないですよね。

だから、どんな生き方でも、自分に合った生き方を選んでいいはずです。

自分の人生は自分のもの。そう思いませんか?

Text by ひらみん(ふつうの会社員)

こんにちは。ひらふくです。

2024年もあと少しになりましたね。みなさんは今年どんな思い出ができたでしょうか?嬉しくなる記憶や思い出したくもない苦い記憶。いろいろあったかもしれません。

私の思い出の一つは10月に参加したエラマプロジェクトのツアーです。ツアータイトルは「”北欧のシリコンバレー” フィンランド・オウルで働き方とウェルビーイングを学ぶプログラム」。

これまで人事として社員の働き方に向き合ってきた私にとっては永遠のテーマです。また、今年からフリーランスになったこともあり、「幸せな働き方」は四六時中考えていることでした。

世界幸福度ランキングで1位をとり続けるフィンランド。そのワークスタイルはきっとヒントになると期待して、半年前からワクワクしていたのです。

ですが、まさかこのツアーで苦さも嬉しさも両方味わうことになるなんて思ってもいませんでした。

原因はフィンランド滞在中も私が日本での働き方をしていたこと。そうしたら一体何が起きたのでしょうか?フィンランドで七転八倒しながら得た「働き方」への気づきをご紹介します。

朝5時から夜23時まで働く

このツアーがおこなわれたのは10月13日〜19日までの7日間です。特に14日から18日までの5日間には、3人のフィンランド講師のかたからワークショップを受けることができました。

合間には自由時間もあって、オウルの街中を散策したりリサイクルショップに掘り出し物を探しに行ったり。イチョウが金色に染まる海沿いの公園で、落ち葉を踏みしめながら夕日を見たりもしました。

最終日には、河上の貸切ボートサウナで空気の冷たさとサウナの熱さに心身ともにリラックス。どこをとってもオリジナルなツアーだなとしみじみ思います。

さて、ここでツアーの楽しさだけをお伝えできればよかったのですが。その裏で起こっていたことをお話しさせてください。

私は現在フリーランスの人事としてフルリモートで働いています。いわゆるPCひとつでどこでも仕事ができる環境です。

こう聞くと自由そうですが、まだフリーとしての生活リズムを作れていない私は、ツアー中だけ休日にするなんて芸当ができませんでした。そのためツアー中も仕事を持ちこんで、日本の企業さんとの打ち合わせなどもしていました。

ですが日本とフィンランドの時差は6時間もあります。日本の朝11時がフィンランドの朝5時なのです。まして昼間はプログラムに参加しているので仕事ができません。結果、ツアーがはじまってみれば私の1日はこんなふうになりました。

4:30 起床

5:00 日本企業さんと打ち合わせ・そのままPC仕事

9:30 ツアープログラム開始

昼間 スマホで仕事の連絡を確認

16:30  ツアープログラム終了

18:00  PC仕事

23:00  就寝

なんて散々な生活リズム。他のツアー参加メンバーからは「社畜してるじゃん」と苦笑されました。

私はフィンランドで何をしているんだろう

一方で、フィンランドの人々は16時には仕事を終えて帰宅します。日本では「早く終わったらさらに他の仕事もするべきだ」という声も聞きますが、フィンランドでは帰宅して家庭や自分の時間にあてるのです。

仕事は人生の一部ではあるけれど全てではない。そう考えて人生全体を味わおうとしているスタンスに憧れます。

このスタンスは、ツアーで最初に講師をしてくださったニコさんも体現されていました。ニコさんは職業専門学校OSAOの元・校長先生です。

「生徒が人生に必要な力をつけられるよう手助けするのが先生です」。そう語りながら、フィンランドの人々にとっての幸せや人生観を紹介してくださいました。企業研修などを手がける人事としては、特に「学び」への考え方に感じ入りました(長くなるため今回は割愛しますがいつかご紹介したいです)。

ただ、ニコさんの語る「幸せ」に共感すればするほど、朝5時から夜23時まで仕事をしている”社畜”な自分が情けなくなりました。

半年前から楽しみにしていたのに、お金も時間もがんばって調整してここまで来たのに。現実の自分は「幸せな働き方」からかけ離れていることが浮き彫りになるばかりで。

ツアー中は相部屋だったので、ルームメイトを起こさないよう朝はホテルのロビーで仕事をしていました。7時ごろになると私の横をモーニングビュッフェを食べにいく人々が通りすぎていきます。

その豊かで和やかな雰囲気と、PCに向かっている自分の差を痛感して。私はフィンランドまで来て何をしているんだろうと思いました。

朝5時のロビーにはフロントの人と私しかいません。

あなたが元気で幸せだからこそ

転機が訪れたのはプログラム3日目。ライターのモニカ・ルーッコネンさんのワークショップでした。

モニカさんは日本でも翻訳出版されている『マイタイム』の著者です。日本に住んでおられた経験や、フィンランドの大企業ノキアでの会社員経験もあります。日本とフィンランドの働き方の違いやその背景まで話してくださいました。

モニカさんが提唱する”マイタイム”とは自分のための時間をとること。肩書を外して、自分を満たしてケアしてあげる時間を持つことです。エラマプロジェクトでもマイタイムの大切さは語られていて、その重要性はわかっているつもりでした。

でも、そんな私にモニカさんは言ったのです。

「日本人は周りに奉仕する優しい人たち。でも、まずは自分をケアしてあげましょう。

あなたが幸せだからこそ見ている人も幸せになれる」

いろいろな考えが頭をかけめぐりました。

私は自身をケアできているだろうか、日本人は自分より周りを優先しすぎていないだろうか…などです。

ただ、そのとき最後に心に浮かんだのは、朝のロビーでPCに向かう私を心配してくれていたツアーメンバーのことでした。

本当の”思いやり”って?

日本人の働き方のひとつに周りへの”思いやり”があると感じます。お客様や仲間など誰かのためにがんばったり、「自分は良くても他の人が困るから」と残業して手を尽くしてくれる人もいます。残業はよくないと眉をしかめながらも、私は思いやりを日本人の美徳だと思っていました。今も美徳だと思います。

でも、モニカさんの言葉でハッとしました。自分で精一杯な今の私は本当に相手を”思いやって”いるのだろうかと。

朝5時から仕事をしているときは、約7000km離れた日本の仕事相手のことを考えていました。私の都合で迷惑をかけたくないと”思いやって”、できるだけ相手のスケジュールに合わせていたのです。

そうやって眠たい目をこすりながらPCに向かう私に、ツアーメンバーは「大丈夫?」と声をかけてくれていました。「大丈夫!」と軽く返していましたが、今思えばその優しさの意味をちゃんと考えて受けとれていなかったのです。

このツアーは、他のメンバーにとっても日常を離れて味わったり楽しんだりする大切な時間です。なのに横で辛そうに仕事をする人がいたら気になりますよね。モニカさんの言葉でそこに思い至って申し訳なくなりました。そして、それを責めるのでなく気遣ってくれるメンバーの有難さにもようやく気づきました。

7000km先にいる人も大事です。でも、まず目の前にいる人を笑顔にできているのでしょうか。そして相手を笑顔にするのは自分が笑顔でいることなのではないでしょうか。

実は、ツアーに来る前は「自分をケアする」ことに少し後ろめたさもありました。周りより自分を優先していいのかな、それは利己的じゃないかなと思っていました。

でも、無理をしながら他人を”思いやる”姿は、実は身近な人たちを心配させているのかもしれません。それは誰も幸せではないのです。

モニカさんのワークショップを受けた日の夜から私は仕事をセーブしました。全ての仕事を拾うことはやめて、必要なものや続けたいものだけに。

できた時間で夜はみんなとバーに行って、真面目な話やお酒の感想や、翌日には忘れてしまうような笑い話をしました。外は気温5度と寒いのに、ワイワイしながらスーパーでアイスクリームを買って帰りました。

最終日の貸切サウナではみんな思い思いにすごしていました。川に飛びこむ人やサウナにこもる人、テーブルで話しこむ人、屋外のお風呂で空を見上げる人。その様子を見ながら、二度とないこのメンバーとの景色をずっと覚えていたいと思いました。

よく食べて、よく話して、よく笑いました。私が笑って相手も笑ってくれる時間でした。ツアーが終わった今も、ふと思い返してはあのとき仕事をセーブしてよかったと思います。

私が私を優先することで誰かに迷惑をかけたかもしれません。でも、自分が元気でいることで、また誰かを元気にもできるのではないでしょうか。

肌になじむ働き方をあなたと

今回のツアーでは、フィンランドの人々の働き方とウェルビーイングにふれました。知識だけではなく、現地の人々と直接接して感じたことや、ツアーメンバーと一緒だからこそ気づけたことがありました。

社畜をしないと気づけなかったのは情けないのですが、日本での働き方をフィンランドでやってみたからこそ理想と現実のギャップに気づけました。ギャップを埋めるために試行錯誤して実践することもできました。

国の制度や今までつちかってきた価値観が違うので、フィンランドのワークスタイルをそのまま日本に持ってくることはできません。ですが、やっぱりおたがい似ている部分もあって、フィンランドの人の「幸せ」は私の肌になじみます。

だから、私はこれからもフィンランドをヒントに、「幸せな働き方」をいろいろ実践してみようと思います。そのひとつとして、実は地元の島根県でフィンランドをテーマとしたコワーキングスペースをはじめることにしました。

先代のオーナーさんから継いで二代目としてやっていきます。名前は「コワーキングハウス・マヤッカ」。マヤッカとはフィンランド語で灯台のこと。人生の岐路で迷った時に立ち寄れる灯台のような場所になりたいです。

日本家屋と北欧テイストをミックスしたコワーキングスペースです。

幸せにいろいろな形があるように働き方もいろいろあっていいはず。日本のやり方、欧米のやり方、そしてフィンランドのやり方。人と違っていたとしても、自分がより心地よくいられる方法を探して実践してみてお伝えしていこうと思います。

そしてあなたが日々感じたこともたくさん聞かせてくれませんか。あなたのお話や元気で笑っている姿が私を笑顔にしてくれます。

人を思いやれるあなただからこそ、まずは自分からケアしてあげましょう。

あなたが今日も元気でいてくれることを願っています。

text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)

こんにちは!いけかよです。

先日、いけかよは44歳になりました。

めちゃめちゃ若くもないけど、でもまだまだこれから、な年齢と言えるでしょうか。

「四十にして惑わず」なはずの歳から4年も経ちましたが、いまだに惑いまくりな年齢ともいえます。

そんな折、同い年の友達から「人って44歳と60歳でいっきに老けるらしいで」という情報が。

またまたそんな、適当な噂信じたらあかんでぇ、と思っていたら、お世話になっているパーソナルトレーナーさんからも同じ話を聞き、調べてみるとなんとスタンフォード大学などでの研究で明らかになったことらしいのです。

てか研究対象108人て。なんで煩悩の数やねん。

とツッコミつつ、そんな研究を「そうかも」と思わずにいられないいけかよの昨今の出来事を振り返りたいと思います。

元気キャラが売りだったのに

実は、9月の下旬、44歳の誕生日を迎えたその次の日に(!)、いきなり体中が痛みだして寒気が止まらないという症状が発生し、そこから5日ほど発熱して寝込むという事態になってしまったのでした。

スタンフォードの研究恐るべし。

っていうか、研究に実直すぎる?あたしの体恐るべし。

大人になってから数日間にわたり、しかもまあまあな高熱を出して寝込むのは初めてでした。2024年始まってからずっと走り続けてきていたので、その疲れがいっきにきた、という感覚でした。

ほんとうにしんどかった。毎日晩酌をしているいけかよですが、さすがにこのときは普通に断酒状態で(当たり前か(笑))、食べることすら辛かった。何を食べても美味しくないのです。

「ああ、人ってこうやって死んでいくんやなぁ」と、判断能力の落ちた頭でぼんやり考えていました。食べるというのは、エネルギーを取り入れるという、生きていく上でもっとも基本的な行為です。食べるという行為じたいにもエネルギーが必要。「食べたい」はイコール「生きたい」です。それが「いらない」となるということは、「死にたい」と同じとも言える。

やっぱり病気や体調不良でそれまで当たり前にできていたことができなくなると、いろんなことを考えますね。いけかのように発熱レベルの些細なものでも、やはり「自分ってなんなんだろう」とか「なんでこんなことになったんだろう」とか「これにはどんな意味があるんだろう」とか、考えました。まあ、ポジティブなことはあまり考えられませんでしたけども。

もしくはよくわからない妄想とか。寝すぎて眠気はないものの、つらいのでただ横になってることしかできないから、やたらと脳ミソが暴走する感じです。

それから熱は下がったものの、体へのダメージはそこそこにあったようで、10日ほどは微熱が続き、さらに1ヶ月ほども微妙なしんどさや不調がずっとつきまといました。

ゆえに、お仕事もちょっと在宅を増やしたり、出かける用事はなるべく減らしたりと、省エネモードの日々が続きました。

そうすると、結局は熱を出して寝込んでいるときの延長。つまり、ずっと自分の身体に向き合うということをし続けることになったのです。

今日はあたし食べれるかな? 今日は元気かな?と。

「老い」を受け入れる

奇しくも、発熱する少し前から、身体には小さな不調が出ていました。自分にとってはよくある「いつものやつ」です。

なので、かかりつけの漢方医さんに薬を処方してもらったり、自分なりに休んだり食べたり。

でも、もともと若干健康オタク気味なわたしは、ネットでいろんな心身の健康についての情報を拾ったり本を読んだり講座を受けたりしていました。

実は、その動きが加速していたのは夏頃からでした。

「44歳の壁」を身体は察していたのでしょうか。

そこでピンとくるものに出会い、学び始めたのがアーユルヴェーダでした。

学ぶことは、ざっくりいえば心身の健康に関する知識と、毎日できるセルフケアです。

学びはじめた直後に発熱して倒れたので、わりといろいろな役立つ知識を実践できて、そういう意味でもなんちゅうタイミング、というかんじ。

学びはじめて理解したのは、当たり前ですが20代、30代のときと身体は違うということ。だから、食べ方も眠り方も不調の治し方も、20代30代の頃とは変えなきゃいけないんですよね。

自分には自分の歴史=データしかないから、ついつい「いつもこれでいける」のパターンを信じちゃうんですが、でも自分の身体は(きっと心も)「いつも」じゃない。どんどん変わっていく。

だから「いつものやつ」が効かなくなってくるんですよね。

それを「老い」だと受け入れるのは、少し勇気がいりました。なんか、やっぱり負けたような、いろんなものを諦めなきゃいけないような、侘しい気持ちになるからです。

でも、自分の身体を変えていけるということも、同時に学んでいます。

30代までは、自分が元気で健康なのは当たり前でした。

でも、それが少しずつそうじゃなくなる。でも、自分で治していくことができる。

44歳だからこそ味わえる、元気であることの喜びは、尊いものだとも思います。

自分を治すために自分を知る

そもそも、いろんな身体の不調は自分で治すべきものなんですよね。お医者さんが治してくれるものではない。

もちろん、お医者さんやセラピストさんなどの専門家も頼るし、手術やお薬や整体やサプリメントなどの助けも借りますが、自分の身体を治すのは自分。

いけかよは腰痛持ちでもともとめっちゃ太っていたのですが、いまでは腰痛は気にならないものになり、体重もそれなりに痩せられてからは「まいっか」と思えるレベルになりました。

それらは、スペシャリストたちの力を借りつつも、結局は自分の意思で自分の身体は変えるのだということを何度も体感しました。だからこそ、自分と自分の身体にしっかり向き合って、いま自分の身体がどういう状態なのかをわかるっていうのはすごく大事って、わかるんです。

でも、これが難しい!

日々、忙しく過ごしている多くの人が、自分の身体の状態には無自覚だと思います。いけかよはそうでした。漢方医に脈診をされるたびいつも「がんばりすぎ」と言われます。でも、それがデフォルトなんです。「“すぎ”じゃない頑張りってなに?」って感じです。

そういうときに、通常運転がままならないような不調に襲われると、やっと自分の身体と向き合うことになります。そして学ぶのです、「ああ、ここまでくるとだめだったのか」と。

これは気持ちの部分でも同じです。

自分のちょっとした気持ちの浮き沈みにもっと敏感になったほうがいいんですよね。

そんなことにいちいち気を留めていたら日々は立ち行かないと思われるかもしれません。

でも、「自分はこういう状況だと元気になる」「こういう状況だと凹む」「これが好き」「これは嫌い」という自分なりのものさしには、やっぱり敏感でいたほうがよさそうです。

それが、食べ物とはまたちがう日々のエネルギーを左右するからです。

生きるうえで必要なエネルギーは、カロリーだけじゃないですよね。楽しい気持ちややる気やモチベーション、悔しさや苛立ちだってエネルギーです。

それは「生きる希望」とも言い換えられます。

身体の不調を、筋トレや食事で治せるように、心の不調も自分で治すことができるはずです。自分のことをきちんと知っていれば。

そして、これらの「気持ちの処方箋」も、年齢を経れば変わっていく気がする。

若い頃にあんなに情熱を燃やしたことに、いまはもうときめかなくなっている、ってこと、きっとみなさんあるはずです。それって切なくもあるけれど、人間という生き物として当然のこととも言えます。若い頃はコーラとポテチで日々乗り切れていたけど、40過ぎたらご飯とお味噌汁じゃないと身体はいろいろおかしくなる、というような。

そういうことを、わかりやすく突きつけてくるのが、もしかしたら「44歳と60歳の壁」なのかも?と思ったりしたのです。

それは自分のために生きろというサイン

いけかよは、基本的には人間という存在は全員が全員、毎瞬をめちゃめちゃがんばって精一杯生きていると思っています。

「そんなことない、自分はグダグダしている。ぜんぜんがんばってない」と思っている人も、いまある心身のエネルギーを精一杯つかって在ることができる在り方が「グダグダ」というだけで、基本的には人間は「精一杯」がデフォルトのような気がするんです。

パワー全開で張り切るときはもちろん、休むときも、グダるときも、悲しむときも、怒るときも、人の心身のエネルギーは、ONかOFFしかなくって、エネルギータンクにどれだけガソリンがあるか、っていうだけのような気がするのです。コンロの火を調整するレバーのような機能は、ない気がします。

老いというのは、心身ふくめて、このエネルギータンクが小さくなっていくことのような気がします。でも、それは身体からも心からも両面からのアプローチが可能で、かつ、自分でケアすることで大きく保つ、なんなら歳をとっても大きくすることができる、ということですね。

そのためには、前述のように「自分の身体に向き合うこと」「自分の心に向き合うこと」が必要です。適切なケアを自分にしてあげるために、です。

それを、「いきなり老いる」みたいなショッキングな出来事で知らせてくるのが「44歳と60歳の壁」で、それはつまり「自分のために生きろ」というサインなんじゃないかと、いけかよは思うのです。

若い頃って、体力があるし失敗も許されるから、いろんなことに無駄にエネルギーを使うことができます。それはすなわち人間的成長のために必要な学びを得ているときとも言えるけど、一方で自分に自信がないがゆえに、自分をすり減らすような生き方をすることもままある気がします。

やたらと自己犠牲的に仕事をがんばったり、学校や職場で「いい人」になってしまったり、パートナーに尽くしすぎたり。

そうすることでしか他者に貢献するやりかたを知らない、とも言えるかもしれません。

でも、いよいよエネルギータンクが収縮してくる=歳をとってくると、エネルギーの余裕があまりありません。だからこそ、エネルギーを過剰にすり減らさないように、わたしたちは「自分のために生きる」をする必要があります。

気持ちや体力に余裕がなくなってくると、否応にも自分のことにかかりきりになりますね。これって、言い換えれば「自分のために生きる」です。

「44歳と60歳の壁」は、いきなり「自分のために生きる」への強制スイッチを押させるようなものなんじゃないかと思うんです。

そして、その壁を感じたら、最初は焦ってもだんだんとニュートラルに老いを受け入れ、適切なケアをし、回復できるのだということを知る。

自分処方箋も更新していくことを知る。

そして、日々すこやかに過ごせることを愛おしむ余裕もでてくるかもしれません。

ひいては結果的にそれが他者への愛や貢献にもなる、ということを知るのです。

そう考えれば、「44歳と60歳の壁」は悪いものじゃないかもしれませんね。

生きる目的とかも見えてくる

奇しくも、この記事がアップされる2024年11月20日は、冥王星が水瓶座に移動します。

占星術に興味がない人にはごめんなさい、なんのこっちゃでしょうか。いけかよは、占星術が好きなので、つい「あっ!」と思ってしまったのですが、ざっくりいうと、社会の流れを司る星である冥王星は、約20年ごとしか動かないんですが、それが動くタイミングがきたよ、つまり、時代が新たなフェーズに入るよ、ということです。

少し前から「風の時代」と言われてますが、それが本格的になるガチの後押し、っていうかんじです。

(興味がある人は「冥王星 水瓶座」とかで検索してみてください)

そんな、星の世界からのメッセージともリンクしているかもしれないな、と思うのが「自分のために生きる」ということ。

もう年齢的にオバサンやから、とかじゃなく、ほんらい、人間は自分のために生きるのがデフォルトであると思うんですが、だれかのために生きることに喜びや拠り所を見ている人もいると思うし、それって悪いことじゃありません。

でも、結局は自分のために生きる、が、たぶん、きっと正解なのです。

ひとりひとりが果たすべきなにかを持って生まれてきているはずだし、そのためにこの身体と心はつかわれるべきなんです。

そう考えると、「自分がなんのために生まれてきたのかわからない」「やりたいことがわからない」という人は、まず「自分のために生きる」をしてみたらいいんじゃないかと思うんです。まずは、心と身体を元気にすることに集中する。

そしたらなんか、自分の生きる目的とかって、おのずと見えてくる気がしませんか?

そしてなにより「自分のために生きる」は、命を大切にするということにほかなりませんよね。

命輝く人は、老若男女問わず人を魅了します。

まさに「Elämä(エラマ)=命、人生」だから。

そんな命輝く人をめざして、44歳の壁に直面したいけかよはいま「自分のために生きる」をやってみています。

そしたら、50歳くらいにはめちゃめちゃええ感じになってるかもしれへんよね。

そんな期待を胸に、新たな時代が始まる今日から、あなたも「自分のために生きる」をしてみませんか?

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)