Elämäプロジェクト

【よむエラマ】自分も相手も大切に。フィンランドの“Trust”に学ぶ心を守る働き方

こんにちは、エラマライターのひらふくです。

毎年暑さがパワーアップしてなかなか外に出られない日々ですね。

出不精の私ですが、最近は「フィンランド×働き方」をテーマにセミナーを開く活動をしています。今の働き方を変えようとする方々と出会い、いつも気づきをいただいています。

そんな中、参加者さんは違っても、毎回必ず出てくるフレーズがありました。

「仕事をがんばるほど私ばっかり仕事が増えるんです。もう疲れてしまいました」

私はみなさんのこの言葉が気になってしかたありません。言い方は怒っていたり自嘲したりとさまざまですが、その奥には悲しみや諦めさえ感じるのです。

こんなに辛いお顔をしてほしくない。どうしてこんなことになっているのでしょうか。

仕事をがんばる私たちは、何が辛くてどうしたら変えられるのか?フィンランドの働き方をヒントに考えてみることにしました。

「私ばっかり」と「人に迷惑をかけない」の罠

社会人生活が長くなると頼られることも増えますよね。誰かの役に立てたり、感謝されることが仕事のやりがいという方もいると思います。

私自身、初めて部下ができた時は気合が入りました。まだ社会人3年目の部下で、私が教えるべきことは多く、上司からも責任や裁量を任された時期でした。周りから感謝され、それに対して「私こそありがとうございます!」と返せていました。

それがいつから「私ばっかり」に変わってしまったのでしょう。

仕事が終わらない時は一人で終電まで残業をして、自分の仕事が早く終わっても他の人のフォローを依頼されてまた終電。がんばって早く仕事を終える人ほど損をするような気分になりました。

でも、大変さを察してくれない周りを責めながらも、依頼を断ったり助けを求められない自分が悪いんだ、という自責もあって。二つの気持ちがいつもせめぎ合っていました。

なぜ断れないのか、助けてと言えないのか。

ふと「人に迷惑をかけない」という言葉が浮かびました。相手の迷惑だろうと思うと、助けを求める手を伸ばせなくなってしまうのです。

ですが、今回あらためて「迷惑」という言葉を調べてみると、その意味は私のイメージと違っていました。

迷惑はもともと仏教用語で、平安時代には「心が惑って迷う」という意味で自分の内面にむけて使う言葉だったそう。

それが時代を経て、1900年代になると公共の場で公衆マナーを乱さないための表現になりました。社会が大きく変わる中で、国が人々の行動を統制しようとして「人をわずらわせない」という文脈で「迷惑」を引用したとのこと。

※参照元

東大新聞オンライン「身近な言葉の歴史を考える 「迷惑」と「文化」に潜む政治性

「人に迷惑をかけない」と我慢していたのに、ほんの100年前に生まれたばかりの言葉だったのです。

私はこの考え方を美徳として信じ続けていいのでしょうか?

フィンランドの働き方「Trust」とは

私はフィンランド人のライフスタイル研究家、モニカ・ルーッコネンさんと講座を開発しています。日本語の著作も多く日本人の働き方に理解のあるモニカさん。お互いの国を対比して新たな気づきを見つけています。

そんな中、フィンランドの働き方でよく出てくるキーワードが「Trust(信頼)」です。

Trustの内容は例えば以下の通りです。

・お互いに仕事の責任範囲をはっきりさせている

・お互いに仕事の納期を守り責任を全うしてくれると信頼している

・お互いに立場に関係なく信頼している(同僚同士、上司と部下など)

そして、特に私が印象的だったのは次のような信頼の形でした。

「本人がちゃんとSOSを言ってくれると信頼している。言ってくれたら全力で助けますが、それまではそっと見守っています」

周りに迷惑をかけたくないと黙るのではなく、困ったら自ら助けを求めるということ。

日本では弱さや恥だと思われがちですが、フィンランドではまず仕事の責任を果たすことが重要です。そのために助けを求めることは、個人の責任でありむしろ自律している証拠だとされるのです。

もちろん無条件で信頼するわけではなく、期限を守れなかったら信頼を失うこともあります。「信頼しない」とNOを突きつける選択肢もちゃんと持っている。だからこそ、信頼する/されることのありがたみもわかるのかもしれません。

一方で、日本の職場では「信頼」という言葉はあまり聞かない気がします。

私の周りでは、上司が「信頼してるよ!」と声をかけることは珍しく、まして部下から上司に「信頼してます」と言う場面は見たことがありません。

内心思っていても口に出さないだけかもしれませんね。ですが、その無言からは信頼というよりも、「がんばって当たり前」というプレッシャーを感じる時があります。

助け合うのは当たり前。

仕事が早く終われば周りを手伝うのは当たり前。

だから増えた仕事をがんばっても何も報われなくて当たり前。

これは果たして「信頼」なのでしょうか。

職場の苦しさは心のボーダーラインにある

周りをフォローするほどに仕事が増えて、でも迷惑をかけたくなくて「私ばっかり」と消耗していく。

私はそんな必死ながんばりが報われてほしくてたまりません。

かといって、いきなりフィンランドのTrustな人間関係を築くことは難しいとも思います。フィンランドでも、幼少期から互いの違いを認めたり個人が自律する方法を学んでいるからこそ成り立つ関係性だからです。

じゃあ日本の職場で働く私たちはどこからはじめたらいいのでしょう?

その答えは、人と傷つけあった私の出来事にありました。

最近、身近な人と深刻な衝突をしました。どうでもいい相手なら流せるけれど、その人が大事だからこそ流せなくて傷ついてしまうようなことでした。家族や友達、それ以外の大切な人。みなさんにもそういう相手がいるかもしれませんね。

そんな時、ある人に「自分と他人の間に心のボーダーラインを引く」という話を教えてもらったのです。

心のボーダーラインを引くとは、自分と相手は違うという認識をもって、お互いの責任範囲をちゃんと決めて、踏みこんでほしくないことにはNOと言うことです。一見すると分断に見えますが、共依存や自己犠牲をふせいでお互いに心地いい関係性を作るためのラインです。

そのボーダーラインの在り方はフィンランドのTrustに似ていて、「NOと言っても関係性は揺らがない」とお互いを信頼しているように思えました。

ふりかえると、衝突した相手と私の間には、上手くボーダーラインが引けていなかったように思います。

最初はお互いの真ん中でラインを引いていたのに、「嫌われたくないから我慢しよう」「周囲に迷惑だから」と、私がだんだんラインを後退させて自分を追い詰めていたのです。

これは職場での「私ばっかり」と同じでした。

「助け合うのは当たり前」という考え方は美徳だと私は思います。ただ、今の職場ではそれがいきすぎて、お互いのボーダーラインがあいまいになり、あなたの心が追い詰められてはいないでしょうか。

苦しさから抜け出すための3つの階段

「私ばっかり」と思いながら過ごしたくはないのです。誰かを責めるのはしんどいし、愚痴をこぼしても終わりはありません。でも、不機嫌な上司をいやだなと思う一方で、自分も眉間にシワをよせていたりします。

本当は、職場でも心穏やかに朗らかに、周りとほどよい距離感で心地よくいたいです。

だから「私ばっかり」を抜け出す方法を必死に考えました。その3つのステップをご紹介します。

1段目は「自分のボーダーラインを知ること」

今の心はラインを踏み越えられることに慣れて麻痺してしまっています。嫌なことがあっても諦めたり、怒りつつも結局引き受けていませんか?

このモヤモヤした気持ちを受け流してはいけません。私の場合は、その場では引き受けたとしても、違和感を感じたこととその時の気持ちを手元の付箋やノートに走り書きしています。

そして、落ち着ける空間やカフェであらためて眺めて、内容のその奥を問いかけてみます。私はこういう事柄にモヤモヤするんだ、本当はどうしてほしかったんだろう、何を尊重してほしかったんだろうと。モヤモヤは大事なアラートで、あなたが大事にしたいことを見つけるきっかけをくれます。

あなたのボーダーラインを知ることは、あなたが何を大事にしたいかを知ること。

心のボーダーラインは相手を拒絶するためではありません。ラインの内側の、あなたの大事なものを守るために引くのです。

自分なりのボーダーラインを見つけたら2段目の階段をのぼりましょう。次は「ボーダーラインを伝える勇気をもつこと」です。

仕事を適切に断ることは社会人の責任ですし生産性向上にも繋がります。

ただ、頭で分かっていても現実は難しくないでしょうか?評価のために上司の意見に同意したり、パワハラと言われたくなくて部下に強く言えなかったり、陰口がこわくて聞きたくない噂話に付き合ったり。

私は、企業で人事をしていた時にさまざまな立場の方と関わり、人々が矛盾を抱えながら口をつぐまざるを得ない様子にやるせなくなりました。

でも、それでも今を変えたいならNOを伝える勇気がいります。

私が働き方セミナーを開いた時のこと、「断った方がいいですよね。でも言えないんです…」という参加者さんがおられました。力強くプッシュすることは簡単ですが、言えない気持ちもわかります。

するとその方は、グループワーク中に同じ状況にいる参加者さんと出会い、堰を切ったように話しはじめられました。お互いに共感しつつも愚痴大会になるわけでもありません。

セミナーの最後に、「断るのは私のわがままだと思ってました。でも他の人も同じだと知って、言っていいのかなと勇気をもらいました」と残していかれました。

ボーダーラインを伝える勇気をひとりで出せる人もいれば、誰かからもらう人もいます。がんばっている人同士の出会いはあなたに勇気をくれるはず。

まずは、気になるコミュニティがあればちょっと参加してみませんか?

伝える勇気が出てきたら最後の3段目。「ボーダーラインの伝え方を考える」です。

嫌がられたらどうしよう…と悩むのに使っていたエネルギーを、今度は伝え方を考える方にふりわけてみましょう。

例えば仕事の断り方もいろいろです。できない理由を伝えたり、所要時間を算出して間に合わないと伝えたり、妥協案として次回手伝うことを約束する人もいます。

口頭でなく、みんなに見えるカレンダーの中で作業時間をブロックしておくとか、業務ひとつひとつを付箋に書いてデスク周りに貼って、業務量の多さを周りに見せている人もいました。人によって合う方法は違うため、いろいろ試してみてください。

ちなみに、私がやってみたおすすめは、「ご協力したいんですが…」と最初に一言つけ加えること。これは「あなたのことも尊重しているよ」という相手へのメッセージです。

私にボーダーラインがあるように、仕事を頼んできた相手にも心のボーダーラインがあります。依頼の裏にはせっぱつまった事情があるのかもしれず、むげに断ることで、逆に私が相手のボーダーを踏みこえて傷つけるかもしれません。

あなたのボーダーラインのありかはわからないけれど尊重する気持ちはあるよ。そう伝えるための一言です。

結局は断るので相手には一時的に不快そうな反応をされます。でも、自分のボーダーを越える依頼は断りつつも、そうでないものは引き受けることを繰り返すうちに、相手も慣れて「これは頼んでも大丈夫そう」と判別してくれます。

こうしてお互いのボーダーラインを大事にできる関係になっていけるのです。

日本人の私たちが笑っていられる働き方へ

日本には助け合いや調和が根づいています。今はそれがいきすぎて、お互いのボーダーラインに踏みこんで苦しくなっているかもしれません。

でも、困っていたら助けようと自然に思えることは、きっと私たち日本人が考える以上に貴重なこと。その良さを活かしながら、フィンランドの働き方やTrust、心のボーダーラインをヒントに、新しい働き方を探すタイミングがきているのです。

モヤモヤをふりかえり大事なものを探すこと。

ボーダーラインを伝える勇気を分け合うこと。

相手も尊重できる伝え方を試してみること。

少しずつはじめてみませんか。

あなたには人や自分を責める姿はきっと似合いません。人一倍がんばるあなたが報われますように。日々を穏やかに笑っていられますように。

ただただ、ここから願っています。

text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)

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