Elämäプロジェクト

【よむエラマ】『がんばらなくていい』は本当に私を救うのか。長続きしない私がたどりついたフィンランドのSISU

こんにちは、ライターのひらふくです。さて、突然ですが「SISU」という言葉をご存じでしょうか?

”シス”と正しく読めた方はさすがです。SISUとは、フィンランド語で忍耐や粘り強さ、困難に立ち向かう強い意志のことを意味します。大国ロシアから独立を勝ちとったフィンランドならではの精神性で、この不安定な時代に必要な力として海外でも注目を集めています。

ただ、正直に告白してしまうと私はSISUという言葉が好きではありませんでした。SISUが悪いわけではなく、情けないのですがSISUにコンプレックスを感じていたからです。

私はずっと何事も長続きしない性格で、そんな自分がきらいでした。
例えば英語学習です。英語は必要だとわかっているのに、だんだん学習アプリを開くのがおっくうになります。日記も1週間だけ書いてあとは白紙ばかり。フリーランスになるか迷ったときも、「会社員を続けられないのは自分の飽き性が悪いんだ」と自分を責めて眠れない時期がありました。

だからこそ、SISUが意味する「困難に耐え抜いて克服する力」なんてまぶしすぎて。私にはできないからこそSISUを避けていました。
この記事は、そんなSISUコンプレックスの私が初めてSISUと向き合ってみた体験談です。SISUに初めて出会う方、物事が長続きしない方、どんな方もどうぞご一緒に。

私のSISUを導いた一言

エラマプロジェクトではSISUに関するいろいろな記事を出しています。

フィンランド魂「SISU」を理解して取り入れようー「フィンランドの幸せメソッドSISU」を読んで
https://note.com/elamajp/n/n0be0c66659a5

ハードモードも悪くない? 3つのわらじを履く私が語る、SISUで乗り越える人生の壁
https://note.com/elamajp/n/n230edd6f1b28

ライターのみんながSISUを読み解いて、自分なりに実現されているのを読むたびに私のSISUコンプレックスは深まるばかり。そんな中、最近のエラマではさらにSISUの記事が増えてきました。
これは、今まで避けてきたSISUに向き合うタイミングなのかもしれない。自分を鼓舞してSISUについて調べはじめました。

SISUの定義はフィンランドの中でもさまざまです。最初は、寒い冬の間じっと家に閉じこもるような忍耐力をイメージしていました。ですが調べてみると、吹雪の中をあえて自転車で出勤するような、アクティブな動きを伴った前向きなイメージだと知りました。


SISUを身につける方法もいろいろです。極寒の湖で泳いで身体的にホルモンバランスをコントロールすること、苦手な人にちゃんとNOと断ること、人と支え合うこともSISUの体現だそうです。

そして、私に大きなヒントをくれたのはフィンランドのライフスタイル専門家のモニカさんでした。来日されたモニカさんと京都駅のスターバックスで話しながら「SISUって何ですか?」と尋ねたとき。彼女はじっと考えて、ハッと思い当たったように「…ガンバル!」と日本語で答えてくれたのです。

がんばらなくていい、それなのに

ガンバル、がんばる、頑張る。この言葉は日本人の私たちにとってどんな意味を持っているでしょうか。

SISUと同じく、閉じこもって耐えるイメージではなくて動き出すアクティブさを感じます。
それから自分で行動を決めるときに使いますよね。嫌いなピーマンに挑むとき、難関資格にチャレンジするとき、朝しぶしぶ起きるときだって「がんばろう」と言っています。
また、何かを任される際も「がんばる」を使います。私も、仕事や町内会などで「やってくれない?」と依頼されたとき「まあ…がんばります」と引き受けました。

でも、「がんばる」が「がんばらないといけない」に変わってしまうことがありませんか。

「辛いけどがんばらないと」が口癖になったり、さらにその思いさえ消えて何も考えられなくなるほど追い詰められることもあります。毎日来た球を打ち返すだけになって、今日は何をしていたのかさえ覚えていない。がんばりすぎて、心・頭・身体の疲れを自覚できず麻痺してしまうのです。

私も仕事で麻痺したときがありました。毎朝会社に向かうバスの中で席にもたれてイヤホンをつけて、目をつむりながら、「君は駄目じゃないよ」と励ましてくれる歌を大音量で流します。そうして自己暗示をかけながら、会社に向かう足が止まらないようにしていました。


そんな時期があったからこそ「がんばらなくていい」というメッセージを大事にしています。がんばりすぎて身体や心を壊したくはない。最近も、20代のかたが給与や休日を軸に就職先を決めるのを見て、無理をしないのが今の時代のトレンドだとも感じています。

でも、なのに、私の中でがんばりが続かないことや長続きしないことが負い目のように残るのです。これは一体なぜなのでしょうか。

長続きしないのは長続きさせたいから

SISUとがんばるという言葉が結びつき、がんばるべきか、がんばらないべきか分からなくなった頃。ふとYouTubeでとある栄養ドリンクのCMが流れてきたのです。そして、主人公は私にこう語りかけました。

 僕らは頑張らなくてもいい時代に生きてる。
 がむしゃらなんて古くさい。

 でも、だけど、頑張ったっていいだろ。
 その頑張りはだれかがみてる。
 だれだ、

 自分だ。


がんばらなくていいと思っているけれど、本当はがんばりたい自分もいるんじゃないか。

本当は私だって諦めたくないことがあります。
英語を通してもっと熱く話をしたい人がいる。
やったねとハイタッチを交わしたい仕事がある。
遠く離れた両親のもとに通えるように金銭的にも精神的にも余裕をもちたい。

でも、本当にがんばりたいことだからこそ、がんばりきれなかったらと怖いのです。長続きさせたいことだからこそ、長続きしなくて自分に失望するのが怖くてはじめることすらできないんです。「がんばらなくていい」と本心で思いながらも、それを言い訳にも使っている自分に気づきました。

がんばりたい人のための2つの習慣

そんなふうにがんばることを怖がる私を、ある2つの習慣が救ってくれました。

1つ目の習慣はあえて「難しさ」を意識することです。
それは京都の鴨川沿いを友人と歩いていたときのこと。私は「これをやってるんだけどなかなか結果がでなくて〜」と仕事の相談をしていました。
友人はエンジニアをしているので、効率化やITを使った実践的な手法をアドバイスされるのではと思っていました。

すると、友人は川の流れを見つめながらこう言ったのです。

「あなたがやろうとしているのは難しくて、だからこそ大事なこと。大事なことは簡単にすませちゃいけない。大事なことだから時間がかかるんだよ」


私は早く結果を出せる人がかっこいいと思っていて、早く目標にたどりつかない自分が人と比べて情けなくて、続けていくのが辛くなって。ここでも「がんばりすぎなくていいんだ」と唱えながら続けるのを止めていました。

でも、私ががんばりたいことは難しいことなんだ。そう思うと逆に焦らず続けられる気がします。難しいことだから、できなくてもいちいち自分にがっかりしなくてよくなりました。時間がかかることだから、1日単位で常に成果を測って「今日も何もできなかった」と自分に失望しなくてもいいのです。

もちろん物事を進めたくもあります。だからこそ、プレッシャーになるような先の目標は意識的にシャットダウンして考えないという習慣もはじめました。その上で目の前のことだけに集中すると没頭できて楽しいし、むしろ進みやすくもなりました。

2つ目の習慣は、寝転んでスマホをだらだら見ているときに「〇〇をがんばりたい」と口に出して言うこと。
きっかけは「がんばる」について考えていたときです。試しに「英語をがんばる」「英語をがんばらないといけない」「英語をがんばりたい」の3つのフレーズを声に出して、それを録音して聞いてみました。するととても不思議なことに、私はそれぞれを全然違う響きで言っているのです。

みなさんもぜひ試してみてほしいのですが、「がんばる」は教科書を読むように一定で言い慣れている印象、「がんばらないといけない」は早口になり、冷静で少し冷たくも聞こえました。そして「がんばりたい」はまるで苦しんでいるように絞り出していました。


ただ、苦しそうではあるけれど、「がんばりたい」だけは私自身の感情がにじんでいて。SISUが「自分で決めた意志」を指すとしたら、SISUは他2つではなく「がんばりたい」という言葉に表れているように感じました。

「がんばりたい」と口にすると、他の誰でもなく自分がしたいことなんだと突きつけられて、行動しないといけない気持ちになります。
それは覚悟や意志といえるほど立派なものではありません。「難しいし面倒だけどやるんだ」と泣きそうになりながら起き上がります。

そして作業をはじめてしまえば楽しくなって没頭します。ああ、私はこんなに単純な人間だったんだなと自分で呆れるほどです。

泥臭くても私のSISU

SISUは困難に耐えて立ち向かう意志の力です。私は困難から逃げて何事も長続きしない性格で、SISUに対して劣等感がありました。でもあらためて考えてみると、私の中にも困難でも諦めずがんばりたい自分がいたのです。

私のSISUは揺るがない立派なスキルでもないですし、心が麻痺して自分を見失ってしまうくらいならがんばりたくありません。
それでも、本当にがんばりたいことからは目を背けることなく、「がんばりたい…」と腹の底から絞り出して泣きながらまた立ち上がる。そんな泥臭い”今日”こそが手触り感のある私の意志の形、私のSISUなのです。

私と同じように長続きしない自分を責めている方はいるでしょうか。あなたはこの話をどう感じたでしょうか。あなたのSISUはどんな形をしているでしょうか。
あなたが無理なく、でもなりたい自分に進んでいくきっかけになれたら幸せです。



text by  ひらふく