Elämäプロジェクト

【よむエラマ】「沈黙」も対話のひとつ。私がフィンランドで心地よく感じる理由

こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。

みなさんは「沈黙」についてどういったイメージをお持ちですか?

どちらかというとネガティブな印象が強いのではないでしょうか。今回はフィンランドの「沈黙の文化」をテーマにお話できればと思います。

フィンランドの国民性について

先日の12月6日はフィンランドの独立記念日でした。12〜18世紀はスウェーデンによる支配、19世紀はロシアの統治下にあり、1917年に独立しました。面積は日本の約9割で人口は約550万人(北海道くらい)です。

フィンランドは森林占有率が70%ほどあり、「森と湖の国」というのが特徴のひとつです。

国民性については一般的に、

・人見知り、パーソナルスペースが広い

・勤勉、真面目

・自立心、独立心が強い

・派手な生活を好まず、シンプルで自然なものを好む

・内向的(初対面の人とは打ち解けにくいが、親しくなると心を開く)

・お世辞や社交辞令は好まない

といったことが挙げられます。

そのフィンランドでは対話的な文化(人と、自分と、自然となど)が根付いており、また「沈黙の文化」が存在します。

「沈黙が金、話すは銀」

フィンランドには『沈黙は金、話すは銀』ということわざがありますが、フィンランドでは沈黙は「肯定」や「思考の時間」で、気まずいものとはされていません。相手への尊重の表れなのです。

フィンランドでは相手の話を『聴く』教育が浸透していますが、それと同様に『沈黙』も価値の高いコミュニケーションであると捉えています。

こういった話をエラマプロジェクトの講座でお伝えすると参加者の方々は衝撃を受けられます。

かなり以前のことですがこんなことがありました。

ワークショップを開催したときに感想共有タイムの進行の仕方が違ったのです。フィンランド出身の講師は時間を気にするより「話したくなったら話したいタイミングで話してください」という方法で進行をする方が多かったです。

そうなると、沈黙が非常に長くなります。参加者はみなさん考えをまとめる時間が長くなるのでその間沈黙になるんです。日本だとそれがやはりプレッシャーになってしまうようで、感想共有の時間がつらくてしんどかったという方がいらっしゃいました。

他には、オンラインミーティングなどリアルに会えない状況の場合は沈黙になかなか慣れません。日本だとオンラインでも相槌を打ってくれるので聞いてくれているとわかりやすいですが、フィンランドの人と話していると本当に沈黙を実感します。さらに画面共有をすると相手の顔も小さく表示されるので不安感が大きくなります。相槌もないので。

世界的に見てもフィンランドの人は相槌が圧倒的に少ないそうです。

逆の場合だと、フィンランドのことをそれほど知らない日本の方がフィンランド出身の人と話しているときに、あまりにも相槌が多すぎるためとまどうフィンランドの人も多いのだとか。人によっては不快に思うこともあるようです。

文化の違いですよね。わたしは「沈黙」が彼らの重要な価値観であるとわかったとき、安心したのを覚えています。

わたしは大阪で生まれ育ったのですが、そこでは言葉を埋めないと話を聞いていないと言われたり、何を考えているかよくわからない人と言われたりしました。

帰省した際に大阪の朝の番組などを見ると、かなり早い展開でコーナーが進んでいく印象を今でも受けますし、言葉で埋め尽くしているんですよね。

テレビだからというのもあるかもしれませんし、普通のコミュニケーションにおいてのんびりした大阪人もいますが、言葉を埋めないとあかん!といった強迫観念が大阪の中にあるという感覚は消えません。

対話やそれ以外のコミュニケーションにおいても、人が話をするというのが前提としてありますよね。話を聴くにしても、誰かが話をしている前提で聴くことをイメージしませんか。

でもフィンランドはそうではないのです。

何も話していない時間も聴いているし、何も話してない時間も目線や雰囲気といった何か信号を送っていると考えます。それまでの会話にあえて間を持つことで、お互いの創造性の中で会話をするといった感じでしょうか。

そういったコミュニケーションの選択肢があると知れたとき、わたしは言葉を無理に埋めなくていいんだという安心感を得られました。

お互い沈黙でもいいんです。

夏のフィンランド滞在では、日差しの気持ちいいテラスで10人くらいとビールを飲んだのですが、一人も話さない(笑)。そんなこともありました。

慣れていないと間をあけるって怖いですよね。それができるのはその場にいる人たちへの信頼も重要ではあります。

「ない」もポジティブな意思表示である

コミュニケーションの場において話さない(話せない、話したくない)という行為自体がネガティブに捉えられるのは日本だけではなく多くの社会でよくあることだと思います。

フィンランドに行ってすごくほっとしたのは、喋っているのが正義とは思っていないんですよね。言いたくない、喋ることがないから喋りたくない、わからないというのが、ちゃんとしたポジティブな意思表示だと受け止めてくれる文化で、わたしはそれがとても心地よく感じました。

(人にもよりますし文脈や場面によるのは大前提ですが)「ない」「ゼロ」みたいなものでも意思表示であるとポジティブな反応を示してくれるのはかなりの安心ポイントだとわたしは思っています。

「沈黙」も一種のボキャブラリーなのでは?という考えも浮かびました。

会議の場については、考えたけれど意見がない場合、フィンランドでは「すみません、私は意見がないです」と言葉にするんです。

日本や他の社会だとネガティブに受け止められるから「ない」と言うのはすごくはばかられますよね。フィンランドの場合だと、それを言うことで「この人はわからないんだ」ということがわかる。だから「そうなんだね」と理解するのです。

わからないと言うこともフィンランドでは大事にされるんです。

もちろんほかの文化でも同様の価値観はあると思います。でも、何かしらみんな答えがある前提で話すことが多い印象です。フィンランドだと十分に思考することが大切にされるので、その場しのぎや単純に言葉をつなぐようなことは言えません。

フィンランドがすべてにおいてすごくいい社会だと言いたいわけではありません。でも、「ない」とか「わからない」がネガティブに捉えられないというのは、安心安全な場をつくる際には非常に大事な点になります。

また「沈黙の文化」が共有できていると、言葉にするまでに時間がかかっても焦らずに思考がまとまってから話せるという安心感もありますよね。

フィンランドの対話文化に関する文献の中でもそれは言われています。

「沈黙も対話の最中」という考え方が日本で広まるのは文化の違いもあり簡単ではないでしょう。ただ、沈黙もOKな文化があると知っているだけで、身近で当たり前とされているコミュニケーション方法に対する不安感が多少は解消されるのではと思います。

待てる強さを身につけるには

「沈黙の文化」があるということは相手や自分自身を待つことに慣れているとも言えます。つまり余裕を持っているんですよね。

あなたが余裕を持つために普段意識していることは何かありますか?

もし、一人でその『余白』や『待つ時間』を作るのが難しいと感じるなら、わたしたちと一緒に学んでみませんか?

エラマプロジェクトでは、フィンランドの「少ないことは多いこと」の哲学、日本の伝統文化における「間」や「余白」の美学、東洋と北欧に共通する「手放すことで得られる豊かさ」についての探求などを融合させた全5回のオンラインプログラム、「エラマ・ウェルビーイング『ゼロ』を学ぶコース」を2026年の2月〜3月にかけて開催します。

講師はわたし以外に日本人2人、フィンランド人1人の計4人で、リレー講義となります。

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By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)

Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)

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