こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
まだ6月だというのに30℃超えの気温が続出し、最高気温は35℃に迫る勢いです。私は徒歩通勤をしているので、日差しの強さと鋭さに早くも参ってしまいそうです。
そんな暑い日には、怪談やホラー映画でひんやりしたくなりますが、これは日本人の国民性かもしれません。
怪談と言えば夏、というのはどうやら世界共通ではないようです。例えばアメリカでは、お化け屋敷やホラー映画はハロウィンの季節に開催・上映されるのだそうです。
なぜ日本では「怪談は夏」というイメージが強いのかというと、まず第一にお盆の存在が挙げられます。
お盆には各家庭で先祖などの霊魂をお迎えし、お祀りしますね。お盆のある夏は、霊魂を意識しやすい季節であり、供養や鎮魂に気持ちが向かいやすいタイミングだと言えます。
また江戸時代には、恐怖によって暑さを忘れるために「涼み芝居」と称して、怪談物が好んで上演されました。
幽霊のお岩さんが登場する『東海道四谷怪談』は涼み芝居の代表格です。
一方、ハロウィンは古代ケルトの風習が由来とされ、古代ケルトではハロウィンの夜に死者の霊が戻ってくると考えられていました。なんだか日本のお盆に似ていますね。
日本は夏、アメリカはハロウィンの季節がホラーの定番となっているのは、このように死者の霊に関する文化的な背景が影響しているわけです。
そして、ふとこう思いました。
ホラーにその国の文化や習慣が反映されているならば、つまり、ホラーを知ることは文化を知ることにつながるのではないかと。
ホラーから文化を知れるとは、なんとも画期的です。
ということで、今回はジャパニーズホラーから和文化を紐解いてみたいと思います。
私たち日本人が恐れているのは「気配」
先日、YouTubeのおすすめとして、ジャパニーズホラーに対する海外の反応をまとめた動画が表示されたので、見てみました。
その動画はこちらです。(ホラー画像が出てくるので苦手な方はご注意ください。)
https://www.youtube.com/watch?v=H91pNJPGroM
この動画の中で気になったコメントをいくつか取り出し、要点を挙げてみます。
・日本人が恐怖するものは目に見えない神秘なのではないか。
・日本の文化は先祖や幽霊を尊敬すべき存在としていて、日本の映画は自然や空間への敬意を感じる。
・日本のホラーは未知への恐怖とともに、それらを大切にしようとしている。
・日本のホラーは、観客にストレートな恐怖やショックを与えるよりも、不安や偏執に重きを置いているように思う。
海外の方から、日本や日本のホラーはこんな風に見えているようです。
また、日本と海外との違いを感じさせるような、こんなコメントもありました。
・日本のホラーは宗教的な儀式や銃で撃退できないのが嫌だ。
・私たちは銃が効くか効かないかが重要だが、日本の幽霊が襲ってきたらどうすれば良い?
・幽霊は実感を得られないので、実際に起こるストーカーや暴力の方が怖い。
私も以前、海外の人の中には、ジャパニーズホラーを怖く感じない人がいるという話を聞いたことがあります。
確か、「幽霊は物理的に襲ってくるわけではないから怖くない。襲ってくるゾンビの方が怖い」という意見だったような気がします。
ジャパニーズホラーの醍醐味は「気配」です。
直接攻撃を仕掛けてくるから怖いのではなく、じわじわとにじり寄ってくる正体不明の気配に、私たちは逃げ場のなさや絶望感を覚えるのです。
そして幽霊の姿はここぞという場面になるまで登場しないことが多いです。
姿が見えないからこそ怖いのです。もし物語の最初から幽霊の姿がずっと見えていたら、怖さは薄れてしまうのではないかという気がします。
ジャパニーズホラーは恐怖の気配を描くことが得意で、そういう表現が好きな海外の方に、ジャパニーズホラーは大人気です。
しかし、気配に恐怖を感じない人だったとしたら、ジャパニーズホラーの多くの演出は無意味なものになってしまいかねません。
日本では空気を読む文化が非常に発達していると言われますが、実はホラーを楽しむにも、日本的な空気を読む能力(気配を感じ取る能力)が必要なのかもしれません。
私はホラー好きなので、ホラー耐性はある方だと思っていますが、ある遊園地で体験したヘッドフォンをつけて音を聞くというホラーアトラクションが思いのほか怖かったです。
そのアトラクションは幽霊役がいるわけでもなく、視覚的に驚かされるわけでもありません。暗い部屋でただ音を聞いているだけなのです。
ヘッドフォンからは鎖を引きずるような音、近づいてくる足音などが聞こえてきて、私は恐怖からヘッドフォンを外してしまいたくなりました。
音によって、何者かが自分の後ろにいるという気配が表現されていたのです。
後ろに何がいるのだろう。
どんな見た目?
これからどんな恐ろしいことが起こる?
自分でどんどん嫌な想像を膨らませてしまい、自分が創り出した想像によって恐怖が加速してしまったのでした。
先ほど、日本的な怖さを楽しむには空気を読む(気配を感じ取る)力が必要かもしれないと書きましたが、それだけでなく想像力も必要になってきそうです。
現代の教育では、想像力の育成に重きが置かれるようになってきていますが、ジャパニーズホラーも想像力の育成に一躍買ってくれるかもしれませんね。
不朽の名作『リング』に見える日本らしさ
『リング』は鈴木光司によって書かれた小説で、1998年に中田秀夫監督によって映画化されました。
小説と映画では主人公の人物像など様々な点が変更されていますが、物語の大筋は同じです。
「呪いのビデオ」を見た者は、一週間後に死ぬという。
ビデオを見てしまった主人公の浅川と友人の高山は、呪いから逃れるために、ビデオの謎を追う。
そして、貞子という女性の怨念が原因であることを突き止めるというのが『リング』のストーリーです。
この物語において、貞子が姿を見せるのはほんの僅かです。
映画では、テレビ画面から貞子が這い出して来るシーンが有名ですが、小説では幽霊となった貞子の姿はほとんど描かれず、気配によって表現されています。
また、この作品の主眼は死から逃れることですが、核心に迫り、呪いの原因が貞子だと判明してからも、貞子を倒すことで解呪するという流れにはなりません。
個人的な印象で恐縮ですが、ハリウッド映画では、恐怖の原因を倒すことによって問題を解決しようとする傾向があるように思います。
ハリウッドで描かれてきた吸血鬼、ゾンビ、エイリアンなどは交戦可能な存在として描かれることが多いと思います。
悪魔憑きを描いた映画『エクソシスト』でも、悪魔と悪魔祓いの神父との戦いが描かれています。
それに対して日本では、幽霊は戦って倒せる存在として描かれることは少ない気がしますし、そもそも日本人には幽霊を倒すという発想自体、希薄だと思います。
幽霊の前では人間は無力であり、もし幽霊を倒せるとしたら、その幽霊は怖くないように感じます。
もちろん『リング』でも、主人公たちは貞子を倒そうとはしません。
呪いから逃れるために、貞子の遺骸を見つけ、供養しようとするのです。
結果的に、それは呪いから逃れる方法ではないのですが、主人公たちは鎮魂による解決を目指しました。
井戸の底で貞子を見つけた際、映画版では、主人公の浅川を演じる女優の松嶋菜々子が貞子の亡骸を抱きしめるシーンがあります。
呪いの主であろうとも死者を悼み、心を寄せる。
これはとても日本的な行動に思えます。
『リング』にも通じる御霊信仰とは
日本には、御霊(ごりょう)信仰という考え方があります。
不幸な死や無念の死を遂げた人物は怨霊となり、祟りや災いをもたらすと考えられていたのです。
そんな怒り荒ぶる怨霊に対して、私たちの先祖はどう対応したのでしょう。
その答えが鎮魂です。
怨霊を御霊・神として祀ることによって、怨霊の祟りを鎮めようとしたのです。
「これからは大切にお祀りしますので、どうか怒りをお鎮めください」とお願いしたわけですね。
こういう向き合い方を御霊信仰と言います。
日本三大怨霊とは、菅原道真、平将門、崇徳上皇のことですが、
菅原道真は北野天満宮や太宰府天満宮で神として祀られ、現在では学問の神様として親しまれています。
同様に、平将門は東京の神田明神に、崇徳上皇は京都の白峯神宮に祀られています。
このように、私たち日本人は怨霊を倒すのではなく、魂を鎮めることによって調和を図ろうとしてきたのです。
こういう価値観や考え方は、普段は意識せずとも我々日本人の心の中に息づいているのではないでしょうか。
だからこそ『リング』でも、主人公たちは自然と貞子の鎮魂へと向かったように思うのです。
豊かな心で和文化を語ろう
今回のお話はいかがだったでしょうか?
ジャパニーズホラーと御霊信仰のつながりのように、現代のコンテンツには、私たち日本人が昔から大切にしてきた考え方が反映されていたりします。
それを知ることによって、もっと奥深く、もっと豊かに現代を生きていけるようになると思います。
そして、豊かで幸せな生き方を探究している我々エラマプロジェクトでは、これまで日本人が大切にしてきた考え方や生き方や日本らしい物の見方などを、自分の言葉で発信できる和文化ガイドを養成したいと考えています。
「外国の方に、日本のことをもっときちんと説明したい」
「これまで和文化を学ぶ機会がなかったけれど、自国の文化を理解し、語れるようになりたい」
「自分の子どもに向けて、日本の良さを伝えてあげたい」
こんな風に「日本について知りたいなぁ」「伝えられるようになりたいなぁ」と思っていらっしゃる方におすすめの養成講座を開催いたします。
講座では例えば、
・侘び寂びってどういうこと?
・武士道や大和魂ってどういうもの?
こんな疑問を考えていきます。
講師による基礎的な知識のレクチャーはありますが、講座で大切にしたいのは、和文化について自分の考えを深め、それを自分の言葉で表現できるようになるということ。
もちろん知識を得ることは大切ですが、知識の伝達だけで終わらせないのが、この講座の良いところです。
あなたも和文化について考えを深め、語れるようになりませんか?
こちらの和文化ガイド養成講座については、今後情報を発信していく予定ですので、ぜひエラマプロジェクトのwebサイトでチェックしてみてください。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)
こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
私は国語教師、香司(お香の調合師)、和文化エバンジェリストなどいくつかの顔を持っていますが、メインの仕事は教師です。
とある私立高校に勤めて今年で12年目。
干支の一周分です。
人生の大部分を学校という環境で過ごしているわけですが、実は自分が生徒だった頃、私は学校が好きではありませんでした。
先生のことも好きではありませんでした。
それなのに、今は学校の先生をやっているの!?
そんな声が聞こえてきそうです。私自身、不思議な運命だなぁと思います。
今回は、かつて学校も先生も嫌いだった私の過去を振り返りながら、現役教師だってこんな体験をしてこんな風に思っていたんだよ、ということをお伝えしたいと思います。
私の経験が、どなたかの豊かで幸せな生き方に役立つならば幸いです。
私は「クラス一丸となって」が苦手な子どもだった
小学生のうちから、私の学校嫌いは徐々にその傾向が出ていたと思います。
小学1年生の頃。
図工の時間に使う絵の具セットを注文した時のことです。絵の具セットは、赤と青の2種類あり、どちらかを選ぶようになっていました。
私の記憶によると、担任の先生が「好きな方を選ぶように」と言ったのです。だから私は当時好きだった青を注文しました。
けれど、青を選んだ女の子は私一人。
というよりも、男子は青、女子は赤を選ぶことが当然の了解事項になっていたわけです。他のクラスでは、そのように指導されていたのかもしれません。
その後の小学校6年間を通じて、私は女子の中で自分一人が青であることに引け目を感じ、恥ずかしい思いをしました。
どうして担任の先生は「女子は赤を選ぶように」と言わなかったの!?
そう言ってくれたら、私は素直に赤を選んだのに。
私はこんな風に憤っていました。
担任の先生なりに、男子は青、女子は赤という決めつけに思うところがあったのかもしれないし、好きな色を選んでいいというのは、幼い私の勘違いだったかもしれません。
でも私に残ったのは、好きな方を選んだがために、恥ずかしい思いをしたという事実。
小学校低学年の記憶などほとんど薄れているというのに、この羞恥は今でもよく思い出せます。
次は小学6年生の時のこと。
担任の先生は体育の教員で、「みんなで」「クラス一丸となって」のようなことが好きな人でした。
私の小学校には、陸上部や吹奏楽部など、いくつかのクラブがありました。入部は希望制で、全員が入る必要はありません。
ですが陸上部を受け持っていた私の担任は、クラス全員が陸上部の活動に参加するよう促しました。
クラスみんなでやるということに意義があるようでした。
けれど、私はそれがとても嫌でした。「クラスみんなで」を実現するために、なぜ興味のないことをやらねばならないのか本気で分かりませんでした。
担任の先生は必要以上に強制はしませんでしたが、クラスのほとんどが参加している中、私は入っていないというプレッシャーをクラスメイトからも感じました。
みんなで一丸となって取り組むことが素晴らしい、という観念に強い拒否感を抱いたのは、この時が初めてだったかもしれません。
今でも私は「みんなで一緒に」が苦手な人間ですが、小学生の頃からその片鱗があったのかと、我ながら驚きです。
ますます生きづらかった中学校時代
そんな私ですから、制服、校則、部活動など「みんなで一緒に」が目白押しな中学校生活は非常にストレスフルなものとなり(あくまで私の出身中学の話です)、私の学校嫌いは中学時代に加速しました。
私は都会でも田舎でもない町の出身です。町には、バイクで暴走行為をするような「不良」たちもいました。
私の中学では、ほとんどの生徒は彼らと関わることなく過ごしていましたが、なかには付き合いがあった子もいたようです。
生徒が非行に走ることを阻止したい教員たちの姿は、私の目からはとても威圧的に見えました。大声で怒鳴ったり、授業中に丸々一時間説教したりといったことは当たり前にありました。
先生たちは生徒の個性を伸ばすよりも、従順な良い子集団にすることを重視していたように思えます。クラス丸ごと説教されているうちに、私の中で自由とか個性とか、そういった大事なものはどんどん縮こまっていった気がしてなりません。
そんな中学校生活で特に嫌だったのが部活動でした。私の中学では、部活動には全員が参加しなければなりませんでした。
前述のように、小学校の陸上部(確か週2回程度の活動)ですら入りたくなかった私なので、中学の部活は嫌で仕方がありませんでした。
生徒を非行に走らせたくないためか、先生たちは活動の盛んな運動部への入部を強く勧めました。ですが「みんなで一緒に」が苦手な私は、チームスポーツを中心とした中学の運動部に強い拒否感がありました。
それに放課後だけでなく、休日も部活動のために登校しなくてはならないのは、私にとって苦痛でした。
そこで、どうしても運動部に入りたくなかった私は子どもの頃から趣味で習っていたバレエを持ち出し、「バレエを頑張りたいから運動部には入れない」という理由を押し通したのです。
私の学年には、生徒を運動部に入れるという強い意向を持った先生がいたのですが、バレエを理由にすることでなんとか納得してもらったのでした。
結果的に、私は運動部入りを免れ、活動の軽い文化部への入部が叶いました。
私は、学校で何か大きなトラブルを抱えていたわけではありません。真面目な優等生タイプだったので、むしろ先生からの覚えはめでたいくらいでした。
でも、問題を起こさない真面目な優等生が、気持ちよく学校に通っていると思ったら大間違いです。自分の意志ではないことを強制される経験は、柔らかい心をどんどん硬く冷たくしていきます。
こういったことが重なるうちに、私は学校や先生のことが嫌いになっていったのです。
色んな生徒がいるのだから、色んな先生がいたっていい
ここまでお話ししてきたことは、子どもだった私の視点から見たエピソードです。
現在の私が同業者の立場から見たら、当時は分からなかった先生方の苦労や真意が浮かび上がってくることでしょう。
私には合わなかっただけで、客観的に見たら、あの先生方の指導は悪いものではなかったのかもしれません。真相は藪の中です。
ともかく私は大学、大学院と進学し、数年間の大学院生活を経て、高校の教員になりました。
大学院にいた頃、自分は教壇に立つことが向いていると感じ、正規の教員になる決心をしました。
私は探究心は強いものの、自分が研究者になるよりも、先人たちの研究成果を分かりやすく人に伝える方が性に合っていると分かったのです。
こういうきっかけなので、「子どもの頃から先生になりたかった!」「先生は憧れの仕事!」という根っからの教員志望の方とは、気持ちの上でちょっと違う部分があると思います。
「学校が好きだから、先生になりました!」「恩師のようになりたくて!」という方とも違っているでしょう。
でも、学校が好きな子もいれば、嫌いな子もいるように、学校が好きで教師になった先生、学校を好きじゃなかったけれど教師になった先生、どちらもいていいんじゃないかと思っています。
学校は社会の縮図と言われるように、学校に集まる人たちは本当に多様です。
そう考えると、「子どもの頃から学校が好きだった!」という先生しかいない方が不自然ですよね。
今、私は勤務先の学校が好きです。自分の仕事にやりがいを感じ、私なりに信念を持って生徒たちに接しています。
教員の傍らパラレルワーカーをやっているせいか、「先生らしくないね」と言われることも多いですが、教師という仕事には真摯に向き合っているつもりです。
自分が生徒だった時、学校のことも先生のことも嫌いになってしまいましたが、そういうルーツがある私だからこそできること、分かることがあると思っています。
世の中には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃって、私の力など微々たるものですが、こんな子ども時代を過ごした先生もいると知ることで、気持ちが軽くなるお子さんがいらっしゃったら嬉しいなと思います。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)