こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
私は国語教師、香司(お香の調合師)、和文化エバンジェリストなどいくつかの顔を持っていますが、メインの仕事は教師です。
とある私立高校に勤めて今年で12年目。
干支の一周分です。
人生の大部分を学校という環境で過ごしているわけですが、実は自分が生徒だった頃、私は学校が好きではありませんでした。
先生のことも好きではありませんでした。
それなのに、今は学校の先生をやっているの!?
そんな声が聞こえてきそうです。私自身、不思議な運命だなぁと思います。
今回は、かつて学校も先生も嫌いだった私の過去を振り返りながら、現役教師だってこんな体験をしてこんな風に思っていたんだよ、ということをお伝えしたいと思います。
私の経験が、どなたかの豊かで幸せな生き方に役立つならば幸いです。
私は「クラス一丸となって」が苦手な子どもだった
小学生のうちから、私の学校嫌いは徐々にその傾向が出ていたと思います。
小学1年生の頃。
図工の時間に使う絵の具セットを注文した時のことです。絵の具セットは、赤と青の2種類あり、どちらかを選ぶようになっていました。
私の記憶によると、担任の先生が「好きな方を選ぶように」と言ったのです。だから私は当時好きだった青を注文しました。
けれど、青を選んだ女の子は私一人。
というよりも、男子は青、女子は赤を選ぶことが当然の了解事項になっていたわけです。他のクラスでは、そのように指導されていたのかもしれません。
その後の小学校6年間を通じて、私は女子の中で自分一人が青であることに引け目を感じ、恥ずかしい思いをしました。
どうして担任の先生は「女子は赤を選ぶように」と言わなかったの!?
そう言ってくれたら、私は素直に赤を選んだのに。
私はこんな風に憤っていました。
担任の先生なりに、男子は青、女子は赤という決めつけに思うところがあったのかもしれないし、好きな色を選んでいいというのは、幼い私の勘違いだったかもしれません。
でも私に残ったのは、好きな方を選んだがために、恥ずかしい思いをしたという事実。
小学校低学年の記憶などほとんど薄れているというのに、この羞恥は今でもよく思い出せます。
次は小学6年生の時のこと。
担任の先生は体育の教員で、「みんなで」「クラス一丸となって」のようなことが好きな人でした。
私の小学校には、陸上部や吹奏楽部など、いくつかのクラブがありました。入部は希望制で、全員が入る必要はありません。
ですが陸上部を受け持っていた私の担任は、クラス全員が陸上部の活動に参加するよう促しました。
クラスみんなでやるということに意義があるようでした。
けれど、私はそれがとても嫌でした。「クラスみんなで」を実現するために、なぜ興味のないことをやらねばならないのか本気で分かりませんでした。
担任の先生は必要以上に強制はしませんでしたが、クラスのほとんどが参加している中、私は入っていないというプレッシャーをクラスメイトからも感じました。
みんなで一丸となって取り組むことが素晴らしい、という観念に強い拒否感を抱いたのは、この時が初めてだったかもしれません。
今でも私は「みんなで一緒に」が苦手な人間ですが、小学生の頃からその片鱗があったのかと、我ながら驚きです。
ますます生きづらかった中学校時代
そんな私ですから、制服、校則、部活動など「みんなで一緒に」が目白押しな中学校生活は非常にストレスフルなものとなり(あくまで私の出身中学の話です)、私の学校嫌いは中学時代に加速しました。
私は都会でも田舎でもない町の出身です。町には、バイクで暴走行為をするような「不良」たちもいました。
私の中学では、ほとんどの生徒は彼らと関わることなく過ごしていましたが、なかには付き合いがあった子もいたようです。
生徒が非行に走ることを阻止したい教員たちの姿は、私の目からはとても威圧的に見えました。大声で怒鳴ったり、授業中に丸々一時間説教したりといったことは当たり前にありました。
先生たちは生徒の個性を伸ばすよりも、従順な良い子集団にすることを重視していたように思えます。クラス丸ごと説教されているうちに、私の中で自由とか個性とか、そういった大事なものはどんどん縮こまっていった気がしてなりません。
そんな中学校生活で特に嫌だったのが部活動でした。私の中学では、部活動には全員が参加しなければなりませんでした。
前述のように、小学校の陸上部(確か週2回程度の活動)ですら入りたくなかった私なので、中学の部活は嫌で仕方がありませんでした。
生徒を非行に走らせたくないためか、先生たちは活動の盛んな運動部への入部を強く勧めました。ですが「みんなで一緒に」が苦手な私は、チームスポーツを中心とした中学の運動部に強い拒否感がありました。
それに放課後だけでなく、休日も部活動のために登校しなくてはならないのは、私にとって苦痛でした。
そこで、どうしても運動部に入りたくなかった私は子どもの頃から趣味で習っていたバレエを持ち出し、「バレエを頑張りたいから運動部には入れない」という理由を押し通したのです。
私の学年には、生徒を運動部に入れるという強い意向を持った先生がいたのですが、バレエを理由にすることでなんとか納得してもらったのでした。
結果的に、私は運動部入りを免れ、活動の軽い文化部への入部が叶いました。
私は、学校で何か大きなトラブルを抱えていたわけではありません。真面目な優等生タイプだったので、むしろ先生からの覚えはめでたいくらいでした。
でも、問題を起こさない真面目な優等生が、気持ちよく学校に通っていると思ったら大間違いです。自分の意志ではないことを強制される経験は、柔らかい心をどんどん硬く冷たくしていきます。
こういったことが重なるうちに、私は学校や先生のことが嫌いになっていったのです。
色んな生徒がいるのだから、色んな先生がいたっていい
ここまでお話ししてきたことは、子どもだった私の視点から見たエピソードです。
現在の私が同業者の立場から見たら、当時は分からなかった先生方の苦労や真意が浮かび上がってくることでしょう。
私には合わなかっただけで、客観的に見たら、あの先生方の指導は悪いものではなかったのかもしれません。真相は藪の中です。
ともかく私は大学、大学院と進学し、数年間の大学院生活を経て、高校の教員になりました。
大学院にいた頃、自分は教壇に立つことが向いていると感じ、正規の教員になる決心をしました。
私は探究心は強いものの、自分が研究者になるよりも、先人たちの研究成果を分かりやすく人に伝える方が性に合っていると分かったのです。
こういうきっかけなので、「子どもの頃から先生になりたかった!」「先生は憧れの仕事!」という根っからの教員志望の方とは、気持ちの上でちょっと違う部分があると思います。
「学校が好きだから、先生になりました!」「恩師のようになりたくて!」という方とも違っているでしょう。
でも、学校が好きな子もいれば、嫌いな子もいるように、学校が好きで教師になった先生、学校を好きじゃなかったけれど教師になった先生、どちらもいていいんじゃないかと思っています。
学校は社会の縮図と言われるように、学校に集まる人たちは本当に多様です。
そう考えると、「子どもの頃から学校が好きだった!」という先生しかいない方が不自然ですよね。
今、私は勤務先の学校が好きです。自分の仕事にやりがいを感じ、私なりに信念を持って生徒たちに接しています。
教員の傍らパラレルワーカーをやっているせいか、「先生らしくないね」と言われることも多いですが、教師という仕事には真摯に向き合っているつもりです。
自分が生徒だった時、学校のことも先生のことも嫌いになってしまいましたが、そういうルーツがある私だからこそできること、分かることがあると思っています。
世の中には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃって、私の力など微々たるものですが、こんな子ども時代を過ごした先生もいると知ることで、気持ちが軽くなるお子さんがいらっしゃったら嬉しいなと思います。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)