こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
私の本業は高校教師ですが、生徒と向き合っていると、教師という仕事は「生徒を信じる」ことと深く結びついていると感じます。
そして最近、「自分を信じる」ことは、自分らしく豊かに生きるためにとても大切なことだと、改めて気づかされました。
今回は、私の経験から見えてきた「信じる」ことの力について綴ってみたいと思います。
あなたは最近、自分のことを信じられていますか?
生徒がどんどん成績優秀になっていく!?
私が勤めているのは私立高校で、授業内容をかなり自由に組み立てることができます。
そのため、私も教科書に頼らない教材開発を積極的に行っています。
独自のコンテンツで授業をつくるのは大変ですが、自分が本当に伝えたいと思うことを教えることができるし、生徒たちに合わせて柔軟な工夫ができるところも魅力です。
でもその代わり、定期試験も一人でゼロから作らねばならないので、それはなかなか骨が折れます。
先日も、ちょうど定期試験がありました。
ああでもない、こうでもないと頭をフル回転させて、なんとか作り上げた試験問題です。
しかしその試験、生徒の出来はとても良かったんです。
試験問題が簡単だったから?
いえ、そんなことはありません。
うちの学校は偏差値が高くて、学力が高い生徒が集まってきます。
授業内容をそのまま出題すると、みんなが高得点になってしまい実力を測れないので、問題をひねったり、思考力が必要な問いを用意したりと、簡単には正解に辿り着けないように工夫しているんです。
それでも多くの生徒が、解答欄をびっしりと埋め、私が想定している模範解答よりも素晴らしい解答を出してきたりするので、「どうしてみんな、こんなに出来るのだろう?」と不思議になります。
ちなみに、試験の出来が良かったのは今回だけではありません。
ここ数年ずっと、私の見立てを上回る結果が出ているのです。
だから私も、年々難易度を上げているつもりなのですが、それでも生徒たちは良い点数を取ってしまうんです。
うちの生徒、凄すぎじゃない!?
解答用紙からは、生徒が私の授業を深く理解して、さらに生徒自身で思考し、言語化している様子が伺えて、とても嬉しくなります。
それにしても、本当になんでこんなに出来ちゃうんだろう。
彼らの努力があってこそなのはもちろんですが、私が何か影響を与えていることはないでしょうか。
教員経験が長くなるにつれ、私の授業づくりや教え方のスキルが磨かれたから?
それもあるかもしれません。
でももうひとつ。気づいたことがあります。
それは、私が心から「生徒はできる」と信じて、期待しているということです。
「信じる力」に学術的な根拠はあるの?
「ピグマリオン効果」という心理学の用語をご存知でしょうか?
ピグマリオン効果とは、人間は他者から期待されると、学習や仕事のパフォーマンスが向上し、期待に沿った成果を出す傾向にあるという現象のことです。
アメリカの教育心理学者、ロバート・ローゼンタールによって提唱された考え方で、アメリカの小学校で行われた興味深い実験があります。
学期のはじめ、ローゼンタールらは小学生たちに「ハーバード式学力予測テスト」という名前のごく普通のテストを受けさせました。
このテストには何の特別な意味もありませんでしたが、そのクラスの教師には「テストの結果、これから学力が伸びる可能性があると分かった生徒はこの子たちです」と伝え、伸びるとされた生徒のリストを渡しました。
しかし、実際にはそのリストは無作為に選ばれたもの。
つまり、選ばれた子どもたちが本当に優秀だという根拠は何もありませんでした。
けれどもリストに名前が記された子どもたちの多くは、その後、本当に成績が伸びたのです。
この結果は、教師が「この子は伸びるはずだ」と無意識に期待することで、教師の行動が変化すること。そして、期待された生徒自身も、無意識のうちに教師の期待に応えようと頑張るようになることを示しているとされます。
私もまさに、自分の生徒たちにこのような「信じるまなざし」を注いでいるのでしょう。
私が「あなたたちならできる」と心から信じて接していると、生徒たちもそれに応えるように、ますます自分の力を発揮してくれている気がします。
それは相手を追い詰めるような「期待」ではなく、「今のままのあなたを信じるよ」という視点です。
私はこれからも、そんなまなざしで彼らを見つめていたいと思うのです。
あなたもぜひ、今まで以上に他者を信じることを取り入れてみてください。きっとより満たされた関係を築くことができるでしょう。
謙遜は自己否定につながることも
ピグマリオン効果が証明しているように、他者を信じることは大切です。
しかし私たちには、他者よりもまず、最も信じてあげなくてはいけない存在がいませんか?
そう、それは自分自身です。
次は「自分を信じる」ことについて考えてみましょう。
日本には謙遜を美徳とする文化があります。
人より出しゃばらず、控えめに振る舞うことを上品とするような価値観。和を重んじる社会においては、謙遜は確かに調和を生む重要な要素となるでしょう。
相手を立てたり、自分の力を誇示しないことによって、場を和ませ、心地よい空間を作れたりします。
でも、私にはこんな思い出があります。
大学院生の頃、指導教授が私を他人に紹介する際、「橘さんはまだまだで……」とおっしゃったことがありました。
今でもその時のことをしっかり覚えているということは、あれは私にとってずいぶんショックな出来事だったのでしょう。
教授が私を低く言ったのは、おそらく日本的な謙遜でした。自分のゼミの学生を褒める=自分の手腕を褒める、ということに繋がりますから、教授は自分のことを謙遜したかったのだと思います。
でも当時の私はモヤモヤして「そんな風に、おとしめて言わなくてもいいじゃない」と感じたのです。
誰だって、おとしめられるのは嫌なものです。
けれど、よくよく考えてみると、私自身も日常の中でこれと同じようなことをしていると気づきました。
誰かに褒めてもらった時、私は謙遜して、自分で自分のことを「いえいえ、私なんて全然まだまだです」と平気で口にしています。
教授から言われてショックだったことを、私は自分で自分に対して行っていたのです。
他でもない自分からそんなことを言われて、無意識の私はきっと傷ついていたはずです。
また、他人から「ありがとう」と言ってもらった時に、つい「いえいえ、とんでもないです」と謙遜して返答してしまう癖もありました。
これも一見すると丁寧な応対に見えますが、見方を変えると「私には『ありがとう』と言ってもらう価値はありません」と自分を否定してしまっているようなものです。
これはゆゆしき問題です。
そこで、今では「ありがとう」と言ってもらった時に、できるだけ「いえいえ」ではなく、「どういたしまして」と返すように心がけています。
咄嗟の会話では、いまだに「いえいえ」と言ってしまうこともありますが、少しずつ「ありがとう」をきちんと受け取れるようになりたいと思っています。
自分を信じて、自分を輝かせよう
謙遜は確かに美徳です。
日本で培われてきた謙遜という価値観は、とてもかけがえのないものだと思いますし、謙遜の精神は大切にした方がいいと感じます。
でも、その謙遜が「自分を下げること」になってしまったら……。
相手への気遣いとしての謙遜は美しいですが、自分を下げる謙遜は止めた方がいいでしょう。
今回紹介したピグマリオン効果を、自分自身に向けて使ってみませんか?
「私はできる」「私は素晴らしい」と、自分を信じ、期待してあげる。
それはあなたの毎日をもっと自由に、もっと豊かにする力となるはずです。
「あなたならできるよ」
私が生徒に伝えたい言葉を、私自身に、そしてあなた自身に贈ります。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)


