Elämäプロジェクト

【よむエラマ】どうしてあの人を見ると苦しくなるんだろう。その嫉妬は、あなたの未来を照らす道しるべとなる

こんにちは、pieni(ピエニ)です。

自分の感情の中で、いつもざらっとした気持ちになるモノがあり、それがとても不快でした。

それは「嫉妬」という感情でした。

それに気が付いてから、嫉妬に向き合う方法や、手放し方の記事をたくさん読みました。

けれど、一時的には「そうか!試してみよう」となるものの、私の中のもやもやの本質には触れられず、なんだか空回り...

ずっと自分の内側に、悶々とした嫌な感情が居座っていました。

無理に向き合う必要はない、とも思いました。

蓋をしてしまえば表面上は穏やかに暮らせるし、誰かに迷惑がかかるわけでもありません。

今までそうやって過ごしてきたのですし。

しかし、40代に入り、人生の折り返しを意識するようになった今、このざらつきを抱えたまま進むのは嫌だと思ったんです。

これからの自分を大切に生きたいからこそ、自分の心に潜んでいるものをいまのうちに見つめておこう。

そう思い、そっと蓋を開けてみることにしました。

嫉妬を感じるのはどんな時?

私が嫉妬にとらわれるのは、どんな状態だろう?と考えてみました。

●同じような仕事をしている方が注目されたとき。

●新聞やテレビで身近な人、知り合いが賞賛されているとき。

こんな時が多いです。

もちろん「すごいな」「よかったな」と思う気持ちもあります。

けれど同時に、胸の奥で小さなざわざわが起こり「羨ましい。素直におめでとうと言えない。私、全然ダメだ」そんな声が聞こえてきます。

そして、そう思う自分が嫌になる。

このざわつきは、家事や仕事、楽しいはずの推し活でさえも、じわっと気力を奪ってしまうのです。

この感覚は、子どものころから続いてきたので、長い付き合いでした。

でも、こうして考えるうちに「この気持ちを丁寧に紐解いてみたい」と思うようになりました。

正直、途中で投げ出したくなるほど見たくない自分にも出会いました。

けれど、見ないまま生きるほうが、じつはずっと苦しかったのだと思います。

そこで気づいたのが、私が嫉妬するときに動いている“3つの心の動き”でした。

ここから、気づいた感情について書いていきます。

①なりたい姿にならなかった自分への怒り

「嫉妬する相手=なりたい姿」とよく聞きます。

私もそうだと思っていました。

でも、全知全能の神が現れて「その人の能力も立場も丸ごとあなたにあげよう」と言ったら、私は本当に欲しいのだろうか?と考えました。

返ってきた答えは、はっきりと “NO” でした。

羨ましい、いいな、とは思う。

けれど、同じになりたいわけではない。

今の私だからこそできることもあると思う。

では何にざらついているのか。

やったらいい結果になるとわかっていたのに、行動に移さなかった。

なのに、少しずつでもコツコツ続けた相手は成功している。

私は、そこに向かう努力を選ばなかった。

こんな事実に、怒っていたんです。

後悔とは少し違う、行動に移さなかった自分への怒り。

そして「できない、やらない、努力できない自分はクズだ」そんな強い口調で激しく責めている自分にも出会いました。

きっと、周りの誰も私のことをそんな目で見てはいないはずです(…そう信じたいところ)。

それなのに、自分だけが自らに厳しい評価を下している。

●ちょっとかじって、合わないとすぐ離れる。

●壁に当たると、止まってやめてしまう。

●努力の継続が苦手で、そこから逃げてしまう。

●失敗や形にならないことを恐れて行動しない。

それが私の弱い部分だと思いながらも、直そうと思えない自分を、ずっと責めていました。そしてがっかりしていたのだと思います。

その自己否定の痛みが、「なんかむかつく」「羨ましい」「ずるい」という形に変換され、相手に向かっているのだと気づきました。

② 無意識に“上下”をつけてしまう私

これに気づいた時は、性格悪いなぁと、正直かなり落ち込みました。

でも、上下をつけてしまう背景にも理由があったんです。

それは「許せない自分」を直視しないため。

弱さ、情けなさから目をそらすため、“安心できる下の存在” を心の中でつくり上げていました。

自分のダメな部分を、もっと持っていそうな人だとジャッジして、下だと評価してしまうのです。

本当は、こんな上下関係なんてつけたくないのに、つけてしまう。

そして、その“下”に分類した人が賞賛されると、胸の奥で「なんで?私はできないのに、下だと思ったあの人ができている。ずるい!」という感情が暴れ出します。

さらに、その感情を抱いた自分と、相手に平静を装う自分に自己嫌悪…。

こんな悪循環をずっと繰り返していたんです。

この「ずるい」と思う気持ちには、今の自分にはできないこと、やろうとしていないこと、超えられないと感じている部分が眠っていそうです。

③ 「何者かになりたい私」がいつもそこにいる

子どもの頃から、賞賛されたい、認められたい気持ちがありました。

商売屋の長女で、祖父母にとって初めての内孫。手をかけてもらい、蝶よ花よと大切に育ててもらった記憶があります。

店に出ると「看板娘」と言われ、ちょっと調子に乗っていたことも。

大人が手伝ってくれることも多かったので、子どもの頃は工作や作文の賞をもらうこともありました。

こうした経験から、いつしか褒められることが重要になり、何かを目指すというより、賞賛されること自体が目的になっていました。それが認められた実感となり、自分の存在価値を示すものになっていたようです。

でも、ほんとは賞賛されるほどの努力を続けることは苦手。

「できることなら、嫌な部分は誰かにやってほしい」

「ラクして褒められたい」

「イージーモードで何かを成し遂げる何者かになりたい」

大人になった今でも、心の片隅にそんな思いがくすぶっています...。

だからでしょうか。近しい誰かが褒められたり、認められたりすると、胸の奥でざわざわと「羨ましい」「ずるい」「妬ましい」という感情が出てきます。

賞賛されているその人には、もちろん努力の過程があるはずなのに、そこにはあまり目を向けられず、ただ感情だけが先に動いてしまうのです。

この気持ちは、ただの嫉妬ではなく、自分の中に残る「何者かになりたい」「存在価値を感じたい」という願いが顔を出しているのかもしれません。

ヒロアカが教えてくれた嫉妬のカラクリと私のこれから

私はアニメが好きです。

アニメの登場人物のセリフや、心の動きを自分に当てはめて、問題を解決することもあります。

今回、この嫉妬の感情と丁寧に向き合い、隠れていた3つの感情に気が付き、言語化できるまでに導いてくれたのもアニメでした。

『僕のヒーローアカデミア』(ヒロアカ)というアニメをご存じでしょうか。

ヒロアカは、超常能力「個性」を持つ人がほとんどの世界が舞台。

無個性の少年・緑谷出久(デク)が、憧れのNo.1ヒーロー・オールマイトから力を受け継ぎ、名門・雄英高校で仲間たちと出会い、戦いを通して成長していく物語です。

原作はジャンプ掲載の漫画です。なのでThe少年漫画という胸アツシーンが多いのですが、奥にある「人としての成長」が大きなテーマでもあり、登場人物たちの心の葛藤がとても深く描写されています。

登場人物の中に、デクの幼馴染でクラスメイトの「爆豪勝己」がいます。

彼は強い個性を持ち、幼いころから周囲に賞賛され、自分に自信を持つ傾向がありました。

そのため、無個性のデクを見下すこともありましたが、やがて自分より精神的・肉体的に成長するデクに苛立ちや焦りを感じます。

その結果、デクに対してひどい態度を取ることもありました。

しかし、爆豪は自分の弱さに気づき、恐れていた感情を正直に認めます。

その時の言葉が印象的です。

※ここから作品中にでてくるセリフを引用しています。もしこれからヒロアカを見ようと思われる方はご注意ください。

てめーをずっと見下してた、無個性だったから。

俺より遥か後ろにいるハズなのに、俺より遥か先にいるような気がして……

嫌だった、認めたくなかった、だから遠ざけたくていじめた。

否定することで優位に立とうとしてたんだ、俺はずっと負けてた。

雄英に入っててめーの強さと自分の弱さを理解していく日々だった。

今までごめん。

爆豪は、自分の見たくなかった感情を認め、自分の弱さを受け入れます。そして、デクを超えたい存在でありライバルとして認めながら「真の強さ」を手にしていきます。

この物語には大きく心を揺さぶられました。

自分の弱さを悪者にしない。

ただ、自分の一部として見つめる。そして正直になる。

アニメに描かれた、このプロセスは、現実の私にも重なるものでした。

嫉妬や焦りに翻弄されるとき、まずは「いまの自分の心の動き」を認めること。

そこから始めようと思えたのです。

これからも嫉妬と付き合っていく

私はまだ、爆豪のように強く、目標に向かい感情を乗り越える段階ではありません。

まずは、嫉妬してしまう自分、上下をつける癖、何者かになりたがる内側を、そのまま “そこにあるもの” として眺めること。それが始まりだと感じています。

自分への怒りや、責めている部分に対しては、その矛先が外に向く前に

「ほんとにがっかりする必要があったかな?やらなかった理由、続けなかった理由があったんじゃない? その理由のほうこそ、大切なんじゃない?」

というように、自分自身へ丁寧に問いかけようと思います。

上下で判断し、羨ましいと思う感情に対しては

「あ、また上下で見てるね」と気づくだけにして、ジャッジはしない。

「下と思っていた人に、抜かされたと感じて辛いんだね。いたたまれないんだね。

できない自分を残念に思っているんだね。存在価値ないじゃんって思うくらい凹むよね。」

このように、認めながら、静かに心の動きを観察していこうと思います。

賞賛される何者かになりたい、存在価値を感じたいという気持ちは、「これから、わたしがどう生きたいのか」というテーマにつながっていると思います。

ただ褒められたい、ただ何者かになりたい、というこれまでの原動力を少しずつ変えていく作業なので、答えがすぐに見つかるとは限りません。

それでも、心の声に耳を澄ませながら、少しずつ抽象度を上げて、自分の本当の望みに近づいていきたいと思います。

まだまだ嫉妬に振り回されることはあると思います。でも、そのたびに今日ここに書いた気持ちを引き出してこようと思います。

嫉妬する感情を手放すのではなく、受け入れるのでもなく、丁寧に付き合っていく。

これが、今の私がざらりとした不快な気持ちとの折り合いをつける方法です。

嫉妬の感情に向き合うのは、正直なところ苦しいかもしれません。

蓋をして見ないふりをしていたその感情に、少しだけ目を向けてみる。

理由は千差万別。なぜ自分は嫉妬してしまうのか、本当に理解できるのは自分だけです。

もし、あなたも同じように嫉妬で悩むことがあったら、少しだけ心をのぞいてみてください。

向き合うことで、自分でも気づかなかった心の動きや感情のカラクリが見えてきます。

そして、その先には、嫉妬する自分だからこそ見つけられる、本当にやりたいことや進みたい道が、少しずつ見えてくるはず。

嫉妬も、自分を知るための大切な道しるべなのかもしれません。

Text by  pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)

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