こんにちは。ひらふくです。
2024年もあと少しになりましたね。みなさんは今年どんな思い出ができたでしょうか?嬉しくなる記憶や思い出したくもない苦い記憶。いろいろあったかもしれません。
私の思い出の一つは10月に参加したエラマプロジェクトのツアーです。ツアータイトルは「”北欧のシリコンバレー” フィンランド・オウルで働き方とウェルビーイングを学ぶプログラム」。
これまで人事として社員の働き方に向き合ってきた私にとっては永遠のテーマです。また、今年からフリーランスになったこともあり、「幸せな働き方」は四六時中考えていることでした。
世界幸福度ランキングで1位をとり続けるフィンランド。そのワークスタイルはきっとヒントになると期待して、半年前からワクワクしていたのです。
ですが、まさかこのツアーで苦さも嬉しさも両方味わうことになるなんて思ってもいませんでした。
原因はフィンランド滞在中も私が日本での働き方をしていたこと。そうしたら一体何が起きたのでしょうか?フィンランドで七転八倒しながら得た「働き方」への気づきをご紹介します。
朝5時から夜23時まで働く
このツアーがおこなわれたのは10月13日〜19日までの7日間です。特に14日から18日までの5日間には、3人のフィンランド講師のかたからワークショップを受けることができました。
合間には自由時間もあって、オウルの街中を散策したりリサイクルショップに掘り出し物を探しに行ったり。イチョウが金色に染まる海沿いの公園で、落ち葉を踏みしめながら夕日を見たりもしました。
最終日には、河上の貸切ボートサウナで空気の冷たさとサウナの熱さに心身ともにリラックス。どこをとってもオリジナルなツアーだなとしみじみ思います。
さて、ここでツアーの楽しさだけをお伝えできればよかったのですが。その裏で起こっていたことをお話しさせてください。
私は現在フリーランスの人事としてフルリモートで働いています。いわゆるPCひとつでどこでも仕事ができる環境です。
こう聞くと自由そうですが、まだフリーとしての生活リズムを作れていない私は、ツアー中だけ休日にするなんて芸当ができませんでした。そのためツアー中も仕事を持ちこんで、日本の企業さんとの打ち合わせなどもしていました。
ですが日本とフィンランドの時差は6時間もあります。日本の朝11時がフィンランドの朝5時なのです。まして昼間はプログラムに参加しているので仕事ができません。結果、ツアーがはじまってみれば私の1日はこんなふうになりました。
4:30 起床
5:00 日本企業さんと打ち合わせ・そのままPC仕事
9:30 ツアープログラム開始
昼間 スマホで仕事の連絡を確認
16:30 ツアープログラム終了
18:00 PC仕事
23:00 就寝
なんて散々な生活リズム。他のツアー参加メンバーからは「社畜してるじゃん」と苦笑されました。
私はフィンランドで何をしているんだろう
一方で、フィンランドの人々は16時には仕事を終えて帰宅します。日本では「早く終わったらさらに他の仕事もするべきだ」という声も聞きますが、フィンランドでは帰宅して家庭や自分の時間にあてるのです。
仕事は人生の一部ではあるけれど全てではない。そう考えて人生全体を味わおうとしているスタンスに憧れます。
このスタンスは、ツアーで最初に講師をしてくださったニコさんも体現されていました。ニコさんは職業専門学校OSAOの元・校長先生です。
「生徒が人生に必要な力をつけられるよう手助けするのが先生です」。そう語りながら、フィンランドの人々にとっての幸せや人生観を紹介してくださいました。企業研修などを手がける人事としては、特に「学び」への考え方に感じ入りました(長くなるため今回は割愛しますがいつかご紹介したいです)。
ただ、ニコさんの語る「幸せ」に共感すればするほど、朝5時から夜23時まで仕事をしている”社畜”な自分が情けなくなりました。
半年前から楽しみにしていたのに、お金も時間もがんばって調整してここまで来たのに。現実の自分は「幸せな働き方」からかけ離れていることが浮き彫りになるばかりで。
ツアー中は相部屋だったので、ルームメイトを起こさないよう朝はホテルのロビーで仕事をしていました。7時ごろになると私の横をモーニングビュッフェを食べにいく人々が通りすぎていきます。
その豊かで和やかな雰囲気と、PCに向かっている自分の差を痛感して。私はフィンランドまで来て何をしているんだろうと思いました。
朝5時のロビーにはフロントの人と私しかいません。
あなたが元気で幸せだからこそ
転機が訪れたのはプログラム3日目。ライターのモニカ・ルーッコネンさんのワークショップでした。
モニカさんは日本でも翻訳出版されている『マイタイム』の著者です。日本に住んでおられた経験や、フィンランドの大企業ノキアでの会社員経験もあります。日本とフィンランドの働き方の違いやその背景まで話してくださいました。
モニカさんが提唱する”マイタイム”とは自分のための時間をとること。肩書を外して、自分を満たしてケアしてあげる時間を持つことです。エラマプロジェクトでもマイタイムの大切さは語られていて、その重要性はわかっているつもりでした。
でも、そんな私にモニカさんは言ったのです。
「日本人は周りに奉仕する優しい人たち。でも、まずは自分をケアしてあげましょう。
あなたが幸せだからこそ見ている人も幸せになれる」
いろいろな考えが頭をかけめぐりました。
私は自身をケアできているだろうか、日本人は自分より周りを優先しすぎていないだろうか…などです。
ただ、そのとき最後に心に浮かんだのは、朝のロビーでPCに向かう私を心配してくれていたツアーメンバーのことでした。
本当の”思いやり”って?
日本人の働き方のひとつに周りへの”思いやり”があると感じます。お客様や仲間など誰かのためにがんばったり、「自分は良くても他の人が困るから」と残業して手を尽くしてくれる人もいます。残業はよくないと眉をしかめながらも、私は思いやりを日本人の美徳だと思っていました。今も美徳だと思います。
でも、モニカさんの言葉でハッとしました。自分で精一杯な今の私は本当に相手を”思いやって”いるのだろうかと。
朝5時から仕事をしているときは、約7000km離れた日本の仕事相手のことを考えていました。私の都合で迷惑をかけたくないと”思いやって”、できるだけ相手のスケジュールに合わせていたのです。
そうやって眠たい目をこすりながらPCに向かう私に、ツアーメンバーは「大丈夫?」と声をかけてくれていました。「大丈夫!」と軽く返していましたが、今思えばその優しさの意味をちゃんと考えて受けとれていなかったのです。
このツアーは、他のメンバーにとっても日常を離れて味わったり楽しんだりする大切な時間です。なのに横で辛そうに仕事をする人がいたら気になりますよね。モニカさんの言葉でそこに思い至って申し訳なくなりました。そして、それを責めるのでなく気遣ってくれるメンバーの有難さにもようやく気づきました。
7000km先にいる人も大事です。でも、まず目の前にいる人を笑顔にできているのでしょうか。そして相手を笑顔にするのは自分が笑顔でいることなのではないでしょうか。
実は、ツアーに来る前は「自分をケアする」ことに少し後ろめたさもありました。周りより自分を優先していいのかな、それは利己的じゃないかなと思っていました。
でも、無理をしながら他人を”思いやる”姿は、実は身近な人たちを心配させているのかもしれません。それは誰も幸せではないのです。
モニカさんのワークショップを受けた日の夜から私は仕事をセーブしました。全ての仕事を拾うことはやめて、必要なものや続けたいものだけに。
できた時間で夜はみんなとバーに行って、真面目な話やお酒の感想や、翌日には忘れてしまうような笑い話をしました。外は気温5度と寒いのに、ワイワイしながらスーパーでアイスクリームを買って帰りました。
最終日の貸切サウナではみんな思い思いにすごしていました。川に飛びこむ人やサウナにこもる人、テーブルで話しこむ人、屋外のお風呂で空を見上げる人。その様子を見ながら、二度とないこのメンバーとの景色をずっと覚えていたいと思いました。
よく食べて、よく話して、よく笑いました。私が笑って相手も笑ってくれる時間でした。ツアーが終わった今も、ふと思い返してはあのとき仕事をセーブしてよかったと思います。
私が私を優先することで誰かに迷惑をかけたかもしれません。でも、自分が元気でいることで、また誰かを元気にもできるのではないでしょうか。
肌になじむ働き方をあなたと
今回のツアーでは、フィンランドの人々の働き方とウェルビーイングにふれました。知識だけではなく、現地の人々と直接接して感じたことや、ツアーメンバーと一緒だからこそ気づけたことがありました。
社畜をしないと気づけなかったのは情けないのですが、日本での働き方をフィンランドでやってみたからこそ理想と現実のギャップに気づけました。ギャップを埋めるために試行錯誤して実践することもできました。
国の制度や今までつちかってきた価値観が違うので、フィンランドのワークスタイルをそのまま日本に持ってくることはできません。ですが、やっぱりおたがい似ている部分もあって、フィンランドの人の「幸せ」は私の肌になじみます。
だから、私はこれからもフィンランドをヒントに、「幸せな働き方」をいろいろ実践してみようと思います。そのひとつとして、実は地元の島根県でフィンランドをテーマとしたコワーキングスペースをはじめることにしました。
先代のオーナーさんから継いで二代目としてやっていきます。名前は「コワーキングハウス・マヤッカ」。マヤッカとはフィンランド語で灯台のこと。人生の岐路で迷った時に立ち寄れる灯台のような場所になりたいです。
日本家屋と北欧テイストをミックスしたコワーキングスペースです。
幸せにいろいろな形があるように働き方もいろいろあっていいはず。日本のやり方、欧米のやり方、そしてフィンランドのやり方。人と違っていたとしても、自分がより心地よくいられる方法を探して実践してみてお伝えしていこうと思います。
そしてあなたが日々感じたこともたくさん聞かせてくれませんか。あなたのお話や元気で笑っている姿が私を笑顔にしてくれます。
人を思いやれるあなただからこそ、まずは自分からケアしてあげましょう。
あなたが今日も元気でいてくれることを願っています。
text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)
2024年10月13日(日)~19日(土)、エラマプロジェクトでは「北欧のシリコンバレー」フィンランド・オウルにて、「フィンランド・オウルで働き方とウェルビーイングを学ぶプログラム」を実施しました。本レポートでは、参加者である平田萌さん(人事のプロ、キャリアコンサルタント)の体験に基づいた、フィンランドの働き方とウェルビーイングに関する考察をお届けします。
ツアー概要
日時: 2024年10月13日(日)~10月19日(土)
場所: フィンランド・オウル(現地集合・現地解散)
特徴: 職業専門学校または大学の視察、現地のライフスタイル専門家との懇談、森林プログラム体験、ボートサウナ体験
人事のプロが見たフィンランド:参加前の期待と現実
平田さんは、2024年春からフリーランスの人事として独立したばかり。 フィンランドの「幸せな働き方」を学び、自身の独立後の人生に活かしたいという強い思いで本ツアーに参加しました。 参加前は、フィンランドの高い1人あたりのGDPと短い労働時間から、日本のビジネスパーソンにはない高度な「仕事術」や「チームワーク」の存在を期待していました。しかし、ツアーを通して得た結論は「予想外の気づき」でした。
ツアーを通しての3つの気づき
ツアーを通して平田さんが得た3つの大きな気づきは、
1. 「かっこいい人」の定義の違い
フィンランドの職業専門学校で講演を行った元校長・ニコさんとの出会いを通して、平田さんは「かっこいい人」の定義が日本とフィンランドで大きく異なることを学びました。日本では仕事を頑張る人がかっこいいと見られ、「長く働き業務量をこなす」「生産性が高い」「成果を出す」ことが会社で評価される傾向がありますが、ニコさんは「人生に余裕のある人」こそが魅力的だと語ったのです。この考え方は、平田さんにとって衝撃的なものでした。
2. 自然と共にある休憩時間
ニコさんの講義中には、自然の中で休憩を取る時間がありました。参加者たちは、森を散歩し、気に入った葉っぱを持ち帰るなど、仕事とは全く異なることに意識を集中させました。この経験を通して、平田さんは「自然の中で過ごすだけでなく、意識して仕事を忘れることで切り替えてリフレッシュできる」ことを実感。そして、日本でも短い休憩時間(5~10分)をこまめにとることで、仕事への集中力や生産性を高められる可能性に気づきました。
3. まずは「自分」をケアする
ツアー最終日のモニカさん(フィンランド在住の日本人ライター)とのワークショップで、「日本人は周りに優しく、自分自身を後回しにする傾向がある」という指摘を受けました。モニカさんは「まずは自分をケアすること。自分が元気だからこそ、新しいことへの意欲が湧いてきたり周りの人に寛容になれる」と語りました。平田さんは、この言葉が、日本の働き方改革や人間関係の改善、そして自身の幸せな生き方につながるヒントだと感じました。
ツアー後の変化と今後の展望
ツアー後、平田さんは、フィンランド流の働き方を日本にそのまま導入することは難しいと考えながらも、いくつかの実践可能な方法を考案しました。
そして、この経験と気づきを基に、島根県でフィンランドをテーマにしたコワーキングスペース「majakka(マヤッカ)」(フィンランド語で「灯台」の意)を始めることことを決意。(正式には前任者から引き継いで、2024年冬から新体制としてスタート)迷える人たちの「灯台」となるような場所を目指し、活動していくとのことです。
編集後記
平田さんのレポートは、フィンランドの「幸せな働き方」を具体的なエピソードとともに紹介するだけでなく、日本社会における働き方や生き方への深い洞察を示唆するものでした。 ツアー参加者の方々からも温かいコメントが寄せられ、本プログラムの意義が改めて確認できました。 来年の5月には第2弾ツアーの開催も決定しています。 より多くの皆様に、フィンランドの「幸せ」を体感していただきたいと考えています。
こんにちは。ライターのひらふくです。暑い日々がつづきますが立秋もすぎて暦の上ではもう秋ですね。
秋になるとなんだかもの寂しい気持ちになります。ひとりでいると理由もなく心にすきま風が吹いているような気分になったり。
私はひとりでいることは苦ではありません。一人旅にも行くし自分だけでカフェに行くのも楽しいです。逆に飲み会などは最大4人までにしたいと思うくらいです。
でも、ひとりが好きだけどひとりは寂しいときがありませんか。
自分で選んだはずなのに誰かにここにいてほしいと思ったり、なのに人間関係の大変さに出くわすとやっぱりひとりが楽だと思い直したり。心は揺れ動いていて自分でも自分がわからなくなってしまいます。
そこで、今回はあらためて”ひとり”が持つ意味や、自分にとって生きやすいバランスを考えてみました。ひとりでいたいけれどひとりが寂しい。そんな時にかたわらに置いてもらえたら嬉しいです。
“ひとり”ってなんでしょう?
私が”ひとり”について考えたのはエラマプロジェクト主催の侑美さんの言葉からでした。侑美さんは2024年は8月から10月までフィンランドに滞在しています。そこで豊かな自然にひとり囲まれている中で孤独感について考えることがあったそうです。
物理的な距離は離れていても、心はいつも近くに感じられる。そんな温かい関係に支えられているからこそ、こうして一人で静かに過ごしていても、深い孤独感を感じずにいられるのだと思います。
そして、この3日間で改めて気づいたのは、「周りの人との心地よい人間関係があってこそ、ひとりの時間も充実する」ということ。
周りの人との関係に悩み、疲れてしまうと、ひとりの時間も孤独で寂しいものになってしまいますよね。
どんな人と一緒にいたいのか、どんな距離感で付き合いたいのか。
心地よい人間関係を築くために、常に模索し続けることが大切なのだと感じています。
ひとりの時にも周りの人との心地よい人間関係に支えられている。それは私の心にすとんと落ちてきました。物理的にはひとりでも、それを寂しいと思うかどうかは自分の心が決めること。心が寄り添っていると思えるのなら寂しくないのです。
例えば本を読んでいたら響く言葉に出会って「今度あの人に話そう」と顔が浮かぶ時。悲しいことがあっても来週あの人に会うまではがんばろうとふんばる時。ひとりでいるけれどきっと心は孤独ではないのでしょう。
反対に、大勢でいるけれどひとりぼっちだと感じる時もあります。私の場合は、大人数の飲み会にがんばって行ったけれどノリきれなくて声だけで笑っている時。自分でも顔がこわばっているのがわかります。
それは心と反対の行動をしているからかもしれません。本来は楽しかったら笑うし違うと思ったら笑わなくていいはずです。できないのは相手を気遣って私の心を押しこめているから。自分の心を出さないでいると、物理的には近くても、おたがいの心は遠くて自分だけ置いてきぼりにされたようです。
どうやら”ひとり”には二つの意味があるようです。その空間にひとりでいることと、心が誰ともつながっていないと感じていること。
私は心を押しこめるくらいなら空間にひとりでいたいと思います。でも心は誰かと寄り添っていたい。この二つは実は矛盾しなくてどちらも叶えられそうで少し嬉しくなってきました。
スナフキンのカッコよさは彼以外が作ってる
空間にひとりだけど心はひとりじゃない。これってどんなバランスなんでしょう?
ふと浮かんだのはフィンランドが生んだ名作ムーミンに出てくるスナフキンです。
日本のアニメのスナフキンは物知りでクールな孤独を愛する一匹狼。いつもムーミンやスニフをフォローしてシニカルな笑みを浮かべていてカッコいいと評判です。自分を偽らない彼の言葉は心に突き刺さってきます。
「いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ」
「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」
私は幼いころはスナフキンがお気に入りで、あんなふうに自由でいたいと願っていました。でも、スナフキンのあるセリフに出会って今は少し変わってきています。
「ぼく、ムーミンたちのことだって、わずらわしく思うこともある。おしゃべりもしたがるし、どこへ行っても、だれかしらいるし。だけど、ムーミン一家とくらしていると、いっしょでも、ひとりでいられるんだ。(中略)ムーミンたちは、ぼくのこと、ひとりにしておいてくれたんだ…」
「ムーミン谷の十一月」より
いっしょにいるけどひとりにしてくれる。それはひとりでいるけどいっしょにいてくれることと似ている気がして。
そう思うと、スナフキンが毎年冬にムーミン谷を去って一人旅に出るのは、ムーミンたちがいてくれるからじゃないかと感じます。春に待っていてくれる人たちがいるから、彼はひとりでも孤独じゃないのです。彼のクールなカッコよさはムーミンたちのおかげだとしたら少しスナフキンに親近感がわいてきました。
私は会いたい人たちを思い浮かべる時にこのセリフを思い出します。
例えば同じ空間で無言でいても苦じゃない人たち。言葉がまとまってなくても最後まで聞いて「うん」とうなづいてくれる人たち。いっしょに旅行に行った先で「ちょっとひとりで歩いてくるね」と言ったら「いってらっしゃい」と気持ちよく送り出してくれる人たち。
私の心を尊重して、でも孤独にはしないで寄り添ってくれるのです。こんな人たちとずっといっしょにいたいなと願っています。
ひとりだけど心はひとりじゃない。それはスナフキンのバランスかもしれませんね。
寂しさも心地よさに変えて
最近”solitude(ソリチュード)”という英語を知りました。
意味は”孤独”なのですが、ひとりでいることにポジティブなニュアンスがあります。他の人と離れてすごすことで自由を感じたり思考や感情をふりかえって内省できたりするからとのこと。
フィンランドの人たちが休みの日に森で過ごすのもこれに近い気がします。
また、ソリチュードは寂しさも歓迎するそうです。寂しくないほうがいいと思っていたのでちょっと不思議です。寂しさを歓迎する理由も考えてみましょう。
寂しい時は心が冷えて辛くなります。そして誰かに会いたくなって会いたい人たちのことを思い浮かべます。
すると彼らとつながっている気がしてふわっと心があったかくなって。寒いからこそ焚き火が温かく感じられるように、寂しいからこそ心のつながりを実感できるのかもしれません。
寂しさは寄り添うために必要なことだとしたらそんなに悪いものでもなさそうです。ソリチュードの直訳は”孤独”ですが私は”心地いい孤独”と訳したいなと思いました。
日常では、忙しさや悲しさに紛れてすぐにひとりぼっちかのように落ちこんでしまいます。
でも大事なのは寄り添いたい人たちのことを忘れないこと。寂しさをきっかけに大事な人たちに思いをはせて心はそばにいたいと思います。(もちろん呼ばれたら物理的にもそばに飛んでいきますよ!)
ひとりが好きだけどひとりは寂しいあなたへ。
この記事を書いている今、私はあなたに思いをはせています。そして私と同じようにあなたのことを思い浮かべている人が今もきっといます。
だからあなたも誰かのことを思い出して寄り添ってみませんか。そうしたらひとりが好きな私たちは孤独な時でさえも心地よく過ごせるはず。
毎日いろいろなことがあるけれど寂しさも心地よさに変えて。ひとりだけれどいっしょに生きていきましょう。
Text by ひらふく
こんにちは、ひらふくです。
春は始まりや終わりの時期ですね。私の周りもいろいろ変化が起きました。みなさんも新たに変わったことがあるかもしれません。
変化といえば、最近エラマプロジェクトのホームページにも新しいことがあったようです。以前は、「フィンランド」や「北欧」で検索して見つけてくださる方が多かったのですが、最近は「自分なりの幸せ」というワードでヒットしているとのこと。
「自分なりの幸せ」。確かに私にとっても大事なキーワードです。
ただ、実は最近自分なりの幸せを探すことに少し疲れてしまいました。だってなかなか見つからないし続かないから。非日常なイベントに参加して、気持ちが盛り上がり「見つけた!」と思っても日常に帰ると忘れてしまったりします。
このループから抜け出すため、今回は幸せ”探し”ではなく幸せ”がる”日をやってみました。「幸せがる」は「おもしろがる」から思いついた私の造語です。「これはおもしろい」と興味をもつのと同じで「これは幸せだ」と勝手になんでも幸せに変換してみました。
あるもの全てが幸せに変わるのだから幸せに満ちあふれるはず!…だったのですが事態は思いもよらない方向に。
では、幸せがってみた1日にお付き合いください。
基本の「幸せがりかた」をやってみる
まずは本などでよく見かける方法を試してみました。
・ささいなことが幸せ
・嫌なことも実は幸せ
・人のつながりで幸せ
さっそくやってみます。
■ささいなことが幸せ
朝起きて顔を洗ったとき「冷たい水がすぐ出てきて幸せだな」
歯を磨きながら「清潔な暮らしができて幸せだな」
お茶を淹れて「朝からゆっくりできて幸せだな」
…う~ん、なんだか無理やりな感じ。今日は幸せに思えても明日からもずっと思えるでしょうか。
どれもありがたいことには間違いないのですが、私はワガママなので毎日慣れてしまっていることは幸せ変換しにくそうです。
■嫌なことも実は幸せ
人ごみが苦手なのですがあえて出勤時の満員電車にチャレンジ。もし誰かがお年寄りに席を譲るシーンなどを見れたら心温まること間違いなしです。
しかし、あまりの窮屈さに手すりを掴むのに必死でした。視線が合うと気まずいので周りも見れず耐えるばかり。私にとっては幸せに変換できないものもあるようです。
■人のつながりで幸せ
現代においてつながるツールと言えばSNS!ということでXやインスタをながめてみました。フォローしている方のインスタを見ていると広告で気になるものを発見。そこで紹介されていた商品のさらに先へ…と気づけば2時間がたちました。
でもどうにも幸せな気分にはならず、むしろ「あれ欲しいな」「私もやるべきなのかな」と物欲や不安を煽られているような。「こんなふうになれますよ」という幸せのお手本をたくさん見たはずなのに、私は幸せになっていなかったのでした。
「幸せのお手本」に当てはまろうとして
なんでも幸せがってみたのになぜか空振りです。
ささやかな幸せには慣れるし、満員電車はやっぱり好きになれないし、SNSにある幸せのお手本たちはプレッシャーをかけてきます。
これはなぜなんでしょう。
考えてみると、私はなんでも幸せがると言いながら実はその逆で、世間が示す「あるべき幸せ」にがんばって当てはまろうとしていた気がします。
ささやかなことに感謝できる自分、嫌なこともポジティブに考えられる自分、キラキラ生活で年収●万円の自分…。そんなあるべき像になって、あるべき幸せに当てはまりたかったんです。だって、私には「世の中と違っても自分にはこれが幸せだ」と言い切れるような自信がないから。お手本の真似をして「私は幸せなんだ」と周りや自分に言い聞かせたかったのです。
でも、実際に幸せがってみてわかったのは、私はそれらを幸せだと思えないということでした。
私はどうして自分の幸せを断言する自信がないのでしょうか。
それは、「幸せ」という言葉が今や一人歩きしているせいかもしれません。
本やSNSで切り抜かれる幸せはわかりやすくて誰からも認められるものです。私はいつしか幸せとはそんなスペシャルなものだと思うようになりました。
幸せになるには努力が必要で簡単には手に入らないもの、だから自分はまだ幸せじゃないし、探し続けてやっといつか手に入る特別な瞬間だと信じていました。
でも本当に幸せはそんなにスペシャルなのでしょうか。
幸せがる1日の中で、楽しみにしていた展覧会を見に行きました。展覧会は予想通りのいいものでしたが、あとで思い返して幸せを感じたのは別の瞬間でした。
それは最寄り駅におりて潮の匂いを感じたとき。知らなかったのですが会場は海の近くだったんです。久しぶりに海に出会えてうれしくなりました。
この小さなうれしさが、自然と微笑んでしまったときが、楽しいと思えた一瞬が「私の幸せ」でした。きっと人にはわかってもらえないし、スペシャルなものではないけれど、私はこれを「自分の幸せ」だと認めてあげたい。それではいけないのでしょうか。
「自分の幸せは自分でつくる」という言葉があります。それは努力し続けるアグレッシブな人にしかできない大仕事だと思っていました。
でも、潮を感じた一瞬を「幸せ」だと思えることも、幸せをつくってはいないでしょうか。
幸せをつくるとは、大きな物事を成しとげるのではなく、自分が感じた幸せをちゃんと認めてあげることだと今は思うのです。
それでも悩むならあなたはもう知っている
ここまで読んで、「それでも幸せを探してしまう」と思ったかたはおられますか?
実は私がそうです。
日々の一瞬を「自分の幸せだ」と認めてあげることはできそうです。だけど、そんなふうに毎日を満たすのとは別に、私の人生全体は幸せな方に向かえているのだろうか。そう思って結局幸せ探しは終わらずグルグル探しつづけている時期がありました。
でも、探し続けるあなたはもう気づいていませんか。
自分がもう日々の一瞬の幸せだけでは満足しきれないということに。今と違う方向に向かいたくなっていることに。お手本と違っても「これが自分の幸せの方向だ」と認めてあげる岐路にきているということに。
私は認めてあげるのに3年かかりました。実はこの春に10年以上続けた会社員をやめて個人事業主になったんです。
それまでは悩んでばかりでした。方向性がまだ漠然としていたり、大人だからこそ守るべきものもあります。だからこそ、新しい方向に向かうことも、向かいたいのだと認めることも怖かったのです。今だって世間的には「幸せ」だし、別に毎日が満たされてたらいいじゃないと言い聞かせていました。
なのに、苦労しながらでも切り拓いていく人たちがまぶしくて。
そんな世間的な「幸せ」でがっちり覆われていた私を溶かしてくれたのはエラマプロジェクトでした。特にここに集う人たちです。
エラマに来る人たちは誰も持論をかざしません。なぜなら自分自身も迷い悩んでモヤモヤしているから。誰かに答えを教えてほしいわけではありません。そのモヤモヤを誰かに言えて、おたがいに励まされて許されて、自分で自分の道をまた歩き出したいのだと思います。
エラマはツアーやワークショップをしていて、大きなプログラムの終わりには参加した大人たちが涙を流します。そんなとき、私はいつも場にこんな声が流れているように感じるのです。
「向かっていいんだよ、あなたが幸せだと思う方に進んでいいんだよ」
その言葉が、私を覆っていたスペシャルにギラギラな幸せを溶かして、内にあったまだ頼りなくも柔らかい光を育ててくれました。
エラマには幸せのお手本がありません。エッセンスは紹介するけれど、5人もいる講師は個性豊かにバラバラで「これが絶対の正解!」という方法を教えるわけでもありません。
だからこそ、あなた自身もまだ認められないような「あなたなりの幸せ」も「幸せ」として大事にしてくれるのだと思います。
もしエラマで出会えたら、私もあなたの幸せを大切にしたいし、私もまたあなたが認めてくれたことで励まされるのでしょう。
悩みながら歩くまぶしいあなたへ
幸せがる1日をやってみて、世の中がお手本とする「幸せ」がどれだけ自分に染みついているかがわかりました。誰かのためのお手本は私を幸せにはしてくれないことも。
私はまだまだ覆われて固まってばかり。でも、スペシャルな宝石のような幸せを待ちわびるより、手の中にある原石を磨く日々を気に入っています。
ずっと幸せを探し続けるあなたは、新しい方向に向かう気持ちを認めてあげるときなのかもしれません。それは怖さとの闘いですぐに決断はできないし時間もかかるでしょう。
でも、きっと不毛に「自分なりの幸せ」を探しまわらなくてよくなります。だってもう幸せはあなたの内にあって、認めてもらうのを待っているだけだから。
他人のお手本に幸せを探すのはやめましょう。
自分の幸せに気づいてるなら認めて陽の目を見せてあげましょう。
悩むのはあなたが人生に真摯だから。
いつの日か歩きはじめるあなたがとてもまぶしいです。
text by ひらふく
こんにちは!いけかよです。
10月になりました。いけかよの住む関西でも、やっと少しだけ秋めいてきたような…?
とはいえ、秋は行楽の季節。食べ物もおいしいし過ごしやすいし、秋こそ旅に出たいな〜と思う方もたくさんおられるはず。
ではぜひ、その旅先候補のひとつに岐阜県の飛騨高山を加えてみてはいかがでしょうか?
ということで、本記事ではわれらがエラマプロジェクトの日本のホームとも言える飛騨高山の魅力を全力で推したいと思いますっ!!
蕎麦好きにはたまらん季節 byいけかよ
飛騨高山にはいろんな美味しいものがありまして、有名な飛騨牛や日本酒をはじめ、朴葉味噌や漬物ステーキなどなど、地元グルメもおいしい!
そんななかでも、秋に開催される新蕎麦まつりが、いけかよは最高だと思うのです…!
新蕎麦まつりは10月下旬から11月にかけて、飛騨の各地で行われているようで、たまたま飛騨高山に行った時に遭遇したのがきっかけ。
蕎麦は最後の晩餐にしてもいいと思うくらいいけかよは好きなのですが、それこそ飲むようにいろんな蕎麦を食べられるこの新蕎麦まつりはいけかよにとってはたまらんイベント!
まさに、この秋のタイミングで訪れるべき催し。ぜひ、開催場所と日時をチェックして行ってみてください!
山の上でおいしいひとときを cafe 櫟-Ichii- by momo
こんにちは、momoです。
わたしがこのお店を知ったのはエラマプロジェクト代表ゆみさんへのインタビューがきっかけでした。
普段はカフェ巡りなどしない、コーヒーはめったに飲まなくなった、そんなわたしですが、過去にものすごくおいしいコーヒーに出会って感動したことがあるので、ゆみさんのお話をうかがい、高山を訪れたときにはこちらのお店にもぜひ足を運びたいと気になって仕方がなかった場所です。
いざそのチャンスがやってきてアクセスを調べると、JR高山駅から徒歩25分などの情報が。徒歩40分までなら許容範囲なので全然いけるなと高山の探検も兼ねて歩いて向かうことにしました。
お店のロケーションは時間や物事に追われる感覚から離れたいという人にはぴったりだと思います。
いただいたのはこちら。
コーヒーは期待を超えるくらいおいしくて、人生2度目のおいしいコーヒーとの出会いに、来れてよかった〜と静かにうれしさを味わっていました。
ケーキは、飛騨高山のフルーツも体験したいと思い、いつもなら食べないタイプの商品を注文。
スポンジが今まで食べたものの中で1番、最高においしかったです。
ここのなら、普段は選ばないショートケーキも食べてみたいと思ってしまうくらいに。
丁寧さが感じられるもので体を満たす幸せをかみしめる時間になりました。
cafe 櫟-Ichii-があるから高山に行きたくなると言っても過言ではないお店です。
ぜひ、高山でおいしいものを味わう幸せと自分の時間を大切にする幸せにひたってみてください!
思いっきり呼吸したくなる景色 by RUNA
こんにちは、どさんこ大学生RUNAです。
去年、開催された「エラマ文化祭」で初めて飛騨高山に行きました。
まだ一度しか訪れたことがないそんな私の飛騨推しポイントは、森林の景色です。
滞在した場所が山間部だったので、周りは豊かな秋の色に染まっている木々でした。
周りの全ての景色が自然だと、身体を伸ばしたくなったり、寝転がりたくなったり、思いっきり呼吸したくなったり…私は、無意識に身体が動いていました。
朝、6時前に目が覚め、気づくと約2時間、外で景色を眺めていました。
その景色がこちらです。
人が多くて、高層ビルばかりの所に行くと、空気のにおいに少し違和感を感じます。
それは私が北海道出身だからかもしれません。地元では、いつものように、もうすぐ冬だななど季節のにおいを感じていました。
飛騨高山でも季節の変わり目を感じました。なぜなら、そこに自然の景色が当たり前に広がっていたからだと思います。
自然豊かな飛騨高山には、紅葉の名所が沢山あるそうです。
思いっきり伸びをしながら、呼吸したくなる飛騨高山で、自然の景色を堪能してみませんか?
グルメと人に会える優しい場所 by ひらふく
こんにちは!ひらふくです。
飛騨高山には5~6回ほど訪れています。毎回私が楽しみにしているのは、おいしいグルメと飛騨の方とお話しすること。今回はエラマ図書館のまわりにある飛騨のお店を2件ご紹介します。
エラマ図書館があるウッドフォーラム飛騨は敷地内にいろいろなお店があります。高山ラーメン、みだらしだんごのお店、そして地元の人が早朝からやってくる産直市場とCafé &Rest Room335という喫茶店など。
産直市場の野菜ははじめて見るものもあってワクワク。作った方の名前が書いてあり丁寧に作られたことを感じます。飛騨の牛乳を使った無添加パンも販売されています。それも全部手作りで、ウッドフォーラムの芝生に座って食べると最高でした。
Café &Rest Room335さんのご飯はとてもおいしい!そして店内がとてもロックなんです。店内にはジュークボックスがあって音楽が流れつづけています。
私がはじめて訪れたのがちょうどジュークボックスが導入された日。男性客のグループが音に合わせて歌いながら会話を楽しんでいました。
食後のお茶にはそっと金平糖が添えられていました。飛騨の方からは、こうした言葉にしないけれど気にかけてくれる優しい気遣いを感じます。
お店の方に「これはなんですか?」と話しかけると「これはこうやって作ってるんだけどおいしくてね…」とこだわりを伝えてくださいます。
おいしいグルメとそれを作る優しい人達に会いに、さあ飛騨高山へ。
きっともっと秋を感じられる高山へ
いかがでしたか?「観光」とは違う高山のディープスポット、エラマライターズだからこそのチョイスです。
喧騒から離れてほっとしたいときに。
ふだんとは違う感覚を味わいたいときに。
「陽」が過多な日々に「陰」をプラスしてバランスをとりたいときに。
ぜひ、飛騨高山へおこしください。
Edit by いけかよ
2023年3月4日(日)に福岡で「フィンランドのライフスタイル講座」を開催しました。数年ぶりに九州での対面イベントが実施でき、熊本など県外からもお越しいただきました。
午前中はフィンランドの教育について、午後は環境先進国としてのフィンランドをテーマにお伝えしながらライフデザインワークで自身の生き方もふりかえります。
参加者のみなさんはどのように感じられたのでしょうか?当日のレポートをお伝えします。
午前の部は熱くスタート!
会場はOREC green labさんの3階。農業機械メーカーとして人と農・自然とのつながりを感じられる場づくりをしておられます。
1階カフェではオリジナルドリンク”お米ラテ”が大人気。参加者のかたもドリンクを片手に木に囲まれた空間で講座がスタートしました。
チェックインでは、参加理由や豊かで幸せな生き方について考えをシェアします。
14名の参加者さんは、エラマの森の住民さん、学校の先生、親子でのご参加や、お友達の紹介で来てくださった方などさまざま。
初対面にも関わらずどのグループも大盛り上がり!九州のみなさんのパッションがあふれていました。
講座では代表・石原がフィンランドで視察した教育現場をお話ししました。
公立幼稚園、小学校の授業の工夫や、カリキュラムの考え方、そして最新の教育方針までエラマプロジェクトならではの視点で読みときます。
フィンランドは国際学力調査PISAで世界一をとってからその教育が注目されてきました。日本との違いとして、教育文化庁からの決まりが少なく先生が比較的自由に授業を作ったり教科書を選んだりできることなどがあります。
また、教科横断という特徴もあり、算数を使って計算した図面をもとに図工で木工作品を作るなど、テーマ性やゲーム性をもたせて子どもたちが学びたくなる授業を目指しているのです。
フィンランド教育で本当に大切なことは?
しかし、代表の石原は、フィンランド教育で重要なのはその制度や授業の”形”ではなく、目には見えない”中身”にあると考えます。
特に今後のフィンランドや、日本社会において中心になるキーワードとして「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」という言葉を紹介しました。
このコンヴィヴィアリティはエラマプロジェクトでも大切にしている概念。詳しくはぜひエラマの講座で聞いてみていただきたいのですが、ひとりで自立しつつ人とも協力して心地よくいられる状態を指しています。
個人の自立を目指してきたフィンランドでも、近年はグループワーク教育が増えてチームワークを重視するようになってきているそうです。
「わたし」の心地よさを対話しよう
コンヴィヴィアリティで大切なのは心地よくいられること。北欧では、仕事や家族だけではなく自分だけの時間=マイタイムを作ることで心地よさを実現しています。
じゃあ、「わたし」にとってはどんな時間がマイタイムなんだろう?今日は何を思った?などグループで対話しました。
「今まで自分の時間をもつなんて考えたことがなかった。贅沢だと思ってました」
「フィンランドは絶対のルートがなくてやり直しができる社会でうらやましい。でも、私も今からでも人生をやり直しできるはずだと思いはじめました」
「私の話をみなさんが熱心に聞いてくださって勇気が出てきます」
ここまでの講座を通してフィンランドの自由な学び方や生き方を感じてきたみなさん。
マイタイムだけにとどまらず広く人生の話を熱く語り合っておられます。対話の力を強く感じた瞬間でした。
SDGsが身近にあるフィンランド
午後からは環境先進国としてのフィンランドのお話。
フィンランドは2023年度のSDGs達成度ランキングで世界一になりました。
環境先進国というと自然などの環境保全をイメージしがちですが、フィンランドはサスティナブル(持続可能な)という視点を日常生活にとりいれています。
フィンランドでは、物を捨てずに次の人へ回していくセカンドショップや、ごみを一切出さないレストランなどがあります。また、ズボンに穴が開いたらシールで手軽に修繕したりもします。
私は”サスティナブル”という言葉を大がかりなものに感じていましたが、実はとても身近にあるのですね。
”サスティナブル”は不便を我慢することじゃない
また、それまで思い込んでいた「サスティナブルな社会のためには便利さを我慢しなければいけない」というイメージも変わりました。
対話ワークでは、便利なままにしたいことと、あえて不便なほうがいいことを考えてみたのですが、参加者さんからは「実は不便でもいいね」という声があがりました。
例えば、自分で繕った服だと傷がつかないよう気をつけるよねとか、冷凍食品は便利だけど気分転換に一から料理をするとか、簡単に処分できないのは思い入れがあるからこそだとか。
サスティナブルは何かを我慢することではなく、自分のモノや自分自身の気持ちを見つめ直し大切にすることにつながっているのではないでしょうか。
代表の石原からは
今を意識し、「当たり前が当たり前じゃない」を感じる心が幸福度を上げるのだと思います。
という言葉とともに、エコ(エコロジー)ではなく廻向(えこう)という仏教の言葉を紹介しました。
廻向とは、功徳を本人だけでなく世界中にめぐらすこと。SDGsやサスティナブルという言葉を通して「わたし」自身やその先の人たちを大切にできたらいいなと思います。
いっしょに立ち止まる時間をあなたと
数年ぶりに九州でのリアルイベント開催。
なにより印象的だったのは参加者のみなさんの熱量です。フィンランドの教育や環境を知り、自分の生き方について真剣に考えておられました。
「誘われたから来たけれど、来てよかった。人生が変わりました」とおっしゃっていた、その姿が忘れられません。
エラマプロジェクトの講座は知識をお伝えするだけではなく、立ち止まって自分に問いかけ、参加者のかた同士の深い対話によって新しい「わたし」を発見していく時間です。
2023年は全国各地でリアルイベントを開く予定。次はあなたにお会いできることを楽しみにしています!
Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)