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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】ふらふら揺れても大丈夫。自己対話で見つけるわたしだけの「幸せな生き方」

こんにちは、pieni(ピエニ)です。

わたしはこの「よむエラマ」のライターとして記事を書くようになってから、自分の気持ちや考えにじっくり向き合うことが増えました。今では、自己対話や内省はまるで趣味のように。自分の心に向き合う時間をとても大切にしています。

今回は「わたしの幸せ」について、自己対話を重ねながら書いた記録をお届けします。

見つけたはずの「わたしの幸せ」

実は以前、わたしは自分の奥深くに、2つの「幸せ」があることに気がつきました。

それをわたしは「動の幸せ」と「静の幸せ」と名付けました。どちらもわたしにとって大切な感覚です。

動の幸せとは

おしゃれなマルシェやイベント、心のこもった商品、作り手のストーリーや歴史を感じるものや、デザイン、空間に出会ったとき、わたしの心は明るくなります。

頭や心の中で花がパッと開くような感覚。

そんな瞬間、自然と笑顔になって、一緒に過ごす人を大切に思えたり、やさしくなれたりします。

そしてその「良さ」を、自分の言葉で誰かに伝えたくなったり、関わってみたくなったり、時には販売という形で届けたいと思うことも。

そんなふうに心が動き、外に向かってひらいていく感覚。
それが「動の幸せ」です。

静の幸せとは

何気ない日常の中で、じんわりと喜びを感じることができているとき。心に余裕があるとき。余白があるときにそれを感じることができるのかもしれません。

例えば、わたしはお風呂が好きなのですが、水道代を払えるように働いてくれている家族や、お風呂に使えるほどの水がある環境などに「ありがとう」と合掌しながら感謝しているとき。

また、特別な何かをするわけじゃなく、家族みんなで他愛もない話をして笑っているとき。

さらに、身近にある自然、特に木やツタが、今日も優しくそっと寄り添ってくれていると感じられる瞬間。

そういう小さなあたたかさにほっとできるときが、「静の幸せ」です。動の幸せと、静の幸せ。この2つの幸せがどちらも満たされているとき、わたしはとても「自分らしい」と感じることができるようです。

突然幸せが見えなくなったとき、助けを求めたのは…

先ほど書いた2つのことが「わたしの幸せだ!」と感じられたとき、本当に嬉しかったんです。

やっと見つけられた気がして、それこそ幸せな気持ちでした。

でも、ゴールデンウィークのある日、体調を大きく崩したことをきっかけに、その感覚はふっと遠くへ行ってしまいました。

「わたしには何もできない」「何もない」「しょうもない人間だな...」と、気持ちはどんどん沈んでいきました。

一度は確かに自信を持てた「わたしの幸せ」。

それが今、自分の中でうまく掴めなくなっていることに、もどかしさや焦りを感じています。

「あれ? これから育てようとしていた幸せはどこに行ったの?」

毎日のようにもやもやして、心が落ち着かない。

「悩める時間があるのもありがたいことだな」と思いつつも...苦しい。

だったらもう一度、今の自分にとっての「幸せ」とは?を、じっくり考えてみようと思いました。

ただ、一人ではまた深い闇に落ちてしまいそうだったので、友人から教えてもらった「ある先生」に少し手を貸してもらうことにしました。

ある日、友人がSNSでこんなことを書いていました。
「Chat GPTは、わたしのカウンセラーで、優秀なマネージャーです。悩んだとき、相談すると“そうそう、それ!”って、今の気持ちややりたいことを言葉にしてくれるから、すごく助かってる」と。

その投稿が、ずっと心の片隅に残っていました。
なので今回、わたしもChat GPT先生に相談してみることにしたんです。

わたし「自分にとって幸せな状態が分かりません」

GPT先生「それはとても大切で、誰もが一度はぶつかる問いですね。

「自分にとって幸せな状態が分からない」という感覚は、心の深い部分にあるモヤモヤや空白に気づいているということで、それ自体が一歩前進でもあります。

少しずつ、一緒に探っていけたらと思います。」

わたし「いちど掴んだと思った幸せを実践しようと思ったのですが、うまくいかなくなったんです」

GPT先生「その経験、とてもつらかったですね。

「これが自分の幸せかもしれない」と感じて、それに向かって動いたのに、うまくいかなくなった時の虚しさや不安、戸惑い…よく分かります。

それは、心の奥で信じていたものが揺らぐような感覚だったかもしれません。

そして次の問いがありました。

GPT先生:少しお聞きしてもいいでしょうか?

●どんな“幸せ”を掴んだと思ったのか?
(どんな状態や生き方、人間関係、働き方…などだったか)

●何がうまくいかなくなったと感じたのか?
(外的な出来事?自分の気持ち?人との関係?)

●今、どんな気持ちですか?
(悲しさ、怒り、自分への責め、混乱、空っぽな感じなど)

このようなやりとりをしながら、GPT先生の問いに答えていきました。

わたしのだけのほんとうの気持ち

Chat GPT先生とのやりとりを通して、少しずつ自分の心の声が聞こえてくるようになりました。
そして、いくつかの「気づき」が浮かび上がってきたのです。

思っていた以上に、わたしは疲れていた

子どもが学校に通えるようにサポートする、家庭での役割。それに加えて、気持ちを安心して話せる存在がいなくなってしまったこと...。

そこに気が付かず「昨年に比べたら今のほうが余裕があるんだからできるだろ!」「夫のほうが、周りの人のほうが大変なんだからこれくらいできるだろ!」と叱咤激励しながら進んでいました。しかしそれは自分で感じていた以上に、自分を追い込んでいたようです。

「動の幸せ」は、わたしにとって大切だけど…

人と関わったり、誰かの役に立ったり、企画をしたり。
そうした「動」の中にある喜びは、確かにわたしの中にあります。
けれど、それには責任も伴い「うまくいくかな」「最後までやりきれるかな」と不安になることもしばしば。
心が追いつかず、立ち止まりたくなる瞬間もあります。

そんなとき、ふと自分の中から聞こえてくる声があります。

「ほんまにそれでいいん?」

前に進みたい気持ちと、止まりたい気持ち。その両方がわたしの中にあるのに、うまく切り替えられず、苦しくなることがあります。

「今立ち止まってしまうと中途半端に思われるかも、信頼を失ってしまうかも...」そんなふうに、人の目や評価を気にして、どうしたいのか分からなくなってしまう。
そのたびに、胸のあたりがキュッと縮こまってしまいます。

それでも、わたしは少しずつ進んでいる

でも、少しずつ気づき始めました。
本当は「動」も「静」も、どちらもわたしの幸せの一部。
どちらが正解というわけではなく、その時々の自分に合ったあり方を選べたら、それでいいんだと。

でもまだ、「どう思われるかな」「期待を裏切ってしまうかも」といった不安は、完全には手放せていません。
そんな気持ちに引っぱられて、幸せとは逆の方向へ向かってしまいそうになることもあります。

わたしの幸せの感覚を味わうためには、人の目よりも「わたしの気持ち」に耳を傾けること。そして「今はこうしたい」と、正直に伝える勇気が必要なのだと思います。

最後に、GPT先生とのやりとりの中でこのような励ましがありました。

「あなたの「動と静の幸せ」は、心からのものです。

あなた自身の感受性から生まれた本物の幸せですね。

そしてその幸せを、「自分だけで感じるだけでなく、誰かに伝えたい」と思えたあなたの心は、とても豊かで温かいです。

この言葉には、心がほぐれ嬉しくなりました。

いま、幸せを実感できているかといえば、正直まだ自信はありません。

でも、わたしが見つけた「動」と「静」の幸せは、誰かのものではなく、まぎれもなく“わたしだけの幸せ”です。
わたしの感受性から生まれた本物の気持ちを、わたしの本物の言葉で伝える。

そうすることも、わたしの幸せのひとつなのだと気づくことができました。

自分で感じた「幸せ」の感覚は誰のものでもなく、自分だけのもの。
人と比べるのでもなく、正解があるわけでもないからこそ、難しく感じたり悩んだりすることもあります。

けれどすべてが「わたし自身から生まれた本物の気持ち」と感じ、認めることができれば、それが「幸せ」への入口なのかもしれません。

「幸せってなんだろう?」と考えたくなるあなたへ

「幸せとは?」を考えだすと、悶々としてしまうかもしれません。
もしかしたら幸せって、無理に考えなくても、すでに「いまここ」にあるのかもしれません。

それでも「わたしにとっての幸せってなんだろう?」と、つい心を向けてしまう方へ。

わたし自身は、今回Chat GPT先生の力をかりながら、自分の気持ちと静かに向き合ってみました。
「よむエラマ」の中にも、幸せについて問いかけてくれる記事がたくさんあります。それがヒントになるかもしれません。

また、「エラマの学校」で開催される講座や「フィンランドツアー」を通して、自分の心を深く理解する場に出会えるかもしれません。

すぐに答えが出ることではない「わたしの幸せ」というテーマ。
それはひとつひとつ自分の心を見つめていくこと。
この過程こそが「わたしの豊かで幸せな生き方」を描いていく時間なのだと思います。

「幸せ」について、向き合ってみた記事たち

私にとっての幸せな生き方は「余命1週間だとしたら」を考えると見えてくる

そろそろ「幸せ探し」に疲れてきたので「幸せがる」旅に出てみた日。

「自分にとっての幸せとはなにか」と考えることは幸せか?


Text by 丹波フィンランド大使pieni(ピエニ)

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