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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】自分だけの「しっくり」を求めて。京都でウェルビーイングを考える。

こんにちは、ひらふくです。暖かくなって外出もしやすくなりましたね。

今年のゴールデンウイークは国内旅行が去年の1.5倍にまで増えるそうです。私の職場がある京都もスーツケースをひっぱる人でいっぱいです。

そんな春の京都でふと考えてみたこと、それは最近よく聞く”ウェルビーイング”。

WHO(世界保健機関)によると「肉体的にも精神的にもそして社会的にもすべてが満たされた状態」という意味の言葉です。

トレンドなのか、「ウェルビーイングに生きよう!」や「ウェルビーイングな職場で働こう!」といった見出しをよく見かけるようになりました。

私はこうした賢そうな横文字についのってしまいそうになるのですが、でも本当はどんなものでしょうか?本当に必要なものなのでしょうか。

ウェルビーイング、あなたの言葉では?

日本語では幸福や健康、満足できる生活状態と訳すことが多いようです。でもそもそも幸福の意味すら私にはあいまいで、幸福ってなんだろう?状態。

ウェルビーイングは正しくは“Well-Being”と書きます。直訳すれば「良く在る」ですね。良く在るという言葉を自分なりに訳してみるとどんな言葉が合いそうでしょうか?

私がパッと思いついたのは「しっくりくる心地よさ」。

心が地についているように安定していて、くつろいでいて、好きなようにいられること。「しっくり」は元々仮縫いの着物を身体にあててぴったり合う状態を言ったそうで「その人に合う」というニュアンスがあります。

ウェルビーイングは、誰にでも当てはまる心地よさではなく、私にぴったりな心地よさ。

やっと英語から訳せて腑におちて、たしかにそんなふうにいられたら良いかもしれないと思いはじめました。

そこでウェルビーイングをさらに身近な感覚にしたくて、日本文化が色濃く残る京都で「日本流のウェルビーイング」を探すことにしたのです。

不完全だから心が動く

京都の街を歩いていると骨董品屋さんが多くあります。少し欠けた花瓶に枯れたススキが飾られたり、ディスプレイにぽつんと一つお茶碗が置かれていたり。

まったく派手ではないのですがしみじみ感じ入って眺めてしまいました。

そういえば海外の人は日本文化を「わびさび」と表現するそうですね。さびは物が朽ちたり錆びている様子、わびはそれに魅力を感じる心持ちを言うそうです。

古びた質素な茶室や、苔むしていく枯山水、散っていく桜を愛でる感覚。本当なら、茶室はきれいに修繕したほうがいいし、大きな噴水や満開の花を見たほうが気持ちは華やぐでしょう。

なのに、私は不完全なものたちに「しっくりくる心地よさ」を感じました。広がりはじめた苔にこれから数十年かけて育っていく壮大さを見たり、散っていく花にがんばって生きた生き様を想像します。

完全なものは美しいけれど、それ以上の広がりがない気がする。

それは人も同じで、私は自分に自信をもてたり良い人間でありたいけれど、もし完璧な人間になったら実際はがっかりするのかもしれません。

自己嫌悪になりながらも変われないのは、実は今の不完全さを愛おしむ自分がいるからなのかなと思い巡らせました。

路地に迷いこむ心地よさ

もう一つ「しっくりくる心地よさ」を見つけました。それは京都に張り巡らされた路地たち。

京都の道は碁盤の目になっているので先が見通しやすいように思われます。でも実際は、通りに囲まれた1区画のなかにも家がひしめきあって複雑な路地ができているのです。

私はもともと路地奥の隠れたお店を見つけるのが大好き。この日も、路地の突きあたりに民家のリビングを解放したコーヒー屋さんを発見したり、写真撮影NGでお客さんは全員知り合いといった焼きそば専門店を見つけたりしました。

スマートフォンで口コミ評価を調べながら歩いていたら気づかずスルーしてしまうようなお店たち。

鉄板でジュウジュウ音をたてる焼きそばを食べながら、高い口コミ評価は誰かの思うおいしさではあるけれど、私にとっておいしいお店とは限らないよなあと考えたりしました。

そう思うと、仕事でも生活でも上を目指してがんばるように言われるけれど、その指標は誰かの口コミ評価じゃないだろうか。

不完全なものを良いと思う一方で完全を目指すのはなんだか矛盾じゃないだろうか。

誰もが良いとする”上”を目指すのもいいことです。

ただ、私はそれよりも誰も教えてくれず先も見えない”奥”にむかって、こわごわ半分わくわく半分で踏み出していくのが性に合っている気がしたのでした。

ひとりひとりが幸せになれば、社会が幸せになる

最後にもうひとつ、フィンランドから学んだ「しっくりくる心地よさ」を。

フィンランドには「ひとりひとりが幸福になれば社会全体が幸福になる」という考えかたがあります。社会という言葉は前面に出がちですが、よくよく中身をのぞいてみればひとりひとりの集まりでできているもの。

だからまずは自分が幸せであろう。この考えが私は大好きです。

でも、自分の幸せの定義を、誰かの口コミやかっこよさそうな横文字に任せるのはちがうかもしれません。

今回は京都で日本流のウェルビーイングを探してみました。完全さより不完全を、上より奥に進んでいくのが心地よかった。ただそれも「ひらふくが思う、自分にしっくりくる心地よさ」というウェルビーイング。

同じ場所を歩いてもあなたにはあなたのウェルビーイングがきっとあるはずです。

京都から、フィンランドから、そしてあなたの日常から。「良く在る」瞬間を見つけて集めてみませんか?

オーダーメイドの服のようにあなたのウェルビーイングをまとって、さあ春の街へ。

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)

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