Elämäプロジェクト

【よむエラマ】後悔ばかりの人生だ?ええがな!

こんにちは!いけかよです。

あなたには「後悔」がありますか?
人生を振り返ってみたとき「ああ、あのときこうしていれば…!」というようなやつです。
そんなものはない!と言い切れる人もいるかもしれません。
ただ、人生で選択を迫られるときに「後悔のないようにしろ」となにやら圧めいたものをかけられることって、たびたびある気がします。
いけかよは、どうにもそこにいつもモヤモヤするんだよね、という、今日はそんなおはなし。

後悔のない人生が良い人生か?

あなたもこれまで「やらないと後悔するよ」とか「後悔しても知らないよ」とか「後悔のないようにね」とか、後悔することを異様にビビらせてくる人に一度くらいは会ったことがあるのではないでしょうか。

また、ときどききかれるのは「人が死ぬとき後悔するのは…」っていうやつですね。もうあえて書きませんけども。

なぜこんなにわたしたちは「後悔する」ことをビビらされているのでしょう?
後悔するということはもうそのときになんらかが「時すでに遅し」で、取り返しがつかなくなっているからでしょうか?

しかしいけかよは「後悔したってええやん」と思っているのです。

もちろん、人の命がかかってくるような事態は別ですが、多くの場合、人生というのは取り返しがつくものです。

もしあなたが45歳で「学生時代にもっと勉強していればもっといい会社でいいポジションにつけたのに…!」と後悔することがあったとしたら、いまからでも勉強したらええやん、と思うのです。
そしていまからでも「もっといい会社」に転職をトライしてみたらええやん、と思うのです。
一方で、「あまり勉強しなかったからそこそこの会社に就職して生きてきたいまの人生」は無価値なのでしょうか?決してそんなことはないはずなのです。その道を歩んだからこそ得られたもの、人、経験がありますよね。
どんな道を歩いたとしても、すべてが尊いと、いけかよは思っているのです。
そしていま後悔して勉強を始めたとしたら、それがあなたにとって学び始めるベストなタイミングだったということなのです。

かくいういけかよは、実は過去に後悔はひとつもありません。「あほなことしたなぁ」と思うことや「あれは申し訳ないことをしたな…」と謝りたい気持ちになること、胸がぎゅっとなることはたくさんありますが、後悔ってひとつもないと言い切れます。
あ、もちろん、飲みすぎて二日酔いの朝に「昨夜のヘパリーゼはグレード上げて『極』にしといたらよかった…」みたいな小さい後悔は日々ありますよ。でも、何年も悔やむような後悔はありません。

それは決してわたしがかっこよい生き方をしてきたということではありません。
むしろ、めちゃめちゃアホで情けなくて必死で生きてきた、という感じです。だからこそ、いかに自分がアホだったかを痛感しているからこそ、「あのときはあの選択しかできなかったよね」と納得できているんです。

そういう意味でいくと、過去に後悔がある人というのは、ご自身への期待値がすごく高いのかもしれません。「自分はもっと良い選択ができたはずの人間なのに…!」という期待値です。これは高いのがいいとか悪いとかではありませんよ。ただ、自分への期待値が不適切に高いと、それが過去の出来事だった場合に「後悔」に転換してしまうのかもしれません。

人はつねに精一杯の力で生きてる説

いけかよは、人間というのはいつもいつも精一杯の力で生きるという機能の存在だと思っています。
過去にもそのようなことをこちらの記事で少し書きました。
https://note.com/elamajp/n/nb85f63070a7a

あなたがどれだけダラダラしているとしても、いまのあなたの精一杯がその「ダラダラ」なのです。人には「気が乗らない」「なんとなくやる気が出ない」ということがしょっちゅうありますから。そんな自分を責める必要は一切ありません。

一方エネルギーがすごくあって元気なときに「調子に乗るのはやめとこう」とあえてエネルギーを小出しにするのって、逆にエネルギーを消費してしまうような気がしませんか?「エネルギーをおさえるためにエネルギーを使う」みたいな。
自分の心と身体のなすがままにしているというのが、人間にとって本来もっとも健やかな気がするのです。

そう考えると、過去の自分の選択というのも、そのときそのときの自分が精一杯考えて出した結果だと言えると思いませんか?
「精一杯やった」というと「そんなに力入れてやったことばかりじゃない」と思うかもしれませんが、たくさん考えても考えなくても下した判断はそのときの自分にとってのベストだったはずだ、と言い換えられます。

この理論から、過去アホだったいけかよはアホなりに精一杯やったと思うので後悔がないのです。その自分が、今の自分をつくっている。すごく大切な経験ばかりでした。もう二度と戻りたくないけど!(笑)

そしてこれからもきっとアホなりに、そのときそのときの精一杯で選択をしていくと思うのです。だからそれが、自分にとっての「正解」なんです。
さっき、過去の自分に期待値が高いと後悔に転換するのかも、と言いました。じゃあ、未来の自分に期待値が高かったら?それはつまり「自分の選択はすべてがベスト」という大前提のもと、自分を支えてくれる期待です。
期待するなら、今この瞬間からの未来の自分に期待できるといいですよね。

そこには「体験」があるだけ

とはいえ、この先後悔をまったくせずに生きていけるかというと、それもわかりません。いけかよの人生も後半戦に突入した今、これまで味わったことない経験もきっと待っているはずですから、あっけらかんとしてばかりもいられないかもしれません。

でも、だからこそと言いましょうか、後悔することがあったとしても、それってすばらしい経験なんじゃないかとも思うのです。
すごく強い後悔って、きっと人を、人の生き方を変えます。悔やんでも悔やみきれない気持ちを抱えるのは苦しすぎるかもしれないけど、でも、だからってその経験を不要だと言い切れるでしょうか?その経験があるからこそ拓ける道というものがある気がするのです。

だとしたら、後悔ってすばらしい経験だと言えると思いませんか?

人はなぜ生まれるのか?そこにはただただ「体験したい」という願望があるのだと、とある人が言いました。

「成し遂げてもいいし、成し遂げられなくてもいい。そこにはただ体験があるだけ」
そしてこれは最近読んだ本でシビれた一文です。

わたしたちはきっと幸せになるために生まれてきているし、自分にとっての幸せってなんなのかを探求することそのものが人生といえます。でも、そこでいわゆる“幸せ”な、つまりはハッピーでポジティブな経験ばかりを「体験」としてカウントし、そうでない辛い苦しい経験は「なんでこんなことが起こるんだ!」と嘆くのは「体験」という観点からみると、ナンセンスなのだろうと思います。

ハッピーも苦しみも、ただの「体験」にすぎない。価値は同等です。
言い方を変えれば、ハッピーも苦しみもすべからく尊い「体験」なのだということです。
とてもそんなふうには思えない、とお感じでしょうか。
でも、生まれてから死ぬまですべてがハッピーポジティブだけだったとしたら、なんて退屈な人生だったのかと、それこそ死ぬ前に後悔するかもしれません。

強い後悔は、人生の転機となりうる貴重な経験なはずです。
そう思えば、後悔することって大してビビる必要ないと思いませんか?
後悔することをビビるよりも、後悔をビビって前に進めない状況にこそビビったほうがいい。
どうせ、どんな道を選択したってベストなんです。10日考えても一瞬しか考えなくても、選択した道はベストなんです。

それを、あなたが選んだのなら。

では、また!
Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)

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