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Elämäプロジェクト

2023年3月4日(日)に福岡で「フィンランドのライフスタイル講座」を開催しました。数年ぶりに九州での対面イベントが実施でき、熊本など県外からもお越しいただきました。

午前中はフィンランドの教育について、午後は環境先進国としてのフィンランドをテーマにお伝えしながらライフデザインワークで自身の生き方もふりかえります。

参加者のみなさんはどのように感じられたのでしょうか?当日のレポートをお伝えします。

午前の部は熱くスタート!

会場はOREC green labさんの3階。農業機械メーカーとして人と農・自然とのつながりを感じられる場づくりをしておられます。

1階カフェではオリジナルドリンク”お米ラテ”が大人気。参加者のかたもドリンクを片手に木に囲まれた空間で講座がスタートしました。

チェックインでは、参加理由や豊かで幸せな生き方について考えをシェアします。

14名の参加者さんは、エラマの森の住民さん、学校の先生、親子でのご参加や、お友達の紹介で来てくださった方などさまざま。

初対面にも関わらずどのグループも大盛り上がり!九州のみなさんのパッションがあふれていました。

講座では代表・石原がフィンランドで視察した教育現場をお話ししました。

公立幼稚園、小学校の授業の工夫や、カリキュラムの考え方、そして最新の教育方針までエラマプロジェクトならではの視点で読みときます。

フィンランドは国際学力調査PISAで世界一をとってからその教育が注目されてきました。日本との違いとして、教育文化庁からの決まりが少なく先生が比較的自由に授業を作ったり教科書を選んだりできることなどがあります。

また、教科横断という特徴もあり、算数を使って計算した図面をもとに図工で木工作品を作るなど、テーマ性やゲーム性をもたせて子どもたちが学びたくなる授業を目指しているのです。

フィンランド教育で本当に大切なことは?

しかし、代表の石原は、フィンランド教育で重要なのはその制度や授業の”形”ではなく、目には見えない”中身”にあると考えます。

特に今後のフィンランドや、日本社会において中心になるキーワードとして「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」という言葉を紹介しました。

このコンヴィヴィアリティはエラマプロジェクトでも大切にしている概念。詳しくはぜひエラマの講座で聞いてみていただきたいのですが、ひとりで自立しつつ人とも協力して心地よくいられる状態を指しています。

個人の自立を目指してきたフィンランドでも、近年はグループワーク教育が増えてチームワークを重視するようになってきているそうです。

「わたし」の心地よさを対話しよう

コンヴィヴィアリティで大切なのは心地よくいられること。北欧では、仕事や家族だけではなく自分だけの時間=マイタイムを作ることで心地よさを実現しています。

じゃあ、「わたし」にとってはどんな時間がマイタイムなんだろう?今日は何を思った?などグループで対話しました。

「今まで自分の時間をもつなんて考えたことがなかった。贅沢だと思ってました」

「フィンランドは絶対のルートがなくてやり直しができる社会でうらやましい。でも、私も今からでも人生をやり直しできるはずだと思いはじめました」

「私の話をみなさんが熱心に聞いてくださって勇気が出てきます」

ここまでの講座を通してフィンランドの自由な学び方や生き方を感じてきたみなさん。

マイタイムだけにとどまらず広く人生の話を熱く語り合っておられます。対話の力を強く感じた瞬間でした。

SDGsが身近にあるフィンランド

午後からは環境先進国としてのフィンランドのお話。

フィンランドは2023年度のSDGs達成度ランキングで世界一になりました。

環境先進国というと自然などの環境保全をイメージしがちですが、フィンランドはサスティナブル(持続可能な)という視点を日常生活にとりいれています。

フィンランドでは、物を捨てずに次の人へ回していくセカンドショップや、ごみを一切出さないレストランなどがあります。また、ズボンに穴が開いたらシールで手軽に修繕したりもします。

私は”サスティナブル”という言葉を大がかりなものに感じていましたが、実はとても身近にあるのですね。

”サスティナブル”は不便を我慢することじゃない

また、それまで思い込んでいた「サスティナブルな社会のためには便利さを我慢しなければいけない」というイメージも変わりました。

対話ワークでは、便利なままにしたいことと、あえて不便なほうがいいことを考えてみたのですが、参加者さんからは「実は不便でもいいね」という声があがりました。

例えば、自分で繕った服だと傷がつかないよう気をつけるよねとか、冷凍食品は便利だけど気分転換に一から料理をするとか、簡単に処分できないのは思い入れがあるからこそだとか。

サスティナブルは何かを我慢することではなく、自分のモノや自分自身の気持ちを見つめ直し大切にすることにつながっているのではないでしょうか。

代表の石原からは

今を意識し、「当たり前が当たり前じゃない」を感じる心が幸福度を上げるのだと思います。

という言葉とともに、エコ(エコロジー)ではなく廻向(えこう)という仏教の言葉を紹介しました。

廻向とは、功徳を本人だけでなく世界中にめぐらすこと。SDGsやサスティナブルという言葉を通して「わたし」自身やその先の人たちを大切にできたらいいなと思います。

いっしょに立ち止まる時間をあなたと

数年ぶりに九州でのリアルイベント開催。

なにより印象的だったのは参加者のみなさんの熱量です。フィンランドの教育や環境を知り、自分の生き方について真剣に考えておられました。

「誘われたから来たけれど、来てよかった。人生が変わりました」とおっしゃっていた、その姿が忘れられません。

エラマプロジェクトの講座は知識をお伝えするだけではなく、立ち止まって自分に問いかけ、参加者のかた同士の深い対話によって新しい「わたし」を発見していく時間です。

2023年は全国各地でリアルイベントを開く予定。次はあなたにお会いできることを楽しみにしています!

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!

寒い冬から、少しずつ暖かい春に近づいてきました。気温が変わり、花が色づく季節になるとなぜだか気持ちも暖かくなるような気がしますね。

そんな春は、新生活、新学期、新社会人…など「新しい」がよく似合います。

新しいイベントはなくても…

この春、チャレンジしたいこと・始めたいことはありませんか?

私は、前向きな知り合いとの会話で見つけたヒントをもとに、自分のネガティブな考え方のくせを変えるためのチャレンジをしたいと思います。

”なんとかなる”が合言葉

「なんとかなる」

そう思って、口に出している人は本当になんとかなっている。

私の知り合いに、自分のことを”前向き”で”能天気”なタイプだというAさんがいます。

Aさんと関わる人も「Aさん=楽観的、楽しそうな人」と認識していました。

「いつも楽しそうで、悩みがなさそう」

って言われるけど、ほんとに悩みないんだよね〜と言うAさんに対して、人のこととか気にならないんですか?と聞くと、「あんまり見てない」と言いました。

許せないほど嫌なことをされたら、どうするんですか?と聞くと、「うーん、怒るだろうけど、まぁすぐ許しちゃうかな」と言って大笑いしてました。

Aさんだけでなく、Aさんの家族もよく笑います。

今の世の中では、珍しいほど、家に人がよく来て、誰でもウェルカムな姿勢なのです。

「ルナより何十年も多く生きてきたけど…何かあっても、なんとかなってるから大丈夫」

笑いながら言っていても、その言葉はとても力強いものでした。

そんなAさんに、最近「こんなに一生懸命考えながら生きているのに楽しくなさそう。病んでるよね」と言われたのです。

何に対しても楽しく考えられる人が「楽しくなさそう」と思うってことは、相当なんだ…と結構なショックを受けました。

では、Aさんと私で大きく違うところはなんだろうと考え始めたのです。

モノゴトに意味をつけるのは、自分自身

あなたは、こう言われたらどう思いますか?

「小さい頃からぜんぜん変わらないね」

「昔は、もっと明るかったのに〜」

「考えすぎて、生きづらそうだね」

どれも私がこれまで言われてきたものです。

この言葉に対して私は…

「小さい頃からぜんぜん変わらないね」

垢抜けない、おしゃれじゃない、ダサい人なんだ。

「昔は、もっと明るかったのに」

暗くてつまらない人なんだ。今の方がダメな性格なんだ。

「考えすぎて、生きづらそう」

考えすぎて面倒な人だと思われてるんだ。私って生きづらいんだ。

こんなふうに周りからかけられる全ての言葉を自分の中でネガティブな捉え方に変換した上で、自分を見てきました。

だからなのか、関わる人が増えるたび、どんどんその変換がパワーアップして、どんどん心配や不安が大きくなりました。

それは、大学生になってから顕著になりました。

一気に会う人が増え、知らない人に会うたびに、みんながとても優秀で魅力的でおもしろい人のように感じました。そして、周りからはダメな自分をジャッジされているような気になったのです。

世間的な見られ方が大事。

そう思ってしまうと家族や大切な友達からの言葉よりも、優秀な教授の言葉など、「世間的な良い例」を信用してしまうようになります。

これができないと信用されない人間になる。

これができないから自分はダメなんだ。

世間に必要とされる人間にならなければと、さほど交流をしていない人の言葉にも強く動揺して、考え込んでいました。

人からこう見られてるから、こう認識されるから…

でも、気づいたのです。私のあり方は他者からの見え方で決まっていると思っていましたが、ぜんぶ自分が自分をそう思っているだけだということに。

”これができないからダメな人間になる”のではない。

「周りからダメな人間だと思われている」って思う自分が、『ダメな自分』という世界を作っていたのです。

私のあり方に意味をつけたのは、自分自身でした。

そして、自分の捉え方は周りの人・環境にも伝わり、自分の意味づけ通りのよくない方向に向かっていたのです。

自分を信じる力

Aさんは「自分は楽しい人」、「何かあっても、なんとかなる」と捉えていました。

このように自分を意味づけできるのは、”自分を信じる力””できると信じる力”が強いからだと思うのです。

「なんとかなる」という言葉は、根拠のない綺麗事のように聞こえるかもしれません。

ですが、「最も強力な自信は根拠のない自信だ」という社会学者の言葉があります。

根拠があって、なんとかなる場合、その根拠が消えると”なんとかならない”に一直線です。

数字やデータの実績という根拠も、より良いデータによって比較され、打ち消されます。

だからこそ、根拠のない自信や謎の自信は強いのです。

また、”なんとかしたい、なんとかなりたい”よりも、”なんとかなる”と言い切ることで一層その言葉にパワーが宿る気がします。

漫画 ワンピースの「海賊王に俺はなる!」

漫画 僕のヒーローアカデミアの「君はヒーローになれる」

このセリフたちが、「海賊王に俺はなりたい!」、「君はヒーローになれそう」というように言い切ってなかったら違ったイメージになりませんか?

言い切れるのも自分を信じる力が強いことを表しています。

「海賊王に俺はなる!」のセリフが登場したのは、ルフィの旅が始まったばかりで、まだ航海を共にする仲間もいない頃でした。

根拠はないが自分を強く信じて宣言する言葉は、周りを引きつけ、仲間はその言葉を信じて疑わないようになるのです。

Aさんが「なんとかなる」と言えば、周りも「Aさんはいつもなんとかなってるから大丈夫」と思える。この前向きな循環は、自分を信じて言い切る姿勢が大事だということを教えてくれるようです。

ポジティブ変換のくせ作り

私は、ネガティブ変換から抜け出したいのです。

そしてAさんを目指して、この春、ポジティブ変換のくせを身につけます!(言い切ろうと思います!!)

例えば…

どうしよう→なんとかなる

できない→やってみよう

どうせ私はなんか→私なりにできた、やれた

緊張しがち→もしこうなったらを準備できる

でも→だからこそ(できること)

良いように考えすぎじゃない?直した方が良い性格もあるよと思われる方もいるかもしれませんね。

でも、ここで大事なのはモノゴトの見方を増やし、ネガティブ変換の沼から抜け出すことです。

また、ポジティブ変換のくせには、モヤモヤと向き合うのも大事だと思うのです。

いつも無意識にマイナスに切り替えて、訳のわからないモヤモヤが頭の中に溢れていました。

そのモヤモヤは、どうにも変えられない過去や、誰かや何かとの比較から来たりします。

ポジティブ変換を考える時、自分のネガティブな口癖や考え方に注目するので、何がモヤモヤを生み出しているか分かるようになるのです。

例えば…

私は「これからどうしよう」と1人でいるときによく思い悩んでいます。

とても漠然とした不安ですが、将来に対して大きな不安を持っていることが分かります。

じゃあ、ポジティブに変換して「これからもなんとかなる!」と思うようにする。

さらに、よくわからなくてモヤモヤが発生するなら、自分の中で勝手に想像して、何年後・何年後の未来の自分をつくっちゃうというポジティブ変換もできます。

モヤモヤの解決ができなくても、その正体を認識することで前に進む・動くことができると思うんです。

そして、私がポジティブ変換のくせをつけるためには”勘違い力”も必要だと思っています。

「自分には自分を信じる力がある」

「自分にはできると信じる力がある」

勘違いしているだけかもしれなくても、先ずはその考えを自分の中に定着させることで、ポジティブ変換ができるようになると思うのです。

Aさんやルフィなど自分を信じる力が強い人物ならどう言うだろう?

その人になりきるような勘違いも持ち合わせた気持ちを大事にしたいです。

謎の力を身につける

”何とかならない”時代という言葉があります。

2022年の小学生の流行語ランキング1位が「それってあなたの感想ですよね?」になるほど、目に見えるデータの力や論理的に話す力が重要視されているように感じます。

そんな時代と逆行しているかもしれませんが、私はポジティブ変換のくせをつけて、「なんとかなる!」と根拠のない自分を信じる謎の力を身につけていきたいと思うのです。

それでどうなるかは、これからのお楽しみです。

この春、あなたは何にチャレンジしたいですか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Text by どさんこ大学生RUNA

こんにちは、pieni(ピエニ)です。

3月になり「春」の気配がやってきた!と嬉しくなっている今日この頃。

私は昔から寒さにめっぽう弱く、冬の季節は心も体も弱りがちです。

特に2月は毎年のように心までしおしおとしぼんでしまうことが多いんです。

落ち込んでいるな、心のパワーがなくなっているなという状態でも、仕事をしたり、家事や育児に取り組む日々は続きます。

ずっとしぼんだままでは暮らしに支障をきたすので、そんな時に私を取り戻すために取り組んでいることって何だろう?とちょっと意識して見つめてみました。

家の中でできる私の取り戻し方

本を読む、映画を見る、音楽を聞くなど、気持ちをリセットする方法は十人十色。

私の場合は「アニメを見て浸る・泣く」が元気になるための方法の一つです。

娘がアニメを楽しめるようにと導入したAmazonプライムでしたが、すっかり私専用になるくらいの頻度で活用中です。

「僕のヒーローアカデミア」や「鬼滅の刃」「呪術廻戦」「キングダム」という王道少年漫画系アニメから、「おおかみこどもの雨と雪」や「竜とそばかすの姫」などの細田守監督の映画作品、そのほか深夜アニメなどなど…

悲しくて泣いたり、感動して泣いたり、かっこいいと興奮したり。一通りどっぷり浸ってみます。

この行為を改めて考えてみると、アニメを見ながら様々な感情を動かしてみて、心に溜まった「澱」を吐き出しているんだと感じています。

ほかには、お風呂に1人でじっくり入ること。

冷えた体のつま先から首まで熱いお湯にゆっくりと浸かりきった瞬間、何とも言えない幸せな気持ちに包まれます。

思わず「神様ありがとう」と合掌しながら呟くこともあるほど。この瞬間にぐぐんと私の幸福度が上がっているのかも。

子どもと一緒に入ると慌ただしくてなかなかこの幸福感に浸れないのですが、私を取り戻す一番手っ取り早い方法として「今日はお母さん一人でお風呂入らせてね」とお願いをして一人風呂を満喫します。

外に出てみて「心の感度」を取り戻す

心がしぼんでしまっているときは、まず外に出ようという気持ちに持っていくことが難しいのですが、とりあえず自分の好きなことだけに出会いに行くと決めて出発してみます。

例えば朝、仕事までの時間に車を走らせて15分、キャンプ場の駐車場へ向かいます。

駐車場からは背の高い木々が生い茂る森が見えるので、コンビニで買ったコーヒーを片手に何をするでもなしぼーっと木を見て過ごすことがあります。

雪の降ったある日。寒さには弱いので、いつものように木々を車の中からフロントガラス越しに眺めていました。すると木に積もった雪がスーッと落ちていく様子がまるでスローモーション映像のようで美しく、凝り固まっていた心が緩まっていく感覚がありました。

だんだんと楽しくなってきて、車から降りて雪の森の中を、時間が許す限り子どものようにはしゃいだ気持ちで歩いている自分がいました。

寒いのは苦手で嫌だという気持ちよりも、雪と木々の風景が美しく、凛とした空気感と静まりかえっている空間に心が動かされ、心の感度が高まったことで元気が出たんだろうなと思います。

最後の手段は「何もしない」

先ほど述べた「私を取り戻す方法」をやってみて、それでも復活の兆しが見えなかった時、最終手段として「何もしない」をすることがあります。

これはちょっと仕事や家族との調整が必要なのですが、ひたすら寝ます。

心の具合が悪い時は体も疲れていることもあるので、両方の休息をとってあげる。

また頭も休ませるために、インプットをやめてみることが時には必要かもしれません。

TVもスマホも本も見ないし読まない。

「空っぽ時間」を与えることも、私を取り戻す方法の一つです。

「自分」を取り戻す方法はどんなことですか?

季節的にこころがしぼんでしまう、仕事で辛いことがあって凹んでしまう、家族や友達と喧嘩したりすれ違いがあって元気がなくなるなど、人の気持ちはずっと一定ではなく、時にはずーんと落ち込んでしまうときもあります。

そんな時、自分自身に何をしてあげると元気になるかな?幸せを感じるかな?と「自分を取り戻す方法」を知っておくのは、自分のことを守り、大切にすることだと思っています。

この記事を読んでくださっている皆さんは、どんなことが自分にとって心地よくて元気になることでしょうか?ぜひ一度思い起こしてみてください。

Text by  pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)

こんにちは、あいすかです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

ここ最近、海外旅行へ行かれる方々も増えてきていますね。このようなカタチでの通常モード、リアルを大切にする生活が戻ってきているように感じています。

エラマプロジェクト代表の石原侑美さんも、昨夏、3年ぶりにフィンランドへ視察に行かれていました。久しぶりのフィンランドでは、侑美さんご本人にとっても多くの収穫があったようです。

今年は全国でフィンランド滞在の報告会をされるそうなので、ぜひ、足を運んでみてくださいね。詳細はこちらです。

さて、今回は日本での【学び直し】について、みなさんと考えてみたくなり、お手紙にしてみました。

「産休中に学び直しを!」という、政治家の発言が注目されたのも、それはそれで時代なのかなとも想像できます。育休中って、休暇というより産婦の療養と新生児のお世話からはじまり、子育てという新規事業の環境を会社に戻るまで整える期間でもあると思うのです。決して、学び直しが悪いわけではなく、実際に産休中にリカレント教育をうけていた友人もいますし、子育て中に仕事を減らし、研究するために大学院へ行ったという人もいます。企業や大学でもサバティカル制度は存在するわけですから、学び直しはいつでもできるので、個人で決めたらいいのだと思います。

しかしなぜ、今回、この言葉が炎上したか。それは想像力の乏しさに尽きると思ったのです。自分が経験してこなかったことを口にする際は、より丁寧な説明と誠実さをもって発信しなければいけない、とわたしも学ばせていただきました。

そして、社会・文化の醸成は時間がかかる、ということも改めて痛感しました。

今回は、ちょっとした問題提起、みたいな感じになっているかもしれません。みなさんのご意見もいただけたらうれしいなと思います。

それでは、かあちゃんに少しお付き合いくださいませ。

 自発的な学び直し、社会のためのリスキリング

仕事をする際に最近よく耳にする言葉がリスキリングです。学び直し、と混同して使われたりもするのですが、そもそも学び直しとリスキリングは少し意味合いが異なります。

リスキリングとは‥・・

「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」で、主に企業の人材戦略の一環として言われる。今まではこうしたことは新規社員の採用で行ってきたが、近年日本でもリスキリングの重要性が叫ばれ、国や企業でもリスキリングの流れや取り組みが始まっている。

(引用元:後藤宗明『自分のスキルをアップデートし続けるリスキリング』) 

会社員でなくても、フリーランスであっても、働いている以上、どのような仕事についていてもリスキリングは必要であることは言うまでもありません。

要は、社会にでて仕事をするうえで、ありとあらゆるものがスピーディーに変化していく時代であり、それに伴い、個人の環境も絶えず変化していくだから、社会環境に適応できるよう、常に進化し、学んでいきなさい、ということだと理解しました。

では、学び直しとは?

もう一度学びたいという気持ちが、源泉のように湧き上がって行動になるような、そんなイメージがわたしの中にはあります。

たとえば戦時中、学校に通うことができなかった方々が、夜間中学校に通われてご卒業されていたりします。何らかの理由や事情で、学校へ行けなかった方が学びを再開されることこそ、自発的な学び直しです。

同世代で、元V6のイノッチこと、井ノ原快彦さんもそうです。彼は中学生の頃から芸能活動をしており、仕事が多忙になったことで進学した高校も中退されています。しかし、その後、27歳の時に通信制の高校に入り直し、ご卒業されています。

以前テレビ番組で話されていたのを思い出しました。

「高校のときは、歌やお芝居をもっとやりたくて、途中でやめてしまったけど、20代後半になり通信制(高校)に入りなおした。理由は今、勉強したいなと思ったから。仕事が終わって寝ないでレポート書いたり、10歳くらい下の友達ができたり、勉強することを楽しみました」

こう話すイノッチの顔はキラキラしていましたね。

学ぶということに対して貪欲である人こそ、学び直すのかもしれません。

そういう人たちにとって、学び直しは余暇ではありません。

リスキリングにしてもそうですが、他国の制度をまねてみたり、カタチだけ整えることをするより、学び直したい、と願う人たちにとって学びやすい環境を整えることのほうが、はるかに優しいと、わたしは思います。

大検という選択肢と学校へ通う意義

約20年前に、わたしは大学で、1歳年上の女性と友達になりました。浪人して入学する学生は沢山いたので、てっきり彼女も浪人生だったのだと思っていました。

知り合って半年くらいたった時に、彼女が高校を中退していたこと、大検を取り、大学受験をしていたことを知りました。

高校時代、病気で学校へ通えず、私立だったこともあり高校を中退したそうなのです。その後、独学で各教科を学び大検を取り、さらに1年かけて大学受験勉強をして大学に入学したと言うのです。彼女は同じ外国語学部のなかでも、英語のみならず新言語にもトライしていき、研究にも一生懸命に取り組んでいた姿が今でも思い出されます。

今振り返ると、彼女が真面目な性格だったというだけではなくて、ココロから嬉しそうだったんですよ。学ぶ環境にいること、友達と騒ぐこと、外国文化に触れること、外の世界をみること、毎日を楽しんでいたんだなぁと。

もう一人は、中学、高校と不登校を経験したママ友。彼女も大検をとって大学へ行きました。

高校生になり、このままだと中卒になってしまう、と考えたそう。その時に、大検を取れば専門学校や大学を受験することもできるので、その先の自分の道も広がるのではないか、と想い、自ら高校を辞めて大検対策に専念することを決めたそうです。

それまでの経緯は、彼女もご両親も心身ともに大変だったと思います。学校へ行かない、ということを選択したけれど、先の未来を見据えて、いま勉強する。自発的な学びではあるのですが、彼女は当時の自分自身について、また別の見方も指摘してくれました。

「私は学校へ行かない、という選択をしたけれど、もし我が子が自分と同じようにしたいと言ったら、大検を取れば大学へ行けるよ、と安易な勧め方はしないと思う。学校へ行くことによって学べた教科や、友人たちから受ける刺激といった偶発的に感受する学びを、思春期の私はしてこなかった。
いま、親になって感じることはあるの。大検は教科を選択できるから、興味のない物理や化学を私は選択しなかった。もし学校へ行ってたら、興味のない教科からでも何らかの学びや発見があったと思うし、それに関心をもっている人たちからも学ぶことがあったと思う。それを10代で経験できるのは、大人になって尊いと思う」と。

自発的な学びって、自己決定力や肯定感にもつながるだろうし、メリットも大きい。でも、興味がないと思っていることに対しても時間をかけて取り組む機会は、大人になると少なくなります。

そう思うと、子どもたちにとっては、学校での学びは大人たちが想像する以上に大切なのかもしれません。

(注)大検とは、平成16年度以前に使用されていた言葉で、大学入学資格検定の略です。それ以降は高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験)と称されています。高卒認定試験と大検の違いは、受験資格に全日制高等学校在籍者が認められるようになったこと。病欠などで、全日制学校の単位が足りない場合、高卒認定試験で合格した科目が、校長の判断により、学校の卒業単位に認められるようになった。(ウィキペディアを元に筆者作成)

学ぶこと、そして自立・自律するということ

以前、フィンランド在住の知人から次のようなお話を教えていただきました。

「フィンランドでは、18歳になったら親元から離れてひとり暮らしをするのよ。親からの仕送りはなく、ひとりで住むところを探し、自活していかなければならない。親は子どもが18歳になった時点で子どもの通帳の出し入れもできなくなる。子ども自身でお金の管理もしていかないといけないの。銀行でローンを組む子だっている。小さなころから、自立・自律するために義務教育が必要になってくるのよ」

最初に聞いたときは、なんてシビアなのだろうと思いました。しかし、フィンランドでは中学生になると、学校の授業でホームエコノミクスをきちんと学ぶそうです。あと数年で1人で暮らしていかなければならない、とわかっていたら、子どもたちも心の準備ができるでしょうし、そのために必要な知識は吸収したい。そうせざる負えない状況が義務教育のなかにあるのです。

日本では、高校卒業後も親の家から大学へ通っている学生はたくさんいます。いや、社会人になっても親元から職場へ通勤している人はいます。

さまざまな家庭の事情があるでしょうし、わたしの親友も結婚しても、近所の実家によく孫を連れて居座っています(笑)。決してそれが悪いこと、と否定しているわけではないのです。そういう風に生きてこれていることは、ある意味、幸せな面もあるのです。なにか困ったことがあっても、他人に迷惑をかけてはいけない。家族のなかで負担してやっていかないといけない。まだ制度としてはそういう風に社会ができあがっている。それが、いまの日本です。

金銭面の問題だけでなく、自宅から通えるのだから、なぜ家族が離れて暮らす必要があるのか、一緒に住めばいいじゃない。そういう発想になってしまうのも否定できません。

日本からみると、フィンランドは子どもに対して少し厳しすぎない?という意見のほうが多いかもしれません。

ただ、これから大人になる今の子どもたちは、このようなフィンランド同世代の考え方も知っておいた方が良い。

子どもたちに対して、まわりの大人たちがどのように接していくことが、いま、現在のわたしたちにとってベストなのか。それを考えるひとつのきっかけになれば、と思います。

まずは、大きなことではなく、半径3メートルのリアルを大切に、ちょっと先の未来を想像しながら、行動していきましょう。それこそが、学び直し、なのかもしれません。

また、ご意見ご感想などをいただけたら、うれしいです。

では、次のお手紙まで、みなさまお元気でお過ごしください。Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

こんにちは!ライターのひらふくです。

最近何回かつづけて「セルフラブ」という言葉を耳にしました。

意味は「ありのままの自分を認めて愛すること」。2021年に化粧品メーカーの「THE BODY SHOP」がキャンペーンをしたことで日本でも広く知られはじめたそうです。

でも、この「ありのままの自分を認めて愛する」ということって難しくないでしょうか?

本屋さんに行くとそのテーマの本が何百冊と並んでいますよね。私も中学校のころから今まで何冊も読みました。「自分を好きになる」を新年の目標に掲げたこともありました。

なのに、いまだに自己嫌悪で落ちこみがち。今日は自炊をしたぞ!と自分をほめる日よりも、今日は本を読まずにスマホばっかり見ていたな…なんて後悔する日のほうが多いです。

これでは「私のことが好き!」なんて到底言えません。自分を好きでいたいのに、それを目指すからこそ好きになれない自分が目についてしまうのです。

今回はそんなジレンマに疲れていた私が「自分を好きになろう」をやめてみたお話です。どうなったのか、ぜひお付き合いください。

きっかけはエラマの対話

エラマプロジェクトのテーマのひとつに「自分を見つめること」があります。マイタイムという自分のための時間をとったり、オンライン講座で気づきをもらったり。

エラマメンバー同士の対話でも固定観念が変わることがあって、今回もそんな出会いでした。

「自分に対して、好きとか嫌いとかないんですよね」

この言葉が飛び出したのは、本筋からはなれた雑談のなかで自己肯定感の話題になったときでした。

自己肯定感という言葉はいろんなとらえかたがありますよね。私にとっては「自己肯定感=自分を好きな気持ち」だったので、そもそも自分を好き/嫌いという発想がないということは、根本からちゃぶ台返しにあったような驚きでした。

「自分を見るときは、『こんなとき自分はこうするんだ。へ~おもしろい』とおもしろがってます」

自分に対して好き/嫌いではなくて、おもしろいかどうか。

そんな見方なんてしたことがありませんでした。好き嫌い論に疲れていた私は新たな希望を感じたのです。

かばんを置いて街に出よう

とはいえ、日常の忙しさの中では発想を変えられるような心の余裕なんてありません。そこで、日曜日に3時間だけ散歩にでて、非日常の中で、自分をおもしろいと感じられるか試してみることにしました。

そこで、自分でもびっくりしたのですが、ふと「かばんって要らないな」と思ったのです。

携帯電話と家のカギとお財布があれば最低限は大丈夫。最近は電子決済がふえたのでお財布も薄くなってコートのポケットに入ります。かばんは一切もたず電車に30分乗って遠出しました。

お財布ひとつで歩いている男性を見たことはありますが、私自身は今までかばんを持たずに出かけたことがありませんでした。

人生の数十年目にして初めて知った自分。そこで、「私って実はかばんがなくても出かけられる人なんだ。意外とおもしろいな」と思えました。

散歩の中では、自分の行動をおもしろいなと思えることがいくつかありました。

コンビニに並ぶ商品の名前にちょっとテンションが上がること、実はかなり空を見上げていること、家の前の植木鉢に赤い南天の実がなっていると足が止まること。

そういうところに反応するんだ、おもしろいな。きっと私は、変わった言葉遣いや大きな自然、日常のささやかな優しさが好きなんだろうな。

そんな自分に対して、好きや嫌いのような強い感情ではないけれど、「おもしろいな」と少し心が浮き立ちます。それはちょっと離れて自分を見ているような感覚でした。

自分との距離感はときには「近所の大人」

自分を好きになろうと頑張って、好きになり切れなくて落ち込む。

でも、少し自分と距離をおいてみたら、私自身をおもしろいと思える瞬間がたくさんありました。

もしかしたら、私は自分を好きになろうと必死で自分と距離を詰めすぎていたのかもしれません。

近くにいる人のことって良い意味でも悪い意味でも必要以上に気になります。

例えば、親は子どもに「宿題やったの?」とついつい聞いてしまうことがあります。同じように、私も自分に対して「スマホばっかり見て!もっとがんばる自分じゃないと好きになれないよ」と言っていました。

それはどちらも相手のことが心配だから。周りからの目を考えたり、本人のためになるようにと思っての忠告です。

でも、子どもからしたら「今やろうと思ってたのに!」と反発心や悲しい気持ちを感じることもあります。私もそれに似て、忠告は正しいからこそ、できていない自分に落ち込みました。

でも、わたしたちは、自分を大切にしようと思っているからこそ心配しています。

「好きになれない自分」に敏感なのも、実は私を想う心配からきていると考えるとそんなに悪いことではない気がします。

ただ、自分への適切な距離感は人によってそれぞれ。好きになれないことでしんどくなるときは、むしろ距離を置いてもいいのかもしれません。

「おもしろいな」は密着した親子よりは少し離れるからこそ持てる視点でした。

それはまるで子どもを見守る「近所の大人」のような距離感。今日も元気だなあと普段は微笑ましく見つつも、危ないことや最低限の礼儀については叱れる人です。

そんなふうに時には距離をとって。

心配しながらも、大きなケガをしなきゃいいよと笑ってあげたい。

誰より近くにいる「私」との、大切な距離感。

あなたはどんなかたちでしょうか?

こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。

私は国語教師、香司(お香の調合師)、和文化エバンジェリストなどいくつかの顔を持っていますが、メインの仕事は教師です。

とある私立高校に勤めて今年で12年目。

干支の一周分です。

人生の大部分を学校という環境で過ごしているわけですが、実は自分が生徒だった頃、私は学校が好きではありませんでした。

先生のことも好きではありませんでした。

それなのに、今は学校の先生をやっているの!?

そんな声が聞こえてきそうです。私自身、不思議な運命だなぁと思います。

今回は、かつて学校も先生も嫌いだった私の過去を振り返りながら、現役教師だってこんな体験をしてこんな風に思っていたんだよ、ということをお伝えしたいと思います。

私の経験が、どなたかの豊かで幸せな生き方に役立つならば幸いです。

私は「クラス一丸となって」が苦手な子どもだった

小学生のうちから、私の学校嫌いは徐々にその傾向が出ていたと思います。

小学1年生の頃。

図工の時間に使う絵の具セットを注文した時のことです。絵の具セットは、赤と青の2種類あり、どちらかを選ぶようになっていました。

私の記憶によると、担任の先生が「好きな方を選ぶように」と言ったのです。だから私は当時好きだった青を注文しました。

けれど、青を選んだ女の子は私一人。

というよりも、男子は青、女子は赤を選ぶことが当然の了解事項になっていたわけです。他のクラスでは、そのように指導されていたのかもしれません。

その後の小学校6年間を通じて、私は女子の中で自分一人が青であることに引け目を感じ、恥ずかしい思いをしました。

どうして担任の先生は「女子は赤を選ぶように」と言わなかったの!?

そう言ってくれたら、私は素直に赤を選んだのに。

私はこんな風に憤っていました。

担任の先生なりに、男子は青、女子は赤という決めつけに思うところがあったのかもしれないし、好きな色を選んでいいというのは、幼い私の勘違いだったかもしれません。

でも私に残ったのは、好きな方を選んだがために、恥ずかしい思いをしたという事実。

小学校低学年の記憶などほとんど薄れているというのに、この羞恥は今でもよく思い出せます。

次は小学6年生の時のこと。

担任の先生は体育の教員で、「みんなで」「クラス一丸となって」のようなことが好きな人でした。

私の小学校には、陸上部や吹奏楽部など、いくつかのクラブがありました。入部は希望制で、全員が入る必要はありません。

ですが陸上部を受け持っていた私の担任は、クラス全員が陸上部の活動に参加するよう促しました。

クラスみんなでやるということに意義があるようでした。

けれど、私はそれがとても嫌でした。「クラスみんなで」を実現するために、なぜ興味のないことをやらねばならないのか本気で分かりませんでした。

担任の先生は必要以上に強制はしませんでしたが、クラスのほとんどが参加している中、私は入っていないというプレッシャーをクラスメイトからも感じました。

みんなで一丸となって取り組むことが素晴らしい、という観念に強い拒否感を抱いたのは、この時が初めてだったかもしれません。

今でも私は「みんなで一緒に」が苦手な人間ですが、小学生の頃からその片鱗があったのかと、我ながら驚きです。

ますます生きづらかった中学校時代

そんな私ですから、制服、校則、部活動など「みんなで一緒に」が目白押しな中学校生活は非常にストレスフルなものとなり(あくまで私の出身中学の話です)、私の学校嫌いは中学時代に加速しました。

私は都会でも田舎でもない町の出身です。町には、バイクで暴走行為をするような「不良」たちもいました。

私の中学では、ほとんどの生徒は彼らと関わることなく過ごしていましたが、なかには付き合いがあった子もいたようです。

生徒が非行に走ることを阻止したい教員たちの姿は、私の目からはとても威圧的に見えました。大声で怒鳴ったり、授業中に丸々一時間説教したりといったことは当たり前にありました。

先生たちは生徒の個性を伸ばすよりも、従順な良い子集団にすることを重視していたように思えます。クラス丸ごと説教されているうちに、私の中で自由とか個性とか、そういった大事なものはどんどん縮こまっていった気がしてなりません。

そんな中学校生活で特に嫌だったのが部活動でした。私の中学では、部活動には全員が参加しなければなりませんでした。

前述のように、小学校の陸上部(確か週2回程度の活動)ですら入りたくなかった私なので、中学の部活は嫌で仕方がありませんでした。

生徒を非行に走らせたくないためか、先生たちは活動の盛んな運動部への入部を強く勧めました。ですが「みんなで一緒に」が苦手な私は、チームスポーツを中心とした中学の運動部に強い拒否感がありました。

それに放課後だけでなく、休日も部活動のために登校しなくてはならないのは、私にとって苦痛でした。

そこで、どうしても運動部に入りたくなかった私は子どもの頃から趣味で習っていたバレエを持ち出し、「バレエを頑張りたいから運動部には入れない」という理由を押し通したのです。

私の学年には、生徒を運動部に入れるという強い意向を持った先生がいたのですが、バレエを理由にすることでなんとか納得してもらったのでした。

結果的に、私は運動部入りを免れ、活動の軽い文化部への入部が叶いました。

私は、学校で何か大きなトラブルを抱えていたわけではありません。真面目な優等生タイプだったので、むしろ先生からの覚えはめでたいくらいでした。

でも、問題を起こさない真面目な優等生が、気持ちよく学校に通っていると思ったら大間違いです。自分の意志ではないことを強制される経験は、柔らかい心をどんどん硬く冷たくしていきます。

こういったことが重なるうちに、私は学校や先生のことが嫌いになっていったのです。

色んな生徒がいるのだから、色んな先生がいたっていい

ここまでお話ししてきたことは、子どもだった私の視点から見たエピソードです。

現在の私が同業者の立場から見たら、当時は分からなかった先生方の苦労や真意が浮かび上がってくることでしょう。

私には合わなかっただけで、客観的に見たら、あの先生方の指導は悪いものではなかったのかもしれません。真相は藪の中です。

ともかく私は大学、大学院と進学し、数年間の大学院生活を経て、高校の教員になりました。

大学院にいた頃、自分は教壇に立つことが向いていると感じ、正規の教員になる決心をしました。

私は探究心は強いものの、自分が研究者になるよりも、先人たちの研究成果を分かりやすく人に伝える方が性に合っていると分かったのです。

こういうきっかけなので、「子どもの頃から先生になりたかった!」「先生は憧れの仕事!」という根っからの教員志望の方とは、気持ちの上でちょっと違う部分があると思います。

「学校が好きだから、先生になりました!」「恩師のようになりたくて!」という方とも違っているでしょう。

でも、学校が好きな子もいれば、嫌いな子もいるように、学校が好きで教師になった先生、学校を好きじゃなかったけれど教師になった先生、どちらもいていいんじゃないかと思っています。

学校は社会の縮図と言われるように、学校に集まる人たちは本当に多様です。

そう考えると、「子どもの頃から学校が好きだった!」という先生しかいない方が不自然ですよね。

今、私は勤務先の学校が好きです。自分の仕事にやりがいを感じ、私なりに信念を持って生徒たちに接しています。

教員の傍らパラレルワーカーをやっているせいか、「先生らしくないね」と言われることも多いですが、教師という仕事には真摯に向き合っているつもりです。

自分が生徒だった時、学校のことも先生のことも嫌いになってしまいましたが、そういうルーツがある私だからこそできること、分かることがあると思っています。

世の中には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃって、私の力など微々たるものですが、こんな子ども時代を過ごした先生もいると知ることで、気持ちが軽くなるお子さんがいらっしゃったら嬉しいなと思います。

Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

こんにちは、momoです。

年賀状の時期は終わり立春も過ぎましたが、この前の年末年始、みなさんの年賀状事情はいかがでしたでしょうか。

わたしは今回年賀状に関して決断したことがあり、それについてこれまでの年賀状事情を振り返りながら書いてみることにしました。

年賀はがきの発行枚数はどのくらい減少している?

あなたはいつから年賀状の準備をはじめますか?

以前に比べると出す枚数は減ったものの、わたしにとっても年賀状準備は毎年の慣習です。

日本郵便による年賀はがきの総発行枚数は年々減っているそうで、2022年発行(2023年用)枚数は16億7,690万 8,000枚、前年の2021年発行(2022年用)枚数の19億860万 500枚から約12.1%のマイナスになっています。

ピークは2003年(2004年用)で発行枚数は計44億4,780万枚と発表されていました。約20年前の当時と比べると大幅に減少しています。

発行枚数を調べているうちに、そういえばはがきの価格もいつからか変わったんだと思い出し、気になったので値上がりした時期をついでに調べてみました。

2023年1月現在のはがきの価格は63円。1990年代からの価格推移を見てみましょう。

1994年は50円。2014年から52円に変更。2017年には62円に(年賀はがきの価格は期間限定で変更なし)。そして2019年から現在の63円に値上がりしています。

数字を見て、はがきや切手の価格変更について「また!?」と思った記憶がよみがえってきました。

2014年から3年後に10円上がったばかりなのに2年後には1円とはいえまた値上がりしたのです。2019年10月1日から消費税及び地方消費税の税率が8%から10%へ引き上げられたことによるものです。

ちなみに2014年の価格改定も4月に消費税率が5%から8%に上がったためです。

50円から52円に値上がりするのに20年の期間があったのに、その後の価格改定のスパンの短さ、社会状況に衝撃を受けてしまいました。

年賀はがきを出す人が減っているのはメールやSNSの普及が理由なのはもちろんなのでしょうが、値上がりの影響も少なからずあったのではと想像してしまいますね。

値上がりについては郵便料金や日本郵便だけの問題ではないのは当然のことですが。

年賀状を出すのは決してイヤではなかった

令和になるまでは長らく12月23日が祝日だったので、その日がわたしの年賀状作業dayでした。

たった1週間であっても12月23日より前は年賀状に込める気持ちが年始モードにならないし、かといって年末ギリギリに書くと1/1に届かなくても困るので12月23日というのがわたしにとってベストタイミングだったのです。

祝日が変更になってからは、なんだかんだバタバタしてしまい、元日に届けるために12月25日には出したいと頭の片隅にはあるのですがちょっと間に合っていないですよね。

さて、わたしの年賀状はここ何年もの間、年賀はがきを使用していません。以前にも今回はこれを使いたいとポストカードを年賀状にしたことはあったのですが、ここしばらくはかなり意図的にポストカードで年賀状を出すようにしていました。今年はこれだ!というポストカードに出合ったら必要枚数を買い、切手も状況に合わせ考えた上で年ごとに選んでいました。

ある年の年賀状に利用したポストカードです。伊敷トゥート(2022年6月より伊敷トゥートリサ)さんの作品

わたしは何百枚も出すわけではないのと、絵も描けない、シャレたことも言えないタイプの人間なので通常の年賀はがきで送る場合でも以前から気持ちを込めようと宛名はすべて手書きしていました。

だから正直、年賀状を書くのが作業として大変に感じることはありましたが、年賀状を出すこと自体は決してイヤだとは思っていなかったです。

「年賀状じまい」という言葉が気になる

そんな中、2022年12月に目にした「年賀状じまい」という言葉。

60代くらいになったらやってもいいのかな? さすがに自分がやるのは早すぎるかな!?と思ったのですが、いつかやるなら今でもいいのではと思い、今回の年賀状(2023年分)を最後にしようという気持ちになりました。

しかし、何日か経った頃やっぱり早いかも……と思い直すことに。

タイミングが早すぎるかもと気になってしまったのと、友人たちが届けてくれる子どもたちの写真の年賀状や家族写真の年賀状がわたしはうれしい派なので、それらが見られなくなるのはさみしいという気持ちがありました。

また、かなり前になりますが、ある友人がわたしの年賀状を毎年楽しみにしていると不意に話してくれたことがありました。

その友人Aは学生時代、年賀状は出さない、友だちからもらっても後から出すこともしないというスタンスを徹底していました。

わたしは気にしていなかったので毎年出していましたが、仲が良かったグループのBは出しても出しても相手から年賀状が届かないことに見切りをつけたのか、ついにBからも年賀状が届かなくなった(笑)とAが話していたのを覚えています。

そんな友人Aがある時「momoちゃんからどんな年賀状が届くんだろうと毎回楽しみなんだよね」と言ったのを聞き、わたしはうれしさよりも驚きが先にきたのです。

年賀状に対して距離を置いていると思っていた友人からの言葉だったのと、クリエイティブとは程遠いタイプとしか思えない自分からの年賀状を喜んでくれている人がいるなんて考えもしなかったからです。

びっくりしたけれど、ありがたくもあり、その言葉はわたしの中であたたかいモノとして残っていました。

しかし気持ちの葛藤はあったものの、最終的にわたしは年賀状じまいを決断しました。

バタバタしているうちに気がつくと年賀状を書けずに自分で決めていたリミットも過ぎ、ものすごく焦りましたが、何とか今年を最後に年賀状での挨拶を控えさせてもらうこと、相手にも今後はお気遣いなくても大丈夫ですよといったことなどを書き投函しました。

今年は年賀状を出す相手それぞれにメッセージを考えて書くことがちょっとしんどくなっているのをより強く感じた瞬間もありました。

決断の背中を押してくれたのも年賀状だったのです。2022年に届いた年賀状を見返したときに、忙しい中やっとの思いで年賀状を準備しているんだろうなとか義務感で出しているんだろうなと感じたものがあったのです。

過去のわたしの年賀状でもそういったものがあっただろうなと思い返したりもしました。

そして、年賀状じまいのお知らせを読んで嫌な気持ちになる人の方が少ないような気がしたのです。

むしろホッとする人のほうが多いんじゃないかと。

そう思うと、やっぱり今回やろうと強く思えたのです。

またおもしろいもので、ずっと年賀状をやりとりしていたけれど「来年からはこなさそう」という雰囲気が、内容や届いたであろう日から感じ取れたりもします。

2022年にそう感じた3名からは2023年の年賀状は予想通り送られてきませんでした(笑)!

また、同じグループの友だちの間で一人にだけ出し続けてあとの人たちはやめるというのも微妙かなという気持ちもあり、全員に対して年賀状じまいをしました。

そこはまだまだわたしの気持ちの弱いところだなとあらためて認識することにもなりましたが(笑)。

いきなり全員に年賀状じまいを宣言することは難しくても、出しても相手からはこないとか、出してきたり出してこなかったりとか、実は年賀状を出すのをやめたいと思っているとかであれば、そういった人たちに向けて一旦年賀状じまいを実践してみるのもありだと思います。

12月までにまだ10ヶ月ほどあるので、、自分の心や体の反応はどうなのかを観察してみるのもおもしろいのではないでしょうか。

即判断する必要はなくて、時間を置いて最終的に出た答えを尊重すれば自分自身は納得できるはずです。

迷って答えを出せなかったとしても来年、再来年、それ以降とタイミングはいつでもあるので悩みすぎなくていいのも気持ちがラクですよね。

年賀状は「やめなければいけないもの」でも「出し続けなければいけないもの」でもありません。

あなたの年賀状事情が楽しいものであること、そしてつながっていたい人たちと末永く良いご縁が続くことを心から祈っています。

Text by nakagawa momo(フリーライター)