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Elämäプロジェクト

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。突然ですがみなさんが好きな季節はいつですか?

フィンランドでは日照時間が少なくなる時期が長いため、夏はとても貴重な季節とされています。わたしが住んでいる飛騨高山も雪がたくさん降る地域ですので、冬と春・夏の頃を比べると活動しやすさがかなり違います。

エラマプロジェクトでは会員制コミュニティ「エラマの森」を運営していますが、4月末に飛騨高山でオフ会を開催しました。

新緑の季節にあらためて感じた、自然を享受できる気持ちよさとありがたさについて、今回は話していきたいと思います。

体も心も新緑の季節を満喫

エラマの森のオフ会は基本的にフリースタイルです。スケジュールは2白3日でしたが、来たいときに来て帰りたい時間に帰るのもOKといういつも自由度の高い内容にしています。メインの会場は「自然体験施設 太陽の家」で、こちらに宿泊できますし、ご自身の都合に合わせて別の場所で泊まるのも可能です。

何をするかも参加したメンバーで対話して決めたり、ご自身の心の赴くことをしたりと思い思いに過ごしていただける時間が多いです。

今回開催したオフ会は、前回に比べると参加人数が少なかったので、ちょっとした親戚の集まりのような雰囲気になりました。

人数が少なく車の台数に余裕があったこともあり、会場から15分くらいの場所にある温泉に行ったり、30分ほどのところにある公園にみんなで作ったお弁当を持ってピクニックに出かけたりしたんです。

公園のそばには川があって水音が聴こえる中でのピクニックができましたし、まだ桜が咲いていたのでお花見もできました。とても気持ちのいい場所なんですが、わたしたち以外は誰もいなかったのでエラマの森のメンバーだけでその空間をひとり占めという状態になっていました。

東京に住んでいた頃、わたしは虫が苦手だったのですが、飛騨高山に移住して数年が経ち、すっかり平気になっています。

東京から一家で参加していた子どもたちの虫が苦手そうな様子を見て、そんなことを思い出す瞬間もありました。

子どもたちは川遊びは初めてだったそうですが、透明度の高い川に足をつけてみたり、地元の男の子と仲良くなって一緒に遊んだりしていました。また、公園では裸足で芝生の絨毯を駆け巡ったりと子どもたちがのびのびと楽しんでいる姿が印象的でした。

ピクニックから帰ると14時か15時頃で、そこから全員がお昼寝をしたんです。時間もバラバラで30分程度の人もいれば1〜2時間の人もいて、最高は4時間近くの人も! 

「まだ寝てるの?大丈夫?」と心配になりつつも、心からリラックスしているんだなとうれしくもありました。

太陽の家に戻ってきてからは、テントサウナに入ったり焚き火をしたりただぼーっとしたりといった時間を過ごしました。庭に出ると草の匂いがとにかく気持ちよく、湿度も低かったので心地よく寝転がれることもあって、そこでも新緑の季節を体いっぱい感じられました。

食事の面でも、太陽の家の管理人さんが山菜を取ってきてくれて天ぷらにしてくれたものをみんなでいただく日がありました。めずらしい種類のものも味わえましたし、山菜が取れる時期は植物の生命力を感じる季節でもあります。

フィンランドには自然享受権というものがありますが、日本でもゼロではないと感じるのが山菜に関してです。採れるエリアやそこに入れる人は限定されるかもしれませんが、普段の生活でわたし自身もその恩恵を受けているのです。

自然や季節の変化に敏感になることで自分の心にも敏感になる

参加メンバーと過ごした時間を振り返ると、あえてすごく深い話をするでもなく、かと言って浅い話をするわけでもなく。みんながほどよく距離感を持ちながら楽しいことをやりながら、一人になりたいときは一人になれる時間もあったんです。

ある程度広くて、建物の中も外も木の香りや草の匂いに溢れている環境があると、常にON状態になる必要はなく、自然にリラックスした状態で過ごせるのではないかと思います。

生命力があるというのは、快活で声も大きくハイテンションであるということではないなと思ったんです。

けっこう穏やかでほどよく元気、ほどよくリラックス、そういうのが元気っていうことなんだろうなとこのとき感じました。

そのためには十分な広さと景色や香りといった「自然」がすごく大事だと思います。

特に新緑の季節は香りが高く、秋だとそういう香りはしません。また、冬だと飛騨高山やフィンランドは雪で覆われるのでさらに香りを感じることは難しい季節になってしまいます。

この新緑の季節は、風の気持ちよさと湿度の低さと緑の香る感じがすごく落ち着かせてくれるという体感がありました。

わたしは飛騨高山に移住してきてもうすぐ4年になりますが、自然の変化、季節や天候の変化にも敏感になりましたし、自分の心にも敏感になってきたという感覚があります。

エラマプロジェクトをやっていることで自分と向き合う習慣があるというのは前提として、季節の変化に敏感になるからこそ、自分が今このままいくと落ちそうだなと感じたときは気持ちに蓋をせず、山に入ってぼーっとしたりしています。

また、ウッドフォーラム飛騨に作ったエラマ図書館に行き、仕事じゃないと断りを入れてソファに座ってただぼーっとするということを積極的にするようになりました。また、それらが手軽にできるような環境に身を置いていることも大きいです。

二十四節気を知ったのも飛騨に来てからでした。飛騨は日本の真ん中なので、ここは二十四節気通りに季節が変わっていくんです。

その意味通りに季節が変わっていくのがすごくわかるので、数週間ごとに季節が変わることがより自分の心にも敏感になる要因なのかなと最近思います。

自然があればあるほど、周りに人がいなければいないほど自分に集中できると思うんです。冬だったら外に出て歩き回るというのが難しいので、すぐ外に出られる新緑の季節はそういった面でもいい時期ですよね。

都会で暮らしているから自然に触れるのが難しいと感じる場合でも、少しでも自然があるところに出かけてみるだけでも十分だと思います。

エラマプロジェクトで体験できること

オフ会以外にも飛騨高山でイベントを実施することがあります。講座やイベントが決まった際はホームページでお知らせしますので気になった方はチェックしてみてください。

また、エラマプロジェクトではフィンランド現地ツアーも開催しています。今年は9月と10

月に予定しており、ヘルシンキやタンペレでサステイナブルな社会を学ぶプログラムや北欧のシリコンバレー、オウルで働き方やウェルビーイングを学ぶプログラムを準備しています。

詳細をご覧になって少しでも興味がわいた方はぜひお問合せください!

By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)

Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

こんにちは、いけかよです。

去る2024年3月20日、3泊4日のスペシャルなツアーが、岐阜県飛騨高山で開催されました。

これまで、フィンランドで2回ツアーを実施してきたエラマプロジェクト。今回は、飛騨高山に生活拠点をおく代表の石原侑美が、自ら暮らし、さまざまなものを見て聴いて感じているその地域を舞台にしたスペシャルなプログラムを作り上げました。

その名も「地域(ローカル)でウェルビーイングに暮らす体験ツアー in 岐阜・飛騨高山」

さまざまな体験を通じて「学び」をお届けしているエラマプロジェクトですが、今回のツアーはエラマプロジェクト7年の歴史のなかでもひとつのマイルストーンともいうべき特別なものとなりました。

もちろん、すべての経験がスペシャルで唯一無二ですが、どうやら代表の侑美さん的には今回の経験をしっかりじっくり記録として残しておきたいという強い衝動があったようなのです。

ということで、本メディア「よむエラマ」の編集長のわたし、いけかよと侑美さんとの対話を、臨場感そのままにお届けしたいと思います。

人生の分岐点に立つ人が集まった

いけかよ

今回のツアーのきっかけは?

ゆみ

高山市の地域課題解決プランのコンテストがあるからそれに応募してみませんかっていわれて、提案したのがこのツアーでした。内容は言ってしまえば「移住体験ツアー」なんですが、地方創生は移住だけじゃなくて、いかに関係人口を増やすかが大事だから、それを組み込んだツアーということで、高山市から奨励賞をいただいたので実施に至ったという感じ。

でも、もっと個人的なところで言うと、私がフィンランドに行って自然の素晴らしさを知った、そして高山にも移住して4年経った。そこで体験してきたことを、ごく一部ではあるけど4日間にぎゅっと凝縮して体感してもらうことで、私の地元愛を呼び起こすことにもなるだろうし、参加者さんが「自分もこういうことをやりたい!」って思ってもらえるようなツアーにできたらという思いもあったんです。

いけかよ

なるほど。実際やってみての手応えはどんな感じでした?

ゆみ

やっぱりやる直前まで「これでいいんだろうか」とか「人集まるかな」とか「ツアーが目新しすぎてみんなイメージ湧かないかな?」とかいろんな不安がありました。でも「ウェルビーイング」という言葉はいま注目されてるからいけるんじゃないかという一縷の望みも持ちながら、できる限りのことをやって。

そして、参加者は女性6名。20代から50代まで幅広くて、東京、三重、大阪、富山、愛媛、あとは岐阜からと、いろんな地域から来てくれたんです。

結果、やってみて、フィンランドまで行かなくても国内で、飛騨高山でこれだけの素晴らしいものができるんだっていう確信を得られました。それは直前まで不安だったから自分なりにベストを尽くしたからこそ。

そして参加者さんから返ってきた反応がほんとうにみんな喜びに満ち溢れていて…!ツアーの最後にはやっぱり半分以上の人が自分のために浄化の涙を流すんですよね。

それは自分の人生に向き合えているということと、やっぱり人との出会いがあったから。飛騨高山で活躍するいろんなキーパーソンに出会ってもらったんですが、その人たちも性別も年代もバックグラウンドもさまざまで、その出会いのなかで参加者さんたちはどんどん自分の内側に目を向けていったんです。

こういう「内省」ができるプログラムを、国内でもできるんだっていう強い確信を得られました。

いけかよ

そうなんですね…!じゃあ、今回のツアーの目的としては「飛騨高山に移住します!」って言ってもらうこと?

ゆみ

を、やめたんです。そういうプレッシャーのもとでやるのは違うなと思った。だから目的は「地方で豊かに暮らすことを考える」とか、「地方都市においてウェルビーングな社会作りを考える」とか、移住までとはいかないけど地方を拠点に活動したいと思ってもらえるようなものにしたんです。

いけかよ

じゃあ本当に関係人口っていうのがキーになるんですね。

ゆみ

そう。高山市さんも「関係人口を増やしたい」ってすごく言っていたし。

いけかよ

参加者さんたちはどんな思いで参加してくれてたんでしょう?

ゆみ

それがいろいろでめっちゃ面白くて!

ひとりはもちろん「ウェルビーイング」って言葉に反応されて、フィンランドの専門家からそれを学びたいっていう人。

もうひとりはフォルケホイスコーレ(19世紀にデンマークの農村を中心に発達した民衆の民衆による民衆のための成人教育機関。「人生のための学校」などと表現されることもあり、その価値やあり方が近年注目を集めている)的なプログラムを日本のいろんなところで参加している人。このプログラムはフォルケホイスコーレ的なものだと認識して来たそう。

他にも「以前飛騨高山に来た時にとてもいい場所だと思って、インスタを見てたらこのツアーを見つけたから、内容はよくわかりませんけれども申し込みました」っていう方もいたり(笑)。

いけかよ

いいですね。フットワーク軽い!

ゆみ

そうそう(笑)。そういういろんな観点のいろんな層の人が来たっていう感じでした。

でも共通項があるとしたら、やっぱり今が人生の分岐点だとご自身の中で思われてる方が来たような感じではあったかなと思います。

いけかよ

そこ、フィンランドツアーの参加者さんと似てますね。

ゆみ

そう!そこがすごく面白いなと思った。

スペシャルな「地産地消」

いけかよ

それで今回のハイライトは?

ゆみ

それ選ぶの難しいですよね…。

まず、初日に雪がすっごい降って、私たちが泊まった太陽の家なんて50cm積もったんです。飛騨の人からしても3月にこれだけ降るのは珍しいと。「大丈夫かな、予定変更しなきゃいけないかな」って思ったんだけどもうみんな喜んで!他県の人は雪なんか見ることないからみんな舞い上がっちゃって、喜びに満ちてたのは雪があったからっていうのはあると思うんです。

だからもういきなりハイライト(笑)。

雪が降るだけで荘厳な空気に。同じ日本とは思えない異国感

いけかよ

そうなんですね!もういきなり(笑)

ゆみ

そう!太陽の家は、やっぱりみんな最初入った瞬間「うわー!」ってなりましたもんね。

いけかよ

あそこは場の持つ力がすごいですよね。

ここが「飛騨にゅうかわ太陽の家」。なんともいえない不思議な空気に包まれている、エラマプロジェクト御用達の施設。

ゆみ

そう!だから今回プログラムを多くを太陽の家でやれたことも大きかった。自然や木の匂いにずっと触れ続けながらやれたから。とにかく外でみんな雪で遊びまくって、めっちゃ楽しそうっていうのも良かったんですよね。

あとは、ごはんにこだわったこと。

もう一つのこのツアーのテーマが「地産地消」だったから、地産地消のものを食べようと。

この、食がめっちゃみなさん喜んでいただいたところで。

いけかよ

食はすごく大事!!普通の旅でも食ってすごい重要度高いですもんね。その土地でしか食べられへんもんって絶対食べたいし。

ゆみ

ですよね。

プログラムの中で、ワークショップが大事なことはわかってるけど、でもやっぱり喜びを味わいたいわけですよ。ワークショップがあるから食の喜びがあるし、食の喜びがあるからワークショップの喜びもわかってくるっていうことで、こだわったんですよね。

地元ならではのジビエ料理がもてなされました。これは高山で捕れた鹿肉。愛媛からの参加者は「こんなおいしい鹿肉食べたことない!」と感動していたそう!

いけかよ

うんうん。しかも作り手からじっくり話が聞けるっていうのもいいですよね。

ゆみ

そう。それぞれでクリエイティブに飛騨の地産地消をやっている人たちにお願いしました。その人たちに、自分の人生の話をしてもらって、そのひとりがEarth to Tableの河野美紗ちゃん。

フリーランスシェフの河野美紗さん。オランダのアムステルダムで地元レストランと都市農園&食廃棄プロジェクトに5年ほど携わったのち、現在は飛騨地域で、「五感に響く食体験」と「地域コミュニティ」をテーマに、店舗をもたずに料理と食企画を行っている

ゆみ

なんで飛騨でEarth to Tableをやってるか、オランダで何を見てきたのか。それを踏まえて食と農のコミュニティを飛騨でどうやって実現してるかという話をしてくれた後に、その美紗ちゃんが作った料理を食べるという。

しかもそれがおいしいっていう単純な味覚だけじゃなくて、聴覚や視覚でも、そして美紗ちゃんが体験した飛騨のこともオランダでのことも疑似体験した上で食べてるような感じ。だからおいしいもの以上の咀嚼があって、お腹いっぱいになったっていう感じでしたね。

こちらが美紗さんによるスペシャルディナー!

ゆみ

そして、我が家、石原家にも来てもらって、お義父さんお義母さんもいっしょに宴会して。カブを採ってきてそれをオーブンで焼いてただ食べるとか。

いけかよ

めっちゃいい!!もうお腹すくー!

ゆみ

ははは!でしょ?お腹空くでしょ?そうなんですよ(笑)

石原家にて。素朴だけどすべてに心がこもっている、どんなミシュランよりも尊い食卓

こんなカブが石原家の畑では採れるんです

もちろん食以外のプログラムも。飛騨高山在住の花のプロ、alp_gardenさんによるお花のワークショップ

地元の野生の草花を使ってのフラワーオブジェづくり!これもひとつの地産地消

エラマプロジェクトオリジナルククサを使ってそれぞれ思い思いに作りました!きれい!

これが本当にやりたかったこと

ゆみ

参加者の1人は石原家の宴会のときにお義父さんと「私はずっと長女としてきょうだいとかお父さんお母さんの面倒を見て…」っていろいろ話されてて。そのときにお義父さんが「もうあなたの道に行ったらいいんだよ」って言うんです。それがね、彼女にとっては、他人からなんでもない温かい言葉を言われたからこそ、すごく心にぐっときたらしくて。

でも、温かいからこそ、全てのプログラムが、食べ物も建物も会う人も含めて全てが素晴らしいすごく非現実な空間にいるからこそ、自分のネガティブなところが出てくる瞬間が本当に辛かったと…。

これは他にも言ってる人いたんですよね。

いけかよ

そうなんですね…。

ゆみ

前に飛騨高山でリトリートをやった時もそういうこと言われた人がいて。

リトリートでも今回のプログラムでも自分の人生を振り返ってもらうワークはやるんですが、やっぱりそれをしてるとトラウマが出てくる人ももちろんいたりするんです。それに、トラウマを克服してしてるつもりだったけど、あまりにも美しい、いいものを食べるから、ショック療法のリバウンドじゃないけどそういう感覚に近いものが出てくるような…。

いけかよ

たとえば普段、ジャンクフードばっかり食べてて、こんな美しい食べ物があるのに自分はなにやってんねやろみたいな気持ちになる感じでしょうか?

ゆみ

近いかもしれない。ジャンクフードばっかり食べてて体にいい野菜を食べると、逆に体にぶつぶつができるみたいな、そういう感じ。

いけかよ

好転反応的な?

ゆみ

ああそうそう!まさに好転反応。しっくりくる言葉だと思います。

いけかよ

気持ちの好転反応がいっぱいあったわけですね。

ゆみ

ありましたね。みなさんそれぞれのレベルでそれぞれにあったみたいで。

いけかよ

なんかちょっとわかるような気がする。聞いてて胸が痛むなあ。

ゆみ

そう。わかる人はすごくグッとくると思う。

それが一番わかったのが、ツアー最終日に太陽の家で最後の振り返りをした時に、やっぱりみんなそれ(好転反応)が「あったんだー!」っていう涙があふれて。逆に「やりたいこと見つかったんだー!」っていう喜びの涙の人もいたし。それぞれのその振り返りがそれぞれで作用し合ってましたね。

ツアーが終わって高山駅で解散した後、まだ名残り惜しい、話し足りない、もっと語りたいっていうので、その後1人以外はみんなそこで一緒におそば食べて(笑)。

他にもツアー終わってから改めて飛騨にもう一回来てくれた人もいてね。

でも、これまでも飛騨でリトリートを何度かやってきたけど、今回違うのは本当に関係人口になりそうな人たちがいるっていうこと。これからどんどん具体的なつながりが増えていきそうなんです。今回つながりができて、そこからまたどんどん別の関係人口が生まれそうな要素がある。

だから、今回のプログラムで自分の人生を共有するからこそ、思いっきり自分の「やりたい」っていう気持ちを信頼して出してもらえてるんだなっていうのをすごく感じます。関係性が深く強くなるからこそ、長く関係性が続くような感覚になるというか。

それぞれ自分に向き合う参加者たち

いけかよ

ゆみさんの作ってるプログラムって、「ツアー」だけどでもなんかちょっとレイヤーが違いますよね。

ゆみ

そうですね、旅なんだけど学びの要素がしっかりある。それは深い対話を自分の中でやるようなプログラムですね。

いけかよ

そうだと思います。適切な言葉を見つけるのがすごく難しいけど、トリートメントな感じがするんですよね。そういう要素がすごく強い。

ゆみ

だからこそ、参加する人は怖い部分もあるのかもしれないですね。自分がどうなっちゃうのかな?って。

美しいものに触れて、雪だったのもあってよけい非現実感が増してて。それもあって今回は余計にみなさん内省モードになれたのも確か。雪があることですごく深い対話が生まれたのは間違いないかなって思います。

なにより今回は、本当に来たいと思って来てくださった人しか来てない。「どんな感じやろ?」じゃなくて「行くんだ!」っていう決意を持って来てくださった方ばっかりだった。エラマプロジェクトで、こんな満足度の高いプログラムができるんだっていう自信になったツアーでしたよ。

いけかよ

そうなんですね。フィンランドよりも国内ツアーの方が参加者はやっぱり勇気がいるのかもしれないですね。

ゆみ

そうですね。海外行く方が皆さんイメージできるし、いっぱいお金貯めていくぞって気になるんだけど、国内って行きやすいって思うからこそ、ハードルは高いんですよね。

いけかよ

海外だったら、なんかとりあえず飛行機乗って行くだけで、もう達成感あるでしょ?

でも国内って、やっぱり自分がある程度のお金とか時間とか、ペイしたものがあるんだったらなんらかのリターンはほしいって思うから、なんにも面白くなかったなんて絶対いやですもんね。否が応でも何かを得て帰ろうと思ったら、国内の方が自分の感性をもっと研ぎ澄ませないといけないし、特にゆみさんが作るこういうプログラムではすごく自分と向き合わされると思うし、心の柔らかい部分もすごい刺激されるし。それは結構タフな経験だと思うわけですよ。

ゆみ

そうですね、いい意味でも悪い意味でも。悪い意味っていうのはちょっとネガティブな感情に陥ることもあるかも、っていうところだけですけどね。

いけかよ

そう。でもそれは多分人生においては避けて通れないとこですよね。そういう意味でも、ゆみさんのつくるプログラムはトリートメントっぽいんですよね。

ゆみ

トリートメント。リトリートではなくてトリートメントね(笑)。

いけかよ

言葉遊びみたいだけど!(笑)

でも、トリートメントもデトックスするでしょ?コリをとったり汗を出したりとか。ケアをして悪いものが出るからすっきりするわけだし。ってなると、悪いものがどこにあるのかわからないと出せないし。悪いもの出さないと気持ちよくなれないし。ってなったらやっぱりトリートメントの要素が強い。それが自分の中にあると思うからトリートメントしたいわけでしょ?

ゆみ

ああ、そうだと思う!それはあるのかもしれないですね。

ああ、だから、これが本当にエラマプロジェクトでやりたかったこと。まさにこのツアー!

人生も見つめてるけど自分の次のアクションも、ちょっと「やりたいな」って気が起こってるような状態。これを日本でやれた!

いけかよ

うんうんうん。だから、2Dの人が3Dになる瞬間に立ち合うみたいな。

ゆみ

あーー!そう!そういうことです!

いけかよ

それがいわゆる分岐点なわけですよね、人生の。

ゆみ

で、思ってるだけじゃなくて行動するっていうのが大事ですよね。2Dから3Dの行動。

これを継続的にやっていきたい。私の拠点が高山にあるから高山でやってるけど、拠点になる方がいらっしゃればどこでも。軽やに、いろんなとこでやれるっていうふうになれるといいなって思います。

いけかよ

そうですよね。それぞれの土着の人がそれぞれの土地に愛情を持って。

ゆみ

あ、そう!愛情を持って、が大事!地域に対する愛情があればできる。

いけかよ

素晴らしくない土地なんかどこにもなくて、全ての土地が素晴らしいわけですもんね。

あたしも初めてフィンランドに行った時に、日本のことすごい考えてた。

今回のツアーの参加者の人が「自分の地元のことを知りたくなった」って仰ってたって言ってたけど、それと同じだなって。それぞれの土地を比較する意識もあったりはするけど、高山もフィンランドもすでに地域ブランドがありますよね。何もかもが美しすぎて圧倒されるけど、なんか、それだけで終わりたくない自分もいるんです。フィンランドが素晴らしくて日本が駄目っていうのは違うはず!みたいな。

だから、やっぱり幸せと不幸せみたいなこともそうなんですが、やっぱり人間って比較で相対的にしか物事をジャッジできないでしょ?そのものだけでも十分美しいんだけど、これがいかに美しいかっていうのをわかろうと思ったら、比較する対象がないとわからなかったりする。多分こういうふうに場所を変えることで、自分の土地と高山の比較で地元の素晴らしさをわかっていくんだろうなって。

ゆみ

ああ、そうですね。それはそういう指標になるような場所を訪れることによって、ああ、ここがいいなって、じわじわと来る感覚になるんでしょうね。

いけかよ

だと思います。あと自分自身の心の中の部分でも、来る前と来てからの心の変化が比較になりますよね。

ゆみ

そうですね。

いけかよ

それでいろんなものがあふれてきた人もいたんだろうなと思います。だから、自分の中の汚い部分が辛かったみたいなとこも、多分そこだと思うんですよね。

ゆみ

うんうんうん。それはあると思います。そう、だから、これがエラマでやりたかったこと!1つの完成って感覚ですね、これは。

焚き火を焚く仲間をつくりたい

いけかよ

ゆみさん的には、このプログラムで参加者さんたちにどんなものを持ち帰ってもらいたかったんでしょう?

ゆみ

そうですね…「持ち帰ってもらいたい」があるとすれば、仲間得た!みたいな感覚かな。

今回は、自分が普段いるところでモヤモヤしてる人たちが来たと思うんです。

例えば、飛騨とはまた別の田舎で暮らしてるけど、やっぱり地元では自分のやりたいことは絶対に広がらないっていうモヤモヤ感とか。

自分はこれを頑張ってやってきてるけど、本当にいいのかなとか。

そんなモヤモヤ感を持ってきた時に「あ、この場にいる人たちだとなんかこのモヤモヤが共有できる」って思えるような…。本当にずっと日本社会とか政治の話とかしてましたもんね(笑)。

でも、それは文句じゃなくて「モヤモヤを置く」っていう感じでした。私もモヤモヤしてるけどあの人もモヤモヤしてるんだなってただ出し合うだけ。

でも、集まればちょっとは光もあるかもしれないっていう希望というか、そういうものが私が持ち帰ってもらいたかったことかなって思います。

で、私がやりたかったことは、そういう仲間がほしかったんですよね、多分。飛騨高山でやる人ももちろんそうだけど、日本中で、それこそ「地域で暮らすウェルビーイングな暮らし体験ツアー」みたいなものを、それぞれの地域でやってもらえるような仲間がほしかったんだろうなって思う。

いけかよ

なるほど。「フィンランド教育を全部学ぶコース」やった時も仲間がほしかったって気づいたって言ってましたもんね。

ゆみ

そうですね。なんかやっぱり仲間ほしいんやな、私。

ゆみ&いけかよ

あはははは!(笑)

ゆみ

でもそれが社員とか主従関係とは違う。本当に横の繋がりで仲間がほしいというか…。多分それがすごく強い想いだとは思います。

いけかよ

なるほど。仲間を集めて侑美さんが作りたい理想の世界っていうのはどういう世界なんでしょうね?

ゆみ

そうですね…。それこそ、絵的に言うと日本列島の真ん中の飛騨高山に焚き火が上がってて、富山、大阪、和歌山、名古屋、北海道とかでも焚き火してて。オンラインでもいいし、リアルでもいい。みんな焚き火囲んでゆるっと、お酒とかコーヒーとか飲みながら語れてる世界でありたい。それを実現したいなっていう、本当にそれだけ。

それが別に24時間じゃなくても、そういうふうな瞬間があったら、いつもいがみ合ってるかもしれないけど焚き火の前だったら仲良くなれるみたいな。

いけかよ

休戦する感じですね。

ゆみ

あ、そうそう!休戦もできる。そういう焚き火を囲むみたいな世界になるといいなって。一瞬でもいいから。定期的にそういうことできる世界があるといいなっていう感じ

いけかよ

なるほど、焚き火。焚き火をすること自体はすごくシンプルなことですよね。でも「いい焚き火」をしようと思ったら下準備とかすごい大変ですよね。

ゆみ

そうそう。前提を共有するとか共通言語を持つとかね。

いけかよ

価値観も違っていいけどぶつからないように受け入れる体制がいるし。

そしてまず平和を愛している人たちじゃないとダメだろうし

ゆみ

ほんとそうですね。

いけかよ

そういう文化作りをしてるんですよね、エラマプロジェクトは。

ゆみ

Exactly.そういうことでございます。

(対談ここまで)

いかがでしたか?

今回のツアーは、侑美さんご本人にとっても、エラマプロジェクトにとっても、特別なものだったのだなということが少しでもおわかりいただけたのではないでしょうか。

同時に、つねに試行錯誤と模索を繰り返して進歩しているエラマプロジェクトの真に迫る様子も感じていただけるととても嬉しいです。

もし、わたしたちに共感していただける方がいらしたら、いつでも遊びに来てください。そしてあなたといつか焚き火を囲める日がくれば、こんなにうれしいことはありません。

これからのエラマプロジェクトにも乞うご期待、なのです。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)

こんにちは、ひらふくです。

春は始まりや終わりの時期ですね。私の周りもいろいろ変化が起きました。みなさんも新たに変わったことがあるかもしれません。

変化といえば、最近エラマプロジェクトのホームページにも新しいことがあったようです。以前は、「フィンランド」や「北欧」で検索して見つけてくださる方が多かったのですが、最近は「自分なりの幸せ」というワードでヒットしているとのこと。

「自分なりの幸せ」。確かに私にとっても大事なキーワードです。

ただ、実は最近自分なりの幸せを探すことに少し疲れてしまいました。だってなかなか見つからないし続かないから。非日常なイベントに参加して、気持ちが盛り上がり「見つけた!」と思っても日常に帰ると忘れてしまったりします。

このループから抜け出すため、今回は幸せ”探し”ではなく幸せ”がる”日をやってみました。「幸せがる」は「おもしろがる」から思いついた私の造語です。「これはおもしろい」と興味をもつのと同じで「これは幸せだ」と勝手になんでも幸せに変換してみました。

あるもの全てが幸せに変わるのだから幸せに満ちあふれるはず!…だったのですが事態は思いもよらない方向に。

では、幸せがってみた1日にお付き合いください。

基本の「幸せがりかた」をやってみる

まずは本などでよく見かける方法を試してみました。

・ささいなことが幸せ

・嫌なことも実は幸せ

・人のつながりで幸せ

さっそくやってみます。

■ささいなことが幸せ

朝起きて顔を洗ったとき「冷たい水がすぐ出てきて幸せだな」

歯を磨きながら「清潔な暮らしができて幸せだな」

お茶を淹れて「朝からゆっくりできて幸せだな」

…う~ん、なんだか無理やりな感じ。今日は幸せに思えても明日からもずっと思えるでしょうか。

どれもありがたいことには間違いないのですが、私はワガママなので毎日慣れてしまっていることは幸せ変換しにくそうです。

■嫌なことも実は幸せ

人ごみが苦手なのですがあえて出勤時の満員電車にチャレンジ。もし誰かがお年寄りに席を譲るシーンなどを見れたら心温まること間違いなしです。

しかし、あまりの窮屈さに手すりを掴むのに必死でした。視線が合うと気まずいので周りも見れず耐えるばかり。私にとっては幸せに変換できないものもあるようです。

■人のつながりで幸せ

現代においてつながるツールと言えばSNS!ということでXやインスタをながめてみました。フォローしている方のインスタを見ていると広告で気になるものを発見。そこで紹介されていた商品のさらに先へ…と気づけば2時間がたちました。

でもどうにも幸せな気分にはならず、むしろ「あれ欲しいな」「私もやるべきなのかな」と物欲や不安を煽られているような。「こんなふうになれますよ」という幸せのお手本をたくさん見たはずなのに、私は幸せになっていなかったのでした。

「幸せのお手本」に当てはまろうとして

なんでも幸せがってみたのになぜか空振りです。

ささやかな幸せには慣れるし、満員電車はやっぱり好きになれないし、SNSにある幸せのお手本たちはプレッシャーをかけてきます。

これはなぜなんでしょう。

考えてみると、私はなんでも幸せがると言いながら実はその逆で、世間が示す「あるべき幸せ」にがんばって当てはまろうとしていた気がします。

ささやかなことに感謝できる自分、嫌なこともポジティブに考えられる自分、キラキラ生活で年収●万円の自分…。そんなあるべき像になって、あるべき幸せに当てはまりたかったんです。だって、私には「世の中と違っても自分にはこれが幸せだ」と言い切れるような自信がないから。お手本の真似をして「私は幸せなんだ」と周りや自分に言い聞かせたかったのです。

でも、実際に幸せがってみてわかったのは、私はそれらを幸せだと思えないということでした。

私はどうして自分の幸せを断言する自信がないのでしょうか。

それは、「幸せ」という言葉が今や一人歩きしているせいかもしれません。

本やSNSで切り抜かれる幸せはわかりやすくて誰からも認められるものです。私はいつしか幸せとはそんなスペシャルなものだと思うようになりました。

幸せになるには努力が必要で簡単には手に入らないもの、だから自分はまだ幸せじゃないし、探し続けてやっといつか手に入る特別な瞬間だと信じていました。

でも本当に幸せはそんなにスペシャルなのでしょうか。

幸せがる1日の中で、楽しみにしていた展覧会を見に行きました。展覧会は予想通りのいいものでしたが、あとで思い返して幸せを感じたのは別の瞬間でした。

それは最寄り駅におりて潮の匂いを感じたとき。知らなかったのですが会場は海の近くだったんです。久しぶりに海に出会えてうれしくなりました。

この小さなうれしさが、自然と微笑んでしまったときが、楽しいと思えた一瞬が「私の幸せ」でした。きっと人にはわかってもらえないし、スペシャルなものではないけれど、私はこれを「自分の幸せ」だと認めてあげたい。それではいけないのでしょうか。

「自分の幸せは自分でつくる」という言葉があります。それは努力し続けるアグレッシブな人にしかできない大仕事だと思っていました。

でも、潮を感じた一瞬を「幸せ」だと思えることも、幸せをつくってはいないでしょうか。

幸せをつくるとは、大きな物事を成しとげるのではなく、自分が感じた幸せをちゃんと認めてあげることだと今は思うのです。

それでも悩むならあなたはもう知っている

ここまで読んで、「それでも幸せを探してしまう」と思ったかたはおられますか?

実は私がそうです。

日々の一瞬を「自分の幸せだ」と認めてあげることはできそうです。だけど、そんなふうに毎日を満たすのとは別に、私の人生全体は幸せな方に向かえているのだろうか。そう思って結局幸せ探しは終わらずグルグル探しつづけている時期がありました。

でも、探し続けるあなたはもう気づいていませんか。

自分がもう日々の一瞬の幸せだけでは満足しきれないということに。今と違う方向に向かいたくなっていることに。お手本と違っても「これが自分の幸せの方向だ」と認めてあげる岐路にきているということに。

私は認めてあげるのに3年かかりました。実はこの春に10年以上続けた会社員をやめて個人事業主になったんです。

それまでは悩んでばかりでした。方向性がまだ漠然としていたり、大人だからこそ守るべきものもあります。だからこそ、新しい方向に向かうことも、向かいたいのだと認めることも怖かったのです。今だって世間的には「幸せ」だし、別に毎日が満たされてたらいいじゃないと言い聞かせていました。

なのに、苦労しながらでも切り拓いていく人たちがまぶしくて。

そんな世間的な「幸せ」でがっちり覆われていた私を溶かしてくれたのはエラマプロジェクトでした。特にここに集う人たちです。

エラマに来る人たちは誰も持論をかざしません。なぜなら自分自身も迷い悩んでモヤモヤしているから。誰かに答えを教えてほしいわけではありません。そのモヤモヤを誰かに言えて、おたがいに励まされて許されて、自分で自分の道をまた歩き出したいのだと思います。

エラマはツアーやワークショップをしていて、大きなプログラムの終わりには参加した大人たちが涙を流します。そんなとき、私はいつも場にこんな声が流れているように感じるのです。

「向かっていいんだよ、あなたが幸せだと思う方に進んでいいんだよ」

その言葉が、私を覆っていたスペシャルにギラギラな幸せを溶かして、内にあったまだ頼りなくも柔らかい光を育ててくれました。

エラマには幸せのお手本がありません。エッセンスは紹介するけれど、5人もいる講師は個性豊かにバラバラで「これが絶対の正解!」という方法を教えるわけでもありません。

だからこそ、あなた自身もまだ認められないような「あなたなりの幸せ」も「幸せ」として大事にしてくれるのだと思います。

もしエラマで出会えたら、私もあなたの幸せを大切にしたいし、私もまたあなたが認めてくれたことで励まされるのでしょう。

悩みながら歩くまぶしいあなたへ

幸せがる1日をやってみて、世の中がお手本とする「幸せ」がどれだけ自分に染みついているかがわかりました。誰かのためのお手本は私を幸せにはしてくれないことも。

私はまだまだ覆われて固まってばかり。でも、スペシャルな宝石のような幸せを待ちわびるより、手の中にある原石を磨く日々を気に入っています。

ずっと幸せを探し続けるあなたは、新しい方向に向かう気持ちを認めてあげるときなのかもしれません。それは怖さとの闘いですぐに決断はできないし時間もかかるでしょう。

でも、きっと不毛に「自分なりの幸せ」を探しまわらなくてよくなります。だってもう幸せはあなたの内にあって、認めてもらうのを待っているだけだから。

他人のお手本に幸せを探すのはやめましょう。

自分の幸せに気づいてるなら認めて陽の目を見せてあげましょう。

悩むのはあなたが人生に真摯だから。

いつの日か歩きはじめるあなたがとてもまぶしいです。

text by ひらふく

ふと、自分を振り返ってみたくなる機会はありませんか?

こんにちは、どさんこRUNAです!

親戚が小学校を卒業し、中学生になった今年、自分が小学生や中学生の時に夢中だったことは何だっけ?どんなことを楽しみに過ごしていたっけ?と思い返すことがありました。

自分を振り返る時、私は「日記」を見ています。

「1年前のこの日」というタイトルで、1年前の今日をビデオにしてくれるスマホのおかげで、自ら残す作業をしなくても、スマホが日々の記憶を管理してくれる時代です。

何の会話をしていたのかは、トーク履歴で、自分や社会にどんな出来事があったのかは写真やメモ機能、Webサイトで確認できる便利な現代で、私が「日記」にこだわる理由をお話しします。

「日記の中の自分」と話す理由

人は、1日の中でたくさんの役割をこなしています。

ある人の毎日では、母として、パートナーとして、会社員として、友人として、ママ友として、近所の人として…

慌ただしく日々が過ぎ去っていく中で、誰もが色んな側面の役割を果たしていると思います。

多面的な自分が所々でがんばっているはずなのに、ネット上には止めどなく「同年代の芸能人のキラキラした生活」、「いいパートナー像」、「理想の暮らし」などが発信されています。特に探していないのに目に飛び込んでくると、何気なく他者の生活と自分とを比べて努力が足りないのではないかと不安や心配が生まれてしまうのです。

ネットが提示する「理想の幸せのカタチ」は、自分じゃない世間の期待や意見で作られているものです。その幸せなカタチを目にする機会が多いので、みんなそう”している”んだと、それが”ある”から幸せなんだと思い込んでいるのかもしれません。

なぜなら、自分で幸せのカタチを生み出すよりも、すでにある幸せの共通認識に当てはめて自分の幸せをはかる方が”わかりやすい”からです。

そのわかりやすさがネットの中には溢れています。

だから、スマホから離れて、「日記の中の自分」と話すことにしたのです。

スマホでも日記は書けます。

ですが、予定アプリで何をしたかを管理したり、スマホのメモに日々のことをメモしたりしていると、ピコンの通知とともに誰かの発信やニュースに目がいき、自分が考えていたことを忘れて、ネットの中に入り込んでしまうことがあります。

日記を書くのは自分しかいなくて、それを読むのも自分しかいない。

他者が立ち入ることもなく、他者と比較することもない。

そういった場が必要だと思うのです。

将来どのようなことをしたい?

大きくなったら、何になりたい?

何かを”する”、何かに”なる”ことを求められる世の中で、ただ「ある」だけでいい場が日記だと思うのです。

何をしたか、何もしなかったか、何が嫌だったか、何が嬉しかったか。

ただ「ある」だけの自分でも、色んな面を生きていて、それを実感できる。

日記を書いていくことで、色んな自分を知ることができます。

自分の言葉が生み出される場所

私は、自分の言葉で話す人に憧れを抱きます。

周りにいるそんな人たちには、日記を書いているという共通点がありました。

部活時代の物知りな恩師は、まめに日記を書いている人でした。部活用の日記帳があって、そこに何をしたかや何を伝えたいかをまとめていると言っていました。中身は見ていませんが、分厚い日記帳でした。

部活生にも部活日記としてノートを配り、たまに提出があって、たくさんコメントをしてくれました。ある時、「みんなが求めている言葉を話しているから、自分の言葉で話しなさい」そうコメントされた時がありました。

どうしたらいいか分からず悩んでいると、「自分」がないと「自分の言葉」で話せないから、日記にチームとしてではなくて、自分として何を思ったか書きなさいと言われました。

しっかりした言葉や立派なことを言わなければと思えば思うほど、中身のない浅い言葉を言っている自分に気づきました。

きっちりしたことはカタチになりやすいですが、その反対はなんだろう?そう考えた時に思い浮かんだのが、曖昧で言葉にならないモヤモヤしたものでした。

モヤモヤした感情は、カタチのないものなので、向き合うことも、カタチにすることも難しいです。でも、そのモヤモヤした感情こそ、自分しか感じられない大切なものだと気づいたのです。

また、じいちゃんも日記を書く人でした。

〇〇年に自分はこんなことをしていて、日本の状況はこうだった。

このように自分の出来事と、社会情勢を関連付けて覚えていました。

ある時、何かについて「ひどいよね」と話していると、「誰がそう思ったのか?」と問われたことがありました。その時、聞いてくれる人も同じ感情だと勝手に想像し、自分がどう思ったかを話していないと気づきました。

「〇〇ってひどいよね?」

このように何かを話す時、同じことを感じていると思い、無意識に同意を求めてしまうのは、他者の視点で話しているからで、そこに「自分がない」ということかもしれない。

「自分は〇〇についてひどいと思う」が言えるのは、自分の言葉がある、「自分がある」からこそだと思いました。

曖昧な言葉ばかり選んでしまいがちな会話という場では難しいですが、日記という場では自分の言葉で話す練習ができると思うのです。なぜなら、そこに他者の存在はなく、自分の考えを知ろうとするのも、わかってもらおうとするのも自分しかいないからです。

月日が経ち、記憶力が悪くなっても、家に行くたび、孫とひ孫の名前を全部書いてほしいと言って日記を渡してくれました。私が書いた文字を見て、言葉に出す姿は、忘れないようにと自分に言い聞かせているようでした。

亡くなったじいちゃんの日記には、よく歌っていた曲の歌詞や孫たちの名前が書いてあり、大事なものを忘れないように残す姿を感じました。

日記の中で、その人が生きていることを知った瞬間でした。

どんな自分も「いてよし!」

日記にこだわるのは、自分なりの幸せを見つけられるかもしれない、自分の言葉で話せるようになるかもしれないと思っているからです。

今も、その道半ばですが、そういった目標に進むためだけでなく、心配性な自分をただただ許してほしいという不完全な自分を記す場にもなっています。

私は、友人たちに本当に不安症だね、心配性だね、すんごいネガティブだねと称されます。

こういった私の性格はマイナスで治すべきものとして指摘してもらう機会が多いですが、そんな自分がいるおかげで気づくこと、学ぶこともあります。

きっと共通認識の幸せのカタチを知っているのに、そのカタチに溶け込めない自分、そして溶け込まないといけないと思っている自分が「どうしようどうしよう」と不安を煽っているのだと思います。

「歴史は強者によって作られる」と言いますが、自己啓発本もエッセイも、うまくいった話が多い気がします。それらの本によって助けられることもありますが、別の物語が必要な場合もあります。

とことん失敗していること、笑顔になれない日々のこと、大人と言われる年齢だけど全く大人になれていないこと…。様々な自分の不完全さを日記に記録することで、自分にとって必要な別の物語が生まれると思うのです。

日記だから私の中にしか残らない。でも、それは無駄なものではないと思っています。

ダメダメな自分、イケイケな自分、さまざまな面を持つ自分。

どれも本当の自分で、色んな自分が毎日何かを感じて考えている。

日記を読む未来の自分という読者は、この自分をどう思うだろうか。

自分の色々な側面と日記で向き合うことで、他者にも1つではない様々な側面を持っていると想像することができる。きっと、色んな自分がいるおかげで、白と黒だけでなく、日々に彩りを添えてくれる存在に目を向けることができるのだと思うのです。

自分の言葉で様々な面を持つ自分と対話し、自分の幸せのカタチを形成していく。そうすることで、遠くにいる他者や、その生活を想像する力を養えることができるのが日記が持つ力だと思います。

「いてよし!」

彩りはたくさんあっていいんだと思える日記生活をこれからも続けていこうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Text by どさんこRUNA

初めまして!majakka(マヤッカ)です。

この度、エラマライターとしてデビューしました!

これからみなさんと一緒に「わたし」の豊かで幸せな生き方について考え、毎日がちょっと幸せになったら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

今日は初めましてなのでわたしについて、そしてわたしが今一番考えている「自分らしい豊かな生き方」をお話しさせてください。

「このままでいいのだろうか」がはじまりだった

わたしは現在、26才のときにアルバイトから始めたカフェチェーンで働いています。

アルバイトを5年経験したのち、社員登用制度で社員となり、現在は店長として働いています。

アルバイト時代を含めると23年目になります。

23年勤務しているわたしですが、このカフェで働くまではケーキ屋、本屋、歯科助手などのアルバイトやデータ入力の派遣など、定職につかず仕事をコロコロと変えていました。

わたしはコツコツとなにかを長く続けることが苦手、責任を持つことから逃げていると感じながら、自分に自信を持てない時期が長くありました。

そんなわたしが今、同じ会社に23年も勤めていることにびっくりしています!

アルバイトを始めたのは新規オープンの店舗で、一緒に入社した同僚たちと励ましあい、助け合ってお客様へ気持ちの良い空間やサービスを提供することに、とてもやりがいを感じていました。「こんなに楽しいアルバイト初めてだ!お給料をもらっていいのかな!?」と思うくらい毎日働くことがとても楽しかったのを覚えています。

それに加えて、都度ステップアップできる環境がありました。ただ働くだけではなく、仲間と切磋琢磨しながらともに成長していくことができました。

と、カッコよく書きましたが、わたしは同僚のなかでは年上の存在ながら大学生の同僚に先を越されることも多々あり、成長の遅い自分を恥ずかしく思うこともありました。

「やっぱり、わたしは責任のある仕事に携わることは難しいんだ。そろそろ辞めようかな…」と逃げだしたくなることもたくさんありました。

でも、そう思う度に、同僚や先輩が話を聴いてくれて思いとどまることができ、今の自分があります。

この職場で、はじめて仕事のやりがいと仲間との温かい絆を感じることができました。

そう感じられたから今までがんばってこれたのだと思います。

そして今も変わらない想いを持って働いている反面、40才になった頃から心身に変化が起きはじめました。

ヘルニアを発症してしまったり、更年期障害の症状が出始めたりと、30代までのように「なんとかなる精神」でがむしゃらに働くことができなくなってきました。

それでも自分の変化に意識を向けることなくどうにか働いていましたが、以前から体調に不安があった母親も歳を重ね、母親のことも気になりはじめました。

今振り返ると、自分のことを過信していたり、先のことを考えることから逃げていたのだと思います。

「わたしはこのままでいいのだろうか?」と不安な気持ちが続き、「豊かな日々」「幸せな生き方」「Wellbeing」などと検索するように。フィンランドが以前から好きだったので「フィンランド」でも何気なくネットで検索していたときにこのメディアの運営母体であるエラマプロジェクトのサイトを見つけました。

エラマプロジェクトが大切にしている「わたし」の幸せで豊かな生き方や、歳を重ねて体調に変化があっても幸せに過ごす方法を知りたいと思ったのです。

そして2年前にエラマの学校のイベントに、昨年はフィンランドツアーに参加しました。

わたしの知りたかった「幸せで豊かに生きる」ヒントをたくさんもらいました。

(※今年もフィンランドツアーが開催されます!詳しくはこちら

ツアー参加者の職業や年齢、今まで生きてきた過程などはさまざま。お一人お一人、悩みやモヤモヤがあったり、何か行動を起こしたいという想いを持っていらっしゃるように感じ、自分だけじゃないんだと安心しました。同時に、「今までわたしは小さな世界で過ごしていたんだ。世界は広い、もっと自由に過ごし、行動を起こして、ワクワクしていきたい!」という気持ちがムクムクと湧き出てきました。

そして、ツアーにはこの「よむエラマ」の編集長さんも参加しており、そこでの出会いをきっかけに「ライター養成講座」に参加して今に至るのです。

わたしは小さいころから日記を書くことが好きだったので、ライターという仕事に憧れを持っていましたが、「わたしなんかがライターになれるはずない」とチャレンジする前から諦めていたことを思い出します。

このような経緯で、今日初めてライターとして原稿に向かっています。

以前の、身体と心の変化に不安を抱えていたわたしのままだったら「ライターmajakka」にチャレンジできていなかったと思います。

「幸せで豊かな生き方」を少しづつ学び、自分から行動できたことは「心」の豊かさにつながったと感じるのです(まだまだ身体の不調は続いていますが…)。

私が思う「自分らしく」「ありのまま」で心地よく生きていくヒント

年を重ね心身の変化が起きてから、「自分らしく幸せで豊かに生きる」ことを自分なりに考え、行動してきました。

そのヒントは、以下のようなものです。

①自分のことを良く知ること

自分のことを振り返ることはとても勇気がいることだと思います。わたしもそうです。今でも向き合えていないこともあります。

自分のことはわかっているつもりでも、あらためてゆっくり思い巡らせてみると、自分がどんなことでウキウキワクワクするのかと新しい発見ができます。

すると、もやもやするときに自分の「ワクワク」を思いだし、少し前向きになれたりします。

そして、少しずつ前向きになって元気なときに、思い出したくないことには向き合うようにする。そうやって少しずつ向き合えたら、辛い経験も自分にしか体験できなかったことと気づけて、貴重な強みになるかもしれないですよね。

②やらなければいけない!という思いを減らしながら行動する

自分らしく過ごすために意識していることのはずが、やると決めたら毎日!などと「to do」に追われてしまうようになることがあります。

そんなときは「今日はいいんじゃない?」「今は色々考えたい気持ちだ!」と自分と向き合いながら、行動することを意識しています。

自分のペースで「あ、今少し向き合えるかも?」と思う瞬間に少しづつ、ノートや、パソコン、スマホでも、または頭のなかでも考えていこうと自分に言い聞かせています。

とはいえ、ここ何年も、体調のことを考えておかし(ポテトチップスとアイスクリームが大好きです)を食べすぎないようにと毎日心に決めるのですが、ついつい食べ過ぎてしまいます…。どうしたらいいのでしょうか…。

本当に自分は意志が弱いなぁと悲しくなりますが、少しづつ自分と向き合って頑張っていきたいと思っている最中です…。

わたしはなぜmajakkaになったのか

majakkaとはフィンランド語で「灯台」という意味です。最後に、なぜこのライターネームにしたのかをお話させてください。

エラマプロジェクトの「ライター養成講座」では、自分の人生を振り返るワークがありました。

そこで私は楽しかったことも、辛く悲しい思い出とも向き合いました。自分で振り返るだけではなく、ペアになってお互いの人生を語り合い、共有します。わたしは今までの人生に自信を持っていなかったので恥ずかしかったのですが、お相手はじっくり聴いてくださり、こんな言葉をくれました。

「歩むスピードはゆっくりでも、店長として働いている話しをしている表情は、生き生きとしている」

「責任をもって人生を歩んでいくことが大切な価値観だと感じるよ」

びっくりしました!

ただなんとなく「楽しく過ごしたい」だけでなく、わたしは「責任」を持って生きていくことに「豊かな幸せ」を感じるんだと、新しい発見ができたのです。

そして、相手の方はこうも言ってくださいました。

「あなたの人生の話を聴いて浮かんだイメージは、波止場や灯台。カモメのように羽ばたいていくというより、様々な人たちが安心できるようにどしっと腰を据えて見守るような」と。

この「灯台」というイメージがわたしのなかでもとてもフィットし、「一人の人間として、また、店長としてもそのような存在でありたい。お客様にも一緒に働く仲間にとっても安心してくつろげて、少しワクワクしていただきたい」と実感できました。

これが、ライターmajakkaの由来です。

日々うまくいったりいかなかったりの繰り返しですが、自分と対話しながら、焦らずに「自分らしく、心地よく」そして「チャレンジ」して過ごしていきたいと思います。

そして、一緒に過ごしてくれる家族や友人、仲間に感謝しながら。

みなさんはどのように、「わたし」の豊かで幸せな生き方を探していますか?

みなさんと一緒にこれから探していきたいです。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

これから、どうぞよろしくお願いします!
Text by majakka(マヤッカ Wellbeing探求人)

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

私にとって4月は、自分の人生で絶対に忘れられない大切な人との別れの月です。その別れは、生き方について改めて考えさせてくれるものです。

長くなりますが、どうぞお付き合いください。

母の姉

4月に思い出すのは、母の姉のことです。

私が子どもの頃は家が近くて、いとことも年齢が近かったこともあって、お盆やお正月に限らず、祖母の家に集まったり、一緒にご飯を食べに行ったり、幼稚園の運動会に来てくれたりするような濃い親戚付き合いをしていました。

伯母はいつも明るくパワフルで、地域の人とバレーボールやボーリングを楽しみ、気が強くてめっちゃ怖いけど、でも同じぐらい優しくて、多くの人から慕われて、PTAとか頼まれちゃう典型的な姉御肌タイプの人でした。

対照的に、私の母はヒステリックでネガティブ思考で、子どもの頃はそんな母が嫌で、「なんで私は伯母の子どもじゃないんだろう」といつも思ってました。

彼女は旦那さんの転勤で広島へ行ってしまいましたが、その後も手紙のやりとりをしていて、それも秘密の関係みたいで楽しかったのを覚えています。そうやって二十歳ぐらいまでの私を支えてくれた人でした。

そんな彼女は20年ほど前に亡くなりました。すい臓がんで手術ができず、余命3年ぐらいと言われている、というショッキングな報告でした。

その後、彼女はできる限り仕事を続け、ボーリングを楽しみ、新婚の頃に住んでいた街を訪ね、お世話になった人たちに会いに行き、祖母やうちの家族にも会いに来て、3年ぐらいは本当に病気なのかと疑うぐらいの元気さを見せていました。

しかし3年を過ぎたころ、やはり病気が進行して入退院を繰り返すようになりました。モルヒネの量が増えた頃には、ひどい言葉を言うこともあると、伯父さんが話していました。

2003年4月、私たち家族が会いに行った時、私は伯母と病室で2人きりになった時がありました。そのとき、彼女が私の方へ手を伸ばしてきたような気がしたのですが、私は怖くて彼女の手を掴むことができませんでした。

どうするのがいいのかパニックになり、掴むべきだとわかっていながらも、細い手を掴んでしまったら自分が泣いてしまうことも想像がついたからです。

その2日後、彼女はあちらの世界へ飛び立っていきました。

彼女の訃報を聞いた時、「私はなぜ彼女の手を取らなかったのか」と考えずにはいられませんでした。

人生最大の後悔から20年

私はあの時、本当に怖かったんだと思います。

「いつ亡くなってもおかしくない、彼女はとてもがんばっている」と伝えられた状態で、私はもちろん、私の母も父も、伯父さんも、そしておそらく本人も、ぎりぎりの状態で気持ちを保っている所に、自分が泣くことで、みんなの気持ちの均衡を崩してしまうことがなによりも怖かった。

もちろん、自分が彼女の命が短いことを肌で感じるのも怖かった。そんなこともあって、手を伸ばせなかったのだと思います。

伯母が亡くなって20年経ちますが、私は今でも、彼女の手を取らなかったことを後悔しています。「手を取らなかったことを、彼女は許してくれているのだろうか」と、ことあるごとに悩みました。

毎年4月に振り返ること

伯母が亡くなったあと、彼女の骨を拾う時に、不謹慎ながらも思ったんです。

「こうやって骨になっちゃう前に、やりたいことやって、行きたい所に行って、食べたいもの食べて、おもしろおかしく生きる!」と。

私の人生には彼女にしてもらったことがたくさんありました。

私を支えてくれた本当に大切な存在だったのに、ありがとうも伝えられなかった。「また会いたい」という気持ちを、都合よく希望にすり替えて、「また会える」と思ってしまった。彼女の命が長くないことをわかっていたのに先延ばしにしてしまった。

「ありがとう」と言ってしまったら、最後の別れになってしまいそうで怖かったのは正直ありました。でも、そんなに切羽詰まる前に伝えておくべきだったんです。

だから私は、伯母が亡くなって以来いつも4月に、自分があのとき骨を拾いながら決意したように生きられているかを確認しています。

そして、病室での後悔も一緒に思い出して、どんなに怖くても、伸ばされた手を掴むべき時に掴む勇気や覚悟があるかどうか、それから、大切な人たちに感謝を出し惜しみしていないか、振り返っています。

後悔するのは、伯母の時だけでもう充分。「あの時、ああしていれば」と後悔したくないんです。

私は、この後悔を克服したり乗り越えたりしたいとは思っていません。それよりも「前向きな後悔」にして、一生抱えて生きたいと思っています。

人生最大の後悔を、前向きに生きるきっかけやモチベーションにすることが、なによりも伯母への供養になると思うから。

みなさんも「前向きな後悔」に捉え直すことができる後悔はありませんか?

Text by ひらみん(普通の会社員)

皆さん、こんにちは。ライフコーチとしての歩みを始めたばかりのKangas(カンガス)こと和田直子です。

これまでの人生の半分を会社員として過ごしてきた私が、ライフコーチとしてもっと自由にありのままの自分で生きていく等身大の自分自身を発信していけたらと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

まずはこの「Kangas」という名前から。

「Kangas」は、フィンランド語で「織物」や「布」という意味です。

なぜ、それをライターネームにしたのか。それは私がライフコーチを始めた想いでもあり、実現したい社会のあり方に通じるからです。

今回は自己紹介も兼ねて、私がライフコーチとして独立を決めるまで歩んできた道と葛藤を、そしてKangasに込めた想いを綴ってみたいと思います。

「中途半端な私」

少し幼い頃の記憶に触れさせてください。

幼少期の私を思い出すと、まず一番に蘇ってくるのは、一人遊びが大好きだったこと。部屋中におもちゃや人形を広げて空想の中での日常を展開したり、家具や時計・花瓶などと会話したりもしていました。

親の目を盗んでちょっと悪戯をするときには、いつも話し相手の家具や置物たちに見られている気がしてドキドキしていました(病気の時に薬が嫌で嫌で仕方なく、飲んだふりをしてゴミ箱にそっと捨てたあと、「お願いだからお母さんには言わないで!」と本気で”ゴミ箱さん”に念じていました。笑)。

少し大きくなると、家の前の公園の、大きな楠の木に登ることが楽しみでした。下から見上げるとドキドキするくらいの高さまで登り、枝分かれしているところにもたれながら腰を掛け、ぼーっとすることがお気に入り。小説「赤毛のアン」の主人公、アンと自分を重ねて浸ってみたりもしていました。

そんな私は、中学高校と進む中、いつの間にか、姉のように勉強やスポーツで目立ちたいと思うようになっていました。実は「赤毛のアン」の世界に先に夢中になったのは姉で、私はそれに影響されていたことを思うと、もっと幼い頃から姉をかなり意識していました。

ですが、私は姉のように何事にも集中して取り組むことができず、勉強も運動も姉の成績には及んだことがありません。学校では人気者で後輩からも尊敬されている姉の姿が、私の憧れでもありました。生まれた時から一番近くにいるのに、決して届かない存在が姉でした。

一方で、高校時代に和太鼓に出会い、のめり込みました。そして日本語教師を目指し県外の大学で一人暮らしを始めました。

大学の授業以外で、日本語教師のボランティアや、大将がとにかく厳しかった懐石料理屋でのアルバイトを4年間続け、セミプロ集団の門下生として和太鼓も相変わらず続けていました。

ようやく、姉と比較せず自分の選んだ道に進み始めたという感覚を持てましたが、大学3年生の後半で、授業準備がとにかく大変で自分には向いていない!これを職業として続けることはできない!と日本語教師の道をあきらめました。

そして、やりたいことや得意なことが分からず「中途半端な自分」を常に感じながら始めた就職活動。何十社もの企業にエントリーし、内定の連絡が入らない携帯電話とにらめっこを続ける日々を送っていました。

就職超氷河期と言われていましたが、私には内定先が決まらない理由はそんな社会背景のせいではなく、自分自身だとわかっていました。

リクルートスーツを着て周りと同じ格好をすることにも違和感があり、今思えば”ビジネスカジュアル”で試験や面接に挑み、人事の方に目を付けられたなと感じることも度々。それでも似合わないリクルートスーツを着て行くことに抵抗し続けていました。

誰かと比較して「私は中途半端」と常に自分に自信を持てない一方で、「みんなと一緒は嫌、自分らしさを出したい」ともがいていたことの現れかもしれません。

自分が何者かわからないのに、さらに個性をわからなくするリクルートスーツへの嫌悪感たるや…!!

会社員時代のやりがい

そんな私が、ひょんなことから興味を抱き新卒採用にエントリーし、内定を唯一頂けたのが、その後43歳まで人生の半分を過ごすことになる大手カフェチェーン店を展開する会社です。

会社のミッションと、人事の方々やオフィスのお洒落でオープンな雰囲気は、それまで何社も受けてきたものとは全然違い、とても魅力的で、ここなら私らしく働けるのかも!と感じました。

”ビジネスカジュアル”で最終面接まで進み内定を頂いたときには、「この会社は私そのものを認めてくれた!」という感覚を持てました。

それなのに、私は入社後に店舗勤務になることを大学の友人たちに伝えることが恥ずかしかったのです。自分が働きたい業界が明確でなかったこと、何社も落ち続けて内定をもらえたのが一社のみだったこと、店舗でシフト制で働くことへの抵抗感、これからスーツを着て働く友人たちとエプロンを付けて接客する自分の間に勝手に感じていた格差。

4年制大学を卒業して、専門職に就くかオフィス勤務をすることが、人の目を気にせず過ごせる道だと思いこんでいたのでしょう。いつか本社勤務ができることを希望に持ちながら、でもそれが本当に叶うのか不安を抱きつつ入社しました。

しかし仕事を始めてみると、どのステージ(役職)になっても学びの環境が整っていること、会社が大きくても裁量権を持って店舗運営できること、またライフステージの変化とともに新しく芽生える価値観を仕事の中で体現できることなどからやりがいを感じ、会社へのエンゲージメントも高まっていきました。

いつしか、自分の信念を貫いてチームにビジョンを示し続け、やりたいことにチャレンジし、成果が出始めました。すると社内外に波及するちょっとしたムーブメントとなり、評価されるようになりました。

仲間とともに何度もトライ&エラーを繰り返してきたことが、目に見える形でポジティブな変化を生み、仲間が増えることに喜びを感じていました。

子供時代から自分の中の「こうあるべき」に縛られ、それに到達しない自分自身を「中途半端」とジャッジし続けてきた私が、ビジョンを示し、チームをつくり、形にし続けることができるようになった。

それが社会にとってポジティブな影響力を生み出せたと、自信を持てるようになってきたのです。幼い頃の私が空想の中で描いた幸せな世界を、大人になった私が現実の世界で作り出す喜びを味わえたのかもしれません。

そして、そのような成功体験を持てたことで、まわりの同僚や部下、10代~70代までの店舗アルバイトさんたちにも、もっと自分の個性や才能で、人や社会にポジティブな影響を与えられることを知ってほしいという想いを抱くようになりました。

私から見ると、本当にいろいろな可能性を持つ人々がいるけれど、かつての私がそうだったように、自分や社会の「こうあるべき」に囚われている人、上司や先輩の「正解」を常に探り自分らしく立ち回れない人、称賛されても「自分なんて!」と受け入れられない人、目の前のタスクに追われている人…。そんな人たちをたくさん見てきました。

彼らがもっと自分をオープンにし、自分の中の強みや才能を理解し、仕事の中でそれを表現できるようにしていくこと、それが私が目指す人財育成となっていきました。

一本一本の糸が細くても、違った色でも、そのすべてが必要とされ、しなやかで強い、カラフルな布が織りなされるように、一人ひとりがすでに持つ個性や才能が、優しくも強い、多様性に溢れた社会を作り出すと思うのです。

そう!これこそが、Kangasに込めた私の想いなのです!

「自由」と「ありのまま」を受け入れた先の自分への「信頼」

そのように仕事への情熱を抱く一方で、もっと自分が仕事に誇りを持ちたいという気持ちが大きくなってきました。会社の優先順位を気にせず、自分のやりたいことだけに集中できる仕事をしたいと。

ですが、「私」という人間を社内で認めてもらえても、「この会社の器がなければ、私は何もできない」「会社のブランドの下でしか活躍できるところはない」と感じていることに気付きました。だから、社内で評価され続けなければ自分を満たすことができなくなってもいました。いつもどこか、自信のなさからくる承認欲求があったのです。

そして気づけば二人の子どもたちは思春期真っ只中、巣立ち目前の時期になっていました。シフトで早朝も深夜も働き、世間の長期休暇は必ず仕事の繁忙期で、いつも家族より仕事が優先。本当は子どもたちと一緒にいたい、という気持ちを押し殺して出勤していました。

幼かった我が子たちの姿は霧がかかっているかのような記憶しかありません。「肌身離さず」「手を離さず」「目を離さず」の時期はいつの間にか終わっていて、「心を離さず」が伝わっていることをただただ願いながら、自分の子育てに間違いはなかったと一生懸命信じようとしています。

そんなふうに悶々と悩み、仕事の楽しさと窮屈さに挟まれて過ごしていました。

でも本当は気づいていたのです。

「〇〇会社の私ではなく、私という人間に自信を持ちたい!」

「私がすでに持っているものと経験してきたことを、自分で信じて活かしたい!」

「もっと自由に、ありのままの自分でいたい!」

「もっと家族との時間を持ちたい!」

「子どもたちが巣立つまで、残りの時間を近くで過ごしたい!」

「会社辞めたい!」

私の心はずっと、こんなにも叫んだりつぶやいたりしていたけれど、「私には出来ない」「会社を辞めてお金はどうするの?」と、悩んでは心に蓋をするの繰り返し。そんな日々を3年以上過ごしていました。

コロナが収束し始めた2023年、それまでの色々な制限に、私も知らぬ間に窮屈さを感じていたのでしょうか。思い切り自分の両手両足を自由に開放して羽ばたきたい!そんな想いが急に湧き上がり、それを叶える方法が私にとっては海外旅行でした。

私は何かに取り憑かれたかのように、家族や友人との旅行の計画を立て、自分を開放させていく感覚を得ていきました。それまでの私には信じられないことですが、1年で3回も海外旅行で羽根を伸ばしたのです(もちろん、それだけのお金も羽ばたいていきました~!)。

行きたい時に行ってみたい!を叶えること、非日常に触れて感性が揺さぶられる体験をすることで、私は「自由」でいることを求めているんだと知りました。

旅先で見た、いつも自分らしく立ち回る人々、自分のペースを大事にする人々、自分の好きを堂々とパフォーマンスする人々…。そんな「ありのまま」の姿に惹かれる自分にも気付きました。

「自由」と「ありのまま」。2023年の”海外行きたい病”で気づけた私が大事にしたい価値観です。

中でも、フィンランドのサイマー湖水地方、プンカハリュの大自然の中で過ごした4日間。朝起きたときから夜眠るまで自然の匂いや音に包まれ、自然に触れ、身を委ね、友人と語らったり大笑いしたり、また自分の心と向き合いながら過ごす中、じわじわと心の蓋が外れていく感覚を覚えました。

自分の素直な心の声が全部聞こえてきて、受け入れることが出来たのです。

「そうだよね、そうしたいんだよね」

ずっと前から持っていた答えが私の中から湧き出てきました。

素直な自分の心を受け止めることが出来た安心感は、今までの自分を癒やしていくかのようでした。

もっと自由にしていいよ。ありのままでいいんだよ。もう中途半端じゃないよ。もうすでにいろんなことを持っているよ。だから、自分を信じて!

そう!私に足りなかったものは自分を信じること。自分への「信頼」。

周りの仲間たちには、自分の強みや才能をもっと理解して活かしてほしいと願っていたのに、自分のことを一番信じてあげていられなかった私。

自分への信頼が持てなくて、ずっと追い求めてきた自由とありのままを諦めてきたのか?

私だって、織りなされていく布の一本の糸のはずなのに。

自分なんて中途半端だと、すぐに弱ってほつれてしまう癖があった。

そう気づいたのでした。

ライフコーチへ。私にできる幸せな社会の作り方

自分にとっての大事な価値観「自由」「ありのまま」「信頼」に気づけた私は、会社を卒業する時にこんな気持が湧いてきました。

「ここで得られるものは、すべて得ることが出来た!」

「それが充分すぎるくらい自分のものになっている!」

とっても満足した気持ちでした。21年働いたこの会社で出会えた人、経験、価値観、すべてが今の自分につながり、たくさんのことを学び、考え、行動してきたと実感しています。これからは、それらに出会えたことに感謝し、大事に育み、この先出会う人や社会に還元していこう。そう思えたのです。

そして、これからは、もっと自由にありのままの自分を信頼し、理想の働き方や人生を実現させていこうと。

社会の中の役割に、自分で責任を感じて生きていくこと。それも素晴らしいけれど、自分の素直な気持ちを知って、自分のニーズを満たす人生を送る。そして、自分がすでに持つ個性や才能を活かし誰かをエンパワーする。それができる人々で世界中が溢れていたら。もっともっと、豊かで幸せな社会が広がっていく。私はそう思います。

だから私は、自分で自分の幸せな人生をデザインしていく人々をライフコーチとして応援していきたい。それが、私にできる幸せな社会の作り方です。

一人ひとりの個性と才能が活かされ、しなやかで強く優しい社会を織りなしていけるように。一本一本の糸が編み込まれて、織りなされるKangasのように。

そうは言っても、「自分なんて中途半端」と弱い糸に戻りやすい私の、すぐにほつれてしまう長年の癖。きっとこれからも、何度もほつれてしまうでしょう。でも、これからは早めに自分で自分の糸を繕える気がしています。そんな私の人生のKangasもぜひ楽しみに、これからお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは、またお会いする日まで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強く優しい社会を織りなすライフコーチ)

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家・石原侑美です。2024年の年明け早々に「フィンランドの教育を全部学ぶコース」を開催しました。7年間の研究内容を参加者のみなさんに共有し、講座を終えたわたしが感じたことをあらためて振り返ってみようと思います。

このコースのゴールとは

講座は1月の毎週日曜日の午前中に計4回に渡りオンラインで開催しました。このコースの最大の特徴は、最終的に課題としてフィンランドの先生やコーディネーターのように参加者自身が授業、カリキュラムやプログラムを作って提出するというものでした。

第1回目ではフィンランドの教育について基本的な内容をお伝えし、日本とは違うフィンランドにおける「教育」の定義を体感していただくワークもおこないました。

第2回目は「教育メソッド」、第3回目は「キャリア教育と生涯教育」、第4回目は「教育・教員の学びと評価方法」をテーマにお話しました。

今回の分野は日本語に訳されているものがあまりありません。あったとしても、現場で実践できるレベルのものになると学術的すぎて日本語で学ぶのは困難でした。そこで、例えば第3回目ではPhenomen Based Learning(教科横断型の事象ベース学習のこと。以下、PhBL)の授業をしっかり体験していただきました。

参加者にとってはそれがどんなものかはっきり分からないと思ったので、子どもたちが受ける授業を実際に受けてもらったんですね。

体感してもらったことで腑に落ちる感覚があったかと思います。

参加者は、学校の先生、フリースクールを運営されている方、子どもたち向けの自然体験プログラムを作っている方といった教育的サービスに関わっている人や、習い事のお教室を運営されている方、講座を作るお仕事に携わっている方など、各地からお申し込みをいただきました。

このコースで絶対にお伝えしたかった内容が、3本軸となるPedagogy(ペダゴジー)、PhBL、アントレプレナーシップ教育についてです。

昨年開催した単発の対面講座でもPedagogyについて触れる機会はありましたが、そのときよりもさらに具体的にお伝えしました。また、学術的な内容をわたしなりに編集して授業を作るためのチェックリストを作成し、みなさんに共有しました。

このコースの内容は難易度が高かったと思うのですが、誰もドロップアウトせずに学んでいただけて、学ぶ体力がある人がすごく多かったのが印象的でした。

授業を作るために必要な考え方、基本的なことはお渡しできたかなと思います。

Pedagogy、PhBL、アントレプレナーシップ教育についてご興味が湧いた方は、今後も教育をテーマに単発の入門講座を開催予定ですのでよろしければご参加ください。

※東京:https://elama.be/workshop-event/tokyo202404_education/

※大阪:https://elama.be/workshop-event/osaka202404_education/

フィンランドの教育を日本に導入するのは難しい?

参加者の多くは、現状の日本の教育に対してかなり疑問を持っていらっしゃいました。教育サービスなどのお仕事に直接従事されていない方も問題意識を持っていて、「こういう授業なら受けたかった」といった感想もありました。

現状の教育について疑問を持っているからこそ「こういった内容や方法がいいのでは」とそれぞれお考えになっていたようです。そして今回フィンランドで実践されていることを知り、体験したことで、「答え合わせができた」「励ましをもらった」と話されている方が多かったです。

ご自身が考えていたものとまったく違うという印象は持たれなかったのです。

最後の課題提出については、みなさん現場が違うため内容はもちろん異なるものになりましたが、第1回目に共有したチェックリストに沿ってしっかり授業プランを考えていただきました。またすでに実践されている内容をリストを元にブラッシュアップされている方もいました。

フィンランドの教育が良いと言われるのは、自分で考える力を育む、周りと協力しながらやっていける力を育んでいくといったことを、先駆者的にやっていたからだと思うんです。フィンランドではすごく特別な教育をしているわけではないというのが大事な点なんですよね。

おそらく日本の教育現場でも、これがPedagogyだとかこれがアントレプレナーシップ教育であるとか意識はされていないけれど実際やっていた、みたいなことが実は多かったりするのではないかと思います。

フィンランドの教育を特別視するのではなく、みなさんが望む理想の教育や試行錯誤しながら実践されているものについて答え合わせをするような感覚でフィンランドの教育と向き合っていただくのがよいのではと考えています。

福祉制度が違うから、国が違うからを理由にできないものではなく、やろうと思えばできるんですよね。もちろん制度のせいでやりにくさ、やり易さが出てくるのは間違いないのですが、根本的なところはそんなに変わらないと思うのです。

学ぶ習慣が大切

教育現場におけるより良い実践のために国の制度を変えていくことは必要ですし、そのための働きかけも大事だと思うのですが、わたしたち自身、大人がまず、学びって楽しいなと体感しないと何も変わらない気がします。同時に、学ぶ習慣をつけることがすごく大切だと感じています。

学びというのは図書館に行くことだけではないですし、資格勉強をすることだけでもありません。単純に、今日1日を振り返って感じたことや気づいたことを日記に書くのも十分学びですし、それはPedagogyの定義の中にもあります。「振り返り」も学びのひとつなのです。

もっと軽やかに学びを楽しむのが習慣になるといいなと思います。そして、エラマプロジェクトをやっている理由、フィンランドの教育についてお話をしている理由もそれなのです。

教育の内容はアメリカの分野もありますしヨーロッパの分野もあるのですが、それらは意外と日本語に訳されているものは多くありません。

特にフィンランドのものに関しては本格的な内容のもので日本語版はそんなに多くないんです。

フィンランド教育を研究していく中で、わたしが通訳者となり、今後はさらに言語面だけでなく日本の現場に当てはめるとどうなるかというアイデアを出しやすいような形でお伝えしていくことをやっていきたいと考えています。

それは先生だけではなくて親御さんが立ち上げるサークルでもいいですし、リタイアされた方たちが始めるフリースクール的なものでも、シニア向けのコミュニティでも当てはまります。そういう学びの場やコミュニティをどう運営していくのかにも関係があると思っています。

学びそのものは、学校の中だけで完結しなくなってきていますよね。学校外の人や企業と連携するとか、地元の人に関わってもらうなど、そのコーディネート力もこれからすごく大事になってきます。ですので、みなさんがご自身の活動に落とし込めるように事例や文脈を紹介していきたいです。

今回のコースを終えてみて「学び」の可能性をますます感じました。学びに対するポテンシャルやモチベーションが高い人が多かったというのもあるかもしれませんが、豊かに自分の人生を変えられるのは学びがきっかけになることが多く、自分の人生を描くには学びがベースになるのです。

学んでいるとき、学びを作っているときが大好きだなとあらためて感じました。

このコースを開催した理由も、「仲間が欲しい」というのがどこかにあったんですよね。「学びの場を作っていきたいと思っている、学びの内容もフィンランドの教育で実践されていることをやりたいと思っている人たちと仲間になりたい」。そういう思いがあったんです。

それは直接エラマプロジェクトに関わるのではなくても、つながりを持つという意味でも「仲間」が欲しかったんです。これからもそういう仲間とつながるために、コースをブラッシュアップさせながら続けたいなと思っています。

フィンランドで学びと対話を深める

最後に、参加者の感想も一部ですがご紹介しておきます。

満足度が高かった理由として、

“現時点で他の講座や文献では知り得ないフィンランド教育の手法や考え方を学ぶことができたため。また講座の内容がとてもわかりやすく興味深いものだった”

“私が「教育」に対して思っていた偏見が、意見の一つに変わり、私の中でもっと柔軟に考えていいものという選択肢が生まれたため”

といった感想を記してくださった方もいました。

また、フィンランドの教育では自己評価も採用しており、一方的な評価に偏らないシステムを特に印象に残った点として挙げられている方もいらっしゃいました。フィンランドでも評価方法に関する議論は止んでおらず、参加者のみなさんにも対話していただきました。た。

今回開催したコースは「エラマの学校」のプログラムのひとつです。いつでも自由に気になる学びに参加していただけますので、その他の情報につきましてはこちらからご確認ください。

今年は、フィンランドツアーを3本予定しており、今月末から説明会を実施します。

実際に現地に足を運んでみたいと考えたことがある方は、2024年フィンランド現地スタディプログラムの詳細をぜひご覧ください!

By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!

あくまで個人的な意見ですが、映画は家より映画館で見る方が何倍も楽しく見ることができると思っています。

「個人的な意見ですが」

「個人的に」

私は、集団の中で発言する際に、よく使っていますが、みなさんは、このような言葉をつけて話し始めることはありますか?

さまざまな言葉がある中でも、よく使われるこの前置きフレーズが対話を難しくさせるものになっているかもしれない。

今回は、「個人的な意見ですが」について考えていきたいと思います。

「個人的な意見ですが」は使い勝手が良い?

よく「個人的な意見ですが…」を使う場面を見るのは、組織・団体・役割がある人や、社会的な影響力を持った公人と呼ばれる人が話すときだと思います。

私も、普段は学校という集団に属していますが、影響力もないのに、なぜか「私の意見は」ではなく「個人的な意見ですが」と前置きしていることが多い気がします。

なぜ私たちはこんなに「個人的な意見ですが…」を使ってしまうのでしょう?

その理由を3つ考えてみました。

1つ目は、謙虚な姿勢を示せるからです。

「私は〇〇」の方は”自分自身”を強く主張しているように感じます。

一方で「個人的には〇〇」は自分の考えや立場を集団の中の一部の意見として扱うことで、控えめにしているように思います。

2つ目は、一種の接続詞みたいになっており、使いやすいからです。

「しかしながら」や「ところで」の代わりに「個人的な意見ですが…」は使えます。

個人の視点を前の会話とどのようにつなげるかという接続詞的な役割として重宝されているように思います。

3つ目は、”人それぞれ”であり、「あなたを否定するつもりはない」とういうことを強調できるからです。

このパターンで使われることが、多いのではないでしょうか?

「親的に」、「会社的に」、「男性として」、「女性ならば」など何らかのカテゴリーや規範を持ち出すと、相手を傷つける恐れがあったり、また相手に何かを押し付けたりする可能性も出てきます。しかし、「個人的に」を使うことで、相手を否定するような表現を避けることができ、さまざまな人の考え方や主義・信条を尊重していると伝えることができます。

攻撃されないように、決めつけではないと知ってもらうために、周りにも同じ考えを強いているわけではないとわかってもらうために、この前置きを使っていると感じます。

「ワタシ(私)的には…」が2000年の流行語大賞のトップテンとしてノミネートされました。今と同様に当時も、断定をさけるあいまいな表現として、その時代の若者が使う「ぼかし言葉」が多用されていました。

このように、さまざまな意味を含められる「個人的な意見ですが…」からみえてくるのは、”使いやすい”面だけでなく、逆の”使わざるをえない”状況です。

間違うことを恐れる私たち

「それは違う」と間違いを指摘され、ミスを叩かれる。

私たちの世界は、”間違い”や”ルールと違うこと”にとても厳しい。

ちょうど2年前、私は「正しさ」に基づいた「攻撃」や議論について考えていました。

なぜなら、コロナ以降、自分にとって悪い影響がなくても、マナー違反行為を激しく非難するなど、”正しさ”に過剰反応している風潮がよく見られたからです。

中学生の時、なぜか極寒の北海道でタイツをはくのは禁止という変な決まりがありました。

猛吹雪の中でもスカートに靴下で行かなければならない。

冷えによる体調不良になった私は、そのルールの意味が分からず、隠れてタイツをはいて登校して、先生に見つかりました。

先生は「個人的には寒いのは分かっているんだけど、学校の決まり、伝統だからね」と言って、タイツをはくことを許可してくれませんでした。

私は、この対応がとても印象的な記憶として残っています。

先生は「個人的には」という言葉を使って、組織のなかにいながらも私に対して中立的立場を表していました。でも、タイツがダメな理由はただ「学校という世の中のルールに反しているから」という納得できないものだったのです。

去年、「バスの運転手がサービスエリアでカレーを食べている」というクレームがバス会社に入り、そのバス会社で働いている人がクレームの内容を投稿して注目を集めました。

「クレームをつける方がおかしい」、「バスの運転手の飲食が無礼な行為だ」という意見も見られ、論争が起こりました。

また、救急隊がコンビニなどで買い物をすることについて”いろいろな意見”があるとして理解を求めるお願いを文章で投稿したものもありました。

自分にとって迷惑ではなくても、「みなさんどう思いますか?」と、多くの人が規則を決めた側かのように、世の中的に失礼だと捉えられる人や、ルールを守っていない人など、見つけた「間違い」を議題に挙げようとします。

このように少しでも「間違い」を言ってしまったら、容赦ない追求にあうかもしれない。

そう思うと、攻撃されないための予防線として「個人的な意見ですが…」を使う必要が出てくるのです。

「私」=属性とセットで認識される存在

そして、「個人的な意見ですが…」をよく使うのは、「私の意見は…」を伝えても大丈夫だと感じられる場がないからかもしれません。

本来「私は〇〇だと思います」とはっきり言えることは素晴らしいことですよね。しかしそれができない。そもそも対話を試みている場がどのようなものか見たことがないので、どうやって対話を行うのか分からないと思っている人も少なくないと思います。

討論・会議・議論・話し合いは、どれも違いがあります。しかし、対話とそれらの大きな違いは、対等な立場で話ができるかどうかだと思います。

議論などでは、集団に属しているひとりとして発言する際の暗黙のルール、例えば、意見がまとまっていること、急いで進めること、正しく決めること、勝つこと、結論を出すこと、相手を傷つけたり怒らせたりしないことなど…”しないといけない”、”するべき”みたいなものがあると感じるのです。

私は、中学生から始まる部活など集団行動の中でパワーバランスの存在を見てから、規律や常識、上下関係を優先させた上で話すことが大切だと学びました。

その頃から、集団の中で若輩者が話せる雰囲気ではないと感じ始めたり、発言するのが怖くて言葉に詰まったり、わかっていないのに理解したふりをしたりするようになりました。

なので、私の意見を主張するよりも、「個人的には」を使って、その場では波風を立てないように進めるのを最優先するのです。

また、SNSのプロフィールや投稿で「発言は個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではありません」という一文を目にしたことがあります。

この言葉が必要になる理由は、あらゆる人がその人単体で認識されることはなくて、職場や立場などの属性とセットで認識され、自らもその所属組織の一部であると意識せざるを得ないからです。

自分を集団の中から独立した存在だと思えたら「私の意見は」と言えるのかもしれませんが、私たちは自分が周りとの関係で存在していると認識しているので、「個人的には」を使うべきだと考えてしまうのだと思います。

「私の言葉」を伝えても大丈夫だと思える場

自分の主張を控えめにして、人それぞれであることを強調する「個人的な意見ですが…」が、わかり合うための対話では、逆に使いづらい言葉になると思うのです。

なぜなら、謙虚な姿勢を見せることで逆にえらい人の意見じゃないから気にとめなくても良いという意味にも捉えることができたり、人それぞれと言うとそこで話が終わってしまったりするからです。

ただ自分の想いを話して、相手を見て、言葉を聞いて、本音を交換できる場所のある人が、今どれだけいるのでしょうか?

一時期、「それってあなたの感想ですよね」、「そういうデータあるんですか?」など、他者を言い負かす「論破」という言葉が注目を集めました。スピード勝負で主張し、相手の意見や主観を否定する姿勢をとり、根拠を提示して追い込む。

そんな会話や議論は、メディアで取り上げられ、言葉を交わし合うことがすべて勝ち負けとつながっているように感じさせる様子が、小学生から大人にまで流行しました。

大学生になって議論する時には、「〇〇の観点によると…」、「〇〇氏によれば…」など根拠になるものを示した上で、自分の考えを言うようになりました。

そしてミスが攻められる議論の時こそ、「個人的な意見ですが…」は、間違いかもという心配な部分に保険がかけられるので使いやすいのです。

「間違い」を恐れると、「わからない」を共有することはできません。なぜなら、「わからない」は「負け」すなわち”弱さ”の印の1つだと思われているからです。

勝ち負けという優劣の関係ではなくて、対等な立場で感情や考え、想いを対話して共有する。それは、自分のことや弱さをさらけ出すことなので、すごく怖くて難しいことだと思います。

完全にオリジナルではなくても、言葉が見つからなくても、分かり合えなくても、誰かと対話することで”私の言葉”がつくられるかもしれない。

私の話をしても大丈夫だと思える安心できる場を築けるかもしれない。

周りの誰かが本当の想いを話そうとしてくれた時は、ただ真剣に、共感できても、できなくても最後まで聞いていきたいと思うのです。

そして、たまには「個人的な意見ですが…」ではなくて、「私の意見は…」と、受け取ってくれる誰かがいるかもしれないと思いながら、”私の言葉”をつくっていきたいと思うのです。

なぜなら、”私の言葉”を言える・聞ける居場所があること自体が、私にとって幸せだと感じるからです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

こんにちは!いけかよです。

みなさん、日々ご機嫌に過ごしていますか?

かくいういけかよは、最近けっこうイラッとしています。やってらんねー、と思うことが増えています。

というのも、少し前に新しく受注したお仕事が(いけかよはフリーランスです)、思っていた以上に手がかかり、時間もかかり、結果的に相手とのコミュニケーションに違和感を抱き、やたらとエネルギーが奪われ、こんなフィーじゃやってらんねー(ゲボという状態に陥っているから。

いきなり暴言でごめんなさい!

今回の記事でグチり倒したいわけでは、もちろんありません。

この(ゲボ状態、いけかよは陥ってよかったと思っているんです。

今回は、そんな「お仕事における幸せ」をきっかけに、自分にとっての幸せの輪郭をまたひとつ発見した、というお話。

「嫌や」の気持ち、ありがとう

フリーランスにとって、いきなりお仕事がなくなることはよくあることです。でも、それがあるからこそ新しいことにチャレンジすることができるとも言えます。

しかし、働かなければ生活ができませんから、お仕事が減ったときには新たなお仕事をいろいろ掴みにいくわけですが、会社員のときも含め、20年も社会人をやっていますと「こういうのが自分の強み」「こういう仕事がやりたい」「こういうことはやりたくない」というある程度のものさしはできてくるわけです。

これまでなんどもなんども心身を病みながら仕事をしてきた賜物です。

よって、フリーランスになって「無理ですごめんなさい」と簡単には言いにくくなったことと、仕事内容も働き方も多様になったことで、より真剣に、細かく「自分が本当にやりたくて、かつ、無理しないで続けられる仕事ってどんなことだろう?」と、さまざまな条件からお仕事を吟味するようになりました。

そのへんの考察は、こちらの記事にまとめましたのでよろしければご一読ください。

水が合えば稼げる。働くためにわたしたちが投資する「資本」のマネジメント

そして、その結果ゲットしたこの新しい仕事、少し前に経済的にも心理的にも余裕がなくなってきた頃にやっと掴んだ案件でした。

もちろんほっとしましたし、最初はとても評価していただき、とてもありがたかったのですが、始めて2ヶ月も経った頃にはすでに冒頭のように「うざい、やめたい」となっていました(笑)。

なぜか?

「こういうのは嫌や」と思えたからです。

は?とお思いでしょうか。

もっと詳しく言うならば「『こういうのは嫌や』と思っている自分をはっきりと認めることができた」ということです。

自分のなかの「嫌だ」という感情をしっかりと感じ、認め、自覚したのです。

何言ってるかわからないとお思いでしょうか。

でも、いけかよにとってこれはけっこう大きな変化だなと感じています。

なぜなら、いけかよは元来わりと生真面目で我慢しがちで自己犠牲的な性格であったため、嫌だな、と感じることがあってもそれをねじ伏せて無理してがんばってしまう癖があったからなのです。

その仕事がしんどいとか、相手が苦手だなと思うこと、ネガティブ感情を認めてしまうことがいけかよはすごく怖かったんです。その「嫌だ」「うぜー」という気持ちがどんどん増幅していきそうで。

「『嫌だ』なんて思っちゃいけない」

「『こいつウゼー』なんて思っちゃいけない」

「『しんどい』なんて今だけ、気のせい」

こんな気持ちで心身に鞭打っていれば、そりゃ病むよね、というかんじでしょう?

なので、前述のように、なんどもなんども心身を病みながら仕事をすることになったわけです。

でも、わりとこんなふうに自分のなかのいわゆるネガティブ感情に蓋をする癖がついている人は多いんじゃないでしょうか。

こと、仕事やパートナーシップなど、自分の生活の根幹を成すものならなおさらです。

でも、実際は逆なんですね。

ちゃんとその感情をしっかり感じきってあげること、それこそが楽になることへの第一歩なのです。

ミケランジェロもロダンも言ってる

いけかよは、幸せって彫刻みたいなものかも知れない、と思うのです。

彫刻って、いきなり完成形がそこにあるのではなくて、1つの木片や石を削っていって、なんどもなんども削って、いろんな面から整形していく。そしてある時「やった!完成!」って思ってもそれは全体像の一部に過ぎず、また別の角度からみればまだまだ彫る余地はあって、そっちを彫ったら違う美しいラインが現れて…、という作業の繰り返しが、彫刻という芸術なのではと、想像します。

絵画と違うのは、彫刻はいらない部分を「削っていく」ものであること。絵画のように、絵の具を「塗り重ねる」ものではないのです。

これを人間に置き換えるなら、自分にとって不要なものを削っていくということですね。

そう、「嫌だな」という部分です。

人生において「嫌だな」と思うことを削っていくこと、これが幸せの第一歩なのだといけかよは思うのです。

そのためには、「嫌だな」という気持ちと事象をきっちり受け止めなければならない。彫刻家も、コンマ一秒の世界で不要だと判断した部分がわかったからこそ削っているはずなのですから。

かつてのいけかよは、これができなかったので、なかなか楽になれなかったんですね。

でも、いまは「嫌だ」を昔よりクリアにしっかり受け止めることができます。感じてはいけない感情なんてないのだと知ったからです。

そして、それをしっかり受け止めることで、「じゃあこいつを手放そう」と思うことができるようになったのです。

彫刻の巨匠たちは、異口同音に以下のような言葉を残しています。

どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ。ミケランジェロ

芸術作品はすでに大理石の塊の中にある。
わたしはただ必要のないものを切り落とすだけなのです。
ロダン

これ、「石の塊」を「人間」に、「彫像」「芸術作品」を「幸せ」に言い換えてみるとどうでしょう?

そしてそれを完成させるのはほかでもない彫刻家=自分なんですよね。

生まれてきてからウン十年の間に、いろんなよけいなものを背負い込んでしまったわたしたちは、本来の美しい姿を石の塊のなかに埋め込まれてしまったとも言えるかもしれません。それは、欲とか不安とか世間体とか嫉妬とかの、「エゴ」と言われるもの。もし今、生きづらいとか幸せってなんなのかがわからなくなっている人はきっと、取り急ぎ「削る」作業が必要なのです。

そのためには、しっかりネガティブな気持ちを受けとめ、何が嫌なのかを見極めなければいけません。

削るべき箇所がわからなければ、どんな天才彫刻家も削ることができないからです。

「ウェルビーイング」は彫刻的幸せから考えるとしっくりくる

わたしたちは、いまの自分になにかをプラスすること=絵画的な、塗り重ねることでの幸せを求めがちだけど、それよりも先に必要なのって彫刻的な幸せ=いらないものを削ぎ落としたニュートラルな自分になること、だと思うのです。

絵画的な幸せは、資本主義と親和性が高いかもしれませんね。「もっとこれがあれば幸せになれるのに!」という欲望を刺激される渇望は、潤された瞬間に虚しいものになることが割とあるというのは、このコラムを読んでくださっているあなたであればすんなり腑に落ちてくださるはずです。

(絵画という芸術をディスって彫刻という芸術を賛美しているわけではないですよ、念のため!ここではあくまで比喩表現。いけかよはどっちも大好きです)

いっぽう、昨今叫ばれている「ウェルビーイング」は、彫刻的な幸せに近いと言えます。自分にとって大切なものはなにか?そしてそれのバランスは取れているか?ということがその理論の根幹だからです。

仕事、お金、パートナーシップ、健康、時間…。人間に必要なものはさまざまあれど、どれかが過剰に多くても少なくても人間は病みます。いみじくも、彫刻がきちんとバランスをとってつくられていなければ倒れてしまうことと同じですね。

でも、いまこの「ウェルビーイング」がなんだかよくわからないと思っている人が多い理由は、絵画的な幸せを求める価値観に染まりすぎているからなのかも、といけかよは思うのです。

それは、さまざまな人がいらっしゃることは大前提ですが、これだけ物質的に恵まれていて、今日明日に殺される恐怖もなく、かつ思い切り資本主義の日本では、「なにがあれば幸せになれるのか」という思考になるのも無理はありませんよね。

でも、そうじゃなくて、いまよけいなものを背負いすぎているわたしたちは、視点を変えて彫刻的な幸せを考えてもいいと思うのです。つまり「なにを捨てれば幸せになれるのか」です。

それは、イラッとする会社の上司との関係性かも知れないし、ファンデーションかもしれないし、まったくペイできてないサブスクかもしれないし、楽しくないのに断る言い訳が見つからなくて仕方なく参加する飲み会かもしれないし、義務感にかられてイヤイヤやっている家事かもしれない。

これらの「嫌だ」と思うことを削ることで、自分のより本質的な幸せを発見することができると思うのです。上塗りする絵画的な幸せはその後からでいい。

しかも、素敵なのはこの彫刻的な幸せも変わっていくこと。「見つけた!これが最高のフォルム!」と思っても、いつしかあれ?と違和感が芽生えて、またそこを削り直していくかも知れないのです。

人生において幸せというものが1つの側面だけではないのと同じで、彫刻もいろんな部位があってバランスを保たれて最高傑作になっていく。その途中は、腕はできた、でも足がまだ…、足できた!と思ったら、その足は頭とのバランスが違う気がする…、など、試行錯誤の繰り返し。

人間の幸せで例えたら、「完成!」っていうときはもしかしたらもうこの世にいないかもしれないのですが、どれだけバランスが悪かろうとも、完成から程遠くても、懸命に美しい形をつくろうと試行錯誤すること、それこそが「生きる」ということなんじゃないかと、いけかよは思うのです。

2024年は宿題をがんばる

というわけで、冒頭の話にもどると、いけかよは「うわー。嫌や」と思えたことで、削りたい部分がわかったんですよね。それがすなわち「自分の幸せの輪郭が少し見えた」ということなんです。

まだそのお仕事を完全に手放したわけではないのですが、「嫌や」という感情、そして何が嫌なのかを、しっかり自分と向き合って特定&言語化中です。

そういう意味でいうと、ネガティブな気持ちを与えてくれたこの案件には感謝です。それがわからなければ、自分にとっての幸せには近づけないのだから。

そして同時に、「嫌やな」と思う部分をどうすれば避けながらタスクをこなせるか、ということも考えていける。

つまり、日々、疲れはてていたりモヤモヤしたりイライラすることは実は幸せに近づくためのチャンスなのです。

しかしいかんせん、わたしたちはそういった感情を扱うことが苦手です。つい「臭いものに蓋」戦法や「あいつが悪い」戦法を使いがち。ときには「自分が悪い」戦法も…。

問題はさまざまなので、何が原因なのかはケースバイケース。でも、明らかなのはそのネガティブ感情があなたのなかから湧き出ているということ。

それに向き合うために、このメディアの運営母体であるエラマプロジェクトは日々お仕事をがんばっているあなたに、ご自身の感情と向き合うためのプログラムをご用意しています。

【2024年2月開講】フィンランド式ウェルビーイングコース〜働き方&休み方を描く〜

今年こそはもっと幸せに働きたい!と思われる方は、ぜひご参加くださいね。

お仕事だけでなく、家事や育児、その他のなんらかの「義務」を背負っている人にはヒントになるポイントがたくさんあるはずです。

2024年は、冒頭からおおきな宿題をわたしたち日本人は突きつけられたなぁと感じることがあります。

でも、これも彫刻的幸せ理論で考えることにしました。

「不幸は、自分ではどうしようもないことをどうにかしようとすることから始まる」という主旨のことを、なにかの本で読んだんですよね。ほんとうにその通りだと思うんです。

いろんな出来事に苦しくなったり怒ったり落ち込んだりしていませんか?

災害だけでなく、プライベートなことでも重みは同様です。

まずは、その感情をしっかり味わって受け止めましょう。

そしてその次に考えるべきは、その問題は、あなたがどうにかできることでしょうか?あなたがどうにかすべきでしょうか?

ここで「自分にはどうにもできない」と認めることは逃げではありません。

「自分にはどうにもできない」とわかったら、それは手放しましょう。

そのうえでしっかりと、何がつらいのか?何に怒っているのか?を見つめてください。そして、できればそれを自分から削ぎ落としていきましょう。

この「削ぎ落とす」ことは、わたしたちが自分自身でどうにかできることですよね。

それができてはじめて、あなたがほんとうにすべきこと=「自分の幸せ」を見つけることのスタート地点に立てるんです。

でも、できないなら無理にする必要もないと思うのです。完璧な美しさの彫刻を築き上げることではなく、それを目指すプロセスこそが美しいといけかよは思うから。

そして、ひとりひとりが余計なものを削ぎ落としながら自分の幸せを見つけていくこと、それこそが、わたしたちに課された「宿題」だと思うのです。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)