こんにちは。ライターのひらふくです。暑い日々がつづきますが立秋もすぎて暦の上ではもう秋ですね。
秋になるとなんだかもの寂しい気持ちになります。ひとりでいると理由もなく心にすきま風が吹いているような気分になったり。
私はひとりでいることは苦ではありません。一人旅にも行くし自分だけでカフェに行くのも楽しいです。逆に飲み会などは最大4人までにしたいと思うくらいです。
でも、ひとりが好きだけどひとりは寂しいときがありませんか。
自分で選んだはずなのに誰かにここにいてほしいと思ったり、なのに人間関係の大変さに出くわすとやっぱりひとりが楽だと思い直したり。心は揺れ動いていて自分でも自分がわからなくなってしまいます。
そこで、今回はあらためて”ひとり”が持つ意味や、自分にとって生きやすいバランスを考えてみました。ひとりでいたいけれどひとりが寂しい。そんな時にかたわらに置いてもらえたら嬉しいです。
“ひとり”ってなんでしょう?
私が”ひとり”について考えたのはエラマプロジェクト主催の侑美さんの言葉からでした。侑美さんは2024年は8月から10月までフィンランドに滞在しています。そこで豊かな自然にひとり囲まれている中で孤独感について考えることがあったそうです。
物理的な距離は離れていても、心はいつも近くに感じられる。そんな温かい関係に支えられているからこそ、こうして一人で静かに過ごしていても、深い孤独感を感じずにいられるのだと思います。
そして、この3日間で改めて気づいたのは、「周りの人との心地よい人間関係があってこそ、ひとりの時間も充実する」ということ。
周りの人との関係に悩み、疲れてしまうと、ひとりの時間も孤独で寂しいものになってしまいますよね。
どんな人と一緒にいたいのか、どんな距離感で付き合いたいのか。
心地よい人間関係を築くために、常に模索し続けることが大切なのだと感じています。
ひとりの時にも周りの人との心地よい人間関係に支えられている。それは私の心にすとんと落ちてきました。物理的にはひとりでも、それを寂しいと思うかどうかは自分の心が決めること。心が寄り添っていると思えるのなら寂しくないのです。
例えば本を読んでいたら響く言葉に出会って「今度あの人に話そう」と顔が浮かぶ時。悲しいことがあっても来週あの人に会うまではがんばろうとふんばる時。ひとりでいるけれどきっと心は孤独ではないのでしょう。
反対に、大勢でいるけれどひとりぼっちだと感じる時もあります。私の場合は、大人数の飲み会にがんばって行ったけれどノリきれなくて声だけで笑っている時。自分でも顔がこわばっているのがわかります。
それは心と反対の行動をしているからかもしれません。本来は楽しかったら笑うし違うと思ったら笑わなくていいはずです。できないのは相手を気遣って私の心を押しこめているから。自分の心を出さないでいると、物理的には近くても、おたがいの心は遠くて自分だけ置いてきぼりにされたようです。
どうやら”ひとり”には二つの意味があるようです。その空間にひとりでいることと、心が誰ともつながっていないと感じていること。
私は心を押しこめるくらいなら空間にひとりでいたいと思います。でも心は誰かと寄り添っていたい。この二つは実は矛盾しなくてどちらも叶えられそうで少し嬉しくなってきました。
スナフキンのカッコよさは彼以外が作ってる
空間にひとりだけど心はひとりじゃない。これってどんなバランスなんでしょう?
ふと浮かんだのはフィンランドが生んだ名作ムーミンに出てくるスナフキンです。
日本のアニメのスナフキンは物知りでクールな孤独を愛する一匹狼。いつもムーミンやスニフをフォローしてシニカルな笑みを浮かべていてカッコいいと評判です。自分を偽らない彼の言葉は心に突き刺さってきます。
「いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ」
「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」
私は幼いころはスナフキンがお気に入りで、あんなふうに自由でいたいと願っていました。でも、スナフキンのあるセリフに出会って今は少し変わってきています。
「ぼく、ムーミンたちのことだって、わずらわしく思うこともある。おしゃべりもしたがるし、どこへ行っても、だれかしらいるし。だけど、ムーミン一家とくらしていると、いっしょでも、ひとりでいられるんだ。(中略)ムーミンたちは、ぼくのこと、ひとりにしておいてくれたんだ…」
「ムーミン谷の十一月」より
いっしょにいるけどひとりにしてくれる。それはひとりでいるけどいっしょにいてくれることと似ている気がして。
そう思うと、スナフキンが毎年冬にムーミン谷を去って一人旅に出るのは、ムーミンたちがいてくれるからじゃないかと感じます。春に待っていてくれる人たちがいるから、彼はひとりでも孤独じゃないのです。彼のクールなカッコよさはムーミンたちのおかげだとしたら少しスナフキンに親近感がわいてきました。
私は会いたい人たちを思い浮かべる時にこのセリフを思い出します。
例えば同じ空間で無言でいても苦じゃない人たち。言葉がまとまってなくても最後まで聞いて「うん」とうなづいてくれる人たち。いっしょに旅行に行った先で「ちょっとひとりで歩いてくるね」と言ったら「いってらっしゃい」と気持ちよく送り出してくれる人たち。
私の心を尊重して、でも孤独にはしないで寄り添ってくれるのです。こんな人たちとずっといっしょにいたいなと願っています。
ひとりだけど心はひとりじゃない。それはスナフキンのバランスかもしれませんね。
寂しさも心地よさに変えて
最近”solitude(ソリチュード)”という英語を知りました。
意味は”孤独”なのですが、ひとりでいることにポジティブなニュアンスがあります。他の人と離れてすごすことで自由を感じたり思考や感情をふりかえって内省できたりするからとのこと。
フィンランドの人たちが休みの日に森で過ごすのもこれに近い気がします。
また、ソリチュードは寂しさも歓迎するそうです。寂しくないほうがいいと思っていたのでちょっと不思議です。寂しさを歓迎する理由も考えてみましょう。
寂しい時は心が冷えて辛くなります。そして誰かに会いたくなって会いたい人たちのことを思い浮かべます。
すると彼らとつながっている気がしてふわっと心があったかくなって。寒いからこそ焚き火が温かく感じられるように、寂しいからこそ心のつながりを実感できるのかもしれません。
寂しさは寄り添うために必要なことだとしたらそんなに悪いものでもなさそうです。ソリチュードの直訳は”孤独”ですが私は”心地いい孤独”と訳したいなと思いました。
日常では、忙しさや悲しさに紛れてすぐにひとりぼっちかのように落ちこんでしまいます。
でも大事なのは寄り添いたい人たちのことを忘れないこと。寂しさをきっかけに大事な人たちに思いをはせて心はそばにいたいと思います。(もちろん呼ばれたら物理的にもそばに飛んでいきますよ!)
ひとりが好きだけどひとりは寂しいあなたへ。
この記事を書いている今、私はあなたに思いをはせています。そして私と同じようにあなたのことを思い浮かべている人が今もきっといます。
だからあなたも誰かのことを思い出して寄り添ってみませんか。そうしたらひとりが好きな私たちは孤独な時でさえも心地よく過ごせるはず。
毎日いろいろなことがあるけれど寂しさも心地よさに変えて。ひとりだけれどいっしょに生きていきましょう。
Text by ひらふく