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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】あなたは「マイタイム」をどう使う?私が始めた新習慣と勇気の話

こんにちは。Kangasこと、ライフコーチの和田直子です。よむエラマに辿り着いて下さった皆さんは、フィンランドに関心のある方や、生き方・働き方・休み方について日頃からよく考えていらっしゃる方が多いのかなと思います。そんな皆さんは「マイタイム」をご存知でしょうか?

私がこの言葉を知ったのは約2年前。エラマプロジェクトの講座に初めて参加したときのことです。当時はまだ、今後のキャリアをどうしていこうか悩んでいた20年目の会社員でした。

そこで紹介されたのがフィンランド人がとても大切にしている「マイタイム」という言葉。それは「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間のこと」と紹介され、これはフィンランド人のモニカ・ルーッコネンさんの著書『MY TIME ~自分もまわりも幸せになる「自分のための時間」のつくり方~』の中の言葉でした。

充実した仕事、家族との時間、そして自分のための時間(マイタイム)。この3つのバランスが取れてこそ、健全な日々を過ごせるのです。いずれかの時間が特別に多くなってしまってもいけません。

本の中には、そのようにも書かれています。とてもよく理解できます…でも、それはどうやって?会社員だった私は、マイタイムたるものを持てたとして、一体どうやって仕事の時間を減らせば、その他とのバランスを取れるのだろうと永遠の疑問のように感じていました。

ひと休みできない会社員時代の私

「マイタイム」にも通ずるもので、フィンランドのひと休み文化を代表するもう一つの言葉があります。それは「コーヒー休憩法」。労働者のコーヒー休憩を取る権利を認めている労働法のことです。

フィンランド人たちは、仕事中に1時間半から2時間おきに15分程度のコーヒー休憩を取ります。この「コーヒー休憩法」のことも、私はエラマプロジェクトの講座で初めて知ったのですが、驚いたことに私の勤めていた職場(カフェチェーン店)でも、同じ頻度で「ブレイク」と呼ばれる休憩時間が与えられていました。その時間に好きなドリンクをもらい、バックヤードでも客席でも良いので自由に過ごすことができます。もちろん外出することも可能です。

しかし、私の当時の過ごし方といえば、休憩時間がきたらコーヒーをもらいバックヤードに直行し、山積みのタスクをこなす時間として使っていたのです。少しでもタスクを減らしたい!その一心で。

結局、長い会社員人生の中で、じっくりと休憩時間を味わっていたのは、最後のほんの1ヶ月でした。「マイタイム」と「コーヒー休憩法」を知ったあとも、私は休憩時間の過ごし方のスタイルを変えることはできませんでした。イレギュラーもたくさん発生していたあの仕事量を、休憩時間の活用と残業無しでこなすには無理がある!と思っていました。

ようやく、退職が近づき仕事の引き継ぎも順調に出来るようになった頃、私は仕事の休憩時間に「休む練習」を始めてみることにしました。休憩時間をバックヤードのPCの前で過ごすことを止め、客席の一角をお借りしてコーヒーを飲みながらジャーナリングをしたり、ただぼーっとするだけの時間にしたのです。

すると、どうでしょう!タスクをこなそうとする15分はあっという間に過ぎるのに、休む練習として始めた過ごし方なら15分は心を充電するのに十分な時間だと感じたのです。

仕事中のひと休み的な時間に慣れなくてソワソワとしましたが、職場にいながらでも肩書のない何者でもない私でいる時間を味わい、「会社員としてこんな時間の感じ方もあるのか」と随分心が満たされたことを思い出します。

あんなに休憩時間を惜しみながら仕事を進めていたけれど、この時間なしに効率よくしようなんて、なんて非効率なことだったのだろう…。仕事の「肩書と責任」を間もなく下ろすことが出来る時期になり、私はようやく休憩時間を自分のためだけに使う意味の大切さを理解した気がします。

フリーランス一年目の私にはマイタイムが難しい

では、フリーランスになった今の私はどんなマイタイムを過ごしているでしょうか。

時間にも場所にも縛られない、憧れのフリーランス!お手本のようにマイタイムを取り入れ、さぞ充実した日々を送れるようになったに違いない。そう思われますか?

いいえ、そのイメージからはかけ離れていると自分では思うのです。たしかに、家族との時間は増え、友人と会う時間の融通も効かせやすく、人とのつながりにおけるマイタイムは充実したと思います。

問題は一人で過ごす時間。

どんなふうに時間を使っても良いと言われれば、いつまでも作業をし続けてしまう私。会社員時代の働き方とあまり変わっていないとも言えます。でも今はそれが辛いわけでもなく、好きな仕事ですのでむしろ「やりたい、楽しい」の気持ちが消えなくて、どんどん時間が過ぎ、気づけば家事や愛犬の散歩、子どもたちのお迎え時間になり、あわただしく毎日が終わるという日々を過ごしています。

楽しいのであればそれでも良しと思うのですが、ここ最近感じ始めたことがあります。

「こんなに走り続けていて、いつ、息切れしてしまうのだろう」

自由な生き方をしながらも、人や社会に貢献できる仕事に集中したい。そんな思いでやっと掴んだフリーランスという生き方なのに、今の私はなんだか生き急いでいる感じがする。そう思い始めたのです。だからといって、手を止めたくない気持ちもあります。

そこで、もう一度マイタイムを実践してみようと思ったのです。

まず最初にしたことは、特に何かを新しく始めたわけではなく、いつもの習慣である犬の散歩、料理の時間など、必ずやらなければいけないけど自分に集中できそうな時間をマイタイムとして意識してみる。

でも、なかなか難しい。

なぜなら「今はマイタイムなんだ」と言い聞かせても、頭から仕事のこと、そして思春期の難しい時期の子どもたちのことを完全に切り離すことができません。

マイタイムを意識しているつもりでも、生き急いでいる感覚はなくなりませんし、肩書や責任から離れているという気持ちにもなれないのです。

このまま走り続けても今は何もストレスを感じることはないけれど、でもやはりいつかは息切れし、抜け殻のようになりそうです。

生き急ぐ私に思いがけず始まった新習慣

新年を迎え、私は元旦から早起きを始め、朝5時半から手帳タイムと作業を始めることにしました。理由は、もっと仕事の作業時間を効率よく持ちたいという思いからです。家族が誰も起きてこない時間に集中しようと決めたのです。

すると、元旦の朝6時にLINEの通知が来ました。私が何となく登録した、メキシコに住むヨガと瞑想の講師の公式LINEでした。いつもならすぐには確認しない公式LINEですが、そのときは少し気になりメッセージを読んでみることにしました。「7DAYS瞑想チャレンジ!」という文字が飛び込んできました。添付されていたYouTubeチャンネルの動画を開いてみると、メキシコの海の心地よい波の音と、講師のなんとも安心する声の瞑想ガイドが始まりました。

私は作業の手を止め、瞑想をやってみることにしました。目を瞑り呼吸に集中しようとしても、雑念や体の一部の不快感に気づきます。それでも10分続けてみました。翌朝も、その翌朝も、朝6時に公式LINEから動画が届き、私は毎朝10分の瞑想をぎこちないながらも続けてみました。

何日目かの瞑想の終わりに、「まず一日の中で10分のこの時間を持ったことが本当に素晴らしいんです!」という講師からのメッセージが私の心に響いてきました。「そうだ。私はこんなにも生き急ごうとしている中で、10分間自分に集中する時間を持てていた」そう感じました。

7DAYS瞑想チャレンジが終わっても、私は毎朝を瞑想から始めることが習慣となりました。そして12日目、瞑想が終わった時の体が軽くすっきりとした感覚を初めて味わいました。瞑想中は相変わらず雑念や体の一部の不快感に気を取られたりするものの、いつの間にか朝の瞑想が習慣になっており、これがないと気持ち悪く感じるようになっていました。

それぞれの人生のステージでマイタイムが教えてくれるもの

思いがけず始まった私の瞑想という新習慣。これが、思いがけずマイタイムになっていると気づきました。

なぜなら、「仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間」を手に入れる方法を見つけたのですから。

もちろん、瞑想中にはまだまだ雑念が入ってきます。でもだんだん、その雑念の内容も変わってきているのです。

瞑想を始めた頃は、その日のタスクが頭をよぎることや、前日の子どもたちとのやり取りを思い出すことも。

でも日に日に、私の意識はメキシコの海の波の音の変化などに向いていました。「あれ?今一瞬波の音が聞こえなくなった」「昨日より波の音が大きいな」とか。そんなことが頭をよぎると、それを認め意識を呼吸やその時唱えている言葉(感謝したいことや、自分を前向きにするアファーメーションなど)に戻っていくことが出来るようになったのです。

この時間こそ、私が今仕事や家庭の責任から離れ、自分に投資する時間になっていると思います。

『MY TIME』の中でも、著者モニカ・ルーッコネンさんはヨガと瞑想をおすすめしています。

ヨガや瞑想のある生活を続けていると、練習をしていなくても、その落ち着いた気持ちを保ち続けることができるようになってきます。

瞑想の習慣を続けていけば、走り続けている私の息が切れるその時がきても、抜け殻になることがなく、たとえばカフェに出かけ、ただそこに座り心穏やかにすることが出来るかもしれない。そんな気がしてきました。

仕事が楽しい!という気持ちでこのスピードを止めることができない…いや、もしかすると止めることが怖いと思っている私にとって、瞑想というマイタイムは、「そんなに生き急がなくていいのよ」と教えてくれているのかもしれません。

だとすれば、マイタイムは今の私にとって、息をして私の思考が自分に戻って来る時間なのでしょう。人生のステージで、自分にとってのマイタイムの意味も変わってくるのかもしれないですね。

「自分を大切にする勇気」

本の中で、モニカさんはこんなことも言っています。

“マイタイム”をつくる勇気を持つということは、「自分を大切にする勇気を持つ」ということでもあります。

自分を大切にする勇気…なるほど…。

会社員時代の私は「肩書と責任」に自分を縛り、やりがいを見出しながらも仕事が遅れると人に迷惑がかかると、自己犠牲的な働き方を続けていました。それが苦しくなり(それだけが理由ではありませんが)、もっと自由な生き方を求めフリーランスになったものの、今度は「止まってはいけない!」と走り続け、気づけば仕事以外の自分の意志や気持ちにゆっくり耳を傾ける時間をないがしろにしていました。

勇気。確かに私は「自分を大切にする勇気」を出すことが怖かったのかもしれません。走り続けることで、その先に待っている希望を追い求めていました。

それよりも今この時間に感謝し、感じる幸せを味わいつくし溢れださせることで、私と私の周りの大切な人たちの豊かな時間がこの先も必ずあり続けると確信できる。その勇気を当たり前に持てるまで、瞑想というマイタイムを日々大事にしていこうと思います。

Text by Kangas(和田直子/しなやかで強くやさしい社会を織りなすライフコーチ)

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