Elämäプロジェクト

【よむエラマ】「全力を尽くす」は本当に正義?後悔しない人生のためにあなたが大切にすべきもの

こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。

突然ですが、「全力を尽くす」について、あなたはどう思いますか?

私はこれまで、「全力を尽くすこと」を自分の大切な信念にしてきました。

できる限りの力を尽くすこと。
自分を出し惜しみしないこと。

それは相手への礼儀であり、自分らしい生き方だと信じてきたのです。

けれど最近になって、私はこんな風に感じるようになりました。

全力を尽くすことは、本当に私にとって豊かな生き方なんだろうか。全力を尽くすことだけが、相手にとって誠実な対応なのだろうか、と。

今回は、ライフステージに合わせて自分の力の出し方を変えていくことについて考えながら、自分らしい豊かな人生に迫ってみたいと思います。

「全力を尽くすこと」が私の正義だった

私は私立高校で国語教師として、日々教壇に立ち、生徒の前で授業をしています。

私は、授業というものは、単に知識を伝える場だとは思っていません。言うなれば、「舞台」です。

1コマ50分という限られた時間の中で、生徒の心を動かし、新しい視点を届け、学ぶことの面白さを感じてもらう。そのために、私は教壇という舞台に立っていると思っています。

舞台役者がその一回の公演に力を注ぐように、私も、どのクラスにもその日の自分が出せる最高の授業を届ける。それが私の教師としてのプライドであり、生徒への誠実さだと考えてきました。

全力を尽くしたいという気持ちの中には、自分に妥協したくないという思いや、生徒から「この先生の授業は面白い」と思ってもらいたいという虚栄心も含まれてはいます。

でも一番の理由は、私にとって「全力を尽くすこと」は相手への礼儀だということ。

私は昔から、武士のような生き方に心惹かれるところがありました。

「信念のために自分の命をかける」「潔く生きる」、そんな烈しくも桜花のように美しい生き様に憧れの気持ちがあります。

自分の命を誰のために、何のために費やすのか。

そんなことをよく考えます。こういう私ですから、教師という務めにおいて全力を尽くすことは、「武士道」ならぬ、私なりの「教師道」と言えるかもしれません。

マイルール「全力を尽くす」の限界

このように、全力を尽くすことを正義としてきた私ですが、今年、そのマイルールが維持できなくなってきました。

教員は一日中授業をしていると思われるかもしれませんが、実は高校の教員の場合は、授業が入っていない空き時間があることが一般的です。

空き時間に教材の準備をしたり、事務作業をしたりしながら、前の授業の疲れを回復させつつ次のクラスに向かいます。

「空き時間=完全な休憩」ではありませんが、教壇を離れ、職員室の自分のデスクで一息つく時間は、授業のパフォーマンスを保つためにとても大切です。

ところが今年は週に1回、1限から6限まで一日中全ての授業が入っている曜日があります。

それは例えるならば、50分の舞台公演を休憩なく6回連続で行うようなものです。呼吸を整える時間も、心を整える時間もほとんどありません。

午前中の4コマが終わる頃にはだいぶヘトヘト。その状態で慌てて昼食を取り、午後の2コマの授業に向かうことは、想像以上に心身に負担がかかります。一日の終わりには、自分のエネルギーをすべて使い切ってしまったような感覚になります。

数年前までなら、それでもなんとか頑張れていたはずです。

でも、40代に突入し、1限から6限の授業すべてを全力で頑張ることが、体力的にどうしても難しくなってきました。

また、私は学校の仕事以外にも、和文化の活動や、アニマルレイキという動物のヒーリングの活動など、様々な生きがいを持っています。

どれも真剣に取り組みたいからこそ、それぞれに対して120%の力で全力投球することを心がけてきました。

けれど一日は24時間しかありませんし、その中で自分が活動できる時間には限りがあります。

今はその限界が、30代の頃よりも狭まってきたのを感じます。睡眠時間を削って無茶をすれば、反動で体調を崩すようになりました。

「全力で尽くすこと」を良しとする価値観は、今でも確かに私の中にあります。しかし最近は「『常に全力』というやり方を変えていこう」と思うようになりました。

「すべてに全力投球」はどう頑張っても、体力的にもう私には無理なのだと、しみじみ実感したのです。

漫画の「師匠」が教えてくれたこと

子どもの頃、バトル漫画を読んでいて不思議に思うことがありました。

主人公はいつも全力で戦います。傷ついても立ち上がり、限界を超えながら強敵に立ち向かう。その姿に胸を熱くしたものです。

一方で、主人公を導く老齢の師匠キャラは、圧倒的な実力を持っているにもかかわらず、最初から全力では戦いません。

ここぞという場面まで静かに見守り、本当に必要なときだけ力を発揮します。

そんなキャラクターを見るたびに、子どもの私は「そんなに強いのなら、最初から全力で戦えばいいのに」と思っていました。

けれど40代になった今、あの頃とは違う見方をするようになりました。

漫画のストーリーとして、主人公の成長を描くために、師匠キャラは出張らないようにするという制作上の都合はあるでしょう。

けれど、そういう制作者の事情を置いておいて、師匠キャラの人生に着目してみると、こんなことに気づくのです。

師匠もまた、若い頃は主人公と同じように、がむしゃらに全力で走ってきたのではないかと。

全力で挑み、全力で失敗し、成長してきた。

若い時はそのやり方で良かった。しかし、長い人生の中では、自身の体力的な衰えと向き合わざるを得なかったはずです。

師匠キャラは自身の老いと向き合いながら、全力で戦うというやり方から、ここぞという時に力を発揮するやり方に変えていったのではないでしょうか。

同じことは、私が好きな日本の伝統芸能やバレエなどの世界にも言えると思います。

例えばダンサーは、若い頃の方が身体能力に恵まれています。けれど、ベテランのダンサーに比べると、心を打つような表現力は未熟な面もあるでしょう。

一方、年齢を重ねるにつれて身体能力は衰えていきますが、その代わり、人生経験を積んだ分、表現者としての厚みは増していきます。

身体能力と表現力は、同じように伸び続けるわけではないのです。

多くの表現者は、自分の体の変化を受け入れ、限界を見極めながら、その時々の自分だからこそできる最善の表現を探し続けていることと思います。

外からは順風満帆な円熟した姿だけが見えていても、きっとその裏では、自分の限界と向き合う中で、たくさんの葛藤や自分自身との長い対話があったでしょう。

そしてこの葛藤は、特別な一部の人たちだけでなく、誰にでも訪れるものだと思います。まさに私も今、「全力を尽くす」から次のやり方へと移行を迫られています。

人は年齢を重ねる中で、少しずつ生き方を変えていく。

それは弱くなったからでも、妥協したからでもなく、その時々の自分と誠実に向き合った結果なのです。

「後悔しない人生」とは何か

私は「後悔」という言葉が好きではありません。もし明日、自分の人生が終わるとしても「後悔はない」と思える生き方をしたいと思っています。

だからこそ、私は後悔しないために、「全力を尽くす」ことにこだわってきたのかもしれません。

けれど近頃、その「後悔しない人生」の意味が、少しずつ変わり始めています。

全力を尽くすことだけが、後悔しない人生なのだろうか。そんな問いが、自分の中に生まれてきたのです。

私にとって、本当に豊かな時間とは何だろう。

そう考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは、自宅で愛猫たちと静かに過ごす時間です。

特別なものは必要ない。何かに追われることもなく、自分の好きなことをして、猫たちと心穏やかに一日を過ごす。そんな何気ない時間が、今の私には何よりも豊かに感じられます。

だからこれからは、「全力を尽くしたから後悔はない」という人生ではなく、「豊かな時間を送れたから後悔はない」と思える人生を目指していきたいと思うのです。

今はまだ、気づけば120%の力を出そうとして、無理をしてしまうこともあります。でも私は自分の望む人生に向けて、今変わろうとしているところです。

あなたも、今の自分に合わせて「後悔しない人生」とは何かを、ぜひアップデートしてみてください。数年前とは違う、新しい自分が現れるかもしれませんよ。

Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

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