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Elämäプロジェクト

【よむエラマ】感情の浮き沈みがないと人生は楽しめない?私なりの生き方をどう決めるのか問題

こんにちは!エラマライターのひらみんです。

突然ですが、みなさんは、自分の生き方を否定されたこと、ありますか?

私はあります。先日のこと。私の人生で初めて起きた、けっこう大きな出来事でした。

さすがに数日間引きずりました。

私の人生は、誰かから否定されるような生き方なのでしょうか。

青天の霹靂

私は「感情の浮き沈みはなるべく少なくしたい」と思っています。波風の大きくない穏やかな日々が理想です。

だからといって、保守的に考えて「なにもしない」というわけではないんです。

友達とお腹を抱えて泣くほど笑ったり、心が擦り切れるまで働いたり、以前書いたように、亡くなった叔母のことを思い出して悲しくなったりすることもあります。

辛いことを見て見ぬふりしているとか、感情に蓋をしている、とかそういうわけでもないんです。大きなことから小さなこと、ハッピーなことから辛いことまで、私なりにはいろいろあったけれど、自分なりに人生を楽しんでいます。

それなのに、先日久しぶりに会った、15年ぐらい付き合いのある年上の友人から、

「いつ会っても『こんな悩みがあって〜』みたいな話が全然ないよね。もっといろんなことに心を開いて、感情の浮き沈みがないと、人生楽しめないよ

って言われたんです。

せ、青天の霹靂ってこれですか?!

言われたことの意味がわからない時、人って、なにも言えなくなるんですね。それぐらい驚きました。

自分では、今の生活にわりと満足しているのですが、その人からは私は、挑戦することを諦め、辛いことを避けているように見えているようでした。

その人は、働きながらMBAを取って、人生が現在進行形で大きく変わっていく真っ最中で、熱意を持って挑戦する意志を持った仲間との出会いや、人生の岐路にいるヒリヒリ感などがあるのだと思います。めちゃ忙しいし、自分は何をやるべきなのか、悩みもがいているけれど、自分が前進していることを感じて、楽しそうでした。

だから、私がぬるま湯的な安全な場所にいて、なにも新しいことに取り組んでないことを指摘されました。たしかに自分の成長のために厳しい環境に身を置いていないと言われれば、特にここ数年はそうなのかもしれません。

これでも一応、去年転職して新しい環境に飛び込んで、未経験の仕事をしているのですが、辛いことがないと、成長や挑戦とは呼べないのでしょうか。

悩んだり努力や挑戦を続けたりして、何かを達成しようとする人生は魅力的で、そんな人は輝いて見えるけど、私は今のような、悩みが少なくて穏やかな生活の方が自分には合っているんじゃないかなと思っているんです。

なのに、「あなたはそのような穏やかな人生で満足する人じゃないでしょ?」と決めつけられたように言われたことに違和感を感じました。

感情の起伏が激しい方が幸せなの?

感情の起伏が激しい/少ないというのは、そもそもどういうことでしょう?

感情の起伏が激しい人のイメージとしては、気分屋で、イライラしたりしているのが見た目にもわかりやすい、みたいに、少しネガティブなイメージがあります。

でもきっと、喜びや楽しいとかの面でも大きく心が動くのではないでしょうか。

感受性が強くて、好きになったらすごく熱中できる点は大変うらやましいところです。

辛いことや悲しいことも大きいけれど、楽しいことも大きくて、刺激的でアドレナリンが出そうですね!

一説によると、創造性が高いそうですよ。

一方で、私みたいに、感情の起伏が少ない人もいると思います。心を閉ざしてるとか、いつも冷静とか言われちゃう人ですね。それでも、小さいけれど毎日の中に波はありますよね。

あくまで一般論としてですが、感情の安定性が幸福感と心理的健康を高める重要な要因であることを示す研究論文があります。

感情が安定している=感情の起伏が少ない、ということですから、感情の起伏が少なくて安定している人の方が幸せなんだそうです。

(研究論文:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23163709/

幸福度世界一の国、フィンランドの人はどうなの?

感情の起伏と幸福感はリンクしていることがわかったら、幸福度世界一のあの国、フィンランドの人はどうなのか、知りたくなりました。

フィンランドの人は、心穏やかで感情の波があまり大きくなさそうなイメージです。

国や公共サービスへの信頼も厚くて、便利で機能的な社会で、そもそもネガティブな感情を感じることが少なそうですよね。

フィンランドの教育では、子供たちの教育にとって、SEL(=Social Emotional Learning/社会性と情動の学習)が重要であると考えられています。

興味深いのは、「感情を理解し管理する能力」は練習して伸ばすことができるスキルであると捉えているところでした。

自分の感情を理解してコントロールできるように教育する、ということは、あまり感情の起伏が激しくない大人に成長するのではないでしょうか。

社会的な面でも、便利でストレスの少ない社会があって、教育の中でも、子どもの頃から自分の感情をコントロールできるスキルを学ぶのがフィンランド人と言えそうです。

これが幸福度世界一と直結しているかわかりませんが、なかなか興味深い話です。

自分の人生は自分のもの

話を戻して、そもそも、私がなんで数日間も引きずるぐらいショックを受けたのか考えてみたんです。

付き合いが長くて、私のことを理解してくれていると思っている人に言われたからショックが大きかったし、その人が正しくて、私が間違ってる、みたいな言われ方をしたのも納得がいかなかった。

そして、その人の考えと近い理想像の私があって、その理想像と現実の私が違うから、

「同じ価値観なはずでしょ?ジェットコースター的な人生が好きなはずでしょ?」

「こっちの世界に来いよ」

「本当の自分を取り戻せ」

みたいに言われ続けたなって思い出したんです。

相手の価値観や理想像を押し付けられてる気がして、すごく嫌でした。

そのとき、この人は、目の前にいる私を受け入れてくれているわけじゃないんだな、って感じました。

すると、私のことを受け入れてくれていない人が言う話に落ち込む必要ないな〜って思ったんです。

そう感じたら、回復が早かった。

感情の起伏が少なくて安定している人の方が、幸せな人生を送れるらしいし、感情の起伏の激しい人生に無理してつっこんでいく必要はないですよね。

感情の起伏が激しい人が、感情の起伏が少ない人生を無理して選ぶ必要もないはずです。

もちろん人それぞれの考え方があるのだと思いますが、私は今の感情の起伏が少ない人生を楽しんでいます。

それだけで十分。

自分と同じ生き方を選んでいない人を否定したり、誰かに生き方を強要するような時間も主義も持ち合わせていません。

もしかしたら私の考えもこれから変わっていくかもしれない。

でも、感情の起伏の激しい人生にいますぐスイッチすることはできない。

それが今の私の答えなのだと思います。

どんなことでも、意思表示をしたら、否定する人がいるかもしれません。

だけど、自分には自分に合った生き方があって、それは誰かに否定されたり強制されたりするものじゃないですよね。

だから、どんな生き方でも、自分に合った生き方を選んでいいはずです。

自分の人生は自分のもの。そう思いませんか?

Text by ひらみん(ふつうの会社員)

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