Elämäプロジェクト

【よむエラマ】「悩んだら森へいこう」”癒し”だけじゃないあなたらしい味わい方を。フィンランド×飛騨高山の森林浴イベントレポート

「悩んだら森へいきます」

フィンランドの人々と出会う中で何度も耳にした言葉です。住んでいる場所や職業、性別や年齢も関係なく、みなさん不思議と同じことを口にするのです。
あなたはこの言葉に共感しますか?それとも首をかしげるでしょうか。

こんにちは。ライターのひらふくです。
私はこの言葉を聞いた時はよくわかりませんでした。しかも、実際フィンランドの森を歩き、大自然に包まれる体験をしたにも関わらずまだ腑に落ちなかったのです。

そんな私がこの言葉を体感したのは、2025年11月に飛騨高山でおこなわれた『森と自分を”再発見”する森林浴プログラム』でした。

https://elama.be/workshop-event/takayama202511/

県外からも参加者さんが集まり、フィンランドから来日した4名の個人起業家さんたちと飛騨高山の森を味わう1日。私はそこで自分にとっての”本当の森”を知ったのです。

自然が好きな方、“森”というワードになんだか惹かれる方、そして今悩んでいる方。
その気持ちを紐解きに、一緒に森へと入っていきましょう。

このプログラムの講師たち

企画・通訳
石原侑美(いしはら ゆみ)
フィンランド生涯教育研究家、 Elämäプロジェクト代表
岐阜県高山市在住。
フィンランドと日本の文化・教育の架け橋として活動。本企画では主催者としてフィンランドから多彩なゲストを招聘。参加者とゲストの対話が深まるよう、言葉だけでなく文化的な背景も汲み取りながらファシリテーションと通訳を務める。

ゲスト出演
Mari Ahonen (マリ・アホネン)
森林浴ネイチャートレーナー / メンタルヘルス専門家 / SaimaaLife創設者
フィンランド東部サイマー湖地方在住。
9年にわたり日本人との協業を重ねる。
自身が開発した「ナチュラル・ウェルビーイング・モデル」を通じ、人々が自然の力で心身の健康や幸福、バランスの取れた日常を見出すサポートを世界中で行う。
彼女のトレーニングは、フィンランドの自然な暮らしと日本の森林浴を融合させているのが特徴。

メインガイド
臼田 陽子 (うすだ ようこ)
森林インストラクター、「森とひとと木」代表
岐阜県高山市在住。
2024年に「森とひとと木」を設立し、飛騨の多様な森をフィールドに森林浴や木育プログラムを提供。森林の持つ癒やし効果を五感で体験できるきめ細やかなガイドで、人と自然、木とのつながりを紡いでいる。

フィンランドと日本、それぞれの自然観

プログラム当日にみなさんが集まったのは日和田高原ロッジ・キャンプ場です。岐阜県のJR高山駅からさらに車で1時間。地元の方でもきたことがないというほど自然が深い場所です。
「はじめまして」という挨拶が交わされる中、プログラムがスタートしました。

名古屋や三重など県外からの参加者さんも多く、片道3時間かけて來たり前泊したりとプログラムへの熱意を感じます

最初のチェックインではそれぞれが今日の参加理由をお話しされました。森に関することを仕事にしている方もおられれば、実は今まで森に関心がなかったという方もおられました。

その中で印象的だったのはある地元の方の言葉です。

「自然が多い地域で生まれ育ったからこそ、森について考えたことがなかったんです。森が自分にとってどんなものなのか考えたくて参加しました」

また、その後にフィンランドメンバーの一人も同じことを言われました。どうやら”森”がどんなものなのか探っているのは私だけではないようです。

(フィンランドから来日した参加メンバー。左からコテージのオーナー、リンゴ農家兼レストランオーナー、テキスタイルデザイナーというユニークな面々)

実際に森へいく前に、フィンランドの基本知識や自然観、そして日本の自然観について講師陣からお話がありました。

フィンランドから来日された森林浴ネイチャートレーナーのマリさんは、フィンランドの自然享受権という権利について話してくれました。
これは、自然を傷つけたり持ち主に迷惑をかけることがなければ、誰でも自然の中に入って楽しんでいいというもの。例えば、ふらっと森を散策してベリーを摘んだりキャンプをすることも許可をとらなくていいのです。
そんな楽しみ方を通じて、フィンランドの人と森との関係性について話してくださいました。

国土の森林面積率が世界1位のフィンランドでは、森はとても身近ですぐに訪れることができます。よき隣人みたいな存在だと感じました。

一方、日本では「すべてのものには神様が宿る」という考えのもと、森に対しても神聖な気持ちがあります。
森林インストラクターの臼田さんは、山林と人間の住む土地には境界線があり、里や野辺という形で共存してきたこと、日本人の自然観にはバリエーションがあるとお話してくださいました。

お二人の話からは森に対するスタンスは様々であることがわかります。
ふりかえってみると、私にとっての森は、気軽なものというより軽い緊張感があることに気がつきました。フィンランドで森を訪れた時も、楽しいながらどこか緊張していて、「リラックスして癒されなければ」と考えていた気がします。
フィンランドと日本を対比したことで新たな自分が見えてきました。

(フィンランドや飛騨高山の森の専門家、そして両者をつなぐ講師。三者三様の目線を学び視野が広がっていきます)

森を五感で再発見しよう

いよいよ森に入っていきます。まずは入り口にある神社にお参りします。この神社はかつて臼田さんによると昔の日本人は山を聖なるものとして拝んでいたこともあるそう。神様の領域に入らせていただくような神聖な気持ちになりました。

(鳥居をくぐる時にはフィンランドの方も帽子をとってご挨拶。日本文化を尊重してくださり嬉しくなります)

ふと「すべてのものには神様が宿る」の言葉を意識してみると、森の中ではたくさんの生き物の気配を感じます。
池の水面に広がる波紋、触れると意外に温かい木の幹、枯葉が地面から舞い上がる姿、ざあっと風が木立を揺らす音など五感から森に包まれています。

土を掘ってその地面をかいでみると場所によって土の香りが違っていました。土中の微生物が異なるからだそうで、参加者さんからは驚きの声があがります。
フィンランドメンバーからは「うちの森と同じ匂いだよ!」なんて発見もありました。今まで知らなかった形で森への目線を広げていきます。

(足をとめてしゃがみ、土や葉っぱに触れて五感で森を感じていきます。)

臼田さんに導かれて森の奥に進んでいきます。木の幹から出る樹液に触れたり、溶岩が固まって岩になり苔むしたエリアを渡っていきます。

頭上からの木漏れ日を手元のカードにうつしてみると光の繊細な揺れを再発見。「木漏れ日という言葉は日本語にしかないんですよ」と教えてもらいました。自然のささいな移り変わりを楽しむ価値観を感じます。

(白いカードが木漏れ日で明るくなったり暗くなったりと自然とともに移り変わっていきます)

森に入った時は一列に並んでいた私たちですが、気づけばみんな見渡す範囲にばらばらと広がって思い思いにすごしていました。

持ってきた袋に落ち葉や枝を集める人。
新しい発見に楽しそうに盛り上がる人。
一人でまっすぐ進んでいく人。
空を見上げて立ちつくす人。
木の幹にハグする人。

みなさんの自由な過ごし方は、その人にとって森がどんなところかを表しているようでした。

(フィンランドと日本それぞれの参加者さんが同じ木を両側から抱きしめます)

(手に持った枝のフォトフレームごしに好きな風景を切りとってみる時間。何が見えるでしょうか?)

(思い思いに寝転がって。木陰を選んだり日光浴したり砂利道に大の字になる人も)

参加者さんにとって森はどんなところだったのでしょうか。
建物に戻ってランチを食べたら最後のふりかえりです。

(ホテルで作ってもらったこだわりのお弁当には飛騨高山の名物がいっぱい!)

森は立ちどまることを許してくれる

ふりかえりでは、まずフィンランドメンバーが感じたことをシェアしてくれました。

「フィンランドの森と似ているけれど違うところもあった」
「フィンランドの自分の家にある森と日本の森はそっくりだった」

日本とフィンランドは約8,000kmも離れているのに似てるなんて不思議ですね。でも、たしかに森で過ごすみなさんは、前から知り合いだったように和やかに時間をわけ合っていました。

その後は二人でペアになって感じたことを話します。新しい発見があった方や、なんだかしみじみしたという方もいます。
「自分が森に何を求めていたかわかった。身近な近所でその条件を満たす場所を探そうと思う」と言語化を進めた方もおられました。

私も、森に神聖さを感じながらも、新しい見方を得たり、何も考えずぼーっとしたりといろいろな過ごし方をすることができました。

(みなさんが手にしているのは、マリさん制作のサイマー湖水地方のガイドブック。全編日本語で書かれている完全オリジナルなもの!これにももちろん森や自然の魅力がたくさん紹介されています)

また、後から知ったことですが、参加者のおひとりは実は夏ごろから調子が出ず引きこもりがちな日々を送っておられたとのこと。それが今回の森林浴では安らいで穏やかな気持ちになれたのだそうです。
そして後日こんな感想を寄せてくださいました。

「振り返ってみると、山登りやハイキングのように『歩くこと』を目的に山に入ることはあっても、自然を『浴びる』ことを目的に森に入ったことは、 これまで一度もなかったことに気づきました。森を歩くこと自体は初めてではありませんが、今回の体験は、これまでとは全く違う印象を受けました」

この言葉にハッとしました。
登山には「登る」という目的がありひたすら歩いていきます。でも今回の森林浴では「立ちどまる」ことがとても多かったように思います。

参加者さんは、気になるものを見つけて思い思いに過ごしていました。急ぐことも、達成しないといけない目的もなく好きに足をとめてよかったのです。
行動の内容は違えど「思うがままに立ちどまる」ということは共通していました。

そう考えると、反対に普段はどれだけ「やらねばならない」ことに急き立てられているかを痛感します。最初に私が「森ではリラックスしなければ、癒されなければ」と思っていたのも、この「〜しなければならない」思考です。立ちどまる余白をもつことを自分が自分に許せていなかったと気づきました。

(森に入る一歩は立ちどまる一歩)

余白を持つことは実は日常でもできることです。近所の公園で木を眺めながらでもいいですし、スマホを触らないで15分くらい窓の外をぼーっと眺めてもOK。目の前の悩みから離れることを自分に許してあげることが大事なのです。

あなたには守りたい日常や頑張りたいことがきっとあると思います。家庭や仕事や生きがいや、たくさんのしなくてはいけないことたち。
頑張り続けたら疲弊してしまうことも知っているけれど、それでも手を抜くことや手放すことを許せず走り続けているかもしれません。

その葛藤がある時こそ、森へいきませんか。

守りたいものを守り続けるためにこそ余白は必要です。自分で自分に余白を許してあげられなくても森はそんな緊張を緩めてくれます。

森は広くて大きくて、わたしたちを包み込んでくれる場所。頭ではなく五感を開き、たくさんの生き物の存在を感じることで、自分も自然のままのペースで生きられる気持ちになれるのです。

立ちどまる余白を許してあげるために。
守りたいものを守り続けるために。
さあ、森へ。


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https://note.com/elamajp/n/n6227c1c222a3
https://note.com/elamajp/n/n4f59d56a5f0b

text by ひらふく(フィンランド的働きかた実践家)

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