
こんにちは、エラマプロジェクトです。
なんだか気分が沈んで、理由ははっきりしないのに心が重い。もしくは、原因は分かっているけれど、そのことで心がつらい。
そんな風に「自分の中の暗い部分」が浮き彫りになる瞬間ってありますよね。
今回は、あえてそこに光を当ててみたいと思います。
日本とフィンランドは、「心の闇」をどんな風に見つめ、扱い、アウトプットし、そして整えてきたのか。
同じ心の闇でも、文化が違うと付き合い方がこんなに変わる。
その違いを知ることは、「自分の心を大切にする」ための新たな道筋を見つけることでもあります。
「心の闇」ってどんなもの?
今回の記事では、次の5つの状態をまとめて「心の闇」と呼ぶことにします。
ここで大事なのは、心の闇は誰の心にも宿る可能性があるということ。日本とフィンランドの人たちは、心の闇とどのように付き合ってきたのでしょう。
自分の心と向き合うのはどんな時?
心を和歌で表現してきた日本人
日本文化における心の表現として、和歌があります。平安時代の『古今和歌集』の冒頭には、こんな言葉があります。
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
意味は、”日本の和歌は、人の心を根源として、それが無数の言葉として表現されたものである”という感じです。つまり、喜びだけでなく、悲しみや怒り、喪失のつらさなど様々な感情を、和歌として表現してきたのです。
また、華道、茶道、武道などの「道」は、単に技術を上達させるのではなく、自分を律して心を研ぎ澄まし、高みを目指していくことでもあります。
瞑想や座禅を習慣にする方もいらっしゃると思いますが、釈迦が悟りに至る過程で、悪魔の誘惑に打ち勝ったという逸話からは、自分の内面に湧く闇と向き合う比喩のようにも読めます。
フィンランドは日常に内省の場がある

フィンランドのヘルシンキ中央図書館oodi
一方フィンランドでは、自分と向き合う機会が、生活の中にさりげなく入り込んでいます。
読書は、心の中の言葉にならないものに、別の言葉を借りて触れる行為でもあります。
そして創作活動は、言語化できない感情に“形”を与える方法でもありますし、サウナは日常から一段離れて、静寂の中で「自分」に戻る場でもあります。
心の闇を描く芸術とは
日本文学には、心の奥の闇を描いてきた作品がたくさんあります。
例えば『源氏物語』に登場する六条御息所という女性は、愛や誇りの葛藤から、抑え込んだ想いがついには“生き霊”という形で外に出てしまいます。
近代文学でも、夏目漱石や太宰治をはじめ多くの作家が、罪悪感や恥、自己矛盾といった「内面」を描き出しました。
実は、怪談やジャパニーズホラーにも、心の闇を主題にした作品が多く見られます。
海外ホラーでは、ゾンビや吸血鬼など倒せる怪物キャラクターが目立つ一方で、日本のホラーでは幽霊が登場することが多く、情念や未練といった心の闇に焦点が当てられる作品が多い気がします。
フィンランドでは、アートやサウナといった、個人の内面を安全に吐き出せる『社会的な仕組み』が文化の中に溶け込んでいます。
たとえばムーミン。
ムーミンは可愛いだけの児童文学ではなく、孤独や不安、人生の陰影を自然に含みながら、登場人物たちがそれぞれの“しんどさ”と共存している物語です。
ムーミンが国民的に愛されていることは、闇を否定しない価値観を象徴的に示しているようにも感じられます。
さらに意外なのが「フィンランド・タンゴ」の存在です。
実はフィンランドでは、タンゴが国民的な人気を誇ります。
失恋や望郷の“哀愁”を、短調(マイナーコード)のメロディに乗せて分かち合うタンゴ。
悲しみは隠すものではなく、みんなで共鳴させ、人間の一部として肯定するもの──そんな意識がうかがえます。
心の闇を和らげる知恵とは
日本の「節分」「五節句」「大祓」など、季節の節目に行う行事には、溜まった穢れを祓い、清めるという意味合いがこもっています。
こういう季節の節目は、自分の心身に溜まったものを落とすタイミングでもあります。
また、涙も心の闇を浄化するひとつの手段でしょう。
古典文学を紐解くと、平安貴族はもちろんのこと、『平家物語』に登場するようなかつての武士たちも、実はよく泣いています。 泣くことは弱さではなく、深い慈しみや感情の現れであり、今よりもずっと社会的に許容されていたのかもしれません。
フィンランドは自然条件が厳しい国です。
フィンランドの冬は日照時間がとても短く、冬の暗さが気分にも影響しやすいため、だからこそ光が特別な意味を持ちます。日光浴や光を取り入れる習慣は、まさに「闇を照らす」知恵と言えます。
そして音楽。
フィンランドの人たちは、普段は内向的と言われる一方で、ヘヴィメタルのような激しい音で感情を外へ放つ文化もあるのが特徴です。心の叫びを音に乗せることも、心の闇を解消するひとつの方法となっています。
また、フィンランドではキャンドルや焚き火の灯りを好む文化があります。明かりによって闇を消すのではなく、「闇と一緒に生きるための明かり」なのです。暗さを否定せずに共存しているところが、フィンランドらしいなと思います。
エラマプロジェクト石原と橘おすすめの「心の闇」との付き合い方とは?
橘のおすすめは「抵抗しないこと」
気分が落ちている時に、気分を上げようとすればするほど、苦しくなることがあります。
流れに逆らって泳ぐのはとても大変なことです。
そんな時は、あえて悲しみに身を委ねて、波が過ぎるのを待ちます。
わざと泣ける映画を見て大泣きする、という方法もおすすめです。
泣くことは、心の中の“詰まり”を流す行為でもあると思います。
そもそも日本には、貴族も武士もよく泣く「涙の文化」がありますしね。
石原のおすすめは「素の自分に戻ること」
サウナや温泉のあと、外気に当たることをおすすめします。
裸という“役割を脱いだ状態”で風を受けると、心身がフラットに戻る感じがするのです。
これはフィンランド的な「自然の中で自分に戻る」という知恵につながります。
もしサウナが難しければ、夜に短い散歩でもいい。窓を開けて深呼吸でもいい。“自然の温度”を体に入れると、思考がいったん静かになります。
おわりに~闇は消すものじゃなく、扱い方を覚えるもの~
日本とフィンランドは、どちらも内省の時間を大切にしたり、芸術を通して感情を表現することによって、心の闇と向き合っていることが分かりました。
ここから見えてくるのは、心の闇との向き合い方は一つではないということ。
心の闇は、排除する“敵”ではなく、それぞれの文化の中で形作られてきた「付き合い方」があるのですね。
心の闇と向き合う際、今までの自分のやり方がしっくりと来ていない方は、他の文化の習慣を取り入れてみるのも良いですね。それだけで心の闇は“扱えるもの”に変わっていくのかもしれません。
編集後記
私は、自分の思考の癖として、つい「自分は~せねばならない」「~すべきだ」という考え方に引っ張られてしまい、知らず知らずのうちに自分を苦しめてしまうことがあります。
それは「心の闇」というテーマに向き合う時も同じで、「心の闇と向き合わねば」「向き合うべきだ」と考えてしまったら、きっとそれだけで、かなりしんどくなってしまいそうです。
今回、心の闇の解消法にも触れましたが、「心の闇を解消しなきゃ」と力むよりも、まずは、あるがままに受け止めること。
それが何より大切なのだと、改めて感じました。
日本人は真面目な人が多い、とよく言われますが、少し肩の力を抜いて、ほどほどの距離感で付き合う。
そのくらいが、心の闇と向き合うには、ちょうどいいのかもしれませんね。
(執筆:橘茉里)


