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Elämäプロジェクト

皆さん、こんにちは。ライフコーチとしての歩みを始めたばかりのKangas(カンガス)こと和田直子です。

これまでの人生の半分を会社員として過ごしてきた私が、ライフコーチとしてもっと自由にありのままの自分で生きていく等身大の自分自身を発信していけたらと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

まずはこの「Kangas」という名前から。

「Kangas」は、フィンランド語で「織物」や「布」という意味です。

なぜ、それをライターネームにしたのか。それは私がライフコーチを始めた想いでもあり、実現したい社会のあり方に通じるからです。

今回は自己紹介も兼ねて、私がライフコーチとして独立を決めるまで歩んできた道と葛藤を、そしてKangasに込めた想いを綴ってみたいと思います。

「中途半端な私」

少し幼い頃の記憶に触れさせてください。

幼少期の私を思い出すと、まず一番に蘇ってくるのは、一人遊びが大好きだったこと。部屋中におもちゃや人形を広げて空想の中での日常を展開したり、家具や時計・花瓶などと会話したりもしていました。

親の目を盗んでちょっと悪戯をするときには、いつも話し相手の家具や置物たちに見られている気がしてドキドキしていました(病気の時に薬が嫌で嫌で仕方なく、飲んだふりをしてゴミ箱にそっと捨てたあと、「お願いだからお母さんには言わないで!」と本気で”ゴミ箱さん”に念じていました。笑)。

少し大きくなると、家の前の公園の、大きな楠の木に登ることが楽しみでした。下から見上げるとドキドキするくらいの高さまで登り、枝分かれしているところにもたれながら腰を掛け、ぼーっとすることがお気に入り。小説「赤毛のアン」の主人公、アンと自分を重ねて浸ってみたりもしていました。

そんな私は、中学高校と進む中、いつの間にか、姉のように勉強やスポーツで目立ちたいと思うようになっていました。実は「赤毛のアン」の世界に先に夢中になったのは姉で、私はそれに影響されていたことを思うと、もっと幼い頃から姉をかなり意識していました。

ですが、私は姉のように何事にも集中して取り組むことができず、勉強も運動も姉の成績には及んだことがありません。学校では人気者で後輩からも尊敬されている姉の姿が、私の憧れでもありました。生まれた時から一番近くにいるのに、決して届かない存在が姉でした。

一方で、高校時代に和太鼓に出会い、のめり込みました。そして日本語教師を目指し県外の大学で一人暮らしを始めました。

大学の授業以外で、日本語教師のボランティアや、大将がとにかく厳しかった懐石料理屋でのアルバイトを4年間続け、セミプロ集団の門下生として和太鼓も相変わらず続けていました。

ようやく、姉と比較せず自分の選んだ道に進み始めたという感覚を持てましたが、大学3年生の後半で、授業準備がとにかく大変で自分には向いていない!これを職業として続けることはできない!と日本語教師の道をあきらめました。

そして、やりたいことや得意なことが分からず「中途半端な自分」を常に感じながら始めた就職活動。何十社もの企業にエントリーし、内定の連絡が入らない携帯電話とにらめっこを続ける日々を送っていました。

就職超氷河期と言われていましたが、私には内定先が決まらない理由はそんな社会背景のせいではなく、自分自身だとわかっていました。

リクルートスーツを着て周りと同じ格好をすることにも違和感があり、今思えば”ビジネスカジュアル”で試験や面接に挑み、人事の方に目を付けられたなと感じることも度々。それでも似合わないリクルートスーツを着て行くことに抵抗し続けていました。

誰かと比較して「私は中途半端」と常に自分に自信を持てない一方で、「みんなと一緒は嫌、自分らしさを出したい」ともがいていたことの現れかもしれません。

自分が何者かわからないのに、さらに個性をわからなくするリクルートスーツへの嫌悪感たるや…!!

会社員時代のやりがい

そんな私が、ひょんなことから興味を抱き新卒採用にエントリーし、内定を唯一頂けたのが、その後43歳まで人生の半分を過ごすことになる大手カフェチェーン店を展開する会社です。

会社のミッションと、人事の方々やオフィスのお洒落でオープンな雰囲気は、それまで何社も受けてきたものとは全然違い、とても魅力的で、ここなら私らしく働けるのかも!と感じました。

”ビジネスカジュアル”で最終面接まで進み内定を頂いたときには、「この会社は私そのものを認めてくれた!」という感覚を持てました。

それなのに、私は入社後に店舗勤務になることを大学の友人たちに伝えることが恥ずかしかったのです。自分が働きたい業界が明確でなかったこと、何社も落ち続けて内定をもらえたのが一社のみだったこと、店舗でシフト制で働くことへの抵抗感、これからスーツを着て働く友人たちとエプロンを付けて接客する自分の間に勝手に感じていた格差。

4年制大学を卒業して、専門職に就くかオフィス勤務をすることが、人の目を気にせず過ごせる道だと思いこんでいたのでしょう。いつか本社勤務ができることを希望に持ちながら、でもそれが本当に叶うのか不安を抱きつつ入社しました。

しかし仕事を始めてみると、どのステージ(役職)になっても学びの環境が整っていること、会社が大きくても裁量権を持って店舗運営できること、またライフステージの変化とともに新しく芽生える価値観を仕事の中で体現できることなどからやりがいを感じ、会社へのエンゲージメントも高まっていきました。

いつしか、自分の信念を貫いてチームにビジョンを示し続け、やりたいことにチャレンジし、成果が出始めました。すると社内外に波及するちょっとしたムーブメントとなり、評価されるようになりました。

仲間とともに何度もトライ&エラーを繰り返してきたことが、目に見える形でポジティブな変化を生み、仲間が増えることに喜びを感じていました。

子供時代から自分の中の「こうあるべき」に縛られ、それに到達しない自分自身を「中途半端」とジャッジし続けてきた私が、ビジョンを示し、チームをつくり、形にし続けることができるようになった。

それが社会にとってポジティブな影響力を生み出せたと、自信を持てるようになってきたのです。幼い頃の私が空想の中で描いた幸せな世界を、大人になった私が現実の世界で作り出す喜びを味わえたのかもしれません。

そして、そのような成功体験を持てたことで、まわりの同僚や部下、10代~70代までの店舗アルバイトさんたちにも、もっと自分の個性や才能で、人や社会にポジティブな影響を与えられることを知ってほしいという想いを抱くようになりました。

私から見ると、本当にいろいろな可能性を持つ人々がいるけれど、かつての私がそうだったように、自分や社会の「こうあるべき」に囚われている人、上司や先輩の「正解」を常に探り自分らしく立ち回れない人、称賛されても「自分なんて!」と受け入れられない人、目の前のタスクに追われている人…。そんな人たちをたくさん見てきました。

彼らがもっと自分をオープンにし、自分の中の強みや才能を理解し、仕事の中でそれを表現できるようにしていくこと、それが私が目指す人財育成となっていきました。

一本一本の糸が細くても、違った色でも、そのすべてが必要とされ、しなやかで強い、カラフルな布が織りなされるように、一人ひとりがすでに持つ個性や才能が、優しくも強い、多様性に溢れた社会を作り出すと思うのです。

そう!これこそが、Kangasに込めた私の想いなのです!

「自由」と「ありのまま」を受け入れた先の自分への「信頼」

そのように仕事への情熱を抱く一方で、もっと自分が仕事に誇りを持ちたいという気持ちが大きくなってきました。会社の優先順位を気にせず、自分のやりたいことだけに集中できる仕事をしたいと。

ですが、「私」という人間を社内で認めてもらえても、「この会社の器がなければ、私は何もできない」「会社のブランドの下でしか活躍できるところはない」と感じていることに気付きました。だから、社内で評価され続けなければ自分を満たすことができなくなってもいました。いつもどこか、自信のなさからくる承認欲求があったのです。

そして気づけば二人の子どもたちは思春期真っ只中、巣立ち目前の時期になっていました。シフトで早朝も深夜も働き、世間の長期休暇は必ず仕事の繁忙期で、いつも家族より仕事が優先。本当は子どもたちと一緒にいたい、という気持ちを押し殺して出勤していました。

幼かった我が子たちの姿は霧がかかっているかのような記憶しかありません。「肌身離さず」「手を離さず」「目を離さず」の時期はいつの間にか終わっていて、「心を離さず」が伝わっていることをただただ願いながら、自分の子育てに間違いはなかったと一生懸命信じようとしています。

そんなふうに悶々と悩み、仕事の楽しさと窮屈さに挟まれて過ごしていました。

でも本当は気づいていたのです。

「〇〇会社の私ではなく、私という人間に自信を持ちたい!」

「私がすでに持っているものと経験してきたことを、自分で信じて活かしたい!」

「もっと自由に、ありのままの自分でいたい!」

「もっと家族との時間を持ちたい!」

「子どもたちが巣立つまで、残りの時間を近くで過ごしたい!」

「会社辞めたい!」

私の心はずっと、こんなにも叫んだりつぶやいたりしていたけれど、「私には出来ない」「会社を辞めてお金はどうするの?」と、悩んでは心に蓋をするの繰り返し。そんな日々を3年以上過ごしていました。

コロナが収束し始めた2023年、それまでの色々な制限に、私も知らぬ間に窮屈さを感じていたのでしょうか。思い切り自分の両手両足を自由に開放して羽ばたきたい!そんな想いが急に湧き上がり、それを叶える方法が私にとっては海外旅行でした。

私は何かに取り憑かれたかのように、家族や友人との旅行の計画を立て、自分を開放させていく感覚を得ていきました。それまでの私には信じられないことですが、1年で3回も海外旅行で羽根を伸ばしたのです(もちろん、それだけのお金も羽ばたいていきました~!)。

行きたい時に行ってみたい!を叶えること、非日常に触れて感性が揺さぶられる体験をすることで、私は「自由」でいることを求めているんだと知りました。

旅先で見た、いつも自分らしく立ち回る人々、自分のペースを大事にする人々、自分の好きを堂々とパフォーマンスする人々…。そんな「ありのまま」の姿に惹かれる自分にも気付きました。

「自由」と「ありのまま」。2023年の”海外行きたい病”で気づけた私が大事にしたい価値観です。

中でも、フィンランドのサイマー湖水地方、プンカハリュの大自然の中で過ごした4日間。朝起きたときから夜眠るまで自然の匂いや音に包まれ、自然に触れ、身を委ね、友人と語らったり大笑いしたり、また自分の心と向き合いながら過ごす中、じわじわと心の蓋が外れていく感覚を覚えました。

自分の素直な心の声が全部聞こえてきて、受け入れることが出来たのです。

「そうだよね、そうしたいんだよね」

ずっと前から持っていた答えが私の中から湧き出てきました。

素直な自分の心を受け止めることが出来た安心感は、今までの自分を癒やしていくかのようでした。

もっと自由にしていいよ。ありのままでいいんだよ。もう中途半端じゃないよ。もうすでにいろんなことを持っているよ。だから、自分を信じて!

そう!私に足りなかったものは自分を信じること。自分への「信頼」。

周りの仲間たちには、自分の強みや才能をもっと理解して活かしてほしいと願っていたのに、自分のことを一番信じてあげていられなかった私。

自分への信頼が持てなくて、ずっと追い求めてきた自由とありのままを諦めてきたのか?

私だって、織りなされていく布の一本の糸のはずなのに。

自分なんて中途半端だと、すぐに弱ってほつれてしまう癖があった。

そう気づいたのでした。

ライフコーチへ。私にできる幸せな社会の作り方

自分にとっての大事な価値観「自由」「ありのまま」「信頼」に気づけた私は、会社を卒業する時にこんな気持が湧いてきました。

「ここで得られるものは、すべて得ることが出来た!」

「それが充分すぎるくらい自分のものになっている!」

とっても満足した気持ちでした。21年働いたこの会社で出会えた人、経験、価値観、すべてが今の自分につながり、たくさんのことを学び、考え、行動してきたと実感しています。これからは、それらに出会えたことに感謝し、大事に育み、この先出会う人や社会に還元していこう。そう思えたのです。

そして、これからは、もっと自由にありのままの自分を信頼し、理想の働き方や人生を実現させていこうと。

社会の中の役割に、自分で責任を感じて生きていくこと。それも素晴らしいけれど、自分の素直な気持ちを知って、自分のニーズを満たす人生を送る。そして、自分がすでに持つ個性や才能を活かし誰かをエンパワーする。それができる人々で世界中が溢れていたら。もっともっと、豊かで幸せな社会が広がっていく。私はそう思います。

だから私は、自分で自分の幸せな人生をデザインしていく人々をライフコーチとして応援していきたい。それが、私にできる幸せな社会の作り方です。

一人ひとりの個性と才能が活かされ、しなやかで強く優しい社会を織りなしていけるように。一本一本の糸が編み込まれて、織りなされるKangasのように。

そうは言っても、「自分なんて中途半端」と弱い糸に戻りやすい私の、すぐにほつれてしまう長年の癖。きっとこれからも、何度もほつれてしまうでしょう。でも、これからは早めに自分で自分の糸を繕える気がしています。そんな私の人生のKangasもぜひ楽しみに、これからお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは、またお会いする日まで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強く優しい社会を織りなすライフコーチ)