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Elämäプロジェクト

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

私にとって4月は、自分の人生で絶対に忘れられない大切な人との別れの月です。その別れは、生き方について改めて考えさせてくれるものです。

長くなりますが、どうぞお付き合いください。

母の姉

4月に思い出すのは、母の姉のことです。

私が子どもの頃は家が近くて、いとことも年齢が近かったこともあって、お盆やお正月に限らず、祖母の家に集まったり、一緒にご飯を食べに行ったり、幼稚園の運動会に来てくれたりするような濃い親戚付き合いをしていました。

伯母はいつも明るくパワフルで、地域の人とバレーボールやボーリングを楽しみ、気が強くてめっちゃ怖いけど、でも同じぐらい優しくて、多くの人から慕われて、PTAとか頼まれちゃう典型的な姉御肌タイプの人でした。

対照的に、私の母はヒステリックでネガティブ思考で、子どもの頃はそんな母が嫌で、「なんで私は伯母の子どもじゃないんだろう」といつも思ってました。

彼女は旦那さんの転勤で広島へ行ってしまいましたが、その後も手紙のやりとりをしていて、それも秘密の関係みたいで楽しかったのを覚えています。そうやって二十歳ぐらいまでの私を支えてくれた人でした。

そんな彼女は20年ほど前に亡くなりました。すい臓がんで手術ができず、余命3年ぐらいと言われている、というショッキングな報告でした。

その後、彼女はできる限り仕事を続け、ボーリングを楽しみ、新婚の頃に住んでいた街を訪ね、お世話になった人たちに会いに行き、祖母やうちの家族にも会いに来て、3年ぐらいは本当に病気なのかと疑うぐらいの元気さを見せていました。

しかし3年を過ぎたころ、やはり病気が進行して入退院を繰り返すようになりました。モルヒネの量が増えた頃には、ひどい言葉を言うこともあると、伯父さんが話していました。

2003年4月、私たち家族が会いに行った時、私は伯母と病室で2人きりになった時がありました。そのとき、彼女が私の方へ手を伸ばしてきたような気がしたのですが、私は怖くて彼女の手を掴むことができませんでした。

どうするのがいいのかパニックになり、掴むべきだとわかっていながらも、細い手を掴んでしまったら自分が泣いてしまうことも想像がついたからです。

その2日後、彼女はあちらの世界へ飛び立っていきました。

彼女の訃報を聞いた時、「私はなぜ彼女の手を取らなかったのか」と考えずにはいられませんでした。

人生最大の後悔から20年

私はあの時、本当に怖かったんだと思います。

「いつ亡くなってもおかしくない、彼女はとてもがんばっている」と伝えられた状態で、私はもちろん、私の母も父も、伯父さんも、そしておそらく本人も、ぎりぎりの状態で気持ちを保っている所に、自分が泣くことで、みんなの気持ちの均衡を崩してしまうことがなによりも怖かった。

もちろん、自分が彼女の命が短いことを肌で感じるのも怖かった。そんなこともあって、手を伸ばせなかったのだと思います。

伯母が亡くなって20年経ちますが、私は今でも、彼女の手を取らなかったことを後悔しています。「手を取らなかったことを、彼女は許してくれているのだろうか」と、ことあるごとに悩みました。

毎年4月に振り返ること

伯母が亡くなったあと、彼女の骨を拾う時に、不謹慎ながらも思ったんです。

「こうやって骨になっちゃう前に、やりたいことやって、行きたい所に行って、食べたいもの食べて、おもしろおかしく生きる!」と。

私の人生には彼女にしてもらったことがたくさんありました。

私を支えてくれた本当に大切な存在だったのに、ありがとうも伝えられなかった。「また会いたい」という気持ちを、都合よく希望にすり替えて、「また会える」と思ってしまった。彼女の命が長くないことをわかっていたのに先延ばしにしてしまった。

「ありがとう」と言ってしまったら、最後の別れになってしまいそうで怖かったのは正直ありました。でも、そんなに切羽詰まる前に伝えておくべきだったんです。

だから私は、伯母が亡くなって以来いつも4月に、自分があのとき骨を拾いながら決意したように生きられているかを確認しています。

そして、病室での後悔も一緒に思い出して、どんなに怖くても、伸ばされた手を掴むべき時に掴む勇気や覚悟があるかどうか、それから、大切な人たちに感謝を出し惜しみしていないか、振り返っています。

後悔するのは、伯母の時だけでもう充分。「あの時、ああしていれば」と後悔したくないんです。

私は、この後悔を克服したり乗り越えたりしたいとは思っていません。それよりも「前向きな後悔」にして、一生抱えて生きたいと思っています。

人生最大の後悔を、前向きに生きるきっかけやモチベーションにすることが、なによりも伯母への供養になると思うから。

みなさんも「前向きな後悔」に捉え直すことができる後悔はありませんか?

Text by ひらみん(普通の会社員)

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

「ストーリーとか知らなくていいから、とにかく今週の話をTVerで見て!!!」

ドラマ「きのう何食べた? season2」第5話を見た後に、友達にLINEで送ってしまいました。

誰かに伝えたくなるほどに心が揺さぶられた神回をご紹介したいと思います。

※ネタバレを含みます。

ドラマの概要

よしながふみの同名漫画を原作にしたドラマで、弁護士の史朗と、恋人で美容師の賢二の同棲中カップルの日常生活が描かれています。史朗は西島秀俊が、賢二は内野聖陽が演じています。





日常生活だからこそ、同棲あるあるや、カップルあるある、仕事あるある、家族あるあるなど、自分の生活の中でも起きるような、ささやかな出来事ばかりです。だけど、「こんな風に言ってもらいたい!」などと、ドラマと自分の生活を重ねることができて、ドラマを身近に感じられるポイントが多いと思います。

毎回2人がテーブルを囲んで一緒に「いただきます」をするんですが、そこも、きちんと料理や相手に向き合っている感じがして、2人がこの同棲生活を大切にしていることが伝わってきます。それに、毎回、史朗さんが作る料理がすっごいおいしそうなんですよね。2人が「これ、おいしー!」「うん、うまいな!」って言いながらにこにこ食べているのも、ほっこりする理由なのかもしれません。

神回の第5話あらすじ

今回の第5話は、史朗の元カレである伸彦が初めて出てくるのですが、それは及川光博です。彼の冷たそうな見た目とモラハラ気質っぽい演技がドはまりして、ナイスな配役でした。

ある日、洗濯機の排水ホースの不具合で水が溢れて、その処理をしていた史朗は、元カレ伸彦と一緒に暮らしていた時にも、同じことが起きた時のことを賢二に話すハメに…。

排水口が詰まって洗濯機周辺が水浸しになったのに、伸彦は何の手伝いもせずに「昼メシまだ?」とか言うだけで、不機嫌そうに外出しちゃうんです。どんな時でもそんな感じで、モラハラに近い伸彦だけど、タイプすぎるビジュアルを理由に史朗は許しちゃっていた、とのこと。

別のある日、史朗が仕事から帰ったら、夕食に親子丼を作ろうと思っていたのに、玉ねぎがなかったんです。賢二がお昼ご飯で食べちゃってて。

玉ねぎがないなら、唐揚げにすることを史朗が提案すると、「仕事から帰ってきて、今から唐揚げなんて大変だよ。使っちゃって本当にごめん。スーパー近いし、今から買ってくる!」と、史朗が止める暇もなく、賢二はさっそうと買いに行っちゃいました。

ひとり取り残された史朗は、伸彦と暮らしてた時にも、似たようなことが起きた時のことを思い出すんです。

伸彦が、自分のお昼ごはんのために唐揚げかなにかを作って食べていて、史朗が帰ってきたらキッチンは後片付けされていなくて汚れたままだし、しかも、鶏肉は、史朗が夕食のために解凍していたもの。それを伝えると、伸彦から「俺も食費を出してる食材を使うのに、お前の許可を取らないといけないの?」みたいな返事が返ってくるんです。

過去と今を行き来して、「そうか、俺今幸せなんだ……」と賢二の優しさを噛みしめた史朗の目に涙。

ドラマの最後、後日談として、史朗は新しい洗濯機のホースがあることに気づきます。史朗は頼んでもいないし、賢二も買ったことをわざわざ報告するわけでもなく。

人を想い合うってこういうこと

今回のシーズン2全体では「人を大切に想う」がテーマであるように感じました。

第5話では、クリスマスということで、いつもより豪華なメニューを一緒に作っているんですが、健康のことを考えながらも賢二にとって思い出の大切なメニュー、明太子ディップを用意してます。

他の話でも買い物の時に「賢二が好きだからな!」という理由でちょっと高いけどナスを買ったり、史朗の遺産を賢二に残そうとしたり、史朗は、直接賢二に「好きだ」とか言わないんですけど、いろんな場面で賢二への愛がかいま見えます。

実は、玉ねぎのエピソードは、第8話にも再び登場します。賢二が史朗に「俺のこと思い出すとしたら、何を思い出す?」と聞くと、史朗は「玉ねぎ」って言うんです。賢二は、玉ねぎ?なんのこと?って感じなんですけど、史朗は心の中で「玉ねぎを買いに行ってくれたことだよ」と優しくつぶやくんです。

賢二を見つめながら、玉ねぎを買ってきてくれた日のことを思い出す史朗にまた泣けますよ。

それぐらい大切なエピソードが第5話です。

この記事を最後まで読んじゃった方は、とにかく第5話をアマゾンプライムで見て!!!

やさしさを上手に送って、受け取りたい

お節介とやさしさの線引きは難しいです。

どちらも「相手のために」という気持ちからきているのですが、軸がどちらにあるのか、というのが線引きのポイントになるようです。

相手が求めてないことだったら、お節介や余計なお世話になるし、相手が本当に求めていることだったら、やさしさや思いやりになるんだそう。

玉ねぎのエピソードでは、史朗が期待していなかった「玉ねぎを買いに行く」という賢二の行動は、今の史朗と、過去の史朗の両方を救ったんだと思います。

洗濯機のホースも、次に起きた時に使えるように、という気持ちから賢二が自発的に買ったものです。

賢二のやさしさを、史朗がうまく受け取れたから、史朗は救われたようにも思えて、人から受けたやさしさや愛を受け取ることも大切だなと思います。

ここらへん、賢二はとても上手で、不器用な史朗の愛をきちんと受け取っています。見習いたい!

実は私は最近、父から「忙しいだろうからご飯を作りに来なくていいよ」と言われるんです。というのも、母が、筋肉が弱まっていく病気だということがわかって、元気なんですけど、家事ができなくなったので、今は父がフルタイムで働きながら家事をやっています。

そういうこともあって、1週間に1回、母の様子見を兼ねて、実家に行ってました。ご飯に一番困っていそうだったし、自分ひとりのためなら作らないようなおかずを作ったりするもの楽しんでいたんです。

煮込みハンバーグとか、母が作ってくれていた名前のない料理を母に味見してもらって、「砂糖が足りない」とか言われながら作ったりしてました。実家から電車と徒歩で40分ぐらいのところに住んでいるので、そんなに負担でもないですしね。

それでも、父に「来なくていい」と言われてしまいました。これは「娘に負担をかけたくない」という父なりのやさしさなのでしょうか。それとも余計なお世話なのでしょうか。

私は、「父の家事の負担を減らしたい」と思ってやっています。親と過ごせる時間も限られてきているので、そういう時間も楽しんでいたのですが、おしつけがましいと思われているんでしょうか。遠回しに「来ないで」と言われているのか、時々わからなくなります。

父のやさしさと思って、言葉通りに受け取っていいのか、悩ましいところです。でも少し回数を減らしました。

人生はドラマと違ってうまくいきませんね。

やさしさを送ったり、受け取ったり、深読みしちゃたり、悩みながら私の人生は続きます!

Text by ひらみん(ふつうの会社員)

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

今回はいつもより興奮度高めの映画レビューです。

これまで、SISUをテーマにした本のブックレビューを2本書いてきたわけですが、ここにきて、SISUをテーマにした映画がフィンランドからやってきました。

これは映画レビューを書かねば!ということで、上映初日に行ってきました。

映画『SISU/シス 不死身の男』公式サイト
https://happinet-phantom.com/sisu/

実は私、好きな映画は007とダイハードで、死なないおじさんが大活躍するアクション映画が大好き。ハリウッドぽい、爆弾どかーん!マシンガンダダダー!炎メラメラ〜!ヘリコプターひゅーん!っていう映画を見ていると、日常生活ではありえない状況に笑っちゃって、なんだかスッキリするんです。

とはいえ、人が殺されるのは苦手、という方もおられると思います。この映画は、後半はほぼそんなシーンで、しかもけっこう残虐だし、痛そうなシーンもたくさんありますので、苦手な方は、やめといた方がいいかもしれません。ポスターをご覧の通り、フィンランドだからと言って、ほんわか幸せな映画ではございませんのでね。

死なないおじさんアアタミ

ストーリーは、映画のサイトにあるので、興味をお持ちいただけた方はそちらをご覧いただけるといいなと思いますが、ロシアとの戦争で家も家族も失ったアアタミが主人公です。ロシア兵から「不死身」とあだ名をつけられた伝説のフィンランド兵でしたが、今は軍隊を引退した状態で、金を掘っています。

第二次世界大戦終盤のドイツ兵に金を狙われて追いかけられ、フィンランドの大地を逃げるんですけど、さすがに殺されかけて金を強奪されます。けど、そこからさらにそいつらを追いかけて…というのが大まかな話です。

最初は、曇り空で高い木も山もなく、平地が広がり、大地の草が赤く映えるフィンランドの晩秋みたいな景色が綺麗です。馬と犬とともに生きる男の生活が描かれていて、ここから怒涛の殺し合いが行われるとは思えない牧歌的な雰囲気。

そこから、金を掘り当てて、ドイツ兵に追われます。

大事な馬は殺されて、金も取られて、犬も殺されそうになって、誰も味方はいない。挙げ句に街が焼き尽くされて、フィンランドの民たちが殺されていることに対して、アアタミはめちゃめちゃ怒って、容赦なくドイツ兵をバリエーション豊かに殺していきます。

しかしアアタミが本当に不死身なんです。死ななすぎて笑っちゃう。

銃で撃たれても銃弾を身体から無理やり出して、麻酔もなしで、傷跡を自分でホチキスするし、背中が燃えても池に飛び込んで逃げ延びるし、池の中でも酸素を得て、絞り首にあっても、身体を支えて生き延びます。

これでもかというほどやられても死なない。

SISUとはなにか

しかし、単なるアクション映画に収まらないこの映画では「SISUとはなにか」ということを説明してくれています。

映画の冒頭で、SISUについて「持っているものをすべて奪われて、最後に出てくるもの」と説明されていました。

また映画の中盤では、ドイツ兵に「彼は不死身なのか」と聞かれて、女性が「彼はあきらめない」と説明するシーンもあります。

ここにSISUの本質があったように思います。

SISUをwebで検索すると、強い意志とか反骨精神とかっていうのが出てきますし、SISUの本のブックレビューでもそういうことは思いました。しかし私は、映画の中でも言われているように、SISUとは「諦めない」なんじゃないかなと思い始めています。

この映画では極限状態ではあるものの、諦めないから、逆境にあっても立ち向かっていけるし、諦めないから、目標達成のための道筋を見出せるし、諦めないから、努力を継続できるんじゃないかなと思います。

「なにを諦めないのか」という「なにを」の部分は、その人や状況によって変わってくるから、翻訳できないのかなと感じました。

この映画では、「金を取り戻す」ということですが、私たちの生活の中だと、その人によって違うと思うんです。仕事の成功かもしれないし、健康に生きることかもしれないし、パートナーとの関係の維持かもしれません。

SISUがある人は周りを目覚めさせる

映画の中で、アアタミの存在が、捕らえられていた女性たちのSISUに火をつけたように感じました。ドイツ兵からアアタミの話が出てきたときに、彼女たちの目が変わったように見えたんですよね。

この映画を見て、SISUを持っているアアタミが物理的に強いことだけじゃなくて、強いSISUを持つ人は誰かのSISUを目覚めさせるイグナイターの役割をも果たすんじゃないか、という新しい視点が自分の中に生まれました。

映画のサイトに

観終えた後 己の心に”たぎるもの”、それが<SISU>だ!

とあるんですが、SISUは誰しもが持っているのに気づいていないだけで、それにアアタミが火をつけてくれるような気がするんです。映画の中の女性たちのように。

この映画を見て、しびれる人は、あなたの中にあるSISUをアアタミに目覚めさせられているんじゃないかなと思います。

これぞフィンランドを感じる映画

SISUとは言ってませんが、ダイハードでもジョンマクレーンはSISUを持ってたと思うんです。もうダメだ、と思った時にも「負けたくない・負けられない・負けるわけにいかない」と相手に向かっていく、そんな姿がかっこいいんじゃないかなと感じました。

この「負けない三段活用」がSISUを形作り、諦めずに戦おうとする姿に、私たちはグッとくるのではないでしょうか。ぴったりと翻訳できないからと言って、フィンランド人以外は持っていないということはないと思うんです。

フィンランドの映画って、これといった大事件も起きずに淡々と日常の話が進む、どことなくおしゃれな映画というイメージが強いと思うのですが、それらとは全然違う方向だけど、私はこの映画はとってもフィンランドらしい映画だと思います。

晩秋のフィンランドで、曇り空で色の少ない景色も楽しめるし、不死身のおじさんアアタミは典型的なフィンランド人のイメージで、むっつり無表情で、口数も少なく、薄幸そうな感じです。犬も馬もかわいい。

SISUについて考えるきっかけをくれる映画なんて、フィンランド以外で作り出せません。興味がわいた方はぜひ劇場へ!

映画『SISU/シス 不死身の男』公式サイト
https://happinet-phantom.com/sisu/

Text by ひらみん(ふつうの会社員)

天海祐希が好き。

宝塚歌劇団出身ならではの美しい立ち居振る舞い、弁護士などの堅い役からコメディエンヌまで幅広い役をこなせる柔軟性など、とにかくかっこいい。

彼女は、宝塚でも男役だったということが影響しているのか、賢く強い女性の役を演じることがよくあると思うんです。

「離婚弁護士」や「合理的にあり得ない」では弁護士だし、「BOSS」だとアメリカ帰りの刑事だったし、「緊急取調室」でも癖のある加害者をやりこめる敏腕刑事でした。「女王の教室」では圧のある怖い先生でしたよね。

上司にしたい女優No.1と言われ、「ハンサムな女性」を象徴するような女優の一人なんじゃないかなと思います。芯のある役がはまるとも思うし、いつも「天海祐希、かっけー!!」って思いながらテレビを見ています。でもバラエティだとキュートなんですよ。そのギャップもいい。

天海祐希は「おばさん」なのか?

天海祐希が強い女性を演じるときに、ドラマの中で必ずと言っていいほど、若い世代の人から「おばさん」とか「年増」とか言われてるんですよね。最終的にはそのような発言をうまく切り返す結果になるのだから、問題ではないのかもしれないのですが、私はこれが気になります。

ドラマだと40代以上の設定の女性は「オバさんにはわからないわよね」というようなことを若い女性から言われるシチュエーションがよくあります。性別を男性にすると、50代の男性が若い男性に「オジサンにはわからない」みたいなことを言われているシーンってあまり見ないように思うのですが、見てるドラマが偏っているのでしょうか。

私が天海祐希を好きすぎて、気になっているだけなんでしょうか。

「逃げ恥」でも石田ゆり子演じるゆりちゃんのセリフがよかったと言われていますが、これだって、若い女性から、「若さという価値がなくなったオバさんは引っ込んでて」みたいな感じのことを言われた時の返答でした。(恋愛がらみの嫌味があったのですが)

呪いね。自分で自分に呪いをかけているようなものよ。あなたが価値がないと思っているのは、この先自分が向かっていく未来よ。それって絶望しかないんじゃない?

自分が馬鹿にしていたものに自分がなるのはつらいわよ。「かつての自分みたいに今周りは自分を馬鹿にしている」と思いながら生きていくわけでしょう。

そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまうことね。

あなたがこの先美しく年をとっていきたいと思うなら、楽しく生きている年上の人と友達になるといいんじゃないのかな。

あなたにとっての未来は誰かの現在であったり過去だったりするんだから

(『逃げるは恥だが役に立つ』9巻63P)

このセリフは、今まで言葉にできなかったことを言語化してくれたような部分があって、とても納得のいくセリフでした。

でも、キャリアを追い求めた素晴らしい女性たちが、若い人から「若くないことは無価値」と言われるのを、私たちはいつまで見せられなければいけないのでしょうか。

年齢を重ねた女性に対して「そういう発言をしてもいいのだ」と考える人を増やしてしまわないでしょうか。

そう考えるのは誰?

若いことに価値があるとみなす傾向はまだ根強いし、特に女性は若さで価値を付けられることがあります。

でも、「若さに価値がある」と考えているのは誰なのか考えたら、老若男女がみんな「若さこそ価値」「歳をとったら終わり」という価値観を植え付けられているように思います。まさにステレオタイプです。

だけど、そういう価値観を壊してくれているのが、天海祐希のような輝きを持った存在だと思うんです。彼女たちが年齢を重ねても第一線で活躍することで、世間や社会が作った「おばさん像」を壊して、「年齢を重ねることには、若さとは別の価値がある」と思わせてくれるロールモデルだと感じているから、私は天海祐希が好きなんだと思います。

「もう若くない」と、自分でも思ってしまっていませんか?

そしてそれはあなたを縛っていませんか?

だとしたら、そんなものからはいち早く逃げてしまったほうがいいと思うのです。

年齢を逆手に取る

ということで、私は「もう若くないし」などと言って諦めることをやめました。

それで、この前「大人のバク転教室」に行ってきました。1回の練習でバク転が成功するわけではなく、3回ぐらいレッスンを受ければ、自力でバク転できるそうです。

子供の頃、とってもどんくさかった私は、バク転が夢でした。今から子供の頃の夢が叶うなんて楽しみでしかありません。40代でバク転できるって、希少価値がめっちゃ高いし、そもそもめっちゃかっこいいじゃないですか。

教室には、私よりも年上の人から中学生まで参加していて、マットの上で前転、後ろ回り、ブリッジなどから始めました。「バク転やりたい!」と思って参加申し込みしたし、コーチも「誰でもできる」と言っていたけど、レッスンの最初は、「本当にこの歳でバク転なんかできるんだろうか」と不安でした。

でも、後ろにまっすぐ飛ぶ練習を何度もやって、コーチに支えてもらって初めて1回転したんです!!「私にもできた!!!」という感動がありました。

コーチの支え付きで、何度かバク転「もどき」をやっていると、だんだんコツを掴んできて、みんなが上手になってきて、一番年上のおじさんがうまく回転できた時の一体感もよかったです。

あの時、誰も年齢を理由に「できない」なんて言ってなかった。

私はまた、あのメンバーに会いたいと思っています。全員が初心者で、一緒に上達していくのを全員で楽しんで、成功を喜び合える空間でした。

もう私は40代に突入しているので、「おばさん」と呼ばれる世代です。だけど、30代後半でイギリスの大学院に行って、40代になってバク転に挑戦して、暑くても寒くてもフットサルで走り回って、急にインド映画にはまって、やりたいことやって泣くほど笑って人生を楽しんでいる「おばさん反乱軍」だと思っているんです。

反乱軍は、「若さに価値があるんだ」とか「おばさんとはこうあるべし」というステレオタイプを押し付けてくる皇帝が率いる帝国軍を、フォースの力で追いやって、反乱軍だけで楽しんでいます(スターウォーズを知らない方にはすみません)。

たとえば、「食べログで見たシェフがイケメン」という理由でトルコ料理屋さんに行ったり、化粧品や脱毛の情報交換をしたり、昼間から集まって飲みながら何時間もカードゲームをしたり、すごく特別なことをしているわけではないのですが、自分たちが今やりたいことを我慢しないで提案できるし、同じように楽しんでくれる人がいることは、とても恵まれていると思います。

さらにラッキーなことに、私の周りには、同年代や年上の人で人生をとても楽しんでいる人たち=反乱軍の仲間がいるのです。

それで、人生を楽しむ反乱軍を見た若い人たちの「年齢を重ねることへの不安」が軽くなったらうれしいです。ぜひあなたも反乱軍の仲間になって人生を楽しみませんか?

Text by ひらみん(普通の会社員)