天海祐希が好き。
宝塚歌劇団出身ならではの美しい立ち居振る舞い、弁護士などの堅い役からコメディエンヌまで幅広い役をこなせる柔軟性など、とにかくかっこいい。
彼女は、宝塚でも男役だったということが影響しているのか、賢く強い女性の役を演じることがよくあると思うんです。
「離婚弁護士」や「合理的にあり得ない」では弁護士だし、「BOSS」だとアメリカ帰りの刑事だったし、「緊急取調室」でも癖のある加害者をやりこめる敏腕刑事でした。「女王の教室」では圧のある怖い先生でしたよね。
上司にしたい女優No.1と言われ、「ハンサムな女性」を象徴するような女優の一人なんじゃないかなと思います。芯のある役がはまるとも思うし、いつも「天海祐希、かっけー!!」って思いながらテレビを見ています。でもバラエティだとキュートなんですよ。そのギャップもいい。
天海祐希は「おばさん」なのか?
天海祐希が強い女性を演じるときに、ドラマの中で必ずと言っていいほど、若い世代の人から「おばさん」とか「年増」とか言われてるんですよね。最終的にはそのような発言をうまく切り返す結果になるのだから、問題ではないのかもしれないのですが、私はこれが気になります。
ドラマだと40代以上の設定の女性は「オバさんにはわからないわよね」というようなことを若い女性から言われるシチュエーションがよくあります。性別を男性にすると、50代の男性が若い男性に「オジサンにはわからない」みたいなことを言われているシーンってあまり見ないように思うのですが、見てるドラマが偏っているのでしょうか。
私が天海祐希を好きすぎて、気になっているだけなんでしょうか。
「逃げ恥」でも石田ゆり子演じるゆりちゃんのセリフがよかったと言われていますが、これだって、若い女性から、「若さという価値がなくなったオバさんは引っ込んでて」みたいな感じのことを言われた時の返答でした。(恋愛がらみの嫌味があったのですが)
呪いね。自分で自分に呪いをかけているようなものよ。あなたが価値がないと思っているのは、この先自分が向かっていく未来よ。それって絶望しかないんじゃない?
自分が馬鹿にしていたものに自分がなるのはつらいわよ。「かつての自分みたいに今周りは自分を馬鹿にしている」と思いながら生きていくわけでしょう。
そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまうことね。
あなたがこの先美しく年をとっていきたいと思うなら、楽しく生きている年上の人と友達になるといいんじゃないのかな。
あなたにとっての未来は誰かの現在であったり過去だったりするんだから
(『逃げるは恥だが役に立つ』9巻63P)
このセリフは、今まで言葉にできなかったことを言語化してくれたような部分があって、とても納得のいくセリフでした。
でも、キャリアを追い求めた素晴らしい女性たちが、若い人から「若くないことは無価値」と言われるのを、私たちはいつまで見せられなければいけないのでしょうか。
年齢を重ねた女性に対して「そういう発言をしてもいいのだ」と考える人を増やしてしまわないでしょうか。
そう考えるのは誰?
若いことに価値があるとみなす傾向はまだ根強いし、特に女性は若さで価値を付けられることがあります。
でも、「若さに価値がある」と考えているのは誰なのか考えたら、老若男女がみんな「若さこそ価値」「歳をとったら終わり」という価値観を植え付けられているように思います。まさにステレオタイプです。
だけど、そういう価値観を壊してくれているのが、天海祐希のような輝きを持った存在だと思うんです。彼女たちが年齢を重ねても第一線で活躍することで、世間や社会が作った「おばさん像」を壊して、「年齢を重ねることには、若さとは別の価値がある」と思わせてくれるロールモデルだと感じているから、私は天海祐希が好きなんだと思います。
「もう若くない」と、自分でも思ってしまっていませんか?
そしてそれはあなたを縛っていませんか?
だとしたら、そんなものからはいち早く逃げてしまったほうがいいと思うのです。
年齢を逆手に取る
ということで、私は「もう若くないし」などと言って諦めることをやめました。
それで、この前「大人のバク転教室」に行ってきました。1回の練習でバク転が成功するわけではなく、3回ぐらいレッスンを受ければ、自力でバク転できるそうです。
子供の頃、とってもどんくさかった私は、バク転が夢でした。今から子供の頃の夢が叶うなんて楽しみでしかありません。40代でバク転できるって、希少価値がめっちゃ高いし、そもそもめっちゃかっこいいじゃないですか。
教室には、私よりも年上の人から中学生まで参加していて、マットの上で前転、後ろ回り、ブリッジなどから始めました。「バク転やりたい!」と思って参加申し込みしたし、コーチも「誰でもできる」と言っていたけど、レッスンの最初は、「本当にこの歳でバク転なんかできるんだろうか」と不安でした。
でも、後ろにまっすぐ飛ぶ練習を何度もやって、コーチに支えてもらって初めて1回転したんです!!「私にもできた!!!」という感動がありました。
コーチの支え付きで、何度かバク転「もどき」をやっていると、だんだんコツを掴んできて、みんなが上手になってきて、一番年上のおじさんがうまく回転できた時の一体感もよかったです。
あの時、誰も年齢を理由に「できない」なんて言ってなかった。
私はまた、あのメンバーに会いたいと思っています。全員が初心者で、一緒に上達していくのを全員で楽しんで、成功を喜び合える空間でした。
もう私は40代に突入しているので、「おばさん」と呼ばれる世代です。だけど、30代後半でイギリスの大学院に行って、40代になってバク転に挑戦して、暑くても寒くてもフットサルで走り回って、急にインド映画にはまって、やりたいことやって泣くほど笑って人生を楽しんでいる「おばさん反乱軍」だと思っているんです。
反乱軍は、「若さに価値があるんだ」とか「おばさんとはこうあるべし」というステレオタイプを押し付けてくる皇帝が率いる帝国軍を、フォースの力で追いやって、反乱軍だけで楽しんでいます(スターウォーズを知らない方にはすみません)。
たとえば、「食べログで見たシェフがイケメン」という理由でトルコ料理屋さんに行ったり、化粧品や脱毛の情報交換をしたり、昼間から集まって飲みながら何時間もカードゲームをしたり、すごく特別なことをしているわけではないのですが、自分たちが今やりたいことを我慢しないで提案できるし、同じように楽しんでくれる人がいることは、とても恵まれていると思います。
さらにラッキーなことに、私の周りには、同年代や年上の人で人生をとても楽しんでいる人たち=反乱軍の仲間がいるのです。
それで、人生を楽しむ反乱軍を見た若い人たちの「年齢を重ねることへの不安」が軽くなったらうれしいです。ぜひあなたも反乱軍の仲間になって人生を楽しみませんか?
Text by ひらみん(普通の会社員)
こんにちは、少しご無沙汰しておりました、あいすかです。
みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。
もう、毎日、あついあつい。
わたしの住む関東では、連日、朝から熱中症アラートが発令されています。
ここまでくると異常な暑さですよね。
夏休みに入った子どもたちも、日中は清涼を求めて、プールや海に通っています。
本能的に水に浸されたいという気持ちが凄く分かります。
ひとり時間は皆無になりましたが、それも今だけ(子どもたちが小さいうちだけ)なのです。
2023年は、仏教の「中今(なかいま)」の言葉を思い出す機会が多くありました。
いまここを大切に生きること。
今回の夏休みは、我が家にとって新しいチャレンジが後半に待ち構えています。
8月後半、わたしと小学5年生の娘はフィンランドへ行きます。
わたしは12年ぶり、娘にとってははじめての海外旅行となります。
今回の旅行は「ワクワク」というより「あぁ、やっと行ける」という安堵感のような気持ちがわたしのなかにあります。
娘さんも、はじめての海外に緊張しているといった様子もなく、フィンランドへ行くまでの間に、夏休みの宿題を終わらせることに必死です。
あと数週間後にせまったフィンランド行き。
まだ、パスポートを取り寄せ、海外保険に加入しただけ、何の準備もできていないことに少しだけ焦りを感じつつ、今回はフィンランドとわたし、フィンランドと娘との出会い、旅行に対する想いを綴ってみようと思います。
しばし、お付き合いくださいませ。
フィンランドとの出会い(わたしの場合)
小学生くらいの時に、ムーミンのアニメをみたことが最初のフィンランドとの出会いでした。
当時は北欧がどこにあるのかも分からない子どもでしたが、なんかズングリムックリのかわいらしい体系のキャラクターに惹かれたことは覚えています。
中学生の時に、バレーボール部の先輩から「あなたハーフ?北欧っぽい感じがする。背が高い女性が多いのよね」と言われたときに、北欧ってどこ?とはじめて意識しました。
地図帳で調べたら、なんと遠い。行くことはないだろう、と地図帳を閉じたことを覚えています。
北欧の女性は背が高い、と教えてくれた先輩は、どうしてそのような情報を得ていたのか?当時はインターネットもなかったはずなので(歳がバレます)、今更ですが先輩に質問すればよかったと思います。
10代、20代ではフィンランドにふれる機会はありませんでしたが、社会人になり30代で大学院へ進学したときに、どっぷりとフィンランドの制度に触れることになります。
産後女性の健康、子育て観について自ら全国調査し、データを集めて研究を進めていた時、日本だけでなく海外について、アメリカ、ヨーロッパ(ドイツ)、北欧(フィンランド)の妊娠出産、子育て支援制度を調べました。
そこで、フィンランドの制度、ネウボラという存在に惹かれ、フィンランドの子育て環境のみならず、働き方、ライフスタイル全般にも関心を持つようになったんです。
ネウボラ(neuvola)とは「アドバイス(neuvo)の場」という意味で、妊娠期から就学前までの子どもの健やかな成長・発達の支援とともに、母親、父親、きょうだい、家族全体の心身の健康サポートを目的とした機関(フィンランド大使館のサイトより引用)。
わたし自身、娘が1歳の時だったので、さまざまな葛藤を抱えながら子育てをスタートさせていました。いろんなことを諦めたり、スローダウンしたり、産後は体調もあまり良くなかった。
「母だから」の役割をがんばりながら、「もし、わたしがフィンランドで子育てをしていたら、ネウボラさんがそばにいてくれたら?」
そんなことを考えていた時期もありました。
いまは子どもも成長し、すでに11歳。2人目も5歳になりました。
産後の大変さは思い出になりつつあります。
これは、わたし自身の話。ですが、それで終わらせていいのかな?
まだ、日本では産後の母親、父親、家族へのサポートに課題がたくさんあります。
日本で子どもたちに関わる仕事をしながら、フィンランドの子育て環境を見てみたい、という想いがずっと頭にある。
もう、いいかげん、フィンランドへ行こう!
それが、今のわたしの原動力になっています。

フィンランドとの出会い(娘さんの場合)
今回、一緒に同行する11歳の娘さん。
彼女はわたしがエラマプロジェクトを知る以前から、フィンランドに関心を持っていました。
本人曰く、最初に北欧を知ったのは、おそらく小学生低学年の頃。
NHKのテレビ番組を観たことがきっかけだったのでは、と言っていました。
その番組は、北欧各国(フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)の大使館をめぐり、駐在大使にインタビューする番組でした。
彼、彼女たちが大切にしているライフスタイルについて、ご家族も出演し、インタビューを受けていました。
娘と同年代の子どもさんたちが、お気に入りのソファーや北欧デザインの小物を紹介する場面では画面にくいつくように観ていたことを、いまでも覚えています。
「おかあさん、わたし、こんなお部屋に住みたい。フィンランドの人が、夜にキャンドルを灯して本を読むって言ってたでしょ。なんて素敵なの!フィンランドのお花の布って日本にも売ってるかな?(マリメッコを見ながら)」
「フィンランドの子も、夜はキャンドルを灯して本を読んだりして過ごすのかな?なんてオトナなの!」
興奮して話をしながら、番組をその場ですぐに録画していました。
(数年たった今でも何度も観返しています。)
それからは図書館でフィンランド関連の本を何度も借りてきては読み(おそらく市内図書館のフィンランド関連の本はすべて目をとおしています。)
マリメッコの布を購入して、壁にかけたり、インテリアのワンポイントとして飾ってみたり、ヒンメリを手作りで制作して吊るしてみたり、もう毎日、娘の頭の中はフィンランド。
そのうち通っている公立小学校の担任の先生に「わたしの将来の夢は保育士、旅館のおかみさん、校長先生、またはフィンランドへ移住する人、このどれかになります!」と宣言するようにまでなっていました。
エラマプロジェクトの企画にも自ら参加したい!と、飛騨高山で開催されたエラマ文化祭にも参加し、フィンランドから来日されていたナチュラルウェルビーイングの第一人者であるマリ・ペンナネンさん、そして妹で写真家のマリアンネ・アホネンさんとも仲良くさせていただきました。マリさんのお子さんと自分が同級生であることも判明し、娘のなかでフィンランドのお友達のお部屋を見てみたい、という目標もでき、彼女のフィンランドへ行くという想いは確固たるものになっていきました。
娘さんのフィンランドとの出会いはテレビ、書籍からスタートし、リアルを求めるまでに成長していきました。
とはいえ、小学生の娘と一緒にフィンランドへ行く、と決意するまでには、家族をはじめ、まわりの理解が必要でした。
タイミングがよかったこともあります。
そのことも書いてみたいと思います。

7年越しのフィンランド。おそらく今が絶好のチャンス!!
実は7年前に、当時、フィンランドセンター主催の「夏休みフィンランド親子留学」に娘と参加する予定だったんです。(2023年現在は開催されていません。)
娘さんは当時5歳、わたしも大学院を修了し、行政の健康関係の委員やNPO活動をしながらネウボラの研究を続けたいな、と考えていた頃でした。
たまたまフィンランド関連のサイトから親子留学を知りました。
幼児とフィンランドで生活することで、わたしがインプットしてきた情報(論文など)は事実なのか、それを体験してみたかったんです。
実際にフィンランドの子育て環境を肌で感じることからみえてくることが必ずある。
当時はひとりっ子だったので、夫も仕事があり、わたしたち母娘の2人旅に何の問題もありませんでした。
いつか留学したいという夢のために独身時代からコツコツ貯金もしていました。
子連れになるとは思いませんでしたが、これも何かの縁かな、と。
さあ、出発の1ヶ月を切ったところで、まさかの第2子妊娠が発覚!
もちろん、嬉しいことではありましたが、出発前に安定期に入っていないということ、留学先(研修先)から産科のある病院までかなりの距離がある、ということなど、諸々を考慮し、親子留学は取りやめたのでした。
それから7年、第2子も元気に成長し、すでに6歳になろうとしています。
家族も増えて、家事育児、仕事と日々やることは山積みではあるのですが、こうして娘自身がフィンランドに関心をもっているときに、親子で行くということにこそ、意義があるように感じています。
そして、わたし自身も昨年度から、新たな仲間達と日本でのネウボラ活動について実践研究をスタートしました。
いまだからこそ、フィンランドで吸収できることが沢山ありそうな予感がします。
この7年間にはコロナ禍もあり、だれもが海外へ行くことにハードルがありました。
でも、どんなときにでも、やはりタイミングはあるんだな、と思うんです。
時間がかかっても、心身のコンディションが整っている時に行動すればいい。
タイミングって必ずあるんです。
7年前、無理してフィンランドへ行かなくてよかった。
今だから言えるんですけどね。
全てがネタになる、そんな旅にしたい
これまで、長々とわたしたち親子のフィンランドへの想いと旅行への意気込みを読んでいただき、ありがとうございました。
これから、パッキングや必要なものを揃えないといけないのですが、とりあえず、12年前より格段に世の中は進化しているので、旅も便利になっているはずです。
まずはバスポートとクレジットカード、体調の管理には気を付けて、とにかく楽しむことに専念したいと思います。
全てがネタになる!そんな旅をしてきます。帰国後、また報告します。
暑い日が続いておりますが、みなさまもお身体にご自愛くださいね。
それでは、また!いってきます!
Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)
こんにちは、momoです。
わたしはもともと家に引きこもりがちなタイプではあったのですが、特にここ数年、大好きだったものに対する熱も落ち着き、アクティブさがさらに少なくなっていました。
また、気になったものがあっても「まぁもういいか」となることが多く、行動にまで至らず終わることがほとんどでした。
なので、同じように気になったものに対して、遠かろうがめんどくささに負けず足を運ぶ自分の様子を客観的にみると、我が事ながら相当興味があるんだなと感じます。
7月に入ってからその傾向が続いているので、最近行った展覧会にまつわるご紹介をしてみることにしました。
ピーター・シス、チェコスロヴァキアに生まれる
ピーター・シスをご存じでしょうか。フィンランドになじみがある方にとって「シス」と言えば「SISU」が思い浮かぶかもしれませんね。
ご想像通り人物の名前ですが、わたしはまったく存じ上げておらず、今回初めてその存在を知りました。
展覧会情報は偶然知ったのですが、メインビジュアルとなっている作品を見てとても気になり、「まぁ別にいいか」とはならず「ピーター・シスの闇と夢」展を八王子の美術館まで観に行ってきました。
ピーター・シスは現代アメリカを代表する絵本作家で、国際アンデルセン賞など数々の賞を受賞しています。
経歴としては、アニメーション制作や新聞・雑誌の挿絵などを担当。また、公共空間のアートプロジェクトなどにも参加しています。
意欲的に創作活動をおこなってきたシスの原点はチェコスロヴァキアです。同国は1993年にチェコ共和国とスロヴァキア共和国に分かれていますが、シスは1949年にチェコスロヴァキアのプラハ南東にあるモラヴィア地方の中心都市ブルノで生まれました。
シスが3歳の時に一家はプラハに移っています。
ヨーロッパの複雑な歴史過程をここで詳しく書くことはできませんので、以後の歴史的な内容は、シスの人生を中心に簡単に記すものになることをご了承の上、読んでいただければと思います。
チェコスロヴァキアは中欧とされる位置に存在し、東西の狭間にあったと言えます。
シスが生まれる前年、1948年に二月事件が起こり、チェコスロヴァキア共産党がその勢力を強固なものとしていきました。そして、事実上の独裁が確立し、ソ連型社会主義の国となりました。
ソ連のスターリンは1953年に亡くなり、1956年にフルシチョフがスターリン批判演説をおこなっていますが、チェコスロヴァキアはその影響が少なかったようで、スターリン主義者の指導者がその権力的地位をかためていきました。
また、1960年には国名がチェコスロヴァキア社会主義共和国とあらためられました。
シスが通っていた小学校では、子どもたちは戦争や兵士の絵を描いたり、本物のライフル銃を持ったりすることもあったようです。
10代後半になると、シスはバンドを結成してロックミュージックをカバーしたり、20歳を過ぎるとDJもしていたり、制限のある中でも興味を持ったことや自分の好きなことをあきらめずに過ごしていたことがわかります。
進学した美術大学では学生たちにソビエト軍を称賛する作品を作るよう強要することがあったようですが、シスは規制をかわしながら制作を続けたというエピソードもあります。
28歳のときに留学が許可されロンドンに行きましたが、博士課程を終えるまで学ぶことは許されず帰国しています。
1982年に再び海外に行けるチャンスがやってきました。
1984年に開催を控えていたロサンゼルスオリンピックのアニメーションを制作するため、チェコ・アニメの代表としてアメリカに渡ったのです。
しかし、ソ連を筆頭に東側諸国がオリンピックをボイコットすることが決まり、1983年に帰国を命じられます。
シスはそれを拒否し、単身アメリカに残りました。
「自分の」創作活動をするためには家族に会えなくなるという悲しさ、つらさを我慢してでもこの機会を逃せないと思っての決断だったのでしょう。
アメリカ暮らしの当初、同じチェコスロヴァキア出身で父親の友人でもあった映画監督ミロス・フォアマンの作品「アマデウス」(アカデミー賞8部門受賞)のポスター制作を請け負ったこともありました。
40歳のときにアメリカの市民権を取得、その年の11月にはベルリンの壁が崩壊するという大きな出来事がありました。それをきっかけにプラハに戻り家族との再会を叶えています。
同じ時期、フィンランドは
生まれ育った国についてはシスの作品を理解するためにとても重要な要素となるので書くことにしましたが、チェコスロヴァキアと位置は近くなくてもヨーロッパとされる地域にあり、しかもソ連の隣という地理であるフィンランドが同じ時期にどういう状況であったかもあらためて気になりました。
フィンランドは第二次世界大戦では敗戦国とされ、1947年のパリ講和条約により領土割譲、3億ドルの戦争賠償金が決定されました。
チェコスロヴァキアがソ連型社会主義国として歩み始めた1948年に、フィンランドはソ連と友好協力相互援助条約というものを結んでいます。
これはソ連側から提案されましたが、フィンランドは条件付きの交渉に応じ、条約の内容はフィンランド側の提案も受け入れさせることができました。
1952年の秋には戦争賠償金の支払いが完了し、同じ年にはヘルシンキでオリンピックが開催されています。
また、1955年12月に国際連合に加盟しました。
フィンランドは東西の間で均衡を保つように努めましたが、西側諸国からは中立だと信用してもらえず、ソ連からも西側諸国と親しいと見なされていました。両陣営の様子を窺いながら国家の運営をおこなっていましたが、ソ連に内政干渉を許す事態も起きています。
そのソ連は1991年に崩壊しました。
どちらの国も戦争の影響はもちろん、ソ連という国の存在の大きさを避けることはできませんでした。
自由に創作したい者にとって、監視や抑圧のある環境は非常に苛酷ですが、シスはその中で自分の芸術や自由の獲得について深く考えていたのだと思います。
先述の国際アンデルセン賞ですが、フィンランドの作家も受賞しています。
この賞は1953年に国際児童図書評議会によって創設された子どもの本の国際的な賞で、「小さなノーベル賞」とも言われています。
第3回までは作品に対して授与されていましたが、第4回からは子どもの本に貢献し続けてきた作家の業績に対して授与されることになりました。
そして1966年からは画家賞が設立され、作家賞との2部門で受賞者が選ばれています。
1966年に作家賞を受賞したのはトーベ・ヤンソンです。
シスは2012年に画家賞を受賞しています。
シスの人生を追体験
展示作品にはポップな作品、かわいらしいと感じる作品、幻想的な作品がありましたが、それぞれに哲学が込められていたり、大切にしたいと考えていることが伝わる、シスの人生を感じられる作品ばかりでした。
細かいところまでのこだわりもすごく、すべての作品をまじまじと観たくなります。
また、あるパートで描法についての解説を読むと、シスが亡命者として必死にアメリカで生きようとしたことが時代を超えてダイレクトに感じられます。
シスの自伝的絵本に「かべ-鉄のカーテンのむこうに育って」という本があるのですが、タイトルだけでも惹きつけられてしまいませんか。
これまで展覧会に行って絵本を買った経験はなかったのですが、今回初めて迷うことなくこの本を買いました。
展覧会は8/31(木)まで八王子市夢美術館で開催されています。まだまだ会期中ですので、関東の方、夏休みに東京に来る用事がある方はぜひこの展覧会も予定に入れてみてください。

<参考文献>
ピーター・シス(イラスト),柴田元幸(著・訳),他『ピーター・シスの闇と夢』国書刊行会,2021年.
矢田俊隆『世界現代史26 ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史』山川出版社,1978年.
デイヴィッド・カービー,百瀬宏、石野裕子監訳,東眞理子、小林洋子、西川美樹訳『世界歴史叢書 フィンランドの歴史』明石書店,2008年.
ハッリ・リンタ=アホ、マルヤーナ・ニエミ、パイヴィ・シルタラ=ケイナネン、オッリ・レヒトネン,百瀬宏監訳,石野裕子、髙瀬愛訳『世界の教科書シリーズ33 世界史のなかのフィンランドの歴史 フィンランド中学校近現代史教科書』明石書店,2011年.
Text by nakagawa momo(フリーライター)
こんにちは、エラマプロジェクト代表の石原侑美です。
「あなたのやりたいことは何ですか?」
この質問を向けられると、途端に答えがわからなくなるのは私だけでしょうか?
大学生の頃、就活セミナーでよくこの質問を投げかけられることがありました。当時は、「アナウンサーになることです」「旅行が好きなので、旅行関係や航空業界を目指しています」なんて月並みの答えを返していたけど、心の奥底で「なんてつまらない答えなんだろう」と自分に落胆しながら就職活動に励んでいました。
その「つまらない」の正体は、経営者になった今となってはわかります。もちろんアナウンサーや旅行業界の仕事がつまらないということではなく、「アナウンサーになること」「旅行や航空業界で仕事をすること」が本当に自分のやりたい「こと」ではなかったということです。
この記事では、「やりたいことを仕事にしたい!」ということについて、ひとり社長を10年続けてきた私の目線で深掘りしたいと思います。
やりたいことに急ブレーキがかかったとき
「あなたのやりたいことを自由にやればいいのよ」と、子どもの頃によく母から言われました。子どもを信頼している母なりの優しい言葉でもあるのですが、その言葉だけを突きつけられた私は、やりたい「こと」を一生懸命探しました。
その当時は、今のように立ち止まって「自分のやりたいこととは何なのか?」と真剣に考えることもなく、ただ素直に「やりたいことを探そう!」と自分の好きなもの・ことに目を向けていました。
中学生の私は、始発の電車で声優さんのイベントに駆けつける熱烈なアニメオタクで、「将来は声優になるんだ!」なんて目をキラキラさせて周りに話していました。
高校に入って声優を目指すために放送部に入ったものの、親に「大卒じゃないといけません」と叩き込まれて、声優になることを断念。それでも、大卒の人が声を使う仕事と言えばアナウンサーだ!と思い立ち、その後の大学進学も、カナダへの英語留学も「アナウンサーになる」という夢のために、日々を送っていました。
まさに、やりたい「こと」のためにまっしぐらな人生。私の学生生活は、その大きな夢のおかげで精神的に充実していました。
さて、いざアナウンサー就職のシーズンに突入!現役のアナウンサーの話を聞く特別講習に参加した時のことです。
関西では知らない人はいない有名なアナウンサーが講師で、受講生は目を輝かせてお行儀よく座っています。受講生のほとんどが女性で白やピンクのスーツを着て、そんなキラキラした華やかな空間の中で突然、
「これ、そこ肘つかない!」
と、アナウンサーの大きな叱責の声が響きました。
その声は、体育会系の顧問の先生のような、幼少期に通っていたバレエ教室の先生のような、人間の動きを止めてしまう大きな声でした。
確かに肘をついていることは、日本社会では講師に対して「失礼」に値する行為かもしれないけど、果たして相手の言動を止めてしまうほど重要なことだったのでしょうか?
そんなモヤモヤした気持ちを持ったまま講習は続いていくのですが、さらに私をモヤモヤさせたのは、そんな怒鳴り声があった後も、ほとんどの受講生がお行儀よく、呼吸の音さえ聞こえないくらい静かに講師の話を聞いている姿です。
その世界では当たり前だとしても、私にとって強烈な違和感、というより拒否感を覚えました。
私はこの世界にいたいのか?と。
上から押さえつけられて、自分の意見を押し黙って、それでもカメラの前で笑顔で、滑舌良くきれいな声で、他の出演者たちと一緒の職場にいられるのか?と。
やりたい「こと」にまっしぐらだった私の心に、急ブレーキがかかったような感じで、当時の私はとてもショックでした。
やりたい「こと」ってそんなに大事なの?
やりたい「こと」が見つかっても、強烈な拒否感を感じてしまったら、私はどうしたらいいの?
そんなモヤモヤを抱えたまま挑んだアナウンサー試験は当然ですが散々な結果でした。生きがいを失ったような感覚に陥り、大学卒業後はしばらくフリーター生活に突入します。
起業する時にやりたいことなんてなかった
1年半のフリーター生活後、大学院に進学しましたが、様々な経緯があって卒業後に起業することになりました。そう、この時にもあの質問を喰らうのです。
「起業して何がやりたいんですか?」
「やりたいことが見つかったから起業するんですよね?」
何度も同じような質問が来ると、「やりたいことがないと起業しちゃいけないのかな?」と自分に嫌気がさしてしまいました。というのも、私が起業したのはやりたいことがあったからではなく、古くから知り合いの人生の先輩から「お金はあげないけど仕事はあげるから、起業しない?」と言われたのがキッカケだったからです。要は、ノリで起業したわけです。
先方からすると、社員として雇わず業務委託契約を結ぶことで人件費を抑えられる。私としても、長い付き合いで構築していた信頼できる関係性から契約を途中で切られることなく、ある程度の失敗は許容しながら育ててもらえるという何とも高待遇の起業だったのです。
そんな経緯から、取り立ててやりたいことがあったわけではなく、「起業家修行」という私の中の位置付けで、がむしゃらに仕事をやりつつ、自分のやりたい「こと」を探していました。
フリーランスやひとり社長という肩書を言うと、「やりたいことをやれてて羨ましいです」と言われることがあるのですが、やっぱり「やりたいこと」と言う言葉に毎度毎度モヤモヤしてしまうのです。
やりたい「こと」が見つかっても、それが嫌いになったらどうするの?やりたい「こと」だったとしても、いい面だって悪い面だってあるのに、何故やりたいこと=良いことの構図になってしまうんだろう?
というか、そもそも起業家はやりたいことをやらなければならないのか?
当時、「起業家修行」中の私は、思考の深みにハマらないように忙しく仕事に打ち込んでいました。そしてごくたまにある休みの日に、東京の一人暮らしの静かな家で、ふと「私は何がしたいんだろう?」「私って何者?」と思考のループにハマり、それが嫌でまた忘れるために仕事して、そして人脈を広げるために飲みに行って・・・の繰り返し。
いわば、「やりたいことができている起業家」のイメージ像に苦しめられ、やりたいことがない故に自分が何者であるかというアイデンティティさえ見失っていたのです。
自分が何者かわからない状況で、他人に私ができることを話しても、「私が引き受ける必要があるのか?」と思うような専門外だけど単価の安い仕事だったり、反対に「え?私でいいんですか?」というような荷が重い仕事だったり、色んな意味で私にとって不釣り合いな仕事を引き受けていました。
「起業家修行中だから」というおまじないは、この時すでに私には効果がなく、逆に心と体のエネルギーをすり減らしてしまう結果となってしまいました。
やりたいかどうかじゃなく、私にピッタリ!を見つける
そんな心と体も限界に達した私に待っていたのは、フィンランドに1週間行くという願ってもない機会でした。
それまで日本で忙しく働いていた私は、1週間以上も仕事から離れてヨーロッパに行くことは仕事が減りそうで勇気が必要でしたが、これもいい機会!と捉え、フィンランドに加えてロシアとオランダを訪問する3週間の期間を取りました。
フィンランドで待っていたのは、想像していた「陽気な明るい外国人」ではなく、「人見知りで物静かな日本人に似ている人たち」でした。そう、このフィンランドの人たちとの出会いが私のフィンランド生涯教育研究家として活動するキッカケだったのです。
「この人たちの穏やかで自分を大切にする文化や習慣を日本でも伝えたい」という気持ちもゼロではありませんが、私の気持ちの根底には「こんなに面白いフィンランドの人たちと関わりたい!」「フィンランドに何度も足を運べる機会を作りたい!」そんな自分中心の視点と気持ちが大きく占めていました。
その後ロシアやオランダに行ったことで、よりフィンランドの人たちの物静かで平穏を何よりも大切にする特殊性を感じ、ますますフィンランドが私にピッタリ!という感覚になるのです。
それは単純に、好きなフィンランドに触れられるという気持ちというよりは、フィンランドと関わり続けたいという「覚悟」に近いかもしれません。
「やりたいかどうか」より、「関わり続けたいという覚悟」を持つ方が、私のやりたい「こと」を見つける方法としては最適だったんだと思うのです。
つまり、「フィンランドの文化を伝えたい」というやりたい「こと」を見つけるのではなく、何度も訪れたい場所、関わりたい人たち、自分に合う世界観、これらを見つけることのほうが大事だったのです。
居酒屋での大人たちの愚痴に耳を傾けると、人と関わることのストレスや悪口が大半です。心理学者のアドラーも「すべての悩みは対人関係の悩みである」と述べています。となると、もはや、やりたい「こと」を探すのはどうでもよくて、どんな人と関わりたいか、その人と関わるためにはどんな場所にいたいか、そっちを探すほうがストレスフリーで穏やかな人生を送れるのではないでしょうか。
エラマプロジェクトで開催しているツアーやイベントには、今回私がお話したような苦い経験が下地になっているものがたくさんあります。
やりたいことを仕事にしたいけど、自分のやりたいことって何だろう?とモヤモヤしている方へ。まずは、自分にとってピッタリくる人や場所を探すことから始めてみませんか?
エラマプロジェクトがその一助になればとても嬉しいです。
★2023年7月16日開催「フィンランドのライフスタイル体験プログラム in 岐阜・飛騨高山」
★会員制コミュニティ「エラマの森」で、オンラインで豊かに暮らすことを考え、学び、実証実験しています。
By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
こんにちは丹波フィンランド大使のpieni(ピエニ)です。
私は、生まれ育った故郷である兵庫県と京都府にまたがる「丹波」という地域で、フィンランドで見たこと、食べたもの、知ったこと、感じたことなどを伝えたり、体験してもらえるような企画をしています。
そんな丹波フィンランド大使の活動をする中で、欠かせないのが自然と過ごす時間。
フィンランドの森でビルベリー摘みをしたときに「フィンランドでは私有地であっても、節度を守れば誰でも大自然の森に入って、ベリーを摘んだりキノコを採ったりと自然を楽しむことができる自然享受権があるんだよ」と現地の方に教えもらいました。
そんな自然享受権のもと、森で自然を身近に感じ暮らすというフィンランドの人びとの生き方に関心を持ちました。
わたしも幼少期は祖父母に教えてもらいながら、野草を取って食べたり遊んだり、キノコ狩りに行き、お正月には秋に収穫した米の藁でお飾りさんを作っていました。
このように、自然が日々の暮らしの中に当たり前のようにあったのですが、祖父母が亡くなり大人になるにつれ、そんな生活からはどんどんかけ離れていきました。
フィンランドでは大人になっても、自生しているベリーやキノコを採って食べ、サマーコテージへ行き湖で魚を釣り、心と体を休めるために森を散歩をする。
自然を身近に感じる文化が息をするように根付いていることが、とても素晴らしいと感じました。
それと同時に「丹波ならすぐ身近に環境があるんだから出来ることじゃん!まずは自分からやってみよう」そう考えるようになりました。
とはいっても日本の森はフィンランドのなだらかな森とは違って、険しい急斜面や、道に迷うと危険な場所もあり、少し準備や慣れが必要です。
そういったフィンランドの穏やかな森との違いも、日本人が自然から離れてしまうきっかけの一つなのかなと思います。
五感をフル活用!丹波の自然をフィンランドのように感じる
そこで今回は森遊びが得意なガイドさんにお願いして遊んでみました。
テーマは「大人よ!フィンランドのように自然回帰しようぜ!」
滝や山が好きすぎて登山ガイドの資格を取り、丹波だけではなく全国の山や滝を駆け巡る「おタキ」さんのガイドで、近所の里山に登ってみることに。
さらに、麓の野原や川の土手では、フィンランドの自然享受権を体験するかのごとく、野草や山菜を採って自然の恵みをいただきます。
里山は山頂まで約30分の道のり。
登山道があるので安全なのですが、思ったよりも岩がごつごつしていて急斜面。
運動不足のわたしは少し面喰いそうになりましたが、色とりどりの花が咲いたり、芽吹き始めた鮮やかな緑の葉を茂らせる木々に囲まれて、だんだんと心地よく幸せな気持ちになってきました。
山頂付近の展望スポットからの眺望には「あー気持ちいい」と思わず呟いていました。そこには何とも言えぬ爽快感がありました。
下山してからの楽しみは、野草や山菜を調理していただくこと。
フィンランドのように森の中に焚火スポットがあるわけではないので、近くのキャンプ場に移動する必要があるのと、調理のための道具を準備する必要はありましたが、それはお楽しみの範囲内。
スズメノエンドウやカンゾウという野草や、菜の花やシロツメグサを摘んでおいたのでそれを天ぷらにしました。
山菜の女王と名高いコシアブラも登場。
タカノツメという山菜は軽くゆでて刻んでご飯に混ぜる。
ノビルという野草はカットしてピザの上にのっけて焚火で焼く。
豪華な野草&山菜ランチの完成です。
そうそう、忘れてはいけないフィンランドエッセンス!
フィンランド流ソーセージのBBQ「マッカラ」も一緒に体験しましたよ。
サクッとした食感や少し苦みのある山菜、甘みを感じる菜の花や桜の花。
風にそよぐ木々の葉音に、さらさらと流れる川の音と鳥のさえずり。
木々の間からこぼれ落ちる春の光。
五感をフル活用して自然の中で過ごす時をたっぷりと味わいました。
「ほんとに気持ちがいいね」
「なんだかぼーっとしてきた」
「ここで寝てしまいたいね」
「心がスーッとする」
参加メンバーからはこんな感想が聞けました。
自然の中で過ごしてみるととってもリフレッシュすることができました。
「明日からも頑張れそう」という気持ちになったりと、フィンランドに住む方のように森で過ごすというのは、生きるための活力に繋がることを改めて体感しました。
今はまだ「よし行こう!」と意識しないとまだ森へ行けませんが「ちょっと森へ行ってくる。ちょっと森で休んでくる」というように、行きつけの森へ行く習慣ができると、もっと考え方や生き方も変わりそうです。
皆さんもぜひ、少し自分の周りにある自然に足を伸ばしてみませんか?
まずはお散歩からでもいいと思います。
もし周りにそんな自然が無いよというときや、今回のような自然回帰がしたい!と思ってくださった方は、ぜひ丹波までお越しください。森遊びのプロと一緒にナビゲートいたします。
フィンランドのように森で自然と過ごす時間を楽しみましょう!
岐阜・飛騨高山でフィンランド体験イベント開催!
最後に、日本でフィンランドを感じることのできるイベントをご紹介いたします。
エラマプロジェクトでは日本にいながらフィンランドを体験・学べるイベントを全国で開催しています。
エラマプロジェクト代表でありフィンランド生涯教育研究家・石原侑美が2022年夏フィンランドに滞在し見てきたフィンランドの風景、雰囲気、実情、リアルを皆様にお伝えいたします。
7月16日(日)は岐阜県高山市で開催。
フィンランドってどんなところ?という基礎知識から、フィンランドで実践されている人生の描き方をワークショップで学ぶなど、フィンランドを通じて自分の豊かで幸せな生き方を考えるイベントです。
また、フィンランド名物お菓子・シナモンロールを一緒に作る体験もあります。まるでフィンランドで生活しているような体験ができます。
詳しくは【岐阜・飛騨高山開催】フィンランドのライフスタイル体験プログラム〜生き方デザイン、シナモンロール作り〜 をご覧ください。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)
こんにちは!いけかよです!
世の中が動き出した感半端ない昨今、みなさんいかがお過ごしですか?
今年こそはと、旅のご予定を立ててらっしゃる方も多いでしょう。ワクワクしますね!!
ということで、今回はエラマライターズたちにお気に入りの旅先を聞いてみました!旅行ガイドや旅行サイトで情報は溢れまくっていますが、そこには無い?かもしれないこだわりのスポットをご紹介します!
いけかよの推し旅先は「白浜」(和歌山県)
ベタすぎて申し訳ないのですが、いけかよは白浜が大好きです。
ていうか聞いてください!そもそもいけかよは旅行というもの自体がそんなに好きじゃなかったんです。そのいけかよが「ココは良い!」と思ったというのが白浜。
そもそも、白浜はワーケーションのメッカとして近年注目されていて、長期ステイや仕事をするための設備がとても充実しているお宿が目立ちます。
もともとは、夏場の海遊び客がいなくなると街がとても寂しくなってしまうということもあり、そのへんテコ入れしたっぽいのですが。
そんな白浜で、とあるご縁でお世話になったのがゲストリビングMu 南紀白浜。
ワーケーションのためのホテルなので、一般的なホテルで期待するアメニティやルームサービスなどはありません。しかし、多様なワークスペースやとっても広い個室など、「気分を変えて快適に働く」という点においては最高のホテル!
なにより、お部屋からはとってもすてきなオーシャンビューが!!
やばくない?
徒歩5分でビーチなので、朝はもちろんふらっとランチに出かけた際にもちょいとビーチを散歩したり。
夕焼けは夕焼けでやばいよ!
そしてお宿には白浜ならでは!の温泉もついていて言うことなし!
ここはぜひともPC持って最低でも3泊はしてほしいなぁ。
オーナーがとても素敵な人で、宿泊している他のワーケーション客との交流を促してくれたり、地元の人しか絶対知らなさそうなごはん屋さんを教えてくれたり。なので、ホテルというよりもゲストハウスに近いイメージ。
あ、もちろん、海鮮のウマさは保証付きです!!
白浜といえば夏!海!というイメージですが、ぜひオフシーズンでも行っていただきたい。その際には「仕事ですから(( ー`дー´)キリッ」という感じでお願いします!
momoの推し旅先は「中宮寺」(奈良県)
わたしのおすすめは中宮寺の本尊、「菩薩半跏像」です。一番好きな像なのです。
中宮寺は奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2にあります。この半跏思惟像に会うためだけに奈良に行ってみませんか。
国宝なので知っている、観たことあるよという方が多いかもしれません。知らない、思い出せないという方はぜひこちらをご覧ください。
確か中学生の頃だったと思うのですが、教科書に菩薩半跏像の写真が資料として載っていました。一目惚れでした。
今振り返ると、写真だけでそんなに惹かれるなんて……この像の威力をしみじみと感じます。
実際に足を運ぶと一日中観ていたくなります。離れがたくなるんです。どの角度から観てもすばらしく、心がおだやかになります。間近でずっと眺めることができれば最高ですが、訪れる方と譲り合って良い時間にしていただきたいです。
中宮寺には天寿国曼荼羅繍帳もあります。本堂に安置されているものは複製で、実物は奈良国立博物館に寄託されているそうですが、菩薩半跏像に会うのに合わせてぜひこちらもご覧になってみてください。さっと見て帰るのはもったいなく感じるはずです。
1日を中宮寺で過ごすためだけに使う。そんなぜいたくな旅をぜひプランのひとつに入れてみてください!
pieniの推し旅先は「琵琶湖」(滋賀県)
日本一大きい湖「琵琶湖」
学生時代に琵琶湖の近くに住んでいたこともあり、思い出の多い場所だから好きというのもありますが、海とはまた違った落ち着きのある雰囲気が魅力的です。
琵琶湖と一口に言っても楽しみ方はいろいろあります。アメリカミシガン州の船をイメージした、その名も「ミシガン」という客船に載ってクルーズするもよし、湖畔で家族や友人たちとBBQを楽しむもよし、SUPやカヌーなどのアクティビティを楽しむのもよし。
夏は海水浴ならぬ湖水浴もできますよ!
湖を中心に幅広い観光を楽しめます。
食事は近江牛に鴨肉料理、うなぎやビワマスといった湖魚料理、ちょっとチャレンジメニューかも?ですが、鮒ずしなど大人っぽい渋い料理たちが癖になるんです。
温泉も各地にあるのでゆっくり出来ますよ〜!
pieni的琵琶湖の楽しみ方は、やっぱりフィンランドを感じる遊び方。
湖の国フィンランドをどーしても思い出しちゃうんですよね。
フィンランドやスウェーデンの食器でスイーツやコーヒーを楽しめるカフェ「珈琲オッタ」や、湖を眺めながら北欧ヴィンテージ食器にふれることができるショップ&カフェ「vokko」があり、そこでゆっくり過ごすのが幸せな時間なんです。
北欧食器も楽しめる「珈琲オッタ」ブルーベリーケーキと自家焙煎珈琲が絶品!
窓辺の席からは琵琶湖が見えるここちいいカフェ「vokko」
そして海岸ならぬ湖岸を散歩するのがものすごく気持ちいい!
県庁所在地がある大津周辺、カフェやショップなどお洒落な店が並ぶ整備された湖岸もあれば、湖西や湖北と呼ばれる地域の自然そのまんまな湖岸もあり、そのどちらも一日で体験できちゃうちょうどいいコンパクトさも推しポイントです。
いつまでも眺めておきたくなるような広い湖。MotherLakeというキャッチフレーズをもつ琵琶湖はその名の通り母のように、気持ちをゆったり包み込んでくれるような力を感じます。
心のデトックス旅、癒しの旅は琵琶湖がおススメです!
人間の成長は移動距離に比例する(らしい)
いかがでしたか?今回は関西に寄ったセレクトになりましたが、どれも素敵でしょ?
いつだったか、誰かが言っていました。「人間の成長は移動距離に比例する」と。
その真意はどうかわかりませんが、コロナ中に移動を制限されて苦しんだいけかよは、なんとなくそんな気がしています。知らない土地や普段とは違う場所に行くと、心をたくさん使いますよね。そのぶん疲れもするけれど、なんだか感受性を育てているような、そんな気にもなります。
ライターズの推し旅先、この夏の旅プランにぜひ加えてみてください!
Edit by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)
「フィンランドの幸せメソッド SISU(シス) 」という本を覚えていますか?
この記事で、私がブックレビューを書いた書籍です。
前作では、フィンランド人の精神的な強さや困難に立ち向かう力を表す言葉である「SISU(シス)」を紹介しています。著者のカトヤは、フィンランドの文化やライフスタイルから生まれた「幸せメソッド」を通じて読者にSISUの力を伝えています。サウナや自転車通勤、アイススイミングなど、彼女はもちろんフィンランドの人が実践している具体例が紹介されています。
私が意外だった点は、研究者へのインタビューでした。彼女はSISUやポジティブ心理学の研究者にインタビューしたり、研究論文の抜粋などが書かれていて、科学やエビデンスに基づく考えを紹介し、ジャーナリストでもある彼女の書籍は、地に足のついた、信頼できる書籍という印象もありました。
そんな彼女の処女作のブックレビューを公開した頃に続編が出版されました。今回はその続編である「EVERYDAY SISU フィンランドの幸せ習慣」のブックレビューです。
4年の月日
前作「フィンランドの幸せメソッド SISU」は22カ国で翻訳され、世界中で読まれました。しかし、この大成功が裏目にでます。書籍や彼女自身への評価を過大評価であると感じ始め、燃え尽き症候群のような状態になったり、さらにプライベートでは離婚し、子供を1人で育てることになり、精神的に落ち込んでいったようです。
さらに追い討ちをかけるように新型コロナのパンデミックです。寝たきりのような重度のうつ病となった、と書いてありました。1冊目で、彼女の生真面目さやがんばりすぎちゃうところを感じていたのですが、悪い方に出たのかなと想像しています。
今作は、「しくじり先生カトヤからの学び」なのだと思います。彼女のように落ち込むことなく、SISUをポジティブな強さに変えてほしいという願いがあるように感じました。どん底とも言える困難な状態から、自分の中にあるSISUを再発見して強靭にし、生きる力を取り戻した、彼女のリアルな変化を感じられる内容になっています。
ただ、今回の本は、彼女のどん底部分の説明があったりして、前回よりもちょっと話が重くてページが進まない前半でした。
また、前作ではカナダ育ちの彼女が、SISUに出会って取り入れていく過程が書かれていたので、自分にフォーカスしていたのに対し、本書では、自分の置かれている環境や人間関係に対してSISUをどのように活用できるか、みたいな視点が書かれています。
(と思ったら、翻訳者の後書きにも似たようなことが書かれていました)
カトヤの変化や4年の月日で、SISUの定義や理解が深まっていました。
前作を読んだ私のSISUの定義は「困難な状況でも、自分を信じて、諦めずに挑戦する強い意志」でした。本質的なマインドセットの部分は変わらないものの、SISUの女神ラハティ教授は、「正しいことのために立ち上がり、誠実さを持ち、自分の行動に責任を持つこと」という考えを付け加えています。
この後半部分が、地球や社会のための行動として、本書では「サスティナビリティ・シス」として書かれています。
また、SISUの多面性にも触れていて、有益なSISUと有害なSISUがあると説明されています。カトヤは有害なシス(自分をきつく追い込んでしまう)の方に進んでしまったことが想像できます。SISUは素晴らしいスキルではあるものの、上手にコントロールしないといけないようです。
アイススイミングがカトヤを救った
どん底の彼女を救ったのは、アイススイミングでした。本の中で、彼女も「アイススイミングが回復の鍵となった」と書いています。「どんなにひどい気分でも、冷たい水に浸かれば心も身体も元気になると、心の中ではわかっている」とありました。
自分がどんな状態にあっても、元気になれる方法を理解しているということは、やっぱり彼女はきちんとSISUを持っていると思いました。そして理解するだけではなく実行に移す力もまたSISUであり、弱っていた状態であったとしても、彼女の心の中には過去に鍛えたSISUが小さく燃え続けていたのを感じました。
彼女のにとってのアイススイミングは、この5つに集約されると思います。
・冷たい水に入ることで感じられる、心地よさ
・ホルモンによって気分がよくなることが科学的にも証明されている
・安全な居場所が確保できること
・仲間との繋がりを感じられる
・水の持つ癒しの力を感じられる
物理的な心地よさと、心理的安全性やつながりや癒しを感じられるのがアイススイミングなのですが、同じようなものがあれば、アイススイミングでなくてもいいのかなと思いました。
私は趣味でフットサルをしていますが、心地よく汗をかき、信頼できる仲間がいて、ゴールを喜んだり、すごいプレーに驚いたり、走ることでストレスを解消できると思っています。練習後の飲み会で、みんなで涙が出るぐらい笑ったりすることもありますしね。彼女にとってのアイススイミングは、私にとってのフットサルなのだと思います。
みなさんにも、カトヤのアイススイミングと同じようなものがありませんか?
他人も自分も大切に
今作で一番印象的だったことは、「他人を大事にするように、自分も大事にしていい」というメッセージです。
友達や身近な人が困っていたら、助けようと手を差し伸べたり、傷つけないように優しい言葉で伝えたりする人が多いと思います。だけど、自分には多くを期待したり、高いハードルを要求してしまうことはありませんか?
そして、「成果が出ない」と落ち込んで、自分のことが嫌になったりすることもあると思います。でも、他人に要求したり、伝えたりしないことを、自分に言う必要はないんです。それは「セルフコンパッション(自分への思いやり)」という言葉で表現されていて、「自分の長所も短所も受け入れて、自分を尊重することだ」と説明されています。「自分に厳しく、他人に優しく」を美徳として育った私には、この言葉と概念はとても印象的でした。
自分の中での思考だけではなくて、他人が自分を攻撃してきた時にも、それをそのまま受け取らないことも自分への思いやりだとありました。自分の悲しみを減らすこともまた、自分を大切にする方法であることは、私の想像にないところだったので、大きな学びでした。「自分にもやさしく、他人にもやさしく」生きていきたいものです。
大丈夫じゃなくても大丈夫
実は上のブックレビューで書ききれなかったのですが、この本で、座右の銘にしたくなる言葉に出会いました。
「大丈夫じゃなくても大丈夫」
私たちは、「自分は大丈夫だと思いたい」と思いすぎてはいないでしょうか。
「大丈夫である状態」を「理想や、あるべき完璧な姿」だと思い込んでいないでしょうか。
困難に向き合った時に思い出せるように、心の引き出しに。
Text by ひらみなおこ(ふつうの会社員)
こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!
2023年も、あっという間に半分が過ぎてしまいました。
6月になると毎度焦りを感じています。なので、次の半年が自分にとって豊かになるような何かを探したいと思いました。
そんな今回は、毎日を見つめ直し、新たに取り入れる習慣について考えてみたいと思います。
朝晩のニュースで、どんどんネガティブになる私
私は、この春の記事で「ポジティブ変換」にチャレンジをすることを決意しました。しかし、なかなか思うようにポジティブ変換のくせがついていきません。なぜ、上手くいかないのか?
その理由の1つとして、いろんな情報に影響を強く受けているという部分が見えてきました。
いつも朝出発する前や、夜寝る前にテレビのニュースを見ています。
時間が出ていたり、知っておきたいニュースが流れてくるので非常に便利です。
しかし、私はニュースを見た後、不安や悲しい気持ちでいっぱいになっていることに気づきました。
ある夜、いつものようにニュースを見ていると、悲劇的な事件が目に入り、とてもショックを受けました。そして、私のくせである考え出したら止まらない無限ループに入ってしまいました。
なんでこんなことが起こるのだろう。
どういった背景があったのだろうか、どんなふうに人は捉えているのか…。
自分がその場にいたら、どうしていただろうか、何が出来るのだろうか、どうすればよいのか…。
一度、自分の感情が悲しみ、怒り、恐怖に苛まれると、私はどうしても考えずにはいられなくなります。そして、眠れずに考えたことをメモしたり、眠れたとしてもそのことに関連した夢をみたりして、夢の中でも考えてしまいます。
次の日の朝になったとしても、ずっとその不安を感じ、考えが沸き上がってきます。
またある時、地震があったのでリアルタイムで便利なSNSを開きました。すると、調べたわけではありませんが、そこには衝撃的な動画が投稿されていました。とても悲しいものにも関わらず、その動画は驚くほど早く拡散されていったため、至るところで目に入るものになっていたようです。
あまりの驚きに、しばらくそのSNSを開くことができませんでした。
その後は、ショックな動画などを見れないようにする機能があることを知り、そういった対策を取ることにしました。
振り返ると、日常生活で日々受け取っているニュースや情報によって心身が傷つき、落ち込んでいる自分がいました。特に、私にとって朝晩のニュースはその日の始まりと終わりをネガティブにさせるものになっていました。
友人からは、そんなニュースを目にしたからといって関係がないことだし、自分は関与できないし、ながら見くらいで割り切ればいいのに、と言われました。
ニュース番組にはいい面が多くあります。しかし、私にとっては映像や出来事から受けるインパクトが大きく、想像しなくてよいことまで想像し、考えてしまい、不安が掻き立てられ、ずっと記憶に残ってしまうものになっていました。
世の中で起こっている出来事を知ることは必要ですが、必要以上に自分にストレスがかかるニュース番組とは少し距離をおく方がいいのかもしれない。そう思った私は、朝晩のニュースの代わりになる新たな習慣を探し始めたのです。
ラジオを聞く習慣
情報を得る手段はいろいろあります。
そこで私は情報は違う時間と方法で取り入れようと思いました。そして始めたのが「ラジオを聞くこと」です。
みなさんは、ラジオを聞いていますか?
私は、たまに聞くことはあっても、毎日聞いたことはありませんでした。
なぜ急にラジオを聞く習慣を取り入れたくなったのか…
それは、いくつか理由があるのですが、フードエッセイストの平野紗季子さんの味な副音声〜voice of foodを聞いたことがきっかけです。
平野さんの発する言葉はとんでもなくステキで、表現力が幅広く、食への愛が全力で、聞いていて想像するのが楽しくなります。声から発せられる言葉だけで、こんなにおいしく幸せな気持ちになれるということへの衝撃と、その表現に感動しました。
これを聞いて、再びラジオの魅力を実感しました。
また、私の周りの人でラジオを聞いている人は、とってもステキな人が多いんです。それは、言葉の表現が豊かだったり、好きなものが確立していたり、色んな要素があります。おもしろいなぁ、魅力的だなぁと思った時に、その人に何が好きですか?と聞いてみると、よくラジオが好きだという回答が返ってきます。
私はラジオを聴いている人=魅力的な人だと思うようになりました。だから、私も真似をさせてもらおうと思ったのです。
そして、おすすめの番組を教えてもらって、朝と夜に聞くようになりました。
人のぬくもりとラジオ
まだこの習慣を取り入れたばかりですが、ラジオっていいなと思うことを2つほど見つけました。
1つ目は、あたたかさを感じることです。
なぜかラジオは、自分に対して話しかけてくれているように感じることがあります。SNSと一緒で不特定多数の人に語りかけているはずですが、パーソナリティーとの近さを感じます。
それは、曲をリクエストしている人や質問やメッセージを送っている人などを通して、パーソナリティーとリスナーの交流を感じられるからかもしれません。また、有名人がテレビなどで見せる様子とは違った一面がラジオでは垣間見えるように思えます。
そして、番組ごとにテーマがあるので、暗いニュースがあまり流れてこないように感じます。私は、最後の天気予報や誕生日の花紹介、そして締めの言葉や挨拶にあたたかさを感じ、次の行動の活力になります。
2つ目は、ながら聴きができることです。
何かをしながらYouTubeを見ると、どうしても目が画面に向いてしまって、作業が止まり、見ることに夢中になってしまいます。しかし、ラジオだと目や手を使わなくても、耳だけで楽しむことができます。
テレビだと、おもしろい映像や衝撃映像など、映像なしでは伝わらないものが流れています。ラジオでは、ブースの様子は見えません。いつも画面を通して見ていた人の表情、食べ物、景色などが消えてしまうと、それがどんな様子か気になってしまいます。
しかし、映像なしにはいいところもあります。それは、映像ありのテレビの場合、映像がそのまま記憶に残ってしまい、なかなかそれが消えず、ネガティブな感情につながっていました。ですが、ラジオだと想像しながら聞けるので、言葉や音楽が記憶に残り、より感情のコントロールがしやすくなったように感じたのです。
このようにラジオを聞く習慣は、私にとって心身の健康につながるものだと気づかされました。
自分なりの習慣づくり
毎日の生活を形作っているのは、自分です。だからこそ、自分にとって何が不安要素で、何が幸せの要素なのか分かるのも自分しかいません。
わたしの習慣の中に、悪影響を持つものはないだろうか?
今回は、ポジティブ変換のくせがなかなかつかないという困難を見つめてみると、自分にとってなくした方が良さそうなことが見つかりました。それが、朝晩のニュース番組を見るという習慣でした。
情報は誰にとっても必要で重要なものです。だからこそ自分なりに情報と上手につきあってみたいと思いました。いつも報道によってニュースを受け取る側でしたが、これからは情報を自分から取りに行くことにしたいと考えたのです。
そして、いつもニュースを見ていた時間に新たな習慣を取り入れ、生活をもっと豊かなものにしたいと思いました。
自分にとって大切なことは、何か?を考え、不安要素を一旦外してみる。
感動したり楽しい気持ちになるものを探し、心動くものを日常に取り入れてみる。
周りのステキな人は何をしているのかを知り、見習わせてもらう。
こうした結果、私は「ラジオを聞く習慣」を日常に取り込むことにしました。
2023年の残り半分も、私にとって豊かな毎日になるように試行錯誤していきたいと思います。
みなさんは、心地よい習慣としてアップデートしたいものはありませんか?
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
Text by どさんこ大学生RUNA
こんにちは!いけかよです。
毎度毎度?言いますが、このメディアの運営母体である「エラマプロジェクト」は、フィンランドの価値観や生活習慣をベースに、日本独特の文化や価値観もおりまぜつつ「豊かで幸せな生き方をデザインする場」として、「フィンランドの人たちが実践している生き方デザインをベースに、豊かで幸せな生き方を描く習慣の流布」をミッションとしています。
なので、エラマプロジェクトが「幸せとはこういうもの」という定義をすることはしないのですが、いろんなイベントやワークショップにご参加いただく方たちには「自分にとっての幸せとはなにか?」と考えるきっかけをご提供することはままあります。
そこで、実際このエラマプロジェクトの運営側にありながらも「自分にとっての幸せとは」と考えることにふと難しさと違和感を感じてしまったことがあったので、今回あえてそれを書いてみようと思ってしまいました。
「なにか」がなければ得られない幸せって幸せなのか?
「自分にとっての幸せはコレ!」と言えることってとても重要なことだと思います。
なぜなら、わたしたちはいとも簡単に仕事や家事やなんらかの「やらなければならないこと」に巻き込まれて、自分の人生の舵を奪われてしまうからです。めちゃめちゃ忙しい時、心がざわざわする時、落ち着かない時、イライラする時、意味もなく泣きそうな時。そんなときにわたしたちには、本来の心地いい自分を取り戻すための時間が必要で、そのときにする「なにか」を「自分にとっての幸せ」として決めておく。これはひとつのライフハックです。「朝起きたらまず歯を磨いて白湯を飲むと決めている」レベルのライフハックです。
だからそれは調子が悪くなったときに「どうしよう…(オロオロ」みたいにならないために決めておく、というかんじ。
しかし同時に、いけかよはそれの難しさを感じてしまいました。
エラマプロジェクトに関わるようになって、「自分にとっての幸せ」とか「幸せな状態とは?」とかをよく考えるようになりました。
そして、最初の頃はわりとあんまり考えなくてもそれを言えたんです。
「なんにも予定のない休日に午前中からベランダで酒を飲んでるとき」
「なんにも予定のない休日に午前中から酒を飲みながら音楽ガンガン流して掃除してるとき」
「プロジェクト終わって仲間と乾杯してるとき」
「仕事終わりに一人でプハ〜って飲んでるとき」
「サイ●リヤとかで飲みながら本読んでるとき」
…とまあ、なんしか「飲む」絡みの結果ばかりが自分からははじき出されてきたのです。
で、他のみなさんのそれをシェアしていただいたとき、もちろんお酒をピックされる方もいらしたのですが
「コーヒーを飲んでほっとひといきついているとき」
「近くの公園を散歩しているとき」
「大好きなペットを愛でているとき」
「大好きな阪神戦を見てるとき」
えっ…!みんな飲まなくても大丈夫なの…!?
恥を承知で言いますが、いけかよのなかには「自分にとっての幸せ=マイタイム=酒を飲んで緩む」という方程式しかなかったことに気づいたのです。
うーん。これはやはりなにかが違う気がする。
そもそも「酒」という「なにか」がなければ得られない幸せって、幸せなのか?
それってもう立派な「アル中」やないか!!
それって「あなた」という「誰か」がおらんと幸せになられへん依存体質女やないか!!
ほんらいあたしらは誰かや何かがなくっても幸せになられへんかったらオカシイやないか!!
誰かや何かがなければ幸せになれないっていうのはそれつまり不幸やないか!!!!!
と思った時、「じゃああたしにとっての幸せってなんなんやろう…」と考え込んでしまったのです。
幸せってそんな難しいことじゃないはず
そして、そうやって考え込んでいるときにまたふと我に返ってしまいました。
「『自分にとっての幸せとはなんなのか』と考えている今この瞬間は果たして幸せなのか…?」と。
きっと「楽しいことを考えてるんだから幸せに決まってんじゃん!!」と思われる方もおられましょう。
しかしいけかよは、シンプルなことを難しく考えてしまう癖(ヘキ)ゆえに、まるでロダンの彫刻のごとく考え込んでしまったのです。そう、ロダン「考える人」です。ロダン的な感じになったらもうぜったい幸せじゃないじゃないですか。
なんだか幸せがものすごく難しいことのように感じてしまう。
ウンウンうなっても答えは出ず、ちょっと苦しい。まるでトイレで(自主規制)
でもなんらかのコレ!という答えは出したい…!スッキリしたい…!まさにトイレで(自主規制Part2)
ここまで考えてしまうと、完全に「幸せな状態」は明後日の方向です。
でもでも、ぜったい幸せなんかそんな難しいことではないはずなのです。じゃないとわたしたちにとって「生きる」っていうこと自体がものすごく難しいっていうことになると思いませんか?
いや、生きることは苦しいよ、お釈迦様も生きることは苦に満ちていると言ってるじゃないかとお思いの方もおられましょう。
でも、呼吸するのってそんなに苦しいでしょうか?
ごはん食べるのってそんなに難しいでしょうか?
眠れない夜もあるかもしれないけど、多くの方はきっとそれなりに眠れていますよね?
水道水にはいろいろなんやかんやいろんな成分入ってるかもしれませんが、多くの国であればそれを飲んでも即死ぬことはありませんよね?
札束でケツを拭けるほどの富豪でないにしても、次の給料日までに暮らしていける見込みはあるんじゃないでしょうか?
今日もYouTubeで推しを見てときめいたりしたんじゃないでしょうか?
てか、そう考えたらめっちゃ幸せやん・・・・・!!!!!
そう、結局、いきついたのは、そもそも「わたしたちは幸せだった」ということなのです。
モヤモヤはサイン
念のため改めて言いますが、「自分にとっての幸せ」を、悩まずサクッとコレ!と言える人は、それでOKなんです。
ここで言及したいのは、いけかよのように「ウーン」となってしまった人に向けてね。
そんな人には、もし「自分にとっての幸せとは?」と考えて2秒以内で答えがでなければ、もう考えるのをやめましょう、と言いたい。
そして、そもそも「自分は幸せなのだ」と決めてかかっちゃいましょう、ということです。
「決めてかかっちゃいましょう」というか、前述の通り、そもそもだいたいのことは満たされているので、それって幸せ以外のなにものでもないじゃないですか。
「いやいや、今自分はパワハラ社長のもとで虐げられて苦しんでる!これのどこが幸せなんや!」とお思いの方もおられるかもしれません。
でもそれも「ここはあんたのおるところと違うで」というシグナルであるかもしれない。
「こういう経営はしたらダメ」という反面教師になるかもしれない。
「自分はこういうことに対して嫌だと思うんだ」ということを知る機会なのかもしれない。
2年後には「普通に『お前みたいなクズは●ね』とか言われる会社におってさ〜。やばない?あ、引く?ゴメンゴメン! けどまあ、いまはあの社長どうしてるんか知らんけどな!俺の売上●千万くらいあってんけど、まー、俺レベルのタフなやつはそんなにおらんと思うしあんな会社潰れるんも時間の問題かな!ガハハ!」と、小気味良いエピソードトークに昇華させてコンパでちょっとウケているかもしれない。そしてそのトークにウケてくれた子とラブラブしているかもしれない。
そう思うと、それに気づいて自分自身の見方と行動を変えればあなたはきっともっとちゃんと「幸せ」に近づく。そのための「サイン」が目の前の「不幸」なのだとしたら、それってつまりは「幸福」であるということ。
そう、モヤモヤすることっていうのは「サイン」なんです。「幸福」への鍵です。
現実で起きることというのは、わかりやすくハッピーなものもあれば逆にわかりやすく傷ついたり悲しんだりするものもあります。
そういうとき、良くも悪くもわたしたちは反応して心はゆれうごきます。そして、それを「良い/悪い」とジャッジしようとします。
でも、前述のパワハラ社長のもとで働いていたエピソードに照らし合わせるならば、そのままその状況に甘んじて苦しみ続ける道もあれば、新たな気づきを得て次なる進路を選ぶという方向もある。つまりは起きた出来事をどのように判断するか、ということなんですよね。
「このせいで自分は不幸」と思うか、「ここから自分は何を学ぶべきか」と思うか。
でも、その思考って、難しいこともあると思います。辛いと感じるのに「幸せだ」と思いこむことには無理があります。
やっぱり自分にとって都合のいいこと=幸せ、そうでないこと=不幸、とジャッジしてしまいやすい。
だから、いけかよは、自分に起きる出来事はすべてベストなことがベストなタイミングで起きている、と思っています。もちろん、それでも、あまりにもキツイときはそれを受け入れられないときもあります。でも、それでいいと思っています。時間が経ってから、あとで「あれがなければ今の自分はないな」「あれがあってよかった」と思えればいいと。
そう思うと「自分にとって幸せとは…?」と考えて、2秒以内に答えが出なければもうその「ウーン」とモヤモヤしている時間が決して幸せとはいえないので、つまりはいずれにしてもわたしたちが経験することはすべてが「ベスト」なのだから、もう考えるのやめましょ、OK!ということ。
自分にとっての幸せなんて、定義できてもできなくても、わたしたちは基本的には幸せなんです。
「幸せ」という言葉に違和感があるならば、「とにかくこの世界は自分にとってベストなことがベストなタイミングで起きるようになっている」と思ってみてください。
いけかよは、これまでの人生を振り返った時にだいたいそれで納得がいくのです。
無理やり「自分はハッピーだ」と思い込もうとしているわけではありません。しんどいこともあったけど、でもあれがなければ成長できなかったなとか、二度と戻りたくはないけどあのときの経験があるから今すごく気楽に生きれているなとか。
もちろん時間をかけて納得していったこともあります。
でも、それが「人間」をやっていることの醍醐味なんじゃないかなぁとも思うのです。
自分の意識で世界の見方は変えられるから。それを「成長」というのかもしれないからね。
と、ここまでわたしのひとり妄想トークをお届けしましたが、こういう思考ってひとりでウンウンうなりながらやらなければいけないわけではありません。ていうかそれはやっぱりしんどいです。
エラマプロジェクトでは、こういった思考を「対話」を通じてみなさんとシェアしていく場をたくさんご用意しています。
ここでいう「対話」はもちろん他者とのものを含みますが、それだけじゃなくてそれを通じて自分自身との対話を深めていただくということも目指しているのです。
自分の思いや気持ちを言葉にすることによって、思いもよらない反応を他者から得られたり、自分自身の考えに改めてはっとさせられたり。
そこにはいわゆる「アハ体験」的なものもあるけれど、静かに、でも確かになにかがあなたのなかにうごめいている。そんな経験をしていただけると思っているのです。
エラマプロジェクトのイベントやワークショップはこちらからどうぞ!
では、また!
Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)
こんにちは。ひらみんです。
テーマに惹かれて2023年5月8日のオンライン哲学バーに参加しました。
今回のテーマは、世間を騒がせている、あの「ChatGPT」です。
ChatGPTを使ったことのある人も、ない人も、
AIに詳しい人も、詳しくない人も、今やその名を聞いたことないという人はいないんじゃないでしょうか。
ChatGPTとは、“AIの一種で、人間と自然な会話ができるプログラムのこと”ーーAIとChatGPTの関係はこんな感じでご理解いただけたらと良いのだと思います。
「AIが人間の仕事を奪う」と言われて、私たちライターの仕事もAIに取って代わられる仕事のひとつだと言われています。そんな中で、人間のライターにしかできないことってなんでしょうか。私にとっては、危機迫るテーマが設定された哲学バーでした。
今回の記事は、哲学バーをきっかけに「人間にしかできないことってなんだろう」って考え続けた私なりの考察になりました。
AIについて考える旅に一緒に出かけませんか。
AIってなんだろう

私はデジタル技術の専門家ではないので、まずはChatGPTにAIについて質問してみました。
ひらみ:AIってなんですか
ChatGPT:AIは「人工知能」(Artificial Intelligence)の略称です。AIは、人間の知能や認知能力を模倣・再現し、機械やコンピュータによって実現される技術やシステムを指します。
ひらみ:小学5年生でもわかるように教えて
ChatGPT:AIは「人工知能」のことで、コンピューターが人間のように考えたり学んだりする技術のことです。AIは、たくさんの情報を使って問題を解いたり、決定をしたりすることができます。
人間のように考えたり、学んだりできるという点が、「人間の仕事がAIに取って代わる」と言われる理由なのかもしれません。
AIとはなんぞや、という点については、哲学バーの中で「人工知能は、過去のデータの蓄積である」とも教えてもらいました。そして、「AIは車だと理解したらいい」という考えがあるそうです。私たちは、うまく運転して、正しく使いこなすことが必要なんだと改めて感じました。
また、「車は早く目的地に行ける」という点が、「聞いたことにすぐ答えが返ってくる」というところに感じられて、車というイメージがしっくりくる、という声もありました。
哲学バーのあと、さらに思い巡らせていたら、「仕組みがわからなくても使えるという点も似てるな」と思ったり、AIは善悪の判断をしないので、「使い方を間違えると危ない」という点でも、「AIは車である」という考えが、私の中で、ますます納得のいくものとなったのでした。

「過去のデータの蓄積」という意味
哲学バーで、AIは膨大な過去のデータだと学びました。実際に、現時点で無料版のChatGPTには2021年までのデータが入っています。だけど、記事執筆時では過去となっている大谷選手やヌートバー選手が大活躍した2023年のワールドベースボールクラシックの結果は教えてくれません。入っているデータよりも未来のことは知らないのです。
人間にできて、過去のデータであるAIにできないことについて、最初、私は、AIは新しいことを作り出せないんじゃないかと思っていました。でも、哲学バーの中で、既存のもの同士の掛け合わせて、新しい物を作り出すことができる、という視点を伺い、たしかにそれがイノベーションか、と納得したのでした。
調べたら、手塚治虫の漫画を元データとして、AIが自動生成したものを、人間が漫画にする、という「TEZUKA2020」というプロジェクトがありました。
AIと人間のコラボとはいえ、「ぱいどん」という手塚治虫の新作が21世紀に生まれていました。
人間にしかできないことってなんだろう、と考えながらお風呂に入っていたら、ふと思ったんです。
遠い昔、人類は天動説が正しいと思っていましたよね。でも16世紀にコペルニクスは、それこそ「コペルニクス的転回」で地動説を唱えて、今ではそれが正しい説として認められています。
もし仮に、天動説が正しいというデータしか入ってなかった場合、今のAIが自ら地動説を導き出すことはできないんじゃないでしょうか。なぜなら、過去の常識しか入っていないのですから。地動説が正しくても、その概念がなければ、AIは地動説を出せないのではないかと思います。
その時に正しいと言われている常識をひっくり返すほどの新しい説を生み出すことは、今のAIにはできないんじゃないか、と思い始めました。

AIにできないことをするには
じゃぁ、コペルニクスのような歴史に残る天才的な頭脳を持つ人だけが、AIに勝つことができるんでしょうか。私はそうじゃないと思います。
コペルニクスが地動説にたどり着く前に、まず「天動説は正しいのか?」と、最初に天動説に疑問を持ったんだと思うんです。ここに、答えがあるような気がしました。
そう、「AIは、疑うことができない」のではないでしょうか。
AIは膨大なデータの蓄積で、これまで常識だと思われている考えなどが入っているだけで、
善悪を決めないし、自分自身の意見や判断を持ちません。
だから、ChatGPTから返ってくる答えが正しいのか判断するのは、使う側の人間です。
そう思ったら急に、これまでスタンダードや常識だと思われていたことなどを疑って、立ち止まって考えることは、人間にしかできないのではないか、という考えが降りてきました。
同時に、それって、とってもエラマ的だなと思ったんです。
社会や世間が決めた幸せと、わたしが感じる幸せは同じなのか、疑って、他人が作った理想像を追い求めるんじゃなくて、「ありたい姿」を自分で考えて作ることはAIにはできないと思います。
AIにできなくて、人間にしかできないことを考えたら、エラマの原点に戻ってきました。
エラマはAIに勝てるかもしれない、と思ったら、エラマ的な思考を持つ人は、これからの時代も生き抜いていける!と根拠のない自信がわいてきました。

AIを使いこなすという姿勢で
AIはこれからもどんどん進化していきます。それと同じ速度で、というのは人間には無理ですが、私たちもAIを正しく使うために進化していかなきゃいけない、とも思います。
でも、しばらく、人間はAIに勝てると思います。
私がたどり着いた答えは、今の私が思うことです。ChatGPTがバズっている今、みなさんが考える「人間にしかできないこと」はなんでしょうか。ぜひお聞かせください。
哲学バーでは、全員が納得するような答えとして、ひとつにまとめたり、総括したりしません。誰もが独自のアイデアを持ち、自由に発言できて、相手の考えを否定しないところが、私はとても気に入っています。
興味をお持ちいただければ、哲学バーにぜひお越しください。次回は2023年6月12日(月)で、第40回のテーマは「人生において”無駄”とはなにか」です。
お申し込みはこちらから
ぜひ、お酒片手にオンラインでお会いしましょう!

Text by ひらみなおこ(ふつうの会社員)