こんにちは、ライターのpieniです。
現在全国で上映されている映画「小学校 〜それは小さな社会〜」を見られた方はいらっしゃいますか?
私は「関西日本・フィンランド協会」さんのFacebookで、教育大国フィンランドでも大ヒットした映画として紹介されていたのをきっかけにこの映画を知りました。
現在小学1年生の娘の母として奮闘中のわたくし。
とくに今年は4月から10月までの期間、小学校の教室で母子登校(母子で授業に参加する)というちょっぴり貴重な体験をきっかけに、小学校の取り組みや先生、教育にとても興味を持つようになりました。
それもあり、この作品を見に行きました。
この映画を通して、感じたことや考えたことがたくさんあったので、わたしなりのレビューをお届けしたいと思います。
映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」公式サイト
https://shogakko-film.com/
「小学校〜それは小さな社会〜」から生まれた短編版「Instruments of a Beating Heart」で映画の一部を見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=DRW0auOiqm4
6年生になると「日本人」?
映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」は東京都世田谷区の塚戸小学校の1年間に密着し、新1年生の入学から6年生の卒業、そして次年度のスタートまでの学校生活を追った教育ドキュメンタリー映画です。
監督はイギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマさん。
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている。すなわちそれは、小学校が鍵になっているのではないか」との思いを強めた彼女は、日本社会の未来を考える上でも、公立小学校を舞台に映画を撮りたいと思った。
映画「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」公式サイトより
このようなきっかけから、エマ監督は4,000時間にもなる膨大な時間を現場で過ごし、小学校の児童や先生、学校生活そのものを映し出しています。
映画では特に大きな事件が起こるわけでもなければ、特殊な教育プログラムが出てくるわけでもなく、日常の学校生活が年間行事に沿いながら淡々と映し出されます。
しかし児童や先生が、何かアクションを起こしたとき「そのとき何を考えたか」については、本人の話し声やインタビューシーンによって伝わってきます。
また、1年生と6年生に焦点があてられ、小学校生活6年間で子どもたちはどのように変化するのか、どのように「日本人」になるのか、そこに注目して1年生と6年生の対比を描かれているようにも感じました。
映画を見ている最中も、見終わった後もさまざまな感情が沸いてきました。
私の場合は子育て中なので、気が付けばどうしても「母親の気持ち」で見ていました。
1年生の児童が授業中寂しくなったり、できないことを乗り越えなければいけないシーンがあり、つい娘と重ねてしまい涙する。
6年生の先生が卒業する子どもたちに話しかけるシーンがあり、感動で涙。
また、先生自身も己のポリシーを貫くことと、保護者からの声、児童の反応の中で迷いながら1年間の学級運営をされる姿にまた涙…。
このようにさまざまなシーンで、ハンカチとティッシュが必要な作品でした。
そんな状態になりつつも、この映画から小学校について強く感じたことがありました。
大人になった今、あなたは小学校の世界を知っていますか?
小学校。日本では義務教育ということもあり、大人になるまでに多くの人が一度は体験する世界。
しかし、卒業後は学校の先生にならない限り、詳しくその世界を知ることはないのではないでしょうか。
保護者になったとしても、参観日や先生との懇談、運動会や音楽会などのイベント、子どもからの話で知る程度。
PTA役員や、ボランティアなどで関わることがあるかもしれませんが、それでも学校の日常を知ることは難しいと思います。
わたし自身、この後に書く小学校との関わりがなければ、知ることができない世界だったと思います。
この映画は、舞台となった塚戸小学校のすべてが映し出されているわけではないと思いますが、普段は深く知ることができない小学校の「今」を広く世に知らせてくれたと感じています。
映画のポスターやWEBサイトには「いま、小学校を知ることは未来の日本を考えること」というキャッチコピーが掲げてあります。
まずは、小学校の世界を知るということ。そして一人ひとりが考えること。
これこそがこの映画の重要なポイントだと感じています。
映画を企画された監督はもちろん、世界に学校の様子を公開すると決意された塚戸小学校の先生や保護者の方々の勇気に賞賛を送りたいと感じました。
「小学生」そして「日本人」になるということ
ここから、私の体験談も織り交ぜて感想を書きます。
うちの娘は入学時に「学校に行くのが怖い、ひとりでは行けない」という状態でした。
なので学校に慣れるまで母子登校という道を選びました。
母子登校について聞いたり、調べてみると、お母さんは別室や車の中で待機して過ごす、子どもと一緒に図書室など教室とは別室で過ごすなど、いろんなパターンがありました。
うちの場合は子どもの不安が強かったため、しばらく授業も一緒に受けさせてもらえるようお願いしました。
教室の一番後ろに座り、1年生の授業を一緒に受ける日々。
今思うと、毎日が参観日。
小学校を卒業して以来、実に29年ぶりに小学校へ通い、リアルな学校の世界を知ることができました。
保育園児だった子どもたちが入学を機に、集団生活で必要なことを身につけたり、授業として初めて字を習ったり、計算を習う。
時には怒られたり、問題の答えが分からず悔し涙を流しながらも、できるようになる様子や、学校の中で1日1日と段階を踏んで「小学生」になる姿を目の当たりにしました。
たとえば、集団で移動するときは列からはみ出さない、自分の場所をしっかり守る。そうでなければ、学校で迷子になったり、階段から落ちたり危険なこともある。
授業の始まりと終わりにはしっかり挨拶をする。遊ぶときは遊ぶ、時間を守ってけじめをつける。
一見窮屈そうで、特にうちの娘はそういった集団行動が苦手な面はあるのですが、この一番初期の教育を受け、小学生になっていく過程が社会に出たときの基礎的な力になっていると感じたのです。
ひとつ面白いと思った事例があります。
おそらく日本人の多くの人が経験したことがあるであろう「プリント回し」。
プリントを1枚もらったら、自分の分をとって後ろの人に回していくというあれです。
私は気が付いたころには何も考えずに回していましたが、これも1年生の時にやり方を教わっているのだと発見しました。
1年生になってしばらくの間は先生が1枚1枚プリントを配っておられましたが、1か月ほどたち、児童たちが学校生活に慣れ始めたころに練習が始まりました。
「プリントをもったら、自分の分を1枚とりましょう。残りのプリントは後ろを振り向いて、どうぞと声をかけて渡しましょう。もらった人はありがとうと言いましょう。そしてまた後ろの人へプリントを回します」
このように詳しくレクチャーしてから、プリント回しの実践スタート。
はじめはバサッとプリントを全部落とす子もいるし、自分のをとり忘れてしまう子もいる、途中で止まっていることもありました。
しかし、数週間もするとみんなスムーズにプリントを渡せるようになっていき、それが日常となりました。
社会に出てからは、なかなかプリントを回す機会は減りましたが、それでも何らかの集まりに出たときはスムーズに資料を回しています。
気にも留めていなかった行為ですが、このプリント回しのように、社会で生きていく基礎を小学校で教わってきたのだと思います。
映画でも、給食の配膳や掃除、挨拶をする、シューズをそろえる、廊下の進行方向に気を付けて歩くといった基本的なことを教えてもらい取り組むシーンが出てきます。
このような日常生活の基礎を教えることが日本が変わらず取り組んできた、日本の教育だと感じました。
また、作中で6年生が最上級生としての心構えを新学期に言い渡されるシーンがあります。「自分の殻を破れ!」と起業塾などで言われるような言葉をかけられる6年生。
運動会の練習中、なかなか課題をクリアできない子どもたちに向けて再びその言葉が出てきます。「結果ではなく、過程が大事なんだ。目標に向かって殻を破れ!」。
正直、今どきの小学生はそこまで求められるのか!と驚きました。
作中には、最上級生としての姿を見せたり、運動会に向けてできなかったことを自宅でも何回も練習するシーンがあり、先生の言葉を実践している姿が見えました。
娘が通う小学校でも、6年生ってこんなに賢かったっけ?私の時代はもっと適当だった気がする…と思うような姿を見ることがあります。
娘が教室に入れず廊下にいると、すれ違う6年生が面白いことを言って笑わせてくれたり、手を振ってくれたり。母としてもその6年生に何度心を救われたことか。
運動会など全校の活動ではリーダーとして引っ張っていく様子もよくわかりました。
賛否はさまざまあれど、日本人らしい頑張りや集団行動、秩序を守るということは、確かに小学校で基礎がつくられているのかもしれません。
先ほども書きましたが、小学校での生活や教育の様子は、授業参観だけではわかりません。この映画を通して、日本の小学校の世界を知る機会が広がったことは、日本人を知ることや、自分たちがどうやって学んできたのかを振り返るきっかけになると感じています。
見た後に小学校について考えたくなる
この映画の一番の醍醐味は、小学校という多くの人が通る世界を題材にしていることから、映画を見た後に「感情が動く、感想をシェアしたくなる」ことではないでしょうか。
教育関係、暮らし関係のWEBコラムや、個人のブログやnoteなどでも、考察記事やレビュー記事が多いように感じます。
私も、映画を見た友人たちと感想シェア会を行いました。
そこで出た感想を一部ご紹介します。
●1年生も6年生も考えていることが思った以上に大人で驚いた
●子どの頑張りはもちろん、先生たちも悩みながらも一生懸命接してくれてるんだと涙が出た
●責任というキーワードがよく出てきたが、それは子どもにとっては重いと感じた
●自立はしてほしいけれど、責任に押しつぶされてほしくない
●6年生の男の子が「大人になりたくない。だって大変そうだから」というシーンがあった。それは残念だけれど、大人が大人になりたい姿を見せれていないから
先生にもっと心の余裕を持たせてあげたい
●朝早く来て、授業もして、学校活動も担い、事務的な仕事もする。それではゆっくり考える時間もない
●先生ひとりで40人ほどを見るのはかなり負担。ピザ2枚でお腹がいっぱいになれる人数でなければ、チームが大きすぎるという理論(アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスの「ピザ2枚の法則」)を参考にすると、とてもではないけれど運営は難しいと思う
●先生の役割についていろいろ考えることができる。例えば、大学のように授業はその専門の先生にお願いして、担任の先生はファシリテーターや、児童一人一人の様子を見て気づいたことを手助けするなど、全体を見ることに特化してはどうか
●先生が何をしたくて、何を専門にしたくて先生になったかを聞いてみたい
●先生それぞれが、何のプロだと思っているかで学校運営や、役割が変わってきそう
などなど、子どもに関しての感想から、先生へ対しての想いなどさまざまな声が聞けました。
ひとりで映画を見ただけでは気づかなかった「学校の在り方、学校の運営、先生の在り方」などを考える機会になりました。
この映画を見た方が、ほかにはどのような感想を持たれているかとても興味深いです。
また、この映画に関してぜひ読んでいただきたい記事があります。
なぜ「教育大国」フィンランドが、日本の公立小学校に注目するか? ー日本とフィンランドそれぞれのリアルを専門家が語り合うー【オフィシャルレポート】
山崎エマ監督と、フィンランドの教育専門家、日本の教育の専門家、映画に出てくる塚戸小学校の先生とでディスカッションされた時のレポートです。
この記事の中では、フィンランドの教育との比較や、フィンランドの教育専門家が感じた日本の教育のポイントについて書かれています。
また、映画を撮影したエマ監督や教育関係者の願いとして「この映画を通して日本の教育をもう一度考えるきっかけにしたい」といった話が語られています。
この記事の中のエマ監督の話から引用します。
ある小学校のお母さんが、この映画を見た後に泣きながら、「先生たちがこんなにも悩みながら、一生懸命議論しているなんて考えたことがありませんでした」と話してくれました。そして、「自分もこれまで学校に対してあまりプラスになるような行動をしてこなかった。不安が先に立ち、提案もできていなかったけれど、明日から何か行動を起こします」と言ってくれたのです。こうした気づきを持つ人が1人でも増えれば、学校や教員、教育に関わる全ての人たちを、みんなでリフトアップできるのではないかと思っています。
私も、母子登校で小学校を知ったり、この映画を見たことにより、学校に対して何ができるのだろう?と考えるようになりました。
まだ具体的にアクションを起こせてはいませんが、関わりをもつ機会を増やしたり、学校のオープンデーに参加したり、娘が通う学校の取り組みを文章を通じて世に伝えることをしたいです。
日本の学校や教育に関して、ほかの国と比較し自由や選択が少ないという厳しい意見もあります。
またわたし自身も学校にはいいイメージをもっていなかった時期もあります。
もちろん、時代が変わるにつれ学校や教育も変化が必要だとは思いますが、頭ごなしにダメだなどと思うのではなく、映画を見たお母さんがエマ監督に話されたように「学校にプラスになること」それを考え続けたいと強く感じました。
映画「小学校 〜それは小さな社会 〜 」はまだ全国上映中です。(2025年3月現在)
イオンシネマなど大きな映画館での上映も始まっているようですので、小学校の世界を知りたい方はぜひご覧ください!
そして感想を語り合ってもらったり、コメントでいただけると嬉しいです。
エラマの学校もにもぜひ来てみてください
「小学校 〜それは小さな社会 〜 」は日本の教育の話でしたが、このよむエラマを運営するElämäプロジェクトでは、フィンランドの教育や文化から自分の暮らし方を考える・描く「エラマの学校」を開講しています!
全国どこでも、世界のどこでもコースや講座を開講。オンラインでも学べるので、教育に興味がある方はぜひ覗いてみてください。
エラマの学校
https://elama.be/workshop/
丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)
こんにちはpieni(ピエニ)です。
この記事が公開される日はクリスマス。皆さんはどんな一日を過ごしていますか。
日本のクリスマスといえば、イルミネーションや街中に飾られる大きなツリー、クリスマスイベントなど華やかなイメージがあります。
恋人とクリスマスデート、友人や家族とクリスマスパーティー。様々なクリスマスの過ごし方があると思います。
中には平日だし仕事だし特に何もしない、という方や、ほんとは誰かと過ごしたい気持ちの方、反対にパーティーに誘われているけれど、ひとりでゆっくり過ごしたいなど、さまざまな自分の感情が見えてくる日かもしれませんね。
今回はクリスマスってそもそもどんな日?ということや、フィンランドのクリスマスの過ごし方から「わたし(自分自身)はどんなふうに過ごしたいと願っているのか」を見つめてみたいと思います。
そもそもクリスマスとは?
クリスマスとはどのように始まったのか?何の日なのか?
改めて尋ねると「どうだったっけ?」と考えてしまう人もいるのではないでしょうか。
この記事を書くまで、わたしもその一人でした。
クリスマスとは「イエス・キリストが降誕したことを祝う日」です。
イエス・キリストは神の子で、人の姿になって現れ多くの人を救ったとされています。
そのためイエス・キリストがこの世界に生まれてきたことに感謝し、祝う日とされています。
しかし12月25日にイエス・キリストが生まれたわけではありません。
クリスマスがいつから始まったのかは明らかではありませんが、ローマ帝国時代にペルシャから伝わった冬至の祭りが関係していたり、この時期に行われていた農耕の祭りの日にしたなど、クリスマスが12月25日になった理由には諸説あります。
日本のクリスマスについて考えてみた
日本ではじめてのクリスマスは歴史をさかのぼることはるか昔。戦国時代の16世紀なんだとか。
日本を訪れた宣教師達が、現在の山口県にてキリスト教信者を集め、キリスト降誕祭のミサを行ったことが始まりとされています。
その後、江戸幕府の禁教令によりキリスト教は禁止されたため、クリスマスを祝う文化は広まりませんでした。
時は流れて、明治時代。横浜で開業した明治屋が銀座進出とともにクリスマス商品を売り出したことで注目され始めました。
その後、大正天皇の崩御の日が12月25日(1926年・大正15年)であり、12月25日が大正天皇祭(国民の休日)と定められたことにより、クリスマスが普及するきっかけになります。
戦後は、日本特有のクリスマスケーキが誕生したり、デパートでクリスマス商戦が繰り広げられるなどして、日本のクリスマス文化が展開していきました。
もともとはキリスト教の祈りや感謝の時間であったクリスマスのはずですが、日本では商戦としての意味合いが強いように感じます。
また「恋人はサンタクロース」(1980年・松任谷由実)を1982年に松田聖子がカバーしたことにより、クリスマスプレゼントは子どもだけでなく、恋人へ贈るものという新しい流れが生まれ、宗教的な意味より、恋人達の一大イベントへ変化していったという推測もあります。
わたしは20代のころ、クリスマスは一人でいたら孤独、恋人や友人と過ごさなければ、寂しい人というレッテルを貼られるという感覚を持っていました。
「クリぼっち」という言葉も過去には流行ったこともありましたね。
これは、日本でクリスマス文化が広まってきた歴史や背景ゆえの感覚だったのかもしれません。
もしそうであれば、だれと過ごそうが、どのように過ごそうが、一人であっても、日常と変わらないように過ごしても、まったく問題ないなと思えてきます。
フィンランドのクリスマスの過ごし方とは?
それでは、フィンランドのクリスマスはどのような過ごし方なのか。
フィンランドで日本語講師をされていた「たにしきあやこ」さん(現在はフィンランド語講師)にお話を伺いました。
私はヘルシンキのような街にはいなくて、ラハティの森の中でクリスマスを迎えました。
それはそれは静かなクリスマスで、12月の頭を過ぎたら、ホストファザーが森にもみの木を伐採しに行き、クリスマスツリーにして飾りつけを始めます。
(伐採は数本なら許可されていると思います)
クリスマスカードが親戚や友達から届き始めるので(切手もクリスマス限定切手になる)それをツリー下に置いたりしてワクワク感を楽しみます。
子どもがいる家庭はクリスマス前日にプレゼントをツリー下に置き、サンタから届いたプレゼントの開封を楽しみます。
クリスマス料理のメインは豚のハム、付け合わせに人参グラタン。シナモン・カルダモンなどのスパイスを効かせたホットワイン「グロッギ]」、星型のパイ生地の中央にプルーンジャムをのせた「ヨウルトルットゥ」や「ジンジャークッキー」を1週間ぐらい食べ続けます。
とにかく地方も街中もクリスマス当日はキャンドルに火を灯し、家族で静かにお祝いします。
イルミネーションが華々しいのは都会の一部で、森の中に住む戸建てのお家はむしろ灯りは落として、静かに深々と降る雪を見ながらお祝いするイメージです。
このように教えていただきました。
雪が降り積もる静かな景色の中、家族とあたたかなクリスマスを過ごす情景が目の前に浮かぶようでした。
また、日本に来られていたフィンランドの方にお話を伺ったときは、家族と一緒に真夜中のクリスマスミサに出かける習慣があると聞きました。
また、真夜中のミサに行く子どもの気持ちを歌ったクリスマス曲もあると教えてもらいました。
フィンランドのクリスマスの過ごし方を聞き、少し昔(わたしが子どもだった昭和の終わりごろ)の日本の年末やお正月のようだと感じ、懐かしさを覚えました。
祖父の作ったしめ縄を家中に飾り、大晦日は家族そろって年越しそばを食べ、除夜の鐘をつきにいく。お正月はお年玉をもらったり、祖母や母が作ったおせちをしばらくの間食べ続ける。そして近所の神社へ初詣へ行く。
このような日本のお正月の過ごし方と、フィンランドのクリスマスにはなんだか共通点を感じます。
わたしが過ごしたいクリスマスの一日
日本とフィンランドのクリスマスを比較してみましたが、どちらが良いか悪いかの話ではなく、わたし自身はどのように過ごしているかを考えてみました。
今は子どもがまだ幼いので、サンタさんからのプレゼントを用意して家族で過ごす時間にしています。
また、今年は子どもからのリクエストがあり、クリスマスケーキを一緒に作ったり、もらったプレゼントでゆっくりと一緒に遊ぶ約束をしました。
このような過ごし方をしますが、改めて考えてみたところ、ここにプラスしたいことが出てきました。
私の家族はキリスト教徒ではないので、ミサに出かけたりはしませんが、子どもの頃にすごしたお正月のように、どこか遠くへ出かけたり、特別なことをしなくても、まさに今ここで家族で平和に暮らせていることへの感謝を感じてみます。
そしてそれを家族や自分自身へも伝える日にしてみようと思います。
普段から伝えられるといいのですが、ちょっぴり照れくさいのでこの機会に。
クリスマスだけではない日々の過ごし方とは
今回は日本やフィンランドのクリスマスをピックアップして、その過ごし方を問いかけてみましたが「自分自身がどのように過ごしたいか」と考えてみることは、日々の暮らしにも反映できることだと思っています。
・華やかで、ワクワクすることがいっぱいの日々を過ごしたい
・穏やかで落ち着いた静かな日々を過ごしたい
・華やかさもあるし、落ち着きもあるバランスいい日々を過ごしたい
・家族や友人に囲まれた賑やかな日々がいい
・人数は多くなくても、深く付き合える大切な人と日々を分かち合いたい
などなど、百人百様の考え方があると思います。
あなたはどんなクリスマスの1日を過ごしたいですか?誰と一緒に何を感じる時間にしたいですか?
この問いかけを残したいと思います。
このような過ごし方を考える時間も、自分自身を見つめて、幸せに生きるための大切なひと時になります。
この機会にぜひ一度考えてみてくださいね。
Text by 丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)
こんにちは、丹波フィンランド大使pieniです。
最近とても嬉しいことがあるんです。
家の近くに北欧食器を使ったメニューが楽しめるシネマカフェがあるのですが、そこでは北欧映画をたくさん上映してくれるんです。
アイスランドの映画「主婦の学校」、フィンランド映画の「魂のまなざし」、「AALTO」、「ガールピクチャー」、「マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン」など。
数年前に上映された作品もありますが、地方ではなかなか見れなかった作品や、丹波フィンランド大使と名のるほど北欧やフィンランドが好きな私にとっては、とっても幸せなことなのです。
さて、私は映画を見るとしばらくその余韻に浸ったり、作品を自分の生き方と照らし合わせて深く考えることがあります。
今回は、マリメッコの伝説的デザイナーマイヤ・イソラの創作の源について描いた作品「マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン」を見たときに「わたし自身の活動や取り組みの原動力ってなんだろう?」という問いが生まれたので、そこを見つめることにしました。
マイヤ・イソラの創作の源とは?
日本でも人気がある、フィンランドを代表するデザインブランド「マリメッコ」。
そのマリメッコの代表的なデザインである、ケシの花をモチーフとした「Unikko(ウニッコ)」をはじめ、数々のデザインを手がけた伝説的デザイナーが「マイヤ・イソラ」です。
マイヤはマリメッコの成長とともにデザイナーとしての才能を開花させ、活動期間の38年間でなんと500以上のデザインをマリメッコに提供しています。
大胆でカラフルなデザインは時を超えてもなお、暮らしを彩り愛され続けています。
そんなマイヤの創作の源はいったい何だったのか。
マイヤの娘クリスティーナや家族に送った手紙と本人の日記、クリスティーナへのインタビュー、当時の様子が分かるアーカイブ映像や写真をもとに、数々の作品が生まれた背景や、マイヤの創作の源に迫るアート・ドキュメンタリー映画です。
映画は、マイヤ・イソラの生い立ちから始まります。
13歳で一人暮らしを始め、厳しい戦時下(第二次世界大戦)を生き抜き、19歳の時に若くして結婚し、出産。しかしその後離婚。
そして娘を自分の母親に預けてヘルシンキの芸術大学に進学します。
初めての海外旅行先であるノルウェーで見た壺をデザインした作品を、大学のコンテストに出したことがきっかけで、マリメッコの創業者である「アルミ・ラティア」と出会います。そこからマイヤのデザイナーとしての人生が始まりました。
マイヤは創作のために、フィンランド国内にとどまらず、ヨーロッパの国々をはじめ世界中を旅します。
そこでの出会いや見たもの、感じたことを自分の中に落とし込み、エネルギーに変えて創作を続けていました。
旅先から、離れて暮らす娘のクリスティーナにあてた手紙や、日記に書かれた内容から、マイヤは何にも縛られることのない「自由」を愛し、それを実行することで生まれる「情熱」を作品へと昇華していたのだなと感じました。
「Unikko(ウニッコ)」が誕生した話は有名なのでご存じの方も多いかと思いますが、この作品もマイヤの自由を表現する情熱から始まっています。
1964年、マリメッコの創業者アルミは、花はそのままが一番美しいので、ファブリックのモチーフにすることは許可していませんでした。
しかしマイヤは花のデザイン(花シリーズ)を描きアルミに見せます。
そのデザイン達はアルミの心を動かし、中でも「Unikko(ウニッコ)」はマリメッコの代表的なデザインになりました。
ここにはマイヤの自由な創作や、決められた中にはとどまらない!というパッションを感じます。
「愛」から生まれるエネルギーもマイヤの源
マイヤは3回の結婚と離婚を経験しています。作品の中でも恋に悩んでいる手紙を娘に送っているのですが、私も娘を持つ親として「え!それを娘に言っちゃう?娘の心は大丈夫なの?」と勝手に心配になるほど恋多き人生でした。
しかし、その恋愛によって作風が変化するほど、相手への情熱や、怒り・孤独といった感情の起伏さえも彼女の創作の原動力になっていると強く感じました。
作中ではあまり語られてはいないのですが、恋愛とは違う、家族への「愛」も彼女の原動力になっていたのではないでしょうか。
それは世界中を旅するマイヤなので、どうしても娘のクリスティーナとは離れて暮らすことになります。
クリスティーナが子どものころ寂しかったり、マイヤへどんな気持ちを持っていたかは作中には描かれていませんが、大人になったときに母と同じマリメッコのデザイナーになっていることから、マイヤのデザインにかける情熱に共感したり、理解していた部分が多くあったのではないでしょうか。
それは、旅先から送られた数々の手紙の内容からも分かります。
一見、娘をほっておいて自由すぎると感じてしまうようなマイヤの手紙ですが、自身が感じることそのままをクリスティーナへ送り続け、見た世界を手紙を通じて共有することに、娘への深い愛があったように感じます。
クリスティーナの夏休みの課題だった植物採集を手伝う中でも「自然シリーズ」というデザインが生まれているのですが、娘への愛をずっと持ち続けることも、創作の源になっていたのだと思います。
わたしの原動力はどこにある?
マイヤの原動力は、旅をしてそこで感じた物事を自分の中で自由に表現する喜びや、恋愛や家族への愛情から生まれる情熱だったと感じました。
この映画を見て、それぞれ人にはなにかしら人生を動かす原動力があるのだと強く感じたとき、マイヤのように大きな何かを成し遂げようとしているわけではありませんが、自分自身の原動力っていったい何なのだろう?ということを考えるようになりました。
例えば私の場合、フィンランドが好きで、フィンランドの雑貨やお菓子を販売していたり、イベントを開催したりしています。これの原動力は?と考えたとき「共有して一緒に喜んでもらいたい」この想いが私を動かしている事に気が付きました。
自分が好きだと思ったり、いいと思ったものや事柄に対し、ワクワクしたり、ときめいた気持ちをそのまま表現したい。そしてそれに共感してもらい、一緒に楽しんだり、心の中が彩られたり、幸せな気持ちになってほしい。よもや「人生変わったわ!」ぐらいまで感じてもらえるようなことがあれば最高に幸せです。
ある意味究極のエゴのような気もしますが…。でも私はそれを望んでいるから動いているのだと思います。
フィンランドに関わる活動だけでなく、書く仕事も同じ気持ちで、記事を通じて追体験してもらい、そこから各々の心の中を楽しんでもらいたいんです。
「自分の好きを表現して、追体験や共感をしてもらって、一緒に楽しみ幸せになる」
私を突き動かすこの想いを大切に生きていきたいです。
マイヤ・イソラを描いた映画を通じ、彼女の創作の源に触れることで、自分自身の原動力に気が付きました。とっても嬉しい心のギフトをもらったような気分です。
今回、映画から感じた気持ちを見つめてみて「私たちがそれぞれの人生の中で今やっていることには何かしら意味があり、それをするための源がある」と強く感じました。
生きていると嫌なことや困ったこと、放棄してしまいたいと思うことも出てくるのですが、その時に自身の原動力を思い出すと、しぼんだ心が復活したり、または新たな道へと自分の足で進むきっかけになると信じています。
それではここで、最後に問いかけてみます。
「あなたの原動力は何ですか?」
いちど振り返って考えてみてもらえると嬉しいです。
おまけ:Elämäな時間をあなたに!
映画「マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン」に関する書籍があります。
映画のパンフレットとして刊行された本なのですが、マイヤを愛するデザイナーやイラストレーター、エッセイスト、哲学家たちのコラムやメッセージからマイヤの世界観や、創作の原動力について知ることができます。
ちなみに初版特典付きを購入すると、「マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン」をオンライン視聴することもできますよ。
ちょっと立ち止まって自分のことを見つめてみるElämä(エラマ)タイムを一緒に過ごす本としてpieniからのおすすめいたします。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)
こんにちは丹波フィンランド大使のpieni(ピエニ)です。
私は、生まれ育った故郷である兵庫県と京都府にまたがる「丹波」という地域で、フィンランドで見たこと、食べたもの、知ったこと、感じたことなどを伝えたり、体験してもらえるような企画をしています。
そんな丹波フィンランド大使の活動をする中で、欠かせないのが自然と過ごす時間。
フィンランドの森でビルベリー摘みをしたときに「フィンランドでは私有地であっても、節度を守れば誰でも大自然の森に入って、ベリーを摘んだりキノコを採ったりと自然を楽しむことができる自然享受権があるんだよ」と現地の方に教えもらいました。
そんな自然享受権のもと、森で自然を身近に感じ暮らすというフィンランドの人びとの生き方に関心を持ちました。
わたしも幼少期は祖父母に教えてもらいながら、野草を取って食べたり遊んだり、キノコ狩りに行き、お正月には秋に収穫した米の藁でお飾りさんを作っていました。
このように、自然が日々の暮らしの中に当たり前のようにあったのですが、祖父母が亡くなり大人になるにつれ、そんな生活からはどんどんかけ離れていきました。
フィンランドでは大人になっても、自生しているベリーやキノコを採って食べ、サマーコテージへ行き湖で魚を釣り、心と体を休めるために森を散歩をする。
自然を身近に感じる文化が息をするように根付いていることが、とても素晴らしいと感じました。
それと同時に「丹波ならすぐ身近に環境があるんだから出来ることじゃん!まずは自分からやってみよう」そう考えるようになりました。
とはいっても日本の森はフィンランドのなだらかな森とは違って、険しい急斜面や、道に迷うと危険な場所もあり、少し準備や慣れが必要です。
そういったフィンランドの穏やかな森との違いも、日本人が自然から離れてしまうきっかけの一つなのかなと思います。
五感をフル活用!丹波の自然をフィンランドのように感じる
そこで今回は森遊びが得意なガイドさんにお願いして遊んでみました。
テーマは「大人よ!フィンランドのように自然回帰しようぜ!」
滝や山が好きすぎて登山ガイドの資格を取り、丹波だけではなく全国の山や滝を駆け巡る「おタキ」さんのガイドで、近所の里山に登ってみることに。
さらに、麓の野原や川の土手では、フィンランドの自然享受権を体験するかのごとく、野草や山菜を採って自然の恵みをいただきます。
里山は山頂まで約30分の道のり。
登山道があるので安全なのですが、思ったよりも岩がごつごつしていて急斜面。
運動不足のわたしは少し面喰いそうになりましたが、色とりどりの花が咲いたり、芽吹き始めた鮮やかな緑の葉を茂らせる木々に囲まれて、だんだんと心地よく幸せな気持ちになってきました。
山頂付近の展望スポットからの眺望には「あー気持ちいい」と思わず呟いていました。そこには何とも言えぬ爽快感がありました。
下山してからの楽しみは、野草や山菜を調理していただくこと。
フィンランドのように森の中に焚火スポットがあるわけではないので、近くのキャンプ場に移動する必要があるのと、調理のための道具を準備する必要はありましたが、それはお楽しみの範囲内。
スズメノエンドウやカンゾウという野草や、菜の花やシロツメグサを摘んでおいたのでそれを天ぷらにしました。
山菜の女王と名高いコシアブラも登場。
タカノツメという山菜は軽くゆでて刻んでご飯に混ぜる。
ノビルという野草はカットしてピザの上にのっけて焚火で焼く。
豪華な野草&山菜ランチの完成です。
そうそう、忘れてはいけないフィンランドエッセンス!
フィンランド流ソーセージのBBQ「マッカラ」も一緒に体験しましたよ。
サクッとした食感や少し苦みのある山菜、甘みを感じる菜の花や桜の花。
風にそよぐ木々の葉音に、さらさらと流れる川の音と鳥のさえずり。
木々の間からこぼれ落ちる春の光。
五感をフル活用して自然の中で過ごす時をたっぷりと味わいました。
「ほんとに気持ちがいいね」
「なんだかぼーっとしてきた」
「ここで寝てしまいたいね」
「心がスーッとする」
参加メンバーからはこんな感想が聞けました。
自然の中で過ごしてみるととってもリフレッシュすることができました。
「明日からも頑張れそう」という気持ちになったりと、フィンランドに住む方のように森で過ごすというのは、生きるための活力に繋がることを改めて体感しました。
今はまだ「よし行こう!」と意識しないとまだ森へ行けませんが「ちょっと森へ行ってくる。ちょっと森で休んでくる」というように、行きつけの森へ行く習慣ができると、もっと考え方や生き方も変わりそうです。
皆さんもぜひ、少し自分の周りにある自然に足を伸ばしてみませんか?
まずはお散歩からでもいいと思います。
もし周りにそんな自然が無いよというときや、今回のような自然回帰がしたい!と思ってくださった方は、ぜひ丹波までお越しください。森遊びのプロと一緒にナビゲートいたします。
フィンランドのように森で自然と過ごす時間を楽しみましょう!
岐阜・飛騨高山でフィンランド体験イベント開催!
最後に、日本でフィンランドを感じることのできるイベントをご紹介いたします。
エラマプロジェクトでは日本にいながらフィンランドを体験・学べるイベントを全国で開催しています。
エラマプロジェクト代表でありフィンランド生涯教育研究家・石原侑美が2022年夏フィンランドに滞在し見てきたフィンランドの風景、雰囲気、実情、リアルを皆様にお伝えいたします。
7月16日(日)は岐阜県高山市で開催。
フィンランドってどんなところ?という基礎知識から、フィンランドで実践されている人生の描き方をワークショップで学ぶなど、フィンランドを通じて自分の豊かで幸せな生き方を考えるイベントです。
また、フィンランド名物お菓子・シナモンロールを一緒に作る体験もあります。まるでフィンランドで生活しているような体験ができます。
詳しくは【岐阜・飛騨高山開催】フィンランドのライフスタイル体験プログラム〜生き方デザイン、シナモンロール作り〜 をご覧ください。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)
こんにちは!いけかよです!
世の中が動き出した感半端ない昨今、みなさんいかがお過ごしですか?
今年こそはと、旅のご予定を立ててらっしゃる方も多いでしょう。ワクワクしますね!!
ということで、今回はエラマライターズたちにお気に入りの旅先を聞いてみました!旅行ガイドや旅行サイトで情報は溢れまくっていますが、そこには無い?かもしれないこだわりのスポットをご紹介します!
いけかよの推し旅先は「白浜」(和歌山県)
ベタすぎて申し訳ないのですが、いけかよは白浜が大好きです。
ていうか聞いてください!そもそもいけかよは旅行というもの自体がそんなに好きじゃなかったんです。そのいけかよが「ココは良い!」と思ったというのが白浜。
そもそも、白浜はワーケーションのメッカとして近年注目されていて、長期ステイや仕事をするための設備がとても充実しているお宿が目立ちます。
もともとは、夏場の海遊び客がいなくなると街がとても寂しくなってしまうということもあり、そのへんテコ入れしたっぽいのですが。
そんな白浜で、とあるご縁でお世話になったのがゲストリビングMu 南紀白浜。
ワーケーションのためのホテルなので、一般的なホテルで期待するアメニティやルームサービスなどはありません。しかし、多様なワークスペースやとっても広い個室など、「気分を変えて快適に働く」という点においては最高のホテル!
なにより、お部屋からはとってもすてきなオーシャンビューが!!
やばくない?
徒歩5分でビーチなので、朝はもちろんふらっとランチに出かけた際にもちょいとビーチを散歩したり。
夕焼けは夕焼けでやばいよ!
そしてお宿には白浜ならでは!の温泉もついていて言うことなし!
ここはぜひともPC持って最低でも3泊はしてほしいなぁ。
オーナーがとても素敵な人で、宿泊している他のワーケーション客との交流を促してくれたり、地元の人しか絶対知らなさそうなごはん屋さんを教えてくれたり。なので、ホテルというよりもゲストハウスに近いイメージ。
あ、もちろん、海鮮のウマさは保証付きです!!
白浜といえば夏!海!というイメージですが、ぜひオフシーズンでも行っていただきたい。その際には「仕事ですから(( ー`дー´)キリッ」という感じでお願いします!
momoの推し旅先は「中宮寺」(奈良県)
わたしのおすすめは中宮寺の本尊、「菩薩半跏像」です。一番好きな像なのです。
中宮寺は奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2にあります。この半跏思惟像に会うためだけに奈良に行ってみませんか。
国宝なので知っている、観たことあるよという方が多いかもしれません。知らない、思い出せないという方はぜひこちらをご覧ください。
確か中学生の頃だったと思うのですが、教科書に菩薩半跏像の写真が資料として載っていました。一目惚れでした。
今振り返ると、写真だけでそんなに惹かれるなんて……この像の威力をしみじみと感じます。
実際に足を運ぶと一日中観ていたくなります。離れがたくなるんです。どの角度から観てもすばらしく、心がおだやかになります。間近でずっと眺めることができれば最高ですが、訪れる方と譲り合って良い時間にしていただきたいです。
中宮寺には天寿国曼荼羅繍帳もあります。本堂に安置されているものは複製で、実物は奈良国立博物館に寄託されているそうですが、菩薩半跏像に会うのに合わせてぜひこちらもご覧になってみてください。さっと見て帰るのはもったいなく感じるはずです。
1日を中宮寺で過ごすためだけに使う。そんなぜいたくな旅をぜひプランのひとつに入れてみてください!
pieniの推し旅先は「琵琶湖」(滋賀県)
日本一大きい湖「琵琶湖」
学生時代に琵琶湖の近くに住んでいたこともあり、思い出の多い場所だから好きというのもありますが、海とはまた違った落ち着きのある雰囲気が魅力的です。
琵琶湖と一口に言っても楽しみ方はいろいろあります。アメリカミシガン州の船をイメージした、その名も「ミシガン」という客船に載ってクルーズするもよし、湖畔で家族や友人たちとBBQを楽しむもよし、SUPやカヌーなどのアクティビティを楽しむのもよし。
夏は海水浴ならぬ湖水浴もできますよ!
湖を中心に幅広い観光を楽しめます。
食事は近江牛に鴨肉料理、うなぎやビワマスといった湖魚料理、ちょっとチャレンジメニューかも?ですが、鮒ずしなど大人っぽい渋い料理たちが癖になるんです。
温泉も各地にあるのでゆっくり出来ますよ〜!
pieni的琵琶湖の楽しみ方は、やっぱりフィンランドを感じる遊び方。
湖の国フィンランドをどーしても思い出しちゃうんですよね。
フィンランドやスウェーデンの食器でスイーツやコーヒーを楽しめるカフェ「珈琲オッタ」や、湖を眺めながら北欧ヴィンテージ食器にふれることができるショップ&カフェ「vokko」があり、そこでゆっくり過ごすのが幸せな時間なんです。
北欧食器も楽しめる「珈琲オッタ」ブルーベリーケーキと自家焙煎珈琲が絶品!
窓辺の席からは琵琶湖が見えるここちいいカフェ「vokko」
そして海岸ならぬ湖岸を散歩するのがものすごく気持ちいい!
県庁所在地がある大津周辺、カフェやショップなどお洒落な店が並ぶ整備された湖岸もあれば、湖西や湖北と呼ばれる地域の自然そのまんまな湖岸もあり、そのどちらも一日で体験できちゃうちょうどいいコンパクトさも推しポイントです。
いつまでも眺めておきたくなるような広い湖。MotherLakeというキャッチフレーズをもつ琵琶湖はその名の通り母のように、気持ちをゆったり包み込んでくれるような力を感じます。
心のデトックス旅、癒しの旅は琵琶湖がおススメです!
人間の成長は移動距離に比例する(らしい)
いかがでしたか?今回は関西に寄ったセレクトになりましたが、どれも素敵でしょ?
いつだったか、誰かが言っていました。「人間の成長は移動距離に比例する」と。
その真意はどうかわかりませんが、コロナ中に移動を制限されて苦しんだいけかよは、なんとなくそんな気がしています。知らない土地や普段とは違う場所に行くと、心をたくさん使いますよね。そのぶん疲れもするけれど、なんだか感受性を育てているような、そんな気にもなります。
ライターズの推し旅先、この夏の旅プランにぜひ加えてみてください!
Edit by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)