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Elämäプロジェクト

こんにちは。Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。これを書いている10月中旬、ようやく私の大好きな秋がやってきたなあと感じるこの頃です。朝晩は少し冷え込み澄んだ空気を感じるようになってきたものの、日中の日差しはまだ強く、半袖で過ごすこともできるあたたかい秋。9月上旬に旅したフィンランドの気候のよう。いつもなら暖炉に火を点ける時期だと聞くのに、「もっと半袖を持ってくればよかった」と思うほどでした。

そう。私はこの9月、エラマプロジェクトのフィンランド現地スタディープログラム「フィンランドのサスティナブルな社会とウェルビーイングの暮らしを学ぶプログラム」に中学生の娘と参加してきました。

フィンランド現地スタディプログラム(ツアー)|Elämäプロジェクト (elama.be)

今回はその旅で感じたことを、じっくり思い出しながら書いてみようと思います。どうぞお付き合いください。

フィンランドの何に惹かれているのか?

実は昨年も私はエラマプロジェクトのフィンランドツアーに参加しました。そこで自分の心の声と向き合えたことが大きなきっかけとなり、今年の春に長年働いていた会社を退職し、個人でライフコーチとして仕事を始めました。その経緯はこちらにも綴っています。

はじめまして、Kangasです。会社員を辞めてライフコーチとして歩みだした私の「これまで」と「これから」|よむエラマ Produced by Elämäプロジェクト (note.com)

昨年の旅がきっかけで、これからは自分の心地の良い生き方をしていこうと思うようになりましたが、私はフィンランドの何に惹かれているのか?ということが分からずにいました。

フィンランドの人や社会の豊かさに対し、憧れや羨ましさのような感覚を持ってしまうのは何故だろう?という自分に対する疑問もありました。日本にいても、絶対「豊かさ」があるはずなのに。どうしても、フィンランドの方が日本よりも、人や社会が豊かだと感じてしまう。私はフィンランドで感じる豊かさの、一体何に対して惹かれているのだろう?

そんな言葉にできない幸福感を再び感じたくて、そして娘ともこの感覚を共有したいと思い、今年のプログラムに参加をしてきました。

コミュニケーションが人や社会のあり方をつくる

今まで私が言葉にできなかったフィンランドへの憧れや羨ましさ。今回の旅でもやはり、その感覚が私の内側から湧き上がってきました。今回こそは、それを言葉にしてみよう。そして、私にとっての豊かさとは何かを明らかにしたい。今、そう思いながらこれを書いています。

まず、今回の旅で最も感動を覚えた場所、それが“Restaurant & Bar Nolla”です。フィンランドで唯一成功しているといわれるゼロ・ウェイスト(ゴミを出さない)レストランで、その名前“Nolla”はフィンランド語でゼロを意味します。

レストランで案内された私たちのテーブルは、なんと厨房の中。シェフたちの手元や動きが間近で見られ、料理中の熱気や活気が直に伝わるライブ感たっぷりの食事体験をしました。そこでは、ゴミを出さない工夫やセンスあふれるアイディアが、お料理や空間の隅々にまで感じられました。そのクリエイティビティが、お店全体の世界観を生み出し、私にとっては忘れられない感動体験となりました。

実は私は以前、大手カフェチェーンのマネージャーをしており、「ゼロ・ウェイストストアを作りたい!」という信念を持って会社に提案をした経験があります。大規模なチェーンだからこそ、それが実現すれば社会にとてもポジティブな影響を与えられるはずと意気込んでいました。しかし、賛同し共に動いてくれる仲間がいる一方で、大きな組織ゆえに慎重派も多く、その影響力のある慎重派とのコミュニケーションを続けることをいつの間にか諦めていました。そして、私のゼロ・ウェイストストアを実現する夢の炎も少しずつ小さくなっていきました。

そんな経験があったからこそ、私はNollaがなぜ成功しているのかを知りたいと思ったのです。あるスタッフが「このお店を始める時、『失敗してもいいから、とにかくやってみよう』という気持ちで、私たちも街の人々も取り組みました」と語ってくれました。この言葉は、前職で私が抱いた野望に対して諦めてしまったコミュニケーションのことを思い出させてくれました。どれだけ豊かな思いを描いていても、困難を乗り越えるためのコミュニケーションを諦めてしまうことで、自分自身の可能性に制限をかけていたのだと思います。
さらに、コミュニケーションを放棄することは、社会全体の豊かさに広がりをもたらすチャンスを逃すことにもつながるのかもしれません。

Nollaでの体験は、単にゴミをゼロにするためのコミュニケーションではなく、ゼロを目指す過程で生まれるアイデアや挑戦を楽しむためのコミュニケーションでした。私たちお客もNollaの世界観や価値観に触れることで、そこにある想いを共有し、共にその時間を心から楽しんでいました。きっと、Nollaには「失敗してもいい、とにかくやってみよう」と背中を押す力のあるコミュニケーションがあったのだと思います。

コミュニケーションが人や社会のあり方を形作っているのだろうか。私が感じる豊かさとは、コミュニケーションに影響しているものかもしれない。Nollaでの体験を振り返っていると、そんなことに気付き始めました。

コミュニケーションが生まれる場所

その視点で去年と今年の旅を振り返ると、さまざまな場面でコミュニケーションが生まれる工夫があったことを思い出します。

まず学校では、先生が生徒一人ひとりに寄り添い、安心して授業や学校生活に参加できる環境が整っていました。静かに過ごしたい時や、少人数で話し合いながら学びたい時、それぞれのニーズに応じて取り組めるスペースも用意されています。また、先生同士が交流できるリビングのような職員室も印象的でした。

次に図書館。フィンランドの図書館は本を借りたり勉強をしたりするだけでなく、楽器の練習やミシンの使用もできる、まるで公民館のような場所です。キッズスペースにはベビーカーが並び、ママたちは離乳食をあげながらおしゃべりを楽しみ、パパたちは赤ちゃんを抱っこしながら立ち話をしていました。

さらに、娘とヘルシンキの街を歩いていて見つけた自転車と歩行者専用の道路も印象的でした。かつて港からの貨物輸送に使われていた線路を活用した道で、平日の夕方には仕事帰りに颯爽と走る人や、友人と会話を弾ませながら運動する人たちが見られました。

愛犬と気軽に乗車できる電車でさえ、飼い主と犬が自然にコミュニケーションを楽しむ場所になっているように感じます。

こうしたフィンランドらしい光景に触れると、人が集まり、つながりが生まれる場所に私は豊かさを実感していました。誰かと心地よい会話を楽しむことも、ただそうした場に身を置くだけでもよい。私が憧れを感じるのは、こうした場所が街の風景に溶け込み、人と人との心地よいつながりを生んでいることだと分かりました。

そうそう、サウナもその一つでした。娘と毎晩のように通ったサウナでは、初対面の人たちとも自然にコミュニケーションが生まれました。「ロウリュウしてもいい?」という声かけから始まる会話もありました。
ある晩、一緒に居合わせたフィンランド人の女性が、先に出る際にわざわざ私たちのためにバケツに水を汲んで「Enjoy!」と言ってくれました。その優しさに、私たちも思わず「Kiitos!(ありがとう!)」と返していました。

一方、コミュニケーションが私たちのあり方に欠かせないからこそ、時にはそれから距離を置きたくなることもあります。

自分のあり方を表現したり、他者のあり方を理解するために、コミュニケーションは不可欠なもので、そして、その積み重ねが社会のあり方を形づくっていくのだと、今の私は感じています。
しかし、置かれた環境や相手との価値観の違いが原因で、コミュニケーションを取ることが苦しくなることもあります。以前の職場で、コミュニケーションを諦めてしまった経験がまさにそのような状況でした。

人が集まり、つながりが生まれる場所に豊かさを感じると分かった今、たとえコミュニケーションから遠ざかりたくなる時があっても、そのような場所にただ身を置くだけで、心が癒されたり落ち着いたりするのではないかと思います。振り返ってみると、私は常に人とのつながりや、それが生まれる空間からエネルギーを得てきました。みなさんは、どうでしょうか?

自分のための1時間

「自分のための1時間をつくろう」
これは、ヘルシンキ郊外の街カラサタマのスローガンです。仕事や家庭の責任から離れて、自分に投資する時間を持つことを提案するこの言葉は、フィンランド人らしい考え方を表していると思いませんか?カラサタマは「スマートシティー」として知られ、デジタル技術を活用してインフラや施設を最適化し、市民と環境の両方にとって快適で心地よい街づくりを進めています。

この旅を経て、私が意識するようになったのは「自分のための1時間」という考え方でした。たとえば、日課として続けてきた愛犬の散歩や、早朝のジャーナリングなどを「自分のための時間」としてより大切に捉えるようになりました。こうして毎日1時間以上を、自分との対話や、心と体の調子を感じるための時間として使っています。

また、心地よいコミュニケーションが生まれる場所へ足を運ぶことも大切にしています。家族や友人と過ごす時間や、人の気配を感じるカフェでのひとり時間も、私にとってはポジティブな気持ちやアイデアが生まれる大切な時間です。

私にとっての豊かさを言葉にしたら

私にとっては、人と人がつながる場所でそれぞれの価値観が尊重され、心地よい距離感の中に身を置くことで、自分の幸福度が高まります。だからこそ、私は心地の良いコミュニケーションを生みだそうとするフィンランドの人々のあり方と、それを支える社会のあり方に惹かれるのだと理解できたのです。

フィンランドを旅して、そして、この記事を通して言葉にできた、私にとっての豊かさ。それが分かった安心感を今感じています。

皆さんも自分にとっての豊かさは何か、ぜひ言葉にしてみてください。誰と、どんな場所で、どのように過ごし、どんな気持ちでいると、あなたは心が満たされますか?

Text by Kangas(和田直子/強くしなやかで優しい社会を織りなすライフコーチ)

こんにちは!いけかよです。

エラマプロジェクトでは、かねてより和文化とフィンランド文化の共通点をお伝えしています。
代表の石原侑美さんからのリアルなフィンランド情報と、和文化講師の橘茉里さんからの日本の知られざる魅力を融合させたコンテンツもたくさん。
「和でよみとくえらま」や「「わたし」らしく伝える和文化ガイド養成コース」などなど、さまざまな情報を発信しています。
これらを、わたしたちは「和フィン折衷」と表現したりしてるんです。

でも、これってフィンランドや日本のスペシャリストだからわかるっていうものではないんです。日本にいてもそこここに、そしてフィンランドにいてもあちらこちらに、それぞれの国の雰囲気を感じるものというのは、あるんです。

というわけで、今回はよむエラマライターズが見つけた「和フィン折衷なもの」をご紹介したいと思います!

いけかよの見つけた和フィン折衷:漫画の「背景」

いけかよは、2019年と2023年にエラマプロジェクトのフィンランドツアーに参加しました。
初めて訪れた2019年はもちろんすべてが新鮮だったのですが、なかでもとても印象的だったのは、フィンランドにはフィンランド語の「ドラゴンボール」があったということ…!

見つけたのはフィンランド中央図書館「Oodi」にて。
いけかよは、「尊敬する人は孫悟空」と常々思っているほどのドラゴンボール好き。この作品が世界中で愛されていることは当然知っていたものの、フィンランド語にまで翻訳されていたのは驚きでした…!

このように、日本のパワーコンテンツ「漫画」ですが、同じようにいけかよが大好きなのがフィンランドの「ムーミン」。
こちらも、世界中で愛されていますよね。
この、原作者であり、画家のトーベ・ヤンソンの描く世界に、いけかよは和フィン折衷を感じました。
それは「背景」なんです。

ムーミン公式サイトより(https://www.moomin.co.jp/news/blogs/63777

トーベ・ヤンソンの描く世界は、キャラクターたちの可愛らしさとは対象的に、とても緻密で幻想的で、少し怖いと感じることも。それは、細部までしっかり描き込まれたこの景色の絵=背景に絶対的な迫力があるから。

それは、日本の漫画にも相通ずるものがあるのです。

いまでこそデジタルで、写真を加工して背景も楽に作画できるようになったものの、背景専門の作画家さんもいるほど、日本の漫画の背景の描き込みってすさまじい!
ヤンソンもそうですが「これって本当に人間が手で描いてるの…?!」と思うようなものが、すっごく多いんです!

先に登場した鳥山明はじゃっかん白いほうだと思いますが、「AKIRA」の大友克洋、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるなどは、CGなどまだメジャーでなかった時代からその描き込まれまくったまっくろな原稿は、緻密な背景の最高峰じゃないでしょうか…!

「AKIRA」第1巻、アメリカ版総天然色バージョンから。背景もすごいけどマシンの描き込みもすごい…!

この画力こそが、フィンランドと日本それぞれが持つ、繊細かつ力強い感性が反映されたものの象徴だと思うのです。

マヤッカの見つけた和フィン折衷:「陶磁」と「おふくろの味」

こんにちは!majjaka(マヤッカ)です。
わたしが感じる「和フィン折衷」は「陶磁」です。
昔からフィンランドの食器には憧れを持っていて、いつか欲しいと思っていました。
約10年前に初めてフィンランドを訪れた際に、アラビア社で色々な種類の中から
「Teema」のパステルグリーンのマグとボウル、そしてムーミンのマグを買い、今でもこれらを使う度にフィンランドに思い馳せています(ムーミンのマグは数年前に落として割ってしまい、とても悲しかったです)。

アラビア社では歴史をたどる展示会もあって、興味深かったです。
でも、当時のわたしはただかわいくて素敵!としか思っていなかったので、展示されていた器などを眺めるだけでした。今ならもっとじっくり歴史を感じられたのに悔しいです…。

今まで日本人として生きてきましたが、日本の伝統についてあまり興味を持つことがありませんでした。
しかし、昨年フィンランドを再び訪れ、前回よりも深くフィンランドについて知ることができました。
フィンランドの人々の優しさ、あたたかさ、真面目さ、少しシャイなところを感じたときに、「あら?日本人と少し似ている?」と思うと同時に、セカンドハンドショップ(中古品のお店)で私が以前から興味のあったアラビアのお皿を購入したことを思い出したときに、日本にも伝統的な陶磁があったなぁ、日本も素晴らしい!と誇らしい気持ちになりました。
それは有田焼!

フィンランドの「ittala Arabia」1873年アラビア村
日本の「有田焼」1616年有田町
どちらもその土地で誕生しています。

どちらもその陶磁を大切に引き継ぎながらも、作家の方たちが新しい想いを吹き込んで進化させているそうです。

フィンランドやヨーロッパのアンティークに魅せられているわたしですが、日本の伝統的な骨董にも目を向けていきたいと思います。

もう一つわたしが感じた「和フィン折衷」は「おふくろの味」です!
昨年旅したフィンランドではサイマー湖のほとりにあるコテージに滞在しました。
そこのママが作ってくれるご飯がどれも美味しくて、1日動き回った後の夜ご飯にとてもほっこりさせていただきました。デザートも美味しくてついつい食べすぎてしまうくらい!
同じように、実家のご飯は美味しくて、日頃の疲れを癒してくれますよね。
この「おふくろの味」も、わたしにとってお母さんを思い出させてくれる「和フィン折衷」です。

Kangasの感じる和フィン折衷:「シャイで物静か」そして「人との距離感」

こんにちは!Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。
いけかよさんやマヤッカさんと同じく、私も昨年のエラマプロジェクトのフィンランドツアーに参加した一人です。
それまでに受講していたエラマの講座で、「実はフィンランド人と日本人の気質が似ている」ということを聞いていました。
例えば、真面目で勤勉、シャイで物静か、謙虚、礼儀正しい、時間を守るなど…。
そんな知識を得ても、「シャイで物静かに関しては、日本人ほどではないでしょ~!」と何となく思っていましたが、「いや!フィンランド人もシャイで物静かだった!」と感じたエピソードをご紹介します。

写真はE君と出会ったタンペレの街。
フィンランドツアーから約7ヶ月後の今年の春。実はツアー中にタンペレの街で出会った高校生のE君が、彼のお母さんのMさんと旅行で来日し、名古屋のわが家にも遊びに来てくれることになりました。

名古屋駅の新幹線口まで迎えに行き、E君とはハグで再会を喜び合い、そのままのテンションで私は初対面のMさんに“Nice to meet you!”と満面の笑みでご挨拶。

だけど彼女は微笑みながら挨拶を返してくれるものの、どこか一歩引いている感じ。あ、そっか…。「シャイで物静か」なのかな。ハグの勢いを落ち着かせ片手を差し出してみると、Mさんも握手をしてくれました。普段私は初対面の人にハイテンションな挨拶をしないくせにと、自分の振る舞いに少し恥ずかしくなりました。

そのままお昼ご飯を食べに行った後、わが家へご招待。E君は私の息子と歳が近く、二人はすぐに意気投合。私はMさんとコーヒーを飲みながら過ごすことに。
英語がそんなに得意ではない者どうし、それなりに会話は続くのですが、どこかお互い話題を探り、様子を見合って、時間をかけて打ち解けていくという感じ。沈黙になると、一生懸命会話の糸口を探す。初対面では自然なことかもしれませんが、この感覚が日本人同士の様子にとても似ている気がして、会話を続けるのに必死だけれども、妙に親近感をMさんに抱きました。

夕食は夫が得意料理の広島風お好み焼きを振る舞い、その後名古屋駅の新幹線口まで見送りに。E君とハグでしっかり別れを惜しんだあと、お母さんのMさんを見ました。その日の朝の出迎え時を思い出し、挨拶の仕方に気をつけなくちゃと思いながら。すると、彼女の方から「ハグをしてもいい?」と聞いてくれたのです。「もちろん!」と言って母親同士もハグでお別れができたわけです。

彼らが改札を通り抜けて姿が見えなくなるまで見送りながら、私はその日のMさんとの時間に想いを馳せていました。シャイかどうかは分かりませんでしたが、物静かなMさん、そしてお互いに気を使いながら会話を探り心の距離を縮めていった私達。なんだか落ち着くなあ、似ているからかなあ。そんなことを感じながら。
もちろん、初対面から心がフルオープンのフィンランド人やハイテンションの日本人もいるでしょう。でもやっぱり、フィンランド人と日本人の気質は根っこの部分が似ているんだなあ、だから私はフィンランドの人に惹かれるのかなあと思った経験でした。

この初秋も、私はフィンランドツアーに参加します。今度はどんな出会いがあるのかな?もしかして、E君やMさんと再会できるかしら?そしたら次はどんな距離感になっているだろう。フィンランドの国や人を知るたびに日本人である自分自身にも目が向くことが、旅の醍醐味なのかもしれません。またそのご報告ができたらと思います!

あなたなりの「和フィン折衷」を表現してみませんか?

いかがでしたか?
日本とフィンランドの絶妙なつながりや共通点をみつけていただけたら、海の向こうはるか遠くの「幸福度ナンバーワン」の国も、なんだか身近に、そして日本を素敵に感じられたりしませんでしょうか?
こんなふうに、フィンランドに限らず自国と他国の違いや共通点を見つけていくのって、わくわくしますよね。

エラマプロジェクトでは、フィンランドの文化や価値観をベースにした情報発信をしていますが、フィンランドを礼賛したいわけではありません。同時に、日本スゴイ!とみなさんにアピールしたいわけではありません。
どんな国も文化もすばらしい。そのうえで、地球上のあらゆる人とのコミュニケーションを楽しくするツールとして、我が国日本の良さを理解し、それを自分の言葉で表現するための講座を展開しています。

「わたし」らしく伝える和文化ガイド養成講座コース
https://elama.be/workshop-event/waguidecourse202409/

日本の素晴らしさはもちろん、あなたご自身の表現に向き合ってみたい方にはおすすめです。
きっとそれが、世界中の人々とつながる鍵になるかもしれません。

Edit by いけかよ

皆さん、こんにちは!Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。いかがお過ごしですか?

今日は「オンラインBAR:哲学バー」のタイトル特集、その名も”哲学バー2号店”をお送りします。

「哲学バー」とは、エラマプロジェクトが作ったオンラインのサードプレイス。お酒やお茶を片手に、その時のテーマについて、バーのチーフバーテンダー、マスターとともに、常連客や一見さんが哲学してみる、ゆるりとした繋がりの場です。

今回取り上げられたテーマは「仲良しって何?」。

子供の頃、「仲良しになりなさい」「仲良くしなさい」と言われた経験に違和感を抱いていたという常連さんから出されたテーマ。

確かに、どうして人から「仲良しになりなさい」なんて言われなきゃいけないのでしょうね。とは言え、かくいう私も、そういえば職場で、部下同士がバチバチしているところを見て、「仲良くしてよ~」って言ってたなあ。

ということで哲学バーにふらりと入店した私が、私なりに哲学してみた「仲良し」についてお届けしてみたいと思います。

「仲が良い人はいるけど仲良しはいない」

そう言えば私は、仲良し!って思う人がいないなあ…。

哲学バーが始まってすぐに、私はそう思いました。

仲が良い人はそれなりにいるけれど。たまに人から「直子さんは〇〇さんと仲良しですよね!」「お二人は仲良しだね!」と言われても、否定はしないけど何だかしっくりこない感じがしていました。みなさんはそういうことありませんか?端から見ると「仲良し」だけど、自分ではその関係性を「仲良し」とネーミングしていないこと。

だけど、「仲が良い」と思う人は何人も顔が浮かぶ。この違いって何なのでしょう?

そんなことを言う私が、今までの人生で一人も「仲良し」がいなかったかと言うとそんなことはありません。記憶の中で最も古い「仲良し」は、物心ついたときにはすでにいた1歳上のけいこちゃん。母親同士・姉同士も仲が良くて、小学校低学年くらいまで「仲良し」でよく遊んでいました。今でも年賀状を送り合う仲です。

その後の私の「仲良し」と言えば、高校2年3年の頃の「仲良し5人組」。この5人でいると毎日が大笑いの日々でした。

ですが、いつもべったり5人というわけでもなく、他のクラスメイトとの接点もありながら、結局この「仲良し5人組」に戻る、心地よい絆の距離感でした。

それが私の「仲良し」体験。それ以外に「仲良し」だった人って、あまり思い出せません。

「仲良し」と「仲が良い」。この二つは私にとって、単に名詞と形容詞の違いだけではなさそうです。

「仲良し」とは自分の存在価値を見出す安心材料?

高校時代の仲良し5人組が出来上がった頃、私は「このメンバーで仲良しになりたいな」「仲良しメンバーになれたかも!」という気持ちを抱いていたことを思い出します。

振り返ってみると、私が小学校高学年頃~中学の思春期の入り口にいた頃、小説や映画に出てくるような「THE友達!」といえる、お互いの心を通わせることの出来る交友関係に憧れていたような気がします。

でも、そんな存在と出会えることもなく、どこか物足りなさを感じる友達付き合いをしていました。その後、高校生になってようやく出会えた「仲良したち」。心底ほっとしたような、憧れに手が届いたような、そんな気持ちで心が満たされたようでした。

そして高校卒業後、私だけが一人暮らしで県外へ出ることに。学生時代も帰省の際に集合したり、旅行へ行ったり、「仲良し」はしばらく続き、それぞれの結婚式で顔を合わせて懐かしみ、だんだん私たちの青春も落ち着いていったという感じです。

哲学バーでそんなことを思い出し、それ以降の「仲良し」はいないことと、私の「仲良し探し」には終止符が打たれていることに気づいたのです。だけど「仲が良い」人の顔は、20代後半、30代、40代とそれぞれの年代でいろんな人の顔が浮かびます。

高校時代、仲良し5人組が結成された時のあの安心感。私はもう、それを求めなくなっている。そんな気がします。思春期の入り口で、私の居場所はどこだろうと、この子かな?あの子かな?と友達やグループというものを意識しすぎていた私は、きっと自分を誰かと「仲良し」認定することで自分の存在価値を見出そうとしていたのかもしれません。

私にとっての「仲良し」は、アイデンティティを形成しきれずにいる「私」という存在を、どうにか自分で認めるための安心材料として求めていたものなのだと思います。

「仲が良い人」それは自分軸で生きている証

哲学バーのお客さんから、こんな話が出ていました。

「他人とうまくいかないのは、自分が自立していないから。自分の機嫌を自分で取らず、他人に取ってもらおうとする」

ふむ。なんか分かる気がする。

私にとって「仲良し」が必要なくなったのは、自分軸が出来上がったから。「仲良し」に頼ることなく、自分の存在価値を十分に感じられるようになったからかもしれません。「仲が良い人」との関係性に自分の存在価値を見出すことはしませんし、「仲が良い人」に求めることはお互いの自分軸を尊重し合うこと。

誤解のないように申し上げると、これはあくまでも私の「仲良し」「仲が良い人」論です。

「仲良し」は自分の存在価値を見出す安心材料だと言うならば、別に「仲が良い人」がいなくても生きていけるということ?

それはそれで、想像すると苦しくなります。いつかの私が、物足りなさや寂しさを感じて「仲良し探し」をしていたように、「仲が良い人」がいないと何だかつまらない人生のような気がします。

哲学バーのマスターが言っていました。「『仲』という字は『人と人のあいだ。なか。』」だと。やっぱり私も、自分にとって一緒にいて価値のある、人と人との間で良い関係を持ちながら生きていたい。それが私にとっての「仲が良い人」たち。

そんな人たちがいることを感じ満たされながら、白ワインで哲学バーをした夜でした。

さて、次回哲学バーは、8月5日(月)20:00~22:00です。一見さん大歓迎のこちらのバーには、「哲学対話のテーマ」しかメニューにありません。お酒やおつまみはご自分で。ジュースでもよし、アイスクリームでもよし。あぐらをかいてもよし、寝転んでいても良し。だから聞き専でも良しなのです。もちろん、いつ来てもいつ出ても良しですよ。

さあ、次はどんなテーマがメニューに上がるのでしょうか?

詳しくはエラマプロジェクトHPのイベント情報「エラマの学校」をチェックしてください。

そして、次号の”哲学バー2号店”もどうぞお楽しみに!

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強く優しい社会を織りなすライフコーチ)


皆さん、こんにちは。ライフコーチとしての歩みを始めたばかりのKangas(カンガス)こと和田直子です。

これまでの人生の半分を会社員として過ごしてきた私が、ライフコーチとしてもっと自由にありのままの自分で生きていく等身大の自分自身を発信していけたらと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

まずはこの「Kangas」という名前から。

「Kangas」は、フィンランド語で「織物」や「布」という意味です。

なぜ、それをライターネームにしたのか。それは私がライフコーチを始めた想いでもあり、実現したい社会のあり方に通じるからです。

今回は自己紹介も兼ねて、私がライフコーチとして独立を決めるまで歩んできた道と葛藤を、そしてKangasに込めた想いを綴ってみたいと思います。

「中途半端な私」

少し幼い頃の記憶に触れさせてください。

幼少期の私を思い出すと、まず一番に蘇ってくるのは、一人遊びが大好きだったこと。部屋中におもちゃや人形を広げて空想の中での日常を展開したり、家具や時計・花瓶などと会話したりもしていました。

親の目を盗んでちょっと悪戯をするときには、いつも話し相手の家具や置物たちに見られている気がしてドキドキしていました(病気の時に薬が嫌で嫌で仕方なく、飲んだふりをしてゴミ箱にそっと捨てたあと、「お願いだからお母さんには言わないで!」と本気で”ゴミ箱さん”に念じていました。笑)。

少し大きくなると、家の前の公園の、大きな楠の木に登ることが楽しみでした。下から見上げるとドキドキするくらいの高さまで登り、枝分かれしているところにもたれながら腰を掛け、ぼーっとすることがお気に入り。小説「赤毛のアン」の主人公、アンと自分を重ねて浸ってみたりもしていました。

そんな私は、中学高校と進む中、いつの間にか、姉のように勉強やスポーツで目立ちたいと思うようになっていました。実は「赤毛のアン」の世界に先に夢中になったのは姉で、私はそれに影響されていたことを思うと、もっと幼い頃から姉をかなり意識していました。

ですが、私は姉のように何事にも集中して取り組むことができず、勉強も運動も姉の成績には及んだことがありません。学校では人気者で後輩からも尊敬されている姉の姿が、私の憧れでもありました。生まれた時から一番近くにいるのに、決して届かない存在が姉でした。

一方で、高校時代に和太鼓に出会い、のめり込みました。そして日本語教師を目指し県外の大学で一人暮らしを始めました。

大学の授業以外で、日本語教師のボランティアや、大将がとにかく厳しかった懐石料理屋でのアルバイトを4年間続け、セミプロ集団の門下生として和太鼓も相変わらず続けていました。

ようやく、姉と比較せず自分の選んだ道に進み始めたという感覚を持てましたが、大学3年生の後半で、授業準備がとにかく大変で自分には向いていない!これを職業として続けることはできない!と日本語教師の道をあきらめました。

そして、やりたいことや得意なことが分からず「中途半端な自分」を常に感じながら始めた就職活動。何十社もの企業にエントリーし、内定の連絡が入らない携帯電話とにらめっこを続ける日々を送っていました。

就職超氷河期と言われていましたが、私には内定先が決まらない理由はそんな社会背景のせいではなく、自分自身だとわかっていました。

リクルートスーツを着て周りと同じ格好をすることにも違和感があり、今思えば”ビジネスカジュアル”で試験や面接に挑み、人事の方に目を付けられたなと感じることも度々。それでも似合わないリクルートスーツを着て行くことに抵抗し続けていました。

誰かと比較して「私は中途半端」と常に自分に自信を持てない一方で、「みんなと一緒は嫌、自分らしさを出したい」ともがいていたことの現れかもしれません。

自分が何者かわからないのに、さらに個性をわからなくするリクルートスーツへの嫌悪感たるや…!!

会社員時代のやりがい

そんな私が、ひょんなことから興味を抱き新卒採用にエントリーし、内定を唯一頂けたのが、その後43歳まで人生の半分を過ごすことになる大手カフェチェーン店を展開する会社です。

会社のミッションと、人事の方々やオフィスのお洒落でオープンな雰囲気は、それまで何社も受けてきたものとは全然違い、とても魅力的で、ここなら私らしく働けるのかも!と感じました。

”ビジネスカジュアル”で最終面接まで進み内定を頂いたときには、「この会社は私そのものを認めてくれた!」という感覚を持てました。

それなのに、私は入社後に店舗勤務になることを大学の友人たちに伝えることが恥ずかしかったのです。自分が働きたい業界が明確でなかったこと、何社も落ち続けて内定をもらえたのが一社のみだったこと、店舗でシフト制で働くことへの抵抗感、これからスーツを着て働く友人たちとエプロンを付けて接客する自分の間に勝手に感じていた格差。

4年制大学を卒業して、専門職に就くかオフィス勤務をすることが、人の目を気にせず過ごせる道だと思いこんでいたのでしょう。いつか本社勤務ができることを希望に持ちながら、でもそれが本当に叶うのか不安を抱きつつ入社しました。

しかし仕事を始めてみると、どのステージ(役職)になっても学びの環境が整っていること、会社が大きくても裁量権を持って店舗運営できること、またライフステージの変化とともに新しく芽生える価値観を仕事の中で体現できることなどからやりがいを感じ、会社へのエンゲージメントも高まっていきました。

いつしか、自分の信念を貫いてチームにビジョンを示し続け、やりたいことにチャレンジし、成果が出始めました。すると社内外に波及するちょっとしたムーブメントとなり、評価されるようになりました。

仲間とともに何度もトライ&エラーを繰り返してきたことが、目に見える形でポジティブな変化を生み、仲間が増えることに喜びを感じていました。

子供時代から自分の中の「こうあるべき」に縛られ、それに到達しない自分自身を「中途半端」とジャッジし続けてきた私が、ビジョンを示し、チームをつくり、形にし続けることができるようになった。

それが社会にとってポジティブな影響力を生み出せたと、自信を持てるようになってきたのです。幼い頃の私が空想の中で描いた幸せな世界を、大人になった私が現実の世界で作り出す喜びを味わえたのかもしれません。

そして、そのような成功体験を持てたことで、まわりの同僚や部下、10代~70代までの店舗アルバイトさんたちにも、もっと自分の個性や才能で、人や社会にポジティブな影響を与えられることを知ってほしいという想いを抱くようになりました。

私から見ると、本当にいろいろな可能性を持つ人々がいるけれど、かつての私がそうだったように、自分や社会の「こうあるべき」に囚われている人、上司や先輩の「正解」を常に探り自分らしく立ち回れない人、称賛されても「自分なんて!」と受け入れられない人、目の前のタスクに追われている人…。そんな人たちをたくさん見てきました。

彼らがもっと自分をオープンにし、自分の中の強みや才能を理解し、仕事の中でそれを表現できるようにしていくこと、それが私が目指す人財育成となっていきました。

一本一本の糸が細くても、違った色でも、そのすべてが必要とされ、しなやかで強い、カラフルな布が織りなされるように、一人ひとりがすでに持つ個性や才能が、優しくも強い、多様性に溢れた社会を作り出すと思うのです。

そう!これこそが、Kangasに込めた私の想いなのです!

「自由」と「ありのまま」を受け入れた先の自分への「信頼」

そのように仕事への情熱を抱く一方で、もっと自分が仕事に誇りを持ちたいという気持ちが大きくなってきました。会社の優先順位を気にせず、自分のやりたいことだけに集中できる仕事をしたいと。

ですが、「私」という人間を社内で認めてもらえても、「この会社の器がなければ、私は何もできない」「会社のブランドの下でしか活躍できるところはない」と感じていることに気付きました。だから、社内で評価され続けなければ自分を満たすことができなくなってもいました。いつもどこか、自信のなさからくる承認欲求があったのです。

そして気づけば二人の子どもたちは思春期真っ只中、巣立ち目前の時期になっていました。シフトで早朝も深夜も働き、世間の長期休暇は必ず仕事の繁忙期で、いつも家族より仕事が優先。本当は子どもたちと一緒にいたい、という気持ちを押し殺して出勤していました。

幼かった我が子たちの姿は霧がかかっているかのような記憶しかありません。「肌身離さず」「手を離さず」「目を離さず」の時期はいつの間にか終わっていて、「心を離さず」が伝わっていることをただただ願いながら、自分の子育てに間違いはなかったと一生懸命信じようとしています。

そんなふうに悶々と悩み、仕事の楽しさと窮屈さに挟まれて過ごしていました。

でも本当は気づいていたのです。

「〇〇会社の私ではなく、私という人間に自信を持ちたい!」

「私がすでに持っているものと経験してきたことを、自分で信じて活かしたい!」

「もっと自由に、ありのままの自分でいたい!」

「もっと家族との時間を持ちたい!」

「子どもたちが巣立つまで、残りの時間を近くで過ごしたい!」

「会社辞めたい!」

私の心はずっと、こんなにも叫んだりつぶやいたりしていたけれど、「私には出来ない」「会社を辞めてお金はどうするの?」と、悩んでは心に蓋をするの繰り返し。そんな日々を3年以上過ごしていました。

コロナが収束し始めた2023年、それまでの色々な制限に、私も知らぬ間に窮屈さを感じていたのでしょうか。思い切り自分の両手両足を自由に開放して羽ばたきたい!そんな想いが急に湧き上がり、それを叶える方法が私にとっては海外旅行でした。

私は何かに取り憑かれたかのように、家族や友人との旅行の計画を立て、自分を開放させていく感覚を得ていきました。それまでの私には信じられないことですが、1年で3回も海外旅行で羽根を伸ばしたのです(もちろん、それだけのお金も羽ばたいていきました~!)。

行きたい時に行ってみたい!を叶えること、非日常に触れて感性が揺さぶられる体験をすることで、私は「自由」でいることを求めているんだと知りました。

旅先で見た、いつも自分らしく立ち回る人々、自分のペースを大事にする人々、自分の好きを堂々とパフォーマンスする人々…。そんな「ありのまま」の姿に惹かれる自分にも気付きました。

「自由」と「ありのまま」。2023年の”海外行きたい病”で気づけた私が大事にしたい価値観です。

中でも、フィンランドのサイマー湖水地方、プンカハリュの大自然の中で過ごした4日間。朝起きたときから夜眠るまで自然の匂いや音に包まれ、自然に触れ、身を委ね、友人と語らったり大笑いしたり、また自分の心と向き合いながら過ごす中、じわじわと心の蓋が外れていく感覚を覚えました。

自分の素直な心の声が全部聞こえてきて、受け入れることが出来たのです。

「そうだよね、そうしたいんだよね」

ずっと前から持っていた答えが私の中から湧き出てきました。

素直な自分の心を受け止めることが出来た安心感は、今までの自分を癒やしていくかのようでした。

もっと自由にしていいよ。ありのままでいいんだよ。もう中途半端じゃないよ。もうすでにいろんなことを持っているよ。だから、自分を信じて!

そう!私に足りなかったものは自分を信じること。自分への「信頼」。

周りの仲間たちには、自分の強みや才能をもっと理解して活かしてほしいと願っていたのに、自分のことを一番信じてあげていられなかった私。

自分への信頼が持てなくて、ずっと追い求めてきた自由とありのままを諦めてきたのか?

私だって、織りなされていく布の一本の糸のはずなのに。

自分なんて中途半端だと、すぐに弱ってほつれてしまう癖があった。

そう気づいたのでした。

ライフコーチへ。私にできる幸せな社会の作り方

自分にとっての大事な価値観「自由」「ありのまま」「信頼」に気づけた私は、会社を卒業する時にこんな気持が湧いてきました。

「ここで得られるものは、すべて得ることが出来た!」

「それが充分すぎるくらい自分のものになっている!」

とっても満足した気持ちでした。21年働いたこの会社で出会えた人、経験、価値観、すべてが今の自分につながり、たくさんのことを学び、考え、行動してきたと実感しています。これからは、それらに出会えたことに感謝し、大事に育み、この先出会う人や社会に還元していこう。そう思えたのです。

そして、これからは、もっと自由にありのままの自分を信頼し、理想の働き方や人生を実現させていこうと。

社会の中の役割に、自分で責任を感じて生きていくこと。それも素晴らしいけれど、自分の素直な気持ちを知って、自分のニーズを満たす人生を送る。そして、自分がすでに持つ個性や才能を活かし誰かをエンパワーする。それができる人々で世界中が溢れていたら。もっともっと、豊かで幸せな社会が広がっていく。私はそう思います。

だから私は、自分で自分の幸せな人生をデザインしていく人々をライフコーチとして応援していきたい。それが、私にできる幸せな社会の作り方です。

一人ひとりの個性と才能が活かされ、しなやかで強く優しい社会を織りなしていけるように。一本一本の糸が編み込まれて、織りなされるKangasのように。

そうは言っても、「自分なんて中途半端」と弱い糸に戻りやすい私の、すぐにほつれてしまう長年の癖。きっとこれからも、何度もほつれてしまうでしょう。でも、これからは早めに自分で自分の糸を繕える気がしています。そんな私の人生のKangasもぜひ楽しみに、これからお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは、またお会いする日まで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強く優しい社会を織りなすライフコーチ)